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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
18.5章 永禄5年(1562年) 弘治8年(1562年)英傑への道
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173-1話 笹久根貞直 武田信虎の暗躍

173話は2部構成です。

173-1話からご覧下さい。

【飛騨国北東部/風玉(かぜたま)村 光念寺 一向一揆軍】


「御免! 住職は居られるか!?」


 早朝からの大声と、騒がしく寺の門を叩く騒音。

 寺の小坊主は師にどやされては適わぬと大急ぎで騒音の主の元に駆け寄る。


「こんな早朝から何ごとだ! ……で、御座いましょう? あ、その、ご、ご用件は?」


 小坊主は非常識を咎めようと思ったが、門を開け放って現れた、とんでもない迫力を有する老人を前にして言葉が尻窄(しりすぼ)みとなった。


「拙者は信濃から参った笹久根貞直(ささくねさだなお)と申す。大至急住職に伝えねばならぬ事がある。早朝の非礼は重々承知。しかしこの風玉村近辺や飛騨国の運命を左右する重大な危機を知らせに参った。何卒お目通りを願いたい!」


「わ、わかりました! 暫しお待ちを!」


 小坊主は門に辿り着いたスピードを上回る駆け足で、本堂に走っていった。


「父上、この交渉が成功する目算は如何程にお考えで?」


 2人残された門前では、笹久根貞直の子である直基(なおもと)が難しい顔で尋ねた。


「まぁ門前払いはあるまいが、かと言って成功する保証も無い。無いが、しかし仮にそうなったらこの村は惨劇に見舞われる。そうなれば、その情報がさらに北の村での交渉に役立つであろう」


「ならば成否の問題は関係ないと?」


「そうじゃ。よく気付いたな。この交渉の成否は問題の本質では無いのだ。ならばどう転んでも問題ない」


 貞直は自信たっぷりに言い放った。

 直基の気付きにも満足している様だった。


「お、お待たせしました! 師がお会いに成られます。どうぞこちらへ」


「うむ。ありがたい」


 笹久根親子は本堂へと案内され、当初の予定通り住職との面会となった。


「お目通り有難く。拙者、笹久根貞直と申す者。こちらは子の直基」


「直基にござる」


 笹久根親子はそう名乗り頭を下げた。

 姿形の割に一部の隙も無い、見事な所作であった。


「光念寺住職の是紹にございます。何やら火急の要件との事。ですが、それらを聞く前に身元を確認させて下さい。我らは今まさに使命の最中なのです。これを快く思わぬ勢力からの流言は数限りなく。無礼は承知なれど理解して頂きたい」


 朝早くではあるが、起床はしていたのだろう。

 特に不機嫌な訳ではないが、かと言って歓迎ムードでもない。

 是紹の言う通り、国が混乱しており流言は日常茶飯事。

 他勢力は当然、自勢力からも噂が噂を呼び、勝手に流言が湧き出す始末だ。

 是紹はそんな流言の取捨選択を危ない橋を渡りながらも、正しい橋を選び続けてきた。

 この手の急報を装った謀略も1度や2度ではない。


 ただし、中には本物もあるので無下にはできない。

 その見極めに是紹は全神経を集中する。


「当然の判断です。何なりと確認して下さい」


 貞直は戦国の武士らしく、是紹の考えを理解した。


「お武家様と見受けられますが、どちらの方にお仕えしているので?」


 まずは身元確認。

 事象聴取の基本である。


「我らは元は武田家の者」


「武田家!? 元? 今は?」


 大物の名前が出てきたのに驚く是紹であるが、『元』との言葉に引っかかる。


「とは言っても、今の武田家ではありませぬ。某は先代信虎公配下、馬場虎貞様の将……でした」


「でした、と言うのは?」


 是紹は不信感を募らせる。

 何せ『元武田で馬場虎貞の配下でした』など、詐称だけなら誰でもできる。

 何ら証明になっていない。

 だが、事実の可能性もあるにはあるので、不信感は隠しつつ話は聞く。


「我らは信虎公の勘気に触れ、馬場の殿の子息と共に甲斐から追放されました」


「信虎公の勘気……聞いた事があります。確か内藤殿、山県殿、工藤殿も連座して……ん? 確か処刑されたと聞いておりますが?」


 馬場虎貞、内藤虎資、山県虎清、工藤虎豊。

 いずれも信虎から『虎』の字を与えられる程の家臣でありながら、勘気に触れたという理由だけで処刑されたと言われる。

 一方で、信虎は家臣の統制に苦労しており、また信玄の正当性を高める為に過剰に貶められる傾向に晒されており、真実の理由は判別しづらい。

 なお、工藤家以外の断絶した名跡は信玄の手によって再興されており、馬場家は教来石景政が継ぎ馬場信春と名乗り、内藤家は工藤虎豊の次男が継ぎ内藤昌豊に、山県家は飯富昌景が継ぎ山県昌景として復興する。


