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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
18.5章 永禄5年(1562年) 弘治8年(1562年)英傑への道
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183-3話 謀反征伐 武田信廉

183話は4部構成です。

183-1話からご覧下さい。

【信濃国/上田陣地 武田義信軍】


「敵が上田を狙うと理解して、率先して前に出る。如何に危険な行為であるか理解しておるな?」


「不安ですか? 父上―――」


 今この本陣には2人の男しかいない。

 護衛の側近も馬廻も遠ざけてある。


 男達の正体は軍の最高責任者の武田信玄と武田義信であるが、この武田信玄は武田信廉。

 長年、信玄の影武者を務め、信玄の戦を、政治を一番間近で見てきた武田信廉。

 己の全てを殺して信玄になりきってきた武田信廉。


 影武者とは顔や背格好、声が似ているのは最低条件として必要だが、それ以外にも大切な事が沢山ある。

 仕草、癖、頭脳、力量、思考、知能等、ありとあらゆる要素が本人と近ければ近い程、影武者として優秀だ。

 何なら時には本心から『己が本人だ』と思い込む事―――すら忘れてしまう程に完全に成り変わる。


 こうなった時の信廉の影武者具合は、実弟の信繁も実子の義信も判別に迷う完成度を誇る。

 信玄のフリをして総大将として出陣した事も数少なくない。

 信玄と同じく風林火陰山雷を学び理解した信廉の指揮は、出陣から勝利し帰還するまで本当に誰も疑う事無き『信玄』であった。


『見事だ刑部(信廉)、完璧だ! ワシは嬉しいぞ。ワシに匹敵する思考に指揮、頭脳! ワシでさえ気味が悪く感じるぞ! だが、これで武田はワシが2人居るも同然! どんな困難にも同時に同じ思考で対処できる! 典厩(信繁)にしてもお主にしても、親父殿の種はここまで優秀とはな! もう少し弟達を増やしてから追放すべきだったかな? ハッハッハ!』


 信玄から『完璧』お墨付きを得た武田信廉。


『はっ。後は兄上を騙せれば真に完璧ですな』


『ハハハ。言うではないか! その言葉もワシらしい! これなら色々動きやすくなるな!』


 こうして、完璧な影武者を手に入れた信玄は、様々な事態に対し信廉を利用し、大胆にも甲斐を留守にして本願寺に単独で移動した事もある。(168-2話参照)

 非常に苦しい立場にある武田家にとって、完璧な武田信玄に化けられる信廉の存在は本当にありがたかった。

 信玄が上機嫌なのも無理も無いが、その喜びに反して信廉の心は曇っていた。


(完璧? 完璧だったらどれ程楽か……!)


 信廉は完璧に化けられたとは思っていない。

 どんなに頑張っても99.9%までだ。

 決して外す事のできない己の自我だけは心の奥底に残る。


 そんな残った0.1%が、どうしても兄の政治に対する嫌悪感を拭えない。

 完璧なら嫌悪感など抱かない。


 時には兄に成り代わって、非情な命令書を発行した事もある。

 その余りの内容の酷さに、絶句してしまった事もある。

 その不安と不満と罪悪感が積み重なった結果、影武者が封じ込め難い自我を持ってしまった。


(兄上には付いて行けぬ……!)



【謀反決行の運命の日 甲斐国/躑躅ヶ崎館 武田家】


 かつて信廉は信玄を装って、義信に尋ねた事がある。

 これが武田家の歯車が狂った記念日であろう。


『父上、改まっての話とは何でございましょう? 人払いまでなさるとは、余程の事でありますか? ならば典厩叔父上も呼ぶべきでは?』


(もし義信が兄上に謀反の疑いを告げてしまえばワシは終わりか。……それも良いな)


 もう信廉の心は限界だった。

 武田家を、甲斐国を救えるなら救いたいが、ダメだったら死んでこの世の苦しみから解放されるのも悪くないと思い始めていた。


『いや、此度は本当に内々の話だからな。典厩には関係ない話であり、後で申し伝えれば済む話』


 躑躅ヶ崎館では当主の私室は毎日違う。

 あるいは、一日の中で何度も変わる場合もある。

 それを知るのは当主と影武者だけであり、良からぬ企て、例えば暗殺等を防ぐ為に活用される。

 誰かに用事があって呼び寄せたい場合は、例えば今回も義信を呼ぶ時に『鈴蘭の間』と部屋の名を伝えて呼んだ。

 家臣も『今日はこの部屋か』と初めて知り、向かう事になる。

 いかなる時でも油断と警戒を怠らない、信玄のアイデアであった。


 だが、信廉は今日初めて、この信玄を守るシステムを悪用したのだ。

 眼前の義信は全く疑う素振りも見せない。


(うむ。見抜かれてはおらぬな。影武者としては自信に繋がるが、実子がこうも疑わぬのはワシが凄いのか甥っ子が期待外れなのか……?)


 信廉は若干の不安を感じ、企ての決心に心が揺らぐが、それも直ぐに持ち直させた。

 影武者としての絶対の自信の成果であり、そして、義信を見抜く(信玄)の目も信じた。


(いや、そうでは無いと信じて今日を決めたハズ! ならば!)


