43話 善徳寺会盟
【駿河国/善徳寺】
「……」
「……」
「……」
甲相駿三国同盟の承諾を太原雪斎が奔走して纏め上げた結果、一度当主同士で顔を合わせる事となった。
しかし三国に属する場所での会談には3人共に難色を示した。
かと言って、三国の領土に影響皆無の場所も無いので、同盟を纏め上げた雪斎が、かつて修行した善徳寺で会談を行う運びとなった。
群雄割拠の時代を代表する今川義元、武田晴信、北条氏康の3名が奇跡的に同じ場所に集まり四半刻。
誰も口を開こうとしない。
(困った方達だ。体は大きいが童の様だ。……心技体揃った童と言うのも変な話だが。いや? 心は揃って無いのか? ……微笑ましい事よ)
雪斎の率直な感想だ。
先に口を開いた者が格下の評価を貼られる、とでも言いたげな不毛な意地の張り合いが続いていた。
(全く……世話の焼ける)
一計を案じた雪斎が手をパァンと叩く。
乾いて良く響いた音に、3人共体をビクリと反応させる。
「和尚! ……ムッ!」
「御坊! ……クッ!」
「御坊! ……チッ!」
3人が同時に抗議し、お互いの顔を見やりバツの悪そうな顔をする。
「(ふぅ……)さて名将と名高いお三方の事、顔を見れば言葉を交わさなくとも分かり合える様ですな。まさに以心伝心とはこの事。拙僧も早くその域に達したいものです」
言外に『いい加減にしろ小僧共!』と仄めかせて言い放った。
「……分かった! 悪かった和尚! 正直に言おう。……何を話したら良いものか迷ってな。ただこの二人を前にして話す事など頭から飛んでしもうたわ」
観念した様に義元が頭を掻きながら白状した。
「フンッ! 海道一の弓取りらしくない発言だな駿河殿(今川義元)? ……ワシも同じじゃ。顔を見たら色々納得してしまってなぁ。特に言う事が無くなったわ……」
氏康が鼻の頭を掻きながらソッポを向いて苦い顔をした。
「なんじゃ! 貴殿らもか! 何とか話題を振ろうと頭を捻って損したわ!」
二人の話を聞いた晴信が自分の事を棚に上げて抗議した。
そんな三人のやり取りを聞いた雪斎は少々驚いていた。
(何と! 本当に以心伝心して……いや、ちょっと違うか。 じゃが頂点に立つ者として感じたり思ったりする事は同じなのかのう?)
「ま、意地の張り合いはこれ位で良かろう。この同盟はお互いの力関係が崩れるまで続く。三竦みなのだからな」
念押しする様に氏康が話し始めた。
その目は徹底した現実主義とでも言うべき冷たい目である。
「そうじゃな。誰かが衰えればすぐさま他の二人に食い破られるじゃろうて」
晴信も同意し暗い目をぎらつかせている。
「せっかく婚姻した可愛い息子、娘たちに恨まれようとも、それは避けられんじゃろうなぁ」
義元も二人の視線を柔らかに受け止めつつ、肩を竦めて仕方ないと同意する。
親兄弟で争う戦国時代に相応しい三人の覚悟であった。
「とは言え、力関係が崩れないに越した事は無いし、息子、娘の悲しむ顔を見たい訳でもない。そこで確認しておきたい。駿河殿は三河、尾張を奪ったらその後はどうしたい?」
氏康が突っ込んだ質問をぶつけ、義元に問いただした。
「そうじゃな。この同盟、駿河殿には我らに無い利点がある。京を狙うかどうかよ。相模殿(北条氏康)はワシらと駿河殿に進路を塞がれて不可能。ワシは信濃と美濃の山中行軍しか手段がないが駿河殿は違う。我らに背後を守らせて気兼ねなく上洛できる立場じゃ。家柄も地の利も圧倒的に違う。さて、如何する?」
晴信が冗談は許さんとばかりに睨みを利かせて氏康に乗った。
そんな二人に義元は何と答えようか迷っていた。
「……京を狙う、と言う事は天下を差配すると同義。それは分かる。我が今川は足利将軍家に連なる家柄故に不可能ではない。じゃがその後どうする? 質問を質問で返すようで悪いが貴殿らならどうする? ワシが心配するのはその後の在り方よ」
「それは……源頼朝公や足利尊氏公の様に、将軍になって武家政権を開くのではないか?」
晴信が当然ではないかと答え、氏康も同意し頷く。
義元が何に対して不安になっているのか、二人には理解できなかった。
「頼朝公は間違いなく天才じゃったと思う。平清盛公が初めて武家で日ノ本の頂点に立った時、政治体制は結局公家の物真似にしかならず、早々に崩壊した。それを頼朝公が清盛公の失敗に学び朝廷から自立する武家政権を確立させた。これは革命的な発想であると思う。しかし革命的過ぎた故に弟の義経公は理解できずに、頼朝公の頭を飛び越えて朝廷から官位を授かった。朝廷からの自立と武士の悲願を成し遂げた兄の偉業を考えれば誅殺されて当然じゃろう。それほど当時としては破格の素晴らしい考えであった」
