141話 近江南西攻略戦
【尾張国/人地城 帰蝶脳内】
帰蝶は昨年からずっと気に掛けている事があった。
《……。うーん? な~んか、嫌な予感がするのよね~? 三好長慶は本当に病んで無いのかしら?》
《知ってますか? 予感と言うのは決して根拠の無い妄想とは違うんですよー?》
《知る訳無いでしょ。と言うか妹よ。それ未来知識じゃ無いの?》
《え!? こ、これは未来知識じゃなくて、経験豊富な人は確信している感覚だと思いますよ!? ねぇお父さん!?》
《え? その話をワシに振るのか? 言いたい事は理解出来るが、胡蝶の如き未来知識で説明出来る程に理解もしてい無い。ワシも勉強中じゃしなぁ》
《そうですか。父上で説明出来―――》
《ん? 今、妹って言いました?》
《同一人物の双子な訳だし、先に生まれたのは私だし妹かなって。父上はどう思います?》
《え? その話もワシに振るのか!? うぅむ? ……先に生まれたのは帰蝶に違わぬが、そう言えば今更じゃが胡蝶は一体何歳なのじゃ?》
《私は15で肉体が完成し、その後は不老不死で過ごしてますからね。老化年齢は帰蝶さんが上かも知れませんが。経過年齢ならお父さんにも負けませんよ。だから姉が私だと思いますよ》
《老化年齢と経過年齢って……。あんた、一体何年生きてるのよ……》
遥か未来と戦国時代が脳内で繋がり、仮想の様な現実で親子の団欒をする斎藤家。
この時の老化年齢は、帰蝶25歳(魂48+5+15歳)、ファラージャ15歳(魂?歳)、道三20歳(魂62+63+α歳)であり、最初の『嫌な予感』の話が、あっという間に脱線してしまうのも無理は無い。
帰蝶は後々後悔する事になる。
何でもっとちゃんと予感と向き合わなかったのかと。
【尾張国/人地城 織田家】
三好長慶が構築した、六角家と足利将軍家の共倒れを狙った蠱毒計から5年。
また、長慶の要請により昨年より計画してた近江侵攻計画。
間もなく農繁期に差し掛かる尾張では諸将が集められた。
「これより近江を制圧する。重左衛門(後藤賢豊)。準備は万全だな?」
「はッ! これより赴く地の大半は内応の約束を取り付けました。完全とは行きませぬが、大した労は必要ありますまい」
毒壺の役割を果たしている三好家と織田家の強固な防壁により、六角家と将軍家は領地の維持も難しい程に疲弊している。
機は熟し刈り取るは今しか無い。
「まぁ、完璧は無理じゃろう。時勢の読めぬ頑固者、ある意味天晴な忠義者も居て当然。そ奴らは武力で追い払え」
信長は、その要請を馬鹿正直に受けるのでは無く、己の中で噛み砕いた上で進軍を決意した。
織田に対する三好の策略の可能性が僅かにでも可能性ある以上、捨て切れ無いからだ。
攻撃を受ける六角義賢は京を離れられ無い。
正確には天皇御所から離れられず、信長の近江侵攻に対し迎え撃つ事が出来ない。
御所から離れた瞬間、京で敵対している足利義輝に御所を奪還されてしまうからだ。
もう完全に詰んでいた。
そんな詰んだ状態を長期間に渡って三好長慶の計略により、無理やり維持されて来た。
最早、生きている死体同然である。
「次! 朽木に対する行動だ。十兵衛、問題無いな?」
近江には織田家、斎藤家、延暦寺、六角家、朽木家が主要な勢力として争っている。
その内、近江南東の織田家と近江北東の斎藤家は同盟関係で、近江西の延暦寺はどの勢力とも関与しない立場。
延暦寺を間に挟んだ北西に朽木家、南西が六角家である。
「はッ! 斎藤家からは京極殿の軍を借り受けました。これで斎藤家として動く事も可能です」
当初、将軍派だった京極家は、浅井家との仲の悪さと将軍派の未来の暗さから、斎藤家に鞍替えした。
没落した京極家再興を、義龍が約束する破格の好条件も後押しした。(95-1話参照)
朽木とは隣接しつつ、飛騨監視で忙しい斎藤家に代わり出陣するのは、当然の成り行きであった。