 是紹は昔の話を思い出しつつ、確かにそれならば真実味はある話だと考え直す。

 しかしそれは、まだ信用度50%には到底満たない、不審人物として警戒を解くにはいかないレベルだ。


「お詳しいですな。確かに馬場の殿も含め多数処刑されましたが、御子息は追放で済みました。某は御子息と共に甲斐を後にしたのです」


「そうでしたか。して、その御子息は?」


 笹久根貞直なる不審人物の淀みない話に、好印象は積もり上がる。

 信用度50%未満の話ではあるが。


「我らは追放後、信濃の片隅で暮らしておりましたが、武田軍の信濃進攻に住処を追われ続け、御子息はその逃亡道中にて流行り病に……」


「そ、それは、ぶ、不躾過ぎました、ご容赦を……!」


 是紹は謝罪する。

 だが、これは不信感どうこう以前に、こう対応するのが会話の常識であって、本気で不躾とは思っていない。

 本物なら謝罪するのが当然であり、偽物なら気を良くしてウッカリボロを出すかも知れないからだ。


「いえ、お気になされますな……! 身元の説明なれば致し方なき事……!」


 そう言いながらも貞直の瞳からは一筋の涙が流れ落ちた。


「そ、それで笹久根殿、此度は一体何を知らせに参ったので?」


 涙声の演技は見破る自信もあるが、本物の涙には是紹も心動かされた。

 偽物なら大したモノだと感心するレベルである。


「はい。その武田軍が飛騨に迫っております。この地域を支配下に置く為に!」


「何と!?」


 武田の侵略。

 5年前の弘治3年(1557年)に武田家は飛騨へ侵攻した。(13章参照)

 織田、斎藤、朝倉軍が防衛し、しかし一向一揆勃発によって飛騨は今に至る、記憶に新しいでは済まない現在にも濃密に関係する出来事。


 その武田が再度やってくる。

 笹久根なる者の値踏みを忘れてしまう程の、頭をぶん殴られる幻覚を覚える衝撃だ。


 飛騨は領主の江間や三木を討ち滅ぼしてしまった上、防御を担当していた織田も斎藤も朝倉も追い出してしまった今、自分の身は自分で守るしかない。

 浄土真宗の徒として北陸の戦いにも馳せ参じなければならないのに、更なる難題の出現は間違いなく非常事態である。


「武田家の暴政は知っておりますか!? 某も近くでその暴政を見ておりましたから知っておりますが、その圧政は悲惨極まりない! 信虎公は戯れに妊婦の腹を裂き、領民を射撃の的にし、見かねた我が殿の馬場虎貞公は何度も諫めましたがその政治は悪辣になる一方でした!」


 貞直は畳みかける様に信虎の暴政を並び立てる。


「た、確かに酷い有様だとは聞き及んでおります。この飛騨には甲斐や信濃から逃げてきた民も少なくありませんが……。今は武田も代替わりし信玄公が……いや、甲斐信濃からの逃散者は増える一方か……」


 是紹は甲斐からの逃散民の存在を思い出す。

 年々増え続けるばかりの逃散民を。


「そう! 信虎公の暴政は序章に過ぎませぬ。信虎公が追放され民は一安心かと思いきや、後を継いだ信玄の政治は信虎公の政が可愛く思える程の悪質さです! 信虎公程に悪趣味ではないですが、その代わり信玄は銭の亡者! 信虎公のやり方に追加して銭の重しで領民を縛り付け、未払いの者を容赦なく処刑する! 今や甲斐と南信濃は処刑を免れる為に銭を追い求める六道にも八大地獄にも無い、新種の銭地獄!」


