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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
18.5章 永禄5年(1562年) 弘治8年(1562年)英傑への道
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182-2話 一揆の先の次なる一手 上杉政虎、武田信虎、武田信玄

182話は2部構成です。

182-1話からご覧下さい。

【信濃国/木曽福島城 上杉軍】


 電光石火で木曽福島城を囲った上杉軍。

 武田側には成す術が無かった。

 城攻めには3倍の兵力が必要なのが定石だが、戦力差は5000対100(女子供含む)で50倍の兵力差がある。

 最初から勝負にならない。

 上杉軍の接近に気が付いた時には包囲も完了しており、救出を乞う事も、非常事態を伝える事も不可能だ。

 城側の決断は早かった。

 即座に城門が開かれ降伏と相成った。


「木曽福島城、降伏開城いたしました」


「伝令の類も逃がしておらぬな?」


「はい。城代まで捕らえたとの報もあります。抜け道の類も無い様です。そうなれば、まさに『蟻一匹通さない』と言う奴ですな」


 大概の城には、秘密の脱出路が用意されており、実は、木曽福島城にも当然備わっていた。

 しかし残念ながら、城代と言えど、本来の身分なら『城主補佐代理見習い』位の身分だったので、脱出路は知らされず、備わっていたのに活かされなかった、と言うのが正しい。


「殿の目論見通り、我らが飛騨側から来るなど想定外だったのでしょう。敵と気づくのも遅ければ、防衛の兵力も最低限以下。囲ってしまえば打つ手は皆無でしょう。故に降伏勧告にて双方共に流血無し。無傷での奪取です。これ以上の成果はありますまい」


 別に己の手柄では無いのだが、側近は誇らしげに語った。

 そんな側近の言葉の端々に『上杉家の悪しき伝統』を感じて、政虎は内心不安に駆られるが、今はソレに辟易している暇もない。

 やるべき事をやる為に確認作業を続ける。


「そうだな。城には何人程残っておる?」


「戦闘員以外の人間を含めても100は下回るかと」


「100? いくら危険性の少ない地域と判断しても100とは少ないな? 奴らしくないが事実なのだから仕方ない。ほぼ全軍北信濃に向けた本気の行動なのだろう。兵は……どうするかな? まぁ殺すか。忠義者が武田に急報を届けるかもしれぬ」


 政虎が伝令に残存兵の処刑を命じると、信虎が割って入った。


「忠義者? 殿、僭越ながら具申致しますれば、甲斐兵でさえ、そんな忠義者は居ないでしょうから、信濃兵なら動きを封じる程度、脅しで十分だと思いますが?」


 上杉政虎と武田信虎が木曽福島城の処遇を巡って意見を交わす。

 城兵の殺害を命じる政虎に、助命を申し出る信虎の対立―――ではない。

 信玄の為に命を懸ける殊勝な者などいない、と言う、親ならではの視点と政治的判断である。


「もし武田の重臣がいるなら、それは情報を聞き出した上で殺すべきですが、末端の兵士ならば処刑は不要でしょう」


 その政治的判断で、重臣以外なら殊勝な者は居ないと判断する信虎。


「それにここは孤立しますからな」


 どうせこの木曽福島城は落としたとて、上杉軍には維持ができない。

 戦の結果がどうなるにせよ、村上義清が北信濃を守り切ったなら木曽福島から北信濃までの何らかのルートを確保しなければならないし、北信濃を失えば上杉の領地に繋がらない孤立した城になってしまう。


 だが今は、領地の拡充が目的ではなく、越後の危機を回避する為に、あえて武田の背後を突く防御の為の攻撃が最優先の目的があるので、奪った城を確保する選択肢は最初から無いのだ。


「孤立か。そうだな。……ふむ? 元武田としては死なせたくないか?」


 政虎もこの城に上杉として価値を見出せないのは理解しているが、元武田家当主の考えがどんな感情なのか判別できず、信虎がどこに重きを置いた判断をしているのか確認する。


「いえ。別に手を汚したくないとかそう言う訳ではありませぬ。某には殺す利点が思いつかないだけで、殿には見えている利点があると仰るなら殺しますが?」


 信虎としても城兵の命など、毛程も配慮していない。

 どう扱ったら利点になるか?

