信長Take3 登場人物18&あらすじ
【超長いあらすじ】
昨年、帰蝶が提案し、信長も了承した織田信忠と松姫の婚約。
その使者として武田家から武田信繁以下、信玄の信頼する精鋭が使節団として織田家を訪問する。
その発展の格差に驚きつつも、将来奪う土地として旨そうな獲物と認識し、しかし、そう簡単にいかない事も認識する使節団であった。
その使節団の裏で、武田信廉に影武者として甲斐の留守を任せ、一人甲斐を抜け出して石山本願寺に向かった武田信玄。
義兄弟の縁を頼って、北陸一向一揆対策の費用捻出を打診する。
武田家の目標は、飛騨から越中に向かう路としては不便なコースだが、東は北条、南は今川、北は上杉と囲まれており、海に出るには飛騨から越中に向かうしかルートが無い。
ただ、その地域は一向一揆が盛んであり、その一揆の本家大本である本願寺に信玄は顕如の義兄弟として鎮圧を提案し、無事許可と費用と使者の協力を得る。
一方、斎藤家も昨年、朝倉家と上杉家と共同で北陸一向一揆に対して鎮圧を始めた。
ただ、それと同時に武田も一向一揆対策に打って出るとの情報を手に入れた。
その結果、必ず飛騨でバッティングする事になる。
しかも斎藤は織田と武田の婚姻同盟を取り持った仲介人。
武田と戦う訳にはいかないので、策を練りつつ、朝倉と上杉に武田の飛騨侵攻を伝えるのであった。
こうして、各家が様々な思惑の中、策を練り相手を出し抜くべく行動開始の雪解け時期を待つのであった。
そんな中、ようやく始まった斎藤家による飛騨一向一揆攻略戦。
だが、基本は説得である。
織田家から派遣してもらった沢彦宗恩に、浄土真宗の歪みと真実を説き、武装解除を促していく地道な作業。
一方武田方も手段は同じ手あった。
本願寺から派遣された下間頼照、下間頼廉、証恵らが、おなじく仏法を説いて一揆を解体する地道な競争が続く。
だが、解体を進めれば進むほど、信仰心の度合いからか抵抗が激しくなり、斎藤家側でとうとう、戦いに発展してしまう。
武田から別行動をとった下間頼廉が時間稼ぎに動いたのである。
これには時間稼ぎは当然だが、沢彦宗恩の説法内容を極秘に伝え聞いた所、本願寺秘伝の『歎異抄』が漏れているとしか思えないが故の行動であった。
こうして斎藤家は足止めを食うが、斎藤家も武田家足止めの為に、信玄の父である信虎一党を派遣し、徹底的に武田の悪政を広めて、住民を北陸に苦しつつ、土地は手に入れても管理不能の状態にしてしまう。
こうして飛騨の説得レースは、戦う必要が無かった武田家が一歩早く越中との国境にたどり着くが、その頃には本願寺から派遣された使者が全員姿を消してしまっていた。
信虎に身柄を拘束され、越中の一揆指導者に引き渡されてたのである。
一方、斎藤帰蝶は下間頼廉が越前に向かったかもしれないとの推測から、少数での越前援護へと向かう。
越前には一向宗の聖地である吉崎御坊がある。
そこに下間頼廉がいる可能性が高い以上、何とか関わりを持って一揆との交渉が出来るかもしれないと思ったからだ。
だが、待っていたのは加賀一向一揆を差配する七里頼周だった。
加賀の七里頼周は下間頼廉を拘束し、朝倉家と戦う道を選ぶ。
朝倉家も堀江館と加賀の小松地方同時攻略で吉崎御坊を圧迫する策をとるが、その前に、堀江館に下間頼廉がいる可能性が高いことから、帰蝶と富田勢源が目の不自由な民のふりをして堀江館に潜入し、七里頼周、下間頼廉が居るも仲違いからか下間頼廉が拘束されてしまう。
それだけの情報を得て脱出する時、加賀の七里頼周に見つかり、2対1の戦闘になってしまうが、2人掛かりで七里頼周を仕留めきれない所か、押されてしまう有様であった。
史実では傲慢な僧兵だった七里頼周が、歴史変化の影響なのか、とんでもない化け物武将として成長していたのだった。
この対決は両軍の救援部隊が到着して引き離されて終わったが、翌日からの堀江館攻略も七里頼周が暴れまわり、小松地方も朝倉延景が手傷を負わせる事に成功するも、膠着状態に持ち込まれてしまった。
