57話 新たなる火種
【尾張国/那古野城 織田家】
桶狭間での戦いを制し、今川軍を跳ね返す力を持つと内外に至らしめるに至った信長と織田家。
意気揚々と那古野に戻った信長を待っていたのは、長島の願証寺による周辺砦の制圧と、武装蜂起の知らせであった。
史実でも桶狭間の戦いにて今川軍に呼応した願証寺であるが、今回も起きてしまった武装蜂起は信長の機嫌を大いに損ねた。
《ま た か 奴 等 か !!》
《と、殿、落ち着いて!》
今回は極力刺激しないように、細心の注意を払って対応したつもりであった。
北伊勢攻略の時も長島には手出ししないように厳命し、攻略完了後も兄の信広を交渉役とし、良好な関係を築いていた。
それがアッサリと裏切られた事に、信長は寺院との相性の悪さを思い出さずにはいられなかった。
「す、済まぬ! まさかこの様な事になろうとは!」
信広は己の失策に平身低頭で謝罪した。
「いえ……。兄上の責任ではありませぬ。兄上で駄目なら誰が担当しても失敗したでしょう」
「そ、そうなのか? そう言ってくれるのは有り難いが……」
「総本山の首領が『門跡』の奴等からすれば、我等など路傍の石と変わらぬ取るに足らない存在なのでしょう。あのクソ坊主共には、裏切ったとか、約束を反古にしたとか、関係を悪化させたと言う罪悪感や意識すら無い!」
「そ、そこまで断言するか……」
信広以下、集まっていた諸将は、今まで見た事の無い信長の怒りに驚き戸惑った。
信長の転生を知らぬ故に仕方ないが、史実では10年にも渡って争った相手である。
改めて本願寺勢力の悪質さを目の当たりにした信長である。
信長の言う『門跡』とは、皇族や公家出身者が住職を務める事を意味する。
つまり、血筋的には日ノ本トップクラスの支配者層である。
織田家の様な成り上がりの下賤の血筋の都合など、本当に知った事では無いのである。
史実でも本願寺と信長との間で交わされた約束は、全て本願寺側から一方的に破られている。
無論、価値観や時勢はあろうが、それにしたって悪質に破り過ぎであり、信長が激怒するのも無理はない。
その本願寺との争いの、最初の一石が投じられたのである。
「……本願寺と願証寺に使いを出せ。本意を確める」
それでも信長は冷静に動く事を心掛ける。
今の怒りの感情は前々世からの引き継ぎであり、いきなり全面抗争を仕掛けるわけには行かない。
「兄上には引き続き交渉の窓口となって頂きますが、それとは別に長島は封鎖する。陸は森可成と塙直政で、海は九鬼水軍で行う。ただし、反撃されたら応戦を許すが、こちらから攻めるのは待て」
こうして桶狭間の勝利を霧散させる、宗教勢力との争いが静かに始まろうとしていたのだった。
《信長さんには、この時が来たら聞こうと思っていたのですが……良いですか?》
ファラージャが頃合いを見計らって信長に尋ねた。
《……何じゃ》
不機嫌な信長がぶっきらぼうに応える。
《信長さんは宗教は嫌いですか?》
《……好き嫌いで分別出来るモノではないな》
《そうなんですか。実は……信長さんは後世では、宗教に対する弾圧者、古き思想の破壊者などと言われている説があります》
《それが何の因果か未来において神と奉られておるのか。一体未来で何があったのやらな。ところで、その評価もワシからすれば心外なのじゃがな》
信長は、最早笑うしかない自分の評価に呆れるしかなかった。
《と言いますと?》
《お主の言う『弾圧』とは、支配者が権力や武力を用い、不当に対立する者を押さえつけ殲滅するのだろう? ワシは本願寺の奴等に教義を捨てろと迫ったことはない。政治に介入するのを止めろと言っただけじゃ》
史実でも信長は本願寺の本拠地退去や、比叡山を焼き討ちしたが、存続を許し決して教えを放棄させてはいない。
宗教勢力とは血で血を争い、兄弟、家臣を多数討ち取られたのにである。
信長の要求は只一つ。
政治に介入するな、である。
《逆じゃ。全くの逆。弾圧されたのはワシらなのじゃ。奴等にとって仏の代弁者に従わないワシらこそが異端者であり、弾圧の対象じゃ》
戦国時代で戦うのは武士だけではない。
農民や商人も武器を持つが、僧侶こそが武装し戦う時代なのである。
天文法華の乱に代表されるように、仏教徒が別の解釈を持つ仏教徒と争うのがこの時代なのである。
宗教が絶対の世界では、どんなに暴虐の徒であろうとも宗教に関わる者ならば無罪である。
暴利で金を貸し付けて脅し取り、勝手に関所を設け通行料を徴収し、強訴にて破壊活動を行い、権益を不当に確保し、女酒肉食享楽に耽り―――
その腐敗極まりない宗教勢力を、天下統一を目指す信長が何とかしようと立ち上がり、禁断の領域にメスを入れたのである。
《の、信長さんが弾圧されてたんですか!?》
そんなわけでファラージャにとって、史実と伝えられている事と違い過ぎる信長の答えに驚いたのである。
現代でも弾圧を受けている勢力は悲惨極まりないが、信長は弾圧を跳ね返してしまったので事実が伝わらなかった。
《古き思想の破壊者と言うのも随分な言われようじゃな。政治の邪魔にならない事を禁じた覚えはない。それに例えばワシは祭りは好きじゃぞ。祀られておる神は、今はもう全く信奉はしておらぬがな》
自身の信仰心がどうであろうと、信長は積極的に祭りを開催し自ら参加して、庶民と接する場として活用していたのである。
《凄く……意外です……!》
《そんな我等を弾圧迫害する者達とまた……争わねばならんか。そりゃそうよな。避けて通れんか》
史実で10年争った本願寺。
今度は何年争う事になるのか?
信長は痛む頭を揉みほぐしつつ、対応を練るのであった。
「此度も……いや、此度は転生の経験を活かさねばならぬ……!」
信長はそう決意して身を引き締めるのであった。
6章 天文19年(1550年) 完
7章 天文20年へと続く
少々少ないですが、本来は前回の最後に持ってくる話でした。
ぎっくり腰のせい(?)で記述を忘れて居ました!




