182-1話 一揆の先の次なる一手 織田信長、朝倉延景、斎藤帰蝶、七里頼周
182話は2部構成です。
182-1話からご覧下さい。
【越中国/猪谷砦 上杉軍】
「狼煙確認! 1本です!」
櫓に登り、蟹寺城方面を監視していた兵が、猪谷砦の門内側で騎乗していた上杉政虎に報告した。
「よし! 砦に火を放て! 全速で武田を追う! 一向宗からの攻撃は無いハズだが何事も絶対は無い! 油断するな! 出陣!」
猪谷砦の門が開かれ、騎馬の一団に続き、徒歩の兵も後に続く。
荷車を曳いて、兵糧やら物資やらを運ぶ一団が門を潜り、その輸送隊を護衛する兵が門を潜ると、砦のあちこちから一斉に炎が上がった。
加藤段蔵が、どこを燃やせば効果的に延焼するかを調べ、各所に燃えやすい物を山積みにして火を放ったのだ。
せっかく作った砦を廃却する理由はただ一つ。
一向宗に利用されない様にする為である。
当初はただ待つのも暇なので、訓練もかねて砦の規模をドンドングレードアップさせていったが、越中撤退の今となっては、敵に使われては難攻不落の砦になってしまう。
堀の類は、信長と一向宗が会談を行う前に瓦礫で埋め立てた。
あとは燃やし尽くして、痕跡を可能な限り消し、一揆勢がココを再利用しようとした時、政虎の砦を再現させない為に。
「自分で言うのも何だが、良い出来の砦だっただけに勿体ない……!」
勿体なかろうが何だろうが、自らの手で破壊するしか選択肢はなかった。
こうして実に短い期間であったが、堅牢な名砦どころか名城にもなる可能性のあった猪谷砦は、結局一度もその防御力を発揮する事無く灰燼と化した。
背中に熱を感じつつ信濃への路を進む上杉政虎が、前方でうごめく何かを見つけた。
警戒しつつも接近すると、それは旗であった。
「ん? あれは……織田軍か?」
遠方に見える『木瓜紋』の旗印。
通称、『織田木瓜』とも言われる織田家の家紋だ。
兵数こそ僅かだが、10数本は屹立しているからして、見送りと言うよりは要件があるのだろう。
織田兵も上杉軍に気が付くと、旗を振って何かを合図している。
「まさか応援の旗振りでもあるまい。貴様らは先に行け! ワシは織田に一言告げてから行く!」
政虎と馬廻衆が軍の一団から外れ、織田兵の横にまで馬を寄せ停止させた。
「此度の交渉、誠に助かった。これで余計な手間を掛けず武田を追える!」
「ならば、頑張って交渉した甲斐があったと言うモノよ」
「織田殿ではないか! 御自ら来たのか!?」
「上杉軍が通り過ぎた後、武田が通過した土地を我らが今一度制圧しなければならないからな。斎藤軍までここにいると上杉軍の進路を塞いでしまうしな。お主等が通過した後に進軍する予定じゃ。2度と武田に飛騨を跨らせるなと七里に要求されてな」
「配慮忝し。それにしても何と猪口才な要求を、と言いたいが武田の暴政を思えば当然か」
「それよりも情報を共有しておこう。織田が上杉に手を貸す証拠を残す訳にはいかぬから口頭で告げる。一度しか言わぬから心して聞いてほしい。北条が越後を狙っている。武田と歩調を合わせてな。これが七里頼周が用意した越中防御の策だったのだ」
「ッ!!」
武田が引いたのは政虎も気配と偵察で確認済みだ。
何の争いも無く、すんなりと退いたからには何らかの密約があったのだろう。
「一向宗が本願寺の要請を受け入れたなら、武田が越中を攻める必要もなし……となると!? 北条とは最初から結んでおいて、越後を同時に攻めた方が一向宗にとっても武田にとっても面倒ごとが少ないと判断したのか!? いや……北条は武田の動向に関係なく攻める予定だったのだろう。武田が越中を説得できたから、より確実に越後を落とす方針に切り替えたか! 別に海を望むなら越中でも越後でもどちらでも良い訳なのだな!」
北信濃の守備兵が少ない訳ではないが、越中攻略兵が全部北信濃に行けば防ぎきれるものではない。
そうなると、越後全域が戦乱に巻き込まれるのは時間の問題となる。
本当は武田単独で蟹寺城を落とす見込みも薄く、落としたとしても、その後の維持もままならない現実が突き付けられたが故の苦肉の方針変更だ。
武田と本願寺が組んでいる事を知っている事が、逆に推理の妨げになっていた。
