202-1話 興福寺の天秤 首級 or 仏殿
202話は3部構成です。
202-1話からご覧ください。
【大和国/興福寺 門前 三好軍本陣】
地面に頭をこすり付ける、尋円を囲む三好、織田軍の諸将。
威圧感の嵐の中で、生きた心地がしないのは言うまでもないだろう。
「どうか……どうかお慈悲をお願いいたします!」
「じ、慈悲!? 慈悲と申すのか!? ブフッ……慈悲って……アッハッハ!」
「な、何を……」
興福寺尋円の言い分に、三好実休は思わず笑ってしまった。
交渉の場で礼を失しているが、笑わずにはいられなかった。
尋円は困惑したが、笑われる理由には心当たりがありすぎた。
「良いかな尋円殿? 20日前の時点で我らは使者に『尋円殿と良く相談せよ』と伝えたぞ? 相談の結果10日では有効な答えが得られず、さらにオマケで10日与えた。その結果が、貴殿らの攻撃だった。我らは2回も慈悲を与えてそれでもなお、貴殿らは攻撃を選んだのだ。そこは認識していような?」
「申し訳ありませぬ!!」
尋円の頭は地面にめり込んだ。
「違います。違いますぞ? 『申し訳ない』は当然として、そうではありませぬ。認識の有無を聞いているのですよ」
「うっ……」
認識しているかと問われれば『認識しています』と完璧に答えられる程度に認識しているが、絶対に断言できず尋円は返答に窮する。
修行で得た知識は、絶体絶命の今に、何の言い訳も仏法も捻り出せなかった。
「それに慈悲と簡単に言うが、ワシらはこれ以上何の慈悲を与えれば良いのだ? 20日の慈悲、攻撃を受けても話を聞く慈悲。今現状に至って即殺さない慈悲。正直、あと与えられる慈悲に何があるのか本当にわからん。故に教えてくれ。希望があれば聞くぞ?」
「……ッ!」
それは勿論『総赦免』である。
だが、その言葉は死んでも自分から出してはならない。
ひたすら謝罪懇願し、仕方なく許してもらうのだ。
総赦免を乞うなど、図々しい上に、殺されてもおかしくない言葉。
総赦免は乞うのではなく、相手から出る言葉。
例えば『お客様は神様だろうが!』と自分で言う客がいるが、知っての通りこれは誤用も誤用、恥知らずの超特大誤用。
店側が客に対する謝意として『神様扱い』するのであって、客が己を『神』を名乗れば、頭の狂った変質者だ。
それと同じ理論である。
故に現代なら、自分を『神』と名乗る変質者は通報するに限る。
戦国時代なら、変質者は殺さなくてはならない。
当たり前の理論だ。
それと同じで、故に実休は『許す』と言わないし、尋円は『許す』と言わせたい。
その激烈な戦いの真っ最中なのである。
《意地の悪い男よのう。楽しんでおるわ》
信長が実休の言葉を聞きながら、己も楽しんでいた。
相手を捻じ伏せたこの瞬間こそが、格別の快感なのは、どんなに性格が天使な人間でも同じだろう。
そんな信長にファラージャが声をかけた。
《……一応聞きますけど、『人の振り見て我が振り直せ』って諺は未来知識ですか?》
《残念ながら知らん言葉だが、ワシが知らんだけかも知れん。まぁ意味は理解できるぞ。……まさか? フッ。アレ程酷くは無いじゃろうて》
《今の実休さんの顔をよく見てください。酷い時はアレの10倍は悪い顔していますよ?》
《ハハハ。10倍って、流石に盛り過ぎじゃろうて。……えっ、本当に?》
《信長さんの場合、殺気もありますしね。それに今の顔も酷いですね》
《ッ!!》
信長は一人だけ急に顔を抑え俯いた。
確かにニヤケ笑いが両手越しに伝わる。
間違いなく悪い顔だろう。
そんな信長のショックを他所に、実休と尋円は舌戦を繰り広げていた。
「そもそも慈悲という前にだな? こちらの要望を何一つ叶えてくれておらん。畠山高政を連れて来ないし、情報も寄こさない。居ないなら居ないでそう言えば良いのに、何も言わずに攻め寄せてきた。逆に聞こう尋円殿。そんな奴に対する慈悲は何が適当だと思う?」
「……ッ!!」
実休の言葉に尋円は、予想外の酸っぱさの梅干しを食べたかの様な、苦渋の表情を極めたかの様な顔になる。
《嫌な問じゃなぁ。自らを罰する言葉を自ら言わせる悪意の質問じゃ。ここで甘い裁定を下せば叱責され、厳しい裁定をすれば、ソレが実行される。潔く死ねるなら、こんな事にはなっておらんじゃろう。尋円も災難よな。攻めてきたのは三好なのにソレも言えん。八方塞がりじゃ》
《信長さんならどうします》
《頭を下げに下げて、誓いを立て引っ込む。引退しても良いな。金銀財宝も惜しまん。それで最後に勝てば良いのだ。例えばワシに対する包囲網はまさに土下座外交だった。やりようはある》
《信長さんならここからでも勝てると?》
