52話 桶狭間攻防戦 北方からの援軍
【尾張国/桶狭間/ 今川義元本陣】
今川義元の本陣から太鼓がけたたましく鳴り響く。
今川鶴翼陣の左右の翼を担当する、副将の岡部元信と朝比奈泰能がその音に反応し、自身の陣でも太鼓を鳴らす。
三つの陣から鳴らされる太鼓の音は戦場全体に広まっていた。
当然、織田の陣営にも聞えるので、何らかの合図であると警戒し身構える。
「さぁ信長よ! 今は我等の頭を上手く抑えておるが、コレはどうかな!?」
実際に義元の声が届いたわけではないが、その言葉を聞いて反応したかの様に鶴翼陣の翼が前方に動き出す。
今川軍の鶴翼陣は通常の鶴翼陣ではなく、小さい偃月陣を鶴翼陣の形に並べた、言わば合成陣である。
それ故に鶴翼陣の翼が閉じる力が弱いのも当然であり、今川の諸将も現状が織田と互角でも気にしなかった。
倒せるならそれに越した事は無いが、倒せないなら次の作戦に移行するだけである。
「よーし! 中央の織田軍には最低限の部隊を残し、残りは突撃を敢行する! 槍隊構え! 突撃!」
左翼偃月陣から、内藤正成と松井宗信、左翼大将の岡部元信が、関口親永、瀬名氏俊を残して前方に駆け出した。
右翼偃月陣からも同様に、酒井忠次、飯尾乗連、右翼大将の朝比奈泰能が、鵜殿長照、井伊直盛を残して前方に突撃を行う。
残った部隊は織田の先陣部隊の相手をするが、今度は正規の鶴翼陣として体勢を整えた上で挟み込みにかかる。
元々両翼の偃月陣は、全体が織田に対応していた訳ではないので、兵が抜けても大勢への影響は少ないが、それでも片翼6000の内、4000が抜けても中央の織田軍10000に対応する今川軍諸将の経験と対応力は尋常ではない。
「さて、信長よ。慌てて軍を投入しておるようじゃが、チンタラしてると鶴翼陣は更なる変貌を遂げて、お主の先鋒は全員討ち死にとなるぞ? 伝令! 蒲原氏徳と朝比奈元長に回り込むように伝えろ!」
義元の言う通り、桶狭間山から飯尾尚清の一軍が山を下りて戦場に加わろうとしている。
しかし、その一手は義元の判断通り、先陣部隊には間に合いそうにない
義元は櫓から戦況を確認をしていると、沓掛城方面からの伝令が櫓に駆け上ってきた。
「沓掛城より報告します! 『例の策』は太原雪斎様がお使いになられるそうです!」
「そうか! ご苦労! ではもう一度和尚の下に行き伝えろ! 『待っておるぞ』と!」
「はっ!」
伝令は櫓を下りて、また沓掛城方面へ駆け抜けていった。
(あちらで策を使うか。ならば奴は沓掛城にいると言う事か。あちらが盤石なら万一にも我等が敗れる事はあるまい。しかし、信長め、本当に惜しい奴じゃ。生まれがワシと同時期じゃったら、こうはならなかったであろうに)
義元は好敵手には時間が足りていないと感じていた。
短期間で伊勢を平定したとしても、家中の結束はどうしても時間がいる。
義元や雪斎の目から見れば、織田家の団結はまだまだ甘いと感じていた。
【織田軍/織田信長本陣】
信長は、眼下で徐々に押される自軍の劣勢に苦い顔をした。
「これだけ揃えてもまだ義元に届かぬか! ……父上頼みましたぞ!」
信長は先鋒陣に加わり必死に戦う5人の将に、予め幾つかの策を伝えていた。
信長はその時の事を苦い顔のまま思い出す。
『父上、それに権六(柴田勝家)、侍従(北畠具教)、三左衛門(森可成)、九郎左衛門(塙直正)、よく聞け。これは最終手段といっても過言ではない策じゃが、もし今川軍の突破が難しい、あるいは押され気味となったら即座にお主らで陣形を組みなおして防御に徹せよ』
『防御ですか? 更なる突撃ではなく?』
最先陣を任されている勝家が、信長の意外な言に怪訝な顔をした。
勝つ為の策とは思えなかったからである。
