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外伝58話 今川『烈女の視察』瀬名

今月より、試験的に月3回投稿を目指そうと思います。(4/1エイプリルフールネタは例外)

本日4/10に今回の外伝58話、4/20に外伝59話、4/30に本編186話の予定です。

このペースを維持できればこのままで、質が落ちたり、間に合わなければ、別のやり方を検討します。

理由としては進展が遅いとの御指摘があり、私もそれは感じていた所なので、何とか工夫をしてみます。

この物語は、13章 弘治3年(1557年)の出来事である。



【駿河国/長慶寺 今川家】


 ここは今川家領内の太原雪斎が普段の生活の場として利用する長慶寺。

 その道場で稽古を付けられていたのは、今川氏真の妻である涼春(早川殿)。


「全く。政務から引退したのに、こんな事になろうとはのう……」


「……あっ、ありがとう……ございまし……た……」


 涼春が膝を付き、肩で息をしながらも礼を述べた。


 その様子を、道場の端で正座して見届ける、年の頃は同じ位の少女が居た。

 涼春が、実力で成り上がった北条家の獰猛な血を引くならば、見学する少女は今川の血を引く、気品を感じる血筋。


 名前は今川瀬名。

 歳は15。

 鋭い目つきは義元を髣髴とさせるが、瀬名は義元の娘では無い。

 苗字は今川だが、実父は関口氏純で、実母が今川義元の妹なので姪にあたる人物だ。

 近頃、義元の養女として縁組し、その上で、松平元康に嫁がせる予定である。

 

 史実での元康と瀬名の婚姻は、元康をより今川に縛り付けつつ、三河の支配をより強力にし、反逆を防ぐ面が強かった。

 その夫婦仲が良かったのか悪かったのか?

 ただ、元々今川家臣の家康が、今川家を見限って瀬名の実家の崩壊を招いた上に、叔父義元を殺した織田に近づく事実が、今川家出身の瀬名の心に何の影も落とさなかったとは思えない。


『これが戦国時代だ』


 そうは言われても、人間、簡単に納得できるだろうか?

 納得、或いは涙を流しつつ我慢した女は沢山いるだろう。

 当の帰蝶も実家を夫の信長に滅ぼされたが、それも戦国の倣いと黙認した。


 一方、瀬名は納得していなかったかもしれない。

 定説では家康との関係は悪化したと言われる。


 瀬名は今川家の無念を晴らす為に様々に暗躍し、息子信康の側室に武田関係者を迎え、情報を武田に流し、また、織田から来た五徳姫との不仲、家康と信康の対立煽りまで及び、また、信康自身の性格にも難があり、数々の非道な行いや、五徳姫へのDV等、様々な理由がある。


 あるのだが――


 瀬名と信康の非道の行いは、武田信虎を彷彿させる悪行三昧で『処刑理由の定番』でもある。

 つまり、処刑の正当性を喧伝したからには、裏があると見るのが普通だ。

 現に、関ヶ原の戦いでは『信康さえ居れば』と言ったとも伝えられ、家康、信康、瀬名の関係性は簡単に推し量れるものでも無い。


 ただ事実として『信康と瀬名は家康に処刑された』があるのみだ。


 しかし、この歴史では違う。

 桶狭間の戦いでは、今川は織田と(便宜上)引き分け、松平家は今川家に完全臣従しており、松平反逆の可能性は薄い。

 今更松平が独立しても、織田と今川の挟み撃ちですり潰されるだけだ。

 立場的にも戦略的にも反逆の可能性は限りなく低い。


 その上で、今の松平家と元康は、まだまだ領地の規模は貧弱で、しかしそこそこの戦力を有する三河衆を統率する立場である。


 ここで、松平家を単なる臣下から、立場ある今川一門衆に格上げし、松平家の安泰を図る。

 また、今川氏真の右腕として、意見できる立場を与えるのは必要な処置だ。

 そうなれば、今川家からの三河発展の後押しも話が通しやすくなる。

 その両者の繋ぎ役として白羽の矢が立ったのが瀬名だった。


 この歴史変化が夫妻にどう影響するかは未知数だが、婚姻自体は歴史通りとなる目算である。


 そんな歴史の絡まった結び目など露知らず、義元が雪斎に頼み事をしていた。

 一つは、涼春を尾張に滞在する氏真の元に向かわせた。(118-2話参照、外伝39話参照)

