179-3話 武田義信 因果応報 風林火陰山雷衆利動
179話は3部構成です。
179-1話からご覧下さい。
【信濃国/木曽福島城 武田軍】
信繁は周囲を見渡すが、脱出は当然、局面をひっくり返す切欠すら何も無い事を悟った。
「……成程。これが因果応報か」
信繁は天を仰ぐ。
廊下の屋根に遮られ太陽は見えないが、何故か屋根が透けて太陽の幻覚が見えてしまう。
その太陽がまるで『お主の所業、見ていたぞ?』とでも言わんばかりに感じてしまう。
「わかった。無駄な抵抗はしまい……。暫し待て」
信繁は脇差を抜くと、甲冑の紐を切る。
ガシャリと信繁を象徴していた豪奢な鎧が床に落ちた。
次に太刀も鞘毎抜くと、遠く前方の庭に放り投げ座り込んだ。
「『風林火陰山雷』。いい言葉ですな」
信繁の武装解除を見届けると、義信は唐突に話題を切り替えた。
「ん? あぁ……そうだな。言われて気が付いたが、今回でいえば、風林火陰山雷は何一つ実行できていなかったわ」
『其の疾こと風の如く』
行動は可能な限り早くを目指すべきだが、自由に動く事ままならず後手後手に回りっぱなしであった。
『徐かなること林の如く』
その場で留まる時は静まりかえる戒めで、別に大騒ぎしてた訳では無いが、余裕を持った対応を出来ていた訳ではなかった。
『侵掠すること火の如く』
侵略時は、火災の如く燃え広がる様にを目指すべきだが、そもそも本願寺の要請で侵略はお線香の如く、じんわり燃焼具合だった。
『知り難きこと陰の如く』
軍の陣容は知られない様に機密を守るを目指すべきだが、笹久根貞直こと武田信虎には早々に見破られ、散々妨害を受けた。
『動かざること山の如く』
動かぬと決めたなら、ドッシリと構えるべきだが、想定外に遭遇しては慌ただしく動くだけだった。
『動くこと雷震の如く』
動く時は、雷が大気を震わせる如く勢いで動くべきで、コレは木曽福島城に戻った時には守ったが、守った結果が今で、信玄、信繁と各個捕らえられた。
(あの時はまさに『風林火陰山雷』だったのにのう……)
風林火陰山雷の戒めを思い出して記憶に現れたのは、かつて信虎を駿河に追放した時の記憶。
あの時、どう動いて何をしゃべったかまで鮮明に蘇る。
当時も信虎に何もさせられない様に、散々根回しし事前準備万端での決行だった。
「この、風林火陰山雷。まだ続きがあったのはご存じでしたか?」
「続き? いや、知らぬな。何だそれは?」
「風林火陰山雷この続きに『衆利動』とあるのです」
「しゅうりどう?」
「『掠郷分衆、廓地分利、懸権而動』。意味は郷を掠めて衆を分かち、地を廓めて利を分かち、権を懸けて動く。もっと嚙み砕くなら、最初の1つ『掠郷分衆』は、まぁ武田の得意分野です。略奪に動くときは兵を分散させよ。しかし次の2つが致命的に武田家には欠落していました。『廓地分利』は奪った土地は兵士に利益を還元させよ。武田の兵士は民。民に何か還元なさいましたか? 『懸権而動』は物事の順序軽重を考えよ、です。武田は今まで順番を間違え続けた結果がコレなのですよ」
「……知らぬ事ばかりだ。快川和尚に学んだのか?」
「そうです」
「なるほどな。知恵で負ければそりゃ勝てぬわな」
貧相な土地の武田は知恵と工夫で勝つしかない。
今回の本願寺援助も知恵と工夫の産物だが、そのスポンサーたる本願寺の姿勢は武田の方針には合わな過ぎた。
対して、義信の反逆はここまで用意周到だったのだ。
足掻いても無駄だと悟ってしまったのだ。
「正に因果応報か……」
もう一度同じ事を言った。
体から闘志も熱意も、意思も気力も急激に萎え細るのを感じる。
むしろ、武田家の重鎮にして信玄の右腕の職務から解放され、晴れ晴れした気分さえ沸き起こってしまう。
(これは解放感なのか? 別に兄上の補佐が嫌な訳では無いのだが、人は本気で諦めると、こんな感じになるんだのう……?)
