193-2話 桶狭間以来の戦い 不気味な畠山
193話は2部構成です。
193-1話からご覧ください。
【紀伊半島/海上 織田軍】
兄の織田信広軍を離れ、一つ先の地へ攻略に向かっている北畠具教軍へ再度合流の為、細川晴元と足立長輝(足利義輝)を伴い海路を進む信長一行。
「さて……。お主等を織田家に入れて数年経つが、元気そうで何よりじゃ」
「中央にて権謀術数で戦い、敗れて燻って居る頃に比べたらココは極楽です」
細川晴元が元気に答える。
将軍義輝を利用しつつ天下を支配し、しかし、家臣の三好長慶に将軍諸共蹴落とされ、骨の髄まで存在を利用されコケにされ続けて来た。
その後は、挽回を試みるも失敗し、更なる地獄と屈辱の蠱毒計の日々が始まった。
六角との先の見え無い争いに疲れ果てた。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。
延暦寺が仲を取り持ち六角との和睦が成立する。
六角との合同軍で、起死回生を狙った織田軍への攻撃が最後の挽回チャンスだったが、今ではその戦いに負けて良かったと思う程に元気ハツラツだ。
全ての面倒から解放され充実した日々を過ごすのが、中央で権力争いしている時より、堪らなく楽しいのだ。
正確にはもう後少し、中央の権力闘争に晴元の力が必要だが、オマケの一押しに過ぎぬ役割。
それが終われば、織田家家臣として腕を振るうだけの、平凡で幸せな人生が待っている。
「蠱毒計からの解放と御配慮感謝しております。お殿様」
一方、足立長輝が嫌味たっぷりに言った。
だがその嫌味も、織田家に捕縛され狂犬の様に吠えていた頃から、ずいぶんと変化し丸くなった。
それ程、中央で争うプレッシャーと蠱毒計が、精神を蝕んで居たのだろう。
晴元と共に挑んだ起死回生の一戦は、惜しい所まで進んだが、帰蝶に倒され、信長に諭され己の役割と真の使命を知る。
その使命を承諾するのは、煮え湯所か溶岩を飲むが如く屈辱だが、己では天下の差配など力不足所か、原点回帰しか出来ぬと現実を突き付けられる。
その現実を受け入れ、織田家に身分を偽って入るも当初は尖っていたが、今では、蠱毒からの解放と役目からの解放も合わせ、別人として生きる意味を見出していた。
だが、信長に敗れて満足感を得る程に年寄りでも無い。
天下への復帰の野望は最早無いが、信長に一泡吹かせる人生目標が出来たのだ。
この憎らしい信長の顔を、驚愕に歪ませたい。
己の存在を認めさせたい。
『流石は元将軍だ! 凄い! 素晴らしい! 素敵! 何て役に立つ男なのだ! 是非、我が右腕として天下を共に治めてくれ!(感涙)』
そう言わしめたい。
要するに、暫く前の北畠具教と同じ状況だ。
自分でも気が付かぬ愛憎入り混じった、難しい感情である。
「……? まぁ、やる気があって何よりだ。だが、尾張守の所でも話した通り、この紀伊国は異常だ。これで仮に三好を倒し起死回生を狙っているとしても、その後が続かん。全く戦略が理解出来ん。畠山の勝ち筋も分らんし、極端な話、三好は別に負けても良いのだ。大和国で負けて、勢力が全滅して消え失せる訳では無いからな」
信長はそう断言した。
但し、『三好実休』の特殊性については話せぬので、『予期せぬ歴史変化』が起きる問題だけは警戒している。