 貞直の言葉は熱を帯び、見て来た様に語る所か当事者の様に語る。

 余りの迫真ぶりに是紹の脳裏には鮮明に光景が映し出され吐き気を催す。


「何と! 噂は真でしたか!」


 是紹は今、笹久根貞直を信頼に足ると判断した。

 貞直が本物かどうかはともかく、武田の侵略の報は嘘であっても警戒すべき大問題だからだ。


「この飛騨の地は武士の支配から解放された地と聞き及んでおります。ですが、その支配は終焉に向かっております。東からは武田が来るのは先の通り、南からは斎藤も迫っています」


「ッ!!」


「もう取れる手段は限られております。一つは好きな武家に降伏する事です。無用な流血は避けられるでしょう」


「こ、降伏……!? 暴政の武田に、仏敵の斎藤! 何たる事だ! どちらかしか無いのか……!」


 一瞬降伏も頭に過る。

 武家から独立を果たしたは良いものの、特になにか改善された事は無く悪化する一方だ。

 その上で武田に与すれば一気に最悪な環境に陥るは明白で、今を生きる民を救う浄土真宗とは相容れないし、斎藤家は仏敵なのでそもそも選択肢に入らない。

 八方塞がりであった。


「もう一つは戦って支配から守る事です」


「戦う!? ……となると武田とですか?」


「そうです。仮に好条件であったとしても組み込まれたが最後。反故にされるは火を見るより明らか。今より何かが良くなる事は無いでしょう。ならば戦うしかありませぬ。浄土真宗の神髄は団結にある。それが出来る事はすでに証明されておりますな」


「……ッ!!」


 貞直の宣告に是紹は絶句するしかなかった。


「一方で武田家は略奪が神髄の無法集団。まともに激突しては犠牲は増えるばかり! 住職! 近隣の民を集めた場合、どれ程の兵力になりますか? それによっては、さらにもう一つ手段があります」


「……集まって1000届けば良い方でしょう。もう一つの手段とは?」


「戦いながら撤退する事です。我らには地の利がある。ならば可能性はあります! 北陸に逃げ込んでしまえば数の理があり、武田がこの地を手に入れたとて、管理する民が居らねば収入は見込めず! タダで呉れてやる道理はありますまい」


「な、成程……戦略は理解できますが、これを実行できる指揮官が居らんのです……」


 是紹は根本的問題を語った。

 撤退戦は本職の武将であっても難しい戦い。

 是紹では選べる選択肢では無いが、貞直が自信を持って言った。


「ご心配なく。某が引き受けましょう。それが出来る事を証明します。ご覧ください。これは信虎公からの感状です」


 貞直は懐から書状を多数取り出した。


 感状とは軍事における貢献を称賛した書状。

 いつどこで、どんな活躍をして手柄を挙げたかが記され、武功の証拠として認められ、感状の多さは武士の誉である。

 また、再仕官の際にも有能な武将である証拠となる。


「僭越ながら某なら適切な指揮を執る事が可能です」


 貞直は感状を床に並べて見せた。

 自信に溢れる所作が、より一層に感状を輝かせる。


「こ、この感状の量! ……こ、これは!? 北条氏綱公を退けたと!?」


 是紹は気が付いていないが、信頼度は50%をとうに超えている。

 この感状の束はダメ押しと言ってもいい。


「それは大永6年の事ですな。某は馬場様と共に氏綱公の陣を急襲し、あと一歩の所まで追い詰めました。あれは惜しかった。氏綱公を討ち取ったと記載させられなかったのが残念です」


 貞直は遠い目をして、かつての主君と共に戦場を駆けた情景を思い出していた。


 一方、是紹は驚いた。

 年季の入った書状の数々は貞直の人生そのものだが、北条氏綱を退けた大金星についての感状は戦場で書いたのか、血痕が付着している。

 信虎の喜びと興奮が伝わる歴史的価値も高い感状である。

 北条氏綱の名は遠く飛騨にも鳴り響く偉大な武将。

 それを退けたなど驚嘆すべき大武勲。


 この功績ならば再仕官など引く手数多で好条件を選び放題だ。


「こんな人材が野に埋もれていたのですか!?」


 貞直は更に遠い目をして、野に埋もれたままの理由を語りだした。


「馬場様の子息を失った時、最早どうでも良くなりました。後を追う事も考えましたが結局それも出来ず情けなく腑抜けておりました。しかし今こそ悟りました! 後を追う事が出来なかったのは『ここで民の為に戦え』と馬場様が心に訴えておったのです。確かに憎き武田に一矢も報いず果てるは主に対する重大な裏切り。ならば、これがこの老人の最後の奉公です」


