156-2話 斎藤龍興 憤懣
156話は2部構成です。
156-1話からご覧下さい。
【近江国東/今龍城(史実:長浜城)】
(早く! 一刻でも早く!)
一人先頭を駆ける龍興は、久盛と重治に自重する様に念入りに言われた傍から移動を始め、一足早く今龍城に到達していた。
「わ、若!? お早い到着で!?」
今龍城を預かっていた稲葉良通は驚くほか無かった。
予定よりも相当に早い龍興の今龍城到着。
しかも来たのは本人の他は馬周り衆数騎のみで、副将の仙石以下、主要武将は誰一人として随伴していない。
良通は不吉な予感を覚えた。
「……所で、仙石殿はどちらに?」
「仙石か? 奴は後続軍を率いておる。援軍諸将も同じだ」
まるで路傍の小石に対する興味の如く、何事も無かったかの様に龍興は言ってのけた。
良通の不吉な予感が肥大する。
「え!? それは、まさか……若単独ですか!? 斎藤領内とは言え大将たる者、気軽に軍を離れては―――」
「馬鹿を言うな。ちゃんと馬廻衆がおるわ」
「なッ!? う、馬廻衆だけ!?」
龍興にとって何もかも上手く行っていない状況故か、次期当主とは言え未熟な少年武将して良い態度ではなかった。
「馬廻衆なぞ―――」
馬廻衆は身辺警護が主な役目で、軍を率いている訳でも方針を定める立場でも無い。
重要な立場には違いないが、今必要なのは指揮官である。
従って、今の龍興は単騎と何ら変わり無い。
それを言おうとする良通の言葉を遮るように、龍興が強く言った。
「煩く申すな。直に来る。慌てるでないわ」
「……ッ!!」
良通は空いた口が塞がらなかった。
(小僧が何を抜かす!? 従って当然と思っとりゃせんか!?)
龍興の余りの横柄さに、稲葉良通は激高しそうになるのを辛うじて抑えた。
良通は道三、義龍の手腕や実力に対して忠誠を誓っているのであって、何の実績も無い龍興を立てているのは、良通の善意や厚意に他ならない。
戦国時代の忠誠とは、主家に対してではなく、主の実力に対してである。
家臣には主を選ぶ権利がある。
下剋上が蔓延る戦国時代に、見込みの無い主に馬鹿正直に従う者は愚か者だ。
それを理解していない気配のある龍興が話題を変えた。
「それよりもだ。近江の織田殿は六角の引付に成功しておるのか?」
信長は開戦と同時に伝令を送っていた。
従ってこの時点で信長は、まだ六角の謀略には気が付いていない。
ただ、コレを嫌な予感が肥大し破裂しそうな今、龍興に伝えて良いのか迷った。
だが、『言えません』とも言えなかった。
間違っても握りつぶして良い情報では無いし、言わなかったら更に悪い方向へ転がりそうな気がしたからだ。
「……。つい先ほど戦況を知らせる伝令により、大部分の引き付けに成功したとの報告が参っておりますが……」
「そうか」
(何故、そんな顔をする……!?)
