174-5話 虎穴に入らずんば虎子を得ず vs.七里頼周
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本当は175話として投稿しようと思っていた話ですが、174話の一部とした方が収まりがよかったので、174-5話として投稿します。
174-6話と共によろしくお願いします。
174話は6部構成です。
174-1話からご覧下さい。
【越前国/堀江館 館内部】
情報収集を果たした斎藤帰蝶と富田勢源。
深夜を待って脱出の為の行動に移していた。
幸いにも月は陰り星も雲に隠れたので、空模様は現代と違い、全く光源の類が無い真の闇夜である。
一方、館内では所々に篝火が焚かれていたが、この強い光が却って帰蝶と勢源の存在を朧気にしていた。
つまり、脱出に最適な条件が揃っていた。
(勢源殿、こちらへ!)
(はっ! 少々お待ちを……)
勢源は一瞬だけ瞑想した。
盲目の勢源にとって闇夜など日常生活の一部だが、だからこそ瞑想は必要な行動。
不用意な行動を起こしそうな民の気配が無いか探る必要があった為だ。
自分達の行動と民がバッティングしてしまっては逃げるに逃げられなくなる。
(良し。では……行きますぞ!)
(……なるほど? わかりました!)
勢源は、地面を探り小石を幾つか手に収めると空に向かって投げた。
小石の幾つかは館の屋根に当たりカラカラと音を立て、幾つかは庭で雑魚寝していた民に降り注ぐ。
「んがッ!?」
「いてッ!」
そんな声が上がった瞬間、帰蝶と勢源は地面を蹴り、壁を蹴って塀の淵を掴み、体を捻り塀の上に降り立つ。
これは所謂、忍者の遁術と同じ理論だ。
火遁ならば放火で意識を逸らす、木遁ならば木々に紛れて誤魔化す。
ならば今回、勢源が使ったのは石遁とでも言うべきか。
ただし、ただ意識を反らすだけが目的ではない。
小石を投げたのは民の注意を自分達の位置と反対側のは当然、勢源が小石の落着音と民の声を拾うため。
盲目の勢源に目視、即ち光を使った状況確認は出来ないが、発達した耳にて音の反響を広い位置関係を脳内で構築したのだ。
点字ブロックなど望むべくも無い時代、勢源は生き残る手段として耳を異常発達させたのだ。
(凄いですね……!!)
帰蝶の左目は生きている。
片目だけであっても何か視えるのと視えないのは雲泥の差だ。
だから隻眼であっても、そこまで不自由な事は無かった。
だが勢源の身の熟しは、つい健常者と見間違える程に普通だから異常だ。
(戦いにしか才能を持たぬ身です。目が見えない程度で諦める事はありませぬよ)
常時異常事態の戦国時代、目が見えないからと配慮してくれる道徳は無い。
道徳の概念が浸透しているハズの現代でさえ身体的弱者を蔑む輩が居るのだから、戦国時代では体の不自由、欠損などは嘲笑の的であるのが普通の時代。
史実の森可成でさえ、戦で欠損した指の名誉の負傷を、心無い者に『十九(20本に満たない指)』と嘲笑されたらしい。
帰蝶や勢源もその実力故に面と向かって言う者は居ないが、風当たりが弱い訳ではないし、敵側ならば容赦なく侮蔑する。
そんな者達を、勢源は真正面から叩き斬ってきたのだ。
(さぁ行きますぞ……!)
