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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
16章 永禄3年(1560年) 弘治6年(1560年)契約の化かし合いと、完璧なる蠱毒計
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142-2話 契約 覚恕の約束

142話は2部構成になります。

142-1話からご覧ください。

【近江国/比叡山 延暦寺】


 信長と光秀が延暦寺の用意した船で、延暦寺に対する攻略談義と言う、失礼極まる会話をする中、延暦寺でも信長を虚仮にする会談が行われた。


 あの程度の約束で、大人しくするハズが無かったのである。

 覚恕としても、あの約定を守った上で反撃する策を練った。


 その策の手段として、覚恕は足利義輝と細川晴元を延暦寺に招いて居た。

 彼らが比叡山に足を運ぶのは、もう何度目か。

 尾張で鍛えられたお陰で、山道も然程苦にしない。(73話参照)


「では、これにて完全合意が成され、将軍家と六角家は元通りの関係となりました」


 足利将軍家と六角家は、中立の延暦寺を仲介とし既に停戦和睦を結んで居たのである。


 それは丁度、昨年信長が延暦寺に電撃訪問した時の事である。(140-2話参照)

 あの時、信長は2日待たされた。


 延暦寺が信長との答弁想定に苦慮したのもあるが、実はあの時、足利義輝と六角義賢が比叡山で停戦和睦交渉を行って居たのである。

 だから覚恕は、即座に信長に会いに行けなかったのであった。

 結局、信長が帰還した後に今後の方針が練られ、条件面はともかく停戦は合意された。


 また、それ以前に、とうの昔に直接の争いは絶えてたのである。

 従って、随分前から六角義賢は京から動けぬフリ。

 足利義輝は京を狙うフリを続けた。


 ただ、フリとは言え、両陣営共に合意前から既に万策尽きて居た。

 退くに退けず現状維持を選択し、それを長慶が再活性化させるべく信長を動かしたが、既に戦う意思を完全に折ってしまった。

 蠱毒計が活性化していないも当然であろう。


 これは、三好長慶と織田信長両者のミスである。

 仕掛けた蠱毒計と、その後の包囲が完璧過ぎたのである。

 ここ迄、関係が拗れた両者が『和睦など有り得ない』と勝手に断定してしまった。


 しかし現実は、計略の威力が強烈過ぎて、両者ともに戦う事を断念させてしまった。


 そこに、両陣営程では無いが、同じ様に困っていた延暦寺の覚恕が付け入った。

 覚恕は起死回生の策を思い付く。

 お互いプライドが邪魔をして和睦出来ないなら、延暦寺が間を取り持つ。

 誰も頭を下げられ無いなら、己が代わりに下げる。


 それが上手く行ったが故の和睦である。


「では左近衛中将様(義輝)はこれより大御所として、14代将軍の左馬頭様(義冬)を後見すると共に、右京大夫様(晴元)は管領として補佐し、六角左京大夫様が軍務を担う。次の代には覚慶殿(義昭)を還俗した上で、左馬頭様の娘を嫁がせる」


 覚恕は粘り強く両者を説得し取り持った。

 特に足利義輝には、もう13代将軍としての復帰は不可能だと。


 ここだけが、義輝陣営の頭を縦に振らせられ無い箇所で、覚恕も頭を悩ませた。


 14代将軍位は、六角義賢が強引に朝廷から捥ぎ取った将軍位であるが、朝廷も義輝が既に死していると勘違いしたのも原因であった。

 現実問題として、朝廷が間違いを認める事は無い。

 脅されて将軍位を授けたなど(色々今更ではあるが)有ってはならない事で、そこを無理やり認めさせる事は朝敵になりかねない愚行である。


 一応、返り咲きの先例が無い事も無い。

 鎌倉将軍家、徳川将軍家の過去も未来も全ての歴代将軍の中で、たった一件例外がある。


 それが10代将軍足利義材(義稙)と、11代将軍足利義澄の例である。

 管領細川政元が10代義材を追放し義澄を11代として擁立するが、大内義興に保護された10代義材から11代義澄が逃げ、復帰出来ないまま死去した。


 ただ、今の状況は先の前例とは違い過ぎる。

 六角義賢によって13代義輝が追放され、14代義冬が擁立されるが、六角陣営も権力を握ったまま風前の灯火である。

 これで義輝陣営が活発なら先例を習い復帰も可能だが、残念ながら義輝陣営も風前の灯火である。


 一方が一方を破った瞬間、己も自滅するのが蠱毒計。


 そこで覚恕が示した抜け道、『大御所』である。

 大御所と言えば徳川将軍家のイメージがあるが、一応、室町時代でも使われた形跡があり、直近では12代将軍足利義晴が義輝の後見として君臨―――する程の権力があったのかは疑問が残るが、そう称されている。


