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外伝3話 斎藤『姫鬼神』帰蝶

 この外伝は2章より以前の天文14年(1545年)の帰蝶が信長より半年前に転生した頃の話である。


 10歳の少女と30代の武将が屋敷で激論を繰り広げていた。


「―――!?」


「―――!!」


 どうやら美貌の少女が大の男を論破しそうな勢いである。


「―――そんな訳でして、織田家との同盟は不可欠なのです!」


「わ、解り申した……。(しかし惜しい。我が家に迎えられないのが本当に惜しい!)」


「何か仰いましたか!?」


 ギロリと少女が睨んだ。


「い、いえ!(しかしこれが先日まで臥せっていた者の覇気なのか!?)」


 少女の眼光に圧倒されてしまった男が冷や汗をかいている。

 男の名は美濃斎藤家に名を馳せた美濃三人衆が一人の氏家直元(うじいえなおもと)氏家卜全(うじいえぼくぜん))。

 少女の名は帰蝶。

 つい先日謎の病状回復から織田家との同盟を宣言し一騒動起こした斎藤帰蝶である。

 帰蝶は直元の屋敷を出て馬に揺られながらため息をついた。


《ファラ……。私、疲れちゃった》


《あともう少しですよ!? 頑張って! やっと美濃三人衆の一角を崩したのです! 諦めたら誰に嫁ぐか解らない上に歴史が無茶苦茶に!》


《斎藤家を出奔しようかしら?》


《えぇ!?》


《冗談よ。父上達を裏切る訳にはいかないわ》


《それなら良いですが……》


《でも、ストレスで疲れたのは本当よ? 会う人会う人に求婚されたり、嫁入りを打診されたり断る身にもなってよ!》


 帰蝶は快気祝いの宴会の席で信長との婚姻同盟を宣言した後、斎藤家一同の予想外の猛反発にあってしまい、宴会の場では一旦案を引き下げて、その後、連日個別に家臣宅に訪問し同盟の締結の重要性を説いていた。

