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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
7章 天文20年(1551年)戦国大名への道
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66話 近江頭脳戦

【近江国/小谷城 浅井家】


「六角は何をしておるのじゃ!?」


 浅井久政が悲鳴の様な怒声をあげるが、誰も答えられずに(うつむ)くだけである。

 そんな中、朝倉宗滴だけが腕組みし瞑想をして考えを巡らせていた。


「どうやら六角殿は、織田の所為(せい)で動くに動けない様ですな」


「織田!? 何故ここで織田が出てくる!?」


「(織田と聞いて察する事が出来ぬか……)これだけ待って六角殿の援軍が来ないのは、織田が六角領にちょっかいをかけて援軍を出せない様にしておるのでしょう。直に六角から伝令が来るのではないですかな?」


 この宗滴の読みは当たっていた。

 信長は斎藤軍に帰蝶率いる2000とは別に、塙直政と飯尾尚清に軍備を整えさせて国境を騒がせつつ、親衛隊間者に『織田が攻め寄せる』と流言飛語を撒かせた。

 この揺さぶりが効果覿面で、六角としては流言だけなら浅井に援軍を派遣するつもりでいたが、実際に織田が兵を集めている事と、農繁期故に大軍は編成出来ず結果的に派兵出来ずにいた。


「もう宜しいでしょう。どれだけ待とうとも、今ここに居る我等が戦力の全て。しかし、幸か不幸か数の上では互角。……かくなる上は力押ししかありませんな」


 まるで死罪の宣告の様に、宗滴が浅井軍に告げた。


「兵力が互角故に砦を攻めるのは至難の技。しかし、斎藤軍の砦は急造故に防御力は高くありません。勝つつもりがあるのならば、これが本当に最後の機会となりましょう」


 宗滴は最早浅井軍に勝ち目は無いと見ている。

 例え局地的に勝ったとしても砦を攻める以上、農兵の損害が軽微で済むはずが無いので被害は兵糧収入に直結し、負ければ当然ながら勝っても後が続かない。

 宗滴はそこまでは敢えて口には出さないが、それは浅井軍の戦略眼がある者には解っていた様で、重臣の浅井三将である赤尾清綱も悲壮な覚悟で久政に出陣を促す。


「殿、此度こそは浅井の総力を挙げて闘わねばなりませぬ。このまま何もしなければ、領地に居座られた軍に国を明け渡す事になりかねません!」


 他の浅井三将である雨森清貞、海北綱親もその意見に同意し、今迄、主君に諫言せず唯々諾々(いいだくだく)と従ってしまった事を悔いた。

 まさに『後悔先に立たず』であるが、気付かないよりは幾らかマシであろうか。

 彼らの目にも浅井家の命運は風前の灯と映っており、武士の矜持としても、せめて一矢は報いたい思いであった。

 その覚悟を感じ取った宗滴が口を開いた。


「……浅井家の皆様。口幅ったい事を言う様だが、戦における武士の役目とは何であるか? 考えた事はあるかね?」


 生ける伝説と言っても過言では無い朝倉宗滴の、その今更過ぎて考えた事も無かった問いかけに、思わず全員が聴く体勢になる。


「ワシは齢70を越えて巡り巡って辿りついた答えがある。それは『戦は犬畜生と言われようが、何が何でも勝つ事が全て』。これに尽きると思うのじゃ。実に単純であるがな」


「な、何を馬鹿な……当たり前……」


 後世に『朝倉宗滴話記』として記される金言を語りだした宗滴に、思わず久政が反応し、すかさず宗滴が遮った。


「そう。当たり前なのです。では聞きましょう。浅井家の皆様、無礼を承知で聞くが今までの戦いで『当たり前の』武士の役目を果たしたと言えるかね?」


「……!!」


 京極との争いも斎藤との争いも、逃げ腰の浅井家は連戦連敗で後手後手に回り領主としての、武士としての役割を果たしているとは到底言えなかった。


 武士は地域を守護する力の象徴である。


 その力が機能していなければ、いくら善政を敷いていたとしても全く意味がない。

 この時代は、いや、どの時代であっても、政治も税も暮らしも商売もその他諸々、力の庇護の元に機能するものである。

 浅井久政はどれだけ政治的に有能でも、その一点のみで大名失格と言えた。


「本当に犬畜生に成り下がれとは言いませぬが、それ程の覚悟を持って戦には当たらねばならぬとワシは思う様になり申した。そうでなければ本当に守りたい物を守る事は出来ませぬ。……左兵衛殿。浅井の政事(まつりごと)の素晴らしさは越前にも響いておる。今が乱世でなければ左兵衛殿は紛れもない名君であらせられたであろう。しかし残念ながら……」


