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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
2章 天文15年(1546年)三度目の正直と通用しない記憶
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7話 斎藤帰蝶(濃姫)

「尾張の若殿は不思議な評価を受けています」


 そんな事を話す使者の言を聞いて美濃の斎藤利政(後の斎藤道三)は強く興味を惹かれた。

 娘の夫、つまり義理の息子が気になるのは、いつの世の親とて変化なし。


 その対象たる信長は、数年前までは美濃まで轟く『大うつけ』としか聞かなかったのに、姫が婚姻を申し出た頃から、その評価が変わっていた。


(娘の見る目、というよりは強運なのだろうか?)


 信長の転生を知る由もない利政はそう感じ、何はともあれ警戒心と興味が沸きに沸いた。


(一度、婿殿と会うのも悪くはないな。もし『うつけ者』なら後ろ楯となって、尾張統一に手を貸した上で、美濃同様おいしく頂き、姫の子に織田を継がせてしまえば良い。信秀は手強いが『うつけ者』ならば赤子の手を捻るも同然じゃ)


 美濃を乗っ取った梟雄らしい思考で冷徹に婚姻同盟の先を計算する利政である。


(また仮に、仮にだ。世間の評判が間違いで『うつけ』では無かったら、会見の場で暗殺するのも手じゃな。織田とは膠着状態だか、これを期に尾張を崩すのもアリじゃろう。信秀以外の織田などたかが知れておる。信長がどんな人物であろうとワシに不利な事は何一つ無い!)


 同盟と会見に、デメリットの無い事を確認できた利政は、梟雄の顔から一人の父親の顔に戻る。


(……まぁ、娘には詫びねばならぬが、折角回復した可愛い姫を手離すのは惜しい。今まで可愛がることが出来なかった分、可愛がってやりたい!)


 そんな思惑の利政は、半年前を思い出していた。




 そう、あの去年の奇跡の日を。




【天文14年(1545年)美濃国/稲葉山城 斎藤家】


 利政の娘は年間通して床に臥せる日の方が圧倒的に多く、薬も祈祷も効果が無く、利政は『これもワシの所業の因果応報か』と弱気になりつつ、いつもの様に見舞おうと女中に声を掛けた。


「姫は健やかか?」


「はい、お殿様」


 当然ながら事実とは反する。

 妙な事を口走って、それが言霊(ことだま)となり事実になったら堪らない。

 万が一の奇跡を信じ願いを込めて行っている、斎藤家暗黙の規則である。

 そんな、いつもと変わらぬ半ば皮肉の様な挨拶のやり取りをした所―――



「うぉぉぉぉ!」



 突如、稲葉山城で一番静かな姫の寝所から『うぉぉぉぉ!』と咆哮が上がった。


「何事かッ!? ぐぺぇ!」


 急いで寝室の襖を開けようとした所、襖がスパーンと気持ちの良い音を立てて開き、雄叫びと共に何かが飛び出した。


 稲葉山城に利政の悲鳴が木霊(こだま)する。


 完全に虚を突かれた利政は、強烈なタックルを鳩尾に受けて縁側廊下も通り越して庭に叩きつけられた。


「お殿様!?」


 訳も解らず女中が叫んだ。

 美濃を下剋上にて乗っ取った大悪人の利政は、恨みを持つ者からの襲撃は常に警戒していたが、まさか美濃で一番安全と言えるこの場所にて、この様な目に会うとは思いもよらなかった。

 利政はのし掛かった何かに四苦八苦しつつ賊(?)を討つため脇差しに手を伸ばした。


「あ、父上!! じゃあ成功よね!」


(……え?? 父上って誰だ? ワシか? む? せいこう?? 精巧? 作り物? ……影武者の事か? そうか、ワシは影武者か、って違うわ!)