だが、推理は間違っていようとも、これから起こりうる現象は同じだ。
ならば見当違いとしても結果に差は無いであろう
「この越中の七里頼周、噂に違わぬ謀略の猛者か!」
「あるいは会談が物別れに終わって刃傷沙汰にでもなれば、後顧の憂いなく討ち取ってしまえたが、そうもならんかった。奴はこの先も壁として立ちはだかるだろう。ところで―――」
実際には、まだまだ甘い所もあったが、そこまで教えてやる義理もないので、信長は別件の話に切り替えた。
「斎藤も織田も武田とは同盟を結んでるからして、この戦に加わる事は出来ぬ。だが援助は致そう。幸いにもこの北陸一向一揆対策で、朝倉家が唯一武田北条と何も関係がない。越中も今の状態で停戦する事に合意が取れた。だから今、朝倉家に越後への援軍へ向かう様に要請済みだ。上杉単独では西と東に分かれた戦場を全て網羅するのは厳しかろう」
「確かに……。援軍に来てくれるのであれば助かる」
いくら政虎が戦の超人とはいえ、身体は一つ。
西に東に駆けずり回っていては、いずれ力尽きるだろう。
「それとは別に、朝倉家に対し、斎藤と織田で援助物資を持たせる。それを朝倉がどう使おうか我らは関知せぬ」
武田の手前、上杉に援助物資は送れぬが、朝倉に送った物資が上杉の為に使われても、信長の知った事ではない。
「何から何まで忝い。この礼はいつか必ず果たそうぞ」
こう言う所は、独り歩きした噂通り義理堅い政虎であった。
「これはワシの都合も多分に含む。礼には及ばん」
そんな会話の終わりかけを縫って、馬回の一人が信長に声を掛けた。
「弾正忠様!」
「おぉ、無事であったか。今は上杉家臣の左京で良いのだな?」
現れたのは笹久根貞直こと武田信虎とその郎党である。
もちろん信友も一緒だ。
砦から飛び出してきた上杉軍の隊列に、どさくさに紛れて一揆から離脱し合流していた。
「はい。仮初ですが。これより暫くは上杉の為に尽くす所存。今は危機には違いませぬが、好機でもありますしな」
「確かに。この進路は好機だな」
越後が二大強国に同時に攻め立てられる現状を好機と表現する信虎。
それに太鼓判を押す信長。
信長は理解したが、一部理解できていない織田家臣に説明する様に、 信虎の後を継いで政虎が説明した。
「うむ。武田は北信濃に目が向き、越中上杉軍が全軍越後へと戻ったと思っておる。なればこそのこの進軍路は武田の退却路。追っていけば自然と背後を突けるのだ。名付けてキツツキ戦法とでも言おうか」
かつて山本勘助が、第4次川中島の戦いで上杉軍を誘い出すために考案したと言われる『キツツキ戦法』は、上杉軍の背後を襲い、慌てて動いた所を武田本体が叩く戦法であったが、謙信に読まれてしまい作戦は失敗。
勘助含め、武田信繁など多数の武将が打ち取られる大損害を被った別次元の歴史の事実だ。
《上杉謙信がキツツキ戦法……!》
武田の戦法を上杉が使う。
別に古今東西、挟撃など別に珍しくも何ともない策ではあるが、やはり上杉が武田相手に使うのは、ある種の感慨深い歴史変化であった。
《ここで第四次川中島の戦いか。結果まで変化……ん? どう変化すればワシにとって有利なのか? 武田には勢力を伸ばして欲しくないし、上杉も破れては元も子もない。やはり双方適度な痛手をこうむってくれる程度が望ましいか》
《でも、このキツツキ戦法はかなり効果的じゃないですか? 完全に虚を突いてると思いますよ?》
武田は信濃統一に舵を切った。
既に制圧済みの南信濃に隣接するのは、一向宗か斎藤家、と武田は思っている。
どちらも油断ならないが、本願寺の意向と同盟を結んだ斎藤家の現状の脅威度はそこまで上ではない以上、背後は安全なのだから、やはり狙うは北信濃からの越後だ。
と言う事は、上杉から見れば、これは空白であり一瞬の隙。
武田が制圧し撤退した飛騨は、今、誰の物でもない。
故に南信濃への安全は確保されている。
上杉家は、武田が諦めた飛騨を斎藤が再制圧する前に通過するのだ。
武田はそれを見落としているが故に、実は何も安全は確保されていない。
まさに『虚』だ。
斎藤も、後に武田にクレームを付けられても、斎藤家として上杉に肩入れした訳では無く『上杉の行動が速かっただけ』と言い張れる。
