185-6話 停戦交渉 激闘の交渉
185話は8~10部構成予定です。
185-1話からご覧下さい。
今回は185-7話までを投稿し、残りは12月15日までに投稿します。
【越後国/三国峠出口北 仮設闘技場】
一旦、入り口まで戻った綱成は表情には出さないが、さっそく驚いていた。
(ありえない! あんな恰好でワシと対峙するとは! 舐められたモノだ!)
入場時の遠目からでも確認できた、今から命のやり取りをするのに極めて軽装の斎藤帰蝶。
衣服の下には鎖帷子を仕込んでいるかもしれないが、鎖帷子は斬撃は防いでも衝撃は防げない。
また、衣服の及んでいない首から上は、鉢巻き以外は全て急所だ。
攻撃が掠めただけでも、戦闘力を削ぎ落すだろう。
例えば残った左目の瞼でも切られれば、流血で視界を失う。
鼻血は呼吸を奪うだろう。
口が切れれば、血の味が恐怖を呼び起こすだろう。
耳が削ぎ落されれば、流血と痛みで音の判断を失い、反応が遅れるだろう。
首などは動脈が外側を通っており、狙うに最適だ。
喉にも何も身に着けていないので、一寸でも貫けば終わりだ。
鉢巻も無いよりマシだが、槍でブン殴れば、頭蓋骨を粉砕できる。
頭部だけでこれだけ弱点がある。
(……そう考えたら負ける!)
だからこそ綱成は迷う。
もはや刃部分で切らずとも、槍の柄や石突での打突殴打でも十分だ。
打突と言えば、正中線がある胴体にも防具が無い。
水月、鳩尾、丹田、股間、全ての個所が良くて一撃必倒、悪くて必殺の急所となる。
腹部などは、正中線でなくとも刃さえ内臓に到達すれば、即死とならずともアウトだ。
(それが分からぬ斎藤帰蝶ではあるまい! ならば理由は何だ!? ……鎧による防御を捨てての身体操作で勝負を決めるつもりか! あるいは誘いか! ……ッ!?)
帰蝶の姿を見て、狙いを看破し警戒感を高める綱成に対し、帰蝶は闘技場の端から5mほど歩き、左足を前、右足を後ろ、薙刀を持つ右手が前で柄の中間あたりを持ち、左手は石突に近い場所を持つ。
そのまま綱成に向かって刃を向け正眼に構えた。
極めて不自然な構えだ。
その構えをするなら持ち手を逆にするか、足の前後を入れ替えなければ薙刀を突き入れ難い。
(手足が逆? 左利きなのか? ならば右足を前に構えるのが普通。斬撃か? ならば理解できる構えだが、斬撃を狙っているとは思えない雰囲気……ッ!?)
妙な構えをする帰蝶を警戒すると、帰蝶が体を右側に捻じった。
捻じったお陰で背中が見えるが、同時に薙刀の大部分は体に隠れつつ、顔は左目だけが辛うじて綱成を捉えている。
(成程。横一文字斬りが狙いか。ならばその持ち手と構えでも良かろうが、その代わり、それはワシの左半身を攻撃すると語っているも同然よな? しかも遠い)
帰蝶が体の捻じりを元に戻しつつ攻撃した所で、綱成には全く届かない位置関係だ。
綱成は帰蝶の薙刀の間合いを思い出しつつ、絶妙に届かない位置まで躙り寄る。
その上で、左手で槍の石突を地面に突き、右手で刀の柄を握る。
帰蝶の斬撃は明らかに綱成の左半身を狙っている。
ならば体の左側で槍を突き立てて防いでしまえば事足りる。
薙刀を弾いた後、抜刀して、どこでも良いから斬れば終わりだ。
(何だこれは? これで詰みか? この程度のハズがあるまい斎藤帰蝶!)
