24話 生駒吉乃
【尾張国/那古野城 織田家】
「三郎様(信長)、やはり美濃へと続く街道の出発点はこの那古野がよろしかろうと存じます」
信長と明智光秀、生駒家宗は那古野城下を視察していた。
街道整備の為の下調べの為である。
その出発点を那古野が良いと勧めるのが、武家でありながら商人でもある生駒家宗である。
生駒蔵人家宗―――
生駒家宗は尾張内乱の折、織田信清に属し信秀と敵対していた。
ただ、織田弾正忠家に反感があった訳では無く、信清の無謀な決起に巻き込まれただけである。
当然と言うべきか、勝ち目の全く感じられなかった家宗は犬山城大脱出の時に信清を見限り脱出した。
その後は元通り信秀に仕えており、今日は美濃との通商に関しての通達を聞く為、那古野に来ていた。
ちなみに生駒家宗と信長は旧知の仲である。
どれ位の仲かと言えば、信長は元服以前より、つまり転生する以前より商いに興味を持っており、藁灰(染料)、油、馬借(運送屋)を手掛ける生駒家に入り浸って独自に学び情報を集めていた。
商いに魅力を感じていたし、しかも商人の情報網は間者に匹敵し、何よりも大きな理由があったからだ。
家宗は家宗で、早くから信長の才能を見抜いており、商いを教え、財力をもって親衛隊を支援していた一人で、まだ何も力の無い信長が親衛隊を維持できた裏に生駒家の力があったのだ。
むろん、下心もある。
そこは乱世における冷徹な生き残り戦略を生駒家当主として信長に賭けた。
腐っても織田家後継者の一人。
中国戦国時代の秦の呂不韋の様に『奇貨居くべし』を実践する事にしたのだ。
奇貨過ぎて後継者レースの大穴だった信長を、信秀以外で唯一理解し一点張りした人物である。
ただ、冷徹な判断は勿論あるが、基本的には信長の才能に魅了された故の善意があってこそであった。
その家宗が商人らしい確かな眼で、那古野出発点の利点を述べる。
「この那古野は海も熱田も津島も近く、将来的には東側の三河、西側の伊勢や京を視野に入れれば、物流の大集合地点に発展する可能性を秘めていると思います」
「さすがは蔵人じゃ。よし十兵衛よ、那古野を始点とした美濃への街道計画と将来を見据えた東西への街道の備えを計画し実施せよ。美濃の平手達と連携して取り掛かるが良い」
「はっ!」
光秀に指示を出した所で家宗が話題を変えた。
「ところで三郎様、ここ2年程はやはり忙しいのですかな?」
「う、うむ、戦や諸事で忙殺されておってな。中々生駒の屋敷に通えぬのよ」
信長は転生後生駒の家に通えずにいた。
もちろん、通おうと思えば時間は作れたが、吉乃とどう接するべきか迷ったからだ。
生駒吉乃―――
生駒家宗の娘である吉乃は、史実にて信長の側室になり、信忠、信雄、五徳姫を生んだ後、産後の肥立ちが悪く亡くなった。
しかも史実では病弱な帰蝶よりも早くに亡くなっている。
男の信長にはどれだけ想像しても解らなかったが、出産とは合戦に匹敵する命がけの行為である事を、吉乃の死を通じて学んだのだった。
最愛の女性である吉乃を失う悲しみ、転生し再び会える喜び。
そう、生駒吉乃は信長にとって最愛の女性であった。
前述の『何よりも大きな理由』とはこの事である。
一夫多妻の時代と乱世なので現代と価値観は違うが、信長は帰蝶や他の側室も愛したが、吉乃は一目惚れから戦国時代には稀な両想いになり、政略的な思惑よりも恋愛面が強い奇跡的な婚姻は信長にとって掛け替えのない物であった。
その思いが強すぎて息子の信雄、信孝に影響がでて手痛い失敗もしたのは、もう少し未来の別の話である。
だからこそと信長は思う。
今回も出会いたい。
十数年ぶりに会える奇跡を喜びたい。
しかし史実通りに婚姻し子供を産めば死ぬ可能性がある。
だが、信忠、信雄、五徳の存在を消して良いのか?