 余りの事に利政は動転している。

 利政の記憶では、昨日までの姫は間違いなく顔色悪く臥せていたし、正直なところ、いつ死んでも不思議ではない程に弱々しかったし、『ワシが死んだらどんな報いでも受けるから、せめて姫を人並みに過ごさせてやりたい。』そう願っていたぐらいである。


 だから戦や政の無い時は暇を無理やり作って気遣っていた弱々しい姫が、部屋を飛び出して来るなんて予想外にも程があった。

 そんなこんなで、ようやく混乱から立ち直り利政は何が起きたか理解してきた。


「ひ、姫よ! お主、体は良いのか?」


「え? 勿論で……あ! 何か調子いいから、走って見ようかと思った次第でして……」


 姫と呼ばれた女はさも当然のように答えかけて言い直した。


「は、走る!? 馬鹿を申すな! お主の体で……!」


 利政はそう言ってから、自分をブッ飛ばした膂力は猪の如き力だった事を思い出す。

 とても永らく臥せていた者の動き出はない事に利政は気がついた。


「ほ、本当に大事無いのか!?」


「はい!」


 まるで種から萌芽する力強い若葉の如く、天真爛漫な笑顔で女は返事した。


「何たる奇跡か……!!」


 元気よく返事した姫は名を斎藤帰蝶。

 1億年後から信長と共にタイムリープした帰蝶であった。

 利政の目から一筋の涙が頬を伝って落ちた。


 この生命力溢れる帰蝶は、本来の歴史(この小説)では、信長に嫁いだ後、本能寺で亡くなった。

 生まれつきの病弱にしては長生きしたが、それでも寝具と周囲の景色のみが自分の世界の全てで、虫籠に捕らわれた蝶同然、いや扉の開いた虫籠からすら飛び立てぬ蝶であった。

 そんな帰蝶に対して父の利政も、兄の義龍も、夫の信長さえも色んな土産話や珍しい物を持ってきて励ました。


 楽しくもあり、嬉しくもあり、悲しくもあり、悔しかった。

 そんな人生の最後が、本能寺での明智光秀襲撃である。


(何と虚しい人生なのか?)


 その虚しい人生に父も兄も夫も懸命に関わってくれた。

 御家の役にたたぬ穀潰しで、しかも石女(うまずめ)(石女=産まず女。つまり出産が出来ない女の蔑称)なのに人並みに以上の愛情を注いでくれた。

 しかし、その愛情に応えられぬまま世を去るのは無念の極みであった。


 そんな折、本能寺数日前から予言の様な夢を見て、御仏の思し召しに縋ったりした。

 まさか何の因果か1億年後に復活するとは思わず、しかも、どうやら先天的だった病気も遺伝子レベルで治療されたのだった。


(ならば今生は、前世の愛情に報いるべき!)


 そう固く誓った帰蝶は転生を果たした今、父を吹き飛ばしてしっかりと大地に仁王立ちしている。


 利政は起き上がる事も忘れている。

 不意に帰蝶が手を伸ばし、何が何やら分からずに、ついその手を取ったところで悔やんだ。


(あ! 病気の帰蝶に助け起こしてもらうって無理じゃろ!)


 たった今吹き飛ばされた事は忘れている。

 しかし女子とは思えぬ怪力で引き起こされた利政は2度目の台詞を吐いた。


「本当に大事無いのか!?」


 帰蝶は2度目の返事をした。


「はい!」


「帰蝶!!」


「父上!!」


 父は泣きながら抱きしめ、帰蝶は熊の如く力で応えた。

 とても10歳の少女が出す力ではなかった。


「ぐぇ、ちょっ待っ……!」



【稲葉山城 大広間】


 その日の夜は凄かった。

 斎藤家総出の快気祝いが行われたのである。


 家臣は信じられぬモノをみた。

 古参の家臣でさえ、数える程しか見たことの無い姫が、しかも触れば折れるのではないかと心配されるほど病弱だった姫が、生命力溢れる笑顔で酒を飲んで豪快に食事をしている。


 利政は気が気でない。


(ワシを吹き飛ばして引き上げて抱きしめ潰した力は本物じゃが、昨日まで死にそうだった病人がこんなに騒いで飲んで食べて大丈夫なのじゃろうか?)