 その計算次第でプラスになるなら生かす。

 マイナスなら殺す。

 今の所、±0と本気で思っているが故に、政虎に判断を委ねただけだ。


「ただまぁ、生かして恩を着せてもタカが知れてますからな。どうせ破却する城です。城を枕に討ち死にさせた方が彼らの名誉にはなりましょう。生きていても武田から税を毟り取られるだけの存在ですからな。死なせてやるのが慈悲なのかも知れませぬ」


 どうせ領地として活用できぬ城である。

 ならば、せめてもの嫌がらせとして、城は破却してしまう。

 武田家としても飛騨や斎藤の備えの為に、この城を破壊されたままにはできない。

 必ず再建しなければならない。


 苦しい台所事情なのにだ。


 この時、生き残った城兵や周辺地域は税を搾り取られ労役を課されるだろう。

 生かしておけば武田への恨みはメリットとなろうが、上杉に恩恵をもたらす程のメリットにもならないであろうから、いっその事、殺すのもある意味慈悲である。


「あるいは数は少ないなれど、どうせ殺すなら上杉軍の先鋒として使い潰すのも手です。どう致しますか? 某は本当にどちらでも構いませぬ」


 別に信虎時代に確保した特別に思い入れや因縁のある土地ではない。

 本当にどうでもいいのだ。

 信虎として何かこの地域で成し遂げたい事があるとすれば、織田や斎藤の恩義に報いる為に、徹底的に城を破壊する事ぐらいであろうか。


 城の破却が第一で、人命は二の次だ。


 2人の人命に対する軽すぎる会話も、これが物の価値が違う戦国時代特有の残虐残酷な人の扱いである。

 もし、この命の扱いに『非難の余地』があるとすれば、侵略を許してしまった武田側にあるのだ。

 

 ちなみに両者共に『大々的に処刑しましょう』とならないのは、周辺に脅す相手が居ないので無意味だからだ。

 (はりつけ)にして並べて公開処刑にて戦意を挫くのも立派な戦略だが、今回はそんな事しても無意味に時間も掛かるし意味不明な虐殺として汚点になるので、殺すなら斬首にて事務的に処理する事になる。

 勿論、磔が効果的な場面だったら躊躇はしない。


「そもそも秘密裏に急ぐ行軍だからな。斬首の刻も惜しいし使い潰すか。少しでも生き残る可能性に掛けたら、力も発揮するだろうて。武田の背中を捕える為にもさっさと出発するのが……何事だ?」