龍興の顔は、策が上手く運んでいる状況に対する喜びの表情とは程遠い。
そんな良通の心配を足蹴にするかの様に、龍興は良通の悪い予感を上回る事を言った。
「よし……! では軍勢は整っておるな? 直ぐに出るぞ!」
「……は!?」
とんでもない事を言い出す龍興に良通は愕然とする。
「お待ちを!! 後続軍は揃っておらぬのでしょう!? それに織田と今川の援軍はどうされるのです!?」
「今龍の兵は2000じゃったな?」
良通の問いには答えず、龍興は状況確認をする。
「は!? なっ……あ、後は、若狭から2000が合流する手筈ですが……」
もう良通の嫌な予感は肥大して爆発四散寸前だ。
「……よし。高島を合わせて総勢5000か。近江織田家が六角を引き付けてくれている今、朽木を落とすには十分だとは思わぬか?」
「そ、それは……。可能と申せば可能でしょうが……ッ!? まさか抜け駆け―――」
「彦六郎(良通)! 無人の朽木攻略に援軍の力を借りたなど、斎藤家の恥だと思わぬのか!? ワシはそれが恥辱でたまらぬ!」
信長が六角の大半を引き付けた以上、朽木は無人に近い状態だ。
ならば兵1000でも釣りが余裕で来るだろう。
そんな城に大挙して攻撃しても諸国に笑われるだけだ。
確かに―――と、良通は思わない。
龍興が恥辱と感じる部分を、分からないでは無いとは言え『万全を期して何が悪い』との思いもある。
卑怯だろうが何だろうが、体裁の話は勝った後の話で、戦の目的は勝つのが大前提である。
2022年7月現在でもとある某R国は、勝つ前から耳を疑う正当性を掲げている有様であるからして、ネット環境も無い戦国時代でならば、やろうと思えばどうとでもなる。
「それにな彦六郎。織田殿も若かりし頃、それこそ元服前から己で集めた軍勢を率いて治安維持をしていたそうではないか。(6、12話参照) 当主委譲直後には北伊勢で50もの城を短期間に落としたとも聞く。(4章参照) これからも織田と共に並び立つ斎藤家の新当主がそれ以上の実績を残せずしてどうする? 諸国の者は『斎藤は織田におんぶに抱っこか?』と嘲笑すると思わんか?」
「そ、それは……」
これは一理あった。
織田信長は若干16歳で、桶狭間にて天下に轟く今川軍を倒した。
当時は良通も含め誰もがまだまだ信長を侮っていた。
所が、先代信秀の威光だと侮っていたら、天下に比類なき大戦果を挙げた。
同時に斎藤義龍も桶狭間にて武功第一位の戦果を挙げ、さらにはその後も、越前の伝説的武将である朝倉宗滴と激闘を繰り広げ、勝利とは成らなかったが『美濃に斎藤義龍あり』と喧伝するに十分な戦果を挙げた。
その後、織田の同盟国として、北近江と若狭を支配した手腕は見事なものであった。
斎藤龍興がこれらに匹敵する戦果を挙げる事が出来なければ、間違いなく敵国の調略はその点を突いてくると予想できる。
義龍と信長だから力関係のバランスが取れていたのに、元服直後の龍興と信長では比較にもならない。
揺さぶりを掛けるとすれば、この力関係であり、失敗の一手を誘う調略の常套手段である。
だから龍興の言い分にも一理ある―――
だが―――
一理しか無い―――
(だからどうした! 代替わりでそんな事が起きるのは織り込み済みだ! そこで慌てて動く者から自滅するのだ! 何故それが分からん!?)
未熟な部分を突かれるのは、若輩武将の誰もが経験する通過儀礼だ。
誰しもが挑発に耐えきった先に『若さに見合わぬ強靭な精神だ』と評価される。
しかし龍興の不幸は、比較する対象が化け物の信長と義龍故に、試練の大きさには同情の余地があると言えばある。
しかし、同情の余地があるからと言って、龍興の考えは到底容認できるモノでは無かった。
(こんな時、円覚院様(道三)なら、大殿(義龍)なら……ッ!! ……あっ)
良通は思い出した。
かつて義龍が信長との差に悩み、己の辿るべき道に迷った事がある。(62話参照)
美濃一国を支配する斎藤家に対し、桶狭間を制した織田家は6ヶ国(対外的には3ヶ国)を支配する大大名であった。
この差に義龍は悩んだ。
丁度、今の龍興の様に。
だがこの時、道三が適切に義龍を導いた。
当主としての心得を説き、その上で何をすべきか考えさせた。
多少の誘導はあったが、そんな中で義龍の出した答えは、道三も良通も唸らせる見事な方針だった。
良通はあの時の方針説明の場を思い出した。
思い出した上で気が付いた。
(まさか……。まさか大殿は、若に何も伝えておらぬのですか!?)
