22話 家督相続
尾張の統治者が織田信秀に代わった事が領内に行き渡った頃、主だった家臣が清須城に集められた。
【尾張国/清須城道中 織田信長】
「殿、此度の集合は……人質交換の件や美濃との通商の件でしょうか?」
明智光秀が信長に尋ねる。
「そうじゃ。今川とは一旦手打ちとなり、我等は尾張を、奴等は三河の大半を掌握する期間となろう」
「柴田殿は、此度の裁定を何と思われるでしょうな……」
森可成が柴田勝家の心情を推し量る。
この場に当然の様に光秀が居て信長と共にしているのは尾張内乱決着の際、斎藤家から両家との繋ぎとして預けられたからであった。
【末森城決戦後 城内大広間にて】
末森城での決着が着いた後、信秀は斎藤家援軍一同を労っていた。
『此度の勝利は斎藤家の力添えがあってこそ!』
信秀は斎藤家の働きを激賞した。
信秀は今川の謀略を察知出来なかった。
斎藤家の援軍が無ければ信秀陣営は滅ぼされていた可能性が高い、その様に見ていたので若干過剰気味にもてなしていた。
斎藤家側は恐縮しつつもてなしを受けていた。
斎藤家側としては戦の動きは慌ただしかったが、尾張北部遭遇戦も末森城決戦も一方的な蹂躙と言って良い内容だったからだ。
居るだけでも価値があった、などとは夢にも思わない。
自分達の価値を正確に把握していたのは斎藤義龍、明智光秀他僅かな者だけであった。
そんな思惑が交錯する中、光秀が義龍に書状を差し出した。
『新九郎様(斎藤義龍)、大殿(斎藤道三)より書状を預かっております。戦が終ったら渡すように言われております』
『ふむ?』
言われて差し出された書状の中身を改める。
『……。お主は内容を把握しておるのか?』
『いえ? 某は聞かされておりませぬが……』
『そうか』
そういって義龍は光秀の頭から足まで視線を動かす。
『まぁ……何とかなろう』
『……?』
訝しむ光秀。
そんな光秀に意味ありげな笑みを見せつつ、義龍は信秀に書状を手渡した。
『弾正忠殿(織田信秀)、我が父よりの書状になります。内容をお改め下され』
『山城守殿(斎藤道三)からか。フフフ。何が書いてあるやら……?』
信秀は一読すると、義龍に話しかけた。
『これは……中々迷う提案よな。すぐには返答出来かねるが、恐らくは良い返事は出来るであろう。人選が必要である為、しばし刻を頂きたい、と山城守殿にお伝え願いたい』
内容は要約すれば『家臣の交換留学』で、斎藤家側からは明智光秀が派遣される、との事であった。
史実では明智光秀は足利将軍家に所属しつつ織田家にも仕えていた。
だから有り得ない訳ではないが、他家の家臣を入れるという事は、機密が機密で無くなる可能性がある。
史実の織田家と将軍家の様に余程の信頼関係や力の差が無ければ実現しない事であった。
ただ、信秀には実現するであろう予感はあった。
『ところで弾正忠殿、妹の帰蝶は息災ですかな? こちらに居たりは……』
『そ、息災も息災、大息災ですぞ! 斎藤家は恐ろ……素晴らしい姫を育てられましたな!』
『こちらには……』
『こ、ここには居りませぬ。(居るが流石に戦に参加したとは言えぬわ!)』
『左様ですか……』
義龍はその後の宴会は上の空であった。
後日―――
信秀は信広と信長を自室に呼んだ。
『お主らを呼んだのは他でもない。今後の織田家の方針についてじゃ』
今この場には信秀、信広、信長の3人しか居ない。
信行は今川に降ったが扱いは行方不明となっている。
『とりあえず決めねばならぬ事は3つ。1つ目は今川との和平及び人質交換、2つ目は斎藤家との案件、3つ目は家督についてじゃ。後日家臣も交えて話すが、まずはお主達に内々に申し付けておく』
(18年も尾張統一が早まってどうなるかと思ったが、順調と言って良いのだろうな)
信長は転生者ならではの視点で信秀の考えを読もうとする。
(家督か。勘十郎(信行)は脱落だろうが、兄上がどう反応するかであるな。できれば争いたくは無いが……)
史実では信広は信長と争っているが、和解した後は織田家をまとめつつ信長の為に動いていた。
『父上、家督についてお願いがございます』
不意に信広が口を挟んだ。
しかも、最重要案件であろう家督についてである。
何を話すのかと信長は身構えたが意外な提案が信広の口から飛び出した。
『家督については弟の三郎を推薦いたします』
家督を諦めると信広は言った。
『あ、兄上、それは……』
願っても無い申し出ではあるが、まさか推薦されるとは思わず、思わず信広を見る信長であった。
『……訳を聞こうか』
信秀は信広に理由を聞いた。
『此度の尾張内乱、未だに信じ難いのですが……この三郎の力があったからこそ切り抜けたとワシは思うのです。犬山城は損害無しで奪取し、寛貞との戦いも三郎の策で圧勝しました。末森城への独自援軍1000人(信長親衛隊)の手配もそうです。それに……もしかしたら斎藤家の援軍も三郎の発案ではないのですか?』
