174-3話 虎穴に入らずんば虎子を得ず スニーキングミッション
174話は6部構成です。
174-1話からご覧下さい。
【越前国/堀江郷 朝倉軍本陣】
「突然、何の前触れもなく参上した事、誠に申し訳ありません!」
飛騨や越前の山々を強行軍で突破した帰蝶。
朝倉延景の本陣に通されるや否や頭を下げ謝罪した。
「まぁまぁ。戦の最中なれば儀礼は最低限でよろしかろう。それよりも、あの斎藤殿が無礼を承知で来たのだ。しかも飛騨の戦いを捨て置いて。なれば、非礼帳消し以上の話を聞かせて頂けると信じておりますぞ?」
朝倉延景は笑って帰蝶を迎えた。
延景は帰蝶の実力も胆力も、その智謀や政治力も知っている。(165話参照)
そんな帰蝶が、斎藤家総大将の役割を放棄してまで越前に来たのだ。
失望モノの話のハズがない。
「はい。実は飛騨での一揆解放戦にて、想定外の事態が発生しました―――」
帰蝶は飛騨で得た情報を伝えた。
本願寺が武田のスポンサーとなって介入している事は既に伝えてあるが(169-2話参照)、本願寺からの人員として下間頼廉が、越前の吉崎御坊に来ている可能性が高い事。
しかも、本願寺も一揆を解体すべく動いている事。
七里頼周なる無名武将が、奇跡の戦略で一向一揆を支え続けている事。(172-5話参照)
「―――以上の事から今回の一向一揆解体戦、主戦場はここ越前になるのは間違いありますまい!」
「な、成程……!? 非礼帳消しなのは間違いない話であった! その本願寺から派遣された下間頼廉なる者! それに七里頼周か……!」
「七里をご存じで? どうか詳細を教えてください!」
延景の反応から、自分達の知らない謎の七里頼周なる武将の詳細が聞けるかと思った帰蝶。
だが、聞けたのは予想を上回る話だった。
「いや、ワシも七里頼周なる名は初めて聞く。だが、宗滴公が健在だった頃から我らは一向一揆と干戈を交えていた訳だが、何度か一揆にしてやられてな」
「やられた!? 宗滴公がですか!?」
「うむ。宗滴公も舌を巻く一揆の指揮官がおったのだ。半農の民を率いて宗滴公の策を破り、あまつさえ宗滴公の槍を受けながら反撃する、互角の猛者だったと聞く。ワシも半信半疑で冗談の類かとも思っておった。あの宗滴公を手玉に取るなど誰が信じられる?」
「た、確かに!」
帰蝶は近江で宗滴の用兵を体験し(7章参照)、飛騨の地で手合わせした。(120話参照)
老境著しい宗滴の神懸った采配に、重量級の槍を軽々と扱う怪物的身体能力。
実際に見て体験しても尚『幻でも見たのではないか?』と疑ってしまいそうになる朝倉宗滴の神髄と妙技。
それを手玉に取った事があるなど、快挙も快挙、特大金星。
後世に語り継がれるべき功績であろう。
そんな存在が一向一揆に居る事もさる事ながら、本来の歴史には存在せず、歴史改変にて生まれた事に帰蝶は驚きを禁じ得ない。
《まさにバタフライエフェクトですねー……》
《七里頼周か。確かに前世の記憶では名前は当然、存在すら知らぬ。だが、こっちの歴史では随分と梃摺ったわ。お互い倒しきれず、倒されきれず。鬱陶しくも手強い奴であったが……そうだったのか。歴史改変によって生まれた存在であったか》
5次元のファラージャが歴史改変の申し子の様な存在と認めた。
朝倉宗滴も思わず口を挟む。
それ程までに前世では記憶に残らず、今は記憶に残った相手だったのだろう。
《この朝倉宗滴が認めよう。奴はこのワシが苦戦した相手でも五指に入るわ。気を付けるのだな》
《事実なんですね……! わかりました!》
宗滴公認の七里頼周。
そんな存在に帰蝶は改めて気を引き締め、延景も唸った。
「うぅむ。斎藤殿の話を聞いてそ奴の事を思い出したわ。長年正体不明だった宗滴公を翻弄した七里頼周か。値千金の情報よな」