『そうじゃ。父上ら5人で方円陣を組んでお互いの背後を守り、徹底的に防御して今川軍を引き付けてひたすら耐えて待て。方円陣の時は反撃はすれど打って出る必要はない。義元相手に中途半端な作戦は全軍が瓦解する恐れがある。故に、少しでも駄目だと感じたら即座に方円陣となる事が肝要である。突撃を粘る必要はない。……その肝心の判断は、父上にお願いしたい』
『うん? ワシか? そりゃあ別に構わんが、義元に近い第一陣の権六の方が判断し易いのではないか?』
『……』
信秀の言に、勝家も無言ながら同意している。
『駄目です』
しかし信長はキッパリと拒否した。
『この戦いで義元に匹敵するのは義元本人のみ。後はワシも父上も含めて格下ばかり。ならば、その格下でも義元に迫るであろう人物が判断すべきです』
信長は勝家を見据えて言った。
『権六すまぬが、此度は勉強と思って堪えてくれ。義元を相手にするには、義元と一番争った父上しかいない。その上で判断をよく見て吸収し、いずれその機会を発揮する時まで胸の内に秘めていて欲しい』
ともすれば過剰な程に義元を恐れる信長は、その理由を述べて謝った。
その信長の態度に勝家は慌ててしまう。
『わ、わかりました。いや、そこまで拘って居る訳ではございませぬ。大殿の采配を学ばせて頂きます』
『すまぬな。他の3人も肝に銘じよ。此度の戦いで方円陣を組む必要があった場合、その時の武功があるとすれば、ただひたすら生き残る事じゃ。例えお主らを素通りして来る部隊があっても、それは残りのワシらが相手をする故、下手に追う事は禁ずる。良いな?』
そのやり取りを思い出した信長は、先陣で戦う信秀陣を見る。
すると信長の心が届いたかの様に、信秀の陣から早鐘が鳴らされた。
これ以上粘っても無為になり兼ねない絶妙のタイミングであった。
家督を譲ったとは言え、そこは百戦錬磨の織田信秀である。
その鐘の音に他の先陣4人も気が付き、一斉に鐘を鳴らすと共に、防戦しつつ一気に陣を作り替える。
素早く方円陣となった5陣はとにかく亀のように固まり、敵を引き付けつつ勝機が来るまで耐えるのであった。
【今川軍/今川義元本陣】
当然、義元本陣にも鐘の音は聞き取れた上に、織田軍先陣部隊の動きはよく見えた。
「これは!? こんな戦場のど真ん中で五つの陣が固まって防備を固めるか!」
この展開は義元にとっては面白くない。
これから今川軍は、この防御を固めた相手に付き合わなくてはならないからだ。
無視して信長本陣に向かった場合、これ幸いとばかりに、また突撃を繰り返すかもしれない上に、その時相手をするのは義元本陣である。
槍を合わせてまともに激突し合う先ほどまでなら突き崩すのも可能だが、こうも固まってしまうと崩すのは難しい上に、割れない石を延々割れるまで叩き続けるかの様な、一歩間違えば徒労になり兼ねない作業を強いられる。
徒労とは恐ろしいもので、単なる疲労なら限度はあるが、戦況一つでいとも容易く兵は復活できる。
しかし徒労は精神力を根こそぎ奪いかねない。
もし今の戦況が勝利が確定した追撃殲滅戦なら、この様な形になっても然程問題ない。
最終的には時間が解決してくれる。
しかし今は五分五分の戦況でどう転ぶか分からない。
そうなったら徒労で疲れた兵は復活できず簡単に突き崩されてしまう。
その防御を固めた方円陣に相対しなければならなくなった義元が、『面白くない』と感じるのも無理はなかった。
「チッ! 信長め、古参の老将の様なジジ臭い戦いをしよる! 仕方ない! あの織田軍先陣は囲んで脱出させるな! 絶対に隙は見せるなよ!」
義元はそう言って、信長本陣へ向かった部隊の動向を見守るのであった。
【織田軍/織田信長本陣】
中央では膠着状態となり、回り込んできた今川軍との戦いが始まろうとしていた頃、信長は一つの決断を下した。
「結局、こうなったか……! 仕方ない。残りの部隊で今川を相手にする! 弓部隊に伝令! 北畠と義兄上の援護に徹しろと伝えろ! 滝川隊! 弓部隊の連携を援護せよ! ワシも出るぞ!」
(前々世と同じじゃ。ワシが勝つにはワシが直接刃を突き付けるしかない!)