なお、実は武田も一向宗に拒絶され、越中殴り込みを企むも、武田義信による謀反で頓挫しているのは誰も掴んでいないので、武田の目標予測は予想通りで事実であっても、事情は全く違う。
《そうじゃよなぁ。このキツツキはワシでも読み切れるか自信が無い。武田と上杉は均衡を保ってこそ存在価値があるのだが、これは近郊が崩れる想定をせねばなるまいな》
悩んだ所で、これ以上に結果に結びつく様な介入は不可能だ。
だから、流れに任せた上での対応に決めた、と言うよりは決めざるを得なかった。
「なるほどな。北信濃勢と越後殿らで挟み撃ちか。左京、どうやら宿願は果たせそうだな?」
この挟撃は、北信濃統一に動く武田軍の最後尾で指揮を執る武田信玄が、背中ガラ空きで踏ん反り返っている状況である。
今までも政虎が武田本陣に飛び込んで斬りつけた事はあるが、今回ほどの絶好の機会はそうそう無いだろう。
これは数で劣る上杉軍が唯一勝機を見いだせる作戦なのだ。
ならば、以前の様な顔見せの様な本陣乱入ではなく、確実に命を狙う。
そうなれば武田が何人動員しても、信玄以外は烏合の衆だ。
「はッ! 今まで何から何まで配慮に機会を与えてくれた御恩は忘れませぬ。直接討ち果たせるかは天のみぞ知る所でしょうが、ここまで来たら誰が奴を討ち取っても良しとしなければ、高望みし過ぎと言うもの。達成した暁には、必ずお礼に向かわせていただきます!」
「報告を楽しみにしておるぞ」
「最後に一つ。『タンニショー』この言葉を覚えておいてください。詳細な内容は分かりませぬが、どうも本願寺の真実が書かれているそうです。何か役に立つかもしれません!」
「タンニショー? 分かった。心に留めておこう」
《タンニショー? 何でしょう?》
《お主も知らぬのか。未来では失われた書物か何かなのだろうな》
信長教蔓延る1億年後。
当然、邪教の経典などは焚書である。
「では、急ぐのでこの辺で失礼する! 織田殿にも武運あらん事を!」
こうして政虎一団は上杉軍に合流し、信濃に向かっていった。
向かう先は信濃の最初の拠点である木曽福島城。
織田が信濃に侵入する理由が無い以上、木曽福島城は最低限の防御しか残っていない。
まずはここを落とし、武田を追う準備を更に整える。
上杉家の一団を見送った信長は、改めて状況を整理し、何が最善かを考える。
「……やはり、ワシも動いた方が良いのだろうな。稲葉殿、竹中殿、モノは相談なのじゃが―――」
【越前国/堀江館 朝倉軍】
飛騨の信長達からの報告を受け、朝倉軍と斎藤軍は軍議を行っていた。
色々な諸問題にどう対応するかについての協議である。
「停戦と相成ったりましたか。これから農繁期故に、都合としては悪くないですな」
「正直劣勢でしたからな。助かったと言えば助かったのかのう。大きな声では言えぬがな」
越中では武に優れた七里頼周に散々にやられた。
決して負けてはいないが、お世辞にも優勢とは言えない惨状であった。
各国の戦況も地域も飛騨は奪い返したが、その地は元々一向宗の浸食がまだ薄い地域で、さらに武田まで介入したが故の結果だったのは納得できる。
ただし、この越中と越前は失敗に終わった。
『失敗は自分達だけじゃなくて良かった』
信長ら飛騨越中側の報告を聞いて、正直胸を撫で下ろした朝倉家中の武将もいる。
だが、『最初から激戦区と判明している吉崎御坊周辺地域が相手だったのだ』と申し開きなど恥ずかしくて出来ないし、慰めの言葉など掛けられようモノなら自害も辞さない恥と感じ入る武将もいる。
「落ち込むでない。手痛い目には会ったが、決して成果無しに終わった訳ではない」
延景が発破を掛ける様に大きな声で皆に言い聞かせる。
「吉崎御坊の最前線たる堀江館と西谷城は奪取したのだ。これで南は丸裸。たしかに吉崎御坊まで落とせれば文句無しだったが、そうそう戦が思い通りにいくハズがなかろうて」
「殿……」
正直、延景自身もショックは大きかった。
計算違いの遭遇戦。
しかも両軍ともに出合い頭どなった遭遇戦。
しかも斎藤軍から抜けた頼周が延景本陣に斎藤伝令兵を装って襲撃する始末。
だが、形はどうあれ七里頼周が槍の射程範囲にまで近づいてきた。
