35話 長野城攻防戦決着
【伊勢国/長野城 北側 藤吉郎隊(副長茜)、塙直子隊、丹羽長秀隊】
北側には、西の投石と鉤縄投擲、東の土壁策、南の悪質挑発と言った挑戦的な実験や、特殊任務の役目を持った部隊は居なかった。
北側は至って普通の戦場であるが、それでも強いて言うなら新規指揮官の訓練場と化していた。
新しく指揮官を任じられたのは、北伊勢の最終決戦で敵主君の長野稙藤を討ち取った藤吉郎(羽柴秀吉)。
美濃との通商関係で平手政秀に同行し、指揮官訓練の為に一時帰還した丹羽長秀。
帰蝶に憧れて親衛隊に志願し、反対する親や兄の塙直政を口論で叩き伏せてまで入隊し頭角を表した塙直子。
以上三名が北西に藤吉郎、真北に直子、北東を長秀が担当していた。
とは言え、新任指揮官がパニックになっても、対処できる様にベテランの副官が付けられているし、何より城壁が防御に特化した作りとなっている。
北側はどんな場所でも必ず2方向から攻撃できる構造の『雁行』『屏風折』を採用し、容易な横矢掛を可能にしており、防御に問題は無かった。
【新規任命時の経緯】
長野城改修を行う前の話である。
信長以下、帰蝶、塙直政、飯岡尚清他、親衛隊の指揮官が集まり軍議を行っていた。
その席で帰蝶が一つ提案をしてきた。
「殿、次の戦で親衛隊の指揮官候補で試してみたい者が3名おります」
「誰ぞ適任者がおるのか?」
「はい。一人は美濃にいる丹羽殿です」
「五郎左か。そうだな、そろそろ戦に呼んでやらんと、拗ねてしまうかもしれんな。良いだろう」
信長がそう言って笑い、周囲も拗ねる長秀を思い浮かべ笑う。
「次に藤吉郎殿です」
「藤吉郎って……あの!? 幾らなんでも早すぎやせんか?」
驚く信長に飯岡尚清が補足を挟む。
「確かにまだ幼さが残る奴ですが、目端の利く隙の無さや、痒い所に手が届くかの様な気遣いは中々の逸材。長野稙藤を討ち取った功績もありますし、一度経験させるのも良いかも知れません」
尚清が藤吉郎を絶賛し推薦している。
しかし歴史を知る信長は、また違った目線で秀吉の頭角を表すスピードに驚く。
《できる奴、と言うのはどんなに歴史が変わっても必ず出てくるのじゃな。あ奴が織田家で頭角を表したのは30歳手前位だったのに、今回は10歳と少しで指揮官候補か。頼もしくも恐ろしい奴じゃ……》
《裏切られない様に、ちゃんと教育して下さいね?》
《わかっとる! 奴の才能は絶対に必要じゃ! 今度こそ使いこなしてやるわ!》
帰蝶が苦い経験を思い出させ、信長が憤慨する。
考えるフリをして、帰蝶とテレパシーをして相談していた信長は許可を出した。
「……。確かに見所はある奴じゃ。とは言え歳も低いし、禁じてはいるが身分差故に不都合があるやも知れぬ。茜、お主副将として補佐してやれ」
親衛隊はどんな身分であろうと指揮官の命令に背く事は許されない。
一応、指揮官として実績のある者は不当な命令に異を唱える事もできるが、親衛隊に籍を置く以上、身分を利用した反抗は厳罰に処される。
例え信長であっても例外ではなく、先の北勢四十八家との戦いで柴田勝家や森可成の命令で働いていた。
信長自身が率先して遵守しているので、身分差による命令系統の混乱は殆ど無い。
今回は藤吉郎がまだ幼く農民出身故の特別な配慮であった。
「はい、承知しました!」
既に精鋭弓兵を率いて、実績充分の茜であれば安心できる配置であった。
「……」
その時、ふと信長が塙直政を見やると、渋い顔で眉を潜めて口を『への字』に曲げていた。
「……どうした? 藤吉郎に不服があるか?」
「え? あ、いや、藤吉郎に異存はありませぬ。異存があるのは……その……何と言うか……」
「殿、3人目の指揮官候補は塙殿の妹君である直子殿です」
口ごもる直政を他所に帰蝶がニヤリと笑って信長に告げた。
「直子……。九郎左衛門の妹……? ……ッ!! あの直子じゃと!? 親衛隊に居るのか!?」
信長は聞き覚えのある『直子』の名を記憶を呼び起こし、つい叫んでしまった。
「わが愚妹をご存知でしたか……。実は……その……随分前から親衛隊に所属し伊勢にも来ております……」
そこで直政は帰蝶を若干恨めしげに見て話し始めた。
「那古野城下を騎馬で駆け抜ける濃姫様に、強い憧れを抱いてしまったらしく……その、某や父を半ば脅迫に近い形で説き伏せまして……現在に至ります……」
そう語る直政の顔は、思わず信長が『大丈夫か』と声を掛けそうになる程、苦渋で歪んでいた。
可愛い妹を戦場などに送り出したくなかった兄の心配が如実に現れ、それはまるで妹の婚姻に反対した斎藤義龍の様であった。
その義龍の妹である帰蝶は、逆に誇らしげに得意満面の表情で胸を逸らす。
どうやら『自分に憧れた』と言うフレーズが、いたく気に入った様である。
「殿、あの直子殿ですが、異存はございますか?」
「……無い」
信長らしからぬ気の抜けた返事であったが、無理も無い話であった。
帰蝶の言う『あの直子殿』の『あの』とは『塙直政の妹』をさす意味で言ったのではない。
前々世で『信長の長男、信正を生んだ直子殿』と暗に言っていたのだ。