 ただ、元々誰がどう考えても織田家との講和が必要だった時期に当主の姫が嫁ぐので、文句の付けようの無い妥当な人選であり、戦略であり、双方納得の益があった。

 だから、その線で議論すれば論破は難しくない。


 だたし、それは通常ならばである。


 復活した帰蝶は生命力溢れ神々しいまでに華やかであった。

 家臣達は自分に嫁ぐか息子の嫁に願った。

 故にのらりくらりと議論をそらし、隙あらば『そうそう、珍しい物を手に入れましてな』などと露骨に話題を変えて自分や一族との婚姻の話に持っていこうとするのである。


 帰蝶にとっては論破は簡単なのだが、とにかく時間が必要で求婚をやんわり断る気遣いが必要な、苦痛極まりない説得作業であった。


《竹中半兵衛殿に相談してはどうでしょう? 後世にも伝わる知恵者の手を借りれば楽勝じゃないですか?》


《竹中殿って……ファラからみれば私達の時代なんて戦国時代と一括りにできるのでしょうけど、確か彼は今はまだ幼児よ?》


《あっ……》


 そんなテレパシーをしつつ帰蝶は自分の屋敷に帰って行った。


 一方、氏家直元の屋敷では5人の男が集まっていた。

 斎藤利政(道三)、斎藤義龍、稲葉良通(いなばよしみち)安藤守就(あんどうもりなり)、最後に、家主の氏家直元である。

 じつは氏家直元以外の4人は隣の間に潜んで、帰蝶と直元の論戦に聞き耳を立て、心の中では一生懸命直元を応援していたが、結果は敗北であった。


「殿! 申し訳ございません! やはり理詰めで攻められると、反論はできません!」


 直元が頭を下げて謝罪する。


「うむ……。隣の間で聞いておったが、ワシでも無理かもしれん。次の標的は……伊賀守(安藤守就)か? 論破する自信はあるか?」


「ありませぬ!」


 自信たっぷりに守就は答えた。


「彦六郎(稲葉良通)はどうじゃ?」


「この斎藤家で殿以上の論客はおりませぬ!」


 利政に無理なら誰もできないと良通は暗に言った。


「新九郎(義龍)、なんぞ手は無いか?」


「むむむ……!!」


 義龍は腕組みして考えるが、どう考えても無理であった。


「ダメか……。美濃を奪った時もこれ程は悩まなかった気がするわい……」


「殿、とりあえず明日は某が時間を稼ぎまする故、対策を何とか立てて下され!」


 あらゆる有力家臣が帰蝶に蹴散らされ、最後の砦である美濃三人衆の一角まで攻略されたので守就も悲壮な覚悟で言った。


「うむ! お主の覚悟無駄にはせぬぞ!」


 こうして、夜遅くまで利政達は帰蝶対策を練ったのであった。


 翌日―――

 安藤守就は悩みに悩んだ。

 大口を叩いたのは良いが良い手が思いつかぬ上、次は自分が蹴散らされると思うと身震いした。


「論破は無理でも、美濃三人衆の名に掛けて時を稼がねば……。しかしどうする!?」


 帰蝶を織田家に持って行かれたくないのは勿論あるが、斎藤家家臣一同が蹴散らされている現実が、面子問題にまで発展していた。


「どうする!? どうすれば!? ――――ッ! ―――これじゃッ!?」


 不意に雷鳴の如く閃きが脳裏に浮かび、ギリギリで一計を案じた守就は帰蝶との会談に臨んだ。

 とは言っても論破する自信は全くない。

 どうにか時間を稼ぐ事だけに特化した、言わば戦における撤退戦の殿と同様であった。


 一方、すでに会談の間に通されている帰蝶は、気合を入れ直して守就を待っている。


《さぁ! 美濃三人衆2人目! 攻略するわよ!》


《頑張ってください!》


「帰蝶様、お待たせしました」


 側近が守就の来着を告げた。

 襖が開き足が入る。


(ん? 何か明るい雰囲気がするわね?)


 確かに若干明るい襖の奥は何となく帰蝶の興味を引いた。


(白い足袋、え? 袴が白……!?)


 さらに続いて上半身が入る。


(裃も白!?)


 そう。

 安藤守就は白装束で帰蝶の前に現れた。

 若干明るい雰囲気とは、白装束が光を反射してそう見えたのだった。

 白装束とは死に装束。

 死人が着ていれば葬儀においての死者の服。

 生きたまま着る場合は、これから切腹などで死ぬ場合や、死を覚悟して物事に臨む場合である。


 安藤守就は死を覚悟して帰蝶との会談に臨んだ―――訳では無くてハッタリである。

 少しでも帰蝶を動揺させ、怯ませる事が出来れば儲けモノと考えた末の作戦である。


《何故白装束なんか? 目的は何なの!?》


《何かは解りませんが、十分注意して慎重に行きましょう!》


 帰蝶とファラージャが警戒している。

 そんな帰蝶をみて守就は策が成った事を悟った。


(フフフ! 帰蝶様! 今まで家臣たちを論破し続け、美濃三人衆の直元を破ったのはお見事! しかし奴は三人衆の中でも下っ端! ワシは直元程甘くはありませぬぞ?)


 別に美濃三人衆に序列は無い。

 ただお互いをライバルに思っているだけである。


「さて帰蝶様。本日はどの様なご用件でしょうか?」


《クッ! そんな格好して要件に心当たりが無い訳ないでしょう!》


《さすが美濃三人衆ですねー。解っていながらその態度。太々(ふてぶて)しいと言うか何と言うか……》


 憤慨する帰蝶と感心するファラージャであった。


《ソッチがそのつもりなら……いきなり核心を突くわ!》


「私と織田家の婚姻の件です。安藤様はこの件に関しては反対ですか?」


「(ぬぐ! しまった! せっかく機先を制したのに、もう互角に持ち込まれた!)は、ははは……急いては事を仕損ずると申します。まずは茶でも如何かな? ……持って参れ!」


 守就が手を叩くと小姓が茶と茶菓子を持ってきた。

 まだ茶道が広まる前なので、茶は既に完成され運ばれてきた。


《露骨な時間稼ぎですよ!? どうします帰蝶さん!》


「《決まっているわ! こうするのよ!》いただきます…………ごちそうさまでした!《熱い! マズイ!》」


 帰蝶は茶を一息に飲むと、茶菓子を口に放り込んだ。

 ちなみに帰蝶は茶が苦手であった。

 病気で臥せって居た頃、薬として父が入手した茶を飲んでみたが、余りのマズさに体力を奪われ寝込んだ事があった。

 未来の世でも改めて茶道を勉強したが、苦みと気持ち悪さで逆に茶道を嗜む男たちを『よくもあんなマズイ物を喜んで飲むわね!』と尊敬したのは別の話である。


(クッ! 時間を掛けぬ算段か!)