 貞直は滂沱の涙のまま力強く是紹の背後で微笑む阿弥陀如来を見つめた。

 その涙を袖で拭うと、若干毒気の抜けた顔で是紹を視界に収めた。


「ですがご心配には及びませぬ。主の無念を晴らそうとは少ししか考えておりませぬ」


「す、少し?」


「フフフ。全く考えていないと言ったら信じますか?」


「な、成程……あ、いや、その……」


 是紹は貞直の復讐に巻き込まれる事を警戒していたが、そんな感情はお見通しとばかりに貞直は笑って話す。


「ハハハ。良いのです。某の恨みを隠しはしますまい。しかし、そこに関係ない民を巻き込んでは意味がない。恨みの晴らし所は今ではない。今は信玄の吠え面さえ見られれば十分。むしろ民の安全を守り通す事が奴に対する最大の嫌がらせとなりましょう」


「わ、分かりました。拙僧の指揮など素人同然。戦略に明るい笹久根殿にお願いいたしましょう」


 是紹は笹久根貞直を信じる事にした。

 信じるに足る情報や感状は当然だが、今後の展望からしてもここで笹久根貞直に去られては光念寺としては座して死を待つばかりとなる。

 順当なる総合的な判断なのだろう。


「しかと。では是紹殿は足弱の者を大至急集め、北陸に逃がす準備を。そして戦える者を集め抵抗の準備を」


「わ、わかりました。笹久根殿も準備をお願いいたす!」


 是紹は本堂を飛び出すと弟子達に指示を飛ばす。

 そんな光景を見ながら直基は声を潜めて話す。


(父上、上手く事が運んだのは上々ございますが、よくもまぁ、そこまで己を卑下なさいますな?)


(フン。奴らが広めた悪評を本人がどう扱おうが自由であろう? お陰で簡単に潜り込めたわ)


 父の余りにあんまりな言い分に、直基は感心するやら呆れるやらで、皮肉を込めて称賛する。


(その悪質さ。宗滴公や道三公も裸足で逃げ出しましょうぞ)


(フハハハハ! あのクソ爺共と並べられるは最高の誉め言葉だ!)


 直基の皮肉も今は心地良い。


(某も織田弾正忠様(信長)や、斎藤美濃守様(帰蝶)の下で学んで参りましたが、父上にもまだまだ学ぶ事が多くて眩暈がしますぞ……)


 直基は床に置かれた感状の束を拾うと中を改めた。

 達筆の中にも荒々しさが内包する父の筆跡。


 まさに武田信虎の筆跡だ。


 武田の内情を見てきた様に語れるのは当然の事。

 大量の感状も当たり前。


 笹久根貞直は武田信虎、その子直基は六郎信友であった。

 斎藤軍から離脱した信虎と信友はそのまま北東に進みこの村に到着し、まんまと一向一揆に潜り込んで指揮権を獲得した。


 かつて処刑した家臣の縁者を名乗るのも楽勝だ。

 居そうで居ない絶妙なラインを狙いつつ、ありそうな経歴を捏造するは造作もない。

 そんな事情の人間はこの世に溢れている上に、何せ自分も最近まで追放されていた身分だ。

 その感情は良く理解できる。


 当然、大量の感状も信虎の自演である。

 こんな紙キレは書き慣れたもの。

 支配者だったからこそ感状のフォーマットも熟知しており、筆跡も当然完璧で、しかも武田の歴史の証人中の証人なのだから、幾らでも捏造可能な正真正銘本物の偽造書類。


 竹中重治と協議し、わざわざ年季の入った紙を用意してまで整えた、今回の為の秘策。

 信虎の任務は民の扇動と武田の進路妨害。

 その為に利用できる物は何でも利用する。

 たとえ己の悪評であってもだ。


(よく学べ。体面体裁を気にして戦国大名が務まるか? そんな事は勝ってから幾らでも整えられるのだ。織田も斎藤もその辺はよく理解しておるぞ? ならばだ。己の悪評? 失政? 知った事か。勝つ為なら何でも利用するのだ。我らは一度ドン底まで落ちた身。遠慮していて大望が叶うと思うか?)