2つの影が闇夜に溶け込み、館外に向かうのであった。
【越前国/堀江館 館外】
帰蝶と勢源が水塀に差し掛かり、迂回路も無いので静かに水に浸かり、水音を立てぬ様に静かに歩き渡り堀江館から脱出を果たした―――矢先であった。
「ッ!!」
焼け落ちた民家を通り過ぎた所で、帰蝶と勢源は驚いて振り返った。
突如矢が飛来し、帰蝶と勢源の胸を貫通したのだ。
「どこへ行く? ……ほう? 隻眼に盲目か? それが2人揃って私のこんな薄い殺気に反応するとは。しかもその反応も鋭い。鋭すぎる。何者だ?」
物陰から身体を晒した男が、未だ鎮火していない民家の炎に照らされた帰蝶と勢源の身元を確認する。
矢はこの男が作り出した殺気であった。
その薄い殺気が、帰蝶と勢源に矢をイメージさせたのだ。
「な、何者と申されましても、私達親子は堀江の殿様の庇護を求めて……! 御覧の様に私もおっ父も目が不自由で、迅速な避難ができません! 仕方なく朝倉軍が退く夜陰を狙っていたので……! 不審者に見えたのならば申し訳ありませぬ!」
帰蝶が矢が刺さったと錯覚した胸を押さえながら、必死に土下座し取り繕う。
「そうか。惜しかったな。ならば向かう方角が逆だな? 貴様も全盲ならその言葉を信じてやれたのだがな」
「ッ! ……それもそうね!」
慌てた帰蝶が、とっさの言い訳をするも即座に論破された。
まるっきる向かう方向が逆なのだ。
言い訳にしては苦し過ぎた。
だが男が不審に思ったのは今の遭遇場面だけではない。
「フッ。館の中からでも気が付いたぞ? 困窮する民なのに不自然な程に艶やかな髪。民な訳が無いだろう。それに今の薄い殺気に反応できる村娘がいてたまるか」
「それはどうも……! 分かっていて弄んだの? 随分と意地の悪い事をなさるのね?」
帰蝶は怯える演技を辞め立ち上がり、男を正面に捉えた。
「フフフ。一体どんな言い訳を聞かせてくれるのか楽しみにしてたのでな。それに盲目のお前。意識をこちらに飛ばしすぎだ。館の中に居た時から何者かが潜んでいるのは明白であったわ」
「……成程? その気配、七里頼周か。殺気で我らの足を止めるとはな。随分と手練れなのだな?」
勢源が視抜いた通り、男は頼周であった。
「ほう? 私を知っている口ぶりだな? それに手練れか。そうだな。お蔭様で随分と鍛えさせて頂いたわ」
頼周は槍を構えた。
帰蝶と勢源に対し、一切の意識を切らず、槍を振るうに適切な場所まで移動する。
「2人の名を聞いておこうか?」
頼周の槍が風を斬ってビタリと止まる。
「……富田勢源」
「斎藤帰蝶よ。このまま見逃してくれると助かるのですけど?」
勢源は隠し持っていた小太刀の柄に手を掛けた。
帰蝶も逃げを宣言しつつも、意識は頼周を捉えて離さない。
敵総大将を討ち取る絶好の機会なのだ。
運よく背中でも見せたなら即座に襲い掛かる算段だ。
「ほう! 盲目の貴様はもしやと思っておったが、成程、貴様が富田勢源か! そして隻眼の貴様が斎藤帰蝶とな!? お転婆とは聞いていたが、まさか大名様が間者に扮するとは恐れ入ったわ。その姿勢には感動すらするが、一方で残念な事に飛騨の民を随分虐めていると聞くぞ?」
武芸の達人2人を前にして、数の不利さえ気にせぬ素振りを見せぬ頼周。
実際、負けるとは思っていないのだろう。
姿を現した時から、闘争心が溢れ出して止まらない。
好戦的なのか絶対的な自信なのか、潜り抜けた修羅場の量なのか、あるいはその全てか?