「《フフフ! 安藤様! 次の手が無いのであれば私から行きますよ?》安藤様。急いては事を仕損じるのは解りますが、時は金なり、とも言います。のんびりしていると織田家が今川と手を結ぶ事も考えられます故、この婚姻同盟は急ぐ必要があるのです」


「クッ!(痛い所を突きなさる!)そうですな。しからば……某の装いについて……」


 守就はこの期に及んでなおも話題をそらそうとしている。


「反対の理由はございますか!?」


 帰蝶は『そうはさせん』とばかりに話を遮って決断を迫る。


「あ、ありません……」


「さすがは安藤様。素晴らしい決断です。では私はこれにて失礼いたします」


 この場にいて引き延ばしをされてはたまらぬと、帰蝶は早々に立ち去り、後に残ったのは白装束に話題を持って行けず、ションボリした安藤守就だけであった。

 帰蝶が出て行った反対の間には例によって斎藤利政、斎藤義龍、稲葉良通、氏家直元が揃っていた。


「伊賀守がやられた様だな……。せっかく白装束まで着込んだのに、話題に触れても貰えぬとは……」


 義龍が無念そうに言う。


「はッ! 奴らは美濃三人衆の面汚し! 某が必ずや帰蝶様の進軍を食い止めて見せましょう!」


 辛辣な言葉を良通が吐いた。


(クッ!)


(この野郎!)


 先に撃破された直元と守就がワナワナと震えるが、実際帰蝶に手も足も出なかったので言い返せない。


「ほう! 何か策があるのか!?」


 利政が自信を覗かせる良通に驚いて尋ねる。


「少々危険な手ではありますが、これなら間違いありますまい! 明日を楽しみにしていて下され!」


 良通は不敵な笑みをして自信たっぷりに答えた。


 翌日―――


「帰蝶様が参りました!!」


 厳戒態勢の良通の屋敷には、斎藤親子、美濃三人衆の二人の他、帰蝶に敗れた家臣が勢揃いしていた。


「殿! 最早これしかありません!」


 良通は自信たっぷりに言う。


「え。そ、そうなのか? ……それしか無いのか?」


 良通の格好をみて半信半疑の利政は疑問に思う。


「いや、これは……父上! もはや理屈ではあ奴は止められぬでしょう。これは案外いけるやもしれませぬぞ?」


 一方、義龍は良通の策に好意的であった。


(この相手の不意を衝く強烈な印象は、何かに使えるかもしれぬな)


 そんな考えの義龍をよそに利政は渋々許可をだす。


「そうか……。わかった。彦六郎よ、多少の事は目をつぶる故、見事果たして見せよ!」


(クッ! 彦六郎の頑固者に何ができるのか!)


(奴は美濃三人衆の一番の格下! 結果は見えておるわ!)