「見てまいります」


 政虎が捕虜の方針を決めた時、何やら遠方で騒がしい様子が伺えた。

 すぐさま様子を探りに行った側近が、行きよりも早い駆け足で戻り報告する。


「はっ。その、城代を任されてる者が伝えたい事があると申しておりまして……」


「何だ?」


 側近の言葉の歯切れが悪い。

 何かあったのは明白だ。


「囚人を捕えているので、城を破却するならば一緒に連れ出させて欲しい、と申しております」


「囚人? それは罪人か? 破却で野放しにするのも見張るのも面倒だ。殺せ」


 牢に入るには入るなりの理由がある。

 軽微な罪かも知れないが、この急いでいる時に罪状を調べて正しい判断をしている暇はない。

 ならば殺せば一件落着だ。


「い、いえ、罪人では無く囚人でして……」


 側近が口籠る。


「囚人ではあるが罪人ではない? 捕虜と言う事か?」


 確かに牢に入るのは罪人ばかりではない時代だ。

 捕虜ならば可能性はある。


「武田の城にいる捕虜? この周辺地域で? 斎藤家の者か?」


 地域的にも斎藤の間者が捕縛された、とかなら理解できる話。

 武田の飛騨侵攻を妨害してきたが、その中でしくじった者も居たのかもしれない。

 それならば救出せねばならないだろう。


「その……何と申すべきか……」


 だが、側近はその考えを否定する様に口籠る。

 何か理由があるのか、側近は意を決して申し出た。


「某にも少々信じ難いので左京殿(信虎)にお越し頂きたいのですが……」


「……へっ? ワシ? 何で???」


 自分には全く関係無い事だと思っていた信虎は完全に油断しており、急に名指しされ裏返った声で驚き戸惑う。


「ワシの確認が必要な囚人とは、ワシの関係者なのか? こんな土地で? 少なくともワシが関わった覚えなど無いが?」


 武田家の地ではあるが、信虎とは限りなく無関係な地である木曽福島城。


「何ぞ身に覚えがあるか? お主の郎党が捕らえられているとかではないのか? そうであるなら救出すべきだろう」


 政虎も自分ではなく信虎への要望という、不可思議な事に興味がでたのか問うてみた。

 しかし信虎の答えはそっけないモノだった。


「いえ、全く。連れてきた郎党はここに全員揃ってますので違うハズです。まぁ、あるとすれば(かつ)ての旧家臣でも牢に居るというなら会ってやらんでもないですが……ん? 向こうはワシが居るのを知って呼んでいるのか?」


 信虎が上杉軍に合流したのはつい先日である。

 それを囚人は当然、木曽福島の城代が知るハズがない。

 知ってたらソレはソレで異常事態だ。


「いえ、知らないと思います。城代だけが知る内密な事らしいのですが、その内容を聞いた某の独断で今こうして報告しております」


 木曽福島城の城代が囚人の存在を政虎の側近に話した。

 これが側近には対処しかねる大問題だったが、幸いにも信虎が合流した事を知っているが故の独断だ。

 つまり、絶対に『どうでもよい』で済ませてはいけない何かがあると言う事だ。


「知らないのにワシに確認させたいと? 誰なのだ?」


「そ、それは……申し訳ありません、お耳を拝借いたします―――と―――です」


 側近が信虎に耳打ちした。

 側近の焦る吐息が耳に触れ気持ち悪かったが、告げられた名前に驚愕してそんな感情は一発で吹き飛んだ。


「何じゃとッ!?」


「ッ!?」


 耳打ちされた信虎は当然、漏れ聞こえた政虎も驚愕の表情を浮かべた。

 予想外にも程がある名前が聞こえたのだ。

 本来絶対あり得ない。


「牢に案内せよ! その間に敵城兵を全てまとめ、使える物資兵糧は運び出しておけ! 外堀内堀、埋められる物はできる限り埋めておけ! 段蔵!」


 政虎がやるべき指示を飛ばすと加藤段蔵を呼んだ。

 段蔵も何について詰問されているか理解したので、嘘偽りなく見たままを改めて報告する。


「はっ! ()()()は遠目だったので絶対とは申しませぬ。事実なら影の可能性があります」


 間違いなく段蔵は見た。

 だから上杉軍はココに来たとも言えるのに、その大前提が崩れようとしている。

 だが、この大前提は崩れても、より強固な岩肌が露出する可能性がある。


「そうか。思わぬ所で値千金の情報が転がり込んできたかも知れぬ。よし、我らは牢に確認に向かう故、お主はまた破壊工作を頼む。我らがこの城を退去したら跡形もなく燃やせ」


「承知しました」


「よし! では会いに行くぞ! ……本物だったら。どう接するべきかのう? 左京はどう接する?」


「本物だったら大笑いですな……ッ!」


 そう断言する信虎の顔は、言葉とは裏腹に怒気に満ち満ちていた。

 こうして政虎と信虎一行は、城代に案内されて牢に向かうのであった。 



【信濃国/木曽福島城 地下牢】


 向かい合わせの座敷牢で、二人の中年武将が話をしていた。


「『何事も 巡り巡るは 因果応報 次は(なんじ)ぞ 太郎義信』……どうだ?」


「うぅむ。三大怨霊に割り込むには弱いですな。もっとこう、血を吐き出すが如く、呪詛を表現できるとより良いかと。彼らはそれはもう七転八倒に等しい苦痛と屈辱、あるいは本当に憤死寸前の怒りが怨霊への道を開いたのです。しかし、兄上のその句は、まぁ恨みは読み取れますが、読み取れるだけ、とも感じられますな」