信広は信長の力を見抜いていからこそ、随所に意見を求めていたのだった。
信広の思いを察した信秀は、信広を見据えて話はじめた。
『……そこまで見抜いておったか。ならば、話さねばなるまい』
信秀は観念したように話はじめた。
『まず三郎五郎(信広)の言うた事、全て事実じゃ。これも話さねばならぬのだが……此度の内乱はワシが原因なのじゃ』
『え? それは親父殿を妬む奴等の……』
『そうではない。斯波義統をワシがそれと解らぬように唆して、ワシに対して挙兵させたのじゃ。……尾張を統一するためにな。一世一代の自作自演よ』
『なんと! ……そう言えば、年初の挨拶で『尾張の為、民の為』『今年は正念場』と言ったのはコレを指していたのですか!?』
信秀は年初の挨拶でこう述べた―――
『今年も我が織田家は尾張の為、民の為、積極的に動く事になる。皆、今年は正念場となる事が予想される。準備に抜かりなく励むように!』
信秀は『主君の斯波家の為』とは一言も言わず、何人かの家臣は疑問に思ったし、信長も平手政秀に『言葉が足りぬな?』と耳打ちしていた。
信秀は年初、あるいはそれよりも以前に計画し謀略を実行していたのだ。
信広は当然ながら、信長も驚いた。
(親父殿は主家を凌ごうとも、律儀に支える人だと思っておったが、こんな事もするとは!)
『その通りじゃ。しかし、どこからか今川が嗅ぎ付けた様でワシの謀略に更なる謀略を上乗せしてきおった。また、斯波義統はこちらの想定を上回る兵を揃えてきた。負けるとは思わぬが損害も大きくなろう。ワシは内心困り果てたわ。……三郎よ』
不意に信長に話しかけた。
『お主の斎藤家への援軍要請書状及び1000の兵は今川関与が発覚する前であった。……こうなる事を読んだのか?』
嘘は許さん―――
信秀の眼はそう語っていた。
信長はどう説明するか迷ったが転生の事は伏せつつ正直に話した。
『最初の犬山、楽田両城の謀反ですが、挙兵した所でたかが知れています。これでは奴等の勝ち筋がありません。謀反を起こすなら必勝の策があるはずです。――――――――と言うわけです』
信長は自分がどう予測して結論に至ったのか全て話した。
『すると、謀反の初期も初期から動いておったのか!』
信広は驚き自分の家督推薦が間違いない事を確信した。
『この戦の全容を全て読みきったのは三郎一人じゃ。ワシすら読めんかった。……だから三郎五郎よ。お主の提案受けようと思う。家督は三郎に譲ろうと思う。どうじゃ三郎?』
『(史実より格段に早いが断る理由も無い。兄上も認めてくれておる)……解りました。お受け致します』
『1度は断るかと思ったが三郎らしいの! 三郎五郎よ。済まぬが三郎を支えてやって欲しい』
そう言って信秀は頭を下げた。
『父上、ワシは元より異存はありませぬ。三郎なら今川と対等に渡り合えるでしょう』
『そういう訳じゃ。三郎よ、皆に知らせるのはまだ後であるが準備と心構えは万全にしておく様に。それと流石に13歳では他家に舐められ、する必要の無い苦労があろうから、対外的にはワシが当主のままじゃ。しかしやりたい事はワシの名前を使って遠慮無くやれ!』
『はっ!』
(尾張統一は18年、家督相続は5年早い。歴史修正は順調なのであろうか? ……兄上が味方なのだから良い傾向と見ておくべきなのじゃろうな)
信長は今の状況が必死に足掻いた結果であると思う事にした。
『次は……そうじゃな、斎藤家の提案について決めるか。……濃姫殿をお通ししろ!』
信秀は外に控える小姓に帰蝶を呼ぶように告げた。
しばらくして聞こえてきた。
テレパシーが。
《……でね! こう言ってやった訳よ!》
《帰蝶さん……凄いですね……》
《早く会って遊びたいわ~》
《程々にお願いしますよ?》
近づいてくるテレパシーで、帰蝶がファラージャと話し込んでいる事に信長は気づいた。
《お主ら楽しそうじゃな? 遊ぶ? 何の話じゃ? こっちはワシの家督相続が決まったぞ?》
《おっと、信長さん、盗み聞きとは趣味が悪いですよ?》
《知らん! 聞こえてしまうのじゃ!》
《上様、家督相続おめでとうございます! ……おっと》
『濃姫様、お見えになりました!』
『通せ』
『はっ!』
小姓の言葉でテレパシーが遮られ、帰蝶が入室してきた。
『お待たせいたしました。ただ今参りました』
帰蝶は恭しく礼をした。
《お主の変り身の速さは……なんと言うか……惚れ惚れするわ……》
《女の嗜みの一つですよ。ね? ファラちゃん?》
《そうですね~》
信秀の声が割り込んで来る。
『うむ、よくぞ参られた。早速じゃが一つ伝える事がある。この三郎が織田家の家督を継ぐ事になる。ワシと三郎五郎の意見も一致しておる』