頼周は会話をしながらも爪先で地面を掴み、踵を浮かせ態勢を整え、勝つ為の努力を積み重ねる。
「心外な! 最大限の説得と配慮で武装解除しているわ! 民を心配するなら今すぐ一揆を解散させなさい! 朝倉も上杉も、もちろん斎藤も決して悪い様にはしないわ! むしろ、心配するなら武田を心配しなさい! 飛騨の東部は武田が進撃しているハズよ!」
帰蝶は憤慨しながらも勢源と共に有利な立ち位置へと移動しつつ間合いを図る。
言ってる事は本心に違いないが、もはや会話は二の次だ。
勝つ為の努力を怠って勝てる相手ではないと、帰蝶も勢源も感じ取っていた。
「我らは武士と相いれず。今の我らの領土を認めるなら、隣国としての交流はいたそう。だからその三国が武器を収めれば、全てがうまく回るぞ? もちろん武田は論外だと把握しているから対処するが……なッ!」
頼周が猛然と駆け出し槍を薙ぎ払う。
2人まとめて胴を両断する勢いだ。
だが、遠い。
目測を誤ったとしか思えない距離だが違う。
頼周の狙い通りだ。
頼周の槍は燃え付きかけの埋火の様な民家の柱を砕いて、そのまま民家を崩壊させた。
お陰で火の粉やら、熱を有する木炭が帰蝶と勢源に迫り落ちる。
だが、帰蝶も勢源も、皮膚に火の粉が落ちてもお構い無しに頼周に突っ込む。
「ハァッ!」
頼周にとっては、お構いなしに突っ込んでくるのは想定内だったのだろう。
槍を引き戻した頼周が、今度は必殺の間合いで二人まとめて切り伏せる槍の斬撃を繰り出す。
勢源は跳躍して槍の軌道を避けると、小太刀を一度鞘に力強く叩きつける様に収め、改めて小太刀抜き、首筋を狙って刃を降ろす。
不意に音を立てて、反響音で頼周の姿形を確認すると共に、注意を引き付け、自分の一撃が外れても帰蝶が攻撃を加えられる様に。
その帰蝶は槍を突進しながら身を翻し、飛び後ろ回し蹴りを叩き込む。
全体重が乗った、顎を砕かんばかりの必殺の蹴り―――を意識させ、後ろ回し蹴りで頼周の死角となった懐から流星圏を取り出し、頼周の足元を狙う。
こちらは斬撃というよりも、鎖で足を絡めとる一撃だ。
「おぉッ!? やるな!」
刺突、蹴り、鎖と三つの攻撃どれか一つ命中しても決着なのだが、頼周は冷や汗をかきつつも全ての攻撃に対処した。
左手の槍の柄で勢源の体を押しのけつつ、右手で帰蝶の蹴りを払い受け流し、流星圏は跳躍にて避ける。
「決して油断したつもりは無いが、隻眼に盲目、女に小男の攻撃にここまで圧力を感じるとはな! 大勢の邪教徒共を相手した時にも感じなかったぞ!」
頼周は槍を手放すと、太刀と脇差を抜き放ち二刀に構えると2人に斬りかかる。
帰蝶は懐から更に流星圏を取り出し両手に構え―――その刀を受け止め―――勢源が隙を突いて頼周に刺突を繰り出す―――が頼周の体幹操作で帰蝶の体を操り―――己と勢源の間に帰蝶を捻じ込み刺突を防御する。
「クッ! 強い! 七里頼周! ここまでの猛者とはな!」
「戦場はこうも人を成長させるのね!」
2人は態勢を立て直すために距離を取る。
それは頼周も同じで、思わぬ強敵に驚き距離を取った。
「その衣服が濡れていなければ、あるいは私を討ち取れたかもな?」
帰蝶と勢源は水堀を泳いで横断した。
お陰でびしょ濡れなのだが、衣服が肌に張り付いて動きに制限を掛けていた。
「だが『待ってくれ』とは言うまいな?」
「言って待ってくれるなら言うけどね……!」
帰蝶は冗談を言いながらも流星圏を構えなおす。
戦場に卑怯も汚いもない。
今ある環境で戦うのが戦場なのだ。
「フフフ。濡れた衣服だが其方は2人。丁度良い塩梅なのかもな……おっと!?」
勢源が果敢に攻めかかる。
視えない目で頼周の目を見据え殺気を飛ばす。
「ぬッ!?」
その殺気の攻撃を頼周は反射的に避けてしまう。
達人であればある程に避けられない勢源必殺のコンビネーション―――を防ぎ、あろう事か同じ様に殺気を飛ばし勢源を攻める頼周―――を妨害するべく帰蝶も殺気を放出し流星圏で斬りかかる―――攻撃を捌く頼周。
猛然と刃物が振り回される戦いで、呼吸と刃の風切り音、鉄と鉄がぶつかり合う不協和音以外何も音がしない嵐の様な戦いが繰り広げられた。
「……ッ!!」