帰蝶の想定される攻撃には対処できた。
ならば帰蝶は構えを変えるなり、綱成の対処に対する対処をしなければならないが、一向に動く気配はない。
(動く気配は無いが……コレだ! この猛烈に澱んで侵食してくる毒沼の如き殺気! 飛騨で見た時は荒れ狂っていたが、足元が沼地に入り込んだと錯覚しそうな殺気! あの構えと繰り出される攻撃は本命だ! こちらの防御を理解していてなお、あの構えから斬撃を加えるつもりだ! 鉄芯入りの槍ごと両断するつもりか!?)
試しに綱成は爪先を僅かに動かし、1cm程にじり寄ると、帰蝶の殺気が作り出す毒沼が一気に沸騰しだす。
この光景には、ギャラリーも信じられないモノを見た衝撃に驚き戸惑っている。
「なッ!?」
「こ、これは!?」
氏康は娘達の言葉が決して大げさではなく、むしろ表現が足りないと思い知った。
政虎も『これは妻に迎えたら本当に寝首を掻かれてしまう』と身震いした。
北条家、上杉家家臣のギャラリーも、たった一人で広大な戦場の殺気を演出する帰蝶の、瘴気としか思えない悍ましい殺気に戦慄する。
そんな中、上杉政虎の護衛に扮する武田信玄が小声で信繁に話しかける。
(お、お主、あんなのと戦って引き分けたのか!?)
(えぇ、まぁ。ですが、まだまだあんなモノではありますまい)
(何だと……!?)
驚愕の信玄に対し、どこか自慢げな信繁。
対戦した者にしか分からない何かがあるのだろう。
ともかく、ギャラリーは余りの光景に、特に未熟ながら見学を許された者は、殺気の神髄の何たるかを初めて心底理解し口をあんぐりと開け身震いがとまらない。
唯一平常心なのは斎藤家の縁者と信繁だけだが、それでもここまでの殺気は久々に見る。
その他、帰蝶の実力を知る者は、氏政、延景、直経、勢源、信虎、長政、於市は見る度に磨きがかかる迫力に、何とか生き残って欲しいと願う。
両者ともに死ぬには惜しすぎるのだ。
「帰蝶殿! その殺気! 貴殿の兄にも勝るとも劣らぬ凄絶な殺気よ! 一体何を経験したら女子の身で纏えるモノなのか見当もつかぬ! それだけにココで死なせるとは残念だ! その見え見えな攻撃で一体何を見せてくれるのか!?」
綱成も驚くには驚いているが、沸騰する毒沼の如き瘴気さえ感じる殺気を物ともしない所か、更ににじり寄る。
「さぁ……来いッ!」
帰蝶の殺気に触発されてなお怯まぬ所か、沸騰する殺気に対して、天まで貫く巨木の如き闘気で対抗する綱成。
綱成にしても、ここまで死を覚悟させられる殺気にはお目にかかった事は飛騨の一件でしかない。
だが、あの時は味方であり、殺気の対象ではなかったが、今は明確に殺害対象だ。
(見ると感じるは違うと言うが、感じると浴びるも全く違うな……! それを放出し浴びせるのがたった一人の女だとは、現実感が無さ過ぎるにも程があるが、泣こうが喚こうがコレが現実!!)
綱成が前傾姿勢で攻撃に備える。
(まだ間合いには程遠い。もう少し躙り寄って攻撃を誘う―――ッ!?)
綱成のその思考は隙だった。
そう判断した綱成の間の隙間を感知した帰蝶の左足の力が消えうせ―――
体が前傾に倒れこみ―――
背中の筋肉が一旦緩んだ後に隆起し―――
突如帰蝶が、体を捻じったまま前方、綱成の方向に倒れこむ。
帰蝶の眼光が綱成を射抜く―――
(来た―――上手い!―――それでも―――遠すぎる!―――当てる所か―――空振り―――ッ!?)