 既に敗れた安藤守就、氏家直元はどうする事も出来ず、良通を呪っていた。

 誤解のないように書くが、この3人は仲が悪い訳では無く、普段はむしろ協力的である。

 ただ、自分こそが三人衆筆頭であると信じて疑わないだけである。


 一方、稲葉屋敷の門前に立つ帰蝶は、まるで道場破りの様な雰囲気であった。

 門番が帰蝶に応対する。


「お待ちしておりました。殿はすでに準備が済んでおりますので、こちらへどうぞ」


「え……準備?」


「はい。準備です」


《これは……稲葉様も何か手を打ったようね!》


《うーん、なんでしょう?》


 そう言った門番は帰蝶を奥の間に連れていき、女中達の手で着替えさせられた。


《こ、これは!》


《なるほど。解りやすい手ですね!》


《よーし、やったろうじゃないのよ!》


 こうして帰蝶は庭に案内された。


「帰蝶様、本日はようこそおいで下さいました」


「いえいえ、稲葉様に時間をとらせてしまい申し訳ありませぬ。ところで……」


「この甲冑姿についてですな?」


「ッ! そうです」


「某、殿や安藤、氏家等の様に巧みな弁舌は備えておりませぬ。それ故、武芸にて判断仕る!」


形振(なりふ)り構わないって言うのは、こういう事を言うのかしらね?》


《大の男が舌で負けるから武で従わせようって……情けないのか必死なのか……》


「《まあ良いじゃない! 臨むところよ!》それは……一本とれば認めると言う事でしょうか?」


「もちろん一本とれば文句無しですが、健闘次第では認めるのも(やぶさ)かではありませぬ」


《あれ?》


《情けない策の割には判定基準は甘いですね?》


 稲葉良通は、頑固な頭で考えに考え抜いた結論と策を実行している。

 正直なところ、女一人の身で家臣の大半を説得した胆力と弁舌は素直に称賛しているとは言え、織田家、ましてや『うつけの信長』に嫁ぐのは心配である。

 しかし、主君の意向も無視できないので、時間は稼ぎつつ、己の立場も守りつつ、帰蝶には頃合いを見計らって折れた振りをする。

 これが稲葉良通の策であった。

 言わば、積極的な消極策である。

 だれが見ても『これなら仕方ない』と思わせる己の立場を演出する為である。


(ぬぅ!? 姑息な手を!)


(三人衆に有るまじき卑劣な手よ!)


 安藤守就、氏家直元は瞬時に良通の策を見破り歯噛みした。


(フン! ワシを頑固と侮ったお主等が悪いのじゃ!)


 そんな二人を勝ち誇った目で見る良通である。


「織田の嫡男は大層なうつ……型破りな方との話。武芸の心得無くば、夫婦仲に亀裂が入りましょう。そうなれば折角結んだ同盟が台無しになり申す」


 それっぽい事を言って話のまとめに入る良通。


「わかりました。話が早くて助かります」


 帰蝶は礼を述べて刃の無い槍を受け取った。


「いつ始めますか?」


「いつでも」


「では……」


 と、言うが早いか全身のバネを使い、一瞬で間を詰めた帰蝶は良通の兜の立物(飾り)を弾いた。


「ッ!?」


「何!?」


「え!?」


「なんと!?」


 三人衆や家臣達は驚いて立ち上がった。

 利政や義龍も影からコッソリ覗いていたが同様に驚いた。


(こ、これは一体!?)


 良通は焦りに焦った。

 所詮は女で、しかも子供。

 更には病み上がりであり、これ以上無い位に良通は油断していた。

 もちろん、油断と言っても最低限に子供を相手にする位の心構えはしていたが、帰蝶の動きが予想外過ぎたのだった。


「ありゃ、勢い余っちゃったわ……」


《帰蝶さん、落ち着いて! 訓練を思い出して!》


 帰蝶は信長がフライングして旅立った5年間で、暇を持て余すあまり、武芸の訓練を未来式で行っており、その甲斐あって雑兵程度なら造作もない腕前を既に持っていた。


「よーし、次は……」


「なッ!?」


 その言葉を聞いた良通は慌てて体勢を立て直す。

 ボンヤリしていた己に喝を入れる。


(こっ、これが10歳の少女の動きか!? こんなバカな!? ッ!? 奴らの前で恥を晒す訳にはいかん!)


 横目で安藤守就、氏家直元を見ると、非常に悪い顔でニヤニヤ笑っている。


(いいぞ帰蝶様! やってしまえ!)


(無様に負けてしまえ!)


 とでも言っているのが明白に解る顔であった。


(クソッ! これは大誤算じゃが、しかし負ける程ではない! ―――ッ!?)


 そう言って正面を見ると帰蝶の姿がない。

 目線を切った一瞬で帰蝶は側面に周り込んでいた。


(どこに……っ! 左か!)


