32話 長野城攻防開戦
【伊勢国/長野城 織田家】
北畠晴具が北伊勢の情勢を探っている頃、信長は長野城の他、北畠と領地が接する最前線の城に改修を施し始めた。
北畠が間者を放って情報を集めている事を察知し、戦の前兆と判断した為だ。
(近い内に北畠は攻め入るやも知れぬな)
今攻められても特に困ることは無いが、かと言って防衛戦は領地を得る戦いではなく守る戦いである。
自分の物を守るので、何かを新規に得る物は少ないので、それならばと、新規親衛隊の黒鍬訓練を兼ねて城の改修を行う事にした。
黒鍬、又の名を黒鍬衆とも言う。
戦では小荷駄隊に属し、陣地や橋の設営や進軍経路の道を整備したり、土木に関する作業を請け負う工作兵である。
時には簡素ではあっても城や砦を素早く建設し、時にはトンネルで敵城の水脈を切り生活に必須の水を枯れさせ、時には地盤を崩して城の建物を崩壊させたり、戦における縁の下の力持ち的な役割を担う。
今は戦に関わる親衛隊の全てが黒鍬を含めた作業が出来る。
濃尾街道も彼らが積極的に関わっている。
しかし信長は親衛隊も規模が大きくなってきたので、親衛隊の戦闘に向かない者や、職人的技能を持つ者をエキスパート化させる為、兵農分離させた親衛隊を更に分離し活躍させようと試みている。
兵工分離とでも言うべきか。
より高度な作業を、より素早く、より高品質に、より無駄なく追求する、縁の下どころか国の下の力持ちにするつもりである。
それに加齢や負傷で戦えなくなった親衛隊の受け皿にも出来る。
帰農させても良いが、いずれ必ず来る戦いからの引退後の道も多様性を持たせれば人も集まりやすくなるとの考えである。
その意味でも長野城は黒鍬訓練に最適の城である。
標高約500mの山城で、改修に必要な材料も城の周囲に潤沢にある。
兵の宿舎も不足しているので、真冬になる前に森を切り開きつつ、城を拡張し、井戸や生活に必要な物を整備し、土壁、畝や空堀、落とし穴、虎口の改良、櫓の増設、罠の設置等、徹底的に改修を行い、間者活動から帰還した者も加わると加速度的に長野城は要塞化していった。
「うむ。この調子であれば、付城戦術も運用間近と言ったところか」
史実に無い要塞化を果たした長野城をみて信長が満足げにうなずく。
そんな信長に対し聞き慣れない言葉を聞いたファラージャが尋ねる。
《付城戦術って何ですか?》
《付城とは……説明が難しいが便利な物じゃ。例えば敵の城の周りに、これ見よがしに拠点を築く》
《城を奪うのに城を築くのですか?》
《その通り。想像してみよ。お主の視界の範囲に常に見張りがいたら? 非常に邪魔じゃろう?》
《確かに!》
《その見張りが1人ではなく、3人4人と増えたら?》
ファラージャは四方八方から常にじっと観察される光景を思い描き身震いした。
《気が狂いますね……》
《そうじゃな。気が触れて自滅する場合もあるし、敵城の動きの一切を封じる事もできる。常に監視しておるから、伝令や兵糧運搬など全てを見切り妨害するのも容易じゃ。兵糧攻めに移行するのも一斉に襲い掛かるも思うが儘じゃ。そういう意味では特に長期戦に向いておる。生活拠点にもなるから兵の疲労も溜まりにくい。また城や砦であれば防御も楽じゃ。防御している間に別の付城から援軍を呼ぶこともできる。良い事ずくめじゃ。難点は物資、兵糧、銭が大量に必要になるから、今は気軽に採れる戦法でもないがな》
そんな戦術を語る信長に、ファラージャは以前から思っていたことを語る。
《戦場で神がかり的な采配や策で活躍した人は、後世にたくさん伝わってますけど、信長さんってそんな次元に収まらない、ダイナミックな戦法が得意なんですね。……あっ》
そう褒めたファラージャは言った後で後悔した。
信長が得意満面に自身の自慢をするかもしれないと警戒したからだ。
今川義元談義で痛い目を見たファラージャは怒涛の長話に備えて身構えた。
《……得意、か》
ところが当の信長は複雑な顔をしている。
まるで『苦虫を噛み潰した顔』とも『疲れた顔』とも言える変な顔だ。
