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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
6章 天文19年(1550年)真なる今川の暴威
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56話 桶狭間決戦後始末

【尾張国/沓掛城 織田家】


 桶狭間決戦の次の日。

 織田信行は困惑の極みにいた。

 死人の様な真っ白な顔で、織田の沓掛城包囲軍に使者として赴いた者達の話を聞く。


「勘十郎殿(織田信行)、我らは城を出なければなりません」


 今川家臣の由比正信が無情な宣告を告げた。


「お、お待ち下せれ! 我らはまだ敗れた訳では……」


「いえ……。完膚なきまでに敗れたのです。彦五郎様(今川氏真)と、元康殿(徳川家康)、さらに意識不明の殿が捕縛された事を某が確認しました。殿と今川の命運は織田に握られたのです」


「そ、そんな……馬鹿な……」


 信行は尾張内乱の時から今川の正義を信じ、数年に及ぶ雌伏の時を耐えて、今ようやく事を成し遂げたと思ったら、またしても兄に阻まれた。

 念には念を入れて、氏真と元康の命を狙い、結果的には松平広忠を殺したが、今川と松平の闘争心を煽り、沓掛城を無傷で手渡したのに、それでも信長が今川軍を跳ね返した事実が信じられなかった。


()()はこれにて城を退去します」


「お待ち下さ……え? 我ら?」


「はい。()()です。殿の命の保証は無条件での沓掛城退去と、勘十郎殿を置いて行く事なのです」


「そんな!」


 精神を病んだとは言え、このまま残ったら確実な死があるのは理解できる。

 慌てて逃げ出そうと立ち上がった所で、沓掛城広間の襖が全て開け放たれる。


「勘十郎様を捕らえよ!」


 柴田勝家の号令の元に武装した兵が雪崩れ込み、あっという間に信行を床に組伏せた。


「権六!?(柴田勝家)」


「勘十郎様……。誠に残念です。牢に連行しろ!」


「離せッ! 兄上を呼べッ! 織田は間違っているのだッ!」


 叫び暴れる信行を半ば引きずる様に連れ出した兵と入れ替わりに、戸板に乗せられた今川義元と平手政秀が搬入され、続いて信長以下、織田の主だった将が入る。


「殿!! ……クッ! 織田殿、くれぐれも殿をよろしくお願いいたします」


 義元の意識は無く治療はしてあるが、後は本人達の体力次第である。


「最善は尽くす。それから、太原雪斎と合流したら、沓掛城に来る様に伝えよ」


「承りました。それでは失礼します……!」


 由比ら家臣は本当なら残って義元の手当を行いたいが、今は全ての主導権を握られているので、敵である信長を信じるしかなく、後ろ髪を引かれる思いで沓掛城を退去した。


 広間には、織田信秀、柴田勝家、森可成、北畠具教、塙直政、斎藤帰蝶 斎藤道三、斎藤義龍、救出された織田信広が揃った。

 残りの諸将で、比較的元気な者は尾張に順次引き上げる手筈である。


「こんなところか。皆の者、此度の決戦、よくぞ戦い抜いた。戦後処理はまだまだあるが今日は1日休むが良い。配下の者にもくつろぐように伝えよ。明日以降動けるものから順次帰還を許す」


 そう当座の戦後処理を終えて一旦解散となった広間では、信長と帰蝶が残った。


《これで、第一関門突破ですね! おめでとうございます!》


 タイミングを見計らって、ファラージャが祝いの言葉を嬉しそうに述べた。


《ありがとう、ファラちゃん!》


《うむ、こうして今生きておるのもファラの補助があってこそ。昨日の件も含めて礼を言おう》


《昨日の件……。あれは私のミスですけど……あぁっ!》


 そう言ってファラージャは頭を抱えた。

 昨日ファラージャは、一つやらかしてしまっていたのだ。


《まあ……。今回は例外としておけば良い。お主も完璧とはいかんだろうし、初めて見るものに驚くのは仕方ない。別に未来の知識を言った訳ではない。今、我らが知る事しか結局やっておらぬしな》