冷静に己の状況を分析する余裕まで生まれてしまい、思わず信繁は笑みが零れてしまった。
「わかった。この通り抵抗はせぬ。だがせめて、兄上と話の出来る距離の牢に入れてくれんか?」
「父上より物分かりが良くて助かりますぞ。私は叔父上のそういう点は見習っておりましたぞ? 本心からそう思っております。武田が正常なら、正に腹心の鏡だったでありましょう」
「……そうか。気休めでも嬉しいぞ。だが一つだけ確認させてくれ。一揆は虚偽なのだな? ならば今から何をするのだ?」
家督簒奪だけで終わるとは思えない用意周到さだった。
これで終わりでは、むしろ拍子抜けで、義信の戦略を心配してしまう。
「信濃統一です。そして越後の横腹に食い込みます」
「成程な。ここで信濃の統一か」
現在の北陸の盤面は当然頭に入っている。
見方を変えれば北信濃だけが孤立しているも同然だ。
「上杉も一揆に掛かりっきり。北信濃の戦力もタカが知れておる。一揆ではなく越後に食い込む戦略か。ワシ等は本願寺からの援助で真っ先に越中を目指す戦略しか思いつかんかった。だが、まずは越後を牽制すれば越中にも食い込みやすい可能性が生まれる。何故ワシ等は思いつかなかったのだろうな? 正に目から鱗よ」
武田信玄は本願寺と協力して一揆を解体しつつ越中を手にする道を選んだ。
だが義信には全く不可能な妄想にしか聞こえなかった。
寧ろ北信濃と越後こそ狙い目だと判断したのだ。
一揆に敵対する上杉を攻略する事は、本願寺の意向に完全に背く訳でもない。
(一揆に掛かりきりの上杉を北信濃統一で封じた後で、その上で越中に説得へ赴くでも良いではないか)
そんな戦略を思いつかなかった父信玄に失望したのが今回の行動の理由の一つ。
「だが村上義清は強い。十分気を付けていくのだな。叔父からの最後の助言じゃ」
「ありがとうございます。叔父上には申し訳ありませんが、なるべく悪い様にはしたくありません。大人しくココでお寛ぎを」
「あぁ。暇つぶしの道具とかあると助かるぞ。ハハハ……。おっと最後に聞かせてくれ。兄上とワシはそんなに恨まれておったのか」
こんな行動を起こされたのだ。
戦略の不満爆発だけだとは思えなかった。
「……はい。長年に渡る受け取る側の私でも眩暈と罪悪感を生じる重税に労役。信玄堤は確かに必要でしたし贅沢三昧をした訳ではない。それでも税に関しては酷いにも程がありました」
武田家臣の書状にさえ残る常軌を逸した重税の取り立てには、身内の義信としては民の視線で殺されそうな毎日を送っていた。
もう改善を待つのは限界だった。
「此度の遠征も本願寺の援助があるならば、せめて残った民に楽をさせられると思いましたが、父は違った。残った人間で出来る生産と年貢、変わらぬ税金の徴収をお命じになった。このままでは武田は遅かれ早かれ自壊したでしょう」
これが今回の行動のもう一つの理由。
要するに信玄の政治を見るに見かねた義憤が理由なのだ。
信虎の暴政に民が爆発する前に、晴信が信虎を排除する事で民を抑えた様に、義信も晴信を排除して民を抑える。
武田の悪しき伝統であるが、要するに原因を排除し、溜まった怒りのガス抜き手段である。
決して褒められたモノではないが、最悪にして最善の伝統だ。
「そうか……そうだな。当然の結果よな。何だ、これも因果応報ではないか。ハハハ! ……計画はいつから始まっておったのだ?」
「決まった日時は思い出せませぬな。父や叔父上のやり方に反発する者達が自然と集まったのです。細心の注意を払い『策士策に溺れぬ』様に振る舞い、そして自滅も辞さぬ覚悟で『火中の栗』を拾ったのです。千代女がこちらに付いたのも大きかったですな」
「千代女? 望月千代女か?」
「千代女!」
「はっ」
千代女と呼ばれた妙齢の美女にも見えるし、若く子供らしくも見える女が影からヌルリと姿を見せた。
影の中に潜んでいたとは言え、信繁は明るい日差しで出来た陰に潜む姿を認識できなかった。
驚愕に値する隠形術の手練れである。
望月千代女。
武田の抱える諜報集団『歩き巫女』にして忍者でもある。
その集団の統率者が望月千代女だ。
「典厩様、信玄様が領内の孤児などを我らに預け、巫女や忍びとして育成する様にお命じになったのはご存じですね?」
「もちろんだ」