「そ、そうか? 四大怨霊にも数えられる結構良い出来だと思うのじゃが……」


「そもそも『巡り巡る』と『因果応報』は似た意味でございましょう? 31文字しか使えないのに意味を重複させてどうするのです? それに『因果応報』は7文字ですぞ? 五七五七七になってませんぞ? ならば『駄作』との評価が妥当でしょうなぁ」


「だ、駄作……。厳しい事を言うのう。じゃあ『巡り巡る』と『因果応報』のどちらかを削って考え直すか。何ぞ良い言葉……いや『良い』じゃないな。『悪い』言葉は無いか?」


「うぅむ。出せと言われると出てきませんなぁ。戦場では幾らでも汚い言葉が出てきますのに不思議な事です、って、兄上、私も自分の辞世の句を考えなければならんのですから自分で考えてくださいよ!?」


 話しているのは武田信玄と武田信繁。

 息子、或いは甥の策略に()められ、今はこの木曽福島城の座敷牢で何らかの沙汰を待つ身だ。

 処刑は間違いないだろう、との察しはついているからこその辞世の句作りに勤しんでいた。


 ちなみに、今この時点において、笹久根貞直なる者が武田信虎だとは看破していない。

 だが、こと今に至っては、笹久根が父信虎で間違いないと確信している。

 根拠は無いが、確信してしまっている。


 今の現状は父に情けを掛けたからだ。

 何も因果関係が露わになっていないが、そう感じていた。

 自分の時は父を追放で済ませたが、それが巡り巡って因果応報となったと悟り、今は禍根を断つべきであったと後悔しているが、まさに後の祭り。


 その父の失敗を息子が学習しないはずが無い。

 今生かされているのは義信の何らかの都合に過ぎず、いずれ必ず処刑になる。


 もう信繁から今回の事を詳細を聞いた。(179話参照)

 膝から(くずお)れる程の衝撃だったが、子は親を見て育つのだと妙に納得してしまった。

 自分は信虎を追放したのに、親兄弟で争う戦国の常識を忘れ『自分だけは大丈夫』と警戒を怠ったのが悪い。


 だから呑気に辞世の句を考え、信繁からダメ出しをされていたのだ。

 政治も戦も命すらも全ての(しがらみ)から解放された、実に楽しい時間であった。


「……こちらです」


 そんなやり取りをしていると、遠くから扉が開く音が聞こえ、新鮮な空気が流れ込み淀んだ空気が一掃される。

 10人程の足音からして、処遇が決まって連れ出されるのだろう。


「なっ!? もう沙汰が決まったのか!? も、もうちょっと考える時間をくれんか!?」


「ぬぅ! 兄上の駄作に付き合ってしまったお陰で、拙者はまだ何も思いついておりませんぞ!?」


 死罪回避を懇願したい訳では無いが、もう少し時間だけは欲しい2人。

 だが、時間は待ってくれない。


「……本物か」


 しかし、予想外にも程がある人物の声に、辞世の句などどうでも良くなった。


「……本物? ……あッ!? 上杉政虎ッ!?」


「なっ!? 何故この木曽福島に!?」


 信玄と信繁は、政虎とは面識がある。(124話参照)

 憎悪の対象過ぎて、辞世の句に使う『悪い』言葉が簡単に出てきそうな程に憎い相手だ。

 動物園の猛獣の如く、座敷牢の枠組みを破壊する勢いで掴む。

 もちろん破壊など出来ないが、放っておいたら破壊しそうな勢いだけはあって、政虎の近習が慌てて刀に手を掛けた。


「……何たる事だ」


 政虎の隣にいる老将がポツリと呟いた


(誰だこの爺は?)