信長もそれを思い出し、しかも親衛隊に居るのを知って『あの直子』と言ったのであった。
そんな波乱のやり取りで選ばれた事を知らない3人は、長野城北側でテンテコ舞いを踊りつつ何とか攻撃を凌いでいた。
丹羽長秀は親衛隊最古参だが、しばらく美濃で内政に掛かりっきりだったので、実戦感覚を思い出すのに苦労していた。
しかし時間が経つにつれて的確な采配を行い、戦い終盤では先読みに近い鋭い采配も見せた。
ただ、戦に出ていない焦りから、らしくない采配を時折して手痛い反撃を食らってしまっていた。
藤吉郎は自分が抜擢された事を知った時、大人に混じって宴会をしていた。
長野稙藤を討ち取った褒美の銭を使った宴会で、酒に酔って得意の猿芸をしていた所、補佐を命じられた茜に告げられた。
酒に酔って褌一丁で腹と尻に顔をペイントした藤吉郎は『どうぞ、このサルめにお任せを~!』と叫びお調子者の本領発揮を発揮して快諾した。
しかし次の日、命令を思い出した藤吉郎は二日酔いも相まって顔面蒼白であった。
ただ、それでも出世の大チャンスであるのは間違いないので、その日から茜に付きっ切りで指揮について学び、何とか頭に叩き込んだ。
だが、その戦い本番では大将にあるまじき落ち着きの無さで、走り回って指揮をしていた。
周囲も、可哀想な程に慌しい藤吉郎に同情し、時折茜に目配せして命令に間違いが無いか確認し、何とか突破を許さない程度に持ち応えたのだった。
直子は帰蝶に憧れているだけあって、何事もそつなくこなしたが、残念な事に帰蝶の悪いところも真似てしまったのか、時折、突飛な命令を出してしまい現場を混乱させた。
抜擢をされたとは言え、武芸のレベルも帰蝶の足下にも届かない。
ただし、全てが真剣で真摯であった。
良かれと思って指揮しているのは誰が見ても解った。
直子も現場で自分の悪い所を次々感じ取り、戦終盤になる頃には何とか指揮官合格と言える所まで成長を果たした。
一つだけ帰蝶に勝る才能、『空気読み』が花開いた瞬間であった。
三者三様の課題を残しつつ、防御特化の壁もあり、何とか北側の攻撃を退ける事に成功した。
こうして東西南北の戦いは収束し北畠軍は森の外に撤退した。
まだ日没には早いが、これ以上時間を掛けすぎると夜間に罠が蔓延る森を抜けるハメになるので、早めの判断であった。
【伊勢国南部/北畠本陣 北畠晴具】
報告を受ける北畠軍総大将の北畠晴具は、次々舞い込む凶報に自分の予感が正しかった事を悟った。
「戦闘不能の死傷者、逃亡兵は1000、投降兵が200、負傷者が3000か……散々たる結果であるな」
1割の損害を受けて撤退判断する場合もある戦国時代で、負傷者込みで4割超えるのは壊滅的打撃を受けたに等しい。
これで城が奪えたのなら妥当な損害だが、誰一人として壁の内側に到達できず撃退された。
晴具は当然、配下の家臣の誰も経験した事が無い、堅牢過ぎる長野城であった。
それに織田軍の流言飛語と自軍の偵察と、実際に戦った武将の報告に差が有りすぎて、最早何が正しくて間違っているのか判別不能に陥っていた。
「撤退する! 太鼓を鳴らせ! 此度はワシの判断が甘かった! 織田は迂闊に手を出していい相手ではない!」
長野城を攻め取る体力も気力も無く、プライドまでへし折られた北畠軍は、寒風吹き荒ぶ陣を引き払い撤退を始めた。
諸将も安堵していた。
とにかく疲れる戦いであった。
早く南伊勢に帰って温かい酒でも飲んで寝てしまいたかった。
幸い、長野城の城門は完全封鎖されており、南の山道も織田自身の手によって破壊されている。
信長自身も追撃するつもりが全くない。
追撃の心配は全くないので、撤退戦の心配は無かった―――ハズだった。
そんな家臣達を晴具が一喝する。
「お主等、あの堅牢な長野城を作った信長がそんな甘い戦をすると思うか!? 近隣の草生城、安濃城から必ず追撃部隊が来る!」
晴具の読みは当たっていた。
塙直政、飯岡尚清が長野城間近まで迫っていたのだ。
「『殿』は某に命じて下され!」
名乗りを上げたのは北畠具教。
開戦当初に南の山道を登って早々に潰走してしまった北畠具教である。
バラバラに散ってしまった軍を再編成し、準備が整った頃には全軍長野城から退却した後であった。
北畠の跡継ぎがそんな危険な任につくのを諸将は反対したかったが、自前の軍は皆ボロボロでとても動けない。
何より、具教が殿を許されなければ切腹も辞さないと強固に訴えた。
撤退における『殿』とは―――
背後を晒して撤退する自軍を守る部隊であるが、往々にして通常の戦よりも戦死する確率が高いのが殿の宿命である。
古来より撤退戦は、酸鼻極まる戦いになるのが当たり前であった。
既に負けた上、あるいは絶体絶命に陥っての撤退なので、最初から部隊の士気も戦闘能力も著しく低い。
更に勝ちに乗って、あるいは奇襲で勢いがある敵軍を、受け止めなければならない。
全滅する事も珍しくないのが殿の悲惨な戦で、文字通り『死ぬのが決まった決死隊』となるのが殿の役目なのである。
そんな殿を指揮する人材とはどんな人物なのか?
