42話 甲相駿三国同盟
織田家が伊勢に侵攻を始めた頃、今川家の軍師である太原雪斎が忙しく動き回り、相模の北条氏康、甲斐の武田晴信(武田信玄)の元へ足しげく通っていた。
目的は今川を含めた三国で同盟を結ぶ為であり、大詰めを迎えようとしていた。
ここ近年の三国の動きは、北条は関東管領の上杉憲政と、古河公方である足利晴氏を2年前に打ち破り(河越夜戦)関東の覇者としての地位を不動のものにしていた。
しかし、上杉と足利の後ろには武田と今川がいた為、両家とは緊迫した関係になっており、また、つい先日起こった大規模地震の対応もあり、関東の足を固めたい北条にとって現在の状況は頭の痛い問題であった。
武田は今川とは婚姻同盟を継続しているが、北条家の躍進が無視できない勢いとなり、折り悪く村上義清との争い(上田原の戦い)で大敗を喫し家臣や兵を多数失い、しかも自身も負傷しており早急な立て直しが必要で、今川や北条との争いは可能な限り避けたかった。
今川は武田、北条に比べて余裕のある立場であるが、竹千代を取り戻し、三河を集中的に取り込むため、武田や北条に関わっている暇が無い。
その他には三国共通で小競り合いが頻発しており、思った様に動けないのが悩みであった。
それ故に三国の現状と問題と利点をまとめ上げ利害が調整できれば、お互いが背後を気にする必要が無くなり、絶大なメリットを発揮する同盟となるはずであった。
ただ、史実よりも5年も早い同盟は、各当主もまだ若くプライドが高いので、弱みを見せた交渉は足下を見られる事を恐れ率先して動きにくい。
その辺りの機微を読み取った太原雪斎が『一番有利な立場にある我等が動く方が、武田、北条の面目を保ちつつ同盟を結ぶ事ができるでしょう』と提言し、甲斐と相模へ旅立っていった。
【甲斐国/躑躅ヶ崎館 武田家】
「こうして御坊と顔を会わせるのは、何度目であるかな?」
寒風吹き荒ぶ躑躅ヶ崎館で、野性の獣を思わせる危険な圧力を発する男が太原雪斎に話しかける。
甲斐武田家当主の武田晴信である。
そんな常人では逃げ出したくなる圧力を、涼やかに流しながら雪斎が答える。
「確か5回目、になりますかな?」
「そうか、そんなにもなるか。甲斐、相模、駿河と駆け巡るのは老体には大変であろうに。体を労らねば駿河殿が御心配しなさるぞ?」
熱心に甲斐に通う雪斎に、半ば根負けした晴信は皮肉を込めて言った。
「決して楽ではありませんでしたが、これも民の笑顔を思えば苦しくとも力は湧いてくるもの。修行の一環と思えばこそです」
皮肉を民の笑顔に絡められて返され晴信は遂に折れた。
民こそが武田の命綱であるので、そこを攻められては返す言葉もない、と言うよりは、自分が折れるに足る言葉を待っていたとも言えた。
「分かった。ワシの負けよ。同盟は承諾しよう。正直申せばこの同盟に反対する理由は無い。それにしても甲斐、相模、駿河の同盟か。とんでもない構想よ。ワシはそんな三国同盟に至る発想と実現できると考えた自信の在り処が知りたい。御坊が考えた策であるか? もしそうならこのまま武田に仕えぬか?」
「お戯れを。それにこの策の発案者は我が殿にございますれば、拙僧を引き抜いた所で武田のお役に経つ事はありますまい」
「クックック。寺では冗談の修行でもするのか? 太原雪斎を手に入れられるなら城一つ失っても釣りがくるわ」
本気で晴信はそう思っている。
それほどまでに太原雪斎の名は諸国に響き渡っていた。
「過分な評価、誠に痛み入りますが、拙僧も弟子を抱えておりますれば……。慎んで御辞退申し上げます」
雪斎は龍王丸と竹千代を思い浮かべ、剃り上げた頭を深々と下げた。
晴信は、全く攻略の糸口を見せない雪斎に今度こそ負けを認めた。
「フッ……! ハハハ! 参った! ワシもまだまだじゃな! 御坊に比べれば赤子同然よ! 同盟の件、改めて承諾しよう!」