孤児は放置すれば、生きる術を知らぬが故に餓死や病気で死んでしまう。
それならばまだマシで、最悪徒党を組んで山賊と化してしまう事もある。
それを防ぐ為の武田なりの救済措置として、巫女や忍者に仕立て生きる術と活躍する機会を与えた。
「こんな時代です。戦災孤児をそう育てるのは仕方ありますまい。しかし税が払えず親を処刑された子供が送り込まれる事が後を絶たぬのです。武田は領内の子供を全員巫女や忍者にするおつもりですか?」
千代女がもはや保育所同然の訓練所の現状を嘆き、その原因を作り出している武田現当主を見限ったのだ。
「一応言っておきますが、出来ればこんな謀略は実らせたくなかったのは本心だったと断言しておきます。しかしもう父と叔父上の自浄は待てぬのです!」
義信の悲痛な一喝に、信繁は衝撃で仰け反ってしまった。
「ッ! ……そんなにだったのか?」
恥ずかしながら信繁は民の困窮を知らなかった。
無論、全くの無知と言う訳でも無いが、武田の理念を理解して厳しい税も将来の為と理解していると思っていた。
それが全くの思い違いであったと今知った。
「もう随分前から父と叔父上に行く情報は、全て一度私を通し、真実を隠し耳障りの良い情報だけが行く様に千代女と取り計らっておりました。その謀略が今日実ったのです」
「……そうか。実に見事な謀略だったぞ」
信繁は義信の行動を毛ほども察知できなかった。
信玄も囚われているのなら、同じく察知できていなかったのだろう。
妙な所で、甥義信の才能を認める信繁であった。
「それでも最初の真田軍2000で越中の一向宗を味方につけられるなら、あるいは追加援軍3000で事態の打開をしたならば、この謀略は発動しなかった。発動の契機は全軍呼び寄せる伝令を送った事。これで見限りました」
「……そうよな。あの地形で30000で何とかするなどボケたと思われても仕方ないな」
「さぁ。もうよいでしょう。牢にいる父上に今聞いた事を聞かせてやって下さい。父は暴れるだけ暴れて無理やり牢に押し込めたので何も事情を知りませんでしたからな」
こうして、武田伝統行事の当主簒奪が滞りなく終わった。
史実での義信は、信玄暗殺を飯富虎昌らと密議していたのを、虎昌の弟である飯富昌景(山県昌景)が信玄に密告し発覚する事になる。
この謀反計画の原因は、桶狭間による結果で今川義元が死に、弱体化した今川家を狙う信玄と、義元の娘を妻にする義信が対立した事が原因とも言われる。
その結果、義信は東光寺に幽閉され毒殺、または自害とも言われ死因は定かではない。
とにかく事実として義信は死に、虎昌も連座して自害した。
道義に反する事には承服しかねる性格なのが義信だ。
この歴史での謀反は今川家は関係ないが、自国の民の史実よりも悪化している暴政に耐えかねた故に立ち上がり、見事謀反を成功させたのだった。
「若、とりあえず第一段階は上手く行きましたな」
虎昌が声を掛けた。
信玄が暴れに暴れた為、もう一度同じ事をやらねばならぬかと冷や冷やしていたが、流石は(?)信玄の右腕信繁だけあって、理解が早くて助かった。
「あぁ。出来すぎだ。だが、この後の信濃攻略と越後への脅かしが躓いては何の意味もない。お主の弟と真田は誘導できておるな?」
「はい、『一揆は上杉による、やはり流言で民は普通にしているとの情報を得た、しかし上杉軍が周辺地域に展開している可能性があるので我らの合流を待て』と伝令を送りました。今頃何もなくて困惑しているでしょうからな。勿論、あちら側にもですな?」
「当然だ」
『あちら側』
共に越後を脅かす約定を交わした相手だ。
これで越後を落とせぬなら上杉政虎は化け物だ。
「ようし。三国同盟を活かした北条との共同作戦。必ず成功させるぞ!」
あちら側こと北条家との合同戦略が、信玄と信繁を排除してまで選んだ、現武田当主義信の戦略だった。
【武蔵国/本庄城 北条家】
「あちら側からも合図の伝令が来た。準備は出来ておるな?」
北条氏康が息子氏政に問うた。
氏康は未だ家中での最大の実力者だが、権力は持っていない。
権力は己の引退と共に氏政が手中にしている。
「はい。しかしまさか、この決断をするとは思いもよりませんでした」
氏政は権力は持ってもまだ傀儡で、完全掌握などまだまだだと本人も自覚する程に、氏康の決断に抵抗するのは実力不足だ。