そんな強烈なジレンマにより、生駒家から自然と遠ざかってしまっていた。
《会わない訳にはいかぬ……のであろうな……ファラ?》
《そうですね……。そんな真剣な面持ちの所を大変申し訳ないのですが……えーと……帰蝶さんが……少々……》
そこに家宗の家臣が飛び込んできた。
「殿!! 一大事です!!」
家臣の顔は青い。
「何ぞあったのか?」
「それが吉乃様に近づく不審者を捕らえたのですが……」
「なんじゃと? この那古野でか?」
家宗は人攫いの類かと思ったのだが、治安維持の行き届いている那古野城下町で、白昼堂々の犯行には違和感を感じたし、その報告は信長にとっても青天の霹靂であった。
「何!? 吉乃が来ておるのか!?」
「は? はい、実は三郎様に会いに行くと聞かず……ん? どうした?」
動きの鈍い家臣を不審に思い家宗は尋ねた。
「それが……あの、その……某が見るにその不審者、よくよく思い出してみると、どうも濃姫様? とおぼしき姿形だった気がします……」
「は? 何を言っておる? 不審者が女? しかも濃姫様!?」
違和感が的中して顔をしかめる家宗。
(ワシの家臣が主君の息子の嫁を不審者として捕らえる? 何じゃそりゃ? 状況が理解できぬし、事実だとして、濃姫様が不審者と間違われる様な状況で、吉乃に近づく事も理解できぬ……いやまて? 確か……)
家宗は自分の家臣が帰蝶の正体、いわゆる『姫鬼神状態』を知らない可能性がある事に気づいた。
一抹の不安を覚えつつ、帰蝶とよく似た他人である事を家宗は願う。
(いや! 恐らくよく似た遊女の類であろう! 濃姫様の姿形は何時でも騎乗できる男装のはず!)
「……その不審者の衣服はどんなだ?」
思い切って聞いてみる。
家宗の質問の意図を察した家臣は苦しそうに答える。
「……騎乗に適した……男装です……」
《ファラ! さっき言ってたのはこの事か!?》
《……そうです》
信長は一抹どころか十抹ぐらいの不安を覚えた。
「……蔵人! 十兵衛! 急ぐぞ!」
「はっ!」
駆け足で現場に向かう信長一行であった。
「だーかーらー! 何度言わせるのよ! 人攫いでも間者でもましてや女衒でもありませんってば!」
街中の一角には人だかりが出来始めていた。
「姫鬼神様がまーた何かやっとりゃあす?」
「娘っ子に手を出したんだがね」
「じゃあ、あのお侍さん達は那古野の外から来たんか。じゃあ仕方にゃあて」
遠巻きに、いつもの事であると町民たちはイベントを楽しんでいた。
「ではお主は何者じゃ? 馴れ馴れしく吉乃様に近付いた挙句、手を取りどこに連れて行こうとした?」
「そ、それは……その、懐かしくてつい……」
「あのー……私はあなた様を存じません。もし本当に濃姫様ならば申し訳無いのですが、人違いでは無いのですか?」
イマイチ状況を把握できていないのか、のんびりと吉乃が答える。
一応、帰蝶である可能性は考慮しつつ、その姿形からイマイチ信じられず人違いかと思っている。
「こう仰られておるぞ?」
「そ、それは! 存じないのは当然なのだけど……」
「お主、自分が何を言っているのか解っておるのか? そもそも! その恰好! 女だてらに何と言う格好をしておるのじゃ。しかも濃姫様を語るとは不届き千万!」
そう言って武士は刀に手をかけた。
「え、ちょっと本当に私は……」
「お、お侍様方、その方は本当に濃姫様だでよ!?」
さすがに刃傷沙汰はマズイと町人も止めに入る。
《ちょっと! 死因が不審者扱いによる誤認って嫌すぎるわよ!?》
《帰蝶さん! 迂闊過ぎますよ!? そもそも、寄りにも寄って『懐かしい』って! 不審者に見られて当たり前です! 人生をやり直しているのを忘れたんですか!?》
《つい……》
《つい!? このまま死んだら説教です!》
《説教も嫌だけど、そんな死因が『信長公記』に載るのはもっと嫌よ!?》
《知りません!》
帰蝶は不毛なやり取りをファラージャと続けた。
一方、武士は鯉口を切ろうとした所で大声が割って入った。
「待てーーーいッ!!」
まさに危機一髪だったと言えよう。
「はぁはぁ……っ!!」
「ぜぇぜぇ……っ!!」
「殿! この濃姫様を語る不審者を捕えた所でして……」
家宗は息を切らせながら帰蝶をみる。
「(あ、危なかった!)お、お、お主ら、そのお方は三郎様の奥方、濃姫様じゃ……!」
「え!? しかし……あ、これは三郎様! こちらの方は濃姫様で間違いないのですか?」
「……気持ちは解るが……そうなのじゃ」
信長は『違う』と言ってしまおうかと一瞬考えたが止めた。
「た、大変な失礼を致しました! 知らぬ事とは言えどう償えばよいか!!」
家宗の家臣達は平謝りだ。
「案ずるな。恐らくは於濃の暴走が原因であろう?」
「暴走って……! 私は三郎様の……いえ、解って頂けたなら大丈夫です。こちらこそ無用な揉め事を起こし申し訳ありませぬ……」
「と言う訳じゃ。どちらかと言うと於濃に非があろう? こんな姿形であるが……何と言うかこ奴は市井を巡るのが趣味でな。こ奴なりに尾張を想ってくれて行動しておるのよ」
「そ、そうでしたか!」
「蔵人、この者達を罰する必要は無い。むしろ当然の行為である。良い家臣であるな!」
「は! 有り難きお言葉! お前たち、そう言う訳だから下がってよいぞ」
「は!」
家宗は冷や汗をかきつつ家臣を下がらせた。
一方、明智光秀は帰蝶の暴走をどうしたものかと悩んでいる様であった。
(何か……斎藤家に居た頃より活発になっておられるのか?)
