外伝4話 松平『覚醒』竹千代
この外伝は3章天文16年(1547年)信秀の謀略により竹千代が今川家より強奪された後の話である。
異常に派手な男が幼児に戦のイロハを教えている。
「いいか。戦とは基本的には最後の手段と心得よ。外交や内政、打てる手を打ってなお、戦う必要がある時にしか戦ってはならぬ。ただし、これはあくまでも基本的にはだ。そんな悠長な事をやっている場合では無い時もある。そこは経験と機運を見極めねばならぬ。解るか?」
「は、はい……???」
活発な女が幼児に武芸のイロハを教えている。
「いい? 私たちは基本的に刀、槍、弓、鉄砲を駆使して相手を倒すのだけど、集団戦と乱戦や一人では扱い方はぜんぜん違うわ。あなたは集団を指揮する事になるだろうけど、かといって集団戦を経験しなくて良い理由にはならないわ。逆に乱戦については、あなたが乱戦に飛び込む様な状況になったら、それは十中八九マズイ状況よ。基本的にはそんな状態にならないのが良いのだけど、そうは言ってられない状況もあるわ。だから個人の武芸も磨く必要があるの。解るわね?」
「は、はい……???」
この様に男女は幼児に持てる知識の全てを総動員して教育をしている。
男の名は織田信長
女の名は帰蝶
幼児の名は竹千代
信長と帰蝶は竹千代、即ち将来の徳川家康をスパルタで鍛え上げようとしている真っ最中であった。
しかし、肝心の竹千代の反応が芳しくないが、信長も帰蝶も転生者故に竹千代の溢れる才能を疑ってはいないので容赦がない。
故に4歳の竹千代は頭脳がパンク寸前であった。
そんな訓練を数日行った後、信長と帰蝶はテレパシーで会話していた。
《上様、竹千代ちゃんですけど、どうも教えても手応えを感じないと言うか、イマイチな感じなのですが……》
《於濃もそう思うか。ワシも空回りしている感が否めん。何故じゃろうな? あれは本当に将来の徳川家康なのか? まさか偽者、影武者の類か?》
信長と帰蝶は竹千代の教育に対する手応えの無さを不審に思っている。
そんな二人を見かねたファラージャが割り込んできた。
《ちょっと、あ、あの、お二人とも未来を知ってるから忘れているのかもしれませんが、彼はまだ4歳の幼児、松平竹千代であって、経験豊富な徳川家康ではありませんよ? その辺りは大丈夫ですか?》
ファラージャが、信長達の勘違いを正すために過去と未来の差を言った。
《いや、それは……解ってはいるが、それでも、もっとこう才能の片鱗を感じさせる利発さが見えぬというか……》
《うーん何と言いましょうか? 信長さんの知る徳川家康は、経験すべき事を経験した結果の徳川家康です。今そこに手を加える以上、同一人物は出来上がらないと思います。なので今のお二人の行動の結果、信長さんが知る以上の存在になるか、以下になるかは正しく神のみぞ知る事です。今の竹千代ちゃんに物足りなさを感じるのならば、それはまだ才能が発揮されていない状態です。ただ才能があるのは確定しているので、いずれ何かのきっかけで覚醒し、成長していくのだと思います。ほら、柴田勝家さんは裏切らせるのでしょう? それは裏切る経験をしない勝家さんの成長が不安なのでしょう? それと似たような事です》
《それじゃあ下手な事する訳にはいかないけど、でも何もしないと成長する切っ掛けも無い訳よね?》
《そうかもしれません。ただし、歴史の修正力問題があります。何もせずとも信長さん達が知る徳川家康ができる可能性はあります》