だが、今から行う作戦には若干の抵抗感が残っていた。
ただ、利点も理解しており、行動自体に反対は無い。
「敵の敵は味方と言う奴よ。全く信頼は出来ぬ敵同然の味方だがな」
これは武田義信の事ではない。
北条もまだ武田に謀反が起こった事は掴んでいない。
ここで言う信頼できぬ敵同然の味方とは七里頼周だ。
「だが、七里頼周の言う様に国家として機能させられるならば価値はある」
氏康は、七里頼周からの書状により、窮状を訴えると共に、越後がガラ空きになる時期を伝え、共に北陸を安定させる提案をしていた。
氏康をして妄言に等しいと断じたい所だったが、一理ぐらいは可能性を認めても良い妄言ではあった。
「価値、ですか?」
氏政には一向宗は毛程の価値も見いだせないからか渋い表情だ。
「分かっておる。価値と言ってもほんの少しだけだがな。しかも可能性があるだけの話。国としての付き合いは正に奴次第だが、斎藤、上杉、朝倉、武田の侵攻を跳ね返したなら本腰入れて付き合い方は考えざるをえまい」
「能登、加賀、越中を支配下に治める大大名、と言う見方も出来る、と言う事ですか」
「うむ。そんな可能性は薄いと思うが、決して可能性を排除はしない。だが、とりあえずは状況は利用させてもらい上杉に対し昨年の借りを返させてもらう! これは飽く迄も一揆の援護ではなく報復なのだからな!」
氏政は氏康がボケたのかと少し心配だった。
だが、計算高く人の弱みに付け込み、戦においては卑劣で卑怯な戦国武将の気質を失っていない事に安堵した。
実は史実の氏康は、己の統治時代に北条早雲、氏綱が苦労して一掃した浄土真宗の禁教指定を解除した事がある。
これは、越後の西で上杉謙信と戦う一向宗を味方に付ける為だとも言われている。
色々歴史が変わっているこの次元は、禁教解除までは行かないが、上杉に対する利用価値だけは認めていた。
それ故、七里頼周の提案に乗ったのだ。
昨年の上杉による関東襲撃の借りを返す為に。(164-2話参照)
これも因果応報だろう。
「安心しました。確かに上杉に借りを返すに異存はございません。あちらの武田側も歩調を合わせてくれるなら借りは必ず返す事ができましょう。面倒な一向宗に恩を売りつけるのも悪くありますまい」
「よし! ではゆくぞ!」
「はッ!」
こうして北条親子が軍勢を待機させていた本上城から、まずは沼田城に向け出陣するのであった。
【加賀国/一向一揆 七里頼周】
「北条が越後を脅かせば上杉は必ず対応に出る。その時まで耐えるのが勝負だ」
武田信玄を脅しで退却させた後、上杉政虎に対しては北条との約定で上杉を撤退させるのが頼周の策だった。
ちなみに武田のお家騒動は完全に計算外だ。
頼周もそんな事が起きているとは夢にも思っていないが、その武田まで信濃から越後に行くというのだから、正に頼周は天に愛されているとしか思えない強運を発揮していた。
いずれにしても、これで戦わずして、武田、上杉を撤退に追い込める。
最後の斎藤軍は越中全域の一揆軍で追い払ってしまえばいい。
ここだけは力頼みだが、唯一の通行路にして、強固な蟹寺城を拠点にしながら戦えるのだから、勝算は十分にある。
そもそもが敵対勢力2/3を計略で追い払ったのだから、多少血が流れても上出来だろう。
こうして、今年始まった北陸一向一揆解体三家合同作戦は、越前は七里加賀守に阻まれ、越中は七里越中守に阻まれる。
元々、一揆に組み込んで日の浅い飛騨を失ったのは、ある意味仕方ない。
だが、武田信玄、上杉政虎、斎藤帰蝶、朝倉延景、織田信長を相手取ってここまで頑強に抵抗できた事自体は驚異的な奇跡の成果。
膠着状態に持ち込めば、また更に色々手が打てる。
こうして長く厳しく辛い、北陸一向一揆の戦いが始まると共に、越後まで含めた真の北陸決戦が本格的に幕を開けたのであった。
178-2話の後書きで「痔」がどうとか言い訳してましたが、長時間座れない分、集中して短時間で一気に書く事を心掛けた結果、普段よりも早く仕上がってしまいました。
治癒率は60%程と言った所ですが、治れば治るほど、遅筆になるのか……?
この地図をエクセルで必死に作っている時が一番辛かった時期です。
痔を利用して次話も早く投稿できる保証はありませんが、なるべく9月下旬内には仕上げられるように頑張ります。