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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
7章 天文20年(1551年)戦国大名への道
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60話 水と鉄と木

【尾張国/那古野城 織田家】


 信長は法度を発表した後、反発が予想される寺院への抑えと最低限の守備部隊を残して、残りの全ての親衛隊を濃尾街道、治水灌漑、農地開墾改革、森林管理、造船、治安、鉄加工、更に火薬製造に乗り出していた。


 濃尾街道は、何年も前から整備が実行がされているが、戦で人員が減って停滞した分を一気に巻き返す算段である。

 那古野城から美濃国の稲葉山城を経由して大垣城へ。

 那古野城から長良川、木曽川、揖斐川を横断し伊勢、近江方面と伊勢南端まで縦断する伊勢街道及び、伊賀志摩をつなげる街道。

 更に那古野から三河へ向かう東海道。


 これら全ての街道整備を一気に推し進める。


 ただ、問題も山積みで、特に長良川、木曽川、揖斐川を横断できる橋を渡す技術が無かった。

 川幅の狭い場所ならば特に問題無いが、大河川への対処は困難を極めた歴史があり、江戸時代末期まで、船を連結させただけの船橋や、渡し船、あるいは自力渡河しか存在しなかったと言う。


 これには水が豊富な日本ならではの理由と、軍事的な理由があった。

 台風や梅雨、雪解け水など、とにかく隙あらば増水氾濫する機会が多いのが日本の川。

 貧相な橋など、すぐに破壊してしまうのである。


 また、当時の技術では苦労に見合う成果が得られないので、結局先述の方法で渡渉するしか無かった。

 以上、水が豊富な日本ならではの理由である。


 もう1つの軍事的な理由は『これだけ制御の難しい川ならば、天然の水堀として利用してしまえ』との理由である。

 敵軍の侵入を阻み、川に追い込めば一網打尽に出来るので、わざわざ橋を架けて敵の侵入を手助けしないように、橋を架けないのであった。


 信長も前々世では絶対安全な領地中央は橋整備を試みたりした。

 その代表的な橋が『瀬田の唐橋』と称される近江の琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川(淀川)に掛けた橋だ。

 全長、約324m、幅約7.2mの本格的な橋である。

 安土から京に行くのにも便利であり、旅人や商人が利用し経済が発展したが、本能寺の変後、明智軍の襲来を妨害する為に焼け落とされた。


 だが今回は、各地に何としても安全に横断できる橋を、何とか設置しようと考えている。

 しかし案が有るわけでは無い。

 瀬田で技術が他の川に通用するかも分からない。

 こればかりは南蛮技術を待つより無かったので、取り合えずは従来の船橋や渡し船を多数設置することで誤魔化す事にした。


《ファラよ。うっかり口を滑らしても構わんぞ?》


《だ、駄目です! 言えません!》


《ほう。『言えません』か。『知りません』では無いのだな?》


《あっ!?》


《フフフ。まあ良い。南蛮技術か、家臣か民から画期的な案が出るまで待つとしよう》


 信長は従来の橋とは別に、伊勢湾を使った伊勢志摩直行便を併用する事で、当面の流通を確保するのであった。


 次に橋とは別の河川への対策として、治水と農業用水の確保を行う事とした。

 河川の氾濫は可能な限り、どころでは無く、絶対に阻止しなければならない。

 氾濫したら農作物や人的被害は甚大である。

 勿論、物事に絶対は無いのでどうしても被害が出る場合はあるが、その場合でも最低限で済むようにしなければならない。

『信玄堤』として名高い治水事業を行った武田信玄も治水には苦労したが、河川の制御は領主の最重要課題と言えた。


 その一環として、各地の川から支流を枝分かれ的に増やして、農地に送る水路と溜池を作ることにした。

 物理的に堤防を築いて塞き止める事もするが、逆に水を抜いて水量を減らしてしまおうとの考えで、ついでに農業用の水の確保に流用し、溜池には鯉や鮒など川魚を多数放して繁殖させての食料として利用と、河川が氾濫した時の水の逃げ道になればと、効果不明であるが期待を込めてのものである。