それは頼周にとっても同じだが、延景、頼周、どちらが討ち取られても一発逆転の場面だった。
その好機を延景は逃した。
富田勢源の奮戦とフォローもあって、隙を突いて自分の槍で頼周の手を貫いたのは良かったが、何が何でも討ち取らなければならなかった相手を取り逃がしたのは口惜しい。
だが、その他の諸将は延景よりも役に立てず落ち込んだ。
新生朝倉軍の初っ端は出来れば華々しく行きたかっただけに猶更だ。
余りにも自軍の諸将の意気消沈が過ぎるので、却って延景は負けん気が立ち上がる。
ここで士気を回復させれずして大将とは言えない。
「考えてもみよ。あの朝倉宗滴ですら計算違いを起こすのだから、今回の結果で『卑屈になる』と言う事は、自分は『あの朝倉宗滴と同格の実力者なのに』と言うも同然だぞ?」
この歴史における宗滴最後の戦いも、武田と一向一揆相手に大暴れした殊勲賞モノの活躍をしたが、本人にとっては不満ばかりが蓄積する戦いであった。(126-2話参照)
「ちなみにワシはそんな戯言は恥ずかしくて言えたモンじゃないな」
「は……ハハハ……確かに。あの御方は亡くなる瞬間まで朝倉家中最強の傑物でしたからな。あの御方亡き今、自分が朝倉の支柱だとは口が裂けても言えませぬな」
誰がどう見ても忖度無しに朝倉宗滴は全てにおいて高いレベルで傑物だった。
心の中で2番目を自称したり、確信したりしている武将も居たが、1番と2番の間には分厚い壁があったのは間違いない。
1番が消え順位が繰り上がり、便宜上1番になったとしても『最低でも宗滴に匹敵して初めて1番を自称できる』との思いが共通認識であって、1番が空席なのも共通認識だ。
「それに偶然ではあるが、我らの報告、即ち『越中の七里頼周』が思わぬ成果に繋がったではないか。まさか複数人いるとはな。恐れ入ったわ。しかし、そのカラクリの一旦を解明したのは間違いなく我ら。これを誇らんでどうする」
何気なく報告した『越前の七里頼周』だが、これがとんでもない事実を暴き出した。
斎藤、織田軍からの返信で、『越中の七里頼周』の存在が明らかになったのだ。
「確かに……。ただ単に『吉崎御坊攻略失敗』だけでは、少なくとも三国での改めての情報共有の場でも開かねば七里頼周のカラクリは永遠に謎だったでしょう」
「それにしても……越中担当の七里頼周とでも言えばいいのか? そんな者が居たとは俄かに信じられんが、そう考えると色々納得できてしまう部分も多いのも事実。役割分担が北陸一向一揆のカラクリと混乱の原因でもあったとは」
延景の発破のお陰で、幾分余裕が出た分、思考の回転も早まる。
「その目論見を崩す為に援軍要請か。成程な」
信長は朝倉こそがこの窮地を救える唯一の手段と断じた。
間違ってはいない判断である。
判断であるが―――
「確かに上杉が倒れては困る。武田が一向宗を支配下にして隣国として付き合うなど冗談ではない。だが……」
織田、斎藤、上杉、武田、北条、今川と複雑に利害関係や同盟関係が絡まる中、唯一朝倉だけは、これから戦わねばならぬ武田、北条と何の柵もない。
だが、それは信長側から見た都合であって、朝倉の内情など何の考慮もしていない。
「援軍とは気軽に言ってくれるのう」
朝倉軍が援軍として越後に赴くにしても、いくつか問題があった。
まず1つ目。
これから農繁期に入るので16000揃えた兵の内、半数は農兵なので農地に帰還させねばならない。
故に残り8000。
先の戦いでの死傷者を考えれば動けるのは7000程だろう。
その内、領内の守備としても幾らか置いて行かねばならないので、本当に援軍に行けるのは5000程だろう。
ただし、援軍としては十分すぎる規模なので、これは問題の本質では無い。
真の本質は、数は揃っても戦意の喪失の方が深刻だ。
武将クラスのメンタルは、ついさっき回復したが、末端の兵士はそうはいかない。
連戦連勝で優位のまま停戦となっていれば、余勢を駆って、援軍でも何でもやって見せようが、出鼻を挫かれたも同然の朝倉軍の戦意は低い。
これは専門兵士特有の弱点でもある。
勝ってる時は強いが、劣勢になると簡単に逃げる。
農兵は全く逆だ。
