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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
7章 天文20年(1551年)戦国大名への道
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59話 戦国大名への脱皮

【尾張国/那古野城 織田家】


 今川家との戦いを制し、尾張、伊勢、志摩、三河、駿河、遠江を支配し、美濃、伊賀にも影響を与える大大名となった信長は、年初に織田家の家臣を集め決意表明も兼ねて、ある書状を全員に手渡して語った。

 それは『天下布武諸法度(てんかふぶしょはっと)』と書かれた、信長が制定した法律であった。(58話参照)


「―――説明は以上じゃ。今後我等はこの法度を元に全てを決定する。追加や改編はその都度申し付ける」


 信長の説明に家臣達もその法度を驚きを持って迎え、特に守護不入権の全廃は、以前の天下布武宣言と同様に驚いた。

 守護不入権の全廃は、即ち足利将軍家からの独立を意味する。

 その他の法も旧来の法を破棄し、織田家独自で考えた法を運用すると内外に示したので、将軍家からの離脱は明らかである。

 改めて織田家の天下統一の意思と戦国大名としての宣言をしたのであった。


 ちなみに歴史上での判明している部分で、足利将軍家からの独立をして戦国大名化したのは今川仮名目録を制定した今川家が初とされる。

 信長はその今川仮名目録と追加21条を大いに参考にし、信長の政治と戦略意図も多分に反映させて法度を作り上げた。


 この中には犯罪や軍事、主従や税に関すること、今川家に何があってこんな事を定めたのか分からない流木に関する法、あとは信長の重要政策である楽市楽座も記載されているが、中でも宗教に対する異様なまでの制限は群を抜いて厳しい。


 それにはちゃんと理由もあった。


 今川家との決戦を乗り切り、かつて無いペースで領土と勢力を広げる信長。

 しかし、桶狭間決戦の隙を突いて本願寺系列の願証寺が長島で武装蜂起を果たした。

 史実とは違い念入りな関係を築いたつもりであった信長は、願証寺の実にアッサリと裏切って見せる姿勢に前々世からの相性の悪さを感じずにはいられなかった。


 しかし、何故願証寺は簡単に裏切るのか?

 本願寺教祖が門跡故の傲慢か?

 信長の血筋を下賎と判断した故の嘲りか?

 無位無冠の信長を相手するのを嫌悪したのか?

 農地への念仏を施したのに理不尽にも罰した報復か?


 理由は定かではないが複合的な理由であると信長は察した。

 ともあれ、起きてしまった事実に無策でいる訳にはいかないので、本願寺と願証寺には書状を送って真意を正した。

 例えどんなに白々しい返事でも何か得られれば、と思っての行動であった。


 しかし―――


『本願寺や願証寺からは返事は無しか……!!』


 信長の呟き通り、本願寺も願証寺からも梨のつぶてであった。

 日ノ本屈指の大大名の信長の書状に対する態度では無いと怒りかけて、思いとどまった。


 対外的には今川家とは引き分けたので、尾張、伊勢、志摩の三国を支配する、決して小さくは無いが、かと言って唯一無二の規模を誇る勢力でもないのが織田家の世間での評価であった。

 公には桶狭間で引き分けたので今川家は健在であり、武田も長尾も東に控え、中央は未だに混迷の様相であり、本願寺の底力を考えれば織田如き弱小勢力の都合など知った事ではなかったのだ、と信長は理解した。


『そうよな。今川とは引き分けにしたからな。しかし今川の三国同盟の都合だけで考えていたが、これは……利用できるな』


 信長は考えを改めた。

 今川との関係の真実は、隠し通した方が後々有利に働く可能性があると気が付いたのである。

 そこで、別件で今川家から打診があった氏真の件を踏まえ、信長は人質としていた氏真を返し、代わりの人質としてまだ幼児の虎王丸(今川長得)を迎えた。


 別件の今川家の打診とは何か?

 桶狭間での決戦で帰蝶、服部一忠、毛利良勝から貰った一撃から回復した義元は、頭がまだ完全に回らない状態で、ウッカリ氏真を人質として出す事をしてしまい、岡崎に帰った後に事の重大さに気付いた。