そんな光秀をみて信長は念を押しておく。
「十兵衛よ。斎藤家には報告しなくて良いぞ?」
「は……はい。あの……濃姫様はいつもこの様な調子なのですか?」
「……まぁな(親衛隊訓練を見せたら十兵衛は卒倒するやも知れぬ……)」
「屋敷に戻ろうか。そこで詳しい話を聞こう」
《於濃! 話してもらうぞ!?》
《わかっております!》
光秀はそのまま那古野を調査する為に別れ、信長達は屋敷に戻った
「さて……まずは、暫く顔を見せる事が出来なかったが、変わりは無いか?吉乃」
「はい、信様もお変わり無く、吉乃は嬉しゅうございます!」
顔を赤らめながら両手で口元を抑え嬉しそうに吉乃は話す。
《転生も悪くないな……》
鼻の頭を掻きながらかつて死別した吉乃を懐かしく思った。
《もう! 気持ちは解りますけど私もいますよ!?》
「くっ……! 於濃よ。もう知っておろうが、此方は生駒蔵人の娘である吉乃じゃ。吉乃、この男装の不審者は美濃は斎藤家の姫でワシの妻の於濃じゃ」
「不審!? もう! あー、コホン。吉乃様、先程は本当に失礼をしました。いつか吉乃様にお会いしたいと思っていたところ、思いがけず出会えてしまい取り乱してしまいました。申し訳ありません」
帰蝶は謝罪したが、服装と行動に似合わぬ作法に吉乃は興味をもった。
先程までは間違いなく不審者だったからだ。
「あ、いえ、凄……少し驚きましたけど、私も1度お目通りを願っておりましたので丁度良かったと思います。しかし、1度もお会いした事が無いと記憶しておりましたが……あの、どこかでお会いしましたでしょうか?」
若干スローペースの吉乃は小首を傾げて吉乃は尋ねる。
そのしぐさが、どことなくフワフワとした印象を受ける。
《帰蝶さん! 転生とか未来とか言わないで下さいよ!?》
《わかってるって!》
《頼むぞ!? 本当に!》
「いえ、えーと、お会いした事はありません。はい。あっ、そうそう、三郎様に聞いていた特徴と一致して確信した次第です。そうなんです!」
「まぁ! それは驚きの決断力でございますね! 凄いです!」
吉乃は素直に驚いている。
「……於濃よ、吉乃に何か用事でもあるのか?」
信長は自分が避けていた吉乃に帰蝶が用事がある理由を図りかねていた。
「あります! 大ありです!」
フン、と鼻息をたて帰蝶は答える。
「それは何で御座いましょうか?」
吉乃も帰蝶の振る舞いや存在感のギャップに増々興味を惹かれて身を乗り出す。
「吉乃様……織田家に、三郎様に輿入れするつもりはありませんか?」
「なんじゃと!?」
「……輿入れ……えっ!?」
「濃姫様!?」
帰蝶がとんでもない提案を言い出した。
「おま、お、お前は何を言っておる!?」
「何か不都合でも?」
「いや不都合は無いが、しかしだな!」
《私は知っていますよ? お互い想い合ってた事を。死なせた事を後悔してる事を。やり直す奇跡が起きたのです! このチャンスを逃す気ですか? 私も病気で伏せていた前世で吉乃ちゃんにはお世話になりました。今回はそのお礼がしたいのです! 死なせたくないのです!》
《……於濃》
信長は、もしかしたら帰蝶は自分を独占するかも知れないと思っていた。
戦国時代に限らず、一夫多妻の家は母親達が後継者争いを激化させる事もある。
逆に正室、側室一致団結して誰の子であろうと分け隔てなく育てる場合もある。
信長は前回での自分の妻達はどうだったか思い出す。
《前は帰蝶が病で伏せていて子供がおらんかった。吉乃は嫡男信忠を産んだ事により頭一つ上……だった気がする? ……いや、どうだったのだろう? 吉乃も早くに亡くなったし、序列は……わからん!》