「今は乱世か……。ワシはただ自国の平和を、無用な血が流れない様にしたかった……。ただ、それだけだったのにな……」


「殿……」


 久政は弱腰ではあるが、それと同時に弱者の気持ちも理解できる、乱世に相応しくない、たが、平和な時代にこそ相応しい人物であった。


「善右衛門(海北綱親)、孫三郎(赤尾清綱)、弥兵衛(雨森清貞)よ。浅井の軍は三分割して、お主等に指揮を任せる。ワシが率いるよりは百倍マシじゃろうて。宗滴殿、最早手遅れかもしれぬが彼等に力と知恵を授けてやってくれまいか?」


 ようやく大名としての力不足を理解した久政は、宗滴に後事を託した。


「勝てると断言は出来ませぬが可能な限り手を打ちましょう。負けた場合、いや、それは言いますまい。とりあえずは今夜にでも夜襲を掛けて斎藤軍の出方を見ましょう。まともに野戦や砦攻めを行っては万一にも勝てないので、砦から奴らを引っ張り出す必要があります。これから毎晩夜襲をかけて休息の隙を与えないようにします。この夜襲は我ら朝倉が引き受けましょう」


 尻に火が付きようやく戦う態勢を整えた浅井軍は、宗滴の策に従い動くのであった。



【近江国/姉川砦 斎藤軍】


「夜襲じゃぁッ!」


 斎藤軍の番兵が叫んで鐘がけたたましく鳴り響いた。

 何処からともなく飛来する数十本の矢が、兵の寝泊まりする場所に射られて小規模な混乱が発生した。

 勿論、夜襲に対して無警戒ではなかったが、やはり現代と違い月明かり程度では、夜陰に紛れるなど造作も無き事であり事前察知は難しく、また斎藤軍にとって砦建築後の初襲撃も相まって将兵全員が慌てて起床し襲撃に備える事になった。


 その後も散発的に襲撃があり、運悪く何人かが負傷したが、砦を攻め落とされる様な猛攻もなく、警戒態勢を敷いたまま夜が明けた。


「皆、眠い中ご苦労。現状報告では負傷者が居るが死者は居ないとの事であったな。さて、この謎の襲撃者……いや、もう浅井に与する誰かと断定して良かろう。目的はやはり我等の疲労蓄積を狙った物じゃろう」


 日が昇り周囲の安全が確認できた後、腫れぼったい目をした義龍が、同じく腫れぼったい目をした諸将に言った。


「これは、嫌な展開になりそうですな。力と力が激突する総力戦なら我等に分がありますが、相手もそれを理解しているからこそ搦め手を弄してきます。しかし、一刻も早く我らを叩き出したい浅井にしては悠長な策。辻褄が合いませぬ。はて……?」


 割と細目の明智光秀が、寝不足の所為で余計に目を細めて寝ぼけた頭で考えている。


「浅井では辻褄が合わない、六角も織田殿が封じておるはず。……そうなると朝倉しか居るまい。最悪、朝倉宗滴が出張って来てるやも知れぬな」


 義龍が光秀の考えを踏まえた上で、一連の浅井の嫌らしい動きに朝倉宗滴の存在を感じ取っていた。


「朝倉宗滴!!」


 斎藤家の前当主である、斎藤道三に匹敵する名前が出た事で、諸将の寝惚けた頭が覚醒する。


「なるほど。浅井にとって都合が悪くとも朝倉には関係は無い、と解釈すれば理解はできますな。我らは居座るだけで農兵を使う浅井を疲弊させる事ができます。しかし、行軍中の襲撃もそうでしたが、夜襲もあるとなると我等も疲弊する一方。浅井の体力が尽きるか、我等の体力が尽きるか……。朝倉はそれを狙って居るのでしょうか?」


 氏家直元が各勢力の利点と欠点を整理し、朝倉の狙いを推測した。


「いや、それもあろうが『夜襲が嫌なら砦から打って出て来い』と言う事なのじゃろう。この姉川砦も急造故に防御力は期待できませぬ。殿、我等としても最終目標が越前である以上、あまり悠長な事は出来ませぬが、如何されますか?」


