212話 七里越中守頼周見参と帰蝶リスペクト見参
【越中国/国境 上杉武田軍】
一向一揆の七里越中守との交渉がまとまらず、結局予定通り越中へ向かう途中であった。
そんな中、突如の声が響き渡る。
「やぁやぁ! 遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそが七里能登様に七里の名を名乗る事が許された、七里越中守頼周なり! 日ノ本に轟く北陸の戦乱から生まれた戦の申し子なり! 命が要らぬ者から掛かって来るがいいッ!!」
小高い丘に人が一人立っている。
その立っている人が、鎌倉時代からタイムスリップでもしてきたのか、名乗り口上を述べる。
良く通る声にして山間部で山彦になって反響し、上杉武田軍の全員ハッキリと聞こえた。
こんな冗談にも程がある名乗り口上を、一字一句間違いなく聞いた。
遠くて顔は確認出来ないが、その声は間違いなく七里越中守頼周だった。
もう偽物であるのも隠しもしない、堂々としすぎる名乗りだった。
その一言は、上杉武田軍全員の足を、停止命令が出ていないのに止めてしまった。
もちろん、上杉謙信、武田義信、武田信玄もだ。
「……いつのまにか、鎌倉時代に迷い込んだかのう?」
謙信が困惑して周囲を確認する。
「ははっ。越中は時代が退化したのでしょうか?」
義信が、冗談っぽく言う。
「そんな訳は無いと思うが……。これが誰とも知れぬ凡夫なら無視するが、あの七里と名乗ったからには浄土真宗の阿弥陀如来が力でも貸したか?」
信玄が、自分で言った『そんな訳は無い』事を言うが、宗教が絶対の時代である。
宗教一揆の最前線に乗り込んで、超常現象を起こされても不思議ではない。
そう考えるのが普通な時代だ。
「まぁ……罠……なのだろうな」
そう考えるのが普通の時代でもあるのだが、そのタブーを破ろうとしているのが、北陸宗教一揆に関わる武家達である。
だから『罠』だと謙信はそう結論付けた。
「先の会談では空城計モドキを食らったが、今度はまた、とんでもない手できたのう」
謙信が、感心するべきか悩むべきか迷う。
「小高い丘に奴一人。それは良いとして肝要なのは左右に森。これ幸いと飛び出したら、挟み撃ちに合うと思いますが?」
義信が妥当極まりない普通の事を言う。
だが、この普通こそが大事だ。
変に曲がって捉えない、素直な意見が今は大切だ。
「うむ。異論は無いですぞ。去年はあんな開けた場所は無かった。ッ!? ならば、あの口上を述べる為に森を切り開いたのか!? 森のまま利用すれば、もっと有利に戦えるだろうに!」
こんな口上を述べるなら、潜みつつ防御拠点として使用すれば良いのに、そうしなかった。
自ら姿を現した。
名乗った。
もし『怪しさメーター』があったなら、突き破っているだろう。
「見た目は丘ではあるが、見えない部分で最低でも砦同様の規模を想定しなければならんな。挟み撃ち含めてな」
義信の考えに謙信が同意する。
「そう考えさせ、足を止める策かもしれませんな」
信玄が別の可能性も指摘する。
「ソレも然り。特にあの七里越中と言う人間が、その可能性を嫌でも考えさせられる。まんまと策で先制攻撃を打たれてしまった。交渉決裂も想定し準備していたのであろうな」
「あの七里ですからな」
「そう。『あの七里』というのが実に厄介じゃ。名前で勝負できる武将は少ない。朝倉宗滴や斎藤道三、義龍親子、今生きている人間では三好長慶、今川義元、北条氏康、織田信長、斎藤帰蝶。無論、信玄殿と我もな。申し訳ないが、甲斐殿はもう少し実績が必要じゃ」
「分かっております。今名前がでた人間は、皆怪物です」
「そうじゃな……。正直なところ困ったな……」
謙信はため息をついた。
多少の策など造作も無く見抜くし、策と理解してなお、力で食い破り、見抜いた上で逆利用して見せるが、去年鮮やかにやられた記憶が、二の足を踏ませる。
「奴相手に去年は痛い目を見た。だから迂闊な攻撃は出来ん。……と、奴はソレに賭けたと見た!」
「では実際は奴一人だと?」
もしそうなら、クソ根性にも程がある。
己の命を賭けた策というのも古今東西あるが、これは賭け過ぎにも程がある。