 兄の斎藤義龍(さいとうよしたつ)は号泣している。


「……!!……!!……!!!!」


 ただひたすら涙を流して妹に涙声で良く聞き取れない声で喚いている。

 混乱と困惑の入り交じった宴会であった。


 そんな宴も酣の頃、帰蝶は立ち上がった。

 何事かと一堂の視線を集めたところで、帰蝶は口を開いた。


「皆、今日は私の為に集まり、また、此の様に快気を祝って頂き感謝いたします」


 病弱の帰蝶を知る者には想像もつかない凛とした声が響き渡った。


「私は今まで皆に守られてきました。皆が斎藤家の為に尽くしてくれたからこそ、今こうして回復できた今こそ、恩を返す時だと思い至りました。さて……さしあたって当家は隣国尾張の織田と争いをしています。しかし、織田は手強く、当家も建て直しが必要な時期に来ています。そこで! 和睦する為に私が織田家嫡男に嫁ぎ、お互い協力して、領土を発展させていきましょう!」


「……」


「……」


「……」


 利政も義龍も家臣もポカンと口を半開きにしている。

 ハッキリとした手応えを感じない反応に帰蝶は困惑した。


(あ、あれ? 私と上様が婚姻同盟するのは史実通りなのに、この反応は何だろう?)


 帰蝶は忘れている。

 婚姻同盟は今より2年後で織田側からの提案である事を。


 帰蝶は気づいていない

 転生後の精気溢れる美しい姿に皆が自分の嫁に、または息子の嫁に欲しいと思っている事を。


 帰蝶は知らない。

 転生前は子を望むべくも無い体ゆえに、有力家臣との婚姻ができず、また偶然尾張からきた同盟案に、案の魅力もさる事ながら、美濃の寒い稲葉山城よりは幾分過ごし易かろうとの親心で嫁ぎに出された事を。


 しかし今は違う。


 病気の心配は払拭され、溢れる精気はまさに蝶の様に華やかだ。

 利政や義龍はせっかく回復した娘、妹に対する愛情故に手放したくない。

 家臣は自分の家に迎えたい。

 何より、この隣国美濃にまで轟く『尾張のうつけ』を知るが故に、そんな自殺行為を認める事は出来ない。


 ここに利政、義龍、家臣の利害は一致し全力で反対し大広間は騒然となった。


「御館様! 姫を某に!」


「いや我が愚息の嫁に!」


「同盟とは本当ですか!?」


「帰蝶! 何を言っておる!?」


「……!!……!!……!!!!」


 なんと『織田家討つべし』との声も聞こえる。


(これはマズイ! 酒の席でするべきではなかったわ!)


 とりあえず、この場は何とか有耶無耶(うやむや)にして、次の日から説得する為個別に家臣達を訪問し予想外の苦戦をしつつ、どうにかこうにか許しを得る事ができた。

 最後の最後まで渋った利政と義龍も同盟の利点を懇々と説明し、ようやく説得した所で二人に礼を述べようとした時、利政は脇差に手を伸ばした。


(あ、そういえば前世でも脇差もらったんだった。『うつけなら殺せ』と命じられたけど……『もう私は織田家の者。故にこの刃は父に向くかもしれません』とか言ったっけ)


「帰蝶よ、この脇差はワシの愛用の物じゃ。信長が『うつけ』なら……」


 そんな、帰蝶の予想通りの言葉を言いかけて、脇差を持つ手が止まった。


(……? あ、あれ?)


「……いや、これはワシが持って、お主にはこちらを授ける」


 利政はそう言って帰蝶に太刀を授けた。


「え、これは……」


「これは幾人も切り捨てた業物じゃ。よいか! 婿殿が『うつけ』とかはこの際どうでも良い! 気に入らぬ事があればこれで叩っ斬れ! いや、とにかく殺ってしまえ!」


「父上!? 何を言っているのですか!?」


 利政は信長に娘を盗られるのが我慢ならぬ様であった。

 頭では利点を理解しても心が拒否している。

 目が怪しい光を放っていた。

 まるでマムシである。


 すかさず義龍も異議を申し立てる。


「そうですぞ父上! こんな刀で婿を斬れとは何を仰せか!?」


 兄も仰天し援護射撃をした。

 頼もしい兄である。


「全く! 仕方あるまい。……入れ!」


 義龍が廊下に控えていた小姓を呼ぶと、小姓は一本の長い棒を持って来た。

 片方の先端には薙刀拵が被さっている。


(……これは何かしら?)