《なるほど。うーむ……修正力か。しかし、修正力については考えすぎると何も手が打てそうに無くなるな……。じゃが、そうなると待っているのは本能寺での自害になりそうじゃしな……。うむ。この際、竹千代に関しての修正力は思いきって無視しよう。その上で、一旦教育方針を修正する。今はただの幼児に過ぎぬ竹千代にあの教育は無茶じゃな。段階を踏む必要があろう。まぁ……良く考えれば当然であるか。しかし……前世でワシは竹千代と何をしたかのう? 連日連れ出したのは覚えておるが……。於濃、何かいい案はあるか?》
《ならば色々知る事が一番じゃないですかね? 私達も未来を知る事で過去を変える決意をした訳ですし、自分の知らない事を知るのが一番かと思います。それこそ、何でもいいと思います。もちろん、軍事政治の教育は必要ですが、活発に動いてこその子供じゃないですかね?》
《それは一理ありますねー》
《……!! あ、そういう意味では私と一緒に行動するのが一番では!? 私もこの時代の実際の物を詳しい訳ではありません。見た事が無い物が殆どですし!》
《そうかもしれんな。竹千代覚醒の切っ掛けが何か分からぬ以上、それが良いだろう。よし、明日より尾張を駆けまわる事に重きを置いて、訓練はもう少し様子を見てからにするか!》
翌日より、信長一行は城下町や田畑、山林、川海など、行ける所は全て行った。
竹千代にとっては正直ついていけぬ訓練よりは、三河にいた頃にも殆ど経験した事の無い領地の見学が楽しかった様で、その顔はまさに『目は口ほどに物を言う』を体現する程に輝いていた。
頃合をみて信長が竹千代に尋ねてみた。
「どうじゃ? 尾張を一通り見た感想は何かあるか?」
「はい、楽しかったです!」
元気いっぱいに竹千代は答えた。
《き、極めて普通の幼児らしい答えだわ……》
《質問の仕方が悪かったかもしれぬな。どうしても家康であって家康では無いと言う事が頭から抜けぬわ》
「じゃあ、今一番気になる事はなぁに?」
「うーん……あ! 町で見た銭ってなんなのですか?」
「ほう! そこに目を付けたか!」
銭を重視する信長は、竹千代の思わぬ発言に驚き喜んで語りだした。
「銭と言うのはだな、決められた価値を持つ物じゃ。欲しい物があれば、その物と同じ価値になる銭を揃えれば交換する事ができる。そうじゃな……例えば、竹千代がこの握り飯が欲しいとする。銭を持っていない場合、お主の持ち物から握り飯と同じ価値がある物を使って交渉するわけじゃ。ここまでは良いか?」
「はい、大丈夫です」
「よし。ワシにとって竹千代が示した物が欲しければ、あるいは価値を認めれば交渉成立で交換する事ができる。これを物々交換と言う。じゃが、ワシが竹千代の持ってきたものが必要ない場合、交換は成立せぬじゃろう。例えばワシは茶が欲しいのに、竹千代が扇子を持ってきても交渉不成立じゃ。例え扇子の価値が高かろうとも、ワシが必要なければそれまでじゃ。そうすると竹千代は扇子と握り飯を交換してくれる人を探し続ける事になる。これでは時間も労力も凄くかかる。そこで誰もが価値を認める銭の登場じゃ。竹千代がワシに銭を払い、握り飯を手に入れる。ワシは手に入れた銭を手に茶屋へ行く。取引が格段に楽になるのは分かるか?」
「は、はい、何とか……」
「さらに先ほどの銭の行方を追ってみようか。ワシから銭と茶を交換した茶屋は店で提供する茶の材料を銭を使って別の店から仕入れる。こうして銭は必要となる人の手から手に渡っていくのじゃ。これを経済活動と言う。ちなみにワシら領主は店に対して一定の税をかける。これは先程の経済活動に例えると、店はワシらから安全や保障と言った身の安全を買うわけじゃ。安全や保障とは何かと言うと、民の代わりにワシらが賊を討伐したり他国からの侵略を防ぐのじゃ。ただし何の意味もなく重税をかけては経済活動は停滞してしまう。店が潰れるような額ではワシらも含めた民全員が困るしの。しかし集めた税は兵や家臣に俸禄を払っても十分銭は余る。