23話 尾張内乱後始末
【尾張国/清州城 織田家】
清州城での通達は信長達の予想通りの内容で、特に目新しい事は無かった。
明智光秀とその側近が紹介され、美濃との通商を活発化させていく事。
織田側からは平手政秀と丹羽長秀が派遣される事。
今川と和平を行い人質交換をし、三河から退き尾張完全掌握に努める事。
しかし信長の家督譲渡については伏せられた。
さすがに時期尚早であり尾張掌握後で期を見てとなった。
政秀の派遣は織田家の外交を担ってきた実績と蝮の斎藤家と渡り合う為にも、正徳寺の会見を目撃した最大級のアドバンテージを活かす為である。
ただ、高齢であるので若い丹羽長秀を補佐につけて勉強させつつ政秀の後継者となってもらおうと信長は考えている。
丹羽長秀は史実にて『米五郎左』と呼ばれ、何でも器用にこなし米の様に誰にとっても必要な者と評され、その高い才能を早期開花させる為、政秀に付けたのであった。
ただ、人選は少々揉めた上での決定であった。
招集の前日―――
『と言う訳で爺(平手政秀)、五郎左(丹羽長秀)。お主らには美濃に行ってもらいたい』
『はっ! この爺、これが最後の奉公となりそうですな!』
『馬鹿を申すな。まだまだやってもらう事は山ほどあるわ。五郎左を一人前に仕上げたら次の仕事が待っておる』
『この年で新しき事に挑む機会を与えてくれた若には感謝しかありませぬ! 期待していてくだされ!』
政秀は信長の役に立てるのが嬉しいし、銭の運用にも興味が尽きなかった。
逆に沈み込む若者が一人、丹羽長秀である。
『大将! 俺は納得できません! 俺はもう要らねぇって事ですか!?』
丹羽家には長男の長忠がいた為、長秀は信長の考えの下集められた親衛隊最初期からの人材であった。
部隊指揮も武芸も間者働きも商売すらも将来の『米五郎左』に恥じない働きをしていた。
それもこれも、生きる道を示してくれた信長に報いる為、一生付いて行くつもりで懸命に励んでいたのに、今回の沙汰は青天の霹靂であった。
『そうではない。お主ほど親衛隊を体現した者は居らぬし、ワシには絶対に必要な人材じゃ』
『じゃ何で!?』
『お主の武働きは当然期待しておるが、武働きとは別に武功を立てる見本となってもらいたいのじゃ』
『別!?』
『そうじゃ。今後我が織田家では内政での成果も武働きと同じか、場合によってはそれ以上に評価する。その一環が此度の斎藤家との通商じゃ。今の所、織田家でこれを行え、かつ、価値が解るのは爺と五郎左、お主らしか居らぬ』
『……! 何故そこまで俺の事を……』
(爺の時とよく似ておるな。将来の才能を知っているとは言えぬしな)
信長は前世で活躍をした長秀を思い出しながら語った。
『お主が訓練の一環で商売をしてた時の顔はまさしく商人であった。誰よりも利益を上げ機を見るに敏であった。この機微を察知する能力をワシは高く買っておる。武芸も指揮もこの能力あってこそじゃろう。この能力を伸ばしに伸ばして帰ってこい。その時、お主はワシにとって掛け替えの無い者となろう!』
『そこまでの期待を……分かった、いや解りました。必ず結果を残してごらんに入れます!』
『五郎左よワシがついておるし心配する事など何もない。存分に成長して若を驚かせようではないか!』
『はっ! よろしくお願いいたします!』
政秀も実力を知っている為、長秀に対して心配は無い様である。
こうして平手政秀と丹羽長秀の派遣が決まったのである。
一方、今川との和平交渉は速やかに纏められ、1ヶ月後に国境付近で行われる事となった。
お陰で、竹千代には濃密な1ヶ月になった。
信長の政治、戦術教育は意味不明なレベルになり、帰蝶の武芸特訓は、引き渡された今川家が虐待と勘違いし、史実よりも手厚い人質生活を送る事となる程であった。
【1ヶ月後 尾張三河国境付近】
「竹千代ちゃん! 元気で暮らすのよ! 寒いから夜は暖かくして……」
帰蝶は人目も憚らず泣いている。
竹千代はさすが男―――と思いきや涙をこらえ、悟られまいと誤魔化している。
