150-2話 歴史の必然 斎藤義龍
150話は2部構成です。
150-1話からご覧下さい。
【美濃国/稲葉山城 帰蝶らが退室した大広間】
広間では、先程までの落ち着いた軍議から一転、まるで戦場の様な慌しさで騒然としていた。
「よくぞ堪えたな義兄上」
「……フフフ。何とか持ちこたえたわ」
帰蝶らが退室したあと、義龍は頽れた。
小姓が濡れた手拭いを差し出すと、義龍は鈍重な動きでソレを掴むと顔を拭った。
現れたのは、真っ青で死相がクッキリと現れた、やつれ果てた義龍であった。
青い顔は化粧で、痩けた頬は詰め物で誤魔化し、根性で軍議を乗り切ったが、今、精根尽き果て倒れた。
一体何があったのか?
以下は、信長が帰蝶らに先んじて義龍のいる部屋に通された時の話である。
【稲葉山城/斎藤義龍私室】
「殿! 織田様が参りました!」
久盛が小姓の真似事をしながら、信長の来訪を告げる。
「入ってもらえ」
義龍が入室許可を出すと襖が開かれるが、違和感を覚える光景がそこにはあった。
「……。うん!?」
そこには斎藤義龍と、何故か嫡男の喜太郎が居た。
しかし違和感を覚えたのは喜太郎が居たからではない。
暫く振りに見る義龍は、明らかに死病に冒されていたからだ。
「すまぬな義弟よ。帰蝶らに休んで欲しいとは方便。どうしても義弟だけ先に会っておきたかったので、少々小賢しい事をさせてもらった」
「……ッ!?」
信長は息を飲んだ。
義龍の表情は、お世辞も出てこない程に酷い死相が浮かんでいた。
誰が見ても尋常では無い、死期が近い事が察せられる顔である。
「い、いつからだ!?」
「随分前から妙だとは思っておった。はっきり死を自覚したのは去年かな? ワシはもうこの稲葉山から下山する事も叶わぬだろう」
表情の割にはしっかりと喋る義龍。
だが、かつての覇気は感じられぬ細い声であった。
「そ、そう言えば、以前会った時、顔色が悪かったが、ワシの方針に気分を害したのではなく、体調の問題だったのか!?」(141話参照)
「奪った領地の配分が気に入らないのは事実じゃがな。ハハハ……」
朽木高島の攻略で奪う土地を、当初義龍は固辞した。
一番苦労した信長が手に入れるべきだと思っていた。
結局義龍が折れて高島と、今後の朽木は斎藤家が治める予定だが、今でも配分は気に入っていない。
ただ、あの時既に、断固反論する気力も失せていたのだ。
「何たる事じゃ! お主程の男が、そんな若さで斃ってたまるか!!」
「……お主は戦国の世に似合わぬ優しい男よな。他家が弱ろうとしておるのだぞ? 好機と捉えぬのか?」
親類縁者でさえ理由があれば殺す戦国時代。
信長の言はある意味異端であろう。
「お主が適当な扱いで済む駒だったらな! お主の実力は他ならぬワシが骨身に染みて知っておる! お主が味方となったワシの気持ちを知るまい!? 僥倖などと言う言葉では収まらぬわ!」
「そこまでワシを評価してくれるか。そんなお主だからこそ、安心して弱った姿を見せられると言うモノ……ん? 骨身に染みさせた事があったか? 親父世代では斎藤と織田は争ったが、ワシらは違うが……? あぁ、桶狭間の話か?」
信長は感情が乱れたお陰で、つい前々世の評価を口に出してしまった。
史実にて斎藤義龍は、最後の最後まで目の上のたん瘤であった。
局地的小競り合いでは勝った負けたもあるが、結局、義龍が死ぬまで美濃を攻略する事は適わなかった。
だから信長の義龍に対する評価は絶大なのである。
前々世も今も、憎い強敵として、頼れる味方として、斎藤義龍は信長にとって偉大な義兄であった。
「そ、そうじゃ! 桶狭間ではお主が奮闘してくれたお陰で、義元への道が開けたと言っても過言では無い! そんな頼れる義兄が倒れるなどあってはならぬ!」
「フフフ……。懐かしい話よな。あの戦は本当に楽しかった……」
義龍は輝く思い出を懐かしみ、最後の仕事をするべく話し始めた。
「さて、この後、帰蝶らを交えて軍議となる訳だが、帰蝶に弱ったワシの情けない姿は見せたくない。当然、軍議の場に居る者にも悟られる訳にはいかん。顔色は化粧で、痩けた頬は詰め物で、やせ細った体は重ね着で誤魔化す。ヨロヨロと歩く姿も見せたくないから最初から着座して待つ事にする」
「そ、そこまで悪いのか!」
「フフフ。躓いて転んだら、もう二度と立ち上がれない自身があるぞ? ……冗談はともかく、一応斎藤家の戦としてワシが率先して説明するが、何かあったら補佐を頼む」
「……任せよ!」
まったく冗談に聞こえない義龍の言であるが、信長も降って湧いた予想外の窮地に覚悟を決めた。
「二人ともスマンが肩を貸してくれ」
「はい!」
「あ、あぁ。……ッ!?」
信長が着物越しに義龍に触れると、在りし日の義龍の姿からは想像も及ばぬ、細った腕と筋肉の感触に驚く。
体重も、かつての豪傑とは思えぬ程に軽い。
(何たる事じゃ!)