そのまま何もしなければ銭が動かない以上やはり経済活動の停滞を招く。では領主は集めた銭をどうするのか? 領主は集めた税で国の維持に必要な物を買ったり、領地の発展の為に道や町を作ったりする。国や家臣が町で必要な物を買えば町に金が流れるしな。ただしここで意味の無い整備をしては町の発展につながらぬ上銭の無駄遣いになる。だからあえて貯めるのも手ではある。ここの見極めが領主の腕の見せどころじゃ。こうして銭は巡り巡って国を活性化させることが出来るのじゃ。物々交換ではこんなに楽には出来ぬ。銭は保管も楽じゃ。米でも反物でも保管が大変で簡単に価値が下がるし……ん?」
「……」
「三郎様ストップ! た、竹千代ちゃん?」
「ん? どうした?」
帰蝶は竹千代の目の焦点があっていない事に気がつき、信長は嬉しさのあまり饒舌に語りすぎていたのに気がついた。
「た、竹千代! 今の話は全部忘れろ! いずれ『あの時、信長が言っていた事はこの事か!』と理解できる! とりあえず、銭とは物を楽に手に入れる事ができると覚えておけ!」
「三郎様、休憩も兼ねて実際に茶屋にでも行ってみてはどうでしょう? ある意味実戦訓練となりましょう!」
「そ、そうじゃな! よし! 竹千代いくぞ!」
信長は自分の失策を悟り、大急ぎで竹千代を茶屋に連れて行った。
ただ、実際の銭のやり取りを体感した竹千代は、百聞は一見にしかずとばかりに便利さを痛感した。
「なるほど! 銭とは凄い物なのですね!」
《ワシの渾身の説明が一瞬で片が付いた……》
《ま、まぁまぁ!》
竹千代教育から2週間。
ようやく教育の手応えを感じた信長と帰蝶であった。
また、教育方法も確立する事ができた。
見て、可能な限り簡単に聞かせて、体験させる。
この方法で行く事にしたのだった。
後日、尾張の山林で親衛隊の山岳訓練で鹿狩りが行われていた。
武芸担当の帰蝶は竹千代に弓の扱いを教えていた。
「基本的な弓の扱い方は前に教えた通りだけど、あれは集団戦でのやり方で、正確な狙いは必要なかったわ。構えて、引き絞って、放つ。それだけよ。集団に射るなら狙いは楽なものよ。ちゃんと飛べば目を閉じても当たるわ。でもそこには精神や……」
《お、於濃、長くなりそうか?》
《そうでした! 簡単に解りやすく教えるって、すごく難しいですね……》
「こほん! 今度は正確な射撃が求められる場合よ。敵の指揮官や名のある武将をしっかり狙う場合ね。これはもうひたすら訓練あるのみ! あらゆる条件下で弓を射って、矢がどのように飛んでいくか体に叩き込むしかないわ。これ以上簡単に説明できないわ!」
「はい!」
武芸に興味のある竹千代は、流石にこの程度は簡単に理解した。
《もうちょっと難しくても良いのかしら……?》
《良い塩梅には簡単にならぬな。まぁ、簡潔であるに越した事はあるまいて》
「次に獣の習性なのだけど、兎にも角にも気配を消す事が第一よ。でも気配を消すといっても妖術の類では無いわ。足音を消し、匂いを消し、空気を掻き乱さず……。一つ一つ丁寧に自分の存在を消していくの。足音は枯葉や枝を踏まない様に、匂いは風下に立ち、空気を乱さぬ様にゆっくりと慌てずに動く。そうする事によって自然と一体化するの。最後に意識から雑念を全て捨てる。この中で何か一つでも下手だと獣は簡単に存在に気付いて逃げてしまうわ。だから、もし獣を仕留められたなら、人間を仕留めるのはそんなに難しくないわ。ここまではいい?」
「質問があるのですが……」
「なぁに?」
「よく殺気を感じると聞きますが、これも気配の一種ですよね? あれは何なのでしょうか? 何か特別な妖術的なものなのですか?」
