40話 真・家督相続 天下布武
【尾張国/末森城 織田家】
尾張に帰還したした信長は報告の為に父の居る末森城に入っており、その控え室では伊勢遠征に携わった面々が、いろんな思惑を胸にしていた。
柴田勝家は尾張内乱での失態を補って余りある活躍をしているが、皆の前に出て良いのか不安げな表情で、微動だにしていないが眉間に皺をよせて難しい顔をしている。
服部一忠、毛利良勝、茜、葵は野盗討伐と尾張内乱の時に援軍として信秀と共闘しているが、信秀の身分を無視した応対はやはり心臓に悪く、これまた難しい顔をしている。
丹羽長秀、池田恒興、塙直子、藤吉郎は信秀の存在は知っているものの、直接顔を合わせて、しかも場の主役として会うのは初めてで可哀想な程、落ち着きがなくソワソワしている。
森可成、塙直政、飯尾尚清は特に不安げな様子は無く、順調に武功を立てたので誇らしげな顔をしている。
一方で、信長と帰蝶は瞑想しているかの如く、目を閉じてじっとしていたが、それは外観だけそう見えるだけで当然テレパシーで会話している。
《こういう特にする事が無い時のテレパシーは本当に便利ですねー》
《そうだな。お陰でヒマでしょうがない時は助かっとるぞ。ファラよ》
信長と帰蝶は控室で雑談に興じていた。
《私もこちらではサポート以外特にする事が無いので、雑談は大歓迎ですよ!》
ファラージャは、基本的に居住を兼ねた研究室で生活の全てが可能なので、一切外に出る必要がない。
それに資料でしか目撃できない戦国時代のリアルな情報を楽しんでいるので、今の役目に幸せすら感じていた。
《ところで、皆面白い顔をしていますねー。森さん、塙さん、飯尾さんは早く皆の前で褒められたくて仕方ないって顔をしてますねー》
歴史上の人物の子供っぽい仕草に、ファラージャが新発見をしたかの様に驚いている。
《褒めると言うのは極めて重要じゃぞ? 人は幾つになっても、例え死ぬ間際であろうとも褒められたいのじゃ。ワシも褒める時は成るべく大げさに褒めたわ。褒めるのはタダだしな。それでやる気になってくれるなら儲けものじゃ》
《み、身も蓋も無い……》
《そうよ? ファラちゃん。私も武芸の指導で気が付いたのだけど教える時は、見本をみせて、聞かせて、実際にやらせて、最後に褒め無いと人間成長しないのよ》
《(山本五十六みたいな事を言い出したわ。一流の指導者はそう言うモノなのかしら?)それにしては帰蝶さん、手加減は一切ないですよね?》
《そりゃあ、簡単に一本取らせたら成長しないわ。考えて努力して実践するってのを無意識にできるまで一本取らせたりしないわよ。下手な自信は戦場ですぐ死んでしまうわ。これは貴女の教えでもあるのよ?》
帰蝶は未来色調特訓で受けた訓練を、時代相応で出来る事を実践して教えているに過ぎない。
《確かにそうですが、佐々さんも、犬千代さんも大変ですねー》
この場に来ていない佐々成政と犬千代が、特大のくしゃみを同時にした。
「お、誰ぞ噂しとるぞ! こりゃあ女子じゃ!」
「佐々の兄貴! そう言って前に振られたばかりじゃ無いっすか!」
長野城での戦いで仲良くなった二人は、勘違いしつつ談笑し信長達の帰りを待っていた。
《しかし権六(柴田勝家)の奴は難しい顔をしておるのう。尾張内乱の失態は十分取り返したであろうに。前々世なら三左衛門(森可成)達と変わらなかっただろうが、信行の反乱と今川に捕縛されたのが余程身に染みたのか? やはり歴史の修正のせいか少しずつ性格にも影響が出ておるようじゃ》
《そうみたいですね。権六殿の変化は良い方向だと思います。それにしても、その他の面々は……うーん、仕方ないとは言え落ち着きの無い顔をしてますね。藤吉郎殿など、あれが成長して羽柴秀吉になるのが想像できないんですけど……》
帰蝶の言う通り、藤吉郎は全く似合っていない正装の着心地が悪いのか、5秒もじっとしていられずにいた。
《まぁ、奴の身分を考えれば、こんな所に来るなど異例中の異例であろう》
そうこう話ている内に広間の準備が整ったのか、信秀の入室を促す声が聞こえてきた。
「よし! 皆行くぞ! 飲まれるなよ?」
