20話 尾張北部遭遇戦
【尾張国/犬山城 織田信広】
織田信広、織田信長、平手政秀他主だった家臣たちが犬山城で今後の動きを論じ合っていた。
織田信清が洗いざらい情報を吐いたので、背後関係は把握できているが、問題は犬山城にいる面々がどの様に動くかである。
信長たちが把握している情報は以下になる。
・今川家がこの争いに介入している。
・楽田城には今川軍が入っている
・末森城には斯波義統、織田信友が今川の援軍付きで押し寄せている。
・こちらの兵数は信広軍1000、信長軍800、犬山城兵450
信長しか知らぬ情報が以下になる。
・親衛隊1000が控えている
・斎藤家に援軍を頼んでいる
以上を踏まえて信長が口を開いた。
「兄上、実は於濃の伝手を頼って、斎藤家に援軍を申し込んでおります。もう間もなくこちらに到着してもおかしくない頃です。あと、親父殿や我等の軍とは別に兵1000を那古野城に待機させてあります。この部隊は、親父殿の援軍に向かう手筈です」
信長は、今に至って情報を隠せば、逆に足かせになりかねないと判断し、全ての手の内を晒す事にした。
帰蝶の援軍については『自分が一番必要だと思う所に迎え』と遊撃軍の扱いにしたが、この状況なら信秀軍に向かったと信じ『向かう』と断定しておいた。
「ほう! 見事な判断よな、三郎! 抜かりは無しとはな!」
「援軍!? 三郎様! 真ですか!?」
信広は手放しで褒め、家臣も『あの信長が!?』と言った面持ちで驚愕の表情を隠さない。
そこに伝令兵が駆け込んできた。
「申し上げます! 斎藤家から援軍が参りました。斎藤新九郎殿(斎藤義龍)以下2000との事です!」
「そうか! すぐお通ししろ!」
信広は義龍を即座に招き入れ、義龍以下側近が信広陣に入ってきた。
(……ん!? あ奴は!!)
信長は、その中に宿敵とも言える、明智光秀の姿があるのに気が付いた。
(そうか。今はまだ斎藤家が分裂していないから所属はそのままか)
斎藤家の分裂。
それは斎藤道三と斎藤義龍による長良川の戦い。
弘治2年(1556年)の事である。
(斎藤家が分裂して光秀は道三に付いた。しかし道三が負けて討ち取られた後、斎藤家を出奔して足利将軍家に行くはず。今後の余談は許されんだろうな)
信長は複雑な顔をした。
それも仕方ない部分ではある。
斎藤家も心配だが、それよりも光秀だ。
いくら前世で自分を打ち取った者とは言え、この次元の歴史では全く関係ない。
前々世を理由に言い掛かりなどつけたら『うつけ』どころの話ではない。
物狂い以下である。
それに悩ましい事実もある。
(光秀は間違いなく優秀だ。光秀抜きの天下統一など考えられぬ! それに光秀も当然じゃが秀吉の存在は、新しい世の道標なるはずなのだ!)