 全てが上手く行くかは未知数であるし、最初から成功するとは思っていない。

 それに試して失敗したら問題点を改善すれば良いのである。

 最低限、水の利便性が上昇すれば、巡り巡って年貢と食糧難の解消につながり、それは民の満足度に繋がるはずである。


 ただ、その効果と運用の実施は数年は先が予想されるので、将来の用水路付近は開墾が行われたが、水が引かれるまでは畑として米以外の作物が作られる事になった。

 勿論、溜池、用水路、開墾、街道整備で出た土砂は全て各地の氾濫が頻発する地域に運び込まれ堤防として築かれていった。


 平行して、それら整備の為の道具や、新しい場所で生活する者の為に資源が大量に必要になった。

 鉄も木材も石も全てが不足していた。


 そこで信長は鉄の確保として、早速法度を利用し帰蝶率いる親衛隊に命じて、武装僧侶の武具を没収させた。

 当然、反発してきた寺院には容赦せず、寺院は解体して仏像や仏具まで資源として回収し、討ち漏らした僧侶は捕縛され帰蝶の前に連行される。

 当然、僧侶は牙を剥いて吠えた。


「仏罰を恐れぬ不届き者め! 仏を敬う心がなければ畜生道に堕ちようぞ!」


 そこで帰蝶はニヤリと笑って回収された仏像を手に取り僧侶の眼前に突き出した。


「……敬う心と来ましたか。見なさい。この埃とクモの巣にまみれた仏像を。可哀想に。仏様に対し憐れみを禁じえませんわ。貴方達の信仰の対象でしょう? 何ですかこの雑な扱いは?」


 帰蝶がそう感想を漏らした仏像は、手に持つのも憚れる程に汚れていた。


「ッ!? し、しかし、それでも御仏に仕えて修行し平和を願う我等に手を掛けるとは、許されざる暴挙じゃ!」


「……修行ときましたか。この経典でですか?」


 帰蝶は回収された経典をつまみ上げて、僧侶の眼前にちらつかせてパシンと経典を叩くと、すぐに埃とカビの臭いが辺りに充満した。


「ケホッ! もう一度聞きます。この、虫食いだらけのカビと埃まみれで使った形跡が無い経典で、何を学び考え修行したのです?」


「そ、それは……! 我等はもう経典を(そらん)じて言えるからじゃ!」


 それを聞いた帰蝶は、経典を無造作に広げて見せた。


「それは凄い! ではここの虫食いで欠けた所に何の文章が入るか教えて下さいな」


「……! ふん、これはアレだ! 霊の役割と……いや、御仏の救済についてじゃ!」


「そうですか。では別の場所で捕縛した僧にも聞いてみましょうか。ちょっとコレ持って聞いてきてくれる? 大丈夫よ。全員諳じて言えるらしいから同じ答えが帰ってくるわ」


「あっ! いや……」


 慌てた僧侶を見て帰蝶が畳み掛ける。


「どうしました? ならばこちらはどうです?」


 同じように虫食いと汚れで読み取れない経典を広げた。


「こ、これは……アレだ!」


「『アレだ』では分かりませんよ? どうやら混乱して記憶が定かでは無い様子ですねぇ。ならもう少し答え易そうなのを答えてもらいましょう。では、これらについては答えられますか?」