【三河国/岡崎城 今川家】


『……和尚ぉッ! マズイ事になった!!』


 それは氏真が織田にいる事を、北条と武田に説明が出来ないからである。

 特に武田はともかく、北条には全く説明が出来ない。


 義元は雪斎に、氏真とその妻である北条涼春(早川殿)について話し、雪斎も気が付かなかった己の迂闊さを恥じた。


 氏真は北条家の娘である涼春を妻に迎えており、戦が無い平時なら氏真と一緒にいるのが当然である。

 涼春に『氏真は尾張で人質生活を送っているから支えてやってくれ』とは口が裂けても言えない。

 しかし対外的には今川と織田は敵同士である。


 それなのに氏真が尾張にいるのは意味が分からないし、その情報が涼春から北条に渡るのは困る。

 織田も今川も北条と敵対するメリットが全く無いのだ。

 三国同盟の都合上、離縁するわけにもいかないし、結婚したばかりの涼春を納得させる説明も出来ない。


 困り果てた今川家は恥を忍んで信長に人質の交代を打診したのであった。


 信長もその点は即座に理解した。

 今川には東国の抑えになってもらわなければ困るので、せっかく結んでいた同盟が解消されては織田にとっても困るのだ。

 ならば氏真は今川に返してしまい取り繕うしかない。

 その点、虎王丸ならば今川以外のつながりも無いので殆ど問題は無い。


 ただ、氏真は氏真で困った事になったと思っていた。

 織田と今川の都合は理解できるし、新婚の妻に説明などできるモノではない。


 ただ、織田の親衛隊で学ぶ事を楽しみにしていた氏真は、人質扱いも望むところと歓迎し、帰蝶との再戦を願っていたのに叶わなくなった。

 その熱意は信長も帰蝶も理解しており、折衷案として氏真は尾張に近い三河の刈谷城に配置し、今川との繋がりや、濃尾街道の連結に携わってもらう事にした。

 また、こっそり抜け出して帰蝶に稽古をつけてもらう事も許していた。

 これが後々、氏真にとってマズイ事になるのは別の話である。



【尾張国/那古野城 織田家】


 そんなドタバタ劇があった後、信長は法度の制定に着手したのである。

 信長はいつかは必要になる事を予想していたが、しかしまだ神社仏閣に対する決まりを法度に加えるのは時期尚早かと思っていた。

 しかし今回の願証寺の態度に信長も覚悟を決めて、宗教に対する法度も多数付け加えた。

 これは真面目に修行をしたい僧にとっては天国の様な法度であると同時に、欲に汚染され堕落した僧には耐え難い猛毒の様な法度である。


「だが、断固としてやらねばならぬ。未来の為にも」


 信長はこの法度で、これを大義名分として宗教を徹底的に管理するつもりでいる。

 この法度に敵対するならすれば良い。

 修行に必要な費用の一切を織田家で受け持ち、修行に専念させると言っているのに、断ると言うなら叛意有りと断ずる事も出来る。

 法度で宗教を篩にかけて選別を行う基準とするつもりであった。


 だが家臣達はそうは行かない。

 殆ど全ての家臣は大なり小なり信仰心を持っている。

 しかし、この法度にそぐわない悪質な宗教団体が多数あるのも理解しているので、行き着く先は宗教団体との争いであるのは容易に想像がつく。

 だが、いくら悪質な宗教団体と理解していても、心に根強く蔓延る信仰心故に、武力を持って制圧する事に強い抵抗感があったのだ。


 圧倒的な実績を残す信長に対する畏敬の念もある。

 信長を現人神かと崇拝する家臣もいる。

 だが、神仏の代弁者たる僧侶には、信長とは別種の敬いもある。

 なので、柴田勝家や森可成と言った信長に近い位置にいた者達でさえ、神妙な顔をせざるを得なかった。


(時期尚早であったか……?)


 そんな家臣達の心情を理解できない信長ではない。

 前々世よりも大幅に早い宗教との争いが、家臣の成長に追い付いていないと判断したのであった。


《あの時、光秀さんに話した事をもう一度言ってみてはどうですか?》


《あの時……? あの時か……》


 ファラージャが言う『あの時』に心当たりを付けた信長は、思わず光秀をみる。

 すると、目があった光秀はコクリと頷いた。

 光秀も信長が何を迷い困っているのか分かった故の、無言の返事であった。


 その意をくみ取った信長が、かつて光秀に語った事をもう一度話す。

 たが光秀には資質があるからこそ理解した話で、今ここにいる家臣全員が理解するかは未知数である。


(……仕方ない。遅かれ早かれ理解させなければならぬ話じゃ。着いてこれぬ者は(ふるい)落とすしかあるまい)


 信長は光秀に語った話をもう一度話した。(外伝12話参照)

 堕落した僧侶は、僧の名を語る偽物である事。

 真の僧侶を守る事。

 宗教思想の否定や弾圧では無い事。

 信長が思う人類と宗教の成り立ちの事。

 善悪の基準に神仏が必要であった事。

 宗教の呪縛から開放されるべきである事。

 宗教はもうその役目を終えた事。

 それでも宗教が必要とされる現実がある事。

 その原因が現世で辛くて報われないからである事。

 さらにその遠因が支配者にある事。


 かつて光秀に語った事を改めて全員に聞かせた信長は、締めくくりの為の言葉を発した。


「―――我らこそが! この法度に守られる民すべてを幸福に導く役目を担うのだ!」


(どうだ!?)


