4話 時間樹
【ファラージャ研究室】
ファラージャは事も無げに言った。
「今から5次元空間に移動します」
移動する直前に受けた説明で、1次元から3次元は図解のお陰で言っている意味は分かった。
(成程、そんな表現があるのだな。『点』が0次元、点を連続させた『直線』が1次元、直線を並列に並べると2次元の『平面』、平面を積み重ねて『立体』とした物が3次元で、そこに『時間』の次元で4次元……成程。5次元はその4次元を見る事が出来る空間である、と)
かつて地球が丸い事を理解した信長である。
完全な理論として理解せずとも、これが正しい事を理解した。
一方、帰蝶は澄ました顔をしていたが、全く理解が追い付いておらず目が泳いでいた。
「である……ッ!?」
信長が『であるか』と言い掛けた所で、いきなり場所が変わった。
5次元空間に移動した様で、前方には白い柱の様な物がある。
頂点は見えるが、下の根本は全く把握出来ない程に遠くにある。
「これが『時間樹』と呼ばれる、って言うか、私が勝手に名付けたのですが、過去から現在までの時間と分かれ道が表されている樹です。」
(1億年後の未来も驚きの連続であったが、これは……凄い! 壮大、荘厳とはこう言う事か!)
時間樹とその空間の圧倒的スケール感じて、かつて築城した安土城は当然ながら、見物し感動した日本一の富士山すら急に小粒な思い出に書き換わっていく。
「……於濃、口が半開きだぞ?」
「……上様こそ」
「あそこの樹の最先端が、私達が居た時間です。その最先端より僅かでも下に位置するのは全て過去です。今からその遥か下の方にある信長様の居た時代に戻ります。1億年とは言え、戻るのは一瞬です。さぁ行きましょうか」
ファラージャはさも当然の様に話した。
「待て! 色々説明が抜けておるであろう!?」
如何に信長と言えど1億年の差には容易に追い付けない。
任せると決めてはいたが、これでは流石に付いて行けなかった。
「あっ、ごめんなさい、ちゃんと説明します」
自分にとって常識でも他人は違う。
更に信長達は生きていた時代も違う。
その差を理解していても、つい端折りがちになってしまっていた。
「うむ、ではあの時間樹と言ったか? 幾つか見える枝は……誰かが干渉し歴史が分かたれた分岐点と言う事か?」
信長はいきなり時間樹の核心を突く質問を繰り出した。
まっすぐ伸びる一本の幹の上の方、最先端の部分は分裂し枝となり、そのまま進み始めている。
「そうです。枝は誰かが、って言うか私がテストした結果ですけど、その時間に介入して歴史を曲げたのです。アレは言ってみれば『もしこんな結果だったら?』と言う場所の分岐点です。5次元空間に移動出来るかテストしただけの結果なので歴史変化と言うには弱いですが、それでも変化は変化です」
「そう言うものか……」
「この技術は開発されたばかりです。いずれ技術が広まればまさしく樹の様に枝が伸びて行くでしょう。そうすれば例えば信長様の時代から約400年後の日本対南蛮諸国が無かった未来とか……」
「日本対南蛮諸国だと!?」
「あっ!? しまった!?」
ファラージャは過去の歴史を教えないと言ったのに、早くも口を滑らせてしまった。
しかし信長はそんな些細な事よりも、四方八方に敵を作る正気とは思えない話に絶句した。
かつて織田包囲網を敷かれ何度も絶体絶命の危機に陥った経験がある信長にとって、ファラージャの説明した状況は、まさに悪夢の様な状況でである。
「あー……絶対に真似出来ない事なので口を滑らせたついでに言ってしまいますが、400年後の戦争で……何と説明しましょうか……えーと、原子爆弾と言う例えるなら……物凄い高性能で大きな焙烙玉? ともかく一発で数万人と街丸ごと焼き払い全てを灰燼に帰す悪魔の兵器が安芸に落とされました。今となっては化石にも等しい玩具みたいな兵器ですが、信長様の時代に例えるなら火薬と鉄砲の導入に等しい戦争産業革命の一つでした」
「数万人を一発で……」
信長からすれば想像の及ばな無い科学の力で出来た未知の兵器なので、何となく城サイズの焙烙玉が安土城を城下もろ共に一瞬で吹き飛ばす光景を思い浮かべた。
「……」
(日ノ本にそんな兵器が使われる事態になろうとは……。当時の日ノ本がその爆弾を使わねば倒せ無い程に強大な国家だったのか、はたまた軍の大将の失策なのかは分からんが、かつて見たあの球状の世界地図を見る限り、身の丈に合わない戦争を仕掛けて袋叩きに合ったのでは無いか?)
信長はそんな気がして眉をひそめた。
(これも天下布武失敗が遠因なのじゃろうか?)