 だが、その隣にいる老人と若者には面識が無い。


(……この雰囲気、眉、鼻、口、眼光……あれ……?)


 信玄と信繁が、記憶を探っていると、遠い彼方に追いやった、もう顔も思い出せないある人間が急に脳内に若い姿で蘇る。

 その若い姿を21年経過させると、丁度今ぐらいの姿形に―――成りそうで成らず非常に歯がゆい。 


 そんな2人を見てその老武将が怒鳴り散らした。


「貴様ら……ッ!! その為体(ていたらく)は何なのじゃ!?」


「ッ!? お、親父殿か!?」


「ち、父上ですか!?」


 姿形も21年ぶりでは現在の姿と一致するのに苦労したが、声は簡単に一致した。

 いや、声も21年経過すれば年相応の声に変化するものだが、それでもこの一喝には聞き覚えがあり、一致しない記憶が完璧に合致し、歯がゆい思いは消し飛んだ。


 ただし、消し飛んだ代わりに現れる感情は『?』だ。

 何がどうなって上杉政虎と武田信虎が木曽福島城に居るのか全く分からない。


「な、何故こんな所に……!?」


「今川から姿を消して上杉に渡っていたのですか!?」


「……親父殿を追放した復讐を果たしに来たのですか。やれやれ。私は子に謀られたばかりでしてな。死を待つだけの身。親父殿の気持ち、今程理解できる瞬間はありますまいな」