こうして信長が桶狭間山を下り、攻撃を開始しようとした所、信長本陣に伝令が凶報を告げに飛び込んできた。
「で、伝令!! 北方より、今川軍が現れました! 旗印から太原雪斎と思われます!」
馬上から降りずに信長に直に告げる。
伝令が非常事態と判断すれば、馬上の無礼も織田軍では許しているが、それでもその報告は荒唐無稽過ぎて信じられない報告であった。
「何じゃとッ!? 沓掛城には兄上も、道三も居ったじゃろう!! 何があった!?」
沓掛城には武将の人数こそ少ないが、戦国時代屈指の名将である斎藤道三を筆頭に、織田信広、信行兄弟に平手政秀、佐久間信盛と人材の質では今川軍に決して劣っていない。
それが、こんな戦初日に沓掛城を制圧された上に、桶狭間に援軍に来れる余力があるとは信じ難い。
何かあったのは明白であった。
「か、勘十郎様(織田信行)が寝返りました!!」
「勘十郎が寝返った……!?」
信長は伝令が何を言っているのか理解できなかった、いや、理解したくなくて脳が拒絶した。
史実での前々世では織田信行は家督相続を巡り、二度信長に対し謀反を起こし、一度目は許されたが、流石に二度目は許されず信長が殺害した。
しかし、今回は尾張内乱時に未熟ゆえに敵の口車に乗せられて寝返ってしまったが、それは信秀を含めた信行直臣の失策の面が強かった。
信長という人物は、氏素性が定かではない人物でも能力があれば一切問題ないスタンスをとる、戦国時代でも信長しかやっていない屈指の変人だ。
では血の繋がりを一切無視するかと言えばそうではない。
少なくとも人並みには親兄弟息子娘を大事にしている。
特に娘などは、女の地位が道具同然に低い乱世において、たとえ政略結婚であっても比較的安全な武将や地域、将来性のある家に嫁がせている。
更には、兄弟が打ち取られた時などは、烈火の如く怒り狂っている。
そんな信長は、今回こそは信行にも未来を見せてやりたいと思っていた。
ただ、一回目の裏切りが実際に起こってしまい、もしかしたら歴史の修正力が働いて、どうあがいても二回目の裏切りが起きてしまうかも、という心配と恐れがあった。
それならば、比較的馬の合っている兄と、裏切りでのし上がった道三、織田家を知り尽くす政秀に、保守的な信盛であるならば上手く自分の立ち位置を把握し、再起が図れると思っての沓掛城配属であったが、最悪の形で恐れていた事が起きてしまった。
沓掛城では一体何が起こっていたのか?