一方、武田と同じく越中攻略を目指している上杉軍は、越中の東半分をほぼ制圧し、武田が通過するであろう飛騨国境に近い蟹寺城周辺に砦を築き待機した。
武田対一向宗の結果から漁夫の利を狙う作戦であった。
更にその一方、飛騨と越中の国境にある蟹寺城に到着した武田軍は越中の七里頼周の策にハマり、例え蟹寺城を落としても、今度は無傷の上杉軍と相対しなければならない現状に、偽装撤退を決める。
信濃に展開中の息子義信軍を呼び寄せ、七里頼周の予想を超える軍勢で粉砕する策を取るのであった。
だが。
そうはならなかった。
武田義信が父信玄に対し謀反を企て、武田信玄と信繁兄弟を捉える事に成功する。
もし越中攻略が成功していれば発動しない策だったが、信玄の失敗を機に、父を追い落とす事を決意し、木曽福島城に閉じ込めてしまった。
その上で、攻略の余地が無い越中や飛騨より、北信濃全域の攻略に切り替える。
同時に北条でも動きがあった。
昨年の上杉の関東遠征に対する報復に動いたのだ。
武田の信濃制圧と、北条の越後侵略。
北条に越後の状況を知らせたのは越中の七里頼周である。
その動きに驚愕した上杉政虎は、越中の全軍を越後と北信濃に向けざるを得なくなり撤退となった。
それと同時期、斎藤織田軍が加賀にも越中にも七里頼周が存在する事を掴む。
色んな可能性を考えたが、七里を名乗るものが複数いると断定し、元々越中の蟹寺城は落としても領地にならない事から、越中の七里頼周と交渉して、上杉軍を飛騨側に通す見返りに、斎藤家が越中を侵略しない事と、飛騨を武田に侵略させない事を条件に休戦協定が結ばれた。
蟹寺城は、上杉、武田、斎藤、織田に狙われたのに、七里頼周は策謀だけで守り切ったのだ。
この休戦協定は、越前加賀側でも適用され、斎藤朝倉軍は船で上杉軍への救援軍となり、柏崎港から南下し、三国峠付近まで大移動を行う。
斎藤朝倉軍が越後留守居役の長政景と合流し、峠に向かうと、難所三国峠を越境してきた北条軍が待ち構えていた。
斎藤朝倉軍は、とても戦える数を揃えられていないので、中立の使者として停戦交渉役を引き受け、北条氏康、氏政親子との交渉に入る。
一方、上杉政虎は信濃の武田信玄扮する信廉に対し、猛攻撃を仕掛けるも、逆に信廉の反撃と義信の横槍に負傷してしまい、撤退する羽目になる。
武田の勢いが尋常でない事から、直江景綱と村上義清に徹底防御を命じて己は北条への対応の為、単騎で三国峠に向かう。
上杉政虎が三国峠に到着した頃、斎藤朝倉と北条との間で停戦協定の条件が結ばれていた。
それは斎藤帰蝶と北条綱成が一騎討をし、綱成が勝てば20万石2500貫を、負ければ半額の賠償を支払う事で合意し、源平合戦さながらの前代未聞の一騎討ちが行われた。
お互い死力を尽くした攻撃と技術と、未知の武器を使い攻防を繰り広げ、結果、僅差で帰蝶が勝利する。
戦いを終えた帰蝶と北条家はお互いの健闘を称えつつ氏康が、斎藤家に対し養子の派遣を提案する。
帰蝶の血筋が断裂する事を恐れたのと、三好に対抗できそうな織田、斎藤側にも縁を持ち生き残りを図ったのだ。
こうして越後が守られ、北条も減額しつつも賠償金と養子の縁を結び、越後攻防は最小限の被害で終わったのも束の間、信濃のほぼ全域が武田家に奪われたと報告が入る。
義信に捕らわれた武田信玄が、最後の悪あがきとして今川家に救援を頼んでおり、信濃は武田の手に落ちたのだった。
その頃信長は、京で近衛前久と会談し、武田と斎藤の戦いの原因である官位の捻じれを是正すべく、武田に信濃守、斎藤に飛騨守への任じ変えを要請し受け入れられた。
その中で上総守に至る条件が改めて提示され、その中には一向一揆の鎮圧も含まれていたので改めて来年に備え対策を練る信長であったが、帰還した帰蝶が北条綱成を倒した事に驚き、今川家に派遣していた塙直子らから武田義信の謀反を聞き驚き、更にその情報が、違う事を武田信虎から聞いて驚愕に驚愕に驚愕を重ねる結果に、どう動くべきかを考える。