「義信と父上は繋がっていたと!?」


「そうじゃないと説明つかんわ」


 信玄と信繁は、思いつく理由やら今後の事を捲し立てる。


「えぇい! やかましい! どれも違うわ!」


「ち、違う……!? ではこの現状は一体……!?」


 信虎と義信が繋がって居たなら納得だが、信玄も驚きの余り忘れている。

 これから義信が戦う相手は上杉家なのに、この場に政虎が居てはその理屈は成立しない。


「孫に謀られたのは腹筋(はらすじ)と笑ってやりたいが、気に入らんのはそんな事ではない! 貴様ら、何の為にワシを追放したのじゃ!?」


「ッ!? な、何の為……!?」


 信虎の怒りは追放された事ではない。

 無論、当初は怒り心頭だったが、今川で客分として生活する内に、『仕方ない』と思い直していた。


『不徳の致す所、と言う事じゃな』


 宗教が絶対の世界で『徳』が無いのは『天』即ち『神仏』に見放されているのも同然である。

 天変地異も、凶作も、全ては領主の『徳』にかかっている。

 その上で信虎の治世は、常に飢饉との戦いだった。

 飢饉と戦う為に無理な出兵を繰り返し、無理に税を集め、無理に甲斐を統一した。


 領主は偉いが、家臣や領民に恨まれては意味がない。

 それでも生活が楽になったり改善されれば良かったが、そうでは無い以上、信虎には『徳』が備わっていないと判断されたのだ。

 宗教が絶対の世界で『徳』が備わってないと判明したら、殺されても何ら不思議ではない。


 だから『不徳』の全てを背負って追放で済んだのは、超幸運だったのだ。

 信虎は『これで甲斐が健全な国に生まれ変わるならそれも良い』と今川で客将として生活しながら受け入れていた。

 聞こえてくるありとあらゆる身に覚えのない悪評も、治世として正しいと感心していた。


 だが、そんな己の悪評を軽く上回って聞こえてくるのは、政治に対する怨嗟の声と増税と労役の悲鳴ばかり。


「信玄堤とやらを築いたのは良いじゃろう。見事な発想じゃ。だがッ! それしか褒める所が無いとはどう言う事じゃ!? 何故、ワシの失敗を(なぞ)る!?」


 不徳の原因たる己を追放してまで甲斐を治めたのだから、徳を示さなければならないのに、同じ失敗をしていては、今こうして座敷牢に監禁されているのも当然だ。

 だから腹立たしい。


 信虎の怒りも仕方ないが、だが一方で、信玄も擦りたくて擦った訳ではない。

 甲斐はそうするしか手段の無い国なのだ。

 それに、どんなに頭を捻って解決策を模索した所で、学んできたのは父親のやり方。


 新手法とはそんな簡単にポンポン出てくるものではない。

 折角最高権力者に上り詰めても公家の真似しか出来ず自滅した平清盛は、公家政治しか知らないから模倣するしか無かった。

 現代でも体罰がしょっちゅう問題になるが、これは指導者も体罰で育ってきたから、それ以外のやり方を知らないのも一因なのと一緒だ。


 一方で平清盛の失敗を学び新手法を生み出した源頼朝は間違いなく大天才だ。

 だが、そんな天才はほんの一握りの上に、才能を発揮できる立場に立てない場合が殆どだ。

 織田家(と現在の斎藤家)以外は基本的に立場は世襲制。

 朝倉孝景 (7代当主英林孝景)も実力で役職を与えるべきと説いたが、実践はできなかった。

 武田の軍師として名高い山本勘助も、武田の一族では無いので、現代で言えば一族経営で成り立つ武田株式会社では係長止まりで、決して経営者側の課長にはなれない立場。


 だから革新的な方法を思いついても、そもそもそんな簡単には歴史上には出現できない。

 現れられる土台も力も何も無い。

 

「……」


 信玄も気圧されて言葉がでない。

 信玄は新たな手法を考え出せなかった。

 それでも、武田家を議会制から専制君主制にリニューアルしたり、三国同盟で背後を固めたり、戦国時代に適応する為に動いてきた。

 やるべき事をやったのだ。


「ち、父上、それは違い……」


「言うな典厩(信繁)。言い訳は惨めなだけだ」


 やるべき事をやった。

 ただ、信虎にとってはやって欲しくない事もやってしまっていたのだ。


「左京、気持ちは分かるが刻が惜しい。説教は道中でやるが良い。釈放せよ」


「処刑か? 辞世の句は……もうアレでいいか」


 信玄は薄く笑うと諦めたのか、格子から手を放し尻からドスンと座り込んだ。


「いや、処刑はせぬ。貴様ら兄弟は我が手駒として生かす。同行してもらおう。今の武田軍は武田信玄らしき者が動かしているのは把握しているのでな」


 これは加藤段蔵が自らの目で確認してきた事だ。

 確かに木曽福島城から出陣する信玄を見た。(180-1話参照)

 ここに本物がいる以上、出陣した者は影武者であろう。


(刑部(武田信廉)か。奴も義信に取り込まれておったか。……ッ!? と言う事は、まだ義信は単独で武田を掌握できておらぬと言う事か!? まだワシの存在が武田家に必要との判断か! この北信濃攻略を持って正式に後継者となるつもりか!?)


「どうした?」


 信玄は悩んだ。

 ここで『実は自分こそが影武者の信廉』と言ってしまった方が、あるいは武田家の為になるかもしれないと考えたのだ。

 だが『ならば必要ない』と処刑される可能性も高くなるかとも考えたが、真偽どちらにせよ、政虎が同行を求めている以上、武田本陣にて己の突き出し混乱を招くのが狙いなのだろう。

 その策を実らせては武田は終わりだが、牢に入れられ処刑を待つばかりだった身で、武田家の行く末を心配する必要があるのか?


 恐らく義信はまだクーデターを武田家に周知させていない。

 ならば武田の当主に返り咲く手段があるのか?

 一度、子に裏切られた己が、元の発言力、支配力を持って返り咲けるのか? 