信長も交換現場についてきており、竹千代に餞別の言葉を送る。
「竹千代よ。今川でも良く学び励むが良い。特に今川の当主と軍師は優れた人物だ。きっとお主の血や肉となり役に立つ日がくるだろう!」
「……はい!」
こうして竹千代は今川へと引き渡され、織田信行と柴田勝家が引き渡された。
この交換をもって束の間の平和が訪れる事となった。
当然ながら、信行は謀反を起こした罪で謹慎となった。
「申し開きをする事は何もありませぬ」
堂々とそう宣言する信行は、違う見方をすれば非常に潔い天晴な姿であるが、残念ながら世を知らぬ子供だと信秀も家臣も再確認した。
ただし、信秀も家臣も自分達の教育の過ちを悟っており、母親の土田御前の懇願もあり、対外的に処置を行った形だけの謹慎であった。
そんな訳で、柴田勝家にも特に処罰は無かったし、むしろあの状況で良くぞ生き延びたと褒めたぐらいであった。
織田家にとって柴田勝家はそれほど将来を嘱望されていたのだ。
「しかし! それでは申し訳が立ちませぬ! ……かくなる上は、この場を血で汚す事をお許しくだされ!」
そう言って勝家は鍛えぬいた上半身を露わにした。
「えっ!? ……ちょっと……」
信行とはまた違う堂々とした宣言と立ち振る舞いは、あまりに見事であった。
「殿! 某はここで果て申すが魂となって織田家の繁栄を見守り……」
「や、止めさせろーーッ!!」
信秀のとっさの一声で、家臣たちが一斉に押さえかかった。
一人の家臣が背後から飛びかかり、あっさり弾き飛ばされ、別の家臣が脇差を奪い取ろうとして突き飛ばされた。
胴体に組み付いた家臣は投げ飛ばされて床に叩き付けられた。
織田家随一の猛将の姿がそこにはあった。
(困った奴じゃ! 権六らしいと言うか何と言うか……)
信長は静かに背後に回り込み、スライディングしつつ左足で勝家の足を引っかけ、右足で膝裏を蹴りつつ袴の腰部分をつかんで背後に引き倒した。
ズシンと勝家の巨体が床に打ち付けられる。
「なっ……べへぇっ!」
倒すと同時に、瞬時に勝家に覆いかぶさり叫ぶ!
「いまじゃ! 圧し掛かれ!」
一斉に家臣たちが勝家の上に圧し掛かり、山の様に重なり合った。
「おのれ小癪な! これしきでワシを倒せると……」
勝家も当初の目的を忘れているのか、懸命に跳ね除けようとしている。
「こりゃ! 権六! 目を覚ませ!」
信秀がピシャリと勝家の月代を叩く。
「は!? 殿!?」
「落ち着いたか?」
「は、はっ!」
「脇差は預かる。皆の者元の位置に戻れ」
信秀の号令の元、山なりの家臣達は下がる。
一番下にいた信長は、圧死寸前、息も絶え絶えであった。
《こ、こんな理由で3回目が終わるとか嫌すぎるわ!》
《良かったですね~》
ファラージャが呑気に答える。
「解った。権六よ。死ぬ事は許さぬが一つ処分を下す。お主は三郎の下に付け。三郎どうじゃ?」
「ぜぇ、はぁ……も、問題ありませぬ」
「解りました。某にも異存はありませぬ」
信秀は信長の下で勝家に新しい価値観を学ばせる為。
信長は勝家をコントロールする為。
勝家は『うつけ』の下に付けられる罰を受ける為。
その沙汰に他の家臣も含め全員が納得した。
信長は親衛隊の隊長として勝家を働かせる事にした。
本来の計画では勝家は信行と共に裏切らせた上で取り込む予定であった。
史実で一度裏切った勝家を裏切らせないのは、勝家と言う名の別人であると思ったからだ。
ただ、転生し今までの経過を鑑みるに全てを計画通り事を進めるのは殆ど不可能であると悟った。
何故なら信長に代わって信秀が尾張を統一するし、信行は今川に降るし、勝家は捕縛されるし、この戦い自体が当初の歴史と違い過ぎる。
ならば徹底的に前回と違う道を歩ませる事にした。
その上で勝家を心酔させる―――
そう決めた信長であった。
勝家も形式的には『うつけ』信長に預けられ大降格処分の形になるので、己に課せられた罰だと認識し納得している。
