表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
18.5章 永禄5年(1562年) 弘治8年(1562年)英傑への道
312/446

172-3話 円巌寺攻略戦 下間頼廉

172話は5部構成です。

172-1話からご覧下さい。

【円巌寺/境内 円巌寺一揆軍】


「アレで全軍な訳があるまい。どういう事だ? 地形ゆえか?」


「あるいは別の場所に向かわせたやも知れませぬ」


 二人の僧が渋面で眼下の光景を評する。


「別ける? 別けてどこに向かわせる? 今後、どこでどれだけ一揆衆が集結しているか判らぬ状況で妙手とは思えぬが……。(武田に向かうとも思えん……)」


 二人の僧の内、旅装束の僧が迫力ある相貌を歪ませ唸る。

 眼下に広がる斎藤軍2000。

 斎藤の国力でこんな少数のハズがないのは明白だが、軍を分ける可能性を考え難かった。

 あと『武田が今後の統治者』とは口には出せないので心に留めたが、それにしたって『同盟を結んだ武田軍への襲撃』というのも考えにくい。


「単純に考えるなら、この辺りは大軍を展開できる地形ではありませんからな。ただ、それにしては少ない。大軍を展開できぬ地形とは言え、少なくとも4000を展開できる地形でもある。それを把握できぬ斎藤帰蝶ではありますまい。ならば何かしらの狙いがあるはず。軍を別けないのであれば兵を伏せて圧力を掛け、こちらの失策を誘っているのでしょう」


 もう一人の櫓に同席する幹円が意見を述べた。


「そりゃそうか。北陸まではまだまだ長い。隠せる物は隠し温存するに限る。斎藤帰蝶か。曲者よな。女大名がいかなる物かと思っておったが乱世に相応しいと言う事か。ただそれでも、斎藤家の推定動員兵力からして多くて1万程であろう」


 斎藤軍の動向を怪しみ納得した僧は下間頼廉だった。

 飛騨の武田軍から離脱した頼廉は急ぎに急いで飛騨を横断し、ギリギリ斎藤軍より一歩早く円巌寺に到着し、まだ斎藤軍の魔の手が及んでいない事を確認すると、本願寺宗主顕如の意向を携え協力を要請した。


 その要請は、兎にも角にも一揆の鎮静化。

 信徒を死なせない事に他ならない。

 だが、ただ普通に鎮静化させて、斎藤軍の手助けとなってしまう利敵行為では意味がない。

 救いつつも出来る限り内情と軍容を探り、かつ、侵略を遅らせる。

 だが、帰蝶が軍を伏せてしまったので全容は推定でしか判明できない。

 多くて1万の推測根拠はあるが、当たっている確証はない。

 確証がない頼廉は推測情報で斎藤軍を先回りしつつ足止めせざるを得ず、神経を擦り減らす事に他ならない頭の痛い問題であった。


「弥八郎(本多正信)、探るのは難しいか?」


 頼廉に付き従い、背後に控える正信に確認を取った。


「斎藤軍は別けていないのであれば、全体的に見通しの悪い山路に潜むか、あるいは森に潜んでいるでしょう。そこを偵察に向かっても、全容を把握して報告が間に合うかは難しい上に、その情報に正確性を持たせられません」


 鋭い目つきのまま正信は答えた。

 命を惜しんで拒否をしているのではない。

 それでも『行け』と言われれば行く覚悟は出来ている。

 ただ自分の能力と状況から判断して、出来る出来ないを忖度なく述べているに過ぎない。

 希望的観測を言うYESマンなど邪魔なだけ。

 そんな正信の性格を頼廉は信頼し、正信が出来ないなら誰もできないと判断した。


「ただ、それでも推測1万は間違っていないと思います。動員するだけならもっと大軍も可能でしょうが、斎藤は広がった領地の維持もある上に京にも隣接しています。やはり1万が限度でありましょう」