延景は難しい顔をした。
せざるを得なかった。
本気の朝倉宗滴と戦って生き延びるだけでも驚愕なのに、あまつさえ押し返したなど、尋常ならざる将である。
当然ながら帰蝶も難しい顔をする。
歴史改編の結果、とんでもない怪物が生まれたのは飛騨の時点で知っていたが、朝倉宗滴と互角に渡り合ったというのは正真正銘化け物だ。
「とりあえず今は七里なる者は置いておこう。斎藤殿はその下間頼廉がココに来た可能性が高いと踏んだ。確かに飛騨から尾山御坊と吉崎御坊ならば吉崎の可能性は高かろう。それで合点がいった事もある」
「合点?」
「ご覧の様にたった今、堀江館周辺を焼き討ちした所でな」
延景は手で周囲を仰ぐ。
家屋からは火柱が立ち、煙が地域に充満している。
帰蝶もそれは延景本陣に到着する前から把握していた。
「しかし堀江軍はそれを阻止するでもなく閉じこもっておる。普通は出撃してきそうなモノなのだがな」
「確かに。この戦力差で全く妨害行動に出ないのはのは統治者としてあり得ないですね。誘い出しを警戒したとしても出撃しなければ信頼を失います」
「うむ。敵は女子供含めた2000人規模。野戦より籠城戦の方が希望はあるやも知れぬが、一方で焼き討ちを傍観していては、館に匿った民の反発を招きかねん。それなのに全くの無反応。不気味な程に静かだ。我らの人数を読み誤っておるのか?」
朝倉軍の規模を勘違いして、手足も出ない程の戦力差と判断したなら理解できなくもないが、2000対4000なら打って出ても良さそうである。
ただし、それにしたって焼き討ちを見逃すなど領主失格だ。
こんな暴挙を見逃すなど、仮にこの後で勝っても住民からは見放されるは必定。
民が何の為に年貢を納めているのかを考えたら、勝敗度外視で出撃するのが普通だ。
「その堀江軍の指揮者は優秀なのですか?」
考えられられるのは、あり得ない選択をする程の愚将である場合だ。
「優秀だ。優秀だからこそ、取るべき行動を取らずの沈黙の理由が分からんし、我らの軍を読み違える事も無いハズなのだが、さっきも言ったが斎藤殿のお陰で合点する可能性が生まれた」
「あっ!? まさか、下間頼廉が居る……!?」
取るべき行動を取らないのは止めた者が居る。
一揆軍の行動を止められるのは一揆関係者だけ。
しかし、好戦的な北陸一揆の関係者で止めるとは考えにくい。
ならば一揆の序列で最高位の本願寺本家の関係者、即ち下間頼廉が居る可能性が高い。
「うむ。その下間なる者が民を守るなら、出撃をせぬのも理解できる。何が何でも戦を止めたいのだからな」
「ならば、交渉の余地があるのかも知れません」
「その様だ。よし! 堀江館に使者を送れ! 降伏開城を促すのだ」
こうして朝倉軍は、改めて使者を立てて堀江館の動向を探る。
堀江館が降伏するならソレに越した事はない。
何が何でも兵糧攻めに巻き込みたい訳ではない。
従ってくれるのなら民は朝倉家の財産なのだ。
待つ事数刻―――
梨の礫とは正にこの事を言うのだろう。
使者を受け入れるでも、追い返すでもなく、人の気配はするのに何の反応もなかった。
「何だ? 何が狙いなのだ? 生きたいのか死にたいのかも分らんとは……!」
「……あの、お願いがあるのですが」
「……。嫌な予感がするな。一応、聞くだけ聞こう」
「はい。―――」
帰蝶は延景に願い出た。
提案でも献策でもなく願い。
今から言う事は滅茶苦茶なありえない事だからだ。
「―――!? ッ!! 何と言う事を願うのか!?」
延景をして前代未聞の願いだった。
こんな事、聞いた事はある。
あるのだ。
それを帰蝶がやるのが前代未聞なのだ。
