5話 元服
【尾張国/正徳寺への道中 織田家】
異様な風体の男が馬上に居る。
単騎では無い。
弓槍鉄砲を装備した総勢500人の兵を男は率いていた。
だが、これから戦をする訳では無い。
軍勢は馬上の男の護衛である。
しかし、そんな事より――
当の護衛対象の男は――
常軌を逸するにも程がある格好をしていた――
男はよりにもよって陰茎が染め抜かれた湯帷子袖を半脱ぎにした半裸状態に、太刀、脇差を荒縄で腰に結び、瓢箪をぶら下げている。
髷は無造作に縛った茶筅髷、腰には虎の毛皮が巻かれ、それはもう、誰がどこからどうみても立派な『うつけ者』であった。
馬上の男は織田信長12歳
向かう先は正徳寺
これから婚約者の父である斎藤山城守利政(後の斎藤道三)との会見の為の途上であった。
(次はマムシの親父殿だな)
信長は馬に揺られながら誰にも聞こえぬ声でつぶやき、元服時に戻る事を決めた時を思い出していた。
(そう、あの時!)
2回目の自刃で果てて時間樹に舞い戻った時に――
【2回目の自刃後 時間樹にて】
「上様~?」
「信長様? 短気は損気と言う言葉もございます。よろしいですね?」
「……うむ」
二人の女性の言葉を受けて、眉間に皺を寄せて瞑想する信長。
勿論その瞑想は考え事などでは無く、羞恥の余り顔を合わせられないだけであった。
しかし二人の女性はそれ程強く非難している訳では無い。
信長が単独で転生してしまったこの5年間を有効活用しようと考え、帰蝶は失った時間を取り戻すべく色々学び(本能寺までの過去の歴史や武芸など)ファラージャとお喋りや遊戯をして過ごした。
信長も学んだ。
短気は損気の事では無い。
歴史の修正は簡単では無いと言う事を。
光秀を本能寺から遠ざけておけば、任務完了だと思っていた己の浅はかさを恥じた。
また、予想以上に配下に嫌われているかも知れない、と言う事を。
そんなこんなで憮然とする信長を帰蝶が一通り弄ってからファラージャは言った。
「歴史には『修正力が働く』と言う説があるらしいのです。図らずとも信長様が実証されましたが、例え直接的な原因を排除しても代わりの誰かが実行するらしいです。それを注意する前に信長様は行ってしまいましたが……」
ファラージャがチラリと信長を見た。
「クッ……! では、本能寺の結果をいきなり変えるのでは無く、可能な限り歴史を変えた方が本能寺を生き残る可能性は高いとい言う事か?」
「恐らくその通りだと思います」
ファラージャの答えを聞いて信長は考える。
「ではどこから歴史を修正すべきであるか? ……元服か?」
人生における一つの区切りとして、子供から大人と認められる元服は大きな区切りと言える。
しかし問題もある。
元服からやり直すと言う事は数多の歴史を修正出来るが、それはもう一度、桶狭間や金ケ崎、本願寺や武田との抗争を経験する可能性もある。
(あの絶体絶命の窮地をもう一度やらねばならぬか?)
「信長様?」
「上様?」
暫く考えた後、決意を固める。
「……決めた。元服からやり直す。於濃、ワシの手を取れ」
信長は絶体絶命の窮地を、もう一度経験する覚悟を決めた。
「置いてきぼりは嫌ですよ? ウフフ」
帰蝶は笑い信長は顔をそむける。
「ファラージャ、決めたぞ! 他に何か言い忘れた事は無いか?」
するとファラージャは信長と帰蝶の手を暫く握ってから離した。
「……これで良し! まだ色々問題は発生するかも知れませんが、今度はお二人といつでも連絡を取れる様になるので大丈夫です」
「ならば今度こそやり直す! 天文15年は元服の儀だ!」
そう言った瞬間信長と帰蝶の体から魂が抜けて時間樹に吸い込まれて行った。
「ご武運を……」
ファラージャは祈りの言葉を呟いた。
「フーティエ! 二人の体をカプセルに入れておいて」
「了解しました」
フーティエの合成音声を確認し、ファラージャはサポートを始めるのであった。
【天文15年(1546年) 元服の儀】
信長が『元服の儀だ!』と5次元空間で決断した瞬間、既に信長は元服の場に居た。
だが元服の儀式よりも、今まさに『三郎信長』の名を与えられた事よりも、眼前に父信秀がいる事に仰天し、暫く状況が掴めなかった。
元服だから父が居るのは当然と言えば当然であるが、つい今の今まで時間樹を眺めファラージャと話し込んでいたのに、次の瞬間元服の場に居たのだ。
瞬間移動は5年前も経験したが、それでも全く慣れないのは無理からぬ事である。
こんな事を経験出来る方が異常なのである。
「どうした? ほれ、何か言って見せい」
信長は懐かしくも頼もしい父信秀の言葉で我に返り、促された口上で、ついうっかり織田家の主君や他の実力者が居る前で『天下布武』宣言し、周囲をドン引きさせた。
平手政秀は頭を抱えたが、信秀は剛毅に笑った。
「流石は稀代の『大うつけ』にしてワシの子よ。我が主君の為に存分に働くが良い!」
信秀は大いに笑ったが、若干乾いた笑い声であった。
この当時、織田信秀は尾張最大の実力者ではあるが、斯波氏の家臣のその又家臣に過ぎない。
よく見れば信秀は冷や汗をかいていた。
あの笑い飛ばした言葉は信秀のとっさの機転だったのだ。
そこで周囲の顔ぶれと自分の記憶がようやく一致し自分が元服の場にいる事を察した。
「ち、父上の仰る通りです。緊張の余り言葉が足りませんでした!」
ともすれば謀叛宣言と取られて転生後即死罪になりかね無いが、尾張に轟く『うつけ者』だからこそ助かったのかも知れない。
(そうだ、この日、ワシは吉法師から織田三郎信長として歩みだしたのだ!)