《後世の者が見ればそうなのかも知れぬが、本当は苦肉の策で生まれた様な物じゃ。尾張の兵は弱兵と呼ばれているのは知っておるか?》
《聞いた事はあります。すぐ近くの三河兵は精強だとも。武田信玄の甲州兵も戦国最強って言われてますね》
《その通り。三河兵も甲州兵も強い。しかし、ひょっとしたら尾張兵は日ノ本一の弱兵かもしれぬ。なぜなら尾張は豊かで栄えておるからな。三河兵や甲州兵に比べて必死さがどうしても劣る。そんな奴ら相手に小手先の策など通用せぬ。ワシは四六時中考えたよ。どうすれば弱い尾張兵で勝てるのかをな》
《それが『専門兵士の計』や『鉄砲斉射部隊』『鉄甲船』に繋がるんですね?》
《そうじゃ。結局こちらの豊かさを逆手に取って攻めるしかないのじゃ。兵を揃え敵の射程外から攻撃できるように工夫し、攻撃を跳ね返し精神に揺さぶりをかける。これがワシの基本方針なのじゃ》
《は~……。大変だったんですねー》
一億年後には神として君臨する信長の意外な悩みと苦労を知って、ファラージャはより一層の親近感を覚えたのであった。
3か月後。
季節が真冬になった頃、北畠軍の出陣が告げられた。
「そうか。岐阜程じゃ無いにしても寒い中ご苦労なことじゃな」
信長は塙直政、飯岡尚清より報告を受けた。
「ぎふ? ぎふとは一体……」
「あ!? いや寒くて口が上手く回らなかっただけじゃ。気にするな。それよりも敵がどこの城に取り付くか不明であるが、計画通り各城と連携して追い払う。民の避難も忘れるな!」
「はっ!」
直政は草生城、尚清は安濃城へ担当する城に戻り準備を進める。
信長は長野城の他にも北畠領に面する草生城、安濃城も攻められる事を想定し、経験を加味した改修を施し要塞化を施していた。
ただ、立地からして長野城が一番攻められる可能性が高い。
一番山岳部なので攻めにくいが、端に位置するので、挟撃の可能性も少ない上、邪魔は入りにくい。
これが理由だった。
前々世、各地で見聞きした物を可能な限り再現し、その上で既に導入されている防御技術を可能な限り極端にした。
これは要塞化した城の破壊力を親衛隊に体感させる為、あえて討って出ず『百聞は一見にしかず』を実施するつもりである。
今回の信長の策は単純明快。
城の防御力で敵を跳ね返しつつ、攻められなかった他の城から援軍を呼び寄せ撃退することである。
北畠の戦力的に、分散し同時攻略は無いと判断した。
「奴ら攻め寄せるのに随分時間が掛かった所を見ると、我らの流言飛語が効いたようじゃな。さて北畠共はどう出るかのう?」
信長は新生長野城を見た北畠軍の驚く顔を想像しつつ、楽しみに待ち構えることにした。
【伊勢国/北畠晴具軍】
北畠軍が北上をしている。
その数1万。
伊勢の農兵を総動員した北畠の総力戦体勢である。
その総大将たる北畠晴具の下に伝令が駆け込んできた。
馬上より飛び降りた伝令が拝謁を願い出て許しが出た後引き合わされる。
「申し上げます! 織田軍は討ってでる気配がありません! 民も逃散しており、士気は知れませんが城の改修も施されており、籠城の構えです!」
その報告を受けた晴具が主だった家臣を集める。
「織田軍は籠城の構えらしい。先の偵察報告と照らし合わせて考えられるのは『民が逃散し出撃出来る程の兵が集まらなかった』『年貢の強制徴収があった故に飢えの心配はない』『伊賀者が織田についた』であるな?」
しっかりとした口調であるか、どこか自分に言い聞かせている様な感じがする言葉であった。
息子の具教が同意し付け加える。
「その様に見て間違いないでしょう。気になるのは城の改修ですが長野城は山城故に、防御に適した城ではありますので、籠城するのは解かりますが……。改修を担当する民は逃げたのに改修が施されたと言うのが引っ掛かりますな」
「そうじゃな。やはり情報に虚報があるのは間違いない。今の伝令報告を一番信用できる情報として、籠城の構えの長野城を攻略する。近隣の草生城、安濃城は警戒するに留める!」
進軍を再開した北畠軍は、長野城を取り囲みに入る。
見上げれば城が見えるがパッと目につくのは櫓が増え、城に近い森が以前より切り開かれているのが確認できた。