「そうではない。伏兵も居る。いや、居なくても居る想定で戦う。つまりこれは立派な攻城戦だ! 目視できる距離に奴は居る。しかし目視できる距離に兵がおらぬ。見上げる角度故に、堀があったとしても見えん。しかし感じるぞ! 伏兵の気配がな!」
この辺りは百戦錬磨の上杉謙信だ。
才能はあるが、経験が足りない義信には備わっていない感覚。
信玄は微かに感じ取っていたが、本物を上回る才能を見せるも、この様な場合でのセオリーをどうするか迷った。
やはりこちらも、才能で上回っても経験が足りなかった。
「では? このまま進軍ですか?」
「うむ。当然、射程範囲に入ったら弓が飛んで来るだろうから、そこを城の縄張り区域と断定しよう。それともう一つ。南側の森。こちらは急所と見た」
「えッ!?」
小高い丘に左右、つまり北南に森がある。しかし北側は街道であり、大軍が隠れるには不向き――だからこそ、南側が手薄だと謙信は見た。
つまり謙信は見た目の状況から逆の判断をした。
狭い北側に大軍を、広い南側に少数の伏兵を用意していると判断した。
「我は奴を信用しておる。策士らしく捻くれておる。手に取る様に理解できるぞ!」
「捻くれ過ぎて一周して普通かもしれませんな」
少し疑問を持ってしまった義信が、捻くれた可能性を指摘した。
「……そうなったら腹を括るしかあるまいな。いずれにしろ、ここで睨み合いを続けるわけにもいかん」
「それは、ご尤もです」
こんな越中の入り口で立ち止まっては、何の為の進軍なのか意味が分からない。
「故に進軍方法を決めねばならん。そこで武田軍は南の手薄なハズの森を分け入って、伏兵を排除してほしい。我ら上杉軍は北の森の大群を相手する。……我の判断に異議があるなら、役割を交換しても文句は言いませんぞ。策は見破った。だがどうしても運の部分もある。ただ、北の手薄な森から発せられる気配が普通ではないのだ」
大軍の発する気配が隠せていない。
必ずコチラが本命のハズだと謙信は断定した。
「いえ、異存はありません。もし逆だったら、我ら武田軍は動きづらい森林で少数の理を活かせます」
(ほう。そこに気が付くか。やるな)
仮に南側の森に大群が潜んでいたとて、大軍を動かすには不向きな山林だ。
少数の武田軍の方が有利を取れる可能性が高い。
謙信は義信に対する評価を改めた。
数に臆して地形の有利を活用できない凡将では無いと。
「よし! 決まったな! 中央でふんぞり返っている七里は無視だ! だが奴に誘引されたら負ける! いくぞ!」
こうして上杉武田連合軍は突撃を開始した。
結果から言えば、謙信の読みは当たっていた。
この小高い丘は砦同然の役割を果たしており、近づかなければ見えない場所に堀も作られていた。
だが、見抜いた後ならどうとでもなる。
それを想定していれば、そういう戦いができる。
予測通り、北側に大群が潜んでおり、南には少数の伏兵しかいなかった。
七里の名乗り口上には驚いて足を止められたが、いざ戦い始めれば、全て想定通り。
七里の策の大部分を的中させ、有利に戦い敵を撤退に追い込んだのだ。
あまりにもあっけないファーストコンタクトであった。
【上杉軍】
「殿! やりましたな!」
「あぁ……」
謙信は不機嫌に答えた。
【武田軍】
「殿! やりましたな!」
「あぁ……」
義信は不機嫌に答えた。
【上杉武田軍】
「やられましたな」
「あぁ……」
義信の問いに謙信は苦虫を嚙み潰して磨り潰して吐き出した――様な形容し難い顔で応じた。
予想した部分は全て的中させた。
北南の森の伏兵も、その兵力も的中させた。
丘が砦同然の設備だとも見抜いた。
それでも出し抜かれたのは、敵は最初から撤退戦を選択していたのだ。
策を見破ったからには正面から激突し、粉砕して大ダメージを与えるつもりが、完全にスカされた。
追いかけても追いかけても、丘なので相手の弓だけ届くし、槍すら交えさせて貰えない、徹底した撤退。
「そもそもここは森でも丘でも無かった! なんたる不覚! あまりにも見覚えのない光景で勘違いを誘発させられた!」
謙信は拳を膝に叩きつけた。
策で、ここまでコケにされたのは始めてだ。
「去年粉砕した明石城の残骸を障害物として撤退戦の捨て城にした! 敵の本拠地はこのすぐ先の宮崎城か! そこでの籠城戦を少しでも有利に働かせるべく、撤退戦という先制攻撃をしかけたのだ!」