《包囲網とは状況が違うからな。同じ手法は使えんが手はある。尋円の命と興福寺。どちらが大事かじゃな。ここが寺院の弱点。人よりも大切な物が満載じゃ。いくら最高位の高僧とて、仏像や神殿には敵わぬ。故に尋円の首と引き換えに、新しい別当を立てるのが最良の道となろう。ワシの場合なら仏像なぞ只の木材や鉄、石に過ぎん物に価値を見出せん以上、さっさと建物と引き換えに逃げて、再起を図るがな》
《なるほど……。さすが安土城に仏像を使っただけはありますね》
《そんな情報が伝わっておるのか?》
《絶対神信長は、邪教の象徴で壁や階段を作って、己の威と正当性を万民に示したと伝わっています》
《……我ながら酷い言われようじゃな。壁や階段にしたのは間違ってはおらんが……。ワシは別に仏が憎くて階段や石垣にした訳じゃ無いぞ?》
《そうなんですか?》
《憎いのは宗教じゃ無くて一部の僧侶じゃからな。まぁ? 多少は鬱憤晴らしもあったと認めよう! しかし、それでもあれは管理者の居なくなった只の石。もったいないから再利用したに過ぎぬわ。やはり歴史は勝者の都合の良い様につかわれておるなぁ!? そうだろう!?》
《そ、そうでしたか……(合っている部分もあるのね……)》
現存する安土城跡地には、石の仏像が階段として使われている。
これを証拠に信長は無神論者と言う人もいる一方で、宿泊施設が寺で、しかも安土宗論で敗北判定を出した法華宗の本能寺と言うチグハグ具合が、歴史学者を悩ませる原因になっている。
信長とファラージャが歴史談議をしている一方で、興福寺と三好実休の交渉は佳境に入っていた。
「分かった。こうしよう。尋円殿他、今ここに居る高僧全員の首で興福寺には手を出さない。コレでどうじゃ?」
宗教が絶対の世界である。
史実では焼けた後で再建した仏像や建物も、貴重な文化遺産となっている。
それが、焼失する事無く後世に残るなら、涙を流して喜ぶべき譲歩案だ。
別の歴史を知っているのならば、だが。
「……ッ!!」
尋円は体を震わせて反応した。
『死にたくない』
誰が見てもそう言っている。
雄弁に背中で語っている。
使者全員が、テレパシーの如く命乞いをする。
《すごい! テレパシーで声が聞こえそうです!》
《童でも理解するじゃろうな》
「この提案では不服かね? かなり譲歩した慈悲じゃと思うが?」
責任者は責任を取る為に居るのだ。
ここで、小僧の首を出されても意味がない。
ここに居る責任者全員の首は妥当な線であろう。
戦国時代では『自分の命と引き換えに兵の助命嘆願』など、よくある条件だ。
だが尋円は抗った。
「く、首を差し出すのは構いませぬ! しかし、高僧全てでは後継者を育てられませぬ!」
「成程。一理ある。では尋円殿以外の首で宜しいかね?」
「!!」
尋円は歯を食いしばって笑顔を封殺した。
ここで笑顔を見せる馬鹿はいない。
普通は『自分の命だけでご勘弁を』という場面だ。
「ふむ? 信条か信念か、それとも使命か? 志半ばで果てるのは受け入れがたいか。それはそうよな」
本当は『不服か、不満か、恐怖か? 死にたくないよなぁ?』と聞きたい所を、精一杯配慮した言葉で『尋円の高潔な精神』としてワザと称えた。
「ッ!! その配慮、誠に申し訳なく思います!」
尋円も飾った言葉と知りつつ、やっと引き出せた言葉に、活路を見出し、精一杯の謝罪をした。
だが、まだ『命乞い』はしてはならない。
もう少し、相手が折れなければ、怒りを買うだけだ。
尋円のその判断は正しい。
粘り勝ちと言っても良い。
だが、粘りすぎだった。
首を差し出しておけば良かった。
「貴殿らを処刑しても後継者は育たず。しかし、三好軍として落とし前は必須だ。この理論は分かりますな?」
「……は、はい!」
「ならば折衷案として興福寺は破却する。燃やして残骸にして、報いを受けてもらう。勿論、宗派として存続するのは自由。場所も奪わん。寄付を募って再建するも自由。これで誰も死なず、後継者も育つ。万々歳だな?」
「そ、それは……!?」
文化財と言う概念は無いが、先祖代々守ってきた大事な施設である認識はある。
己の首も、使者の首も、寺院の破却も受け入れられない。
都合が良過ぎる、ふざけた要求なのは理解している。
しかしそれでも総赦免を勝ち取らねばならない。
「確かに仰る通りではありますが、破却は修行場の喪失と同義。意思あらばどこでも修行できると宣う宗派もありますが、煩悩にまみれた俗世で修業は成り立ちません!」
「な、成程な……!」
実休は思わず感心してしまった。
徹底的に慈悲を蹴り、その上の結果の果てに、死ねず、壊せず、アレやコレやと理由をつけて粘りに粘る。
驚異的な粘りだ。
実休をして『コレが交渉か!』と感心してしまった。
しがらみが無ければ外交僧として召し抱えたいぐらいだ。
《言わせたい実休と言いたくない尋円か。こりゃ埒が明かん様じゃな。粘りよるわ》
《どうします?》
《助け舟をだすか》
そう言って信長は立ち上がった。