「オォォォッ!」
帰蝶が体の捻じりを元に戻しつつ、石突あたりを掴んでいた左手を離し、右手一本で薙刀を綱成の左半身に向けて放つ。
だが、全く届く距離ではない。
右手は薙刀の中間部分を掴んでいる。
薙刀の端を掴んでいるならともかく、中間部分を掴んでの斬撃は、精々長巻の間合いである。
しかも右手から下に伸びた柄が、体に当たり邪魔で振り抜けない。
(これでは―――届かぬ―――右手?―――膨らみ?―――届く!?)
帰蝶の薙刀の右手で掴んでいる部分だけ妙に太かった。
鍔が取り付けられ柄を貫通しているが、これが左手を離した途端、右手で掴んだ柄の部分が石突に向かって滑り出し、石突の部分で止まる。
今、帰蝶は薙刀の一番端を右手一本で操っている状態となった。
つまり薙刀の柄全体を使った超ロングレンジからの攻撃に変貌する。
これは『管』と呼ばれる長物を有効に使う為の工夫である。
本来の歴史では『管槍』と呼ばれる物が戦国末期に誕生する。
槍に管を通し、滑りを良くするのである。
槍で突くとき、左手は添えるだけで、右手で突き出し、引き戻しを繰り返す。
ビリヤードと同じ理論であり、両手を使って槍を突き出す事はしない。
両腕で突き出すと槍がブレて命中率が下がるのだ。
だが、これだと普通の槍では困った事が起きる。
まず、皮膚の摩擦で威力が落ち、命中率も下がる。
戦場の緊張感では手汗でさえ滑りに影響するし、血を浴びれば、血糊で途端に滑りが悪くなり、使い物にならない。
だが管を取り付ければ話は変わる。
汗も血糊も関係ない。
極限まで摩擦抵抗を減らした攻撃が可能になる。
帰蝶が薙刀に対する工夫と言ったのは、この『管』の事だが、滑りを気にしたと言うよりは、手元に鍔が無い事に不安を覚えたのだ。
薙刀の刃元には鍔があるが、柄には当然無い。
だが、攻撃を柄で受けた場合、そのまま柄を滑らせ導線にされ、指や腕はおろか胴体まで切り裂かれる恐れがある。
それを防ぐ為の工夫として鍔付きの管を取り付けてみたのだ。
これはファラージャから漏れた未来知識ではない。
帰蝶が独力で辿り着いた仕組みだ。
豪傑相手にどうしても力負けしてしまうし倒しきれない。
だがこの『管』を取り付けてすぐ、有用性は防御だけでは無いと気が付いた。
その結果、1つの戦法が編み出された。
薙刀の中間を右手で管ごと持ち、体を捩じって薙刀を体で隠す。
戻す瞬間、左手を離し、右手で振りぬけば、遠心力で勝手に薙刀の石突部分まで管が滑り、柄全体を使った奇襲となる。
相手からしたら、突然間合いが伸びる攻撃の上に、遠心力が上乗せされ破壊力も抜群だ。
帰蝶の力が抜いた左足が完全に倒れる前に大地を踏みしめる―――
右手の小指から順番に指に力が籠められる―――
隆起した背中の筋肉が捻じりを戻す―――
足首から膝、腰、背骨、肩、肘、手首の関節が加速し――
薙刀の端を持つ右手がしなやかに鞭の如く変貌する――
綱成の視界の外から薙刀の凶刃が襲い掛かる―――
(マズイ―――備えが―――)
綱成はちゃんと備えていた。
だが攻撃が届く心構えが足りなかった。
最初の構えでは飛び込んでも届かないと判断してしまった。
だが、倒れこみと射程の伸びた薙刀による帰蝶の斬撃は、綱成の槍の石突付近に命中する。
その余りの強烈な斬撃に、綱成の槍は、槍から手を離さねども、左手と腕が体の内側に向かって弾かれる。
(何と言う一撃! 槍が無ければ足を両断されて―――ッ!?)