 そう言って帰蝶は酒と魚、金子と女子供を僧侶の前に連れてきた。


「説明出来るものから説明してくださいな。ただし、仏の教えに沿った説明で頼みますよ?」


 酒と肉食と女を禁ずる仏教寺院から出て来て良い物は何一つ無かった。

 女に関しては妻帯を許す宗派もあるが、ここに連れてこられた女はそんな雰囲気は微塵も感じられない。


 真実は高利貸しで得た借金のカタで、強引に拐って来たのであった。


 女子供は憔悴しており、慰み者か奴隷商人に売られる前提であったのか、酷い扱いであったのが容易に察せられる。

 苦虫を噛み潰した顔の僧侶がワナワナと震えている。


「どうしました?」


「ググッ……! この……この罰当たりめが!!」


「罰当たりって、だから、その罰の根拠にあたる教えは何ですかと問うているのですよ? 意味通じてますか~?」


 そう言って帰蝶は僧侶の頭を扇子でなで回した。


「ッッッ!!!」


 その後は僧侶は難しい言葉を並び立て怒鳴り喚き散らした。

 その迫力は中々の物で、親衛隊や集まった民はその異様さに恐れおののいたが、帰蝶はすぐに逆ギレ的に怒鳴って有耶無耶にしようとする意図を察した。


 だから待った。


 床几(しょうぎ)に座り、集まった者にも座らせて怒鳴る僧侶を全員で見物した。

 遠目に見れば説法に聞き入る群衆と見えなくも無い光景である。

 勿論、これはそんな場ではなく、帰蝶がその悪質な挑発の才能をフルに発揮した僧侶追及のショーであった。


 人間、ずっとイライラする事は出来ても、怒鳴り続けるのは難しい。

 疲れるし怒りも持続しない。


「(ワシは……なぜこんな事に!?)ッッッ!!!」


 内心、怒鳴り疲れて冷静になった僧侶は、精一杯怒鳴った振りをしながらチラリと帰蝶を見るが、『お前の演技はお見通し』と言わんばかりにニヤニヤ笑っていた。


「~~~ッ!!」


 僧侶は悲鳴に近い怒声をあげながら頑張って怒ろうとするが、最早白々しい雰囲気が蔓延しており、僧侶もそれを自覚しつつ怒りを演じるしか無かったが、精魂尽き果てた僧侶は膝を落として息を切らせた―――様に見える風に演じた。


(もう、もう勘弁してくれ!)


「おや? どうしました? うーん、仕方ありませんねぇ」


(や、やった!)


「所で……ごめんなさいね。いったい何を言っているのか理解できないので、分かりやすく説明してくれません?」


「なっ!? 一体何を聞いていたのだ!?」


「何って……よく分からない喚き声で、よく分からない戯れ言ですけど?」


「……!」


 帰蝶の言い分には正直なところ僧侶にも良く分かった。

 喚いた自分でさえ何を言ってるのか良く分からなかったのだから。


「と言うよりですね、難しい仏の教えを、解りやすく理解させる為に貴方たちは存在するのでしょう? 難しい事を難しいまま伝えるのは馬鹿のする事です。賢い者ほど難しい事を噛み砕いて民に教えるのですよ。貴方は一体何を学んで考えて修行したのです?」


「クッ!」


 帰蝶は正論を言って、僧侶は完全に敗北を認めた。


「さて……」


(やっと解放されるのか……)


 この場から追放される事を強く望んだ僧侶は、項垂れつつ助かったと思った。

 だが、帰蝶はそんなに甘くはなかった。


「さて。で、この酒や女子供と言った、私たちの知る仏の教えと一線を画する事の数々を教えて下さいな?」


 帰蝶は、親衛隊と民の前で洗いざらい白状するまで、連行する気は更々無かったのである。 

 実に嫌らしく憎たらしい追い込みであった。


 僧侶は若干の抵抗はしたが、全くもって理論的な説明が出来ず、仏の教えとは関係ない自分達の欲望であると可能な限り誤魔化しつつ白状した。

 その見苦しさは親衛隊と民達の失望と失笑、信仰心の低下を招くに充分であった。


「ま、疲れたからこの辺で良いでしょう」


「……では」


 僧侶はやっとこの拷問の様な屈辱が終わるのか、と思った所で帰蝶が話を続けた。


「この堕落した僧達を罰するために連行する」


「……あぁ……あぁぁぁ…………!」


 散々辱しめられて僧侶生命が断たれたも同然の身で、これからどうやって生きていこうかと心配したが要らぬ心配であった。


 よくよく考えれば追放などと甘い罰にするハズがないのは明らかである。

 違う場所で同じ事をやられては困るし、寺院の本拠地に逃げられて戦力になっても困るのだ。


 だから織田家は絶対に逃がさない。

 だが直接的な死罪も廃止している。

 罪人も大事な労働力なのである。

 やらせる事は山程ある。


 僧侶たちはこれから人生の最後の役目として、織田領内で捕らえられた他の罪人に混ざって、最も過酷な労働を強いられる事となったのである。


 なお不当に蓄えられた金子や食料は、全て作業に従事する労働者や、捕らえられていた女子供に与えられた。

 労働者も拐われた者も、かつて理不尽に奪われた財や食料が帰って来て喜び、信長も労働者の意欲を上昇させ、同時に過剰な信仰心を低下させる事に成功し、金子も巡り巡って税として回収され、悪質な僧侶は排除され、誰も困らない三方一両損ならぬ、僧侶を除く全員丸儲けであった。