 覚恕は義輝に、大御所として立ち振る舞う事を勧めた。

 現実的に復帰は無理だが、大御所として強い影響力を残したまま14代義冬の後見となる。


 更に次には15代を弟の覚慶とする事で、前々将軍として、兄として更に強い影響力を残す。

 オマケに義冬の娘を覚慶に嫁がせて、両者の血筋も残す。

 その上で、六角軍は直属の軍勢として京を守る。


 妥協案として、義輝の権威を最大限確保した覚恕の提案で、六角陣営も認めた約束であった。


「分かった。これで手を打とう」


「ありがとうございます。これで全てが上手く行きます」


 覚恕はそう言ったが、自分で言いながら全く信じて無い。

 将来的にどうなるか分からない約束で、覚恕としてもこんな夢物語が守られるハズが無いと確信している。

 例えば義輝に男児が生まれたなら全てご破算の約束だが、とりあえず今、矛を収めさせる理由としては妥当なラインであった。


 それに足利義輝も、六角義賢も、表向きはどうあれ、内心はこの蠱毒から抜け出したくて仕方なかった。


 戦いを終えたかった。

 だが先に折れるのだけは嫌だ。

 そこへ覚恕が手を差し伸べた。

 戦う意思は無くとも、先に相手に頭を下げるのは出来ないと覚恕は読み、それが当たった。

 見事な迄の、覚恕のバランス感覚であった。


「では、これにて足利左近衛中将様と六角左京大夫様の和睦と相成りました。ならば延暦寺としても約束を守らねば成りませぬ」


 ここに来て蠱毒計は破綻したが、蠱毒計の先を覚恕が話し始めた。


「延暦寺としては織田と不可侵の条約を結んでおります。だから、延暦寺の僧兵は援軍として出す事は出来ません」


「何だと!? ではどうするのじゃ!?」


 義輝としても、延暦寺の兵力を当てにした和睦である。

 それが初っ端から躓いたのなれば、驚くのも無理も無い。 


 勿論、覚恕もその抗議は織り込み済みである。


「僧兵は出せませぬが、還俗したならば我等とは無関係」


「……! 成程な」


「そう言う事です。武具や兵糧も勝手に持ち出した、と言う事です」


 還俗とは僧侶を辞め俗世に還る事。

 強引な解釈だが延暦寺と無関係なら、信長との約束を破った事にならない。

 これが信長が見逃した約束の不備の一つである。

 信長は還俗も封じる約定を結ぶべきであったが、この時代特有の契約の不備の常識に信長も嵌っていたのだった。


「還俗して延暦寺との関係を断った兵を、左近衛中将様に預けます。六角軍も包囲で弱ってますが、和睦が成った事で、今度は興福寺からの援助が可能となります」


 山城国の北を足利義輝、南を六角義賢が制していたが、山城国南の大和国には興福寺がある。

 この興福寺は義輝に加勢する弟覚慶(義昭)が修行している寺である。

 この興福寺は、延暦寺や本願寺に負けず劣らず強力で、鎌倉武家政権、室町武家政権も大和国に守護を任ずる事が出来ない位の力を持っており、大和国の実効支配者といっても過言では無い。


 そんな延暦寺と興福寺を指す言葉に『南都北嶺』がある。

 南都とは奈良興福寺を、北嶺は比叡山延暦寺を指し、強大な経済力と武力にて称えられた言葉である。


 この興福寺は六角の背後に位置する為、弟覚慶が属する将軍陣営に加担する事も可能ではあったが動けなかった。

 興福寺が京に乱入すれば、当然ながら延暦寺が黙っていない。

 