ただ、仮に実休を討ち取ったとて、もう畠山は蠱毒に入り込んでしまった勢力となる。
しかもこの期に及んで三好の策を知らぬはずが無かろうに、自ら飛び込んだ。
だから、言い表せぬ不快感や不気味さが付きまとう。
「だが、ワシが油断した所で……別に油断した訳でも無いが、北陸では『複数の七里頼周』と信じ難い奇策を経験した。ワシの思い付かん何かがあるかも知れぬ。絶対に気を抜くな」
「はッ! 承知しました!」
「畠山渾身の策が何なのか? 殿より先に解明してみせましょうぞ!」
「頼もしいな。この戦い、不審に思ったなら何でも良いから報告せよ。ワシが気付いていると思っても遠慮するな。どんなにバカバカしい事でも不審に思ったら相談せよ」
信長は『報連相』の徹底を申し付けた。
報連相とは『報告、連絡、相談を上司同僚に確実にする事』では無い。
真の報連相とは『上司が、報告、連絡、相談をし易い環境を作り出す事』なのだ。
報告したのに適当に処理される、連絡を受け付けてくれない、相談したら怒られた。
こんな上司が世間には山程いるが、これではだれも報告、連絡、相談をしなくなり、いつか組織に致命的な失敗が降り掛かる。
その時、責任を取るのは責任者たる上司なのだから、報連相が出来ない環境を作り出した上司が責任を取るのは当然であろう。
ましてや、命のやり取りがある戦国時代。
3回目の信長すら未知の状況。
部下の気づきは命綱なのだ。
史実の信長も身分に分け隔て無く話を聞いたと言う。
ここで、今一度、まだ新参の2人に『遠慮するな』と通達したのであった。
【紀伊国/佐部山城 北畠軍】
「ここもか……」
拠点攻略の北畠軍に追い付き、戦(?)の推移を見守るが、見守れる物が何にも無かった。
最初の地、次の地、そして今の地。
すべて基本的に蛻の殻。
留守居兵も居らず民しか残っていない、下働きや下女等の非戦闘員が、城の維持をしているに過ぎぬ、攻略に何の不自由も無い有様の城だった。
「これで3連続か。恐らく此の地の根こそぎ徴兵して出陣しておるのだろう」
「と、思わせての奇襲はありませぬか?」
具教が信長の断言を警戒した。
当然あり得る戦法だからだ。
「無いとは言わぬが、我らはもう警戒してしまった。ソレをやるなら先の尾張守の所か、最低でもこの地域で決戦を挑まねば、油断を誘った策は成立しまい。これでは遅きに失し過ぎている……いや」
信長は『遅きに失し過ぎている』と言ったが、意見を変えた。
「全然遅く無いやも知れぬ。この先、ずっと無人が続くなら、我らが打つべき手を見失う可能性もある。これが空城計ならばな」
空城計――
ワザと城を無人にして、或いはそう見せて、心理戦に誘うのである。
攻めれば罠が仕掛けてある可能性もある。
或いは、罠を恐れ、安全策として退却や攻撃中止なら、防御側の読み勝ちとなる。
勿論、空城計を仕掛けたら、本当に城を落とされた、と言う場合もある。
その場合は読み負けで、今の所、織田軍がその状態で突き進んでいる。
だが、今後の城も順調に攻め落とした先に、必殺の罠を一つ仕掛けておけば畠山としてはそれで事足りる。
問題はその罠がどこなのか?
或いは本当に罠があるのか?
本当に全戦力を防御も顧みず大和に送ったのか?