「はっ! ありがとうございます!」
「しかし、このまま御坊にやり込められては、ワシも家臣に示しがつかん。そこで追加で2つ願いを聞き入れてもらいたい。なぁに、先の同盟条件に変更はない。あくまで追加じゃ」
「と、申しますと?」
晴信は負けを認めてはいたが、そのまま雪斎を返してしまっては今川の言いなりと見られ面白くないので、意地の悪い顔をしながら追加案を打診してきた。
「今川の目的は三河と尾張の併合であろう? 尾張織田家は美濃と手を結び、北伊勢も併合したと聞く。じゃから―――と―――。どうじゃ?」
この晴信の提案は雪斎も顔色を変えた。
ただ、ここで断って晴信に同盟を撤回されても困るので、受け入れる他無かった。
「……。分かりました。その配慮痛み入ります。我が主も喜ぶ事でしょう」
「そうかそうか! 駿河殿にその時が来るのを楽しみにしている、とお伝えくだされ」
そう言って晴信は笑い、雪斎は苦い顔をした。
晴信の提案は困ることは無いが、だからと言って嬉しくもない提案であった
こうして武田との約定を取り付けた雪斎は、その足で相模の小田原城に向かった。
【相模国/小田原城 北条家】
北条氏康の居る小田原城は、史実にて上杉謙信や武田信玄の猛攻を跳ね返した難攻不落の城であるが、現時点では、そこまでの威容は無い。
とは言え伊勢宗瑞(北条早雲)、北条氏綱、北条氏康と天下に比類なき名将三代に渡って管理された城は、既に難攻不落と言っても過言ではなかった。
そんな城で太原雪斎は氏康と対面しており、晴信の同盟承諾の書状を読んでいたが、同盟内容についての文に、氏康の予想通りの文言が書かれていてニヤリと笑った。
武田晴信とは違った意味で獰猛な雰囲気のある実に意地の悪い笑顔である。
晴信が常に隙を窺う張り詰めた虎なら、氏康は獲物を前に悠然と寝たフリをする獅子の様であった。
「フフフ! 言ったであろう? 晴信の奴がやり込められたまま終わるはずがなとな!」
「相模殿の慧眼恐れ入りました。ですが、これで相模殿の条件も同時に達成出来た事になります。三国の同盟、承諾して頂けましょうや?」
氏康にとって同盟は願ってもない話であるが、『簡単に靡いて足元を見られるのが嫌だ』との理由で『武田が承諾したら応じる』と同盟条件を付けた。
とは言え駄々っ子の様な振る舞いも氏康の遊び心で、本心は今川との単独同盟でも御の字と思っていたのである。
それに現状の武田晴信が、今川の提示する条件で納得するはずもないと読んでいたので、武田の条件と同条件で同盟に応じると雪斎と約束していた。
「無論だ。ここまで動いてくれた御坊に報いる為にも同盟は承諾しよう。その書状通りにな!」
「書状通り……。確かに武田と同条件でこそ、この同盟は成り立つ物。止むを得ますまい。甲斐殿に許して相模殿を除け者には出来ませぬな。我が主も嫌とは申しますまい」
三国同盟の要点は『史実通り三国で改めて婚姻同盟を結ぶ事』である。
すなわち『今川家の嶺松院が武田家の武田義信に』『武田家の黄梅院が北条家の北条氏政に』『北条家の早川殿が今川家の今川氏真に』それぞれ嫁ぎ、三竦みの形となり成立する同盟であった。
雪斎もそこまでは計算範囲であった。
三竦みの同盟は狙い通りだったが、史実に存在しない、武田が追加し北条が乗った2つの条件が、今川にとっては喉に刺さる魚の小骨の様な条件であった。
【駿河国/駿府城 今川家】
「ま、仕方あるまい」
雪斎からの報告を受けた義元は、別段困る顔をしなかった。
「しかし、まさか奴らの方から街道を繋げたいと申し出てくるとはなぁ」
武田と北条が出した追加の2条件の1つが、三国を結ぶ街道の整備であった。
今川家では織田を真似して三河、駿河、遠江の三国を結ぶ街道を整備している最中であった。