 信長は集まった家臣達に決意を聞かせて反応を探った。

 すると勝家が家臣を代表したかの様に質問をした。


「殿、一つ伺っても宜しいでしょうか?」


「許す。疑問を疑問のまま残す事はしない。全て答える」


「すでに某も寺院が設置した関所は破壊したので、今更悪質な寺院に対する抵抗感は殆どありません。民の生活や発展に邪魔なのも分かります。宗教の成り立ちについては……正直な所、何とも言えませぬが、某が感じた限りは、殿の考えはそれ程間違っていない様に思います。……しかし、それは我等が例外なのであって、他の大名や寺院の正義を信じる民は別だと思います。その者達との戦いは……」


 勝家はその先を言い淀んだ。

 信長は勝家が何に対して恐れているのか分かったからだ。


「隠し立てはせん。ハッキリ言おう。血みどろの戦いが予想される」


 前々世で信長も経験したが、宗教勢力との争いは武士対武士の比では無い程に血が流れる結果であった。


 本願寺に『進者往生極楽 退者無間地獄』との言葉がある。


 簡単に訳すと『進めば極楽 退けば地獄』であり、これが本願寺の一向一揆の旗印である。

 もっと意訳するならば『戦って死ねば極楽に 逃げたら地獄』である。

 これを神仏の代弁者たる僧が、神仏を完全に信じる民に言い聞かせて一揆を起こすのである。


 何度も言って『しつこい』と思われたら恐縮であるが、宗教が科学同然の真実である戦国時代で、無知の民がこんな事を言われたら、この後、何が起こるかは明白である。

 現代で言う過激派宗教の自爆テロ同然の、死を恐れない最強の兵による特攻である。

 只でさえ『右に習え』気質の日本人が感化されないハズが無く、史実の信長は多数の家臣と兄弟を討ち取られながら血みどろの争いを続けた。


 なお、そんな信長が10年の歳月をかけて倒した本願寺に対する処置は『総赦免』である。

 つまり『無罪』である。

 大坂からの退去は条件としてあったが、それ意外は宗教団体としての存続も許し、民の参拝も自由である。

 これこそが信長が宗教思想を弾圧したのではなく、悪質な過激派宗教団体を解体しただけと言える根拠であり、基本方針なのである。

 大事な家臣を、大切な兄弟を討ち取られ、悪質な活動を続け10年抵抗した本願寺を許す度量を持つ信長を『宗教に対する弾圧殺戮者』とは言えないはずである。

 信長を誤解する人の目が覚めれば幸いである。


 話が大分逸れたが、信長は今後起こりうる凄惨な戦いを隠し立てはしなかった。

 もし宗教を恐れ逃げてしまうなら、それはそれで良いとさえ思う。

 土壇場で逃げられるより、今逃げてもらった方がマシだからである。


「某は……某は殿が正しいと判断します。尾張の民を見れば殿の政策や方針が正しいのは明らか。仏の教えを捨てるのは難しいですが……それは真に修行に励む僧侶を保護して信仰心を満たす事にします」


 勝家の言葉は、現状で100点満点とも言える信長が望んだ完璧な言葉であった。


「そうじゃ。権六(勝家)の言うた通り。無理に信仰心を捨てる必要は無い。我等が宗教を守って導くのじゃ!」


 光秀の様に信仰心を失ったなら文句無しであるが、全員がそんな事になる異常事態は逆に自分が神格化され『信長教』に繋がりそうで怖いのでこれで良いと信長は思った。

 少なくとも、今この場に集まる家臣は概ね勝家に同調したようである。


「この後、お主らはそれぞれの配下に、この『天下布武諸法度』を説明しなければならぬが、特に宗教に関する項目で従えない者を無理に引き止める必要は無い。お主らもそうじゃが、受け入れられないなら織田家からの離脱を許可する」