「わかった。ではお主は寺内の様子を見て参れ。戦える者、戦えない者、老若男女がどれ程なのかをな」


「はっ!」


 正信は短く返事をして櫓から駆け下りた。

 幹円はそんな様子を見つつ、少々声を潜めて訊ねた。


「ところで……これで宜しいのですな?」


 幹円が難しい顔で確認を取った。


「うむ。斎藤が全軍を見せなかったのは結果論。敵が上手だったと認めねばなるまい。幹円殿は良くぞ大任を果たしてくれた」


 頼廉は幹円を労った。

 斎藤軍の全容は分からぬでも足止めには成功した。

 一日でも多くここに釘付けにすれば、それだけ後の地域で救える命がある。

 斎藤軍による即座総攻撃も想定していたが、とりあえず衝突が無い事に頼廉は安堵する。


 だがこれは、同時に帰蝶の予測は当たっていた事を意味する。

 幹円の怒りは本心も含まれてはいようが偽装でもあり、真の目的は足止めにあり、むしろ時間ロスを誘う罠。


「それにしても本陣を頂点とした魚鱗陣とはな。こちらの思惑は見透かされたと見るべきか?」


 頼廉は預けられた斎藤軍軍旗と、眼下の斎藤軍を交互に見ながら現状を推測する。


「見るべきです。あの斎藤帰蝶は確実に勘付いています。この渡された旗に丁寧な降伏手順やあの陣形。そして提示された条件や、浄土真宗を真摯に丁寧に研究推測した我等に対する敬意。本気でこの状況を平和的に収束させたいと思っておるのでしょう」


「その様だな。これなら愚僧も交渉に同席するべきであったわ。まさか斎藤軍の本質も保護だったとは。守りたい者同士が争わねばならんとは何と言う皮肉か」


 この地域に集まった人間は、誰もが信徒を守りたいと思っている。

 だが争わねばならない。

 皮肉以外の何物でも無いだろう。


「一つ聞かせて頂きたい」


「何かな?」


「先に話した沢彦なる僧の浄土真宗評。どこまで真に迫っているのですか?」


「……。愚僧も修行中の身であるからして自信を持って否定は出来ぬ」


 頼廉は幹円の言葉を真っ向から否定しなかった。

 完全否定の末に嘘がバレたらそれこそ致命傷でもあるが、幹円から聞いた沢彦の説法は頼廉すら驚く衝撃的な内容過ぎた。

 間違いや勉強不足もあるので完璧とは言わないが、『歎異抄』が封印されている(ハズの)現状で、その知識は浄土真宗に属する僧侶の中でもトップクラスに位置する造詣の深さであった。


 頼廉は、ただでさえ本願寺の急所たる歎異抄を知っている身の上、さらに今回同行する証恵すら欺いている上、さらにさらに親鸞とは違う教えを以て信徒すら基本的に欺いている。

 しかし、良心の呵責に(さいな)まれようとも嘘を貫くしかなく、しかし、悪意を持っている訳でもない。

 現世を苦しむ信徒を守るにはコレしか術が無いのだ。

 ただただ嘘も方便の末に歪んだ浄土真宗であっても、浄土に行くには今の方針を貫くしかない。


 だが、今もその嘘に従い命を落とし、また、救いを信じ命を懸ける幹円の問いに真摯に対応しないのは、それこそ良心の呵責に耐えられない。


 頼廉は全てを知った上での己の考えを述べて、密かな謝罪も兼ねた見解を述べた。


「確かに先鋭化した部分もあろう。親鸞聖人も信者や弟子の全ての行動を監督する事は能わぬ。例えば善鸞(ぜんらん)なる者をご存じか?」


「ゼンラン? 初耳です。しかし『ラン』とは……まさか聖人の『鸞』で?」


「そう。親鸞聖人の長子とも言われておるが、浄土真宗の教えの中では禁忌の存在。まぁ禁忌と言っても知る人ぞ知る程に秘された物でもなく、特に関東では強く伝承が残っておると聞く」


