76話 驚愕のファラージャと光秀の特訓
【尾張国/人地城(旧名:那古野城) 織田家】
「斎藤家への援軍は4000! 率いる将は、ワシ、三左衛門(森可成)、権六(柴田勝家)、侍従(北畠具教)で、それぞれ1000を率いる事とする。それらとは別に彦右衛門(滝川一益)には今回の遠征にも従軍を命ずる。残りの者は方針に従い領地を発展させ、治安を維持し、民の暮らしを守る事を第一とせよ!」
今回の遠征に際した編成は、前回が武将の成長も含めた編成であるならば(斎藤帰蝶、佐々成政、丹羽長秀)、今回は浅井に確実に止めを刺すべく攻撃力と指揮に優れた武将を揃えた、必殺とも言える精鋭である。
帰蝶、吉乃と今年側室になった茜、葵、直子の3人は誰も遠征には従軍しないが、それについては、とある思惑があっての事で別の話である。
「なおワシと彦右衛門は近江に先乗りして準備をする事がある。三左衛門はワシの代わりに軍を整え準備ができたら近江横山城に参れ」
「はっ!」
【近江国/横山城 斎藤家】
近江の横山城に先乗りした信長と一益は、さっそく軍議の為に義龍の元に向かった。
横山城には斎藤家の当主である斎藤義龍と側近の明智光秀しかおらず、美濃三人衆はそれぞれの別の城に守備として入っておりこの場には居なかったが、大筋の戦略は既に伝えてあり問題は無い。
今は明智光秀だけがこの場に居れば十分であった。
「よくぞ来てくれた! 援軍感謝するぞ義弟よ! して……例の部隊が整ったとな?」
「はい。今後の戦を占う部隊となるでしょうな。その運用を、織田家の滝川と……」
そこで信長が近くに控えていた明光秀を見た。
「斎藤家から十兵衛(明智光秀)に任せるとの事じゃな」
「……え? 拙者ですか?」
不意に指名された光秀が驚いた顔で返事をした。
「うむ。十兵衛なら適任じゃ。義兄上と相談して決めたわ」
「それは……その、責任重大ですが、滝川殿と一体何の部隊を担うのでしょう?」
「種子島、いわゆる鉄砲じゃ」
「えっ! 鉄砲!?」
光秀が驚くのも無理は無かった。
鉄砲は威力や射程距離はともかく、連射性に難があり、まともに命中させる事も難しく、ついでに整備も大変と、とにかく銭が掛かる武具で有名であった。
特に銭に関しては常軌を逸した伝説があり、鉄砲伝来当時、1丁あたり現在の日本円で億を越える価格であったとも噂される、超高級武器であった。
ただ、日本人があっという間に完全コピーしたため価格は下落した経緯があるが、それでも決して安い武器ではない。
また、鉄砲はコピー出来ても、弾丸を飛ばす火薬に必要な硝石が日本では産出されず、輸入に頼るしか入手の方法が無いのが最大の悩み。
一方、売る物の当てが外れた南蛮人は、硝石の値段を跳ね上げるしかなく、結局鉄砲は銭のかかる武器であった。
それでも既に財力を誇る大名や、比較的入手の容易い西側の大名が運用をしていると噂されるが、まだまだ運用が試行錯誤の域を出ず課題が多い武器でもある。
斎藤家においてもそれは同様で、鉄砲を保有はしているが、実践投入には二の足を踏んでいた。
その難題だらけの鉄砲を、部隊として運用すると信長が言ったのであった。
「鉄砲に関する諸問題はワシも把握しておるが、ある程度は問題を克服する案はある。お主は安心して鉄砲部隊の指揮を取るが良い。それよりも、お主にはこれから鉄砲の扱いに慣れて貰わねばならぬ。織田の援軍が到着するまでに、ワシと彦右衛門で鉄砲の扱いをミッチリ仕込むので、そう心得よ」
「は、はっ!」
信長が、光秀を鉄砲隊指揮官に指名したのには、勿論理由がある。
織田信長、滝川一益、明智光秀は史実の織田家において、特に鉄砲に対しての実績が大きい人物である。
信長の集団鉄砲運用術は、史実での長篠の戦いで、歴史的な戦果を挙げたのは周知の通りである。
一益は織田家に仕える前から扱いに長けており、信長の覇業を長く支えてきた。
また、光秀も、史実では鉄砲の名手であったとされる。
その鉄砲の技は、斎藤家を出奔し放浪している時に身に付けたと言われる。