本来ならば、家の跡継ぎなど論外だし、あまりに優秀であったり、将来を渇望される人材も選ばれにくい。
また戦下手や忠誠心が怪しい者も選ばれない。
人材に余裕がなければ別だが、普通は『居なくなっても困らないが、それなりに賢く戦もできる者』が選ばれる。
まさに捨て駒なのである。
史実で金ヶ崎撤退戦で木下秀吉が抜擢されたのは、当時の秀吉が、上記条件に完全に当てはまっていた経緯もあった。
さらに余談であるが、そんな難しい撤退戦を達成した時の武功は果てしない。
上記の秀吉はこの撤退戦を成功させ覚醒し、大出世を果たしたのである。
そんな殿に具教が名乗りを上げたのであった。
しかも、いまから相手をするのは無傷の織田軍である。
「父上! 何卒お許しを! 大丈夫です! 仮に討ち死にしても弟の具政がいます!」
森を抜ける事さえ出来なかった汚名を注ぐ為、討ち死に覚悟で買って出たのである。
そんな具教を見て晴具も覚悟を決める。
「わかった。しかし敵に囲まれようと自ら死ぬ事は許さん。何としてでも生きて帰り、これを糧に成長せよ!」
晴具にも思惑はある。
織田を舐めきった責任は取らねばならない。
それには隠居して具教に家督を譲る事であるが、今のままでは具教も信長に及ばないと判断した。
具教で及ばないなら北畠に未来はなく、遅かれ早かれ滅亡するか織田に臣従するしかない。
ならば、この撤退戦で成長、覚醒してもらうしかない。
泥と血にまみれてでも生き残り教訓とし、信長に匹敵する成長を遂げてもらいたいと願った。
まさに北畠家の存亡を賭けた戦いとなったこの撤退戦は、激闘に次ぐ激闘であった。
北畠軍は仲間を逃がす為、と言うのもあるが、軍全体が不甲斐ない自分を恥じ、命を投げ打って戦った。
追撃する塙直政、飯岡尚清軍は、伊勢に轟く北畠を打ち取る大武功の機会を与えてくれた信長に恩義を感じ、火の出る様な猛烈な追撃を行った。
それでも北畠殿軍は当初の10分の1まで減りつつも、自分達の領地に逃げ帰る事ができた。
具教自身も槍を持って戦い、重傷を負いながらも何とか生還できた。
長野城と北畠の城が近かった事、織田兵の追撃部隊が大規模で無かった事、緒戦で脱落した具教軍は比較的元気であった事、何より地の利があった事が功を奏した。
一方長野城で具教を取り逃がした報告を受けた信長は、気にも留めなかった。
もちろん討ち取る事が出来たのなら、それはそれで良いのだが、生きていると言う事は配下に加える機会も残るので良しとしたのだ。
「窮鼠猫を噛むとも言う。と言うより本当に噛まれたのであろう? 訓練した親衛隊が手ひどい痛手を被ったのだ。ここらが潮時なのであろう。それよりも、明日からは打ち取った兵の死体処理や武器防具の回収に忙しくなる。付近の農民や寺社に回収される前に処理するのを最優先とせよ」
史実で柴田勝家や豊臣秀吉が実施した刀狩であるが、生前の信長にも刀狩のプランはあった。
いずれ大規模かつ徹底的にやるつもりであるが、地盤が安定していなければ要らぬ警戒心や反発を生みかねないので、とりあえずは持ち去られる前に回収するに留めた。
こうして北畠家の北伊勢侵攻作戦は失敗した。
ただし、具教が死地から生還した収穫もあり、領地を失った訳では無いので自力もまだまだ残っている。
真の決戦は来年に持ち越される事となったのだった。
4章 天文17年(1548年) 完
5章 天文18年へと続く