最初、七里の口上を聞いた場所からでは、明石城の残骸は見えなかった。
ただの切り開いた森と丘にしか見えなかった。
そこから既に騙されていた。
砦想定で戦うのは良かったが、想定は想定でも、本当に砦というか軍事基地の跡地なのだから、残骸や堀が進軍方向を選ばせてくれない。
通るしかない道を通り、矢の雨を抜けたら、敵は撤退済みで、たどり着いた跡地は無人で晴れ渡っていた。
「あれだけ検討を重ね予測を立て、なお上を行かれるとは……!」
武田軍も散々やられた。
南の伏兵は確かに少数だったが、一揆の中でも山岳戦に強い手練れを集中させていたのだろう。
相手に比べれば2000の武田軍は十分大軍だが、翻弄されっぱなしだった。
雑兵を排除した、正真正銘戦のプロたる武田の名将達が、手も足も出なかった。
最初から『逃げ』を打たれ、この場では大軍の武田軍では追い切れず、まんまと逃がしてしまった。
負傷者は、敵による攻撃よりも、山岳部での事故での負傷が多かった程だ。
「成程。本物程度では相手にもされなかった訳だ。本物も信繁の叔父上も戦の嗅覚は一級品。去年は一揆に翻弄されるだけされて『情けない奴』と思っていましたが、とんでもない。強敵です。怪物としか思えません」
去年追放した父と叔父を少しだけ見直した義信。
信玄と信繁を罠にハメたのだから、彼らを上回っている――とはならない。
才能とは、そう簡単に評価を下せる類のモノではない。
「次は宮崎城攻略となるが、昨年は勢いに任せて突破していった。あの時の一向一揆は飛騨方面からの敵にも集中しなければならなかったから、楽に通過できたが、今回はそうはいくまい」
「罠満載を覚悟しろと?」
「罠もそうだが、奴の本格的な防衛戦を体験した事がない。それが負担の一つ。それにだ」
「それに?」
「一向一揆の連中は、我らの学んだ戦の常識が通用しない。我ら武家は戦い方を教育されて、それを基本に変化を加えるが、奴らは実戦の中で考え磨いて鍛え上げてきた生粋の戦人。お勉強での経験と、実戦経験では差がついて当然であろう?」
「……それは……否定しませぬが、上杉殿をして己の軍略を『お勉強』と評しますか?」
「うむ。勉強が悪いとは言わん。勉強は先人の知恵が詰まった結晶じゃからな。だが、一向宗相手には勉強で得た戦法は役に立たん。それはたった今体感したばかり」
「そうでしたね。城を破却し野戦陣地と見せかけて、実は残骸を利用した砦でした、なんて聞いた事がない戦法です。風林火陰山雷衆利動の、まさしく衆利動の部分」
衆利動の部分――
即ち『掠郷分衆、廓地分利、縣權而動』である。
意味は要約すると、
軍の権勢が生じ味方が動けば、敵を怯ませ怯えさせる事ができる。
改造した陣は、己を代官代行とし、適切な整地伐採で兵糧の生産を行い民の士気を保つ。
また開拓し木を伐採し都合良く作り変え、伏兵を待機させ強襲によって士気を上げ、敵の出鼻を挫く。
超要約なので意味が変わってくる解説になっている恐れもあるが、七里頼周がやった事とは、この様な事である。
城を一つ解体し、いかにも何かある、と見せかけ、本当にある上に、罠や残骸を利用しわざと残した森には伏兵を配置した。
「成程。衆利動か。自力で辿り着いた境地なのだろうな。師など居るはずもない元は下級武士なのだ。考えて考えて実戦で試し練り上げた戦法なのだろう。七里頼周の名乗りを許されただけはある」
「……本物の七里頼周は一体どんな奴なのでしょうね」
「そうか。そうだった。奴は偽物。本物がまだ控えておるのだったな」
その言葉に上杉軍本陣に集まる諸将は、皆その事実に気が付き愕然とする。
本物が偽物より弱い訳がない。
本物より強い偽物の実例としてこの場にいる信玄も動揺を隠せない――所に、場違いに美しい声が響いた。
「歴戦の武将の方々とは、ここまで軟弱なのですか? 戦の趨勢で一喜一憂して、その都度戦意を落とすのですか? 成程~。勉強になります~」
義信の背後から、戦場に似つかわしくない声が響く。
いや、この時代のトレンドとしては、最先端かもしれない。
声の主は、義信の妻、今川里嶺であった。
斎藤帰蝶に触発され、ついに今回初陣となった。