朝倉義景に仕えた時には25間(45.5m)先の的や、飛ぶ鳥にも命中させ、まともに命中させるのも難しい当時の鉄砲において、驚異的な腕前を持っていた。
しかし、信長の歴史改変によって思わぬ弊害が起こった。
斎藤家が分裂して争っていないので、光秀は諸国を巡る事もなく、鉄砲の才能を開花させる機会に出会っていないのである。
この弊害を解決すべく、信長は近江に先乗りして援軍が到着する僅かの間に、光秀を鍛えるつもりであり勝算もあった。
それは、転生のアドバンテージで光秀の才能を知っているからである。
先述の通り、鉄砲はとにかく銭の掛かる武具である。
そんな武具を、放浪中の光秀が、収入が無い時代、しかも妻の髪を売る程の極貧放浪中だったと言われている。
それなのにも関わらず、じっくり腰を据えて、高価な火薬を惜しみ無く使い修練に励んだとは考えにくい。
しかし、事実として鉄砲の達人であるのは間違いない。
この矛盾に対する答えは、放浪中に実は修練に励む事のできる勢力に所属した、又は、光秀には尋常ならざる才能が眠っており、短期間で習得してしまったかである。
残念ながら光秀の前半生は謎に満ちており、真実は定かではない。
しかし、信長は(真実はどうあれ)光秀から放浪中の経緯を聞いており短期間で修得した事を知っている。
だから織田援軍が到着する僅かな期間で、鉄砲隊の指揮と、銃の扱い方を習得できると信長は踏んだのである。
「―――と言うわけで、お主には射撃号令や、手順の号令を行ってもらうが、最重要なのは適切な射撃機会を見極める事じゃ」
この時代、戦いは個人戦ではなく集団戦が基本である以上、鉄砲は散発的に撃っても効果は薄い。
集団での一斉射撃で相手を一掃するのが最も効果的で、射撃の目標の設定とタイミングの見極め、及び、射撃手順の号令が鉄砲隊の指揮官には求められるのである。
こればかりは、指揮に長けた人物が絶対に必要不可欠である。
幸い、今回は精密射撃や狙撃を必要とする場面は無く、敵集団に撃ち込むだけなので、技術はそこまで必要では無い。
鉄砲隊はまだまだ運用も発展途上なので、ピンポイント射撃の様な曲芸撃ちは『今必要か?』と言われると違うのである。
光秀は織田援軍が到着するまで、鉄砲技術の習得を朝から晩まで行う事となった。
そんな光秀の訓練に疑問を感じたファラージャが、信長に尋ねた。
《ところで信長さん。アレは教えないんですか?》
《ア レ と は な ん じゃ ?》
《声でっかい!》
朝から晩まで轟音に晒された信長の声は、イヤホンを付けた人の声の如く大きくなっており、意識で喋るテレパシーにも何故か反映されていた。
《おお、スマンな。で、アレとは?》
《鉄砲三段撃ちですよ!》
後世に伝わる、信長考案の必殺の鉄砲運用術である。
それを光秀に教えない信長に、ファラージャが疑問に思ったのである。
しかし―――
《三段撃ち? 何の事じゃ?》
考案張本人の信長が、問いかけにピンとこず聞き返す。
《え? あれ? 長篠での武田勝頼との決戦で、3000丁の鉄砲隊を3列に並べて順番に発射したという……》
《3列射撃!?》
《……もしかして違います?》
《全然違う!? 未来への事実の伝わり方はどうなっておるのじゃ……!》
《でも、あの決戦で鉄砲隊を駆使して武田軍を破ったのは事実ですよね? え!? まさか、これも違います!?》
《それは間違いないがな。あの時の鉄砲の運用でワシが思いついた戦法で特筆すべき事と言えばアレか? 集団分業制を導入した事を言っとるのか?》
《何ですそれは?》
《射手と、弾丸装填手と、冷却整備手の3人1組で、3丁の鉄砲を運用させた。名付けて集団鉄砲運用戦術。恐らくそれが何か間違って伝わって3列交代射撃になったんじゃろう》
《そうだったんですね……。ハハハ……。でも3列交代射撃でも良いんでは?》
毎度の事ながら、未来に伝わる間違った歴史的事実に苦笑いをするしかないファラージャ。
ただ、それはそれとしても、言い伝え通り3列3段撃ちでも良い様な気がするので信長に聞いてみた。