「よし。足りぬ軍は織田から出す。手順はこうじゃ。まず南西近江の延暦寺領以外はすべて平らげる。その後、一部を琵琶湖を経由して朽木に向かわせる。その為の船は延暦寺が提供してくれる」
延暦寺とは不可侵の条約を結んでいる。
とは言え延暦寺領地の北と南が騒がしくなる中、全くの不干渉は貫けなかった。
そこで延暦寺の覚恕は、信長とある約束をした。
その内の一つに、坂本に有する延暦寺の軍船を貸し、近江北に織田軍を渡す事で、織田の侵略を避けつつ貸しを作る事で安全を確保する戦略であった。
「此度の近江六角制圧の軍は、森可成を総大将とし、後藤、進藤、蒲生、滝川を副将に付ける。総勢4000で内応した地域を併呑しつつ、抵抗する勢力は全て平らげよ」
「はッ!」
「後詰は北畠! 柴田、塙、於濃を副将に、総勢2000で前線の様子を伺い警戒を怠るな」
「はッ!」
「後、於濃に別任務を課す。先方軍が進軍した後の民の保護も同時に行え。法度の恩恵を民に行き渡すのじゃ」
「はい」
《……? 何ぞ懸念があるのか? お主の事じゃから嬉々と返事するかと思ったが?》
《え? あ、いえ大丈夫です》
《?》
予想と異なる帰蝶の、上の空で覇気の無い返事に信長は違和感を覚える。
だが、今は編成を決める大事な場であり、すぐに切り替えた。
「南西近江を担当する軍の功績は、どれだけ損害を抑えられるかが勝負。後藤達の事前工作で骨抜きになった地域だ。無論、戦うべき場面では戦え。しかし自軍は当然、地域の損害も可能な限り抑えよ。戦後の復興と体制の構築速度こそがこの後の戦略に必要じゃ。必要な権限は全て三左衛門(可成)に託す。必要と思った事は全て行え。責任はワシが負う!」
今回、信長は近江南西侵略の総責任者の立場ではあっても、総大将の立場では無い。
援軍として他国に武将を派遣する事はあっても、本格的侵略に信長が総大将を務め無いのは初である。
厳密には、北勢四十八家討伐では信長が命令に従う場面もあったが、あれは今を思えばお遊び同然であろう。
今回の歴史では、多方面作戦を展開する時期が、早まりそうだとの予感があった。
史実における軍団長システムを、早期に導入する必要があると感じていた。
だから、まずは森可成を試す。
しかし、例え可成の戦略が間違っていたとしても不問とし、その結果がもたらす展開の責任は信長が負う。
とにかくやらせてみる。
いつかは一歩を踏み出す必要があるなら、それは今であると判断した。
無論、信長も頓珍漢な暴走をする可能性のある者を、指揮官には据え無い。
その為の教育も意識改革もして来た。
後は任命責任として、どんな不都合な結果が起きても受け入れるだけである。
「次! 近江朽木家制圧にはワシが指揮をとる。明智、京極を副将とし総勢は3000じゃが、織田家からは更に3000の援軍で向かう。佐久間は援軍大将として指揮を任せる」
「はッ!」
この朽木領は信長が指揮を取り攻めるが、奪った領地は斎藤家に譲渡される。
この取り決めに当初、義龍は嫌がった。
『苦労をした者が、一番の旨味を吸えなくてどうするのじゃ!』
斎藤家は、別に朽木を単独で倒せぬ程に困窮している訳でも無い。
信長が奪った地を無条件で譲られるのも、義弟に対して劣る様で嫌だった。
しかし信長も引かなかった。
『朽木は織田にとっては飛び地となり、統治が難しいのです』
琵琶湖経由で繋がっているとは言え、飛び地は色々面倒である。
領地が繋がる斎藤家の方が統治は楽なのは間違いない。
だがこれは真の理由では無かった。
『……とまぁ、これは建前。真の理由は、朽木を攻める事、これ即ち将軍家に対し明確な敵対行動を取る事』
『ッ!? ワシの腰が引けると申すか!? 別に我らも躊躇はしないぞ!?』
気分が悪くなったのか、顔色を変えて抗議する義龍。
それでも信長は引かなかった。
『そこを心配しているのではありませぬ。心配せずともいずれは義兄上にも関わってもらいますが、その最初の一歩は絶対にワシがやらねばならんのです。天下を目指す者として手を汚す事は己が一番最初でなければなりませぬ。これは絶対に譲れませぬ』