「帰蝶よ、これの方が範囲も広く扱いやすい。きっと殺りやすいだろう」


 義龍は小姓から受け取った薙刀を、薙刀拵を取り外しながら手渡した。


「……ッ!!」


 帰蝶は絶句し気がついた。

 兄の周囲の空気が歪んでいる事に。


(殺気!?)


 まるでマムシが獲物を見つけた目つきだ。


「兄上も何を言っているのですか!?」


(この二人は転生前はこんなんだったっけ!? 父はもっと悠然としてて、かつ、マムシの異名に相応しい叩き上げの戦国大名で、兄も剛毅な武人だったはず。目の前の二人はいつも以上にマムシに相応しく剛毅ではあるけど……それでも全然別物だわ! どうしてこうなったの!?)


「おぉ新九郎(斎藤義龍)! 気が利くではないか。……ワシはお主の事を侮っていたようじゃな」


「父上こそ、帰蝶に対する想い、感じ入りました。今までの数々の反目お許しあれ」


「新九郎よ、ワシらは一度ゆっくり話し合って今までの溝を埋めるべきであるやもしれぬな」


 この二人は婚姻同盟に心底ギリギリまで抵抗したい様であった。

 それ程、娘や妹に対する愛情が深いのだろうが、そんな事よりも帰蝶は信じられぬ光景を見ていた。


(転生前の父と兄は反目し憎み合い、最後には父が兄に討ち取られる事になるはずよね? 兄は死ぬまで上様と争う事になるのに、この光景は何なの? 仲直りした!? 私を巡り意見の一致所か、お互いに認め合っているの!? いずれは織田家に飲み込まれる斎藤家も何とか存続させたいとは思っていたけど、婚姻を提案しただけでこんな結果になってしまうなんて……。歴史のifとはこんなに恐ろしい物なの!?)


 この婚姻同盟は絶対に円満に執り行わなければならない。

 一歩間違えたら本当に全面戦争に成りかねない。

 二人の姿を見て帰蝶はそう固く誓ったのだった。

 そんな帰蝶をよそに利政と義龍は不気味に笑い合っていた。



【後日】


 尾張に派遣された使者は、同盟快諾の報を携え戻ってきた。


「チッ」


 利政、義龍以下家臣一同舌打ちをした。


「使者の任ご苦労。それで、婿殿には会えたか?」


「直接は会えませんでしたが、噂の『うつけ』振りはどうやら真実のようです。ただ……」


 使者は言葉を濁す。


「ただ? なんじゃ?」


「尾張の若殿は不思議な評価を受けています」


 意を決して使者は口を開いた。


「……不思議?」


「評価が両極端なのです」


「両極端?」


「はい、某の感じた評価は『うつけ』でもあり『稀代の傑物』でもある、そんな感じなのです」


 曖昧な報告しか出来ない使者は苦渋に満ちた顔をしている。


「……ふむ、噂だけでは色々あるやも知れぬな。さすがは『大うつけ』と言ったところか。では尾張の様子はどうじゃ?」


 不確定な人物像はおいて置いて確定的な領内に話が移った。


「大いに栄えております。流通も盛んです。特に治安は素晴らしく、賊も居るには居ますが、すぐに鎮圧されているようです。織田殿の手腕は見事と言うより他なりません」


 使者は誰が見ても理解できる領内の繁栄については流暢に語った。


「そうか。姫の婚姻を妨げる弱みは無いか……」


 利政は大きく息を吐いて諦めた様に口を開いた。


「仕方あるまい。これを機に尾張の経済を美濃に取り込んで発展させるとしよう」


(『うつけ殿』は未だ謎であるが、ただの盆暗(ボンクラ)よりはマシと考えよう。だたし……)


「使者よ、すまぬがもう一度尾張に行ってくれ。今度は婚姻前の会談じゃ。婿殿と会談を行う」


 帰蝶は一連のやり取りを聞いて、ようやく父が認めてくれたと思っていたが、当然勘違いである。

 利政は婚姻阻止の最後の抵抗を試みるべく、信長の粗探しを決意したのであった。

 もちろん同盟の利点は果てしないし理解はしている。

 しかし父としては納得できないものがあるのだった。


(ククク! 待っておれよ信長!)


 蝮の如く目を光らせた利政であった。

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