34話 長野城攻防戦 南門の悪夢
【伊勢国/長野城 南側 北畠軍】
森を抜けて南側に布陣した指揮官は破城槌の準備を命じた。
南には唯一の門があるので橋を架けて一気に突き破り、場内に突入するつもりであった。
畝も山道につながる場所は何故か突破が楽な作りであった。
巨大な丸太同然の破城槌を抱えて駆け上がるのは大変であるが、どれだけ頑丈な門でも所詮は人の手で組み立てられた構造物なので、力で強引に突破するのは十分可能である。
南からの軍は慎重に進んで行き、大した損害も無く城門前にたどり着いた。
そこには、丁度都合よく門を隠すように土が盛られており、城から身を隠し矢を防ぐ事が可能であった為、この場を簡素な橋頭堡として門攻略の拠点とした。
それに何故か他の場所と違い弓矢部隊が少ないのか、城の抵抗が緩いのも都合が良い。
余り苦労せずに辿り着いた軍の先駆けは、南門で信じられない物を見た。
「何故橋が架かっておるのじゃ……」
籠城戦では、橋を引き上げて通過できないようにするのが当たり前である。
しかし南門の前には『渡って下さい』と言わんばかりに、丸太が積み重なって橋となっていた。
板状の橋ではなく丸太なので、確かに渡りにくい工夫といえば工夫がされているが、それなら撤去しておけば良いだけの話である。
十中八九どころではない、十中十罠だと察せられる。
崩れ落ちる橋か、燃える橋か、正体は解らないが慎重に成らざるを得なかった。
それに進軍過程からして、南門にたどり着くのに都合が良い事が起きすぎている。
身を隠せる盛り土に敵兵の少ない抵抗。
畝も厳しい作りではなかった。
だれがどう見ても誘い込まれているのは明らかであった。
しかしボンヤリしていれば緩やかな攻勢とは言え、矢の的になるのは目に見えている。
意を決した先駆けは罠を承知で決死隊を編成し、都合十人がかりで丸太を持ち上げ南門に突入していった。
どうやら丸太橋は頑丈な作りで崩れ落ちる心配は無く、油が撒かれているいる様子もないので燃える心配も無い。
本当にただ渡りにくい丸太の橋であった。
その時―――
丸太を持つ先駆けと、もう一人が悲鳴を上げて転倒し堀に落ちていった。
残りの兵が驚いて止まろうとするが、走っていて急には止まれず、破城槌を抱えているので押し出されるかのように進まざるを得ず、結果二人目三人目と次々悲鳴を上げて堀に落ちていく。
持ち手が半数以下になった破城槌は支えきれず、残った担ぎ手を全員巻き込み堀に落ちていった。
離れた場所で見守っていた指揮官は矢が射られたのかと思ったが、敵の少ない弓兵は全然別の部隊に射かけている、と言うより、先ほどよりも明らかに弓兵が減っており、しかも城門を狙う自分達以外の部隊を狙っている。
導き出される結論は『勝手に転んで自滅した』という事になる。
残された北畠兵には分からなかったが、実は丸太には無造作に打ち込まれた釘が飛び出していた。
遠くから見たら判別できないが、忍者が使う撒菱を参考に作られた自動撃退橋とでも言うべき物で、丸太橋を渡った兵は勢い良く釘を踏み、たまらず堀に落ちたのであった。
裸足の雑兵や草鞋履きの兵には効果抜群の罠であった。
その時、城門の上から一人の女が顔を覗かせる。
南を担当している帰蝶であった。
その帰蝶が朗らかな声で北畠兵に告げた。
「寒い中遠路はるばるご苦労様です。生憎、こちらの兵が不足しており、皆様を存分にもてなす事ができません」
もはや弓兵は全員別の部隊を狙っており、見ようによっては『帰蝶vs北畠軍』の構図にも見える。
ニッコリ微笑む帰蝶が言葉を続ける。
「とは言え、この門の守備は私共で十分と思いますので、このままお相手……」
と言いかけた所で、帰蝶が言葉を切る。
「あっ、東側が攻勢激しいわね。貴方達、何人か引き連れて応援に行きなさい。……失礼しました」
南側はさらに守備兵が減った。