『ぬう……! ならばせめて―――』
ついに義龍は折れ、援軍を出すのを譲歩案として信長に通した。
京極軍や、斎藤家家臣が派遣されるのは、この様な経緯があった。
「朽木への後詰は不破を大将に、副将として斎藤(利三)、丹羽。総勢2000じゃ。こちらは南近江と違い確実に戦いが起きる。朽木の将軍に対する忠誠故に、事前工作は芳しく無かった。しかし、それならそれで都合が良い。減衰する六角との均衡を保つ為にも確実に損害を与えて行く」
足利義輝の勢力は、六角よりは比較的元気である。
虎視眈々と京の御所を狙っている。
しかし、狙う事しか出来ていない。
それ意外の動きが出来ない程に、勢力として減衰して居た。
「また、南北近江戦線両方に言える事だが、戦の比重は殲滅より、近江の六角派と将軍派は全て隣の山城国に追放せよ。基本的に此度の進軍は蠱毒計の更なる圧迫じゃ。今は両者とも勢力に見合わぬ領地を持つ故に蠱毒が活性化しておらん。包囲を縮める事により今一度毒虫を競わせる。では出陣じゃ!」
おおよその勢力影響図と進軍予定ルート
【近江国南西/森可成軍】
万全の態勢で始まった近江南西侵攻作戦。
特筆すべき事は本当に何も起きなかった。
事前の予測通り、南近江に残る六角残存勢力はドミノ倒しの如く次々と恭順の意を示し、予測通り反抗する勢力は武力で追い払った。
反抗するのは只でさえ疲弊した勢力の、更に六角家内に点在し連携も取れていない、ごく一部の勢力である。
動員出来る兵力に天地の差がある。
直接の衝突など稀も稀。
大抵は弓矢で射掛ければ決着は付いてしまう。
その上で、屈服させる時も、即断即決で無ければ容赦無く攻撃を仕掛け追放する。
象が蟻を踏み潰すが如く。
「これが三好長慶が構築し殿も加担した蠱毒計か……! 何たる破壊力よ!」
大将を任された森可成は、計略の威力を目の当たりにして感嘆するしか無かった。
「北伊勢も願証寺も戦自体に大した労力は必要無かったが……。これは勝るとも劣らぬな!」
この歴史でも自軍の損害が少ない楽な戦はあった。
伊勢の北を根城とした北勢四十八家は、農繁期を狙われた上に、北畠家との争いで疲弊した所に信長が進軍して来た為に手も足も出ず滅び、『信長の五十城抜き』と言う前代未聞の武勲を提供してしまった。
願証寺討伐では、長年の封鎖と願証寺の自滅で、これまた短期間で(精神的汚染はともかく)損害軽微で済んだ。
今回の六角攻めは、それらに匹敵する楽勝であった。
長年の蠱毒計の威力と、内応工作で戦いらしい戦いも起きない。
忠誠心の高い六角家臣も頑固な抵抗を見せたが、そもそも率いる兵力に差が有り過ぎるし、一当てすれば散って行く。
それでいて願証寺の時の様に、凄惨な地獄の現場も存在しない。
肝心の支柱たる六角義賢が不在だからだ。
むしろ、どんなに頑張って手を抜いても、勝ってしまう位の差である。
仮に偽装で負けを演じたくても不可能な程に、負けるのが難しい。
そんな奇跡の戦場故か、可成は尋ねてみた。
「これなら、お主が総大将でも勝つだろう。なぁ藤吉郎?」
一昨年に木下家に婿養子として入り、木下藤吉郎秀吉と名乗っている小男に可成は問い掛けた。
これは決して『お前の様な雑兵でも』と言う意味では無い。
藤吉郎の能力を正確に把握しているからこその判断であり『率いらせて成長を見たい』との欲望でもあった。
願証寺討伐戦で見せた藤吉郎の気配りと確かな戦略眼に、可成は大いに驚いた。(103-2話)
それ以来、可成は何かと藤吉郎を気に掛けて居た。
そんな縁もあり、今回の近江侵攻にて藤吉郎こと木下秀吉は、可成の近習見習いとして従軍して居た。
親衛隊に志願した氏素性の不確かな藤吉郎の時代から大出世であるが、その陰には可成や多数の人間が居たのである。
実は、『森藤吉郎成吉』と名乗る可能性もあったのだが、それはまた別の話である。
従って、実力を認めた上で『これなら、お主が総大将でも勝つだろう。なぁ藤吉郎?』と聞いた。