『濃姫殿。三郎五郎にござる。婚儀の儀以来であるが、健やかそうで何よりだ。ワシも三郎を支える故、お互い内に外に協力して織田家を盛り上げようぞ』
『はい、お義兄様、お互い内に外に活躍してまいりましょう!』
《おい!》
《フフッ》
帰蝶は『外に』の所で含みを持たせる言い方をし、信長と信秀はすぐに何を言っているのか察した。
実は信広は帰蝶の暴れっぷりを知らないので、一瞬疑問に思ったがすぐに忘れ、後々驚く事になるのであった。
『ま、まぁ程々にな。さて濃姫殿も来た事で次の話じゃ。濃姫殿を呼んだのは斎藤家との事なのじゃが、実はあちらの家臣を織田家に預けたいそうじゃ。代わりに我らも出す。互いのやり取りや通商を円滑にする為じゃな』
『それは……父上はどう思われますか?』
信広は警戒感を持った。
『ワシは……受けても良いとは思うが、三郎、お主が決めよ』
『斎藤家は誰を遣わすのか決まっているのですか?』
『明智光秀と言う者じゃ』
《ここで光秀か!!》
《あら!》
《最重要人物ですね……》
信長、帰蝶、ファラージャは三者三様驚いた。
『ワシは受けて良いと思われます』
『ほう、理由を聞いておこうか?』
『これからは必ず銭の時代になります。我等は津島と熱田を抑えておりますが、美濃の物産も扱えればより大きな商いができるでしょう。米以外に価値の基準となる銭の力は必ず尾張を発展させましょう。それを円滑に進める為ならば機密を失って余りあると考えます。仮に斎藤家が良からぬ事を思おうとも、我等と手を切るには損害が大きすぎると思わせれば良いかと』
『そうか。詳細は後ほど詰めるとして、受け入れる方向で動くとしよう。家臣の選抜も任せる』
『はっ!』
信長は表向きの利点を並べて受け入れるべきだと述べた。
信長は前世の経験で銭の力は絶大である事を知っている。
それに自分達のみならず、日ノ本全体を栄えさせる必要もある為、商いは重点項目と言って良い。
当然表向きと言うからには裏向きの理由もある。
明智光秀は前々回の本能寺の直接的原因であり、信長の筆頭家臣に登り詰める有能な家臣なので何とか裏切らない様にコントロールするのが目的である。
『……』
『……?』
妙な沈黙が訪れた。
『明智なる者の事を聞かないで良いのか? その為に濃姫殿に来てもらったのじゃが……』
《しまった!》
《え! 明智殿についてですか!?》
信長と帰蝶は光秀については知り過ぎている為、今さら尋ねる事など無かったが、この歴史で信長はまだ光秀を知らない事になっている。
それをすっかり忘れてしまっていた。
『あ、あー、勿論聞きます。聞きますとも! お、於濃! 明智光秀……殿について何か存じておるか?《た、頼む、何とか場を繋いでくれ!》』
『《えぇ!? そんな!》 あ……えーと、私も……そ、そう! 病で臥せっていた期間が長かったので詳しくは存じませぬが、父の側近として若くから頭角を現し始めたそうです。合理主義者とも聞いております? これからの織田家にとって必要な人材といえましょう』
正直な所、帰蝶には織田家に仕えた後の光秀しか知らない。
史実では斎藤道三が義龍と争って敗れたあと、将軍家に辿り着くまで諸国を回ったので、遠い血縁者であったと知るくらいで、それ以外に知っているのはこの先の未来での活躍だけだ。
従って、何とかそれっぽい事を言うに留めるのが精いっぱいであった。
『そうか。まぁ山城守殿の眼に適うのであれば確かな人材であろう。あとはこちらに来てからのお楽しみとしておくかのう』
『そ、それが宜しいかと! ……後は今川の件ですか!?』
信長は強引に話題を切り上げて次の案件に移行させた。
『最後は今川家との手打ちじゃが……和平をするなら人質交換が前提となろう。こちらは竹千代、奴らは勘十郎(信行)、権六(柴田勝家)じゃな。竹千代を失うことは三河を手放すに等しい。じゃが我等も尾張を完全掌握するにはまだ時が要るのに今川と構えるのは得策ではない。勘十郎、権六を見捨てたと吹聴されるのも体裁が良くない』
『交換すべきかと』
『流石と言うべきか……即決じゃの?』
信広は考える素振りを見せない信長に訳を聞く。
『土地は逃げませぬ。しかし、人は簡単には育ちませぬ』
未来がどうなるかは最早予測不能な信長であるが、徳川家康との関わりは入念に築いたし、柴田勝家の才能はこれからの織田家に必要である。
三河を失うが、デメリットばかりではない。
『親父殿の言う通り我等はこの期に尾張を固めましょう』
『わかった。お主がそう決めたのなら、その様に交渉しよう』
《竹千代ちゃん……》
《今日明日の話ではない。まだ時はあろう。しっかり鍛えてやれ》
『よし、以上で……おっといかん! 一つ忘れておった! ……三左衛門を連れて参れ』
(三左衛門? 森可成か?)