全く読めぬのだ。
こんな連続しての空城計など前代未聞なのだから。
「……確かに。幾ら戦下手でも期を逸し過ぎなのは理解出来ましょう。しかし空城計となると順調なのが不気味過ぎますな。戦と言うより、空き巣と言うべき有様ですからな」
織田軍の侵略は、今の所『空き巣』の如き侵略だ。
戦いらしい戦いも無い。
ほぼ無人同然の城を、攻略とも呼べぬ戦いで侵略するのだから、空き巣と例えるのが適切であろう。
具教は信長と同じ様に現状を警戒していた。
「畠山は、何か企んだ上で何らかの策を実行しておる。これは間違い無い。三好が救援依頼を出す程度には苦しめいているのだからな。だが、国を奪われてまで実行する策は聞いた事も無い。狙いも全く予想も出来ん。ならば畠山は我らが戸惑うのも当然把握しておろう」
畠山の策の全貌は分からない。
分からないが、何かやっているのは確実だ。
織田がそう読む事も承知のはずなのだ。
これで何も無しでは、本当に意味が分からない。
「如何しますか? この先も無人なら、制圧だけは出来ましょう。ただ、畠山の思惑に乗せられている気がしてなりませぬ。領地と引き換えに何か為そうとしていると見るべきかと」
「うむ。全く否定出来ん可能性だ。問題は『ソレが何か?』だな。妥当な所では時間稼ぎが有力だとは思うが、断言は危険だ。今のは兄上にも伝えるが、制圧出来る内は予定通りの場所まで制圧を続ける。最早、我らの侵略が畠山への圧力にはならんかも知れんが、畠山の策が成功してもせめて帰還する場所を無くす事は重要だ。お主は予定通り沿岸部を侵略し、本願寺までついて参れ」
「紀伊熊野参詣道を使った伊勢への侵入は無いと?」
「断言はしないが可能性は低いな。畠山は策の為に対三好で手一杯じゃ無いと、この状況の意味が説明出来ん。しかし、そうと見せ掛けての伊勢侵攻作戦なら、南近江東部の兵を使って対応する。その手配と伝令は既に送ってある。塙に任せておけば被害は最小限で済むだろう」
「塙殿ですか。ならば安心ですな」
「仮に参詣道を使っての伊勢へ奇襲が成功しても、得られる成果の割に合わん。今度は尾張と紀伊に挟まれて摺り潰されるだけじゃ。そもそも肝心の紀伊がこうも荒らされているのに、交換条件として成立していない。だから伊勢を取られても、取り返すに何の苦労も無い。じゃから、伊勢侵攻の可能性は限り無く低いと思う」
「そうですな。もはや畠山と我らでは地力の差が違い過ぎます」
「じゃから、参詣道は大和国への移動にしか使っておらんハズだ」
「そうでしょうな。我らが参詣道を追撃路として利用しない様な手だけは、打ったかも知れませぬ」
「うむ。だから紀伊沿岸部の制圧とその後の本願寺での合流は予定通りで行く。参詣道は使わない。恐らく紀伊に畠山兵はこの先も残っていないだろう。我らへの奇襲の期を逸しておる以上、織田を待ち構えている訳では無さそうじゃ。本当に全軍で三好に当たっていると見るべきであろう」
「分かりました。警戒しつつ沿岸部を攻め落とし、殿と合流します」
「うむ。雑賀と根来には手出し無用の方針は変わらぬが、追加してその地域に隣接する畠山の城も無視だ。その地域全域無視して本願寺に参れ。三好への援護は挟み撃ちでは無く、三好の後詰となるだろう。その心構えでいる様に。これは桶狭間以来の戦になるやも知れぬ」
「桶狭間! ……承知しました」
こうして、織田軍は最大級の警戒をしながら紀伊攻略をするが、その警戒が全て空振りに終わる事を、残念ながら無事に的中させ、畠山の思惑と覚悟に警戒するのであった。
【紀伊半島/船上】
《桶狭間以来ってどちらの桶狭間の事です?》
ファラージャが気になっていた事を聞いた。
《無論、最初のじゃ。具教はこの歴史しか知らぬ身だから仕方ないが、それでも桶狭間以来の言葉は重かろう》
転生直後に斎藤家との縁談と信頼関係を築き上げた。
これも立派な歴史改変だったが、桶狭間は後世に特大影響を与える歴史改編となった。