「私共も少ない人数ながら、精一杯おもてなし致しますので、どうぞこの門を突破して下さい……うーん、まだ減らせるわね。もう少し東側に行きなさい」
また守備兵が減った。
「失礼。しかし……足場の悪い丸太とは言え勝手に転んでしまっては、せっかく苦労して拵えた城門に傷一つつけられませぬよ? これでは何の為に皆様にお越し頂いたのか……真面目に戦って下さい。お願いしますよ?」
怒られた。
「あっ! なるほど! 北畠の皆様は足腰が弱っているご様子。ちゃんと食事をとれていますか? 貧乏なのですか? もう少しこちらの兵を減らしましょうか?」
心配された。
まるで『手加減してあげますから突破してみてください』と言わんばかりに、帰蝶は挑発の限りを尽くした。
「兜の前立て!」
帰蝶は矢を構え宣言してから矢を放つ。
放たれた矢は宣言通り、北畠指揮官の兜の前立てに当たって落ちた。
矢には矢じりがついておらず、殺傷能力が無い安全に配慮した矢であった。
「ボンヤリしてると次は射抜きますわよ?」
帰蝶のその言葉を最後に、北畠兵は形容し難い程に激怒した。
「あの女を必ず捉えろぉッ!!!! 生き地獄と凌辱の限りを味合わせてやれぇッ!!!!」
前線まで出てきていた軍の大将が、血を飛ばしながら叫ぶ。
歯を食いしばりすぎて歯が割れて口内を傷つけたのだ。
栄華を誇る北畠が徹底的に舐められた。
南側は意図的に楽に城門にたどり着けられるよう手加減されていた。
城門を守る弓兵は自分達を狙うどころか全く違う方向に射っている。
それどころか次々と南門の守備兵が居なくなる。
あろうことか真面目にやれと怒られ、体調の心配もされた。
女が戦場に出て、自分達に罵詈雑言の方がマシとさえ思える、慇懃無礼な態度を取られた。
そんな、今までの人生経験で聞いた多種多様な挑発を遥かに超える辛辣で悪質な挑発に、北畠兵は雄たけびを上げて突入を開始し、釘を踏んでは堀に落ちて絶命した。
ところで南側は本当に兵が少ないのか?
実際は違う。
南側ではある実験が行われていた。
『工夫だけで、どれだけ少ない兵で耐えられるか?』
『挑発で、どこまで敵を引き付けられるか?』
これらの実戦実験である。
だから城門の裏側で、もしもの実験失敗に備えちゃんと対応できるだけの兵は揃っている。
ただし、ギリギリまで手出しはしない。
深い堀に、通れば脚の怪我は免れない丸太橋。
更に挑発の才能のを如何なく発揮する帰蝶。
さらには可能な限り頑丈にした南門。
可能な限り頑丈にした門。
それは北畠から見えない門の裏に、堀や畝作りで出た土を山積みにして固めた、数百人動員してもびくともしない土の塊である。
つまり外側から破城槌でどれだけ突いても絶対に内側に扉が動かない門である。
出撃するつもりのない信長が考えた、究極の頑丈さを誇る門である。
もちろん南の山道を潰し東に道を作ったように、緊急時の出入り口は作ってある。
釘の橋を血だらけで渡り切った北畠の武将が、門を蹴ったり殴ったりしているが、当然微動だにしない。
門を力で破るには破城槌しか無いが、頭に血が上って我を忘れている。
何とかこじ開けようと粘るが、そもそも外開きになる構造になっていない所か、扉に見えるが実は扉の構造にもなっていない。
大きく分厚く丈夫な2枚の板が嵌っているだけなのだ。
そんな報われない努力を重ねる北畠兵に帰蝶が頭上から声を掛ける。
「がんばって! もう少しですよ!」
「ぬがぁぁぁッ!!」
怒りのあまり門に頭突きをした兵は、そのまま失神してしまった。
そのころ、ようやく若干冷静になった兵が丸太に細工がされていると叫んだ。
あまりにも丸太から堀に落ちる兵が多い為、不審に思ったのである。
ただ頭に血が上るあまり、少し考えれば解る結論にたどり着くのが遅れに遅れた。
しかし、挑発がこれ程効いてしまう事があり得るのだろうか?