義元が鎌倉武家政権の成り立ちを語りだして、ようやく晴信も氏康も、義元が何に迷っているのか理解した。
「なるほどな。鎌倉武家政権は150年で滅んだがそれは良い。なにせ日ノ本初の試みだったのだからな。しかし尊氏公はその失敗した武家政権をそっくりそのまま……とは言わんが踏襲して今に至るって訳か」
氏康が合点がいったように話し始めた。
「同じ体制の武家政権では同じ失敗を繰り返すだけ、と言いたい訳か。しかし代替案が思い浮かぶわけでもない。さて困ったな」
晴信も武家政権の在り方を考え始めていた。
「そうじゃ。誰もが今の乱世から、昔と同じでは駄目だと学んでおるはずじゃ。少なくとも単なる足利将軍家の立て直しを図ろうとする者以外はな。じゃから誰もが『私戦』に明け暮れはするも『天下統一』を口にしない。新しい案が無いからじゃ。少なくとも頼朝公を上回る案が無ければ約400年前から進化せず、さらに数百年後も変化が無くまた乱世に逆戻り。このまま案の無い者が力を付け続ければ必ずそうなるであろう。これが貴殿らの質問に答えられないワシの素直な答えよ」
「むぅ……」
「チッ……」
三人ともまた黙り込んでしまった。
(同盟の話から天下に至る話に飛躍してしまったか。順当に行けばこの3人の誰かが達成する可能性は高いが、御仏にも難題な案件よの)
雪斎はもう一度助け船を出した。
「皆様、この案件は一日やそこらで導き出される案ではありますまい。日ノ本史上誰も成し遂げた事の無い案を出そうとしているのです。日を改めた方が良いかと思われますが如何か?」
「そうじゃな。日が暮れるまで思案しても思い浮かぶ事はあるまい。それよりも、それぞれの当面の計画を話して意思の統一を図るとしようか。まず我が今川は貴殿らの質問通り三河と尾張を併合する。甲斐殿(武田晴信)は?」
「信濃平定と……南下はできんからのぅ。北を目指して海を手に入れるか。相模殿は?」
「関東平定だな。その後は西には行けんから奥州か。しかしあそこは旨味があんまり無い。甲斐殿と共同で越後を攻めてもいいな」
「なるほど、同盟の利害を考慮した素晴らしい計画だと思います。その上で当家が尾張に侵攻する時は―――して頂けるとの事。そこで拙僧から提案があるのですが、新しい天下を差配する案がある方に残りのお二方が道を譲り上洛するのを補佐すると言うのは如何でしょう? それまでは各自同盟を活かして領土を広げ発展させ、いずれ来るその時まで力を蓄えて頂くのです」
雪斎の案は現時点では妥当と言える提案であった。
「そうじゃな。それが良かろう。あまり刻をかけては我らの領土管理に影響もある。ここらで解散とし、あとは書状でやり取りして、必要に応じて集まるとしようか」
「うむ」
「異存はない」
雪斎と義元の提案に、晴信と氏康も同意し国に帰還した。
こうして史実に記される善徳寺の会盟は、5年も早く実施され幕を閉じたのであった。
二人が領土に帰還する為に退出した善徳寺で、義元と雪斎が茶を飲みながら一息ついていた。
「ふぅ! 疲れた! 出来れば奴らとは二度と顔を合わせたくないのう!」
季節に反して汗をかいた義元は、着物をバタつかせて体に風を送り込んでいる。
「左様ですか? フフフ。拙僧には殿に相応しき遊び相手と見受けられましたが?」
雪斎は、3人が顔を合わせてからの無言の攻防を思い出して笑い出した。
そんな雪斎に義元は苦い顔をしながら講義する。
「虎と獅子と遊ぶのは勘弁願いたいわ。そんなのは狂人のやる事よ」
「それでも当面はあのお二方と遊ぶ必要は無くなりました。今からの遊び相手は尾張の『うつけ殿』になりますな」
「信長か。『うつけ』と遊ぶなら狂人である必要はないが……。じゃあ誰なら遊べるかのう?」
信長の話題が出たところで、義元はふと気になった事を口にした。
「そう言えば、奴が新しい天下を作るとしたら何を始めるかのう? 奴が『うつけ』なのは常人が理解できないだけじゃ。つまり頼朝公を上回る才を有する可能性がある。昔から言うじゃろ。馬鹿と天才は紙一重とな。奴は間違いなく馬鹿ではない。ならば天才しかありえん。どれ程の天才かは測りかねるが」
「拙僧には及びもつきませぬが、しかし新しい天下ですか。どれ程の準備が必要になるのか想像もつきませぬな。近隣諸国を攻め取るなら幾らでも策は出せますが、天下を統べるとなると拙僧では最早時間が足りませぬな」