《そうですけど……うーん》


《そうよファラちゃん。未来の人が知らなかった事は不意打ち同然だもの。仕方ないわ》


《そうですかねぇ……》


 なおも渋るファラージャに二人は昨日の夜の事を思い出す。



【桶狭間決戦 決着後】


 信長は倒れた義元の傷の具合を確めると、配下に命令を下した。


「よし、ここならマトモな治療もできよう。丸薬、サラシ、馬の尿……」


《えぇっ!?》


《うおっ! 何じゃ?》


 信長が治療を指示したところで、ファラージャが驚きのあまり、つい声を出してしまった。


《う、馬の尿……。そんなモノで何をするつもりですか?》


「暫し待て! 準備だけせよ! 《飲ませる。血止めじゃ。……む!》」


 信長はそこまでテレパシーをして気が付いた。

 未来知識を教えないファラージャが思わず声をあげるくらいに、今から行う治療があり得ないのだと。


《その様子では『治療効果が無い』と言ったも同然じゃな?》


《うっ……! は、はい……。そうです……》


 信長の予想通りファラージャは失言に後悔しつつ、今川義元の生き残る可能性が間違った治療で潰える事に、思わず声をあげてしまったのである。


《ファラちゃん! 時間が惜しいわ! 未来知識を教えろとは言わないわ! 今、私達の時代で出来る事だけでいいわ! それを指示して!》


《それも未来知識に……あぁ! 判りました! 丸薬は漢方ですね? それは飲ませてください! あと、治療に使う物は全て沸騰したお湯に潜らせて!》


「湯を沸かせ! それとは別に水を! 丸薬準備!」


《あと、傷の手当てに何を使ってますか!?》


 ファラージャの問いに信長と帰蝶は使っている物を並び立て、その異様な光景にファラージャは目眩を覚えた。

 ただ、その中に2つ有効な物を発見し伝えた。


《その熊笹と蘆薈アロエは有効です! 背中の傷は縫い合わせて熊笹を貼って! 首は濡らしたサラシで冷して下さい》


 熊笹には強い殺菌作用があり、煎じて飲んでも、傷に張っても万能な植物で、日本中どこにでも生えている。

 アロエも同じで熊笹よりは限定されるが、日本中で手に入る。

 驚くべき事は、昔の人は科学的根拠も無く、経験でこれらを利用していたのだ。

 もちろん、馬の尿と言った怪しげな治療方法も山ほどあるが。


(麻酔なんて存在しない時代よね……。漢方は即効性が望めない。痛み止も無い。根性と思い込みが全ての時代なのよね)


 ファラージャの技術を使えば、治療できない病気も怪我も無いので完全不老不死を実現している。

 それに、やろうと思えばテレパシーでの指示で医療革命を起こす事ができる。

 しかし、それは本来の目的の『信長教』の撲滅どころか神憑り過ぎる実績過ぎて、逆に『信長教』の設立を助長しかねない。

 目の前の命を助ける事と、今川義元の生存と、線引きの難しい手助けと、感情の(せめぎ)ぎ合いで、心の整理がつかぬままファラージャは指示を出してしまい、長く悩む事になった。


《政秀さんは血が流れ過ぎたので、傷が塞がり体内の血の量が回復するかが勝負です。熊笹を煎じて飲ませるしか打てる手はありません。義元さんの背中の槍傷は肋骨に遮られて見た目ほど深刻ではありませんが、首に受けた一撃は脳にどれだけダメージを与えたか見た目で判断できません。後は祈るしか……》


 レントゲンなど望めない乱世では、もはや手の打ちようがない。

 意識が戻るかどうかは、かなり分の悪い賭けであった。


《私がもう少し加減出来ていれば……》


《お主のせいではない。誰もがあの場では懸命に戦っておった。むしろ咄嗟に薙刀で斬りつけず、柄で殴る判断をしたお主を誉めたい位じゃ。存在せぬ神に祈るのはシャクじゃが、もし義元が死んだらそれは奴の問題じゃ》