だがその歩みも、艱難辛苦の末に本能寺で1回目は明智光秀、2回目羽柴秀吉に討ち取られたのだった。
(……だんだん腹が立ってきた。おのれ光秀と秀吉!)
しかし、何の因果か天正10年より約1億年後に蘇り、元服した当時に舞い戻ってきた。
そんな事が可能な1億年後の技術に信長は舌を巻くしかなかった。
(……前回もそうじゃったが、戻るにしても、もうちょっと融通の利いた場と時間を選べぬものか)
心中でファラージャに毒づいた。
前も今も自分で選んだ時間だが、文句を吐かずにはいられなかった。
(元服真っ最中じゃ無くて、せめて部屋に入る前とか……!)
危うく死ぬ所であったので怒るのも無理は無いが、選んだのは信長なので、こればかりはファラージャにもコントロールしようが無い。
そんな波乱もありつつ元服も終わり、今は大広間に信秀の腹心、平手政秀と信長の3人が残った。
何やら話がある様であり、元服の儀でやらかしてしまった事に対する説教かも知れぬと身構えた信長の心配を他所に信秀は織田家の方針を語った。
「吉法師改め元服し三郎信長となったからにはこの織田弾正忠家の一翼を担う事となる。そんな織田の将がこのままでは些か体裁が悪い。従ってこの場で三郎の婚約について伝える。相手は美濃の蝮。斎藤利政の娘じゃ」
「おお! それはめでたい!」
平手政秀は膝を叩いて喜ぶ。
「……。うん!?(……何だそれは? ……婚姻同盟はまだ先の話では無かったか!? 大体、その話は爺が取り仕切った話では無かったか? もう歴史に影響が出たのか? ワシはまだ何もしておらぬぞ!)」
転生前と違うのは精々『天下布武宣言』位である。
それなのに婚姻同盟が2年程、前倒しされていた。
「蝮めとは何とか手打ちにしたかったが、これは渡りに船と言う奴よ。何やら、あちら側の姫が信長を大層気に入っておる様でな。何と姫から打診があったそうじゃ。思うにこれはワシの予想じゃが、恐らく斎藤も苦しいのじゃろう。かと言って蝮は弱気な姿は見せられぬ。奴は下剋上にて美濃を乗っ取った大悪党。周囲には常に健在な姿を見せねばならぬ。ワシ以上にな。そんな蝮を見て姫がその気持ちを汲み取った。そんな所では無いか? 賢き姫よ。信長には勿体無いいわ。ハハハ!」
(姫から打診? まさか!!)
「お、親父殿、婚約は良いとして、いつごろ執り行う予定じゃ? ……ですか?」
「あちらは可能な限り早くと申しておるな。どうやら姫が待ちきれぬ様じゃて。まぁこちらも準備がある。半年後と返事をしておいたわ」
「半年……」
信長は早くも自分の知る歴史から逸脱している事を知り、屋敷に帰る道すがら心中で毒づいた。
(ふぁらあじゃぁぁ! 何かいきなり妙な事になっておるぞ!?)
誰にも文句を言えないので心の中で。
《聞こえてますよー!》
《うぉッ! 何じゃ!?》
まさか返事か来るとは思わず信長は落馬しそうになった。
《サポート……補助をするって言ったじゃないですかー》
《補助の方法を聞いておらぬわ! ……で、この歴史のズレは何なのじゃ!?》
《こちらでも調べていますが原因は不明です。何ぶん確立されたばかりの技術ですので不測の事態は覚悟するべきかと》
《最初に言わんか!》
《済みませんー。実は何故か帰蝶さんは信長様より少しだけ過去に到着したみたいです。なので、向こうから早めに接触出来る様に働きか掛けた、との事です》
《……であるか》
簡単にファラージャは言うが、信長にとっては予想外の問題である。
単独で転生した2回目では、こんな問題は無かったので不意打ちに等しい報告であった。
《それと、ファラージャが随分言い難そうですね。ファラで構いませんよ》
《……わかった》
テレパシーを終えると、信長は屋敷で寝込んだ。
流石に疲れたし、一日中驚愕しっぱなしだった。
Take2時では、本能寺で死んで、それから生き返って1億年後を視察して未来に絶望し、フライングで本能寺5年前に戻り、改めて自刃した。
この時は5年前という比較的記憶に新しい時代とタイミングだったので、そこまでドタバタした転生ではなかった。
だが今回は記憶の薄れた少年時代。
しかも元服の儀式真っ最中で、しかも歴史が狂って婚姻同盟が決まった。
(疲れる……。戦場よりも疲れる……)
心の中でその様に呟き、泥の様に眠ったのは言うまでも無かった。