「改修と言っても櫓が増えて警戒監視が強化された程度か? それならば分からぬでは無いが……。本当に討って出る様子も無いな。これなら直ぐに攻め立てても良さそうじゃが、どうにも嫌な予感がして止まぬ」
晴具が歴戦の武将らしからぬ不安の言葉をこぼした。
「父上の懸念はもっともです。とりあえず偵察部隊を森の切れ目まで送り報告を待ちましょう!」
具教が父の不安をくみ取り偵察部隊を派遣し、部隊は唯一の道である南側の山道から侵入し偵察を終えて帰還した。
「報告します。森が開けた場所から城まで一面『畝』で囲まれております。」
『畝』とは現代の畑の様に山なりに土を盛って固め、敵の進軍経路を限定させる効果がある。
盛り土の山を進軍すれば格好の的である為、谷側を進軍するしかないが、一列縦隊を余儀なくされ兵が固まってしまい、それはそれで格好の的になる。
結局盾で矢を防ぎつつ進軍するしか手段がなくなってしまう。
「畝か。身を隠す場所が無いのが難点じゃが、櫓の増設と合わせてその程度の改修か。よし! 全軍森の切れ目まで進軍! その後は盾部隊を前面に押し出し城門に取り付き次第、突破せよ! 先駆けは奮戦せよ!」
そう判断した晴具の号令と共に、北畠軍が長野城への攻撃を開始した。
【伊勢国/長野城 織田家】
信長は櫓から北畠が森に入り進軍する様子をしっかりと確認した。
「者共! 北畠が進軍を開始した! 弓隊準備をせよ! 合図と共に寒い中御足労頂いた北畠に矢の雨でもてなすぞ!」
それだけ告げると、信長は北畠軍の運命を憐れみ、微塵も信じていない神仏に、これから大量に魂が昇る事を心の中で予告したのだった。
【北畠軍/森林進軍部隊 東側】
南側にしか道と呼べる物が無いので、長野城を囲んだ大半の部隊は道無き道を、蔓や枝葉をかき分けながら苦労して進軍していたが、その苦労して進んでいる部隊の先頭十数人が急に消えた。
「おわぁッ!? ……うぐッ……ぎぃやぁぁぁッ!!」
道には大きな落とし穴が掘られており、大人数が乗って耐えきれなくなった偽装の蓋が落ちて、竹槍が埋め込まれた穴に落ちて絶命した。
何人かは命は助かっていたが、戦闘続行不能の怪我を負っていた。
別に北畠軍が油断していた訳では無い。
森の罠は十分に警戒していたが、それでも引っ掛かってしまう程、巧妙に偽装された罠であった。
こうして長野城の外周のそこかしこで悲鳴があがる。
丸太の下敷きになり、飛び出す杭に胴体を貫かれて、落石に潰され多数の兵が負傷し落命した。
冬の澄んだ空気に乗った悲鳴は信長にも十分届いた。
「まずは東側から間もなく敵が現れよう。準備を怠るなよ! それ以外は暫く時がかかろうて!」
信長は最初に敵が現れる位置を予言した。
【北畠軍/北畠具教隊 南側】
南の山道から移動する具教は、周囲から聞こえる心を抉る様な悲鳴に舌打ちをした。
「チッ! 偵察部隊はこの道しか通らなかったのか!」
森を通れば罠の報告も上がったであろうが、偵察部隊は急ぐ余り山道を登っていたのだった。
後悔しても後の祭りであるが、もう侵攻が始まっているので嘆いても仕方が無い。
具教は気持ちを切り替え、今進軍している山道について罠の有無を考える。
(南の山道は織田軍も利用する道故に、落とし穴の様な自軍の移動を妨げる罠は無い。左右の森からの伏兵は警戒しなければならないが、森を進む部隊に比べれば比較的安全じゃ)
それが具教の結論であった。
しかし、もうすぐ森を抜ける所で、具教隊の先陣が落とし穴の罠に掛かったと報告が飛んで来た。
「なんじゃと!? これでは奴らも城から打って出る道が無くなるではないか!?」
具教は信長の思惑を知らない。
信長は今回、城から出るつもりが無いので、自分達の移動に必要な道にも、道として利用するには壊滅的な被害を受ける罠も遠慮なく設置していた。
もちろん、本当に移動できないのは困るので安全に通れる道は準備してある。
東側に森を切り開いて作った、少々悪路ではあるが道があるのだ。
だから信長は運良く(悪く)その道を使う部隊がある東側から最初に敵が来ると言ったのだった。