 以前、延暦寺を『強訴の常連』と表現したが、実は興福寺も負けず劣らずの『強訴の常連』である。

 しかも、お互いを対象とした強訴も繰り広げており、決して仏教徒同士仲が言い訳では無い。

 だから、覚慶一派を義輝陣営に送る以外、積極的に関われなかった。


 だが、延暦寺を仲介として和睦が成立するなら別である。

 足利義輝、六角義賢、興福寺一丸となって対抗が可能になる。

 興福寺出身の覚慶が、15代将軍と言うのも大変魅力的である。


 これが覚恕の描いた、起死回生の一手。


 約定第一項『延暦寺と坂本への不可侵』については覚恕にミスがあった。

 しかし、約定第二項『六角と将軍の争いに加勢しない』は信長にミスがあった。

 信長は『加勢』を封じるのではなく、『関わり』を封じるべきであった。


 確かに争いに加勢はしていない。

 ただ両者の仲裁をしただけであり、むしろ争いを収めたのである。

 誰に何の文句を言われる筋合いは無い。

 還俗した僧が無関係だと言うのも、かなりのグレー行為だが、間違ってはいない。


 それでいて、これ程の背信行為をしてなお、信長との約束も一切破っていない。

 日本の契約恐るべしとでも言うべきなのか。


 かくして、新生足利六角軍は朽木で織田軍とぶつかる事になる。

 これこそが、三好長慶、織田信長が失念し、帰蝶が漠然と不安を抱えた元凶。

 日ノ本伝統の善意頼みの契約が後押しした結果、蠱毒の虫の和睦と言うウルトラCが発現する、覚恕の執念の成せる業であった。


 ここ迄の経緯が、織田軍が延暦寺の船に乗船した頃の話である。

 今頃、義輝と晴元は大急ぎで山を下山し軍勢をまとめ、興福寺の援助を受け入れている頃。


「これで厄介な織田家は進撃が止まる」


 覚恕は織田家を厄介な相手と認識していた。

 願証寺の顛末を知るからこその判断である。


 ただ―――

 覚恕個人としては、織田家はそこ迄は憎悪の対象では無かった。

 覚恕の戦略からすれば、織田家はある意味、ありがたい存在とも思っていた。


 何故か?

 

「足利将軍家、六角家、興福寺! 我が延暦寺の膿たる破戒僧! 愚か者共を一挙に消し去ってくれる!」


 今回の覚恕の行動は、決して私欲の為だけの行動では無かった。

 覚恕は覚恕で理想があった。


 足利将軍家は六代将軍の足利義教は、かつては延暦寺の天台座主として僧侶の身分に居ながら比叡山を焼いた仏敵で、その血筋に連なる足利義輝を許す理由は無い。

 それ以上に、13代将軍も無力の癖に足掻いた結果が蠱毒計の大惨事では、許せるはずも無い。

 六角家は、そもそもの蠱毒計を成立させてしまった戦犯で、延暦寺を巻き込んだ罪は大きい。

 興福寺も延暦寺にとって対立寺院であり、足並みを揃えるなど最初からあり得ない。


「だが、それよりも―――」


 長年思い悩んでいた事が、解決しそうな現状の方が大事であった。


「今こそ、延暦寺は襟を正さなければならぬ!」


 今の延暦寺の現状が最澄に顔向け出来ぬ、悲惨な有様だと言う事を、忸怩たる思いで悩んでいた。

 信長の天下布武法度に言われる迄も無い、僧侶の在り方に悩んでいた。

 皇族でもある覚恕は、血筋で高い地位にいるからこそ、堕落にも無縁であった。

 血筋の出世に嫉妬の目を向けられるが、血筋があるからこそ強く自制も出来る。

 ただ、他の僧侶の堕落から得た金銭で生活している矛盾にも、苦しんでいた。


 そんな折、蠱毒計で延暦寺にも看過出来ぬ被害が現れたが、ピンチはチャンスとでも言うべきか。


 不良僧侶は欲に忠実である。

 しかし今の延暦寺において欲を充分に満たす事は不可能である。

 ならば不良僧侶は還俗させて、延暦寺から追い出し将軍の兵として使い潰してもらおうと。


 更に興福寺を争いに巻き込み、織田と敵対して貰う。

 同時に延暦寺は綱紀粛正を図り生まれ変わる。

 外患を利用し内患を追い出し、更にその外患をも追い払う為に全てを利用し、内憂外患を一挙に始末する一石二鳥どころでは無い策である。


「私は全ての約束を守る! そうして延暦寺として兄上(正親町天皇)をお助けするのだ!」


 信長と長慶が取り決めた近江への圧迫は、信長が半ば解釈を曲げた。

 信長と覚恕が果たした約束は、お互いが記載事項だけは完璧に守った。


 良くも悪くも、これこそが日ノ本の約束である。


 こうして言霊を最大限利用しつつ、されつつ、契約に明記されていない穴が原因で、三好長慶も織田信長も察知していない戦いが始まるのであった。

挿絵(By みてみん)

あけましておめでとうございます。

本年も信長Take3をよろしくお願いします!


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