「ちょっ!? も、申し訳ありません! 里嶺! 口が過ぎるぞ!?」
義信が動揺し、慌てて謝罪する。
だが里嶺はとまらない。
「無礼は承知! 許し難ければ我が首を取りなさい! いいですか!? 我が父や兄は織田殿と共に一向宗相手にも戦い抜いているのに、我らは一向一揆の入り口でこのザマですか!?」
里嶺の言葉は誹謗中傷ではない。
発破をかけているのだ。
父の今川義元と対等の同盟を結ぶ武田家と、その武田家と幾度も戦った上杉家が、こんな有様では、世間はいずれ、武田も上杉も『その他の大名』に含まれる有象無象と評価するだろう。
「其方の言う事は正しい。むさ苦しい男どもが動揺する姿は、さぞ情けなく滑稽であろう。済まなかった」
謙信は里嶺に頭を下げた。
義信は気が気でないが、何とか正気を保った。
「皆! 顔を上げよ!」
上げよ、と言われても、皆、里嶺に釘付けだったので、首を謙信の方へと向けた。
「目先より先を今どうこう考えてはいかん。戦に絶対は無いのだ。特に武家が相手では無いのだから。それより、この地を抑えた実績を誇らんでどうする!? 考え方を改めよ。我らは敵を追い払ったのだ!」
戦の内容はともかく、事実としては越中に食い込んだのだ。
思い通りに行かなくて意気消沈しているだけで、これは弱小大名からすれば贅沢な悩み。
日ノ本に名を轟かす上杉と武田がこのザマではいけない。
里嶺の言葉はそれを伝えたのだった。
「よし。明日は本当の攻城戦となろう。みな休め。ご苦労であった!」
こうして軍議は解散となり、各々自陣へ帰還した。
残ったのは謙信と義信と信玄である。
「其方の妻は、武家の妻として満点よな」
「と、とんでもない! ご無礼失礼いたしました!」
「いやいや、武家の妻はああでなくてはいかん。斎藤帰蝶の様にな」
不犯の謙信が、唯一妻にしたいと認める斎藤帰蝶。
そのリスペクトが増えるのは望ましい事と謙信は思っていた。
義信は大反対だが。
ついでに信長も。
「さて、先ほどは目先を大事にと言ったが、我らは考えねばならん。先を見通してこその戦略だ」
「はい。承知しております」
「して、本物の七里だが……正直興味が尽きぬ。会って見たいな。一体どんな経験を積めば、こんな化け物を量産できるのだ?」
勿論『化け物』とは各地に出没する量産型七里頼周である。
能登守が本物として、加賀守、越中守に加え、越前守、飛騨守も配置の予定だったと聞く。
さらに恐ろしいのは、各地の七里頼周が優秀でも、操る周囲の兵は、武家の軍で言う所の雑兵に過ぎない者が大多数なのに、しっかり命令に従い、実行する能力がある。
練兵がそこまで徹底しているのか、七里頼周を妄信し、疑う事なく動けるのか?
そうであるなら、ある意味これも、一向一揆の恐ろしい部分である。
「最大限苦労すると心に留め置こう。少しでも楽観視したら、絶対に負ける。これは断言する」
「はい! 承知しました!」
眼前の越中守頼周と、後ろに控える本物の七里頼周。
難敵だらけだが、謙信は俄然やる気になった。
対武家には無い面白さを感じていたのだ。
「ではこれにて。また明日を戦いましょう」
「うむ。しっかり寝て切り替えるがよかろう」
こうして義信と信玄は自陣に帰還する。
その道中――
「上杉殿は楽しそうでしたな。これが上杉政虎改め謙信の本質ですか。親父や叔父上が苦労する訳だ」
義信がいろいろ納得したのか、追放した親と叔父を懐かしむ。
「あぁ。ワシも兄上に従い戦ったが、奴は戦を娯楽の一部と考えている節がある。だから強いし危険で信頼ができぬ部分が多い。まぁ今回の裏切りは無いだろうがな」
かつて、武田、北条、長尾時代の上杉合同軍で、織田、斎藤、朝倉合同軍と戦ったが、戦が一区切りしたところで、上杉は堂々と離反を宣言した。(124話参照)
今回裏切るなら、一向一揆に味方する立場になると言う事だ。
さすがに意味が分からないにも程がある。
「……他国に全幅の信頼を置くのは馬鹿げているが、それでも上杉相手に信頼するのは、こんなに大変であったか」
義信は改めて追放した父と叔父を懐かしむのであった。
上杉相手に苦労した分だけは、謝罪の気持ちを込めて――
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