 信廉は信玄らしく、いや『信玄が』と言って差し支えない完成度で居住まいを正し、威厳ある声で義信に尋ねた。


『太郎(武田義信)。お主はいずれワシの後を継ぐだろう』


『えっ……家督相続の話でありますか!? あ、いや、その覚悟は常に胸に秘め日々を過ごしております。急だったので少々驚いてしまい醜態を晒してしまい申し訳ありませぬ』


(当然の動揺よな。こんな話題を振られて微動だにせぬでは、人として可愛気がない)


 むしろ、動揺を素直に認め、覚悟を語る義信の姿は、次期当主に相応しい器に見える。


『良い。まだまだ未熟な部分もあるが、それは今後の成長でどうとでもなる。誰も最初から完璧なぞ求めておらん。ワシも失敗を繰り返して今があるのじゃ』


『はッ!』


『その上でだ。完璧を求めておらぬが、かと言って、今の時点で未熟過ぎても困る。今の武田に必要な事は何だと思う? 未熟なりに考えて申してみよ。試練と思ってな』


 青臭い理想でも良い。

 荒唐無稽な計画でも良い。

 武田家がこの先も存続する可能性がある言葉を吐いてくれれば。

 そう信廉は期待し喉を上下させる。


『はっ。試練なれば……そうですな。三国同盟にて背後は安泰。決して隙を見せて良い理由にはなりませぬが、今は居ないお爺様の代から続く疲弊した甲斐を休ませたい』


 数瞬考えた義信は淀みなく意見を言い切った。


『(今のは考えたフリか? それとも以前から思っていたのか?)甲斐を休ませるとな? 何故そう思う?』


 義信の答えは理想の様で弱く、荒唐無稽とまでは言わないが覇気が感じられぬ、期待した答えに引っ掛かる様な空振りの様な、とにかく詳細を聞かねば理解できない内容だった。

 それを以前から思っていた事として話したなら、ここは信廉にとっても見極めの正念場だ。


『無礼を承知で申し上げます。城下にでると首元が涼しいのですよ。民の視線で』


 義信は薄く自嘲気味に笑った。

 そして指で視線を表し首を掻き切った。


『ッ!?』


 義信の首から飛び散る鮮血が信廉扮する信玄に降り注ぐ。

 勿論、信廉が見えてしまった幻覚だ。

 だが、限りなく近い将来見る事になるであろう、限りなく可能性の高い予知幻覚だ。


『しかし父上の理屈も理解はしているつもりです。無理をしなければ武田はやっていけませぬからな。しかし父上の無理が希望に変ずる時を待てば必ず……』


 義信は父のやり方をフォローする。

 そうするしか無いのが義信にも理解は出来るからだ。


『若!』


 義信の言葉を遮り、突如信玄が頭を下げた。


『えっ……若!? お、叔父上でしたか!? 戯れにしては度が過ぎますぞ!? 父の命令で某を試したのですか!?』


 息子に頭を下げる様な場面ではない。

 しかも『若』と呼ぶからには信玄ではありえない。

 義信は今まで話していた相手が叔父の信廉だと理解したが、何故化けてまで問答をしたのかが分からない。

 信玄の命令でなければ、本当に度が過ぎている。

 信廉は武田家の安全システムを揺るがしているのだから。


『違います! しかし若、その感性に某は賭けたいと思います!』


『何を言っているのです……!?』


 少しだけ信廉に戻り、何やら捲し立てる様子に、流石の義信も驚くしかない。

 しかし信廉はまた直ぐに信玄に変身し言葉を続ける。

 まるで魔法でも見ているかの様な錯覚を覚え、義信の動揺は大きくなる。


(叔父上は―――何か―――言っては―――ならぬ―――事を―――言う―――!)


 義信は早鐘の様に唸る心臓を右手で抑え、訳も分からず、しかし、マズイ状況に巻き込まれていると察し身構える。


『お主にはワシが化けたとは言え、武田信玄に意見する胆力がある! いや『言え』と命じれば誰でも言うだろう。だが、あんな事はとてもじゃないが誰も口に出来ぬ! こんなのは信繁の兄上にも出来ぬ事!』


 求められた意見を言ったに過ぎないが、言ったら言ったで警戒されたり、最悪の場合、逆上を招き処刑されるなど良くある話。

 義信は言葉は柔らかく冗談めいた発言だったとしても、間違いなく信玄の政治を批判したのだ。

 絶対君主制の武田家では、政治方針の変更はタブー中のタブー。

 だが、それは信廉が望んだ言葉でもあった。


『些細な事なら兄上も聞き届けてくれるが、あくまで方針に影響しない範囲内でしかない! 今の武田は合議制から絶対君主制になった弊害で滅びかけておる! もはや信玄の兄上を止められる者が誰も居らんのだ! だがお主なら或いは……!』