その糸口を善徳寺での会談と定めた信長は、帰蝶の傷が癒える時期で、義元を通じて、武田、北条を善徳寺に呼び、色々確認して方針を決めようと画策する。
しかし、表れた武田信玄はどうみても本物にしか見えず、また義信が家督を継ぐ事が伝えられた。
一方、北条家からは竹王丸と浄依が養子として派遣されることが決まった。
とりあえず信長は信濃守と飛騨守の交換を打診し、承諾を得る事には成功するが、武田信玄が若い信廉に入れ替わったことで、信玄に足りなかった10年が足された事には気が付かなかった。
その後、今川家に戻って今後の対策を練る信長と帰蝶と義元は、来年は一向一揆側から条約が破られる事を前提に動くことを決め、その時に備えるのであった。
【多すぎる登場人物】
●武田家(追放)
☆武田飛騨守晴信/信玄(41歳)
☆武田左馬助信繁(37歳)
越中の海を求めて、信濃南に軍の大半を常駐させつつ、飛騨東部から越中絵向かう。
しかし、七里頼周の計略に翻弄され撤退を余儀なくされる。
だけなら良かったのだが、越中攻略を機に、息子義信と弟の信廉による謀反を許してしまい木曽福島城で拘束されるも、武田軍が引き揚げた後に通過した上杉軍に救出され、同行する。
●武田家
☆武田甲斐守義信(24歳)
☆武田刑部少輔信廉/偽信玄(30歳)
☆武田松(1歳)
☆秋山善右衛門信友(35歳)
☆飯富兵部少輔虎昌(58歳)
☆飯富修理亮昌景(33歳)
☆馬場美濃守信春(47歳)
☆高坂弾正忠昌信(35歳)
☆内藤大和守昌豊(40歳)
☆真田弾正忠幸隆(49歳)
☆真田左衛門尉信綱(25歳)
☆真田兵部丞昌輝(19歳)
☆真田喜兵衛昌幸(15歳)
☆山本勘助晴幸(62歳)
義信と信廉の主導により謀反を起こし、信繁と信廉(信玄)を拘束して実権を奪い取る。
木曽福島城からは逃げられてしまったが、その後北信濃の大半を制した。
後の三国同盟会談にて、信玄(信廉)が義信に当主を譲る事を宣言し、また、誰も信廉を偽物と見抜けなかった。
●本願寺
☆信樂院顕如(19歳)
☆下間筑後法橋頼照(46歳)
☆下間刑部法橋頼廉(25歳)
☆証恵(46歳)
☆本多弥八郎正信(24歳)
☆渡辺半蔵守綱(20歳)
☆蜂屋半之丞貞次(23歳)
武田信玄(真)からの要請を受け、下間頼照、下間頼廉、証恵らを派遣し、飛騨一向一揆から越中一向一揆の解体説得要員として動くが、途中、色々マズイ危機を察知し、頼廉と本多正信は越前に向かい、そのまま七里頼周に拘束される。
下間頼照、証恵、蜂屋貞次は、笹久根貞直に捕らわれ、越中まで連れていかれてしまった。
渡辺守綱は歎異抄の存在を本願寺本家に確認する為、確認の使者として遣わされ、原本はちゃんとある事を確認して越中に帰還した。
★歎異抄(蓮如写本)
浄土真宗開祖親鸞の信奉者唯円が記した、浄土真宗の真実が書かれた書物を、蓮如が写本として書き写した書物。
現在の浄土真宗については都合が悪い事が記されており、本願寺に秘匿されている。
☆蓮如(故人)
☆連崇(故人)
吉崎御坊に避難した蓮如が、その求心力で民の苦しみを聞き、次第に先鋭化していった結果、北陸一向一揆が発生する。
蓮如は一揆には否定的で、王法為本を掲げ自制を促すも、弟子の連崇が蓮如の意思を曲げ、一揆を煽ったと伝わるが、その割には、親鸞でさえ息子善鸞の教義曲解を死んでも許さなかったのに、蓮如は連崇を許した。
●飛騨、北陸一向一揆衆
☆七里越中守頼周(45歳)
☆七里加賀守頼周(49歳)
☆七里飛騨守頼周(44歳)
☆七里能登守頼周(45歳)
☆堀江石見守景忠(61歳没)
☆堀江中務丞景実(43歳没)
☆幹円(50歳没)
☆葉円(27歳)
北陸一向一揆を主導する、七里頼周は複数人存在した。
一人が本物なのか、七里頼周の意志を受け継いだ存在なのかは不明だが、歴史改編の結果、北陸一向一揆は魔境と化していた。