「その善鸞なる者が親たる親鸞聖人の監督から逸れたと?」


「逸れた所の話ではなくてな。親鸞聖人の教えを曲げに曲げて一周しそうな程に曲解したのだ」


「曲解!? 実子が!?」


「いや、一周しては元通りか。まぁ、あらぬ方向に逸れたのは間違いない。その結果聖人は善鸞を義絶する」


 義絶とは親子の関係を切る事を指す。

 この出来事は親鸞84歳、善鸞55歳の頃の話で『善鸞義絶状』との書状が残っている。


「直系の子ですらこの有様。今の浄土真宗が先鋭化していないと断言できる程に愚僧は学びを修めておらぬ」


「なるほど。しかし、その善鸞とやらは具体的には何をしたので?」


「……」


「そこまで話して続きを聞かせてもらえないのは、余りに殺生ですぞ?」


 幹円は敢えて強く言った。

 頼廉をして言い難い事なのだろう。

 だが『言って楽になりたい』との思惑も感じられる苦渋の表情だった。

 ならば無理にでも言わせる事で罪の意識の軽減を図ったのだ。


「……この話を言い出したのは愚僧でしたな。確かに、ここで話を終える訳にはいかぬか」


 頼廉は大きく息を吐いて覚悟を決めた。


「300年前の関東。当時の法華宗の日蓮が大暴れし徹底的に他の宗派を虚仮にした。これはご存じか?」


「確か『立正安国論』ですか。特に浄土宗は敵視されたそうですな」


 当時日蓮は頻発する様々な国難や災害から国を守る為、専修念仏の異端浄土宗を排除しようと試みた。

 日蓮にとって念仏を唱えるだけで浄土に行けるなど、無間地獄に落ちるも同然の行為。

 それなのに、こんな宗教の風上にも置けぬ浄土宗が貴族から庶民にまで広まっている現実。

 日蓮の危機感と絶望は想像に難くない。

 その絶望は迫真の折伏と重なり絶大な威力を発揮した。


「児戯の如く理論で浄土宗を非難するが、残念な事に一定の効果があった。効果というのは日蓮の言う通りに国難が去った、との意味ではなく、浄土宗、または浄土真宗の教えを受けた民の心が揺らいでしまったのだ。『本当に浄土に行けるのか?』と」


「成程。不安が不安を呼び流言の如く広まったのですな。そんな衰弱した精神では心揺らぐも理解できます」


 この不安感とは本当に恐ろしい物で、科学が絶対の世界の現代ですら、例えば新型コロナに際し様々な流言があっという間に広まった。

 コロナは政府自作自演の陰謀で、ワクチンに(かこつ)けてチップを注入し5G回線にて操るなどと正気を疑う風説が、驚くべき事に一定の支持を集めてしまった。

 世が乱れると極端で破滅的な思想が乱入してくるのは、いつの世でも同じなのだろう。


 ならば戦国時代は当然、親鸞が生きた時代など宗教が絶対の世界の全盛期である。

 人間ではどう頑張っても太刀打ちできない事を避ける為の宗教なのに、それが間違っているなど、あってはならない大問題。

 しかも主張通り世が乱れているのは事実であり、そこに声の大きい法華宗が連日不安を煽れば誰でも揺らぐだろう。


「異説もある。この当時日蓮は越後に流されておってな。関東に日蓮残党が跋扈していたとしても首魁がおらねば勢いも陰るもの。それなのに善鸞を派遣せねばならぬ事が起きた。当時の関東では聖人の弟子達が布教を行っておった。だが、どうもその直弟子達も聖人の教えを曲解しておったらしい。高田門徒は代表格と言っても良いだろう、聖人はそんな異端の流れを是正すべく、また、民衆の動揺を抑えるべく善鸞を派遣した、とも言われる」


「成程。いずれにしても要点は『不安の払拭』ですな。その為に派遣した善鸞が聖人にとって大誤算だったと?」


「そう。何故か善鸞は親鸞聖人の実子という立場にありながら、正しい教えを伝えず独自の教えを広めてしまった。それを伝え聞いた聖人は何度も善鸞を諫めるが、当の善鸞は頑なにそれを改めず曲解した己の教えを親鸞聖人の教えと称して広めた。聖人も事ここに至っては止むを得ないと判断し義絶にて関係を断つ」


 善鸞は親鸞に一番近い立場にいながら、本当に『何故?』としか言い様が無い布教を行った。

 親鸞にしてみれば許し難い越権行為であり背信行為。

 よりによって息子が極楽浄土へ向かう方法を曲げてしまったのだ。

 それ即ち、息子が多数の民を地獄に叩き落してしまったに他ならない。

 いかに阿弥陀如来が信じれば救ってくれるとは言え、それ程までに善鸞の行いは罪深かった。


「自分だけが親鸞聖人から真の教えを授かったと吹聴し、秘密厳守を架した上で、深夜に儀式を執り行い、迷いを認め、儀式以外での信心を認めず……。善鸞は個別や少数にて丁寧に指導した結果、信徒に様々な枷を課し多数の民を惑わした。許されざる異安心。秘事法門だ」