 あの決着の瞬間、帰蝶、服部一忠、毛利良勝は、信長が義元に倒される寸前に間に合い、一忠と良勝は義元の背中に槍を突き入れ、それを見た帰蝶は瞬時に判断して薙刀の刃の部分を避け、刃の無い柄の部分で義元の兜ごと首をフルスイングで殴り付けた。

 これがあの場で出来る義元への精一杯の配慮であった。


《この祈りは誰に届くんでしょうね……》


 信長は自分を救う大功績を残した帰蝶を、何とか元気つけようと小姓を呼んだ。


「誰ぞある!」


 信長は、氏真と元康を呼び事情を説明する。


「治部大輔殿(今川義元)には最善を尽くした。後は肉体の強さの問題じゃろう。もし万策尽きたならワシを恨んでくれて構わん。ただワシは憎くて戦った訳でもないし、援軍があと少し遅れていたら死んでいたのはワシじゃろう。それ程の接戦でどちらが勝っても負けてもおかしく無かったのじゃ。そこは理解してほしい」


「……分かっております。勝負は時の運とも申します。天が織田殿を選んだのでしょう……」


「(これは……暫くそっとしておくしかあるまい)少なくとも数日の内には雪斎が来る。城から出ることは許さんが、大人しくしていれば誰も死なずに済む。於濃よ二人を連れて治部大輔殿の所に行くもよし、訓練をするもよし、おっと、義父上と義兄上に顔を見せるのもよかろう。好きに気晴らしをせよ」


「わかりました。二人とも行きましょう」


 帰蝶は二人を引き連れて出ていった。


「さて……」


 信長は父の信秀と兄の信広の元に向かった。


「父上、兄上。今川との決戦は終わり、後は戦後の交渉だけですが、特に問題無く終わる事になりましょう。ただ……」


「勘十郎か……」


 信秀と信広が同時に呟いた。


「まさか、またしても裏切るとは……。一度目は未熟者故に配慮した沙汰を下したつもりであったが……」


 信行の最初の裏切りは、織田家全体のミスと信秀は判断して、寛大な処置として限りなく自由な謹慎とした。

 その間は再教育を施していたが、結果は更に最悪に繋がった。


「父上、三郎よ。勘十郎の処罰じゃが、少なくとも雪斎が到着するまで待ってくれまいか」


「理由を聞きましょう」


 信広の願いは信長も気になった。


「勘十郎は、どうも今川に並々ならぬ忠誠を持っておる。雪斎なら理由を知ってるじゃろう。それを聞いてからでも遅くはあるまい」


「いいでしょう。急ぐ処分でも無いですし、ワシも知りたい所でもあります」


 雪斎の到着を待つ事1日。

 到着した雪斎との戦後交渉を行う運びとなった。


 義元は生きているが意識不明である事。

 氏真と元康は捕縛している事。

 信行の事。

 その上での今川との関係について話し合う事になった。


「単なる局地的な敗北ならともかく、この一大決戦で敗北し、当主も跡継ぎも捕縛された以上、今川として交渉材料が何もありません。全て織田殿の沙汰に従います。彦五郎様、申し訳ありません」


 雪斎は同席していた氏真に頭を下げた。

 それは殺される事になろうとも、どうにも出来ないと意味する謝罪であった。

 今川の命運は最早絶たれたのである。


「その事についてじゃが、此度の決戦、引き分けにしてやっても良い」


 信長の驚愕の発言に理解ができず、雪斎が聞き返す。


「……ひ、引き分け!? 仰る意味が良く解りませぬが……!?」


「織田家としては、三河も駿河も遠江も必要ない、と言う事よ。今川家も滅ぼすつもりはない」


「な、何故!?」


「三郎!?」


 この提案には同席した者全員が驚いた。

 余りにも常識外れな提案だからである。

 土地を奪えばより一層の繁栄も発展も思うが儘、なのにである。


「……理由を聞いても宜しいですか?」


「ワシは日ノ本の支配を目指しておるが、そんな細々とした国の局地的な支配はどうでも良い。ワシの意を汲んだ者が適切に支配してくれれば全く問題ない。治部大輔殿なら適任である。今は昏睡しておるがな」