「ソレは流石に絶対に認可できん! だから止める! 絶対に止める! 何が何でも止めねばならぬ! 言っている意味は分かりますな!?」
「はい!」
「はぁぁぁぁ……ッ! 絶対分かってない! 困ったお方だ! これはとんでもない外交問題になるぞ!?」
延景は人生最大の困惑と窮地、興味と火遊びの感情が押し寄せ、どんな顔をするべきなのか困り果てた。
だが、帰蝶のもたらした情報の精査は必要だ。
今の現状を探るには、必要な手段だと思う。
それに帰蝶の武芸や隠形術を含めた実力を知っている延景としては、性別からしても適任であると認めざるを得ない。(165-1話参照)
「ならば喜右衛門(遠藤直経)、貴方が証人よ。私は朝倉殿に止められた。良いわね?」
「はっ。分かりました」
「おぉぃ!?」
帰蝶に随伴してきた遠藤直経。
今となっては帰蝶に対する忠誠度は高いが、止めても無駄なのは知っている。
何せ高島決戦では、伝令役としてほぼ単騎で駆け付け、大混乱の織田本陣で甲冑も付けずに浅井長政、足利義輝、そして遠藤直経と戦い生き延びた。(146話、147話参照)
帰蝶が単独で行動するなど今更だ。
そんな帰蝶の行動を容認する家臣直経の返事に、延景は渾身の突っ込みを入れた。
「ご安心を朝倉様。もしもの時は私が腹を切りましょう」
「そう言う事ではない!?」
大名の立場でやる仕事ではない。
本来なら直経も全力で止めねばならない。
ただ、残念な事に、帰蝶は大名の地位に付いているとは言え、その性質と本領は単独行動に向いた性格だ。
おそらくこの場の誰よりも適任だ。
直経もそれが分かっているので、責任を負う事を約束した。
「そんな事で死なせないわよ。大丈夫。私は喜右衛門を不意打ちで倒して縛りあげるから。仕方なかったのよ」
「ならば仕方ありませんな。朝倉様。と言うわけで大丈夫です」
「何がどう大丈夫なのか理解できぬ!」
斎藤主従の眩暈がするやり取りに、延景はあきれ果てる。
だが、ここまで朝倉家の立場を考えてくれるのならば、延景個人としては考えねばならない―――と混乱して判断力を失った。
「えぇい! 仕方ない! ワシは止めた! これで宜しいな!?」
「はい! 正に虎穴に入らずんば虎子を得ずにございます」
「何たる事だ! クソッ! ワシが優柔不断の愚か者だったら良かったのに!」
判断力を失ったとしても、地位と身分はともかく、実力的に適任だと判断できてしまうのに絶望する延景は、せめて万全を期すべく朝倉家の秘蔵を出す。
「えぇいッ! 勢源!」
「はっ。何やら嫌な予感がしますな?」
勢源と呼ばれたのは富田勢源。
帰蝶はその風貌に驚くも、直ぐにその認識を改めた。
「斎藤殿が勝手な行動をせぬ様に見張れ! ……頼むぞ?」
「無茶を言いますなぁ。……言葉とは裏腹に僅かながら楽しそうな気配も察せられますが? それは気が付かなかった事にするのが吉ですかな?」
「あぁ! 吉も吉、大吉だ!!」
憤慨しつつも少々愉快な気持ちを見抜かれた延景。
足音を鳴らして床几に腰を降ろした。
「仕方ありますまい。斎藤様、勝手に動かれても困りますのでこちらへ」
「はい!」
帰蝶と勢源が本陣を後にした。
「新九郎(浅井長政)! 2人を適当に追い立ててから撤退せよ! 織田殿の苦労が目に浮かぶわ……!」
「しょ、承知しました……!」
延景の命令で、長政が追撃の任に就く為に本陣を後にした。
「では、某は飛騨からの兵を纏めます。まだ追いついていない者も多いので。……あまり悩まない方が良いですぞ?」
直経がフォローしつつ本陣を後にした。
こうして延景本陣からは人が消え静かになった。
「……ワシは今、取り返しのつかない事をしたか?」
延景は頭を抱えるのであった。
【朝倉軍本陣外】