 僅かな気配を察知し、恥も外聞もなく良通は前方に飛び込んで、間合いを開けた。

 ちょうど良通の右側に周り込んでいた帰蝶は槍を払っており、もし良通が軽く飛びのく程度なら背中を強打していたハズである。

 この辺りは何度も戦場から生還している良通ならではの判断であった。


 槍を正面に構え直して良通は帰蝶に問いかけた。

 その視線は真っ直ぐに帰蝶を捉えており、油断や隙は全く無い。


「姫様。一体どこで、いつの間に武芸を学ばれたのですか?」


「え!? あっ、えっと、病気で……臥せって居た頃に頭の中で想像してました。元気になったらこうしてみたいな、とか」


 未来式超特訓とは言えないので、病気だった頃の妄想とごまかした。


《どうしよう!? 稲葉様は生粋の武人。最初の油断だけが勝機だったのに!》


《プランBで行きましょう!》


《プランBって何よ!?》


《ほら、もう一つの達成条件って、危ない!》


 急に隙だらけになった帰蝶を見て、良通は胴に槍を突き入れた。

 ファラージャの注意もあって何とか避ける帰蝶。


「ほう、アレをあの状態から躱すか! ならばこれは如何かな!?」


 若干目的を忘れかけている良通は、本気で帰蝶を倒しにかかっている。

 予想外の武辺振りに武者魂が触発された様である。


「わっ! ぬぬぬ!!」


 帰蝶はあっという間に防戦一方に追い込まれてしまった。

 そのうちの捌き切れなくなった一槍が帰蝶の胴をついて勝負は決まった。


「帰蝶様、勝負には敗れましたがお見事。また……」


「次は剣で勝負です!」


「え」


 そう言って帰蝶は木刀を小姓から奪い取り良通に手渡した。


「き、帰蝶様、剣も扱えるのですか!?」


「当然です! 行くわよ!」


 また帰蝶と良通の壮絶な戦いが始まった。

 ただ、やはり生粋の武人には一歩及ばず打ち負かされた。


「剣の腕も見事な……」


「次は弓です!」


「え」


 そう言って帰蝶は弓を準備した。


「10本射ってあの木に何本当たるか勝負です!」


 帰蝶も当初の目的を忘れかけている様で、熱くなっていた。


「弓まで扱えるとは……良いでしょう!」


 良通も楽しくなってきており快諾した。


 先行は帰蝶で10本中8本を当てた。

 帰蝶は悔しがっていたが熱くなった分手元が狂ったようである。

 しかし良通を含めた家臣たちは一様に驚いている。


 弓は構えるのも、狙うのも、飛ばすのも、当てるのも、相当の熟練が必要な武器である。

 槍や刀は扱えても弓はさっぱり、と言う武士も珍しくない。

 集団に射るならともかく、狙って当てるのは至難の業であり、そんな弓を10歳の少女が10本中8本も当てたのは驚天動地の才能であった。


(なんと見事な腕前であるか!)


 良通も見学者も感嘆していた。

 帰蝶の番が終わり、今度は良通の射撃が始まった。

 良通はらしくない緊張と動揺のあまり、9本中8本しか当たっていない。

 むしろこれでも文句ない腕前であるのだが、武人としての誇りが負けるのを許さなかった。


 だが―――


(帰蝶様はそこまで織田家に嫁ぎたいのか? 斎藤家の為にここまで行動なさるのか?)