答えはあり得るのである。
戦の手段に『言葉合戦』と言われるものがある。
文字通り言葉で相手を挑発し敵を苛立たせ、自軍の兵を鼓舞するのであるが、合戦を仕掛けた武将が言い負かされて激昂し、勝手に突撃してしまう事が多々あり、結果、多くの指揮官が言葉合戦を禁じる命令を出す程である。
頭の良い知将が行う挑発は効果覿面なのだが、自分を勘違いした声が大きいだけの猪武者が墓穴を掘るので、一字一句間違えずに読むよう台本を渡すか、いっその事禁止してしまうのである。
イマイチ、実感の無い方もいるかもしれない。
しかし、現代でさえスポーツの場で、観客vs観客、観客vs選手の罵詈雑言の争いはニュースを賑わしている。
他にも何かしらの討論の場でも、政治の場でも、会議の場でも、ネット掲示板でも、諍いの最初の一歩は言葉合戦である。
挑発の有効性は身近に溢れていのである。
話を戻して、そんな帰蝶のバラエティ豊かな挑発は効果覿面で北畠兵を門に引き付け、貴重な時間と兵を奪っていった。
ただ、人間は怒り続けると言うのも中々難しく、激昂しても直ぐに醒めてしまう兵もいる。
そんな醒めた兵は、門の突破を諦めて堀を渡ろうとするが、東門同様の土壁策が施された塀に梯子をかけては弾き飛ばされり、弓兵に普通に射られて堀に落ちた。
そんな丸太の罠を見抜いたの兵は、門も塀もダメで行き場を失った兵だった。
そこで帰蝶は次の作戦に移る。
「ようやく気付いたようですね? 待っててあげますから丸太を撤去して良いですよ? ただし、この門から逃げる者は容赦なく射るので、皆さん一丸となって新しい橋を架けてくださいね~」
そう言って、冷静になり逃げだそうとした北畠兵を親衛隊が射殺した。
実は東側に援軍に行けと言われた兵は、そのまま残って姿を隠しただけである。
挑発の一環であるが、そんな事は北畠兵に分かるはずもない。
それよりも本当に逃げた兵だけが狙われて、丸太を撤去しようとする兵が見逃される異常事態に困惑している。
敵軍に鼓舞されて城の攻略なんて聞いた事がない。
怒りと羞恥と混乱で前後不覚になりつつある兵は、言われるままに丸太を堀に落とし新しい橋を架けた。
それは敵味方一体となって行われる不思議な光景であった。
「破城槌の準備は良いかしら? 男らしい所を見せなさいよ? せーの!」
別に帰蝶の号令に合わせている訳では無いが、帰蝶がタイミングを見計らって号令を飛ばすので、一致団結して行っている様に見えた。
これも帰蝶流の挑発である。
ただ、当然一致団結した所で門は絶対に開かない。
北畠兵は半泣きの状態で、無駄な努力を強いられる事になった。
その間にも逃げようとした兵は的確な射撃で討ち取られて行き、唯一安全な退路である後ろならば矢からは逃げ切れる可能性があるが、背後に控える大将が憤怒の形相で立ちはだかっている。
ここに、少ない兵での防衛と、挑発による引き付けた上で、最後に絶対に突破できない門。
全ての実験が上手く機能していた。
こうして半刻あまりの時が経過した。
入れ替わり立ち代わり兵達がムキになって破城槌を打ち込むが、傷は付けられるが全くびくともしない。
「がんばってー」
帰蝶も応援に疲れて棒読みに近い。
この頃になると精根尽き果てた兵が逃亡したが、もう弓での追撃は行われていないので、南門を攻める北畠軍は当初の半数以下になっていた。