『叔父上……!?』


 これが、武田家乗っ取りの最初の一歩だった。

 静かに徐々に信頼できる同志を集め、守役にして家中の実力者飯富虎昌や、暗部を担う歩き巫女忍軍の望月千代女を引き込み、嫡男と影武者と家老と忍者の立場を総動員し情報を集めに集め、あるいは情報を封鎖し、捻じ曲げ、ついに家中の実力者の過半数の支持を取り付けた。


 タダでさえ狭い生産性の低い領地で、悪循環を極めた甲斐。

 皆、根っこの部分では同じ思いだったのだ。

 皆、民の視線で首筋が涼しかったのだ。


 今の武田家の史実以上の暴政は、信長の歴史改編の結果をモロに受け、どこにも進出できない閉塞感が原因である。

 だが甲斐にとっては最悪の歴史変化が『信廉の信玄級の成長』に繋がった。

 その成長した信廉が、ついに武田支配者に鉄槌を下す決断をした。

 どんな変化と理由があろうと、あるいは信長の歴史改変が原因だと知ったとしても、数ある選択肢の中から今に繋がる命令を下したのは武田信玄と信繁兄弟だ。


 ならば責任は取って貰わねばならない。

 責任を取るのは責任者の仕事。

 かつて晴信が信虎に責任を取らせた様に。


 ついにその絶好の機会が来た。

 しかし越中一向宗鎮圧作戦成功なら未遂とする謀反だった。

 越中を手に入れ海と繋がるなら、信玄の無理が実るのだ。

 実った上での謀反は国を疲弊させるだけで、謀反の大義につながらない。


 だが、越中攻略は失敗に終わり大義ができた。

 ならば信廉は後には引けない道を行くのみだ。



【信濃国/上田陣地 武田義信軍】


「不安ですか? 父上。いえ叔父上。正直に言いましょう。不安で心の臓が踊り狂ってますよ。でもあの時の話を聞いた時よりは随分マシですがね」


「あの時か。そうだ。それで良い。不安を認めろ。あの時のアレは話したワシも気が狂いそうじゃった」


 先の懐かしいやり取りも今では良い思い出―――になりそうだ。


「心に嘘を付くな。他者には付いて良い嘘でも、己には嘘を付くな。……ワシの心臓も踊り狂っておるわ。きっとこの戦が終わったら老け込むな。ハハハ!」


 信廉は信玄だ。

 信玄の学んだ風林火陰山雷に『衆利動』までつけて義信を鍛え上げた。

 信玄になりきって、叔父と甥の立場を忘れ武田家当主に据えるべく鍛え上げた。

 普段は政治や戦で表に出ている信玄が、息子を教育する事は叶わない。

 それはどの家でも同じで親が子に教える事など滅多になく、大抵は教育係が付けられる。


 しかし義信は違う。

 99.9%信玄になりきれる信廉が直々に鍛え上げたのだ。

 何なら『衆利動』の分だけ100%を超えた教育を施した。


「ワシはこの戦の結果を理由としてお主に家督を譲る。あの上杉政虎を蹴散らしてな! 前にも言ったが、お主にはワシが化けたとは言え、武田信玄に意見する胆力がある! こんなのは信繁の兄上にも出来ぬ事!」


「フフフ。それを言うなら、父を裏切る決意をした叔父上も武田家唯一無二の人材でありましょう」


「まぁそうだが……我ながらあの時のワシは何だったのだろうな? これが国を想う責任感なのか?」


「そうでしょう。叔父上は間違いなく戦国大名になったのです。ならば必ず勝つ!」


 上杉がこの上田に攻め寄せるのは知っている。

 あえて前線に出るのは引き付けて確実に倒す為。

 今では後詰兵となった飯富軍が、上杉の襲撃を食い止めている義信軍を救うと同時に強烈なカウンターとなって蹴散らすのみ。

 合計30000の、殆ど休んでいた兵士の体力は万全だ。

 小細工で政虎には勝てない。

 ならば正面から叩き潰すのみ。


「注意せねばならぬのは、上杉方が救出した信玄と信繁の存在を喧伝してしまう事だ。これは絶対に防がねばならぬが、奴らの口を塞ぐ手段がない」


「そうですね。しかし塞げぬなら意味をなくしてしまえば良いだけです。諸将を集めて武田信繁と信廉が謀反を起こし、上杉に加担したと伝えれば済む話」


 知らないから動揺するのであって、知ってしまえば心構えができる。

 

「うむ。分かっているなら良い。ならば諸将を集めよ。謀反を知らぬ者も含めてな。……さて、これでワシは武田信玄として生き死ぬのだ。信廉(信玄)は見つけ次第処断する!」


 こうして信玄(信廉)は、諸将を集めると『信繁と信廉が武田乗っ取りを企て上杉と組んだ』と伝えた。

 謀反の真実を知らぬ諸将も流石に動揺したが、怒りの信玄が醸し出す覇気がその動揺を抑え込む。

 信玄を信廉と疑う諸将は居なかった。


(よし! これならいけますな()()!)


(うむ。逆賊信繁、信廉(信玄)を討つ!)


 こうして後に『第四次川中島の戦い』と称される、上杉政虎と武田義信の戦いが始まった。

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