そう言いつつ、小姓が襖を開けて見えた光景に信長が驚いた。
一斉に平伏する家臣達に一切の隙が無く整然としていたのである。
それもそのはず、伊勢平定作戦が始まる前は信長の能力に懐疑的であった家臣も、2年掛からず伊勢を平定した手腕には疑う余地はない。
以前は侮りや蔑みと言った感情は、声に出さずとも必ず態度に出ており、どれだけ頭を下げた所で心の中では馬鹿にしていたが、今や一切の負の感情は無かった。
そんな家臣の変化に信長自身が驚いて飲まれてしまっていた。
「三郎様?」
後ろに控えていた勝家が不審に思い尋ねる。
「う、うむ! 行くぞ!」
慌てて歩みを進める信長に後ろに控える主役達が、左右に控える家臣の間を通って行った。
さすがに、この場に入ってしまった後に不安げな表情をするものはいなかったが、藤吉郎だけは頭や肩を窄めて一生懸命目立たない努力をしていた。
皆がそれぞれの歩調で信秀の前に進み出て、一斉に平伏する。
「面を上げい!」
信秀の言葉とともに顔を上げる一同。
「此度の伊勢平定誠に見事である。ワシが尾張で何十年と燻っておったのに2年掛からず伊勢を、おまけに志摩まで平定し、伊賀とも繋がりを持った手腕は見事である。さて……皆に問おう。三郎の織田家継承に異がある者がおれば遠慮なく申すがよい」
かつて伊勢平定作戦が発表され唐突に信長の家督継承が決まった。(26話参照)
この時は、信広の率先した行動につい流されてしまいっていたが、『うつけ信長』のイメージは絶大でどうにも信用が置けなかった。
それを見越した信長が実力を見せる為に、2年で伊勢を平定すると宣言していたのだが、実際に文句の付けようのない結果を示されてしまっては、隠された実力に疑いようがない。
そんな気持ちが家臣の心に根付き、嘘偽りの無い平伏に表れていたのであった。
「全くもって異存などありませぬ! 我等一同、三郎様に心よりの忠誠を誓いまする!」
家臣の一人がそう声高に発言し、皆が追従していた。
「よし! ならば改めて三郎に織田家を託すと決める! 三郎よこちらに上がれ!」
そう言って信秀は上座の当主の席を信長に譲り、自分は脇に退いた。
信長は遠慮なく前に進み出ると信秀の居た場所に腰を下ろす。
「皆の者の心よりの忠誠を嬉しく思う! とは言え、まだまだワシは若輩者じゃ。皆の力を頼りにさせてもらう故、何かあれば遠慮なく申すがよい!」
ここで信長は言葉を切って皆を見渡した。
もうかつての『うつけ者』を見る様な目つきは一切なかった。
この後、信長は伊勢での功績があった者を激賞し、褒美を与えていった。
全ての論功行賞が終わった後、信長は織田の今後の方針を語っていった。
「我ら織田家は尾張、伊勢、志摩を手に入れ、美濃はもとより伊賀も味方につけた。これは隣国今川や武田北条、長尾と言った大大名にも決して引けを取らぬ。そんな力を持つ我らが成さねばならぬ事は何か? それは日ノ本より無用の争いを一掃することである! 従って織田家は天下を目指す! そう心得よ!」
先ほどは信長に対し、一切の疑いを持たなかった家臣たちが驚き戸惑った。
伊勢で武功のあった、信長に近い位置にいた者達すらも驚いている。
信秀ですら目を剥いて驚く。
信長の言う『天下を目指す』とは日ノ本を支配する、すなわち、織田家以外の敵対勢力を全て倒すという事である。
その言葉に何故、全員が一様に驚くのか?
家臣達はこの乱世において、天下を目指すと公言する人物や勢力など、誰も聞いた事が無いからである。
では『天下を目指す』とはどれ程の衝撃のある言葉なのか?
実は『戦国時代、各地を支配する全ての大名が天下統一を目指した』というのは大間違いである。
それでは『小大名は目指さなくても、大大名なら目指した』と言うのも、間違いである。
戦国時代の歴史上、その意思をハッキリと口にし内外に示したのは織田信長ただ一人であり、かろうじて晩年の武田信玄と、限りなくグレーだが伊達政宗くらいが野望を口にした程度である。
そうは言っても実際問題、日本各地では争いが多発しているが、では各地の大名は何故戦いを繰り広げているのか?