攻撃の衝撃に驚く綱成は、帰蝶の姿を確認すると既に膝立ちで次の攻撃動作に入っていた。
槍を弾いて片膝を軸に一回転して、そのまま2週目の連撃に入ったのだ。
(マズイ―――!)
今度の攻撃も体を捻じ切り、戻す勢いのままに斬撃を繰り出そうとしている。
(槍―――間に合わ―――狙い―――膝!)
甲冑武者の下半身の弱点は太腿を守る佩楯と、脛を守る脛当の中間、すなわち膝だ。
一応、綱成の脛当は膝正面にも防具が及んでいるが、側面には何もない。
あるいは佩楯の及ばぬ裏腿から股間も弱点で、上杉政虎は武田義信の槍を裏内腿に受けてしまった。(183-4話参照)
西洋甲冑では全身隙間なく守るプレートアーマーが主流だが、日本は俊敏性と運動性を重視した、良く言えば機能的、悪く言えば弱点の多いのが特徴だ。
その中でも膝まで及ぶ脛当は上級武将だけの高級防具で、一般兵は膝丸出しが基本だ。
太腿を守る佩楯も正面と側面だけだ。
用心深い兵が鎖帷子を仕込んでおく位しか膝と太腿裏の防具は無い。
膝を斬られれば当然、割られたり、靭帯を損傷したら武将生命に関わる部位だ。
即死は無いが、勝負としては決まったも同然となろう。
「ぬおぉぁぁッ!!」
綱成は膝立ちに移行、と言うよりは、脱力で膝を地面に落下させつつ、右手で握っていた大刀を抜刀した。
金属と金属がぶつかる耳を劈く嫌な音が闘技場全体に響き渡る。
綱成は帰蝶の必殺の2撃目を防いだのだ。
抜刀は攻撃ではなく防御。
膝を落下させつつ、抜刀して刀の柄を地面に無理やり突き立て、鞘と刀身で、帰蝶必殺の2撃目を防いだのだった。
最悪、抜刀が間に合わずとも、両膝を地面に落としたので、鎖帷子の佩楯が斬撃からは守ってくれる。
ただし衝撃に耐えられるかは、さっきの刃と刃の衝突する音からして微妙な所だろう。
「グググッ……!」
「クッ!? まさか!!」
帰蝶は攻撃を防がれた見るや否や、後ろに飛び跳ねて間合いを取る。
今の変則的な鍔迫り合いの態勢は、帰蝶に不利すぎる。
特に長物の端っこを持っての鍔迫り合いは極めて不利。
「い、今のを見切られるとは思いませんでした……!!」
義龍には一撃で決めろと言われていたが、一撃目は防御破壊で二撃目こそが本命だった。
攻撃が命中すれば、文句なく勝負ありの一撃になったであろう。
最低でも膝の損傷、最高なら膝切断まであった強烈な一撃。
それを初見で見切った綱成の勝負勘には、帰蝶も驚きを禁じ得ない。
「運が良かっただけだ。冷や汗が止まらぬわ……!」
綱成は本当にそう思っている。
抜刀での防御も、本来は攻撃の為の備えだっただけ、膝を落とせたのも本能に近い緊急回避行動だ。
こんな攻撃は見た事も聞いた事も無い。
それでも対応できたのは、長年の戦場で培った『勘』以外に説明できない。
(あの太い部分は滑るのか! 何と厄介な工夫だ! 間合いが自由自在とは!)
綱成も一目見て薙刀に施された工夫は見破った。
(成程。両端にすっぽ抜け防止も施されておる。あの範囲で間合いが変化するのか!)