 また、法度を追加して農民からも武具を回収し鉄を再利用して農具、工具、日用品を作り還元していった。

 領内の治安は織田が守り、農民も徴兵される事がないので、領地の民には過剰な装備は必要ない。

 むしろ、下手に武器を持たせて刃傷沙汰が起きても困るので、史実よりも相当に早い刀狩りとなった。


 領民は、この乱世に丸腰となる不安感はあったが、信長は各村に番所として親衛隊を配置し警備させ不安感の解消を図った。

 織田の領地は、治安が行き届いているので野盗はかなり少ないが、根絶したわけでもない故の配慮であった。


 こうして戦う必要の無い場所から武具を回収して、鉄の不足を補ったのである。


 一方、木材に関しては、寺院の仏像や板壁では当然足りないので、新規に木を切り出して加工する必要がある。


 そこで活躍したのが森可成である。


 内政に目覚めた可成は、信長達の稲作改革を学んでいったが、全員で稲作を手掛けるよりも、別の方面に手を伸ばして行く方が功績も活躍の場も多数であると思い至った。


 それに―――


(それに、殿の発想力にはまるで勝てそうにない……)


 水田に居ても役に立たず、居場所が無かったのである。

 しかし、そこで腐る森可成ではない。

 違う活躍場所を求めて偶然ではあるが、たどり着いたのが森林である。


 最初の切っ掛けは森林に隠れて拠点を構えたり、逃げ込む野盗対策であった。

 鬱蒼と生い茂る木々に隠れて野盗の追跡が難しく、また死角も多いので取り逃がす事もあった。


「コレは面倒だな……」


 何とか出来ぬかと手を考えて、物理的に木を取り除いて、見通しを良くしてしまおうとの考えであった。

 取り合えずは移動の邪魔になる倒れかかった木や、簡単に取り除けそうな細い木を重点的に取り除いた。

 次に重なりあって見通しの悪い木も取り除き、視界の邪魔になる低い位置の枝葉も取り払った。

 こうして、野盗の拠点と隠れ場所を奪っていったのだが、これが思わぬ副産物を産んだ。


 まず、伐採された木は根まで無駄なく資源として利用されたが、木が減って日光が地面まで届くようになったので下草も生い茂り山崩れが減り、下草目当てに獣も増え、その獣を訓練と作物対策として狩られるて食糧難の助けになった。

 当然、狩られた獣は肉から皮骨まで利用されている。


 なお、余談であるが、本来獣肉は穢れた物として忌避される。


 それは肉食の禁止が、大昔に宗教的理由と血の穢れを嫌う日本人の性質が関係し法として制定され、浸透してしまった歴史がある。

 獣肉や皮、血や臓物にまみれる事を生業とする人を『穢れた人』と差別する、つまり『穢多非人』である。


 戦国時代は誰もが血にまみれているのに、江戸時代になり平和になれば武士でさえ血を穢れた物として嫌う。


 天皇一族も初代に近い程、剣を手に戦って、それこそ『和をもって貴しとなす』でお馴染みの聖徳太子でさえ戦って血にまみれてきたのに、時代が下れば革製品さえ身に付けるのを嫌う。


 そんな日本人の気質を信長は一切無視し、法度でも宗教を分離し、(分離する前からだが)獣を仕留めて肉を食べるので、今では周囲も感化され、肉の美味さもあり、忌避感は無くなりつつあった。


 米、野菜、魚に加えて獣肉が加わり食料の選択肢が増えた織田領は、元々豊かだったのが更に豊かになり人口増加に繋がるのであった。


 話がそれたが、今は林業、森林整地と言うよりは治安を目的とした間伐で可成は木材を供給し続けており、炭や薪から板、柱と言った建材を作り信長の改革を助けていた。


 それが木材の安定供給から食料と治安、更には土砂災害まで低下させた森可成の間伐が、森林管理としての計画的林業の概念が可成の手で纏められ、内政功績の大手柄となるが、それはまた未来の話である。


「うむ、これは……中々良いな! 樹木の維持管理を少し考えてみるか!」


 森から林と生まれ変わった山林を見て、可成は決意を新たにするのであった。

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