信長は、義龍が間違いなく死ぬ事を覚悟した。
【稲葉山城/大広間】
場面変わって軍議後―――
帰蝶らが退室して気配が消えた事を確認すると、信長は義龍に駆け寄った。
「何というクソ根性よ。その病状で説明しきるとはな。妹ぐらいには明かしても良かろう?」
「ワシはあ奴の記憶の中で、強く逞しい偉大な兄でいたいのだ」
「全く……。その強がりは呆れるしかないのう」
「フッ……。死ぬ行くワシへの賛辞と受け取っておこう。……龍興」
「は、ハッ!!」
不意に呼ばれた龍興。
その目には涙が溜まっていた。
「今は良いが、その涙は人前で流すなよ? 余りに情けない事をしていると、将来お主は義弟の門前に馬を繋ぐ事になるぞ?」
「はい!」
「武将たる者、親兄弟、親類縁者、恩ある者から師に至るまで、誰が死のうと冷徹で能面の様な揺れぬ精神を持たねばならん」
「はい!」
「……だが、先程の軍議、良くぞワシの病状を悟られず終えさせた。帰蝶は勘が鋭いからな。お主の動揺を察知すれば、ワシの病まで辿り着いたかも知れぬ。今は大事な時期故に、ワシの病は可能な限り伏せねばならぬ。敵を騙すには味方からとも言う。絶対に外部に洩らすな」
「はい!」
「ワシはかつて親父を殺そうと計画した事もあった」
「え?」
「……!」
唐突に話が変わった。
病ゆえに思考が纏まらず理路整然と話せないのか。
しかし、そんな話も今は聞く必要があると龍興も信長も思い言葉を噤んだ。
「今思えば……どこぞの勢力の流言飛語だと思うが、ワシの父は道三ではなく土岐頼芸だと囁かれておってな」
「初耳です……」
(あの件か)
斎藤義龍の母は土岐頼芸の愛妾で、妊娠したまま道三に与えられた、と言われている。
「今となってはどうでもいい。例え土岐家の血筋だろうと、ワシは斎藤道三に育てられた事を誇りに思う。大事なのは血筋ではない。意思だ。受け継ぐべき意思がある。己で育てるべき意思がある。後世に伝えるべき意思がある。……それこそがワシが魅了された義弟の天下布武」
「父上……!!」
「義兄上……」
「その意思が続く限り……ワシは不滅だ!」
龍興の涙はもう止まらなかった。
「フフフ。……泣くなと言った手前で言うのもなんだが、こうやって人に泣かれるのも悪くないな」
例え明日死んでも、全く不思議ではない顔色の義龍。
死期を悟ったが故なのか、実に饒舌であった。
「一つどうしても無念なのは、恐らくお主の初陣を見届ける事が適わぬ事か。まぁ、あの世から見物させてもらうか。それと二つ頼みがある」
「な、なんでしょうか!?」
「一つは、北条綱成だ。桶狭間では奴を倒せなくてな。いつか決着をつけてやろうと思っておったが、叶わぬ様だ。時期が来たらワシが謝罪していたと伝えてくれ。『倒してやれず申し訳ない』とな。あぁ、今思えば、病の影響だったのかも知れぬなぁ……」
桶狭間の戦いで、義龍と綱成は激闘を繰り広げた。(54~55話参照)
その時、綱成は余力を残して大暴れしたが、義龍は疲労で動けなくなって追撃を諦めた。
当時、病は自覚症状も無かったが、気が付かない所で既に悪影響が出ていたのだ。
「必ず伝えましょう! 拙者の槍で!」
「うむ。あと一つは、ワシの肖像画を描く機会があったら、こんな痩せ細った無様な姿ではなく恰幅良く描いてくれ。死に行く者の最後の頼みだ! ハッハッハ!」
「ッ!? は……ハハハ……!! それはもう、あの世から苦情が来る位に仕上げてみせましょうぞ!」
こうして斎藤家と織田家軍議は、表面上何事も無く、帰蝶に義龍の容態を気付かれる事無く終った。
信長が今回の朽木攻略方針を黙認し軍議で黙っていたのは、事前に聞いたのもあるが、それよりも義龍の病状を知り、隠す為に無反応を演じたからだ、
義龍未参陣も、喜太郎の元服と次期当主、総大将も、戦を散歩と表現する大言壮語にも無反応だったのは、義龍最後の願いを叶える為である。