 秘事法門―――

 浄土真宗にとっての異端(異安心)を秘事法門と言う。

 一見すると個別、あるいは少人数単位での細やかな指導で確実に迷いを吹き飛ばすが如く宗教儀式。

 だが現代においては、心や精神を捉えて離さない悪質な自己啓発セミナーやカルト宗教の勧誘手法に近いと言えば理解しやすいだろうか。

 この思想が更に曲解を重ね、悪名高い過激派思想『造悪無碍』を生み出し、後世において北条早雲、北条氏綱に徹底的に排除される運命を辿る。(外伝39話参照)


「曲解を是正するべく曲解が生まれたとは……」


「この辺りは愚僧も良く分からなくてな。まぁいずれにしても善鸞は聖人から秘術を授けられたと振舞ったのは間違い無いらしい。挙句の果てには、あろう事か権力者との癒着にまで及んだとも伝わる。親鸞聖人はそんな事は望んでいないのに」


「何と権力者と……。 ん? い、いや、その方向性は……その……」


 何かに気が付いた幹円は、言いかけた言葉を飲み込んだ。


「フフフ。何を言いたくて言い淀んだか理解できますぞ。蓮如聖人が布教した北陸も、富樫一族の内紛に呼応してしまった。富樫正親には蓮如聖人を慕う門徒、対する富樫幸千代には高田専修寺派が合力した。どちらも親鸞聖人を祖とするのにな」


「蓮如聖人は内紛に介入したかった……? い、いや、『王法為本』を唱えたのも蓮如聖人であるからして……?」


「そうだな。だが、これはまだ納得できる理由がある。高田派は浄土真宗本願寺にとって、善鸞同様に異端宗派だからだ。聖人から『唯授(ゆいじゅ)一人(いちにん)口決(くけつ)』と謳ってな」


 唯授一人口決―――

 これは武道における免許皆伝と同様で、つまり師と同じ技量に達したと意味する。

 これを言い出し喧伝した専修寺の如道の一派は、越前で勢力を誇る事になった。


『確かに本願寺は親鸞の血縁だが、それ以上でも以下でもない。しかし己は親鸞聖人に認められ血縁を超えた、法脈を受け継ぐ同格の者』


 こんな事を如道が言ったかは不明、あるいは捏造との説もあるが、教義や主張を要約するとこうなる。


『血縁か実力か?』


 これを如道は世に問い勝った。


 この結果、親鸞の教えを忠実に守った本願寺本家は衰退し(170-2話参照)、如道や他の親鸞高弟が興した他の派閥は本家を上回る信者を獲得する。

 他の派閥とは例えば、佛光寺派の了源が開発した『名帳』システムが名高い。

 この名帳に名を書かれた者は、浄土決定のお墨付きを得る。


 即ち『名前を書いたら死ぬノート』ならぬ『ヘブンノート』システムである。


 当時開祖親鸞の教えを衰退しつつも忠実に守っていた、親鸞の曾孫の第3世宗主覚如は激怒して『改邪鈔』にて非難するが、勢いの差は増すばかりであった。

 そんな本願寺にとって異端の勢力と、更にはもっと大勢力を誇った一遍の時宗を、瀕死の本願寺本家に生れた蓮如はまとめて引っ繰り返し逆転したのである。

 

「聖人から認められる。これ即ち善鸞と同様の秘事法門。親鸞聖人を受け継ぐ蓮如聖人にとっては浄土真宗の風上にも置けぬ異端よな」


 善鸞を異端とするなら、如道も異端だ。

 ならば富樫幸千代に与する高田専修寺を滅ぼすのは聖戦である。

 親鸞が浄土宗から浄土真宗を作った様に、浄土真宗と別の宗派を起こすならともかく、浄土真宗を名乗っておきながら、自分こそが正統だと喧伝するのは許されない。


「ただそれでも蓮如聖人は『王法為本』を説き、戦への過剰な加担は避けようと試みた。高田派とは言え信徒は民。それを滅するのは不本意。程々で済ますつもりだったのだろう。だが、せっかくの『御文』による教えと『講』による団結も、教えより政への不満に傾き爆発してしまった」