 織田の動きを見極める為に。


 更にもう一つ、北条涼春が去った後、義元は瀬名に対しても話しかけた。


「さて、瀬名よ」


「はッ!」


「おぬしは次郎三郎(元康)に嫁ぐことが決まっておるが、その前にお主も外の世界で情勢を見極める必要がある。今や、女だからと言って内に籠って家の内部を差配するだけが仕事では無くなりつつあるからな」


 戦国時代の女衆は、夫の留守を預かる城主代行の立場でもあり、帳簿を管理したり、家臣の家族との交流を深めたりと仕事は多い。


 だが、帰蝶がそんな常識を木っ端微塵に砕いてしまったこの歴史。

 武芸の心得無くては家を守れない。

 勿論、史実でも女衆が全くの無力ではなく、武器を扱えるが、大名の妻たちまで戦うのは、本来は稀も稀。

 夫不在時の緊急事態の場合か、城を枕に討ち死にする場合か。


 しかし今は、女も場合によっては自ら戦場へ赴く常識が、東海地方を中心に出来上がりつつある。

 戦に必ず同行する必要も無ければ、前線に立つ必要は無いが、指揮や弓などは及第点でないと困る風習が何となく出来上がってしまっている。


 ただ別に、帰蝶の様に家中トップクラスである必要は無い。


 無いのだが、今川家では、氏真が帰蝶に心酔し(44話参照)、遅れて涼春も今年の飛騨の一向一揆で帰蝶の鬼神の如き働きを見て同じく心酔し魅了される。(外伝40話参照)

 その他にも今川家中は、岡部元信、松井宗信、朝比奈泰朝など、多数の人間が影響を受けている。


 雅な公家の一面を持つ今川家は、今や武芸こそが雅な資格となりつつあった。

 だから、当然ながら瀬名も例外ではない。

 瀬名は帰蝶を見た事は無いが、男衆や涼春まで絶賛するのだから、興味が無いと言えば大嘘になる。

 涼春は一つ年下だが、女とは思えない稽古量でメキメキと実力をつける涼春に対し、家中の噂に触発され、瀬名も雪斎の道場に通っている。

 これが花嫁修業と言わんばかりに。


「それでは瀬名様。甲斐へ行く御支度を。別に何か政治的な頼み事はしませんが、敢えて任務を課すとするなら、全身で甲斐と武田を感じ、自分なりの意見をお持ちなさい。それが任務です」