良通は龍興の焦りと暴走を、義龍の訓示不足と判断した。
この有様を見てしまっては止むを得ない判断であろう。
だかこれは誤りである。
むしろ、義龍は病魔に冒された中で、可能な限り武将たる心得を龍興に伝えている。
とくに冷徹な判断については、自身の病状を交えて重要性を説いた。(150-1、2話参照)
その上で義龍は、将来の龍興の苦労を見越し、初陣総大将と言う前代未聞の常識外れの戦功をもたらす策をも授けた。
だが事象を知る者、知らぬ者―――
帰蝶も氏真も―――
良通も―――
義龍や信長さえも―――
今回の戦に関わる全ての人間が、龍興の秘めさせられた覚悟と感情を察する事が出来なかった。
このすれ違いが、最悪の事態に傾く所か、振り切れようとしていた。
「案ずるな。これは伯母上も今川殿も了承済みじゃ」
もちろん、大嘘である。
(こ、こいつ……ッ!?)
良通は即座に嘘を見抜いた。
織田や今川の歴戦の武将が、そんな愚かな事を了承するハズは無いと確信している。
だが見抜いた上で困った。
(……何故こんな嘘を吐く必要がある? なぜ独断専行をしたがる?)
仮に、何か龍興だけが掴んでいる情報が万が一にもあれば、良し悪しはともかく理解はできる。
こんな事を言うからには何か理由があるのだ、と―――
帰蝶や氏真が勘違いした事を、良通も同じ様に勘違いしてしまった。
本能寺の変の理由を、当時の人々も、440年経過した現代の人々も、何とか理由を捻り出すが如く。
「……分かりました。兵を率いてお進み下さい。某は後続軍に事情を説明する為に残ります。……お前達! 若と共にし行軍せよ!」
良通は己の配下を龍興に付けた。
勿論監視である。
「うむ。それでこそ美濃三人衆よ! では出立する!!」
良通は龍興の退出を見届けると即座に伝令を呼んだ。
「伝令! 若狭国の安藤と氏家に伝えよ! 若が予定より早く行軍しておるとな! そして、不審な振る舞いがあるなら何としても刻を稼げと!」
龍興の行動には何か理由があると勘繰ったが、それは間違いで、本当に単なる功名心だけだった場合の保険は打たねばならない。
その為の時間稼ぎを指示した。
「次! 後続の仙石殿、及び帰蝶様と今川様にも伝令だ! 事の次第を確認する!」
良通は、全ての可能性に備えるべく手を打つ。
龍興の言い分が嘘であるなら全力で止めに行かねばならない。
その答えを知っているのは、後続軍に他ならないハズだと良通は感じていた。
伝令が飛び出して数刻後―――
伝令の帰還と共に、仙石久盛、竹中重治に加え、帰蝶、氏真ら織田今川両軍の主要な将が今龍城に飛び込んできた。
彼らは良通の伝令から最悪の事態を察知し、行軍の責任者などと言っている状況では無くなったと判断したからだ。
「……ッ!! やはり嘘か!」
事情を聴くまでもない。
良通は諸将の顔色を見て、龍興の暴走は単なる功名心だと断定する。
「今川様! 帰蝶様! どうか責任の追及は後回しに致しとうございます! 叱責処罰は後で如何様にも受ける所存!」
「どうか、若の暴走を止めるべく、今は怒りを収め力をお貸し下さい!」
久盛、重治、良通は頭を床に擦り付けるがが如く下げた。
ここまで義龍と信長の戦略を乱してしまっては、斎藤家としての責任は避けられない。
「言うまでもありません。直ぐに追いかけましょう! 上総介殿(氏真)も、どうかお願いします!」
帰蝶が斎藤家の縁者として、今川の主たる織田家の強い立場を捨て、同じ様に頭を下げる。
「今は一刻も争う場なれば、謝罪は不要にござる! 行きましょう!」
こうして諸将も、後続の本体を置き去りにして龍興を追いかける事になった。
龍興は朽木攻略の為の兵を率いての行軍に切り替えたのだから、十分追いつくとの計算である。
―――そして、琵琶湖の北岸にて、ついに龍興に追いついた。
「全軍停止ッ!! 停止せよッ!!」
良通の雷鳴の如き怒声に2000人の兵は驚いて停止する。
何事か起きたのかと浮足立つ。
「若ッ! 若は何処かッ!?」
最後尾からなのに鼓膜を貫く怒声であり、龍興としても聞こえないフリをする事は出来なかった。
「チッ! どいつもこいつも邪魔をしおって……!!」