「ここまでは良いですか?」
ちっとも良く無いが、とりあえず先に進んだ。
今は起きてしまった歴史より自分の事が優先である。
「一度戻った先から別の時間に行く事は出来るのか?」
「再度の時間跳躍は何らかの理由で死んでしまった場合だけで、その時はまず私の研究室に戻る様になっています」
「ふむ……では戻るのは良いとして、いつの時代に戻る気だ?」
「それは信長様次第です。信長様が存在して尚且つ強く思い描いた時代に勝手に吸い寄せられていきます。逆に言えば、自分が知らない場所、存在しない時代には行けません。400年後の未来世界にも源平合戦時代と言った過去にも行けません。行けるのは自分が知る存在して居た時代だけです」
「つまり生まれて意識を自覚した時から死ぬ直前、すなわち本能寺の真っ只中までか?」
どうせなら別の時代を見たかったが仕方ないと諦めた。
「そうです。本能寺真っ只中では、どうやっても同じ結果ですから、出来ればもっと前の時代をお勧めします」
「では、ふぁらあじゃ殿はここに残って見守るのですね?」
当然の疑問を帰蝶は口にした。
「そうですね。とりあえずサポート……陰ながらの手助けに徹しようと思います」
「え? この場に居ながら? どうやって?」
帰蝶は素っ頓狂な声を上げた。
「実は私は……帰蝶様の遠い血縁者なのです。その血縁関係を利用します」
歯切れ悪くファラージャが答える。
本当は違うのだが詳しい説明が出来ないので、それっぽい事を言って誤魔化した。
「そうだったんですか! 初めて見た時からふぁらあじゃ殿には親近感を感じていたのですが、理由が分かって納得です!」
(確かに似ている――)
改めて二人を見比べると類似点が多数見つかる。
(髪型や色が違うので気が付かなかったが、言われてみれば今の若い於濃にそっくりだ)
信長は血の繋がりと言うのを改めて感じ取った。
「帰蝶様は本能寺の変の前に夢を見ましたよね? あれは私が未来の技術で伝えたものなのです。この時間樹と血のつながりがあればこそ出来た技術なのです。今際の際に帰蝶様を思い浮かべてほしかったのは、血の繋がりを利用して魂を呼び寄せ、こちらで作った肉体に魂を封入する為だったのです。ザックリ言えば、行くも戻るも血の繋がりが必要なのです」
(魂……! 魂は存在するのか……!!)
しかし、信長は移動に必要な要素に魂があり、それが存在する事の方に驚いていた。
長年の経験で宗教に対する信仰心を失った信長なので、宗教と密接に関わっていた魂の存在は少なからず衝撃を受けた。
「ではワシは戻った先でどうなるのだ? 若いワシが居て、今のワシも存在する事になるのか?」
「単なる時間移動ですとそうなると思いますが、今から行うのは肉体から魂を抜いて移動させる方法、タイムリープと言うのですが、これは元の時代の自分に乗り移る感じです」
「たいむりいぷ……?」
「そうすると、私はまた病弱だった頃に戻るのでしょうか?」
非常に落胆した表情で帰蝶が聞いた。
「いえ、魂の情報から病気を取り除いて戻しますので大丈夫です。今回の計画には帰蝶様の協力が欠かせ無いので万全の体調でなければ困ります。この一点だけ今の技術で歴史を改竄します」
帰蝶の顔はまた明るくなった。
(病気じゃ無い於濃はこんなに明るい性格だったのだな)
信長は妻の初めて見る姿に新鮮味を感じつつ、最後の質問をファラージャに聞いた。
「仮にこの計画が上手くいった場合、お主はどうするのだ?」
「時間跳躍技術をつかって上手くいった世界に移住します」
「この世界に未練は無いのだな?」
「全然ありません」
ファラージャは即答でキッパリと言い放った。
(……まぁ、1億年後がアレではそれも致し方ない)
「良し、では今までの話を要約すると……」
・跳躍先から更なる跳躍は技術が確立された期間の時代でのみ有効(信長には全く無意味)
・死んだ場合は未来のこの時間に戻される。
・戻れる時間は生まれて意識が芽生えた瞬間から本能寺で死ぬまで。
・時間移動しても同一人物が二人存在する事は無い。
「では……秀吉に毛利攻略を命じる前に戻るとするか。秀吉と光秀の役割を入れ替えて本能寺から光秀を遠ざけよう。手早くやり直すには最適であろう。どうじゃ?」
「確かに一番手っ取り早いでしょうね。しかし……」
「ならば天正5年に向かうとするか! なぁに、やり直せるんなら天下統一したも同然じゃ!」
その瞬間、信長は時間樹に吸い込まれて行った。
「あっ!? 待って!!」
「上様!?」
突然魂が抜けた信長に二人は叫んだが、聞こえるはずも無かった。
二人が完全に同一時代に行くにはお互いの体に触れ合っていく必要があったのだが、説明を聞く前に天正5年を想像した信長は一人で旅立ってしまった。
こうして5年後、2度目の本能寺で羽柴軍に攻められ、またも自害してこの場に戻って来たら、5年間ですっかり性格の変わった帰蝶に特大の溜息と共に言われた。
「はぁ~。死んでしまうとは情けない」
長々と前置きが続きましたが次章から本格的に歴史に干渉していくと思います。