守るべき土地があるので劣勢に強く、勝っていても死んでは元も子もないと考えるので優勢になると鈍い。
窮地を助けるべく参上して、あっという間に蹴散らされては、笑い者間違い無しの大失態だ。
そんな目も当てられない結果は、朝倉家の威信として絶対避けねばならぬのだが、今向かっても、何か役に立てるのか心配で仕方がなかった。
「……あの、いくつか提案があるのですが」
同席する帰蝶が空気の重さを察して、提案を申し出た。
戸惑いとも、活路を見出したとも言えない、何とも表情からは察し難い顔をしている。
「その援軍、斎藤家も同行しましょう。1500少々ですし、武田とは戦えませんが、北条相手ならば個人的にはともかく、家としては何の問題もありません」
武田とは同盟があるが北条とは何の関係もない。
一応、北条涼春が帰蝶との稽古の自由の権利を手に入れているが、流石に、その程度の人間関係で攻撃を躊躇する様な関係でもない。
むしろ涼春は公式的には今川家の人間だ。
親兄弟で争うのが戦国時代なのだから、この程度の関係性ならば誰でも『仕方ない』で済ましてしまうのが常識だ。
嫁ぎ先と実家が争う残酷な事例など、履いて捨てる程に転がっている。
帰蝶にしても、史実で斎藤家から織田家に嫁いでおきながら、斎藤家の終焉を織田家から見ている事しかできなかった。
シビアでドライなのもある意味戦国時代だ。
「それは有り難いが本当に良いのかね? それに領国の守備はどうするのだ? いざ何かあった時、越前からなら間に合っても、流石に越後からでは対応できませぬぞ? 特に朽木は危険では?」
「はい。そこは南近江にいる織田家に守備をお願いします。空いた南近江も伊勢から補充すれば、一応何とかなりましょう」
自由自在に織田家を動かせる訳ではないが、要請をする自由は与えられている。
織田家にもどうしようも無い理由がある場合を除いて、大抵の希望は叶えられるだろう。
「そうか。そうだったな。帰蝶殿は斎藤家の大名でありながら、織田家の席も持つ夫婦大名なのだから、織田への命令系統も生きている訳か」
「そうです。理由があるなら、織田の殿の頭を飛び越えて多少の無理は通せます。仮にこの隙が原因で朽木を取り返されたとしても大した損害はありません。いつでも再奪取してみせますが、越後陥落だけは避けねばなりません。それは最悪中の最悪でありましょう」
「確かにな。そこまでの覚悟で援軍に同行してくれる斎藤家の提案に奮い立てぬでは武名が廃るな! ハハハ!」
帰蝶の闘争心に充てられたのか、朝倉本陣に多少気力が戻ってきた。
暗い顔も、失意に沈んだ顔も、新たな目標と帰蝶の献身に砕けた心が修復される。
「そう言えば、幾つか提案があると申されたな? 他の提案とは?」
「食事を取りませんか? 腹が減っては戦は出来ぬでしょう。ここから港に行く気力ぐらいは補給しておきましょう」
「!? は……ハッハッハ! 確かに! そうだな! 腹も満たされば気力など、どうとでもなるな!」
色々あり過ぎてすっかり忘れていたが、こうも気分が重いのは腹が減ってるからだ。
これが全ての原因とも言わないが、調子が悪い時には食べて寝るに限る。
越後に渡る為の船の手配と上杉への援軍提案も、越後へ届けねばならない。
武将クラスは少々忙しいが、末端の兵士は暫く休息に入れる。
立て直しは十分できる。
ならば、越後で役立たずなどと言う事は無いだろう。
それに、帰蝶にとっても思わぬ形ではあったが、北条には少々用件がある。
《奴が出てくるかは未知数だけど、借りは返しておかないとね》
《……奴、ですか?》
《楽しみだわ》
帰蝶は若狭への命令書を書き上げた。
内容は、越前の港への寄港だ。
朝倉軍にも軍船はあるが、加賀小松地方に停泊したままの軍船もあり余裕は無い。
だから自分達の移動の足は自分達で用意する為の命令だ。
先の尼子の若狭湾襲来で大損害を受けたが、1500人程度の輸送と物資の運搬なら何も問題はない。
「さぁ。ご飯食べて英気を養わないとね!」
越中の七里頼周には散々にやられたが、それはもう過去の話。
引き摺っていては今後の戦いにも影響する。
忘れるのも強い武将の資質だ。
帰蝶の眼は越後に向けられ燃えていた。