その内、七里越中守が北条を動かしつつ周囲の状況を利用して、武田、斎藤、上杉、織田を越中から守り通した。
また七里加賀守は下間頼廉を捕らえ、また堀江館に潜入してきた斎藤帰蝶と富田勢源をスパイと見抜き、1対2の対決となるが、たった一人で、猛者二人を圧倒して見せた。
その後の堀江館攻防戦は朝倉、斎藤軍に奪われる結果となったが、吉崎御坊は守り通した。
☆笹久根貞直(68歳)
☆笹久根直基(20歳)
武田信虎に処刑された馬場虎貞の配下の者。
武田憎しのあまり、一向一揆に協力する。
その正体は、武田信虎と武田信友で、武田の足止めをしつつ、一揆に潜伏しつつ情報を流し集めていた。
★歎異抄(蓮崇写本)
浄土真宗開祖親鸞の信奉者唯円が記した、浄土真宗の真実が書かれた書物を、蓮如が写本として書き写した書物を、さらに蓮崇が写した写本。
同一の内容が記されており、現在の浄土真宗については都合が悪い事が記されているが、偶然七里頼周が吉崎御坊で発見した。
この歴史変化のお陰か、一揆の性質が変化しつつある。
◆斎藤、朝倉、上杉合同一向一揆解体軍。
●上杉家/長尾家
☆上杉越後守政虎/謙信(32歳)
☆直江大和守景綱(53歳)
☆柿崎和泉守景家(49歳)
☆斎藤下野守朝信(35歳)
☆宇佐美四郎右衛門定満(73歳)
☆甘粕近江守景持(32歳)
☆小島弥太郎貞興(36歳)
☆長尾越前守政景(36歳)
☆新発田源次郎長敦(24歳)
越後西部より越中に侵入し、瞬く間に越中の東側半分を制圧する。
その上で、斎藤軍との合流地点にある飛騨越中国境にある蟹寺城付近で睨みを利かせたが、☆七里越中守頼周の謀略、武田の信濃北上と、北条の越後侵略に撤退を余儀なくされる。
留守居役の長尾政景の独断で、斎藤家に仲裁を頼み、北条との和睦を結ぶ事に成功したが、北信濃の大半を奪われる結果となった。
●朝倉家
☆朝倉越前守延景/義景(29歳)
☆朝倉式部大輔景鏡(37歳)
☆山崎長門守吉家(42歳)
☆朝倉九郎左衛門景紀(57歳)
☆富田五郎左衛門入道勢源(38歳)
☆虎哉宗乙(32歳)
一向宗の聖地である吉崎御坊攻略を担当する朝倉軍。
その吉崎御坊の手前に位置する堀江館と西谷城の主である堀江景忠、景実親子は朝倉を裏切り一向宗についてしまった。
その真意を探る為、吉崎決戦に間に合った斎藤帰蝶と富田勢源が、堀江館に潜入し、七里加賀守頼周と下間頼廉の存在を確認し『タンニショー』なる謎の言葉と、本家本願寺との軋轢を確認し脱出する。
だが、よりによって七里頼周には見抜かれており、堀江館場外で、2対1で戦うも、不利な条件も重なり、あしらわれてしまう。
かなり危ない所まで追い込まれるも、浅井長政と織田於市や一向宗の乱入で引き分け無事帰還する。
その後、朝倉宗滴にすらその腕を認めた堀江親子だっただけに苦戦必至かと思われたが、生前の宗滴が、もしもの時の為に備えていた策『堀江館巣通り策』を実施しつり出す事にせいこうした、はずが、七里頼周が吉崎御坊から信徒を連れて出撃してきており、遭遇戦になってしまう。
乱戦に持ち込まれた中、七里頼周が朝倉延景を狙うが富田勢源に阻まれ、殺気の無い延景の一撃が七里に一撃を加え撤退に追い込み、膠着状態となる。
●斎藤家
☆斎藤美濃守帰蝶(27歳)
☆稲葉彦四郎良通(47歳)
☆遠藤喜右衛門直経(32歳)
☆竹中半兵衛重治(18)
☆河尻与四郎秀隆(35歳)
☆武田左京大夫信虎(68歳)
☆武田六郎信友(20歳)
☆仙石新八郎久勝(10歳)
☆仙石権兵衛秀久(10歳)
☆明智十兵衛光秀(34歳)
☆安藤平右衛門守就(59歳)
☆氏家源太郎直元(50歳)
☆九鬼流太郎浄隆(27歳)
●浅井家援軍
☆浅井新九郎輝政(17歳)
☆織田於市(15歳)
●織田家援軍
☆織田弾正忠信長(28歳)
☆沢彦宗恩(46歳)
☆塙直子(25歳)
☆坂茜(27歳)
☆服部小平太一忠(28歳)