人員の減少から、とうとう大将自らが側近と共に破城槌を担ぎ出し門に突撃した。
しかし、当然であるがビクともしない。
がっくりと膝を落とす大将に帰蝶が声を掛ける。
「諦めて降伏するなら命の保証はしますよー」
のんきな声で語りかける帰蝶に、扉を殴って拒否の意思を示すが声を出しての拒否はしなかった。
怒りと羞恥で疲れ果てていたのだ。
しかし―――
(……? 今、門の感触が変だったぞ? 妙に響くと言うか……)
不審に思い両手で門を押してみる。
ズシリと重い門は微かに奥に倒れかかった。
(最初は破城槌で突いても、ズシンと響いて隙間を感じさせる音などしなかった! しかし今はまるで隙間が出来たかの様に動く!? ん? ……隙間? 隙間ってなんじゃ!? 何と何の隙間なのじゃ!?)
帰蝶は敵が何かに気付いたのを察し、間延びした声で語りかける。
「あっ、気づきましたー? じゃあ種明かしをしましょうかねー」
そう言って帰蝶は親衛隊に命令し、扉を内側から操作し横に開いた。
この南門は横にスライドして開くように設計してあった。
言うなれば巨大な襖である。
その巨大襖を内側から土で固めて、摩擦で動かないようにしたのである。
何度も破城槌で扉を叩いたので、土が固まって扉がスライドできる程に隙間が出来たのだ。
「横ッ……開ッ……きッ……!! …………ッ!?」
そんな横に動く扉を呆然と眺めながら、ワナワナと震える北畠軍に更に追い打ちがかかる。
頭上を越えて山積みになった土の塊が視界に現れた。
「な、な、な……!?」
「さぁ、今度はこの土の撤去です! 皆さんが一生懸命叩いて固めた土ですので名残惜しいですが、断腸の思いで撤去を許可します!」
わざとらしい涙声で許可を出した後、表情を一変させて告げた。
「土は堀に捨てて構いませんので頑張ってくださ~い!」
「なん……な……!!」
「あ、道具は貸してあげます」
そういって帰蝶は木の板を投げて寄越した。
これで掘れ、という事である。
カランと木の板が地面に落ちた。
2回程バウンドし動きを止めた板を見届けた所で、軍の大将は泡を吹いて倒れた。
怒りと羞恥に無駄な努力が加わり、許容を超える徒労で気絶したのだ。
残る北畠兵も武器を落とし膝をついた。
立っている者は僅かである。
「ここらが潮時ね。親衛隊前へ!」
実験の為にあえて前に出ていなかった兵が塀の上に勢揃いする。
「北畠兵に告ぐ! 今から四半刻の間だけ投降を受け付ける! 武器と具足を全て捨てた者のみ、そこの橋を渡って参れ!」
そういって堀に橋と梯子が架けられた。
「逃げるのも自由であるが、武器具足を持ったまま動く事は許さん! 時間が経過した後この場に残る者は、城より打って出て根切にする!」
この宣言が止めの一撃であった。
ノロノロと武装解除する北畠兵が相次いだ。
死人の様な表情で橋を渡り場内に入る者、同じく下山する者。
武装をしたままの者はいるには居たが、呆然自失となって座り込んでいるだけだった。
どうやら先程の帰蝶の降伏宣告を聞いていなかった様である。
(残った兵に戦う力はもう無さそうだし、あまり苛めては可哀想ね。場外にでるには凄く大回りしないといけないし、ま、いいか)
ここに悪夢の南門突破戦が終わったのであった。