その一方で帰途に着いた信長は、稲葉山からどうやって、何時の間に下山したか、全く思い出せない程に悩んだ。
明らかに歴史の修正力が働いているとしか思えなかったし、それをファラージャに問い質していたからだ。
《マズい! これは本当にマズい! ファラ! これは何なのじゃ!?》
《これは歴史の修正力……では無いですね。言うなれば歴史の必然です》
一方、こうなる事を確信していたのか、ファラージャは冷静冷徹に言い放った。
他に言い方があるだろうに、血縁上は実兄なのに妙に感情の感じられぬ声だ。
《歴史の必然!? じゃあ義龍は今年必ず死ぬのか!?》
《絶対今年とは言いません。ただ、多少前後したとしても、こうなってしまっては長くは無いでしょう》
《歴史が変われば、病にかかる可能性も変化するだろう!?》
風邪等は、その時々の行動次第。
ウィルスに感染する行動の有無である。
食べた物、行動、地域、人付き合い―――
歴史が変われば行動も変わる。
病が発症するのは様々な要因が絡まるのが普通なのに、歴史の理から外れた信長の眼には、要因より発症が先に顔を出している様に見える。
《それはそうなのですが、義龍兄さんの場合は確定です。どれだけ歴史が変化しても病が発症するのは必然です。信長さんと帰蝶姉さんは、義龍兄さんが病を発症する歴史に転生したのですから》
《は、発症する歴史!? 仮にそうだとしても必ず発症するとは限らんじゃろう!?》
今までも散々歴史を曲げてきたのに、たかが病一つ、変えられぬ運命とは信じられない信長。
何とかファラージャの口から否定的な言葉を引き出すべく、信長は必死に食い下がる。
《いえ、絶対です。何故なら外的要因ではなく遺伝病だから》
しかし、出てきた言葉は無情な一言であった。
《イデン……病……? 遺伝? それは親から受け継ぐ、と言う事か?》
《そうです。両親から受け継ぐのは姿形だけではありません。良くも悪くも様々な物を受け継ぎます。残念ながら兄さんは、生まれた時から病の因子を持って生まれたのです。……帰蝶さん同様に》
《お濃同様!? じゃ、じゃあ、前々世でお濃が臥せっていたのは義龍と同じ病だったと!?》
急に出てきた帰蝶の名に驚く信長。
まさか、兄妹揃って同じ病だったとは思いもよらなかった。
《そうです。その病こそマルファン症候群。兄さんはマルファン症候群で無くなった可能性があると後世で疑われていました。その証明となるのが帰蝶姉さんです。姉さんを復活させる時にその因子を発見し消しました》(2話参照)
帰蝶の転生は病気を治癒させた上で行われた。
ファラージャによる唯一故意の歴史介入である。
《さらに父上(道三)がこちらに来た時に調べましたが、父上にはその因子がありませんでした。ならば残るは母上の方になります。遺伝で受け継ぐ場合、この病気は発症率50%。義龍兄さんと帰蝶姉さんは不運だったのでしょう》
帰蝶は最初からマルファン症候群が発症しており、しかし、その度合いが薄かった。
とはいえ、子を儲ける程の体力も、織田家の裏方仕事も出来ず、あの大英雄織田信長の正室なのに、いつ死んだのか記録も不明瞭な程、歴史の表舞台には立てなかった。
《なんたる事だ!》
そして、未来知識の流出オンパレードなファラージャの言い分だが、信長は突っ込む事も忘れ聞き入った。
《マルファン症候群は様々な症状がでますが、例えば高身長。兄さんは六尺五寸(約197cm)もの大男。帰蝶姉さんも前々世では大きい方でしたよね? しかし治療した今、身長が以前より低いのではないですか?》
《た、確かに……!》
今の帰蝶は10歳の体に転生した状態からのスタートだが、元の肉体は10歳までマルファン症候群で過ごした。
しかしファラージャの計らいで、完全治療が施された結果、身長は適度な成長で止まり今に至る。
《それに兄さんは、常日頃呼吸に異常を抱えていたそうです。肺に強く症状が現れたのでしょう。帰蝶姉さんも、呼吸が原因で寝たきりでしたね?》
《……!!》