☆毛利新介良勝(29歳)
☆前田慶次郎利益(21歳)
斎藤家も飛騨一向一揆解体の為、行動を開始するが、この飛騨の一向一揆対応は武田軍との競争でもあった。
しかも一気の本家本元の本願寺からの説得使者を派遣された武田家に対し、こちらは沢彦宗恩が独自に調査し学んだ知識でしか説得できず、また飛騨の奥に行けば行くほど抵抗が強くなって行きとうとう戦になってしまう。
その戦になってしまった寺には下間頼廉が入っており、一揆軍を指揮していた。
その寺を攻略後には下間頼廉は姿を消しており寺の住職幹円から下間頼廉を追い、協力を仰ぐ様に懇願され、斎藤軍は軍を分け、帰蝶は越前に向かい、稲葉良通が斎藤軍全軍を指揮しつつ、織田家も合流する事になる。
信長合流後、蟹寺城で七里加賀守頼周と接触した信長は、色んな思惑を察知しつつ、越中への不可侵条約を結ぶと同時に、一揆側からは武田家の飛騨侵攻阻止を約束させられた。
信長は、複雑に策が絡まっている事を察し、塙直子を部隊長に据え今川家に向かわせ、自身は京に向かって近衛前久と面会し、信濃守と飛騨守の整理を願い、その認可を得た。
●北条家
☆北条左京大夫氏康(47歳)
☆北条相模守氏政(24歳)
☆北条左衛門大夫綱成(47歳)
☆風魔小太郎(57歳)
☆風魔狐蕾(22歳)
☆北条竹王丸/北条三郎(上杉景虎)(8歳)
☆北条浄依(2歳)
七里加賀守頼周からの情報を得て、昨年の報復も兼ねて越後への侵攻を開始する。
しかし、天然要害の三国峠に苦戦し、越後の危機を察知した斎藤帰蝶と朝倉延景に停戦交渉に持ち込まれる。
その交渉の席で、損害の賠償と停戦交渉を申し込まれた。
その額は、半額だったとしても昨年の損害を補填しても釣りがくる額であったが、その決定内容が斎藤帰蝶と北条綱成に一騎打ちによる結果で決めると、何故か決まってしまった。
これには斎藤義龍の遺言でもあり、桶狭間で決着をつけられなかった綱成との因縁の清算も兼ねていたのだ。
この前代未聞の一騎打ちは、一進一退の攻防の末、帰蝶が勝利した。
氏康はその武勇にいたく感銘し、後の三国同盟会談にて、竹王丸と浄依を斎藤家への養子として派遣するのであった。
●今川家
☆今川治部大輔義元(43歳)
☆今川上総介氏真(24歳)
☆北条涼春/早川殿(19歳)
☆松平次郎三郎元康(19歳)
木曽福島城から救出された武田信玄(真)からの救援依頼により、三国同盟の名訳により武田家の信濃侵攻の援軍として駆けつけ、信濃情勢を決定付ける。
後に信長からの要請で三国同盟を開催し、そこに織田家、斎藤家を招き、今後の方針を話し合う。
また、すっかり傷の癒えた帰蝶は、回復具合を確認する為に訓練に志願する氏真と涼春の面倒を見る。
●天皇家
☆近衛関白前嗣(26歳)
信長の要請を引き受けると共に、禁忌の官位である『上総守』への道が開けた事を報告したが、どれもこれも難問で、その一つは一向一揆の完全撲滅であった。
【主人公】
☆織田弾正少忠信長(肉体:28歳 魂:49+5+17歳)
基本的に斎藤家のアシストに徹するが、強烈な歴史変化が発生している事を察知し、様々に手を打つ。
☆斎藤美濃守帰蝶(肉体:27歳 魂:48+5+17歳)
斎藤家を継いでの初の軍事行動たる飛騨一向一揆対策に乗り出す。
兄義龍の遺言を勝手に守るべく、北条綱成と戦い、激闘の末勝利するが、負けた綱成よりも重傷を負った。
☆ファラージャ/胡蝶(15歳 魂:?歳)
特に何か出来る訳でも無いので傍観に徹するが、本能寺の変は信長の後継者を狙った説をそれとなく聞いていた。
あと、本編の裏で何かの悲願を達成した。
【亡霊】
☆織田信秀
☆斎藤道三
☆太原雪斎
☆朝倉宗滴
☆斎藤義龍
元気な亡霊たち。
義龍は帰蝶が勝手に遺言を遂行する事に、しかも己が勝てなかった北条綱成と戦う事に大反対するも、他の者は気楽なのか、勝算が見えているのか、楽観的であった。
なお、道三は何故か疲れていた。