龍興の苛立ちは最高潮に達していた。
今率いている2000の兵は置き去りにする訳にいかない兵であり、いかに先を急ぐ龍興でも我慢しなければならない。
それが、頭で理解していても腹立たしい。
それなのに、さらに良通が行軍を停止させた。
兵が総大将の自分を差し置いて良通の命令を聞くのも許しがたい。
もう激高寸前であった。
寸前で抑えたのは、良通の他にも行軍中に置いてきた仙石以下斎藤軍武将と、援軍武将の姿まで見えたからだ。
こうなっては観念するしかない。
「ここまでか……!! ……ん?」
龍興は良通らとは別方向の琵琶湖川から声を聞き逃さなかった。
「御注進……! 御注進……!!」
これは信長が放った伝令であった。
信長の計算通り、近江織田からの緊急事態を告げる伝令が不幸にも、ここで斎藤軍に追いついたのであった。
龍興は叱責されるのを先送りにする為に、まず伝令の言葉を優先した。
それは諸将も同じで、龍興が捕まった以上、とりあえずは伝令を優先する。
優先した結果が果たして良かったのか―――
「近江織田軍より緊急の伝令です! 南近江にて―――」
伝令は信長が気が付き話した事を、一字一句正確に、身振り手振り、無意識だろうが信長の真似をしつつ緊急事態を告げた。
信長が尼子の存在を察知し、その結果、若狭が危ないと。
「わ、若狭に尼子が来襲するだとッ!?」
とんでもない凶報であった。
これはもう本当に予想外も予想外。
埒外にも程がある。
この報告を他の誰がほざいたとしても、一笑に付してしまうだろうが、報告を寄越したのは他ならぬ信長である。
そして不幸な勘違いが起きた―――
「ま、まさか……新九郎殿はコレを読んで、或いは掴んでいたの!?」
帰蝶が驚愕の声を上げる。
(……え?)
「そ、それは神算鬼謀の範疇に収まらぬ神懸り的な読みにございますが……!?」
智謀には自信があった重治が、目を見開き自信を喪失する。
「だ、だが、それならば若の独断専行の理由にも納得できる!」
良通がようやく納得できる理由に至り、しかし新当主を信じてやれなかった事を悔やむ。
「何たる事だ……! せめて副将たる某には伝えて欲しかったですが、確かに信じられたかどうかは未知数……!」
久盛が、理由を強く正さなかった事を悔やみつつ、聞いた所で却下しただろうと項垂れる。
「それこそ、確たる情報じゃないから混乱させぬ様に他には知らせずにおこう、との配慮だったと……」
氏真は、龍興が不審な行動を改めなかった理由を察する。
「こうしてはおれませぬ! 強行軍だったとしても、脱落する兵が多数に上ろうとも追いつかねばなりませぬ! 若! これからは一致団結し参りましょう!」
久盛が、遅れを挽回すべく強行軍を提案し諸将は了承する。
「あ、あぁ……。その通りじゃ……。では朽木は……」
「無人の朽木なれば、明智殿の高島兵で十分と判断します。明智殿にその様に伝えます!」
「う、うむ。そうだな……」
「はッ! それでは今一度伝令を送ります! もう異変に対して動いている可能性もありますが、若狭の安東殿と氏家殿にも伝令を送りましょう!」
「お待ちを! その伝令には私が参ります!」
帰蝶が伝令を買って出る。
「殿は『必要な事は全て許可する!』と仰いました。ならば、斎藤家に出向している九鬼殿にその旨を伝えねばなりません!」
「そうですな。九鬼殿は織田の家臣でもありますから、帰蝶様ならば二度手間にはなりますまい!」
斎藤家には、若狭湾開発を託された九鬼定隆の長男である浄隆が派遣されている。(100-4話参照)
現在は26歳の青年武将で、湾の整備から商船の受け入れは当然、太平洋側とは違う日本海側の潮目の把握と治安維持の為の水軍を監督している。
信長が言った『今回の為の布石では無いが、将来を見越した指示』とは、この九鬼浄隆の事だ。
「申し訳ありませぬが宜しくお願いします!」
「はい!」
こうして龍興が口を挟む間も無く、全ての方針が決定された。
偶然に偶然が重なった結果、龍興の強行軍は不幸にも正しかった事になった。
一方、一人真実を知る龍興は、信長との差に愕然とする。
(こんな馬鹿な!? 織田はあんな遠方に居ながらこの展開を読んだのか!?)