 史実の信長もそうなのだが、桶狭間で勝った余勢で今川領に侵攻は一切していない。

 これは信長以外の全ての大名の常識からすれば、理解不能の行動にも程がある。

 わざわざ絶好の機会を見逃したのだから。


 近隣諸国にはさぞかし『尾張のうつけに偽りなし』と知れ渡ったはずである。


 だがそれは、全ての戦いが単なる領土拡大の為の『私戦』である信長以外の大名と、全ての戦いが『天下統一』である信長との意識の差なのである。


 三河から東側を手に入れて、面倒な武田や北条と隣接して無駄な戦いと時間を浪費するなら、間に一枚噛ませて、つまり徳川と結んで東側への抑えとする。

 その間に、自分は京を目指すのが天下統一への最短ルートなのが、前々世の信長だけには明確だったのだ。


 それをこの歴史では、徳川家より更に強力な今川家の力を使って、東側への備えを目論んだ形であり、それを実現する為の引き分け提案であった。


「な、成る程……。きっと殿がこの場に居れば理解したのでしょうな。拙僧にはおぼろ気ながらにしか理解できませぬが……」


「もちろん引き分けとは言っても、字面通りと言う訳にはいかぬ。今川が同盟を結んでおる武田や北条に対するお主等の体裁があるので、表向きは引き分なだけで、裏向きには人質を差し出して臣従してもらう。また織田ではなく、ワシと天下の為にその力を貸す事。これが引き分けにする条件じゃ」


 信長は今川の存続を許し、表向きは同格の大名として、裏向きには臣下となる様に条件を出した。

 これは史実での軍団長制度に近い。

 史実では、実力のある配下を大名化し、柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀らを方面軍として独自の権限を与えたが、それと同じである。


「……よかろう」


 襖が開いて声がした。

 元康と帰蝶に両脇に抱えられて義元が姿を現した。


「殿!?」


 駆け寄ろうとする雪斎を手で制し、義元が苦しげであるが、意思の籠った声で話始めた。


「織田の為ではなく……お主と天下の為か……。分かった。お主が健在な限り……ワシは無条件で力を貸そう……」


「殿……よろしいのですか?」


「今……分かった。ワシと信長、いや殿と呼ぼうか。考えは一緒じゃ。ならば……より力の強い者が……舵を取るのが相応しい。彦五郎。お主は織田と今川の結び付きの証として、織田に預ける。良く学び殿の為に働くが良い」


「父上がその様に仰るのであれば……某には異論はありませぬ」


「これで……如何であるか?」


「さすが治部大輔よ。安心せい。悪い様にはせぬ。まだ気分が優れぬのであろう、ゆっくり休んでから駿河に帰るが良い」


 信長は雪斎と細かなやり取りをして、今川とは表向きは和睦同盟、真実は臣従と、今川に配慮しその力を存分に発揮してもらう為の処置をしたのであった。


「最後に聞いておきたい」


 信長は信行の事を尋ねる。

 いったい何があって、あの様な事をしでかしたのか。


 雪斎は正直に話した。


 尾張内乱の時に説得し裏切らせたのだが、その時の今川の正義を妄信的に信じすぎた結果の暴走で、氏真と元康を暗殺しようと狙い、松平広忠を死なせる事になったこと。

 それを利用、と言うよりは責任を取る形で沓掛城を内部から操った事。


 全てを正直に話した。


「わかった。この件に関して特に今川にしてもらう事は特に無い。勘十郎は暫く牢で冷静になるまで放っておく事にする」


「寛大な処置をお願いいたします」


 雪斎はそう言って頭を下げた。


「よし! これにて大まかな方針は定まった! 後の細々したことは那古野に戻って休息した後じゃ! 皆の者、ご苦労であった!」


 信長の宣言を持って桶狭間の争いは終結した。

 東海道を支配する今川を取り込んだ信長は、次なる目標に向けて気持ちを新たにするのであった。

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