「はい! 承知しました!」


 雪斎が命令を下したが、本当に瀬名に何か任務がある訳ではない。

 嘘偽りなく本当に、領地外の世界を見せるのが目的だ。

 特に武田は隣国にも鳴り響く政治が不安定な国。

 見て学ぶ事は山程あるだろう。


「では支度して参ります!」


 雅な所作の欠片もない動きで瀬名が退出していった。

 そんな瀬名を見て義元と雪斎は、頼もしいやら呆れるやら複雑な気分になった。


「……まだまだ若者に負けるつもりは無いし、我らが時代遅れとまでは言わんが、涼春や瀬名を見ると、時代の境目にいるのは間違い無いと感じてしまうのう」


 今のこの常識は、自分達が生まれた後に作られた常識だ。

 生まれる前からの常識ならすんなり受け入れるが、生まれた後に出来た常識だけに、やはりムズ痒い違和感を覚えてしまう。


「そうですな。彦五郎様(氏真)も、次郎三郎殿も、涼春殿も新しい常識を自然と受け入れています。……次郎三郎殿は若干、濃姫様に対する心的外傷が見受けられますが」


 信長が武田アレルギーならば、元康は帰蝶アレルギーだ。

 花粉症の如く、帰蝶の気配だけなら誰よりも敏感に察知できる。


「となると、瀬名のクセや当たりが強過ぎると相性が悪くなるか?」


「本当に武芸や指揮で次郎三郎殿を上回れば、夫婦仲は悪くなるかもしれませぬな」


 史実よりも有利な条件での婚姻だが、それ故に、史実よりも慎重さをも考慮しなくてはならない。

 別次元の歴史を知らない義元と雪斎なので『今度こそは』との感情は無いが、夫婦仲が悪くなるのは今川家としても都合が悪い。

 夫婦仲を悪くして攻め込む口実を作る場合もあるが、今回はそんな目的でも無いし、そもそも義元も元康を評価しているだけに、ソレは避けなければならない。

 しかし、瀬名に何かあれば、義元も親として出ない訳には行かなくなるのだ。

 故に難しいのだ。


「……瀬名の才能は決して悪くは無いと思うが、未知数なのも否めん。一方、次郎三郎は間違いなく悪くない。特に罠や危険の察知能力は随一じゃ。他も水準以上になりつつある。あれを超えるのは並大抵では無いぞ?」


 先にも書いた通り、これは、帰蝶に対する危機察知能力が、別方面に応用が利く様になったのは言うまでも無いだろう。


「そうですな。普通ならそうでしょう。ただ逆を言えば、やや臆病にも見受けられます。ただそれでも普通なら問題は無いはずです。むしろ臆病で丁度良いとも言えましょう。……普通なら」


 雪斎の歯切れが悪い。

 男をなぎ倒す帰蝶の存在が、明らかに2人の顔を曇らせていた。


「お互いの足りぬ所を補えば良し。不安や不信を持ったら悪しき婚姻となるか。織田殿が濃姫殿の無茶を全て受け止め容認している懐の深さが次郎三郎にもあれば申し分無いのだが……誰もあの男にはなれん。織田とは違う形で上手く行けば良いのだかな」


「こればかりは先を見通せません。現に『カカァ天下』との言葉もありますからな。この相性ばかりは婚姻後でしか判ずる事は出来ますまい。ただ、その判断材料を豊富にする為にも領地外の世界を見せるのも一つの手と判断したのでしょう?」


 流石は雪斎と義元師弟と言うべきか、以心伝心レベルで同一の考えが出来る2人だ。

 この旅での瀬名に対する試練や目的が、瀬名の知らない所でどんどんと積みあがる。


「うむ。『可愛い子には旅させろ』とも言うだろう? まぁ和尚の側に居ればそうそう困難に会う事も無かろうが、和尚は瀬名をどう見る?」


「何事にも真剣なのは間違いありますまい。先の涼春殿と拙僧の稽古でも、手足の動きから視線まで見極めようと、瞬きさえ忘れる程に集中しておりました。あの集中力は大したモノ。実に真面目です。木剣の素振りを命じれば『止め』と声を掛けるまで振り続ける事でしょう。これが良い方向に向けば如何なる困難も貫くが如し。悪い方向に傾けば意固地になり話も聞かなくなる。何れにせよ、若さ故でもありましょうが、もう少し角が取れたら程良いと思うのが正直な所です。今回の旅で多少なりとも世を知れば収穫ですな」


「うむ。ワシも同じ意見だ。直接の血が繋がらぬ義娘だが、親父殿や、顔も知らぬが、大叔父の早雲公を感じる……は流石に言い過ぎか?」


 義元の祖父である今川義忠は、北条早雲の妹を妻に娶り、今川氏親を産んだ。

 氏親の子である義元から見れば早雲は大叔父だ。

 早雲との直接な血の繋がりは無いが、今やサラブレット一族の北条家の血筋と今川家の血筋。

 瀬名はその血を引き継いでいる。

 勿論、血統で優劣が付く訳では無いし、史実では血筋とは最も縁遠い豊臣秀吉が天下を取った位だ。

 だが、それでも瀬名は間違いなく化ける資質を持っていた。

 ただ、化け方が未知数なだけだ。 


「若者の可能性に限界はありますまい。瀬名様が早雲公を上回っても、もう驚きませぬ。濃姫殿の先例がありますからな」


「クックック! 早雲公を超える可能性か! ならば和尚よ、道すがら外での知識を教えてやってくれ!」


「フフフ。承知しました」


 義元と雪斎は笑いながら方針を固めた。

 その笑いには『本当に早雲を越えたらどうしよう……?』と言う、嬉しい誤算と、松平家破滅の誤算の可能性が0.1%程含まれ、若干の引き攣り笑顔だったのに2人は気が付いていなかった。