それは足利将軍家が力を失ったので、各地の実力者達がどさくさに紛れて所領を拡大し食い扶持を得ようとし、ぶつかり合った『私戦』がその正体であり、決して天下統一の為ではない。
好意的に捉えたとしても、せいぜい地域を代表する大勢力となった大名が『天下か~。どうしようかな?』と思う程度なのである。
史実でも尾張、美濃と66国の内、たった2ヵ国しか支配していない信長が『天下統一』の意思をハッキリ示す為に『天下布武』の印を使うようになっているが、他に意思表示をした大名は居ない。
その当時に信長以上の勢力を誇ったどの大名も、仮に天下を支配する夢を見たとしても、実際に支配する準備をし行動を起こしたのは信長ただ一人であった。
最早、飾り同然とはいえ、将軍家も一応ながら存在するのにである。
この物語では尾張、伊勢、志摩の3国を制しているが、そんな段階で、と言うよりも統一を口にする信長に家臣が驚愕するのは仕方ない。
「さ、三郎、お主……本気なのか!?」
当主を退き全権委譲した信秀が、つい信長に問い質してしまっていた。
他の家臣も口にはせずとも、目を泳がせて戸惑っている。
そんな家臣たちの戸惑いをしっかり受けとった信長は、強い口調で話し始める。
「無論です! 誰もが好き勝手に領土を支配しながら、誰も力を持つ者の義務を果たそうとしない! 真に力を持つならば、この日ノ本に秩序を築かねばなりません! 力を持つ者の責任とは何なのか? 民の安全を守り、不当な支配や教えから解放する事! それが力を持つ者の義務であり責任である! 誰もそれが出来ないなら、この信長がやるのだ!」
最後は自分の外観年齢も忘れて信長は吠えた。
そんな信長の演説に、家臣達は思いもよらなかった自分たちの使命を知り身震いする。
だたし、恐怖や未知の物に対する身震いではなく、新しい道を示した信長と言う存在に対する感動の身震いであった。
「これから織田家は未曽有の戦いに身を投じる事となる。お主等の中から志半ばで死ぬ者も中には居ろう。しかし! たとえ死しても国の為に命を散らした実績をワシは生涯忘れぬし、必ず後世に語り継がれるであろう! 今より1億年後にも轟かせる実績を我らが作り上げて、未来の若者が、今の平和の礎となったのは何かと考えた時の原点が我らでなければならぬ! その為には2度とこんな乱世にならぬ様な手本を示し国を作らねばならぬ!」
信長の演説は、更に熱を帯びて家臣の心に突き刺さる。
「ただし、我らがいくら努力して日ノ本を制したとしても、日ノ本以外にも世界は広がっておる! 世界を相手に生きて行くには無用な流血が避けられぬ時代は必ず続く! 我らの代では達成出来ぬかもしれぬ! それでも! 血と混沌の時代に平和への一歩を踏み出し、天下に武を布く! これは武力をもって統一を図る意思もあるが、『武』の文字を分解すれば『戈』を『止める』と書く。その上で『武の七徳』である『暴を禁じ』『兵を治め』『大を保ち』『功を定め』『民を安んじ』『衆を和せしめ』『財を豊かにする』これらをまとめて『天下布武』とし実践し、日ノ本統一を成し遂げる! そう心得よ!」
誰からともなく歓声と雄たけびが上がっていた。
知らず知らずの内に、信長の言葉に突き動かされての行動であった。
そんな信長の言葉に、信秀は急速に時代に取り残される不安と、信長と共に生きられぬ嫉妬の心が生まれていた。
(どうりでワシは尾張一国に手こずるわけよ。次元が違うわ。信長と共に歩める若い者が羨ましいわ……。他の老臣も同じ気持ちなのであろうな。老いては子に従えと言うが、こうもハッキリ従わざるを得んとは。ま、短い余生じゃ。ワシも信長の作る世に名が残るよう動くとするかの)
信秀はそう思い、新生織田家の人柱となる事を決意したのであった。
熱狂の家督継承と論功行賞が終わったあと、信長はテレパシーでファラージャに報告していた。
《ファラよ。聞いていたと思うが、これで織田家の意思をハッキリと示した。ついでに1億年とも言及しておいてやったわ》
《聞いてましたよ! とても感謝しています! 正直、あの場に飛び込んで一緒に盛り上がりたかったですよ!》
《殿、史実よりも相当早い天下布武の宣言ですけど、今後の予定はやはり国の発展ですか?》
帰蝶が今後の方針を確認する。
天下布武はあくまで大目標であり、足元の目標をまだ示していなかった。
《後日話すつもりであるが、大幅に家臣の配置換えと内政を徹底的にやる。次の脅威は間違いなく今川だからな。所領も急速に広がりすぎた。まずは足元を固めねばならぬ。尾張、美濃、伊勢、志摩、伊賀を栄えさせ、日ノ本に比類なき規模の発展を実現させて人口増加と兵力の増強を図る。於濃、お主も忙しくなるが頼むぞ!》
《望むところです!》
こうして天下統一をハッキリ口にした、運命の日が終わったのであった。
これにより、信長の出す書状には目標である『天下布武』の印が押されていく事になる。