織田とは違い、舗装はせずに道幅を広げる事を優先したので、それなりの形だけは出来ていたが、ただ、その形だけの街道も威力を発揮し物流が活性化しつつあったが、その活性化のカラクリに武田と北条は気が付いた。
武田も北条も優秀な忍者集団を抱えており、その情報が知れ渡るにつれて単に軍事活動に限定されない街道の重要性を認識していた。
三国が街道で結ばれればその効果は計り知れないし、仮に同盟を破棄した場合は街道を利用して即座に攻め寄せる事もできる。
織田の濃尾街道が商売最優先に対し、甲相駿三国街道はお互いの監視と抑制も兼ねた街道となり得る案であった。
「欲の皮が突っ張る御仁達故に、単なる同盟では納得して頂けませんでした。誠に申し訳ありませぬ」
雪斎は申し訳無く思い渋い顔をしながら謝罪したが、義元はそうは思っていない。
「そう悲観する事はないぞ和尚。街道の利点は欠点を補って余りあるし、我らが織田を併合すれば奴らがどう足掻いても太刀打ちできない勢力となる。織田は伊勢を手中に収めようと躍起になっておるが、三国同盟が成る以上、決して互角の勢力にはならぬ。2つ目の同盟条件もあるしな。織田は伊勢も含めた街道を整備するハズじゃから、そっくりそのまま頂くのも悪くはないな」
雪斎が特に苦い顔をした2つ目の追加条件も、義元にはどこ吹く風であった。
これが、ともすれば楽観主義とも取られそうな義元の性格こそが、今川躍進の強みである。
リスクを恐れて並の武将なら二の足を踏んでしまいがちな厄介事も、全て結果でねじ伏せる楽観と剛腕がこそ今川義元の本領なのである。
もちろん手痛い失敗もあるが、そこは相手も死に物狂い故に仕方ない部分もある。
しかし失敗からの挽回力は他の追随を許さない。
(これこそが我が弟子最高傑作の戦国大名、今川義元であったな。ワシも歳を取ったわけよ)
雪斎も義元の性格を思い出し、要らぬ心配であったと反省した。
(何か不備があるならワシが補佐すればよい。その補佐すらも全て学び吸収した時、今川義元が完成するのだ)
義元、雪斎のコンビは、義元が幼い頃からの仲である。
今川家の五男として生まれた義元は万が一のスペアも既に十分だった為、家督とは無縁の存在で幼少より雪斎に預けられ修行に励んだ。
内容は仏法、戦略、政治について。
雪斎は軍略にも明るく、また義元の才能も高く評価しており、いずれ来る飛躍の時の為にあらゆる事を叩き込んでいた。
こうして期を待ちつつ、ついにその時が来る。
当主であり兄の氏輝が急死し、次男の彦五郎までが何故か同日に急死し、家督継承権を三男の玄広恵探と争い(花倉の乱)、これを制して今川家当主となった。
阿吽の呼吸で抜群のコンビであった二人は瞬く間に駿河、遠江を制し三河を従属させて大大名となったのである。
「さぁ和尚! 同盟が相成ったからにはのんびりする暇などないぞ! 街道整備に商業推進、三河掌握! やる事は山積みじゃ! 尾張が手に入れば京も視野に入る! 和尚の隠居は当分無いぞ! ハハハ!」
高らかに笑う義元を雪斎の目には、王者の風格を見せる太陽の如き人物に映った。
「まったく! 年寄りをこき使いよる! 手の掛かる弟子じゃな!」
ついつい主従関係を忘れた口調になってしまった雪斎は、今川家の栄光を思い浮かべ義元と共に笑うのであった。
(ヒィィィ!)
なお、その様子を隣でうかがっていた龍王丸と竹千代は震えあがっていた。
雪斎の機嫌が良い時は、修行レベルが格段に上がるのである。
僧なのに武芸にも明るい雪斎はその指導も行っているが、腕前は帰蝶以上なので二人は生傷が絶えない。
雪斎は自分を年寄りと言ったが、幼い二人は微塵も信じていない。
年寄りの皮を被った闘神と信じて疑わなかった。
(よし! 竹千代! 逃げるぞ!)
(ハイ!)
二人は城下に逃走し、先回りされた雪斎に捕まってしまったのはまた別の話である。