《私の視点では、皆平等に私を気遣ってくれていましたよ?》
《お主は……良いのだな?》
《もちろんです! 特に信忠殿は本能寺のキーマンの一人ですよ? そうでなくとも、このまま吉乃ちゃんを迎えずに、信忠殿達の存在を消すつもりですか? それとも一番早く生まれた男児を信忠殿にしますか? ……私は吉乃ちゃんの子供に会いたいです!》
帰蝶が病弱だった前回は側室たちも色々尽くしたが、幼児の頃の信長の子供たちには随分元気をもらっていた。
帰蝶には信長独り占めといった欲は無く、家族一丸となって本能寺を乗り越えるつもりでいる。
なのに信長は自分に気を使ってるのか、または別に理由があるのか、中々吉乃に会おうとしない。
帰蝶にとってそれは困る。
本能寺の対策は勿論であるが、帰蝶はどうしても恩返しがしたいのだ。
ならば自分から切っ掛けを作るしかないと思い、偶然城下町で見つけた吉乃に迫ったわけである。
迫り方は0点であったが。
《解った。お主の心意気無駄にはせぬ。感謝する!》
《産後の肥立ちについては少しずつ対策して死亡を回避しましょう》
《すまぬ!》
「蔵人……いや生駒殿、吉乃殿。二人が良ければワシの織田家に迎え入れたい。如何であろうか?」
「吉乃様、私からもお願いします。貴女はきっと織田家に必要となる方です。順番の上では2番目の妻ですが、私にはそんな拘りはありません。どうかお願いいたします!」
家宗は返答に窮した。
個人的には信長とつながるのは生駒家にとって全く問題ない。
本来ならお願いしたい位だ。
ただ正室の帰蝶が頭を下げて願う、奇妙で前例も聞いた事も無い頼みに家宗は戸惑った。
正室が子供を産めぬ時に側室を貰うのは良くある話であるが、極めて健康体の帰蝶が、しかもこんな若い時期から側室を設けるのは聞いた事が無い。
「三郎様、私としては異論などありませぬが……」
とりあえず、それだけの言葉をやっとの事で絞り出して、後の言葉が続かぬ家宗は困って吉乃を見たが、吉乃は顔を紅潮させており、答えを聞くまでもない顔をしている。
「父上……私は……とても嬉しい……です! 信様と……結ばれる事をずっと……夢見ておりました!」
涙ながらに吉乃は快諾した。
「……そうか。解った。三郎様。生駒家としては断る理由がありませぬ。快諾いたします。少々世間知らずな所がありご迷惑をかけるやもしれませぬが……」
家宗は先程の騒ぎを思い出す。
吉乃が帰蝶に捕まったのは、家臣の不注意もあるにはあるが、吉乃は幼子の様に目を離した瞬間居なくなったり、世間知らずも相まってフラフラと蝶のように興味の魅かれるままに行動を起こしてしまう悪癖故であった。
(婚姻を機に変わってくれれば良いが……。三郎様とはお似合いかも知れぬ。濃姫様との相性も良さそうだ)
家宗は吉乃が信長を思っている事は知っている。
戦国の世故に思い通りに結ばれぬのが武家の習わしであったが、二人が魅かれ合っているなら問題ないと判断した。
むろん、生駒家のメリットは計算の内であるが、そんな無粋な事は心の奥にしまった。
「感謝する! 今日はいくら何でも急すぎる故、後日、日を改めて段取りを決めよう。於濃も吉乃もそれで良いな?」
「はい!」
二人の声は見事に重なり合った。
その後、年明けに正式に迎える事となり、帰蝶は吉乃は産後の肥立ち対策の為、連日連れ出し体力向上の為の訓練を行うのであった。
親衛隊にも混ざって訓練をしたが、いつの間にか姿を消す才能(?)を更に伸ばした吉乃は気配を消す達人として、親衛隊訓練に大いに役立ったのは別の話である。
3章 天文16年(1547年) 完
4章 天文17年へと続く