雪斎は人間50年の時代で、すでに53歳。
明日死んでも何ら不思議ではない。
天下を考えるには流石に時間が足りないと感じていた。
「尾張を攻め取ったら何か理解できるかもしれんな。フッ。我ながら恋する少女のようじゃ。最近暇さえあれば信長の事を考えておるわ」
義元はそれほどまでに信長を評価していた。
伊勢侵攻も和睦を結んだばかりで、尾張に手出しができぬこのタイミングで始めた事も高評価である。
「伊勢を併合した織田は、我らに近い戦力を有する事になると言うのに、何故か楽しみにしている自分がおる。フフフ。支配者失格じゃな」
「遊び相手として不足はありますまい。織田を下したら、家臣に迎えますかな?」
「おう! それは良いな! 今までに無い新しい何かが発見できるであろうよ! 奴を飲み込んで新しき世を考えるとしよう!」
そう決意した義元は善徳寺を後にするのであった。
【駿府国/駿河城 今川家】
「これは……ッ!?」
会談から時が経ち、南伊勢を制圧した信長の書状に『天下布武』の印が押されていると言う、驚天動地の情報が駿河にもたらされた。
この印をもって信長は天下統一を目指し、敵対する全ての敵対する大名を打ち倒すと宣言したのである。
「和尚!! 織田の『天下布武印』について聞いたな!?」
興奮冷めやらぬ義元は、雪斎に詰め寄りながら話かかけた。
「はい、正直信じられませぬ……!! たった三国を制圧しただけで、天下統一を明確な意思の下に宣言しております! 実力を知らぬ者からすれば、もはや『うつけ以下』の狂人宣言と取られましょう……!」
「だが、狂人と舐めてかかった諸大名は、悉く信長に対して膝を折るであろう! 奴ほどの『うつけ』じゃ! 天下を統べる方策があると見て間違いない! これは是が非でも真意を確かめねばならん! 和尚! 信長との会談は無理か!?」
「信長との会談ですか!? 常人なら乗ってこないでしょうが、信長なら意外とあっさり承諾するやもしれませんな。物は試し。打診してみますか……!」
こうして今川家は織田家に書状を送り、会談の打診を申し出たのである。
すると織田家は驚くほどあっさり、いや、信長らしい即決即断で了承の旨が伝えられた。
そこで雪斎は自ら尾張に使者として乗り込んで、場所と日時のすり合わせを行う為に駿河を発った。
あまりにも油断ができない信長を、主君に先んじて一目見ておく為である。
【尾張国/那古野城 織田家】
「お初にお目にかかります。拙僧は今川家家臣の太原雪斎と申します」
「ほう、御坊があの太原雪斎殿であるか。昔から親父殿を虐めてくれたらしいのう! ハハハ!」
雪斎は初めて見る信長を、一瞬自分と同年代であるかと疑った。
あまりにも風格がありすぎる佇まいに、若すぎる姿が全く目に入らず幻影を見たのである。
そんな幻影を振り払いつつ雪斎は話し始めた。
「当時は織田と今川は敵対しておりましたからな。しかしながら今は和睦を結んだ間柄。過去は水に流していただけると助かるというものです。書状にて確認して頂けたかと存じますが、我が主は尾張殿との会談を希望しております。その希望を聞き届けて頂けたので、後は日時と場所を決めたいと存じます」
「当家も今は立て込んでおってな。すぐにとはいかん。が、ワシも駿河殿との会談は楽しみで仕方がない。従って日時は年明けての春。4月の初日としておこうか。場所は桶狭間にある長福寺でどうじゃ? 三河からも近いから不都合は無いと思うぞ?」
「こちらとしては無理を聞いてもらった身。異存はありませぬ。では主にはその様に伝えましょう」
こうして会談の日取りが恐ろしくあっさり決まった。
正にトントン拍子である。
(それにしても桶狭間は長福寺か。もし尾張に侵攻したら主戦場となり得る土地であるな。僥倖と言うべきか? 織田が気付いていないだけなのか? ……いや、知った上で故意に選んだ場所と見るべきじゃろう!)
もちろん場所の指定は信長の思惑がある。
歴史修正の為と、強烈な歴史変化を期待してである。
長福寺とはどんな場所か?
それは史実において、桶狭間で討ち取られた今川義元を供養した寺である。
こうして史実ではあり得なかった会談が実施される運びとなったのである。
信長と義元の運命の交錯まであと5ヵ月―――
5章 天文18年(1549年) 完
6章 天文19年へと続く