《まぁ、やってやれん事も無いが、考えられる問題点が致命的じゃ。運用した場合、兵達にとっては地獄じゃな》
《え!? 何でですか!?》
予想だにしなかった『地獄』と言うワードに仰天してしまった。
例えば『難しい』とかとかなら予想できるが、よりによって『地獄』である。
3段撃ちがそこまで問題のある戦術とも思えず、先ほどの信長の大きな声よりも大きい声で聞き返した。
《うるさっ! お主の時代に火縄銃など無いだろうし、もっと凄い兵器があるだろうから知らんのも無理は無いが、鉄砲は火を噴くのじゃ。3列射撃は恐らく1列目がしゃがんで、2列目が中腰で、3列目が立ちになるか? 3列目の者はともかく、1列目、2列目は頭上に火の粉が舞い落ちて射撃どころでは無いな。その火の粉が自分の持つ火薬に引火したら最悪じゃ。そこら中で暴発祭りじゃな》
未来の超兵器を知るファラージャにとって、銃口から弾以外の物がでるとは考えが及ばず、信長の説明に古代の銃の不便性を感じ取った。
《あっ……。じゃ、じゃあ列の距離を離して火の粉が被らない様にしては?》
《お主、どこに飛んで行くか解らん弾丸が、頭上を通過するのを耐えられるか? ワシには無理じゃな》
弾丸は現代の流線型と違い、本当に只の『丸型』の弾丸で、銃身にも軌道を安定させるライフリングが施されている訳でもない。
ただ火縄銃は別に、流石に撃った瞬間から真下に飛ぶ事は無いが、距離を離せば離す程にあらぬ方向に飛ぶ可能性が高まる。
最悪、味方への誤射の可能性も高まる。
そんな弾丸が頭上を多数通過するなど、恐怖以外の何者でもない。
《うわっ……。それはちょっとイヤですね……。それなら隊列を入れ替えながら運用しては?》
《火薬、弾丸の装填と、冷却、掃除、整備をしながらか? 随分と忙しない運用じゃな。一瞬で発射までの手順が終るならそれでも良いがな。光秀の訓練を見ていたのであろう? 鉄砲は撃つだけなら引き金を引くだけじゃが、それに至るまでの手順が煩雑じゃ。ならば、やるべき事を限定してしまえば覚える事も少なくて済む》
当時の鉄砲隊は、指揮官やそれに順ずる者が、『構え』『撃て』以外にも『弾薬装填』『火薬圧縮』『玉込め』と言った具合に手順を号令していた。
一応一通りの訓練はするが、どうしても手順を忘れたり、実戦の雰囲気に飲まれて手順を飛ばしたり、そもそもが今までとは全く勝手が違う新兵器なので手順を間違えやすかった。
それを防ぐ為に手順を号令するのである。
だが分業制にしてしまえば、それぞれが『狙って撃つだけ』『発射準備するだけ』『冷却整備するだけ』で済む。
ここまで分業してしまえば、手順の号令は不要にも出来る。
この運用方法こそが、当時の鉄砲で行える最大限の効率と効果を追求した運用方法である。
雜賀衆や根來衆の様に、苦労してエキスパートを揃えなくても済む。
この工夫と、集団で運用で、誰でも簡単に特大の戦果を狙える。
これが後に、世界初の集団鉄砲運用戦術の確立となり、立役者となったのが信長、証明したのが長篠の戦いなのである。
《な、なるほど……。納得しました。でも、その運用術を教えないのは何故ですか? せっかく記憶を持ったまま転生したのですから、積極的に運用してしまえば良いのでは?》
アドバンテージを利用しない信長を、ファラージャは不思議に思っていた。
《浅井、朝倉を相手にか? まだ数も不十分で効果的でない。使うのであれば、数を揃えた上で、絶対にその一戦で倒さねばならない強敵相手に初披露するのが当然じゃ。かつての武田勝頼の様な相手にな。あの運用方法は気が付けば誰でも運用できる。じゃが諸大名にそんなキッカケを易々と与える訳にいかん。他の奴等には、鉄砲は破壊力は高いが扱い辛い、主戦力にはなり得ない武器だと、勘違いしたままで居てもらわねば困る》
《で、でも、そんな簡単な運用方法、誰かが気付いてもおかしくないのでは?》
《そうじゃな。しかし、誰も気付かんかったぞ》
アメリカ大陸を発見したと言われるクリストファー・コロンブスの逸話に『コロンブスの卵』という逸話がある。