【甲斐国/雪斎一行】


 駿河の国境を越え甲斐に入った雪斎と瀬名。

 初夏とは言え、山岳地帯なので涼しさが勝っている旅路。

 道は難所だが、富士川沿いを遡ればそのまま甲斐国に入れる。

 川沿いには三国同盟の折に、道が改めて整備されたが、それでも富士山を見上げる谷間の川沿いルート。

 無理やり道を通した場所もあるので、無いよりマシな道も多々ある。


「瀬名様。今日はこの廃寺で休むとしましょう。如何しますか?」


「そ、そうですね……」


 瀬名は薙刀を杖に、息を切らしつつ廃寺を見た。

 野宿よりはマシだろうが、お嬢様の瀬名に耐えられる寝床でないのは明らかだ。


「一応、もう少し頑張って、農村まで向かい納屋でも借りるのも手ですが。予定の臨済宗の寺にたどり着く頃には、完全に夜道で危険ですが……そうですな。ここは瀬名様の判断に従いましょう。これも経験です」


 この廃寺が宿泊第一候補なのは、瀬名の足取りが、老人の雪斎のペースに付いて行けなかったのが原因だ。

 瀬名も訓練の一環として、悪路や山も歩いたりしているが、領地外の遠征で気合が入りすぎたのか、ペース配分を誤り、途中で明らかにバテてしまっていた。

 ただ、自分から『休みたい』と言わない根性だけは大したものだ。


「この廃寺か農村か、まだ先の臨済宗の寺……」


 一方雪斎は、どんな答えが出ても従う気でいる。

 正解か不正解かは、明日の朝日を拝めて初めて分かるのだ。

 治安の面、夜間の山岳路、疲労した体。

 休むのも、頑張って臨済宗の寺に行くのも、農家の納屋を借りるのも全て正解であり、途中で行倒れたら当然不正解だし、ここで宿泊しても不正解である可能性がある。


「……ここで休みましょう。廃寺にしては作りもしっかりしていますし、寝床の敷き藁も沢山ありますし」


 瀬名は今すぐ稲藁に飛び込みたい程に疲れていたが、それは流石に控えたし、雪斎からの指示も飛んできた。


「分かりました。では、拙僧は食事の準備をしてまいります。井戸はありますが、瀬名様はそこの川で水を汲んで、湯を沸かしておいて下され」


 廃寺とは言え井戸がある。

 利用はできるかもしれないが、戦乱に巻き込まれ毒物や糞尿で汚染されているかもしれない。

 そんな、どんな状態か分からない井戸は使えない。

 川の水を煮沸した方が安全なのは間違いない。


「そうしたら、湯でよく足を洗って、この軟膏を塗りつけておきなさい」


「は、はい」


 瀬名は、かつてない悪路の長旅で、足の皮膚を所々傷つけていた。

 藪を歩いて掠った単なる擦過傷(さっかしょう)(すり傷)に過ぎないが、医療が未発達の時代である。

 どんな怪我でも命取りの可能性がある時代だ。

 そんな意味でも、瀬名がここで休息を決めたのは好判断だと雪斎は思った。

 無理なら無理と判断する。

 これが出来ないと人は簡単に壊れ始める。

 雪斎がこの先まで行くと言えば根性で付いて来ただろうが、判断を任された時に見栄を張らないのは重要だ。

 いずれ無理もしなければならない時が来るだろうが、今回は無理する旅では無い。

 頑張りを否定する訳では無いが、身動き取れなくなる前に休む選択をしたのは英断だ。


「さぁ、食事に致しましょう」


 持参した米を炊き、食べられる野草と捕まえた魚(魚は瀬名用)を平らげると、眠気が襲う。

 疲労が原因なのは明らかだ。


「では瀬名様はあちらの稲藁をお使いください。初夏とは言え山岳地帯だけに朝は冷えましょう。寝冷えにご注意を。拙僧はこちらを使わせてもらいます」


「はい。農民はここに潜り込んでねるんですね。……意外と暖かい……」


 そんな感想を呟いた所で瀬名の寝息が聞こえてきた。

 余程疲れていたのだろう。

 多少、汚れた稲藁であろうが、関係無い位に眠かった様だ。


 そんな瀬名を見届けて、改めて雪斎は周囲を確認した。


(寝床に使える稲藁、使用した跡がある囲炉裏に竈。所々埃が付着していない床。寺の規模……どうやら、本当に丁度良い旅宿の様だな……!)