北畠軍が侵攻する前に放った偵察隊は警戒するため南側の道の端を移動していた為、命が助かって運が良いのか、罠を発見できず運が悪いのか、落とし穴を迂回してしまっていた。
その結果、信長軍も利用するであろう道が完全封鎖される、そんな異常事態に具教隊の進軍が停止した。
舗装された道に進軍を阻む罠があり、左右を森に囲まれた場所で立ち往生である。
具教は猛烈な殺意を感じ叫ぶ。
「全軍下山! 急……」
そう具教が叫ぶと同時に左右の森から矢の雨が降り注ぐ。
この道には必ず北畠の主力が通ることを見越した信長が、兵を潜ませていたのだ。
一方、具教の急な反転命令は最後尾の部隊まで連絡が行き届かない。
兵を下山させようとしても大混乱に陥ってしまい、進退窮まってしまった。
森に逃げれば罠がある、前には落とし穴となると来た道を引き返すしかないが、後ろは軍が詰まって動けない。
具教率いる騎馬部隊は味方の兵を蹴散らしつつ脱出するしか無かった。
具教はまだ知らないが最悪なことに、最後尾まで通過した時点で木が切り倒され帰り道も塞がれていて、結果、具教隊3000は罠と少数の伏兵で壊滅してしまった。
態勢を立て直すにしても時間が掛かるし、立て直した後は罠のある道なき道を行くしか無い。
北畠軍1万の内3000が致命的な時間ロスを被る羽目になった。
【北畠軍/森林侵攻部隊 東側】
罠の無い道を進むことが出来た運の良い東側の兵が、ようやく森を抜けだした。
あちこちから聞こえる悲鳴に、まったく罠が無いのに心身ともに疲弊してしまっている。
これから名を挙げる予定の血気盛んな北畠軍の先駆けが声を張り上げる。
「者共! どうやら我らが一番乗りを果たす事となりそうだ! 一番乗りは兵士の誉れ! 盾を構えろ! 畝を駆け抜けるぞ!」
一番乗り、あるいは一番槍が兵士の誉れであるのは紛れもない事実である。
褒美の桁も違ってくる。
なぜなら、一番死ぬ可能性が高いからだ。
敵将を討ち取らなくても、一番に乗り込んで勝利の切っ掛けを作る一番槍は、兵士の誉れとして持てはやされ、生還すれば当然、討ち死にしても語り継がれ家族も保護される。
そう言った名誉心を刺激し死兵を作るのも指揮官の役目である。
その北畠の一番槍となる先駆け率いる一団が、ジグザグに作られた勾配の激しい畝を駆け抜ける。
一方、長野城の東側の櫓から声が響く。
「東部弓隊構え! 射程に入ったら順次放て!」
先駆けは兵士の誉れである。
北畠の先駆けが戦端を開いた。
先駆けが戦い始めると言うことは、まだ矢の一本も放ってない織田軍も、ようやく戦い始めるのである。
『手薬煉を引く』と言う言葉がある。
弓の弦に薬煉と呼ばれる、油で松脂を煮た薬で弦の強度を上げる。
戦の前に弦に塗り準備を整える事から転じて、準備万端のことを『手薬煉を引く』と言うようになった。
その正に『手薬煉を引く』の状態で、織田軍は畝で進行方向を固定され、格好の的になった北畠軍先駆けに矢の雨を降らせる。
矢の雨の中をハリネズミになりつつ、坂道の畝を駆け抜けた先駆けとそれに続いた僅かな兵は、息も絶え絶えに堀にたどり着いた。
すぐさま城門の有無を確かめるが東側には城門が無い。
「梯子準備!」
先駆けは指示を飛ばした。
門が無ければ梯子をかけてよじ登るのが定石だが、梯子を運んでいた兵は既に矢に射られて討ち死にしていた。
焦った先駆けは堀を見る。
次の手段となると堀に飛び込んで壁をよじ登るしかない。
落ちたら骨折は免れないほど深い堀に。
運よく骨が無事でも体中に刺さった矢がより深く食い込むだろう。
しかし、その心配は無かった。
堀にはビッシリと竹槍が並べられ、無傷で落ちる隙間など無かったのだから。
ハリネズミになった先駆けは心が折れて崩れ落ちてしまった。
行くも戻るも死しかない。
(ここで死んでは無駄死……)
功を焦り足並みを揃えないことが仇となり、戦場で動きを止めた先駆けは矢で眉間を貫かれて絶命した。
名前を挙げる予定が予定のまま終わり、後世に名前が語り継がれないまま。
図形の雑さは、いつか何とかしたいと思います…。