「そうですな。某如き小物がやっても勝てるでしょう。しかしそれは間違いなく殿や森様、森家郎党皆様の事前工作があったが故にです! 某如きがやっても勝てる位の成果を築けるか? 全くもって無理で御座いましょう! だからこそ大いに学びたい所存です!」
打てば響く楽器の如く、秀吉は快活に答える。
己を立てず、己を下賎と卑下し、尚且つ、主人への敬いを忘れぬ、おべっかとも思える口の達者具合である。
しかしそれは、身分故の悲しい習性なのだろう。
大抜擢にも等しい近習となった身である。
当然、嫉妬の眼差しも憎悪も敏感に察知している。
今の所、直接的な被害は無いが、足を引っ張り蹴落としにかかって来るライバルは、履いて捨てる程いる。
迂闊な一言は身を亡ぼすと、秀吉は理解している。
人たらしの天才木下秀吉は、本質を見抜き、絶対に迂闊な隙を見せ無いからこそ、気が付けばあっという間に他人を抜き去る事が出来るのだ。
「フッ。そう言う事にしておこうか」
一方、可成も満足げだが、勿論おべっかに気を良くしたのでは無い。
秀吉が、ちゃんと政治の力を見抜き、かつ、最大限の警戒をしている事に満足したのである。
この楽勝の土壌を作るのに、三好長慶が、織田信長が様々な手を加えて来たからこそである。
それを知らぬのは論外であるし、知っていても戦果の価値を正確に把握していないのも論外である。
将たる者が将たる者になるには、何もかも見抜いてこそである。
無論最初から全て見抜く事は出来ぬだろう。
だが学べば良い。
但し、義務教育など存在しない世で、学ぶ機会は平等とは言えない。
しかし、数少ない機会から正しく学んで己の糧とするスピードこそが才能。
そのスピードが秀吉は抜きんでていると可成は分析した。
「さぁ! 何事もなく南近江を制圧したならば、次の任務は殿の琵琶湖北上を成功させる事! 一刻も早く地盤を固める事こそ肝要と心得よ!」
【織田軍/北畠具教軍】
一方、北畠具教の後詰軍に組み込まれている帰蝶は、余りにも何も無い侵略に度肝を抜かれつつ、昨年から折に触れては思い起こす違和感をまたも感じた。
《片目を失って初の戦だけど、馬に乗って散歩したって言った方が的確かも知れないわねー。北勢四十八でも願証寺でも無い、地域を支配する大名級に何の反抗も許さないなんて、殿達の頭はどうなっているのかしら?》
《そ、そうですねー》
《まぁ、この後が一波乱あるのは間違いないのだけど》
秀吉程に優れた頭脳を持っていない帰蝶。
信長に近い位置に居るから辛うじて先は見通せるし、秀吉とは方向性の違う才能が豊かな帰蝶はこの後の展開を正確に予想して居た。
《そうですねー……》
ファラージャも波乱が起きるのは理解しているが、帰蝶の考える波乱はこの後の任務だけの話では無かった。
(波乱が起きるけど、それはどう考えても想定内で問題とは言えない。でも何か違和感を覚えるわね。三好長慶は病では無いっぽいけど……)
蠱毒計と支援物資の完璧な計算からして、長慶の病気説は取り合えず引っ込めた帰蝶。
それなのに違和感が沸き起こる。
帰蝶はこの後の波乱は問題がおきて当然であり、予想の出来ている波乱は違和感とは言わない。
じゃあ何がと問われても、漠然とし過ぎた違和感故に捉えられ無い。
信長も長慶も、他の誰もが『ある可能性』を考慮していないが故に気が付かなかった。
【近江南西/一か月後】
僅か一月程で済んでしまった南西近江六角領侵攻戦。
反抗勢力を山城国に追い払うべく、端から順にジワジワ進行する作戦だったが為に、楽勝に反して時間が掛かった南西近江六角領侵攻戦。
戦は神速を旨とする信長であるが、この展開には不満も何も無い。
急げば荒れる。
荒れれば血が流れる。
戦後の復興こそが要と踏んでいる信長にとって、遅い事が戦略ならば否定をする事は無い。
「よし。では三左衛門らは後詰軍と協力して民の安全を確保せよ。ワシらは琵琶湖を北上し京極と合流する」