だが見破ったとて、これは非常に厄介だ。
綱成が今持っている自分の槍で真似しようとしたら、槍をスイングする途中で僅かに握力を緩める精妙な制御が必要になる。
当然、そんな事は不可能で、実行すれば槍は明後日の方向にスッ飛んで、ギャラリーの誰かに刺さるのがオチだ。
「見事な攻撃だ! お返しをせねばならぬが、生憎ワシは貴殿を驚かせられる様な特殊な技は持っておらぬッ!!」
「それはどうも……ッ!?」
帰蝶が礼を言うや否や、綱成の槍が唸りを上げ頭上で振り回される。
攻撃ではない。
言うなればデモンストレーション。
今までも槍の使い手とは何度も対戦してきたが、綱成が操る槍から繰り出される風切り音は、今まで聞いた事の無い、この寒空に相応しい木枯らしの如くうねる音を奏でる。
肉体に掠っただけでも、最低でも大流血間違いなしの大旋風だ。
その大旋風を帰蝶の目の高さに合わせてピタリと止める。
それだけで筋力も破格だと恐怖を抱く動作だ。
しかも帰蝶の目の高さに合わせた槍は、非常に距離感が掴みにくい。
これは武器が『線』ではなく、『点』で見えてしまうからだ。
槍や刀、あるいは杖術であっても、相手に対し直線に武器を構えるのが基本なのは、間合いを測らせぬ為。
ボクシングや空手でもジャブやストレート、正拳突きが真正面から決まってしまうのは、完璧に真っ直ぐ飛来する拳はとても厄介なのだ。
プロ野球の外野手も一番苦手とするのは、自分の真正面に向かって飛来するライナー性の打球であるらしい。
テレビや試合会場での観戦では『何であんな攻撃が避けられないんだ?』と思う事もあるだろう。
あるいは外野手の捕球ミスを見た事もあるかもしれない。
だがそれらの理由の殆どは、真正面からの動作は見切りが難しいからなのだ。
観戦する立場では丸見えの攻撃や打球も、いざ試合の当事者となると、プロでも距離感を誤るのだ。
それに加えて、帰蝶は隻眼だ。
タダでさえ目測に難がある。
「小手調べなどせぬ! 行くぞ!」
綱成は左手で『管』を作る。
右足の筋肉が隆起し血流が巡る―――
その右足で地面を蹴り―――
左足で地面を掴む反動を利用し―――
一方、脱力した上半身に瞬間的に力を籠める―――
「ぬりゃぁッ!」
綱成は高速で右手を繰り出しては引っ込める動作を繰り返す。
(ッ!!―――1―――2―――3―――4!―――5ッ!?)
一息で、殆ど同時の5発の突きが繰り出されるが、帰蝶は体を捩じり、薙刀で弾き、最小限の動きで攻撃を去なす。
槍の攻撃としては何の変哲もない、連続突き。
されど徹底的に訓練して磨きに磨いた、5発同時にも錯覚する程の鋭い刺突。
目、鼻、口、喉を狙い、最後の一発は頭部と思わせて腹を狙ったのに、幾人もの豪傑を葬ってきた必殺の突きが完全に避けられた。
「驚いた。本当に驚いた! 隻眼の相手にカスリ傷すら負わせられぬとは! こんな事は初めてだ! 義龍公でさえ5発目は避けられなかったのにな!」
5発放って倒せなかった相手は居る。
それは相手も使い手だったからだ。
だが、5発放って、傷どころか触れる事も出来ないとは思わなかった。
「ワシが衰えたと考えたくないが……そうか。そこまで殺気を操る御仁だ。殺気の軌道を読んだのだな?」
「どうかしらね?」
どうかしらね、と言うが正解だ。
どれだけ攻撃が鋭かろうと殺気を察知すれば避けられる。
ただし、体がついてこれるかは別問題だ。
以前の帰蝶なら、3発目までは避けても4発目、5発目は貰っていただろう。
しかし現実には避けた。
このカラクリに最初に気が付いたのは富田勢源であった。