龍興としても、今に至っては若狭に急行する必要があるのは十分理解できる。
この状況で朽木に向かうなど、どんなに愚かな戦略家であっても選ぶ事はない。
(朽木攻略が……!! ワシの……ワシの……!!)
龍興は出陣式の手順も完璧に頭に叩き込み、今回の独断専行も最初から計画していた。
どの地点で休み、この時間までには何々の拠点に到着し、朽木をさっさと攻略して最大速度で稲葉山城に帰還するという、そんな計画を立てていた。
だが、仮に若狭に尼子が来襲しなくとも、杜撰過ぎて到底達成できるシナリオとスケジュールでは無い。
経験皆無な少年武将には単独で計画など出来ないし、当然理解も及ばない。
しかも、今に至るまででも相当に理想のスケジュールから遅れがあるのに、朽木攻略任務は家臣に適当に投げられ、己はいつ終わるかも分からない若狭の戦いに赴く事になる。
更に屈辱的なのは、己の失態が、超強運と偶然によって『尼子来襲』という、誰も読めなかった策を、信長よりも先に察知していた事になった。
(何たる……! 何たる屈辱かッ!?)
戦場の汚さを知らない龍興は、無意識に正々堂々を求めてしまっていた。
かつて帰蝶には戦いの卑劣な手段を誉められたのに、その経験が全く活かされていない。(107話参照)
戦場とは神聖な場所だとすら思っている。
だから無人の朽木を大軍で潰す事を嫌い、信長の読みが自分の手柄にすり替わっているのも許せない。
(父上……!!)
もう絶対に生きて会う事は不可能だ。
勝利の報告を聞かせる事は出来ない。
正々堂々、己の力を振るい凱旋する事は叶わない。
龍興は清廉潔白過ぎた―――
【若狭国/若狭湾 斎藤龍興軍】
「何故上手くいかないッ……!」
言葉を発せずには居られなかった―――
若狭湾の水平線、と表現する程には遠くないが、若狭海上に停泊する尼子船団。
その船団を斎藤龍興は憎々しげに睨む。
波音で龍興の呪詛はかき消されたのか、何も聞こえなかった久盛が報告する。
「現在、辛うじて、九鬼殿が睨みを利かせ付け入る隙を与えておりませんが、何か懸念がありましたら仰って下さい! 非才なれど、若の懸念は晴らして見せましょう!」
龍興に心酔している久盛が、鬼謀に肖ろうと進み出る。
(クッ!! 何が非才だ! 非才なのはワシなのじゃ!!)
憎悪に濁った眼で久盛を睨め付ける龍興であったが、少年武将の鋭い目は、憎しみを表現するには幼すぎた。
従って他人には闘志を燃やしている風にしか見えない。
「……海でやる事は九鬼に任せよ。伯母上もそう仰っていただろう」
陸兵と海兵では適正が違いすぎて、海戦に不慣れな陸兵など何の役にも立たない所か、高波で簡単に転倒するだけの居ても邪魔なマイナスの存在である。
従って、美濃、今龍から引き連れてきた兵は、一部まだ若狭に到着していないのもあるが、居ても殆ど用無しであり、乗船できるのは多少なりとも経験があるか、不安定な足場でも弓が射れる技能のある者だけである。
武将も例外ではないが、そこは責任者として乗船の必要があるが、操船の命令系統は九鬼浄隆から船頭となっている。
つまり、龍興は名実共に御飾りの総大将へと成り下がった。
「フフフ。そうかそうか……。ハハハ……!!」
何もかも諦めた龍興はポツリと呟き自嘲気味に笑う。
久盛には、その言葉を発する龍興が全てを見通す軍神に見える。
「若! 九鬼殿の船より鐘が! 敵船が移動を始めた模様!」
「見ればわかる」
「はッ! 失礼しました!」
こうして尼子水軍との予定外の海戦が始まろうとしていた。