《史実の事実としては、義龍兄さんは急に強く悪化し今年亡くなった。帰蝶姉さんは常に弱くしか発症しなかった陰で本能寺まで生きた》
義龍が太く短く、帰蝶が細く長く生きた。
どちらが幸せなのかは分からない。
《お陰で、義龍さんと帰蝶姉さんは同母兄妹と証明されました。『深芳野=小見の方』だったのです》
義龍の母は深芳野、帰蝶の母は小見の方と伝わっている。
深芳野は高身長の女性だったと言われるが、ただ、存在が疑わしいとも言われ、道三と義龍の争いを、よりドラマチックにする為の後世の創作との疑惑がある。
《同母……。その証明はお濃か道三に聞けば済んだ話……いや、そんな事はどうでもいい! 今、斎藤家が揺らぐのはマズイのだ! 何だこの歴史の因果は!?》
《因果?》
《前々世は斎藤家を倒し織田家の道が開けた! 今は斎藤家と結んでいるが故にマズイ事になっているのだ! 今の戦略は斎藤家があってこそなのだ!》
史実も今も、義龍は近々死ぬ。
しかしその結果は全くの逆。
義龍が死んだお陰で道が開けた前々世。
義龍が死に道が閉じるかも知れない今。
苦しいスタートから脱却する以前の歴史と、恵まれたスタートから転落する(かもしれない)現在の歴史が、1561年に交差し正負が逆転しかけている。
信長が因果を叫ばずにいられないのも仕方ない。
信長の躍進の基点はいつだったのか?
史実の去年(1560年)に桶狭間で今川義元を討ち取り、信長は歴史の表舞台にデビューした。
しかし、これは侵略者を撃退しただけで、織田家として尾張の外まで勢力を伸ばした訳ではない。
では真の基点はいつだったのか?
それが義龍が病死する今年(1561年)であろう。
信長の攻勢を跳ね返し続けた義龍が死んだおかげで、信長の道は開けたと言っても過言ではない。
なお、基点は1561年だが、躍進は1567年であると付け加え、理由は後述する。
しかし、今は斎藤家と仲が良いお陰で、道連れ的に織田にも影響が出るだろう。
帰蝶がフライングして歴史を変えた斎藤家。(7話参照)
そのお陰で好発進した信長のやり直し人生が、史実の躍進期に減衰するかもしれない。
さらに信長には悩ましい事があった。
喜太郎こと斎藤龍興である。
《今の龍興が前より優秀な男だったとしても、信頼はできん!》
《さっきの場では、義龍兄さんの遺言を素直に聞き入る様に見えましたけど……》
父の最期を受け止めつつ、自らの使命を感じたであろう斎藤龍興。
あの様な場でも、狼狽え情けない姿を晒す後継者も居るだろうに、龍興の態度は立派だったとファラージャは感じた。
それについては、信長も異論がある訳では無い。
《龍興にも覚悟はあろう。意思も継ごう。それはワシも見ていて思った。あ奴には素質を感じる! だが、能力が開花し道三や義龍に追いつくかどうかは全くの別問題!》
厳しい現実である。
龍興の真の才能が如何なる物なのか不明であるし、発揮できるかも未知数だ。
後を継ぐ覚悟を見せたから―――
立派な態度を示したから―――
これで勝てるなら誰も苦労は無い。
寧ろ、現実は非情の場合が大多数であろう。
《それに龍興には厳しい不利がある》
《不利?》
《道三や義龍は、その名前で敵を黙らす事ができる。だが龍興は、仮に素晴らしい能力があったとしても名前で威圧できる力は無い。元服したての13歳じゃぞ? 誰がその名前で気圧されると思う?》
斎藤道三は、身一つで美濃を奪った大悪党。
斎藤義龍は、この歴史では桶狭間武功第一位にして、朝倉宗滴とも互角に渡り合った大豪傑。
両者共に、天下に比類無き武名を誇っている。
《ワシなんぞ、義龍が死んでコレ幸いと美濃に攻め込んだのじゃぞ? 龍興の名になんら圧力を感じなかったからじゃ。……その結果痛い目も見たが。さっき龍興の後世の評価を述べておったが、言う程楽な相手では無かったぞ》
信長は稲葉山城を攻め落とす前に、河野島の戦いで龍興と争うも決定打はおろか、追撃を許す痛手を被った。