 雪斎はそう判断すると、己も稲藁に潜り込んで眠るのであった。



【明け方】


 突如、カランカランと音が鳴り響いた。

 竹同士がぶつかり合い、音を掻き鳴らす。


 昨日、食材調達のついでに、雪斎が仕掛けた鳴子トラップだ。

 ここを拠点にしている者が居るかもしれない。

 そう思っての仕掛けだ。


「おわッ!? 何だッ!?」


 これが猟師の山小屋ならば、礼金を払えば済む話。

 最悪なのは、山賊の根城だった場合だ。

 年老いた僧に若い女。

 獲物としては、楽勝の部類だ。

 今川の使者だから見逃してくれるかどうかは賭けになる。

 武田、今川両軍による山狩りに発展する事を理解できない、愚か者の可能性もあるからだ。


「誰だ!? 勝手に俺たちの縄張りで寝てる太ぇ野郎は!?」


 どんなに好意的に聞いても、善人では無い事が察せられる汚い声。

 間違いなく山賊だ。

 夜間どこかで襲撃をして、今帰ってきた所なのだろう。

 扉を開けるなり怒鳴り込んで来た。


「これは失礼。拙僧は今川家より使者として参った太原雪斎、こちらは今川家ご息女の瀬名様。勝手に家屋を使わせて貰った非礼はお詫びします。宿賃として、こちらの銭をお納め下さい」


「い、今川家の雪斎……!?」


 この辺りで生活をして雪斎の名を知らぬ者は、幼い子供だけだ。

 山賊にもその名は轟いている。

 怒鳴りこんだ山賊も、その名にビビるが、すぐに計算が働いた。

 頭の悪い計算が。

 残念ながら山賊は、国家間問題になる計算も出来ない愚か者だった。


「だが爺と娘の2人か……! 銭も物資も女も頂いて、爺は殺せ!」


 全てを奪う、実に山賊らしい、清々しい答えと共に、5人の山賊が襲い掛かってきた。

 ここで銭を受け取り、2人を無事通過させておけば、国家問題からの山狩りによる捕縛と処刑の光景を想像できない、愚かな山賊が。


「今川の使者と知っての狼藉ならば、こちらも容赦はせぬ。たった5人で勝てると思っているなら痛い目を見てもらおう!」


(……いや。理解云々より、そうせざるを得ない、と言った感じか? まぁいい)


「瀬名様!」


「は、はい……ッ!!」


 雪斎は囲炉裏の灰に手を突っ込み、全員の顔目掛けて目つぶしを仕掛ける。

 手で防がれたり、後ろに立っていたりして、目を潰せたのは2人。

 残り3人が雪斎に襲い掛かる。

 その3人を雪斎が薙刀で切り捨てるが、1人は攻撃を避けて瀬名に襲い掛かった。


「一人は任せましたぞ!」


「お任せを!」


 と、雪斎が指示したのと、瀬名が斬ったのと、どちらが早かったのか?

 瀬名に向かった山賊は、瀬名の斬撃で首を飛ばされ、そのまま首が無いまま走り続け、勢い余って壁に激突して事切れた。


(何と言う頼もしい斬撃! うれしい誤算なのか、濃姫殿を彷彿とさせる嫌な予感なのか分らぬな!)