 不意に生き残る可能性が生まれてしまったが故、脳をフル回転させ、どう立ち回るべきか考える。


「……。虜囚の身じゃ。従おう」


「兄上……?」


 信繁も兄信玄がこの好機を活かさぬハズが無いと考えるが、信長や帰蝶の如くテレパシーは使えないが、何かに賭けているのは察した。

 自分の兄ながら、ある種の執念に掛けては日本一だと思っているのに、この殊勝な態度はありえない。

 ならば、何か考えているハズだ。


「よし。物分かりがよくて助かるが、何か良からぬ事も考えておるだろう? 考えぬハズが無いな?」


「……フン。当然だ」


 戦国大名は最後まであきらめない。

 さっきまで辞世の句を考えていたが、生き残る可能性が生まれた以上、生にしがみ付くのは当然だ。

 政虎としても、そんな事は想定済みで、素直に従うとは思っていないが、少ない戦力で戦うには信玄は劇物の如く作用すると考え、危険物扱いで要求を告げた。


「おぬし等二人には甲冑を脱いだまま騎乗してもらう。勿論、寸鉄一つ身につけさせぬ。その上で腰と手綱を縄で結ぶ。その腰縄と手綱が切れたら不慮の事故で切れたとしても脱走とみなし殺す。脱出を図ったら、図っていない方を殺す。お互い死にたくなければ、おとなしく行軍に付いて参れ」


 理不尽だが行動を封じるには連帯責任が一番だ。


「もちろん2人一緒になど行動させぬ。信玄殿はワシの軍と共にせよ。典厩殿は左京の郎党に任す」


「わかった。従おう」


 信玄が生き残りを賭けて立ち回りを考えているのか、心のこもっていない返事をする。

 どうせ『何かする』とバレているのだから、演技も必要ない。


 こうして信玄と信繁含め、木曽福島城の城兵は一か所に集められた。


(いるな……。ここから幾つの幸運を引き寄せられるか? 薄い望みだがやる価値はある!)


 信玄は確認をして後ろ手のまま指を動かした。

 背後の者が背中を軽く叩いた。

 いくら100人しか居ない城とは言え、信玄と信繁を捕えている城だ。

 望月千代女率いる忍者が不在なハズが無い。

 信玄はその忍に伝令を頼んだのだ。

 ただ、指では事細かに伝える事は出来ない。

 千代女が義信側に付いている以上、この忍が思惑通り動く保証もない。

 だからこれは完全な賭けだ。

 少しでも生き残る可能性を上げる為の。


(頼むぞ!)


 そんなやりとりが、信玄の背中に隠れて見えない政虎は、これからの方針を短く説明した。


「では、武田軍に追いつくまでに立ちはだかる城は、信玄殿の命令にて武装解除しつつ破却する。行くぞ! 先鋒はこの木曽福島城兵だ。足を止めたら後ろから刺されると思って行軍せよ!」


 道中の城は国境沿いの木曽福島城でさえ手薄だった。

 ならば、道中の城は信濃中央部に行けば行く程に手薄になる可能性がある。

 そうでない場合も『信玄』という最大級の人質がいるのだから、武田義信軍の背後を取れる可能性は極めて高い。

 

 その時、どれだけ損害を与えられるかが勝負だ。

 信玄と信繁という思わぬ切り札を手に入れた今、信濃の防衛は叶うだろう。

 一方、新生武田軍は、いきなり最上級の切り札を携えた上杉政虎と戦わねばならぬ不運が待ち受ける。

 しかも、まだ後方の侵略には気が付いていない。

 新生武田家には、まだ大きすぎる試練。

 

(もし、義信が見事生き残り凌いだなら、武田は孫に委ねるのが一番か。赤子の時の顔しか知らぬが、この危機を乗り越えて見せよ!)


 武田信虎はそんな事を密かに思いながら、武田家を叩き潰す為の行軍に、義信への試練となるべく移動を開始するのであった。

北陸一向一揆に関わる勢力が多数に上り、色々と思惑が錯綜しているので、ここで整理する為にも、誰が何を知っていて、何を知らず、何に確証が無いのかを纏めました。

私もウッカリ間違えそうなので、ここに現状を残しておきます。


挿絵(By みてみん)



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