大陸を発見したコロンブスの功績に対し『そんな事、海に出て西に行けば誰でも出来る』と文句を言う者がいた。
それを聞いたコロンブスが『ではこの卵を立ててみろ』と言うが、言われた男は『そんなの無理だ』と嘲笑う。
そこでコロンブスは卵の下側を机に叩きつけて割り、卵の平面を増やして立たせて言った。『どうだ? 簡単にできたぞ?』とコロンブスは言うが、『そんな簡単な事は気付けば誰でもできる』と男は憤慨する。
コロンブスは待ってましたとばかりに言い返す。『そう。気付いてしまえば簡単な事だ。しかしこの簡単な手段を思いついて実行できるかが君と私の違いだ』と豪語して見せた。
つまり歴史を知るファラージャや我々にとっては、『連射の難しい、扱いの難しい鉄砲を効果的に扱うなら?』との問いに、実際には違う三弾撃ちも含めて答えは幾つも提示できる。
しかし、史上初めてそれを実行するのは、途轍もなく難題なのである。
しかも鉄砲の戦術に関しては、開発元の南蛮諸国でさえ、最初に撃ったらそれまでで、後は従来の戦い方しか出来ていなかったとも言われる。
それ故に、誰も気が付かず、世界でも例が無かった運用方法を思いついた信長が、天才である所以でもある。
《そう言うモノですか……》
《そう言うモノじゃ。それにこれは今の所の計画じゃが、仮に武田とまた長篠でやり合う事になっても、あの時と同じ様な集団鉄砲運用戦術はもう取らん。別の戦い方をするつもりじゃ》
《えぇ!?》
《まぁ、その時を楽しみにしておれ。ハッハッハ! あぁそうそう。あと3000丁も間違いじゃ。そこまで集められんかった》
《ええぇっ!?》
こうして信長は光秀に鉄砲の扱いを叩き込んだ。
しかし集団鉄砲運用戦術はおろか、簡易薬莢とも言うべき『早合』。
銃身の長さを調整した『短筒』。
巨大化させた『大筒』。
弾丸を複数装填する『散弾方式』。
その他、史実の戦国時代で改良され昇華した技術の一切を反映させない、極めて初期のオーソドックスな火縄銃の扱い方しか教えなかった。
その運用レベルは他家のそれと全く変わらない程度の、戦局を左右する存在には到底なれないレベルである。
この理由は、先の集団運用戦術を教えなかった理由にも通じる所があるが、家臣の創意工夫の場を奪わない配慮である。
また、それらを用いなくても、とある理由で浅井家の戦意を圧し折る事が可能だと判断したからである。
そんな信長の思惑など露知らず、光秀はその才能を発揮させはじめていた。
手順の飲み込みは早いし、日に日に遠くの的にも高確率で命中させられるようになった。
「何とも不思議な感覚です。何と言うか弾の気持ちが分かると言うか……遠くの物が近くに感じると言うか……」
「その気持ちは解りますぞ十兵衛殿! 拙者もそう錯覚する事が多々あります! 誰に言っても信じてもらえなかったのですが、こんな所で同じ感覚の持ち主に出会えるとは何たる僥倖!」
「解りますか彦右衛門殿! 今ならあの飛ぶ鳥も落とせそうです!」
そう言って光秀は空に向けて無造作に構え鉄砲を撃つと、運悪く飛んでいた鳥に命中した。
「おぉ! まさに飛ぶ鳥を落とす勢いですな! 拙者も負けておれませんな!」
「……飛ぶ鳥を落とす勢いは例えであって、本当に落とす事では無い気がするのじゃが……いや、確かに凄まじい速度で成長はしておるが、まぁ良しとするか」
歴史の修正力の影響なのか、鉄砲の神に愛されたかの様な神技で、史実の伝説を、いとも簡単に再現する光秀に無邪気に喜ぶ一益と、目を剥いて驚く信長であった。
ちょうど光秀が仕上がった所で、タイミングよく織田家の援軍も横山城に到着した。
居並ぶ諸将と軍勢の前に立った義龍が雄々しく激を飛ばす。
「よし! 今回の侵攻で浅井家を滅ぼす! 全軍出発!」
義龍の号令に従い、浅井家最南端の城である雨森城に向かう斎藤織田連合軍は、梅雨も明けた農繁期真っただ中の侵攻日和。
迎え撃つ朝倉浅井連合軍にとっては昨年同様最悪の侵略となって幕を開けるのであった。