森三左衛門可成とは史実にて浅井朝倉連合軍との戦いで討死するまで信長の筆頭家臣だった武将であり、『槍の三左衛門』と恐れられ、武功はもちろんであるが内政においても活躍し、信長が最も信頼を寄せる家臣の一人であった。
本能寺で信長と共に討死した森乱丸は森可成の子供である。
その森可成がこのタイミングでこの場に来る事に信長は疑問に思ったのだ。
『殿! 忘れられたのかと心配しておりましたぞ!?』
『ハハハ! いや、忘れるわけが無かろう! 本当じゃぞ!?』
可成が入室し、笑いながら文句を言った。
『三郎、この三左衛門をお主に預ける。好きに使ってみせい』
森可成は尾張内乱での陣触にて信長に付けられた家臣の一人であるが、当初は嫌で嫌で仕方なかった。
家督争い云々ではなく、絶対に自分とは相容れないと考えた。
信長が何を考えてあの様な『うつけた』行動をするのか全く理解できなかったからだ。
ところが、今回の戦で信長に付き指揮采配や戦い振りを見る内にすっかり魅了され、信秀に直訴して正式に配下にしてもらう様、頼み込んでいたのであった。
『改めて名乗りまする。森三左衛門可成、三郎様に、織田家に尽くし盛り立てる事を誓いまする!』
『(ここで三左衛門か!)うむ、よろしく頼む。期待しておるぞ! ……兄上と三左衛門はこの後、用事など無ければ一緒に来て貰いたい所があるのですが、大丈夫ですか?』
『む? 良いぞ?』
『はっ! 某も問題ありません』
『(悪餓鬼部隊を披露するのか)ワシも行っていいか? 濃姫殿も行くのであろう?』
『構いませんが、父上は既に……』
『二人の顔が見たい』
《……!? ……人が悪い!!》
《これは! 期待されているわね!?》
信長は歴史が変わり、早い時期に信頼のおける様になった信広と可成を、親衛隊と面通しさせる気でいた。
一方で、信秀は驚く2人を見て笑うつもりでいるのだ。
この後帰蝶は大ハッスルし信秀の期待に応えて信広、可成両名の目を点にさせたのだった。
こうして大筋の方針が決まり、冒頭の時間に戻る。
【尾張国/清須城道中 織田信長】
清須城に向かう道中には帰蝶も同行していた。
《ところで、先日の三左衛門が配下になった日、ファラと何か話していたな? 遊ぶとか何とか》
道中なんとなしに信長は聞いた。
特に気になった事があった訳では無い。
ただ単に思い出して興味本位に聞いてみただけである。
《気になります~? フフフ。いいですよ~》
意味ありげな反応に、嫌な予感を信長を覚える。
《……いや、やっぱり聞かないでおく》
《吉乃ちゃんの事ですよ~》
拒否したのに帰蝶は答えた。
なんとなしに尋ねて聞く人物の名前では無かった。
吉乃―――
即ち生駒吉乃。
史実で信長の側室となり、嫡男信忠、次男信雄・長女徳姫を産む事になる。
避けて通れない問題であり、特に信忠は後継者として、天正10年の本能寺に同行する人物である。
帰蝶健在の今回どの様に歴史が変わるか?
信長は頭の痛い問題に直面してしまい、難しい顔をしつつ清須城に向かう事になったのだった。