 つい邪念を抱いた良通の最後の一本は、木の脇を通過して壁に当たった。


「助かった! 引き分け! さあ、次は組打ちで勝負―――」


「いや、もう結構にござる。帰蝶様には負けました。某に反対する意思はござらん」


「えー……やっと調子が出てきたのに……」


 完全に目的を忘れた帰蝶は文句を言った。


「帰蝶様、その辺で宜しかろうと存じますぞ」


「そうです。彦六郎めは、若い帰蝶様の熱意に感じ入ったのですぞ」


 安藤守就、氏家直元が狙いすました良いタイミングで割り入り、良通は最後の最後でオイシイ場面を取られた形になってしまった。

 憮然とする良通は帰蝶に告げた。


「あとは殿と新九郎様だけですな。ご武運お祈り申し上げます」


「仕方ない……まあいいか! ありがとうございます!」


 帰蝶は組打ちを披露できなかった事を残念に思いつつ、馬を駆って屋敷を後にした。


「騎馬もできるのか……。しかも手綱を握っておらぬし……」


 美濃三人衆は、帰蝶の武辺振りに何度目か忘れる驚きの言葉を吐いた。

 見守る家臣たちは誰とはなしに『姫鬼神』とつぶやいていたのだった。


 良通が帰蝶を見送って、姿が見えなくなるのを確認すると我慢していた文句を言いだした。


「ところで! お主等割って入る機会を狙っておったのか!?」


 良通が二人を睨む。


「ククク! お主ばかりに良い格好はさせぬぞ?」


 守就が嫌らしい笑みを浮かべた。


「そうじゃ! 少しはワシらにも見せ場を作って貰わねばな!」


 直元も追随して守就に乗っかる。


「ぬぅ! 卑劣な!」


「フハハ! 何とでも言うが良いわ!」


「だいたいワシらが止めねば、組打ちで負かされておったかもしれぬぞ? 感謝してもらいたい位じゃ!」


「言わせておけば……!」


「まあ、良いではないか! あとは酒でも飲んで話そうではないか! 知っておるぞ? 良い酒を手に入れたそうじゃな?」


「なんで知っておる!!」


「おぉ、それは馳走にならねばなぁ!」


 美濃三人衆は文句を言いながらも、仲良く屋敷に入っていった。


「ところで……最後の矢はワザと外したのか?」


「む、うむ。姫様の熱意に負けてな」


「本当か? 頑固者らしくないのう? 気持ちは解る故正直に申せ!」


「やかましい!」


 良通の時間稼ぎの策は、結局何の稼ぎもできなかったが、良通の面子だけは保った形になった。

 影から覗いていた利政と義龍は、とうとう全ての家臣が突破され後が無くなった事を悟った。


「あそこまでの腕前を見せられては、許可する気持ちもわかるが……帰蝶の武芸は並の才能では無いな……」


「確かに……それならば薙刀を渡して……」


「何か言ったか?」


「あ、いえ、どうやら帰蝶の提案を断るのは至難の業。ならば別の手を考えようかと思った次第で」


「ほう、例えば?」


「婚姻前に織田家と会談を行って、実物の()()()を見てみるのはどうでしょう?」


「なるほど! 帰蝶が無理なら『うつけ殿』の弱点をさがすのじゃな! 名案じゃ! お主、武辺ばかりかと思っておったら以外に冴えとるのう!」


「これも斎藤家の為なれば」


 利政は義龍の新たな一面をみつけて素直に感心した。

 史実では相反する二人が和解する切っ掛けが、利政と義龍の中に芽生えた瞬間であった。

 一方、義龍は義龍で、今日の稲葉良通の策を自分なりに組み立て直していた。


「甲冑姿は悪くないな……」


 義龍の考えが、後の正徳寺の悲劇に繋がるのは本編9話での話である。

 一方帰蝶は馬に揺られながら、ファラージャとテレパシーを行っている。


《今日はいい運動になったわー。弁論ばかりで飽きてたのよねー》


《転生してから今日が一番はしゃいでましたよね? 負けたらどうするつもりだったんですか?》


《そりゃ認めてもらうまでやるだけよ? 上様と婚姻できなきゃ、何の為にやり直してるのかわからないでしょ?》


《そりゃそうですね。でもここまで本性表して良いんですか? 良い子に過ごす事も出来たでしょうに》


《ファラ。私は48年間ほぼ寝たきりだったのよ。大人しくってのが無理よ。未来の世界も凄かったけど、今の戦乱の世も私は愛おしいわ。前世では叶わなかった手助けが出来るのよ? だったら全力で動いて体感して失敗して改善して生き抜いて見せるわ! 一緒に転生した以上、上様におんぶに抱っこなんて私が居なくても良いじゃない? 私は嫌よ! 大丈夫! 上様は私程度の諸問題なんか軽く対処してくれるわ!》


《信頼しているんですねー。うらやましいです! 歴史を変えるには、それぐらいエネルギッシュの方が良いかもですねー》


《ところで、ファラにはいい人はいないの? 5年間そんな話一切なかったけど……》


《き、急に何を……》


 帰蝶は未だ出会えぬ信長に思いを馳せファラージャを問い詰めつつ稲葉山城の自室に戻っていった。



 なお、後に斎藤家の史記に記される『帰蝶の美濃三人衆説得』は、平穏無事に行われたと記されている。

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