 瀬名は、今初めて人を殺したハズだ。

 だが、何の気負いも無い。

 血筋がそう感じさせてしまうのか、虫一匹叩き潰したかの様な振舞だ。


 一方、雪斎は目潰しで身動き取れない山賊の、むき出しの脛を柄でブン殴り転倒させた。


「さて残り2人。逃げるなら殺す! 身の上を話すなら内容によっては見逃してやろう」


 目も足も潰され、山賊は降参し身の上を話した。

 つまらない言い訳の中に、武田の重税から逃れ山賊として生きている事など、駿河にも轟く武田の圧政の話が出てきた。


 この富士川街道には今川と武田領の境目に関所がある。

 雪斎ら今川武田北条関係者は、素通りできるが民はそうは行かない。

 今川や北条から入る物品には関税がかかるが、三国同盟の都合適正価格だ。

 そもそも、今川北条ともに無理に武田に買って貰わなくても良い販売ルートを確保している。


 だが、民は違う。


 武田領に入るのは無税だが、出るのには高い税金がかかる。

 民の逃散を防ぐ為だ。


 だから民はそんな関所は通らない。

 その関所を迂回して今川領に逃げ込んでくるのだ。


 今川家は、そんな武田の民を幾人も保護ししている。

 自国の生産者として適正に抱えている。

 一応間者の可能性も考慮し、そう言った武田領脱出者を集め、村を作り、帳簿で点呼を取っている。

 点呼間隔はランダムだ。

 いかなる理由であっても居なければ間者と認定するが、基本は人助けと生産率上昇の二本立てだ。


「聞きしに勝る武田の悪政による、已むに已まれぬ行為、と言う訳か」


「へ、へい! もうどうにもする事ができず……!」


 山賊は涙を流し、苦難を訴える。


「和尚様、どう致しますか?」


「瀬名様、これも経験です。自分で判断を下しなされ」


「そうですか。では死罪とします」


「えっ……ちょ……」


 今川家による温情を期待していた山賊は絶句する。

 雪斎も、躊躇なく死罪を宣告する瀬名には驚き、一応理由を聞いた。


「反対はしませぬが、理由を伺っても?」


「武田の圧政に苦しんだ同情の余地はあります。ですが、貴方達は、武田の無実の民を、元は同じ仲間の民を襲って糧として来たのでしょう? 今川の物資を奪い、私を手籠めにしようともしましたね? 私達が負けていたら、また悪事を続けていたのでしょう? あれが最後の悪事のハズがありませんよね?」


「ひっひぃぃッ!」


「悪い事は巡り巡って償う時が来る。因果応報です。今度は貴方達の番が来たのですよ」


 そう言って瀬名は薙刀一振りで2人の山賊の首を跳ねた。

 だが首は落ちない。

 斬撃が鋭過ぎて、首の上に頭が乗ったまま絶命させてしまったのだ。


「……ッ!!」


 この光景には雪斎も驚いた。

 訓練でも太刀筋鋭い使い手だとは思っていたが、初の殺人でここまで躊躇なく、しかも剣豪の一振りの如く鋭さも持ち合わせている。


(大殿! これは……これは大化けしますぞ!?)


 人には向き不向き、才能、資質等、生まれ持った特徴がある。

 それとは別に、その生まれ持った物が、時代に適合しているか運も必要だ。

 また、気づく機会に恵まれる運も必要だ。

 更に、生まれる家にも運が必要だ。


 瀬名は、初の殺人を躊躇なくやってのけた。

 帰蝶でさえ動揺したのに、瀬名は全く動揺する様子も無い。

 これで快感を感じてしまうとシリアルキラーだが、そう言う訳でも無い。


 これが平和な時代だったら、まったく役に立たない特技で、そもそも秘めた才能に目覚める事は無いだろう。

 仮に目覚めたとしても、戦争を求め危険地帯へ傭兵として参加するしか活かす場所はない。


 しかし瀬名は、その才能を持ち、生まれた時代に恵まれ、生まれた家にも恵まれた。

 よく、『生まれる時代を間違えた』と称される人は多いが、瀬名は間違いなく、生まれる時代に相応しい才能をもって誕生した。

 唯一『女である』というのが難点だが、雪斎は、女でも勝つ方法は幾らでもあると持論を述べている。(118-2話参照)


 瀬名は特技を活かすに、何の不自由無い時代と地位と家柄を持って生まれたのだ。


(次郎三郎殿の手に負えれば良いが……。ワシは怪物を生み出してしまったのか……?)


 そこだけが雪斎も悩み所であった。

 こうして2人は、甲斐は躑躅ヶ崎館に向かうのであった。

 途中途中で、賊を撃退しながら――

次の話は、この『外伝59話』の直後の話になります。

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