 信長はそう宣言し、年初の挨拶と方針説明が終った。

 家臣の成長具合が前々世とは違うので多少の離脱はあるかも知れないと思ったが、予想に反して挨拶の場に集まった家臣は誰も離脱しなかった。

 確かに家臣の成長は前々世に比べて未熟であるが、未熟分を信長の実績がカバーして離脱を押し留めたのであった。


 後日、帰蝶他、親衛隊幹部とも言える者と、斎藤道三、斎藤義龍、北畠晴具、北畠具教、今川義元と太原雪斎が集まった。

 斎藤、今川、北畠は自分の家での年初行事後の出席となっていたので、信長は、もう一度法度と自分が思う宗教感を語って聞かせた。


「殿。どこかで見たような法度ですが、ともかくこれで明確に宣言しましたな」


 義元がニヤリと笑って信長を見た。

 その瞬間、同席する者が全員義元をギョッとした目で見た。


「な、なんじゃ? 新参者への虐めか?」


「い、いや、改めて今川殿に勝った事が現実だったと認識しまして……」


「何じゃ。お主等、自信を持たんか。自分で言うのも何じゃが、ワシを倒した事を誇らんでどうするか? そんな事で天下布武を達成できるのか? しっかりせい!」


「そ、そうであるな。余りにも慣れない事なので戸惑ってしまったわ。まあ、それはさておき、この『天下布武諸法度』は『今川仮名目録』を参考に、ワシの方針を踏まえて作り替えておる。『今川仮名目録』にはほぼ無い宗教に対する項目は、ここに居る者達、特に、義兄上(斎藤義龍)、侍従(北畠具教)、治部大輔(今川義元)の3人は国を支配した身であるからしてこの法は受け入れ難いかもしれぬ。しかし、それでも自分達の国にも広めて欲しい法度じゃ」


 北畠は完全臣従なので選択の余地は無いのであるが、信長は一人の大名として扱い聞いた。

 今川は対外的には敵対したままなので、この法の適用外であるが、露骨に無視する訳には行かない。

 斎藤は同格の同盟者なので、完全に適用外であるが、受け入れられ無い場合は織田と関わるメリットを全て放棄しなければならない。


 三者三様の思惑があるはずなので、家臣たちとは別に機会を設けていたのである。

 しかし流石は国を治める大名達である。

 怯んだ様子は見られなかった。


「念押しか義弟よ。心配するな。宗教に対する理屈は解る。国を治める上で避けては通れぬ。それにこの法は良くできておる。不都合はない。ここに居る者は全て理解しておるよ」


 義龍の言に具教も同意した。


「……そうですな。殿の言う通り、我らがどれだけ国を治めても、奴等が暴れたら、それで今までの苦労が台無しになるのは確実」


「ワシも異論は……1つ除いて無い」


 義元が困った顔をして、隣の雪斎を見た。

 雪斎も同様の顔であった。


「和尚は僧じゃ。ただ、別に快楽を貪るために今川に仕えておるのではない。その行動は今川と民の為なのじゃ。その和尚が政治と軍事に関われなくなるのは困るのだが……」


「そうじゃな。和尚だけが例外では示しがつかんが、治部が言うように和尚は堕落した僧ではない。対外的には敵対しているので織田の法に縛られる事は無いじゃろう。和尚が引退し、臣従が知れ渡っても問題無い時がきたら適用という事で良いじゃろう。それまでは『今川仮名目録』と我等との関係が暴かれない程度の適用で構わぬ」


「ありがとうございます。しからば引退までは織田と今川の為に働かせて頂きます」


 そう言って雪斎は頭をさげた。


「よし。それを踏まえて宗教勢力との戦いの方法を伝える。それは――――」


 信長は作戦を語り、集まった面々はその作戦を納得してそれぞれの居城に帰っていった。


《商いと農業の充実ですかー。今までの行動をもっと大々的にやるって事ですね?》


 信長の方針を聞いたファラージャが信長に感想を言う。


《そうじゃな。特別画期的な策を使うわけではない。ある意味地味すぎる策じゃ。しかし、食い物と物資が潤えば織田の領地は今の時代の極楽のはずじゃ。農民は戦う必要も無いから命も安全じゃ。だからしばらくは内政を徹底的に強化する》


《成る程。今が辛いから宗教に傾倒するなら、今が辛くない世を作れば良いのですね》


《まあ……言う程楽ではないが。だが、もちろん戦も必要じゃ》


《その為の斎藤家ですね》


《そうじゃ。ある意味、前々世よりもキツイ戦いじゃ》


 信長は、これから始まるであろう一向一揆との戦いに備え、決意を新たにするのであった。


(大丈夫じゃ。以前よりも格段に良い状況であるのは間違いない。後はワシの正しさが理解されるかに掛かっておる。あとは―――)


 信長はかつて岐阜と名付けた稲葉山城の方向を見て腕を組むのであった。

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