 安藤守就が自軍の問題点を考えて義龍に確認をとる。


「お主の言う通りじゃ。休息も(まま)ならん砦に籠っていてはジリ貧となるだけ。しかし、むざむざと奴らの思惑に乗るのは癪じゃ。そこで軍を二つに分ける」 


「二つの軍ですか? 横山城と……まさか小谷城ですか?」


 稲葉良通が敵の本拠地侵攻を予測し驚いた様に義龍に聞いた。


「そうじゃ。とは言っても小谷城は本気で落とす訳では無い。あくまで横山城から敵を釣り出す為に『小谷城に向かわせた』と思わせる」


 義龍は峻険な山に(そび)える城が多い近江の地形を考慮し、籠城戦が無理なら、一気に野戦で決着を付けると考えを改めた。

 だが、まともに衝突しては被害が大きい。

 そこで小谷城に軍を向かわせ、敵を分散させるのである。


 こうして―――

 戦況や目的が刻々と変化する。


 当初、斎藤軍は上平寺城を攻め落とし拠点とするつもりであった。

 しかし浅井軍は自ら城を潰し、斎藤軍に拠点を与えなかった。

 それならばと、斎藤軍は姉川近辺に親衛隊の能力を活かし拠点を作る。

 浅井軍はそう来るのならばと、拠点に夜襲をかけて休息を与えない行動に出る。

 そんな積み重ねがあった今、義龍は釣り出し作戦を決行しようと画策している。


 まだ両軍共、まともに戦っていないのに、既にこれだけの作戦が臨機応変に動いている。

 ただ、お互い短期決戦を望む事では一致しており、後はお互い有利な条件で戦う事が出来るかどうかにかかっていた。

 近江攻防戦は、まるで将棋やチェスにおける、いつまでも終わらない攻防である『千日手(せんにちて)』の様相を呈してきた。


「と言う訳で帰蝶よ。お主には……」


「はい」


 義龍が帰蝶に話を振るが、そこには寝不足で眉間に皺を深く刻んだ帰蝶が居た。


「お、恐らく小谷城に向かうのが一番安全、かつ、釣り出しの役目として重要な任務でもある」


「はい」


 しかめっ面にも程がある帰蝶が、ガラガラの声で返事をした。


「……さ、斎藤軍と離れて織田軍が単独で活動すると言うのも、奴等にとっては捨て置く事が出来ぬ事態。釣り出しに成功したら反転して我等と挟撃する。その為に兵を1000追加で預ける故に抜かるでないぞ……?」


「はい、分かりました兄上。格別な配慮に感謝いたします」


 寝不足で機嫌が悪い帰蝶が、それでも精一杯ニコリと微笑んで礼を述べる。


「よ、よし! この一手で浅井軍を釣り出し野戦に持ち込む! この一戦で決めるぞ!」


「お、おぉ!!」


 帰蝶の只ならぬ雰囲気に歴戦の諸将が若干飲まれつつ返事をして作戦開始となった。



【近江国/横山城 浅井、朝倉軍】


 斎藤軍の決断よりも数刻前。

 夜襲を終えた朝倉宗滴は腕組みしつつ考える。


(……いかん。どう策を巡らせても一手遅れて奴等が有利な展開になる。斎藤軍が次に取る手は、恐らく横山城を素通りした小谷城侵攻か? ……ならば!)


 敵との戦略が噛み合わず、お互いに何とか自軍に有利な展開にしようと策を巡らす為に頭を捻って考えるが、浅井の初動対応のマズさがどうしても一手後塵を拝む形になってしまっていた。


 その一手遅れを取り戻すべく、宗滴は久政に進言する。


「浅井殿、斎藤軍の次の一手は、恐らく小谷城侵攻と思われます。これを防ぐ為には、奴等より先に小谷城へ兵を回さなければなりません」


横山城(ここ)を素通り!? ならば全軍……」


「いえ、半数です。全軍移動してはこの横山城が奪われます。仮設拠点の姉川砦ならともかく、本格的な拠点である横山城を渡す訳にはいきません。破城も間に合わないでしょう。次に斎藤軍の取る策はこうです」


 宗滴は地図上の駒を動かしながら説明した。


「軍を別けて小谷城に向かわせる事で我等を釣り出す。間違いなくこの計画を立てているはずです。そうすればノコノコ出てきた我等に対し挟撃の形を取れます故。これを防ぐには奴等より先に小谷城へ兵を回し、逆に奴らを小谷城と横山城で挟撃します。……ただし野戦は避けられませぬ」


「何故?」


 浅井久政にはその先の展開が読めなかった。


「城に籠っていては、斎藤軍がさらに北の城を目指すからです。奴等は野戦に応じるまで北上を続けて北近江を蹂躙するでしょう。それに農兵を抱える我等には刻をかけられない弱点があります。ここらが農民たちが兵として機能する限界でしょう」


 宗滴は一呼吸置いた。


「ここが戦で雌雄を決する事のできる、正真正銘最後の機会。仮にこの読みが外れた場合、横山城も小谷城も防御する分には兵力は十分です。ですが今、現状追い詰められているのは我々です。ここで行動を遅らせれば更に痛手を被る事になります。急ぎ小谷城に向かわせる人員の選抜を!」


「わ、分かった! ではワシと善右衛門、孫三郎は半数を率いて小谷城へ向かう。弥兵衛は宗滴殿と横山城に残り指示に従え」


「はっ!」


 斎藤義龍の策を殆ど読み切った宗滴。

 予防策も含めての対応を示し、形勢逆転とは行かないが、少なくとも戦術的には互角に持ち込んだのであった。

 こうして浅井軍は、斎藤軍よりも先に軍を別けて防御に回るのであった。


(あとは兵の質で劣る我らが、挟撃作戦でどれだけ奴等を圧倒できるか? ……こればかりは時の運か。人事は尽くした。後は天命を待つのみ)


 宗滴はそう考え、遠くにうっすら見える姉川砦を見据えるのであった。

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