《あれはあれで、まだ連合軍として盤石な体制で迎えた戦いではない。数では互角でも、将も兵も何とか揃えただけ。百戦錬磨の義元と雪斎に敵う訳も無い上、裏切りも警戒しなければならなかったからのう》
《信行さんや、具教さんですか》
《信行か。あ奴はもう大丈夫と安心しておった。兄上も付いていたしな。結果は見事にやられたがの。フフフ。それに具教は見るだけで理解出来る憎悪を放って居ったからのう。何なら先発第二陣で使い潰すつもりであったが、今や頼もしき織田の一翼。信行も明で上手くやっとる様だが、とにかく2回目の桶狭間は何が起きるか分からぬ状態じゃった。分からん具合は1回目よりも上かもな》
《そう考えると本当に運が強かったですねぇ》
《たまたま策が上手く行っただけじゃしの。極端な事を言えば、戦は完全に運とも言える。人事を尽くして天命を待つのだからな。それの良い例が義元との取っ組み合いよ。あの時は『もう駄目じゃ』と半分は思っておったわ。……ファラの言う通り、1回目の桶狭間も2回目の桶狭間も運が良かっただけとも言えるな》
1回目は、雹雨の中、偶然義元本陣に近づけてしまった。
2回目は、練りに練った策で、伊勢湾から三河湾を使った奇襲が成功したが、策は成功しつつも、絶体絶命寸前の危うい策となってしまい、少しでも帰蝶が遅れていたら信長は死んでいた。
《運……。今からの戦いを桶狭間に例えると言う事は、これから中央で、何が起きているか判別しない中での戦いに飛び込むと?》
《そうなるじゃろう。一体、畠山は何を仕掛け、三好は何に苦しみ、我らはどう動くのが正解なのか? 今、先の義輝との話し合いの時にも言ったが別に三好が負けても即座に滅びる訳では無い。但し、ここから先は敢えて言わなかったが、畠山相手に負けでもしたら蠱毒計は終わりじゃろう。三好は威信を失い尼子に取って食われるだろう。それは困る。三好の野望はワシが阻止してこその天下布武なのだ》
《その為に本願寺に行くと? 自殺行為じゃ無いですかね?》
願証寺を考えうる限り最悪の手段で徹底的に破壊した信長である。
攻めた理由はあるが、本願寺本家の心象は悪いはずだ。
《その為の下間頼廉の書状でもある。他にも近衛前久の書状と義兄の細川晴元じゃ。今、本願寺が織田を失う行動を起こせば、北陸が二度と元に戻らんのは顕如も理解しておろう》
《じゃあ、何が起こるか分からない戦場に行くも、一応、安全策はあるんですね》
《あぁ。北陸の情勢を伝えつつ、我らの通過を認めてもらう。その為に特別な提案もあるし、生きていた13代将軍は本願寺で特別役目は無いが、中央には一番詳しいじゃろう》
《では、本願寺まで中央争いに関わっていたら?》
《ッ!! 嫌な事を言うのう。じゃが、その場合、延暦寺や興福寺に対する恨みで動くハズ。敵の敵は味方となろうて。……恐らく。間者を放っておるが、確たる情報も得られん。博打の如き戦は本来一番マズイ。金ヶ崎の様な緊急脱出とかは仕方ないが、攻めに行くのに博打は桶狭間でコリゴリなのじゃがな》
信長の戦法は、情報と金と物量だ。
戦う前に勝つ。
戦は後始末であって、本来の目的としてはならない。
そうは言っても、戦を目的にしなければならぬ場合もあるが、ココまで不気味な戦場に飛び込むのは転生含めても初めてだ。
武田に感じるプレッシャーとは違う、嫌な予感が危険シグナルを発するが、適切に対処出来ないもどかしさのまま戦場に行く恐怖を久しぶりに味わう信長であった。
熊野古道に対する名称のご指摘があり、調べた所、別の名称があるにはあったのですが、使われた時代が判別しないので『紀伊熊野参詣道』と仮の名を付けました。
完全な造語のつもりですが、この名称に対し都合が悪ければ変更もあり得ます。
『紀伊熊野参詣道』或いは、省略して『紀伊参詣道』や『参詣道』と出たら、『熊野古道を含めた周辺参詣道』だと思ってください。
よろしくお願いします。