「うーん、難しいけど、竹千代ちゃんの言う殺気は、私は基本的には相手から感じる違和感だと思うわ。普通とは違う何かを感じる事ね。殺気を浴びせて相手を怯ませるって話を聞いた事があるかもしれないけど、殺気を殺気と理解した事が無い人には全く通用しない場合もあるわ。これは戦場で明確に狙われたりして死にそうな体験をするか、それに匹敵する何かを経験しないと理解するのは不可能だと思うの。言ってしまえば危機を感じる能力かしらね? だから、例えば竹千代ちゃんにご飯を運んできた人が、飯の中に毒を入れて殺そうとしたとするわ。その運ぶ人はきっと緊張からいつもと違う仕草とか妙に汗をかいたり言動がおかしかったり……そう言った違和感も殺気と言えるわね。別に戦場に限った感覚ではないわ。そこを見逃さずにいられるかどうかよ」
帰蝶は興が乗ってきたのか饒舌に語っている。
《き、帰蝶? 長いぞ?》
「《はっ!?》ま、まぁ今の話はいずれ『あの時、帰蝶が言っていた事はこの事か!』と気づくわ! 最後にサービス!」
「さぁびす?」
「これが……殺気よ!!」
そう言うと帰蝶の表情が一変した。
竹千代は急激に下っ腹に圧力を感じ、心臓が鷲掴みされた感覚に陥り、冷や汗が噴出した。
帰蝶の周囲が歪んで見える。
見えるハズの帰蝶の表情が、殺意の奔流に遮られ、至近距離なのに良く判らない。
(こ、殺される!?)
「はい! おしまい!」
そう言うと、いつものにこやかな帰蝶にもどった。
帰蝶が何故こんな芸当が出来るかと言うと、前世の本能寺で明確な殺気に晒された上、単なる経験どころか実際に討死した事と、未来での特訓が自在な殺気の出し入れを可能にしていたのだった。
「ごめんね? でも普段の生活でこの雰囲気を感じたら、即座に逃げるか、警戒しなさい? 命に関わるわよ? まぁ、こんな殺気を撒き散らして暗殺をする人は居ないと思うけど念の為ね」
といって竹千代を抱き上げた。
「……ん? 何か臭うわね……?」
《臭う?》
帰蝶鼻をぴくぴくと動かす。
「わ! は、離して下され!」
竹千代はあまりの恐怖にちょっぴり漏らしていたのだった。
その後、鹿狩りに出かけ、竹千代は仕留める事こそ出来なかったものの、顔つきが明らかに変わった。
帰蝶が仕留めた鹿を捌いて親衛隊達と食べてみた竹千代は、鹿肉の美味さに仰天し大人顔負けの食べっぷりだった。
そんな竹千代をみて信長が帰蝶に話しかけた。
《於濃よ、思い出した事がある》
《何ですか?》
《竹千代……徳川家康は三方ヶ原の戦いで武田信玄に負けた時、糞を漏らすほどの恐怖を感じたそうじゃ》
《し、食事中に何を!?》
《まぁ聞け。それまでの徳川家康はワシに従順ではあるが、かと言って特に際立つ物がある訳でも無い奴じゃった。極めて可も無く不可も無くじゃ。しかしあの戦いの後、明らかに成長をした。徳川家康の覚醒の切っ掛けとは脱糞じゃったのかもしれぬな。今のこの変化は、於濃の殺気にあてられて漏らしたのが切っ掛けだったのやも知れぬ》
《まさか……あの徳川様がそんな事……》
《違うかもしれぬ。じゃが、女子の前で大恥をかいたのは、自分でも衝撃を感じたのではないか? ほれ、あの顔を見てみろ》
肉を食べる竹千代は、4歳児とは思えぬ精悍な顔つきをしていた。
《確かに、一人前の男、って感じもしないではないですけど……》
《まぁ良い。明日からの訓練で変化が見えるやもしれぬ。気のせいだったとしても、あの顔つきをする子供が、以前の徳川家康以下になる訳がなかろうて》
その後の竹千代は訓練に対する姿勢が明らかに変わった。
解らない事は即座に質問し、逆に信長達は説明方法に四苦八苦しつつ、竹千代に教わる事が多い事を実感したのだった。
後に織田家ではこの竹千代教育が基本となり、教育改革が実施される事となるのであった。