「はッ!」
楽な戦だからと言うのに、可成は全く油断しなかった。
そつなく軍を纏め上げた。
信長の期待通り、急ぐ事もしなかった。
普通、こんな楽勝な戦だと、どうしても油断や気の緩みが発生する。
事実、そんな兵士も居たが、それでも統率しきったのは高評価である。
史実に比べ、こんな早い時期に合格点を余裕で超える結果を出す可成に、上機嫌な信長であった。
「於濃! お主は周囲の寺社、商人、住民に天下布武法度を申し伝えよ。但し、まだ伝えるだけで摘発はしなくて良い。延暦寺を刺激して琵琶湖北上の横腹を突かれても困る。それに一応、是正の刻は与えてやらねばな」
「はい」
これが帰蝶の思う、充分に予見出来ている波乱の部分である。
近江は延暦寺の系列寺院が沢山ある。
関所も市場も全て系列寺院が関与している。
その既得権益の剥奪こそが帰蝶の役目である。
無事に済むハズが無い。
それは理解している。
だから違和感とは感じない。
「勿論、攻撃を受けた場合は滅ぼして良い。三左衛門や伊勢守(具教)らと手分けして当たれ」
既に織田領内では随分前に行った、寺院に対する蛮行である。
蠱毒計は六角や将軍のみならず、延暦寺にも影響は及んで居た。
延暦寺は権益を持つが故に封鎖は効果覿面で、武家は当然、民も寺院も疲弊して居た。
それでも延暦寺領内で経済を回す活動は維持したが、他国からの物流が途絶えた結果、関所からの税収は途絶え、寺院が確保している権益から作り出される品も需要が激減した。
もはや農業年貢のみが頼みの綱であった。
従って坂本周辺地域は比較的マシだが、六角領内の全ての寺院も疲弊し死に体である。
それなのに反抗出来る寺院があるとすれば、不当な圧政で民を虐げ、法外な利息で収益を得ている寺院である。
「その為に、三好殿が提供してくれた資金と兵糧の半分をこの旧六角領で使え!」
「はい」
基本的に、願証寺討伐と同じである。
暮らしの格差を見せ付ける。
不可侵なのだから何をしようが自由である。
これから、この疲弊した地に、5000貫(7.5億円)、40万石(200億円)を使った地域復興支援が行われる事になる。
「坂本以外は何も約束していない。ワシは必ず約束は守る。相手が守る限り絶対にだ」
信長は自身たっぷりに、遠くに見える比叡山を視界に捉えながら仁王立ちで嗤う。
一方、任された帰蝶はこの期に及んで尚、どうしても違和感が拭えなかった。
(やっぱり何か嫌な予感が拭え無いわ……)
信長が違和感を払拭する為に、自ら赴いた偵察の末に始まった近江侵攻。
本当に三好長慶は策で動いているのか?
実はやっぱり病気故の判断力の低下を招いていないのか?
その長慶への違和感については杞憂に終わりそうであるが、心のつっかえは取れたかと言えば取れていない。
だが、何に引っ掛かっているのか、どうしても特定は出来なかった。
「何か些細な可能性が……。あぁもう! 今は与えられた任務が大事よ!」
帰蝶は脳内の心配事を遠心力で追い出すかの如く頭を振ると、最初の目的地に向かうのであった。
【近江国西/比叡山】
「本当に好き勝手やるのも今の内だ……! 私は歴史ある延暦寺を守る責務が有る!」
覚恕は遠くの眼下で、織田軍が蠢く様を見た。
偶然にも、そこは信長が仁王立ちしている場所だが、勿論、視認出来た訳では無い。
「僧正。お見えに成られました」
従者が来訪者を告げ、覚恕は意識を外界から内に戻す。
「分かった。では行くか。ここが正念場ぞ!」
覚恕が従者に案内されたのは、比叡山延暦寺において最重要施設である根本中堂。
天台宗開祖の最澄が灯したと言われる『不滅の法灯』が、堕落の果てにあって尚、今も灯し続けられる天台宗最後の砦とも言える施設である。
「ようこそおいで下さいました。足利左近衛中将様、細川右京大夫様」
現れたのは足利義輝と細川晴元であった。
今年最後の投稿になります。
今年もご贔屓ありがとうございました!
来年もよろしくお願いします!