いつまで続くのか分からない数々の攻撃。
体力が尽きた者から脱落するのだろうが、3人とも並大抵の鍛え方では無いのか、戦いが終わる気配が全く無かった。
だがそんな戦いも不意に終わりを告げた。
「加賀守様(七里頼周)!」
「濃姫様! 勢源殿!」
異変を察知した堀江館の守備兵と、帰蝶達を迎える為に周辺に控えていた浅井兵が駆けつけてきたのだ。
その声を聴いた3人は同時に距離を取る為に、安全圏まで飛びのくと、大きな音を立て酸素を吸い込んだ。
顔色は青く淀み、無呼吸攻撃の限界に達する寸前であった。
「間に割り込め! 討ち取らせるな!」
頼周と、帰蝶、勢源の間に雪崩れ込み割り込んだ堀江兵と浅井兵は、それぞれをの護衛すべき対象を体を張って庇う。
「ゼハァッ! ハァッ! ハァッ! さ、斎藤帰蝶、富田勢源! 見事だ! また会おう! 貴様らは死なすに惜しい! 次は屈服させ軍門に下らせる……!!」
頼周は無理やり馬に乗せられると、堀江館の兵に囲われ退却していった。
「ゼッ……! ハアァァア……ッ!! ヌッ……ゲハッ!! し、七里頼周! つ、次は……勝つ!」
帰蝶は膝を地に付け、酸欠で痙攣しながらも捨て台詞を叫んだ。
頼周も帰蝶も根性だけで相手に聞こえる声を発するのであった。
負けていない事をアピールする為に。
「(闘争心の塊か、この御仁は!? 狂犬でもこうは戦えまい!)……フゥゥゥッ!」
一方、武芸者の勢源は呼吸を整える事に全神経を集中させていた。
この辺りの心構えが武芸者と為政者の違いなのかと、妙な所で気付きを得た勢源であった。
「追う必要は無い! 迂闊に追撃して館から兵が押し寄せるやもしれぬ!」
救援部隊を率いてきた浅井長政が指示を飛ばす。
「お二方ともご無事で何よりです。休ませたい所ですが、いつ敵が再出撃してくるかわかりません。申し訳ありませぬがお急ぎを!」
「……え……えぇッ……そう、ね……ッ!!」
「お2人の騎乗を補佐せよ! すぐに退くぞ!!」
長政は2人の騎乗アシストを命じると共に、退却に移るように指示を飛ばす。
浅井家に復帰して短い期間での間に、長政は随分と周囲の状況が見える様に成長していた。
「お義姉さま! 腕を!」
長政と共にやってきた於市が帰蝶に駆け寄り、帰蝶の腕を己の肩に回し担ぎ上げた。
「あっ……ありが……と……ッ!」
於市は帰蝶を馬に押し上げると、手綱を持って移動を始めた。
帰蝶は気丈にも姿勢を崩さず馬上で息を整える。
まだここが油断できない戦場だと警戒心を解いていないからだ。
「於市は……まぁ良いだろう。富田殿、お手を。馬までご案内致します」
「忝い。流石に疲れましたわい……!」
「お見事でした。いつか某にも武芸を指南して頂きたい」
「この戦が片付きましたら御指導致しましょう。ワシもまだまだ強くならねばならん模様らしいですからな……!」
「ま、まだ強くなる……?」
長政は、頼周と帰蝶、勢源の戦いを一部だけではあるが目撃した。
眩暈を覚える戦いであった。
とても人の動きとは思えない、攻防の意味を理解するのも難しい激闘。
アレ以上の強さとなると、もはや意味が分からない強さとなるは必定だろう。
「て、天魔鬼神でも倒すおつもりですか……!?」
「天魔鬼神……そうですな。人でも天魔鬼神でも、一向宗の阿弥陀如来であっても、我が前に立ち塞がるならば、全てを斬り伏せ押し通るのみ」
「そ、そこまでですか……!」
「フフフ。なぁに。覚悟の話ですよ。浅井殿も斎藤様に勝つつもりなら、そこまでの相手を想定して日々の訓練を行いなされ。人を倒す程度では、あの方は倒せませぬぞ?」
「ッ!? しょ、精進します……!」
長政は織田の人質時代から、高島の戦いで対峙し、織田に配属した後も帰蝶からは一本も取れていない。
確かに、帰蝶を倒すに人を想定しても上回るのは無理かもしれない。
天魔鬼神を倒す想定でなければ、悪鬼羅刹、姫鬼神に独眼姫、あるいは稲葉山に降臨した蛇神の化身やら、養老山の修羅女、女妖怪とも称される帰蝶を倒すのは不可能だ。
自分の目標がとんでもない高みにいる事を再確認した長政は、眩暈と頭痛を覚えつつも、帰蝶と勢源の帰還を喜び、将来の壁に対し悲観に暮れるのであった。