義龍が死んで弱体化したと判断し、斎藤家を倒すつもりが呆気なく躓いたのである。
龍興の名に圧力を感じないが故の判断であり、龍興には確かに才能が有ると判断する材料でもある。
なお、先程織田信長の躍進の基点が1561年であると言ったが、稲葉山城攻略は1567年の事である。
これが後述すると言った理由であり、龍興は1567年まで理由はどうあれ(一時的に竹中半兵衛に占拠されたりしたが)稲葉山城を守りきったのだ。
龍興が丸っ切りの盆暗だとしたら、信長相手にここまで抵抗は出来ないであろう。
《もう一度言うが、ワシは龍興の能力を知っておる。しかし他の者は知らぬ。コレがマズイのじゃ。例えば今の歴史の義龍の妻は浅井久政の娘。情報は必ず浅井に漏れておる。龍興の能力を知らぬから、近江を奪われた恨みを晴らすは今と思っておるじゃろう。甲斐の武田も情報を仕入れれば必ず動くじゃろう。義龍が死んだ今こそ好機とな!》
《な、成る程……。確かにマズいですね……》
《戦略の失敗や政治の不手際でマズイ状況に追い込まれた事はある! しかし運の悪さだけでココまで追い込まれたのは記憶に無い!》
《運の悪さ?》
信長は運に愛されている男である。
桶狭間で今川義元を運よく討ち取った。
朝倉宗滴も三好長慶も毛利元就も接触する前に死んだ。
斎藤義龍も若死にしてくれた。
武田信玄も上杉謙信も信長が苦しい時期に死んでくれた。
梅雨時期の長篠は晴れ渡った。
信長はとにかく強運だった。
これだけの強敵達を運で葬ったのだから。
《運で勝ったり負けたりするのは好まぬが、ある程度は仕方あるまい。だが、極端に運が悪いのはマズイ! 不徳と見られる恐れがある!》
今の斎藤家は影響力が広く強い。
しかも争いの中心地である京に隣接する地域を支配する。
政治的にも戦争的にも、何から何まで元服直後の13.歳の斎藤龍興がコントロールするのは厳しい。
その結果どんな不運に見舞われるか分からない。
更に不運に振り回され隙を見せた瞬間、斎藤家を狙う勢力に食い破られるのがオチであろう。
どんな場面でも運の良し悪しは仕方ない部分もある。
だが宗教が絶対の世界で運が悪いのは罪だ。
不徳の致す所と謝罪する程度では、済まない恐れがある。
《朽木攻略は何が何でも成功させ、龍興の名に箔を付けさせねばなるまい……! 一分の隙も無く、完璧な手順で、一切の事故や不足の事態を許さずな! これは思った以上に骨を折らねばならぬぞ!》
裏で膨大な事前工作が必要だと感じたが、斎藤家の立場と義龍の病状を漏洩させず、それを織田家では自分だけが把握する事として動くとなると難易度の高い仕事である。
《婿殿。多くは言わぬ。孫を頼む》
5次元の道三が、言葉数少なく信長に頼んだ。
既に色々聞いて義龍の運命を察していたのだろう。
見る事しか出来ない擬しさを、テレパシー越しにも強く感じる言葉であった。
《分かっておる。任せておけ……と安請け合いは出来ぬが、やらねばなるまい……! 本当に人事を尽くして天命を待つしか無い状態までな!》
信長をして、どんな不都合が起きても圧勝すると思っていた朽木攻略。
義龍の病状を聞いても、その認識には変わりない。
最大の問題は朽木攻略後だ。
何かあるとすれば、そのタイミングであろう。
この後、織田家内では、生駒吉乃が海水選びで織田領を豊作に導き(外伝44話参照)、木下秀吉が森家内で頭角を現し始め(外伝45話参照)、柴田家が浅井長政と於市という新しい風で躍進する。(外伝46話参照)
だがそんな幸運と成果を吹き飛ばす不運なだけに、信長の眉間には深い皺が刻まれるのであった。
149話の後書きで、直前の外伝(44~48話)で、長々クドクドと17章は大ピンチと書いてきましたが、斎藤家がそのピンチの正体でした。
バレバレだったのか、意表を突けたのか分かりませんが、執筆の最初期から狙っていた話がようやく書けました。
とりあえず一安心です。