 呆れる信友を軽く叱責する信虎。

 すべて利用する為に、武田信玄も、己の悪評も、浄土真宗の立場も利用する。

 老獪な武田信虎にしか出来ない荒業だ。


(そうですね。……人間不信になりそうですが)


 是紹には正体と感状以外は何一つ嘘はついていない。

 だが感状は嘘でも、それに匹敵する実力を信虎は有する。

 北陸に民を逃がすも、今は信玄の吠え面だけで満足なのも嘘ではない。


(何か言ったか?)


(何も)


 嘘をつくコツは、嘘の中にも真実を混ぜる事。

 そうでなければ簡単にバレる。

 だが、そんな事は信虎にとって造作も無き事だ。


「よし。この寺の防衛設備を確認するか。見た所、中々の規模じゃし周辺地形も悪くない。だが相手はクソ晴信じゃからな。どんな悪辣な手を打つかわからん。隙は埋めておくに限る」


「はッ!」


 こうして武田信虎、信友親子演じる笹久根親子は寺内の点検を行うと共に、修繕補強を命じ、延焼を及ぼしそうな木を切り倒し決戦に備える。


 一方、是紹の命令を受けた僧や民が時間が経過する毎に増えていく。

 皆、『またあの武田が来る』との報を受け、恐怖に顔が歪んでいた。


(ふむ? 1000とか言っておったが最低でも2000は固いな? 住職め、過少申告しておったか)


(信頼を得る前でしたからな。仕方なき事かと)


 光念寺には男は当然ながら、女子供も戦いへの参加を希望した。

 その数は2000を軽く超えていた。

 住職が過少申告したのも事実だが、信仰と生活の一大事とあって、女子供までが参加したが故であった。


(それもそうか。しかしこの2000は……。いやされど2000か。ならば大分打てる手が増えるな。よし!)


 信虎は集まった民を前に進み出て檄を飛ばした。


「ワシは笹久根貞直と申す者。かつての武田家臣馬場虎貞様に仕えし者! 我は―――」


 貞直こと信虎は馬場家の(ソレっぽい)苦難の歴史を語り、いかに暴虐信虎に逆らい今に至ったかを詳細に述べた。

 その上で、信虎以上に悪質な信玄に負ける事を意味する将来を語る。


「―――負ければ我らは武田の奴隷! 今の苦しみから解放を目指す浄土真宗の信仰とは相容れぬ! 支配下に組み込まれれば重税に次ぐ重税! 労役に次ぐ労役! 降り注ぐ理不尽な罰! 死ぬまで毟り取られ死んでも他の者が連帯責任に問われる!」


 信虎は激を飛ばして恐怖に陥っている一揆勢の鼓舞を試みる。

 いかに百戦錬磨の信虎とは言え、このままでは戦えない。


 信玄に一泡吹かせる為にも、この扇動は絶対に成功させ、戦える集団にしなければならない。

 だがこれは信虎にとってはお手の物であった。


 専門兵士の織田、斎藤軍は基本的に命令で兵は動くが、農民は違う。

 甲斐は農業兼業兵士が基本である。

 もちろん命令でも動くが、それでは戦えない。

 付加価値をつけてやらねばならない。

 戦意を焚き付けるのは、常なら副収入の稼ぎ所と伝え欲望を煽るに限る。


 それは信虎が甲斐の支配者であった頃に散々やってきた事。

 理由付けに苦労する事はない。


 今回で言えば、数多いる侵略者の中でも、最低最悪の部類である武田家に対する恐怖を煽れば十分であった。


「父母子息を思えばここが踏ん張りどころぞ!! その為に! かつて武田家の先陣を勤め続け、戦略に明るい馬場虎貞の直弟子たるこの笹久根が、全力で皆を導き逃がして見せる!」


「お、おぉ!!」


「や、やるぞ!!」


 北陸からの監視も居たが、やはり『武田の統治』と言うのは住民にとって寝耳に水の衝撃であった。

 あっと言う間に数千人規模の一揆軍が臨戦態勢になり、信虎と共に武田軍に牙を剥くのであった。


(さて愚息はどうでるか? 貴様の真の資質を試させてもらうぞ! ワシを追放してまで奪い取った武田当主の座! 相応しくなければここで死ね!)


 信虎は獰猛な笑みで武田信玄率いる真田軍を迎え撃つのであった。


 余談だが、後世に『生没年不詳の笹久根貞直、直基』の架空の親子が何の疑いもなく実在武将として扱われている。

 もちろん原因は、この信虎直筆の偽造感状が存在の証明根拠となっている―――

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