話は少し遡る。
【沓掛城/織田信広陣】
信広は道三の示した作戦を頭の中で反芻していた。
(山城守殿の動きに今川軍が釣られるかが勝敗を分ける。城中の我らは……)
「兄上、少し宜しいですか?」
「……? どうした? 何ぞあったのか?」
今の沓掛城は兄と弟で東西の守りを担当している。
今川軍とは睨み合いが続いていて実際に戦闘行為があった訳ではないが、それでも担当場所を大将が離れてくる事態は普通ではない。
何か特別な事があったと信広は察した。
「此度の戦なのですが……。某は尾張内乱の時に大失態を犯してしまいました」
「あれか。あの時はお主も未熟だっただけ。今はこうして三郎が挽回の機会を与えてくれておる。これに応えて名を挙げて見せればよい」
信広は実際に尾張北部で裏切った信行の軍と戦い破っているが、元服したての少年が太原雪斎と言う怪物に洗脳された事は後から聞いた。
『それならばやむを得ない』
理由を聞いて織田家の人間は信行を責める者は居なかった。
太原雪斎の名は、それほどまでに織田家に響き渡り恐れられていたのだ。
「はっ……お気遣いありがとうございます。それ故に決心しました。やれ!」
信行の号令とともに一緒に来た信行付きの家臣達が、信広の側近を次々に討ち取っていった。
「ッ!? 乱心したか! 勘十郎!!」
あまりの突然の出来事に、信広は抜刀する事も適わずに取り押さえられた。
「勘十郎様は乱心などしておりませぬ」
「尾張の行く末を思えばこその心遣いが解りませぬか?」
「……!? 貴様は……!」
「覚えておいでですか。尾張で反乱を起こした信秀に敗れた信友にござる」
「同じく寛貞です。お久しぶりですな」
織田信友に、織田寛貞。
尾張内乱で斯波義統の配下として、共に信秀の反乱に対抗したが敗れて行方不明、あるいは追放処分となっていた。
二人は身を隠しつつ再起を画策していたが、信行の謹慎が解けた頃から姿形、経歴をを偽り接近していたのであった。
二人の思惑は単なる復讐に過ぎない。
自分達を差し置いて尾張を治める信秀一族に我慢がならないが、かと言って、手足となる配下を失った自分たちでは、最早どうにもならない。
そこで目を付けたのが信行である。
寛貞からの情報で正義感あふれる行動を取ると知ってからは、必死で信行を『今は雌伏の時、いずれ来る正義の為に主君である斯波様の為に!』と説得を続け、信行の心を支配し続けていた。
つまり、信行は尾張内乱の時から精神の成長が止まったままであった。
完全に家督争いから外れ、かつては援助してくれた者も日に日に減っていく。
それなのに気を使ってくれる父や兄達の心遣いが、幼い精神が抱える矛盾や疑念と恥辱を解決できずに、ついには壊れてしまった。
太原雪斎の支配は尾張内乱で終わっていたが、その支配を織田に恨みを持つ者が引き継いだ。
それからの信行の行動は、今川の正義を己の解釈で盲目的に信じ、ついには行動を起こす。
それが松平広忠の暗殺である。
本当は氏真と元康を狙ったのであるが、精神の壊れた信行には大差ないと判断し、恥も外聞もなく今川に書状を送り付ける。
要約すれば下記の様な文面であった。
『暴走した戸田一族を止められなかった責は織田にある。龍王丸(氏真)と竹千代(元康)が無事で何より。広忠公の件は残念だが、責任を果たすべく今川の為に働く。尾張の正義の為に』
全くもって意味不明と言うか、犯人しか知りえぬ情報があるかと思えば、今川の為に働くと言ったり、訳が分からない。
しかし義元と雪斎は、最後の信行との署名を見て何故か納得した。
雪斎の洗脳と少年の正義感と幼い精神が、幼稚な理論の下に今川を援護しようとしている事に。
松平広忠暗殺の真相は、織田信友と織田寛貞が暗躍し、戸田一族を使って氏真と元康を殺し、怒りの今川を尾張に引き込んで信秀一族を駆逐する事であった。
その為に信行は利用されたのだが、暗殺が失敗し、壊れた信行は意味不明の書状を義元に出したお陰で、逆に今川は冷静になってしまった。
その軌道修正をする為に、この沓掛城で行動を起こしているのである。
確実な今川勝利の為と、自分たちの復権の為に。
「勘十郎! 貴様正気か!?」
捕縛された信広が信行に怒鳴るが、虚ろな目の信行は意に介していない。
「大丈夫です兄上。これであの大失態からの挽回が叶います……!」
こうして信行一行は沓掛城を内密に制圧した。
この時、場外にいる道三、政秀、信盛は異変に気づいていない。
城兵が農兵である事も災いしている。
後は道三が囮行動を取った時に、城兵全てで政秀隊と信盛隊の背後を突くと同時に、城を今川軍に明け渡してしまえば沓掛城攻防戦は完了である。
太原雪斎の言った『例の策は自分が使う』とは、信行が居る方の軍が内応策を使う、という事であった。
こうして、予定通り囮策を取った道三達は予想外の城からの攻撃に大混乱を喫し、壊走して散り散りとなった。
今の沓掛城は今川軍が占拠し、雪斎と馬場信春が半数を率いて桶狭間に現れたと言う、織田家にとって悪夢の様な戦況であった。