勝家は尾張内乱の勝利の立役者が信長だとは知らない為、仕方のない勘違いであった。
もちろん、すぐに親衛隊の実力の高さと、ついでに帰蝶武芸に驚愕し、内乱の真実を知る事になる。
処分後の勝家が親衛隊に合流する日―――
「大殿こちらですぞ!」
一旦尾張に帰っていた政秀が、楽しそうに信秀一行を案内する。
「お、やっとるな!」
信秀が目を細めつつ邪悪な笑みで眺めている。
「濃姫殿も相変わらずですな」
信広が勝家の顔を見てニヤついている。
「きっと我らも、今の柴田殿の様な顔をしていたのでしょうなぁ」
可成が憐みつつ笑っている。
親衛隊披露の場は一種の通過儀礼となり、先に驚いた者は新入りの顔を見て楽しむのが習わしとなりつつあった。
《気持ちは解らんでも無いが……皆悪い顔をしとるのぅ》
《他人の不幸は蜜の味って言いますしね! 不幸とはちょっと違いますが》
《次は光秀か? ……奴はどう反応するかのぅ》
《信長さんも悪い顔してますよ?》
後日、光秀に披露される時、事件があったのはまた別の話である。
そんなこんなで信行と勝家の処分が一通り終わった後日―――
【尾張国/那古野城 織田家】
津島と熱田の商人達が集められ美濃との通商が始まる事を告げた。
商人を前に信長が語る。
「……と言った訳で美濃との通商を行う。その上で尾張と美濃でそれぞれ家臣が派遣され、美濃からはこの明智十兵衛が窓口となる。十兵衛!」
「はっ! 明智十兵衛光秀と申す。お見知りおきを。では説明を行います。質問が出るでしょうが後程受け付けます」
光秀は一礼し計画の詳細を話し始める。
「まず流通の基本である道を整備します。尾張から美濃の間の街道を拡張し、横幅は最低でも牛車馬車4台は並べられる様にします」
「木曽川、長良川を利用し水運を発達させます。尾張から美濃まで続く川であり利用しない手はありません」
「次に、尾張美濃間は関所を撤廃します。当然通行税などありません」
「最後に楽市楽座を実施します」
光秀は概要を並びたてた。
商人たちはこの政策が商いにおいて、莫大な利益を生む事を瞬時に見抜いたが、問題点も見抜いた。
「あの、明智様……」
一人の商人がおずおずと手を挙げた。
「解っております。このままでは絵に描いた餅であるのは明白です。現時点での予想しうる問題点と対策を申し上げます」
光秀は咳ばらいをしつつ説明を始めた。
「まず街道について。軍事的理由と身分的理由で牛車の使用や民の騎乗は出来にくい環境でしたが、運送に限り制限を撤廃します。また、車輪を使う以上、道の泥濘は大敵です。これは石や瓦技術を応用した建材で舗装し排水路も整えます」
身分や格式もあってか戦国時代から江戸時代まで移動手段は進化しなかった。
むしろ陸上の移動手段は籠に退化し人力が全てであった。
馬車は明治時代になるまで登場せず、牛車も公家の権威の象徴で一般には普及せず、その権威を振りかざす公家も戦国時代に入り権威を維持できず、使う者がいなくなった。
信長も籠の狭さと乗り心地の悪さには辟易しており、転生を機に移動手段を進化させるつもりでいたのだ。
「街道の治安について。町中はともかく町から外れれば人の目も少なくなり危険です。野盗狩りは行いますが、もしもの時があっても困るので一定距離ごとに番所を設けます。当面は昼間で移動できる距離毎です。そこには牛や馬の休憩所や宿場町も設けます」
尾張は野盗狩りのお蔭で格段に治安が良いが完全ではない。
現代の警察の様に、一定間隔で兵を置き巡回させ治安や街道の様子をチェックさせるのが目的だ。
宿場町も利用者が金を落とすので、宿場町自体の発展に繋がり、人が集まりやすくなる。
牛馬の休憩所も流通を円滑にする為の工夫である。
「次に水運についてです。特に津島は木曽川、長良川に近いので関わる事が多いと思いますが、流域の治水を行い、船着き場を設けます。当家は伊勢をまだ平定しておりませぬので海に面した地域は活動が難しいですが、美濃尾張間ならば問題はないはずです。九鬼海賊衆と伊勢を平定したならば幅広い商いができましょうが、この点はしばらくお待ちくだされ」