 蓮如は民に布教する際に『御文』にて教義をかみ砕いて教え、『講』にて民で集まり教えについて語り合う事を推奨した。

 当初はそれで信心を獲得できたのだが、次第に気の合う仲間同士、胸に秘めた不満が集う場と変貌する。

 この講システムは宗教限定では機能するが、宗教限定で機能させる事が不可能だった。


「しかも、信頼する弟子の蓮崇(れんそう)が蓮如聖人の命令と偽って民を扇動する始末。誤算だったのだろう。日蓮の如く過激な方向に流れるのは人の業やもしれぬな」


 頼廉は櫓の囲いに両肘を立て、手を組んで顎を支えた。


「親鸞聖人が浄土に逝き凡そ300年。親鸞聖人の考えを完璧に理解しうるのは他でもない親鸞聖人ただ一人。300年間その教えが一切歪まなかった、などと断言できる程に愚僧も初心(うぶ)ではない」


「……成程。今の飛騨や北陸は、善鸞の如くやむを得ない事情があった末でありましたか」


 幹円の言葉に頼廉は頷いた。

 浄土真宗の僧侶なので言葉で肯定するのは憚れたが、しかし、しっかりと頷いた。


「浄土真宗として『曲解も止むを得ない事情』など公式に認める事はできぬ。……しかし、個人的には善鸞の苦悩が理解できる気もする。この飛騨だけを見ても眩暈を覚えるのに、その本家本元たる北陸は一体どんな有様なのかと恐怖すら抱く。我ながら酷い弱気よな」