「では富田殿、私が手を引きますので付いて来てください」
「わかりました。お頼み申します」
こうして帰蝶は、潜入する為に堀江館に向かった。
遠藤直経や浅井長政では体格が立派すぎて農民に扮しきれない。
だが、富田勢源は体格からして貧相で、しかも全盲だ。
しかし、何ら不足はない。
帰蝶が武芸百般なのはご存じの通りだが、勢源も負けてはいない。
全盲にして中条流の達人。
視えないが視えるのだ。
流石に大群で戦う戦では一歩引いて延景の護衛に徹するが、一対一なら朝倉宗滴とも互角に戦える。
帰蝶も朝倉本陣で勢源を紹介された時、光が失せた眼を見て全盲だと判断したが、その所作から全く不安が無い事を察した。
「じゃあ、新九郎殿、適当に矢で追い立てね」
「は、はい……! ほ、本当にやるのですね!?」
「もちろんよ」
「新九郎様! 何を怖気づいているのです!?」
「あら於市殿じゃない! 来てたのね!」
「お久しぶりですお義姉様。浅井家は弱小ですからね! 出し惜しみできる人材はいません」
柴田勝家と結ばれると目されていた於市は、紆余曲折あって浅井長政に嫁ぐ事になった。(外伝35話、外伝46話、167-2話参照)
「ご安心を! 命中するギリギリを狙って射かけますから!」
「お、於市よ……! あのだな?」
「何か?」
「な、ナニモ……!」
どこの世界に大名を偵察人員として派遣する勢力があるのか?
しかも偽装とは言え万が一もあるのに矢を射かけるとは。
それなのに、この異常事態に誰も全力で否定していない。
延景すら本気で止めようと思えば止められるのに、渋々ながら容認している。
自分が異常なのかと長政は困惑するが、お陰で思い出した。
(そうだった。濃姫様はこういう方だった……!! そんな於市も濃姫様から強く影響を受けているのだった……!! 何たることだ!)
大名の命令を受けた武将が、間者として活動する事はある。
間者活動は忍者の専売特許と言う訳でもない。
信長も若かりし頃は、必要なら単騎で乗り込んで情報を自らの目で確認した事はある。
情報戦を得意とする武将は、大名となったとしても自らの目で確認できるなら動く。
帰蝶もそれは同じだ。
ただ、流石に潜入はやり過ぎだとも自分でも思っているが、適任者が自分しか居ないなら自分が動く。
叱責されようが何だろうが、生半可な事で成し遂げられる歴史改変ではタカが知れている。
きっと本能寺を超えられない。
七里頼周の様な怪物が生まれた歴史を上回るには、こちらも無茶しなければ何も得られない。
それに帰蝶と勢源の組み合わせは身分以外悪くない。
適任とさえ言える。
何せ隻眼の帰蝶と合わせ眼球4つに対し、見える眼は一つと言う冗談みたいな布陣。
だが、服装を貧相にすれば、焼き討ちに逃げ遅れた、一方は片目を負傷した娘、一方は病で両目を失った父の、この乱世の時代のどこにでも居る生活弱者の親子だ。
これ以上の偽装は無い。
「富田殿、無事帰還したら手合わせ願いますね!」
「喜んで。受けて立ちましょう。殿との立ち合いを視た時の衝撃は忘れられませんぞ」
勢源は帰蝶が延景と対決した時その場にいた。(165-1話参照)
自分も盲目のハンデを背負ってなお武に生きる人間だが、女というハンデを背負って尚、男を倒す帰蝶の存在には驚いた。
朝倉宗滴からその存在を聞いても半信半疑だったが、あの立ち合いから帰蝶が自分と同じ領域にいる事を察した勢源は、嬉しくて仕方なかった。
(世の理不尽に抗う者がここにも居る! いや、理不尽を屁とも思っておらぬ!)
勢源は長政に追い立てられながらも笑いが込み上げては自重する。
今は、鬼気迫る醜態を晒して堀江館に逃げ込まなければならないのだから。