水運は運用が若干難しいが、輸送の手間は陸上にくらべて格段に楽だ。
今までは一部の者しか利用していないが、国単位の利用となれば港町としての発展はかなり期待が持てる。
海運が始まれば扱う商品も規模も桁が変わって来るだろう。
「関所撤廃は読んで字の如くです。寺社、ならず者が通行料を求めた時は我らに通報してください。徹底的に排除します」
この時代、土地を支配する者が好き勝手に関所を作り税を徴収していた。
しかも一か所ではなく同じ道に複数個所である。
これでは当然、輸送費が嵩み商品も高くなるし、何よりいずれ敵対する寺社勢力の収入減を潰す目的もある。
土地の支配者が織田家、あるいは斎藤家に確定した以上、税を取ると言う政治的活動を自分達を差し置いて許すわけには行かない。
しかし関所撤廃のダメージは織田家斎藤家にもあるが、この問題は宿場町、牛馬の休憩所、港の利用で解決させる。
もちろん関所の通行料にくらべれば格段に安く、むしろ適正価格と言ってよい。
「楽市楽座についてですが尾張美濃間において誰が何を扱って商売しても自由です。近江の六角定頼が施行したこの法は、大変有用な真似すべき法です。今、この場にいる人の中には自分の権益が侵害される方もいらっしゃるでしょう。ですが例外は一切認めません。品質を高めたり価格を抑えたりして独自路線を開拓し努力をしてください。大丈夫です。一時的に損を被っても良い物は必ず売れます」
楽市楽座は商人達には抵抗感があったが、成果がある事を歴史的事実として信長は知っているし、この歴史でも近江の商売は楽市楽座のお陰で活発なので譲歩するつもりはない。
「以上ですが、ご質問があればどうぞ」
商人たちは情報量の多さにパンク気味であった。
信長はそんな商人たちをみて口を開いた。
「お主らの戸惑いは解る。急激な改革について行けぬ者もおろう。すぐに効果が出る様なモノでもない。街道の舗装など年単位で時が必要であろう。他も似たり寄ったりじゃ。じゃが、お主らはっきりと夢を見たであろう? 自分が財を築く様を。今は尾張美濃2国間じゃが、お主らが成長すれば、国や民の成長、平和に繋がる。もちろんワシらも成長する。成長した力で他国を取り込み、更に全員成長する。どうじゃ? しっかり夢を見たか?」
信長に言われて商人たちは確かに夢をみた。
自分たちが日ノ本を豊かにする原動力となる事を。
「もちろん、細かな問題は出てこよう。それはその都度吸い上げて対策を行っていく」
そこで信長は一旦言葉を切って商人たちを見た。
戸惑いは見られるものの概ね希望に満ちた目をしていた。
「世は下剋上と言われておる。しかしそれは武士だけではない。この世に生きる全ての者が下剋上の対象じゃ。古く存在意義の解らぬしきたりはワシが率先して破壊する。お主らはその後をついて来い!」
「ははぁ!」
商人たちは一斉に頭を下げた。
明智光秀はこの光景を驚きと畏怖の目で見た。
この様な大改革は自分で説明しておきながら前代未聞であると感じたからだ。
ひょっとしたら商人達からの大反発もありうると思う程に前代未聞すぎた。
しかもその前代未聞の改革は、『うつけ』と名高い信長が発案したとは思えぬほど強烈な改革だった。
かつて婚姻同盟を取り付けた時に感じた『不思議な評価『うつけ』でもあり稀代の傑物でもある』は事実であると実感した。
(改革が失敗すれば稀代の『うつけ』だが成功すれば……)
光秀は新たな主君の為に粉骨砕身働く事を決意したのであった。
【尾張国/那古野城 織田家】
そんな会談が行われていた頃、帰蝶は城下町で一人の少女を見つけていた。
まだ幼さの残る生駒吉乃であった。
《ファラちゃん! とうとう見つけたわ!》
《吉乃さんですか。一体どうするつもりですか?》
《フフフ! 決まっているでしょう?》
帰蝶は不気味に笑い、吉乃に近づいて行く。
「お嬢ちゃん、今暇かい?」
信長の大改革の裏で、別の歴史が動こうとしていた。