「心中はお察ししますぞ」


「善鸞は義絶されて尚、聖人の臨終に際し面会を求めた。あるいはお墨付きを得たかっただけかも知れぬが、苦悩の末の決断であったと信じてもらいたかったかも知れぬな」


「面会は叶ったので?」


「いや。追い返されたと伝わる。まぁそうであろうな。義絶した後に面会を許せば善鸞の行いに理があったと受け止められかねんしな」


 頼廉はそう言いながら薄く笑い、しかし頭に思い描いたのは善鸞ではなく蓮如だった。

 今の説明は、『蓮如だけは問題無い』とのスタンスだ。

 少々目論見が外れた事もあるが、それは飽くまで蓮如以外の暴走が原因であり、蓮如の行動は浄土真宗の理念その物―――との姿勢が公式のスタンス。

 だが、歎異抄を読んだ頼廉は蓮如も曲解したと知っている。

 それでも頼廉が今の浄土真宗に従うのは、その壮絶な覚悟を汲み取っているからだ。


『親鸞の思想を忠実に守っては民を救えない』


 故に真実が書き記されている歎異抄は浄土真宗にとって禁書であり、その歎異抄を封印したのは他ならぬ蓮如である。

 宗教が絶対の世界である。

 開祖の偉業を封印するなど並大抵の覚悟では務まらないだろう。


 だが一方で、現代に残る最古の歎異抄は、それこそ他ならぬ蓮如の写本のみ。

 しかもこの時、蓮如の都合の良い様に書き換えも可能だったのに、蓮如に都合の悪い事まで書き写してある。

 宗教が絶対の世界において、先祖にして開祖親鸞を穢すなど言語道断重罪禁忌の極みだろう。

 だが、そんな禁忌を犯してでも民を守りたかった覚悟を否定はできない。


 ただ、その結果産まれたのは、善鸞の所業など鼻クソの如きに感じる程の大流血に大混乱、大波乱に大戦乱。

 もし親鸞が生きていたなら義絶間違いなしの所業だ。

 だからこそ頼廉含めた歎異抄を知る者は、善鸞や蓮如の苦悩を感じざるを得なかった。


「少々話が逸れたが最初の質問、沢彦なる僧の浄土真宗評についてであったな。答えよう。……愚僧も修行中の身であるからして自信を持って否定は出来ぬ」


 頼廉はいろんな意味を込めて、もう一度同じ事を言った。

 公式に認める事はできない。

 真実を伝える事も出来ない。

 しかし飛騨、北陸を思えば真っ向から否定も出来ない。

 言える言葉は限られていたも同然であった。

 善鸞の話をしたのが頼廉なりの精一杯な誠意であった。


 なお先に述べた『善鸞義絶状』であるが、親鸞の真筆は残っていない。

 あるのは関東で善鸞と対立したと言われる、高田専修寺にある写しのみである。

 善鸞は限りなくクロだが、かと言って断定も出来ていないのが現状だ。


「逆に聞きたい。北陸では鎮静に向かう動きは無いのか? これほど荒れて尚も争う。外部から見ると蓮如聖人の『王法為本』など最初から無かったかの様に見えるのだが?」


「王法為本は知ってはいます。ただ鎮静の動きですか。全くありませんな」


「だ、断言する程なのか。そうか……。あの七里頼周でも纏められなかったか」


「えッ!? あ、あの七里!?」


「そうだ。あ奴なら或いは鎮静も可能かと思っておったが、惜しい奴を亡くしたな……」


 頼廉は胸を痛める。

 七里頼周(しちりよりちか)は顕如に見いだされた有望有能な坊官。

 顕如が11世宗主になると同時に抜擢された。

 元は下級武士だったが、下級武士として苦労しただけあり、弱者の苦しみに理解深く、かつ頭脳明晰で物の道理を正しく捉える事も出き人望も篤い。

 顕如が拾い上げるも納得の完璧な人間であった。


 その頼周を加賀に派遣して早数年。

 いつしか報告も途絶え北陸の混乱も収まる気配は無く、現状把握は必要だと考えていた矢先の武田家の提案であった。


 故人を偲ぶ頼廉であったが、幹円の様子がおかしい事に気づく。


「……? 何かあるのか?」


「違うのです!」


「違う……?」


 今日幹円を知った頼廉だが、僧侶としての実力は高いと思っていた。

 それなのに幹円が激しく狼狽する姿に嫌な予感を覚える。


「違うも違う、大間違いですぞ!? あの方こそ一揆を指揮し戦線を拡大し、日々信徒を叱咤激励し戦場で戦う第一人者ですぞ!?」


「何だとッ!? だ、第一人者!?」


 頼廉の知る頼周像に似ても似つかぬ、幹円の語る頼周像。

 頼周の名前を出されてなお、別人の事でも言っているのかと疑ってしまった。


「あの方は鎮静の為に派遣されてたのですか!?」


「そ、そうだが……!?」


「信じられませぬ!! あの方の意思こそ親鸞聖人、蓮如聖人、顕如上人の意思! 王法為本をもって異端と戦う! あの方からそう聞かされてきたのです! 我らも民も、あの方の高潔な理念に従ってきたのです!」


「な、何だそれは……ッ!?」


 寝耳に水にも程がある事実を聞かされた頼廉は、驚愕過ぎて櫓から落ちそうになった。

 落下しなかったのは、タイミングよく櫓下部から声がかかったからだ。


「刑部様(下間頼廉)、戻りました」


「や、弥八郎か。上がれ……!」


 正信は軽快に櫓を登ると調査報告を述べた。


「報告します。凡そ1000人の民で戦力と計算できるのは半分にも満たないでしょう」


「500か。それは取り合えず弓や槍を持てる女や子供も入った数だな?」


「そうです。戦える男に限定するなら、多くて350人程であります」


「分かった。幹円殿。兵糧は如何程に?」


「北陸に輸送するハズだった米がここにありますが、これを使って籠城するならひと月は持つでしょう」


「その米を送る必要は無い。全て自分達で消費するがいい。愚僧は大至急七里の下に向かわねばならぬ! 幹円殿。申し訳ないが……」


「仰られますな。由々しき事態なのはわかりました。後の事はお任せを。刑部殿は手筈通り裏から抜けて北陸へ向われるが良かろう。1日でも多く斎藤軍の足を止めて見せましょうぞ」


「うむ。無理だと判断したならその旗を掲げ降伏せよ。決して命を粗末にするでないぞ! いくぞ弥八郎!」


「はッ!」


 走り去る頼廉と正信の背を見ながら幹円は動揺する心を静めるべく深呼吸をする。


「葉円……」


 幹円は義絶した葉円の名を呟くと、両手で頬を叩く。


「何日持たせられるか……? ようし! 門徒達よ! 旗を立てよ!!」


 その号令に呼応して、筵に殴り書きされた『進是極楽退是無間地獄』の旗が立ち並ぶ。


「唱えよ! 南無阿弥陀仏!」


 獣の咆哮の如く幹円の号令に従い、信徒達も一斉に念仏を唱え気炎を上げる。

 斎藤軍にもその呪詛の如き念仏は届いたのか、遠く眼下で鎧の擦れる音が響く。


「まさに進是極楽退是無間地獄よな。いや……最早、退くも進むも同よな……!」


 幹円は、眼下で慌ただしく動く斎藤軍を睨みつけながら、浄土に行く事を諦めたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