目は見えずとも完璧に戦いを把握している勢源は、帰蝶の戦い方の変化に気が付いた。
「殿。先ほど言った斎藤殿に対する不安は払拭されました。あの方は、某の戦い方を学んで身に着けています」
「ほう!? 見ただけでか!?」
「見ただけでです! 末恐ろしい……!」
古流武術、と言うか、今がその古流勃興の戦国時代は、まさに武術は急速に発展淘汰の洗練途中だが、中には特殊な足運びや歩法を基礎とする流派や個人がいる。
勢源は七里頼周との戦いでは、その歩法を駆使して戦いつつ帰蝶をフォローした。
だが帰蝶は帰蝶でフォローされている事を察しつつ、その歩法のカラクリを盗んで我が物としたのだ。
先ほど綱成は後ろ足の右足を蹴って、前足の左足で大地をつかみ攻撃に転じた。
普通人間は右に行きたいなら左足で、左に行きたいなら右足に、前に行きたいなら後ろ足、後ろに行きたいなら前足に力を籠める。
だが勢源や今の帰蝶は逆だ。
前後に構えた足の前足を抜き、倒れこむと同時に逆側の足を呼び込む。
これが人体最速の動き。
確かに後ろ足で蹴れば力強い移動ができるが、『グッと力を籠める』この動作は体全体に力が行き渡る時間の溜めが生まれ、隙に繋がってしまう恐れがある。
達人同士なら猶更だ。
僅かに動くだけなら、動きたい方の足を外せば勝手に倒れこむので、効率的なのだ。
これが盲目にして個人武芸では朝倉家最強の富田勢源の基礎にして、強さの秘訣。
重力を利用して自由自在に動き相手を翻弄する技術だが、当然、攻撃にも転用できる。
帰蝶は『管薙刀』と『足の外し』を駆使して攻撃を繰り出し、同じ技法で綱成の5段突きを避けたのだ。
今の攻防の意味を理解できたのは、ギャラリーの中でも僅かな者だけだろう。
管薙刀は理解が及ぶ者も多かったが、体裁きに関しては、気が付いていない者が大多数。
「確かに100万石の価値のある一騎打ちよ……!」
氏康は全ての攻防の意味を理解した上で、本気で度肝を抜かされた。
やはり、心の何処かで『強くても女』との侮りがあった。
「人はここまでの存在になれるのか……!!」
それは政虎も同じで、帰蝶の事は『不犯の禁を破っても良い』と、やはり女扱いだったが、それは大間違いだと頭をブン殴られたかの様な衝撃を受けた。
見ている者でこの反応なのだから、当事者の綱成の驚きは想像に難くない。
綱成は数歩後ろに飛び退くと、帰蝶から視線を外さずに、背後の氏康と氏政に対し宣言した。
「殿、それに大殿! 帰蝶殿は本当に素晴らしい! さすがはあの男、義龍公の妹です! 技量は僅差、腕力では勝っても、体捌きでは敵いませぬ。義龍公とは系統が違いますが、実力は勝るとも劣りますまい!」
「義龍公は、かの朝倉宗滴とも互角に戦ったと聞くがそれ程か……ッ!」
「降伏してくれれば儲け物ですが、それは有り得ますまい。無傷は当然、殺さずして決着をつける事は叶わぬでしょう! 某は今から斎藤殿を日本最強の妖怪と想定し戦います! どうかお許しを!」
理想はお互い無傷で、綱成が華麗に帰蝶を制圧し、降参を促す。
どれだけ帰蝶が使い手であっても、やはり心のどこかでは『女』を殺すのは気が引けると感じてしまう。
だが、今綱成はソレを捨てた。
どんなに世間から誹謗中傷を浴びようと、女を全力で殺すと決めた。
今、綱成は心構えを、決闘から生存を賭けた戦闘に切り替えた。
決闘ならば落とし所もあるが、戦闘となれば、生きるか死ぬかだ。
「仕方あるまい。アレはもう災害級の大妖異だ。見事退治して見せよ!」
氏康も、これは仕方ないと悟った。
女を全力で屠る不名誉も何もかも受け入れ、見ている者達にしか伝わらぬ名誉を守るのだ。