戦国時代、血縁でも無い家臣が実力次第で家中の中枢に食い込み、当主に次ぐ地位まで出世が出来た家は、織田家ただ一つである。
もちろん、他家でも引き抜きや、家臣による主家の鞍替えによって別の主君に仕える事はあっても、所詮は外様で重要な事に関われる機会はほぼ無い。
実力次第の戦国時代でも、身内や古くからの付き合いがある家臣が優遇されるのが基本路線であった。
繰り返しになるが、戦国時代、真に実力主義を掲げ実践した家は織田家ただ一つである。
だからこそ史実では、農民の羽柴秀吉、浪人の明智光秀、氏素性の怪しい滝川一益など本来ならありえない境遇から大出世を果たす事が出来たのである。
おそらく織田信長が居なかったら彼らは歴史に埋もれたままだろう。
どれだけ優秀でも、他家では出世など夢のまた夢なのだから。
そんな訳で戦力としては当然、新しい世のシステム作りの為にも明智光秀は絶対に必要なのだ。
ただ、致命傷になる裏切りをする史実がある、と言うのがネックだった。
(……ワシが変わるしか無いか)
悩んだ挙句、そう結論付けた。
それに今は当面の問題を片づける必要もある。
そう悩んでいると衝撃と共に思考が遮られた。
「義弟よ! 元気そうだな! それよりも帰蝶は息災か!」
信広との挨拶を終えて、信長を見つけた義龍が肩を叩いて挨拶をしてきた。
「(それよりも……!?)は、はい義兄上。お陰様で問題なく過ごせておりまする」
「そうかそうか! 病は本当に問題無い様じゃな! ハッハッハ!」
「はっ! 病は全く問題ありませぬ(病はな!)」
その言葉に安心したのか、義龍は武人の顔に戻り戦況の確認をする。
「ふむ、取るべき道は3つという所ですかな?」
義龍が信広に尋ねる。
「はい、取るべき道は、楽田城に向かい信行軍を救出、その後末森城に向かう。逆に末森城を救出後楽田城に向かう、または軍を二つに割ってそれぞれの城を救出する。以上ですかな」
信広は取るべき道を3つ的確に答えた。
義龍は満足した。
同盟国の援軍とはいえ、可愛い帰蝶の為とはいえ、そこは2000の将兵を預かる身。
いい加減な判断に従うつもりはない。
信頼に値するか信広を試したのだった。
信長も取るべき道はこの3つしか無いと判断している。
あとはどれを選ぶべきかだ。
「ふむ、ワシの中では決まっておるが、三郎、お主の意見を聞いておきたい」
「はっ! 某は、まずは楽田城を片づけてから、末森城に向かう事を提案します」
「ほう、父上は後回しか。何故?」
「末森城では追加の兵もありますので拮抗した兵力で籠城戦を行っているはずです。ならば容易には落ちはしないはずです。しかし楽田城は違います。圧倒的不利を強いられています。それに楽田城を無視して末森城に向かえば、楽田城を制圧した部隊に挟撃される恐れがあります。ただ父上は籠城戦法を嫌うので、迅速に楽田城を片づけて末森城に向かう必要があります」
「ふむ。ワシも同意見じゃ。皆の者、違う意見はあるか?」
異を唱える家臣はいなかった。
「よし! それでは全軍、楽田城にむけて出発!」
【尾張国/楽田城 斯波陣営】
一方楽田城にて織田寛貞と家臣たちは最終確認を行っていた。
楽田城兵力は当初の500から5倍に増えている。
今川家からの援軍のおかげであるが、しかし、そのお陰で困った事があった。
自分たちの負担が少なすぎて、意見が言い難くなっていた。
太原雪斎以下今川の家臣は居なくなったが、援軍を率いる松平の将は別である。
もちろん、太原雪斎からの献策は遂行中なので、次に取るべき行動は決まっている。
「えー……では、予定通り犬山城に向かう、と言う事でよろしいですな?」
かく必要の無い冷や汗を流しながら寛貞は言う。
「はい、委細問題なし。出撃しましょう」
一斉に場を立つ楽田城の面々。
(やり難い……)
寛貞は渋い顔をしながら心の中でため息をついた。
松平の将は不平不満を言う訳ではない。
どちらかと言うと従順ですらある。
ただそれでもやり難い。
寛貞にはその原因が分かっていた。
しかし、分かっているが手が打てない。
寛貞の目的は織田弾正忠家の討伐。
しかし、松平家の目的は竹千代救出であった。
向かうべき道は同じなのに目的が違うため、微妙に噛み合わず四苦八苦していた。
「良いではありませぬか。犬山城を落とせば、多少なりとも兵を確保出来ましょう?」
そんな寛貞をみて織田信行が耳打ちする。
「まぁ、それはそうじゃがな……」
なんと信行は生き残った自身の兵と共に犬山城攻略部隊に入っていた。
太原雪斎にすっかり洗脳されており、人質戦略をとる父の信秀に憤慨してすらいた。
正義感が暴走する信行に、これはこれでやり難い寛貞は頭が痛くなってきた。
(この戦い本当に勝てるのか?)
「出立前に権六(柴田勝家)達の所に行きたいのですが、構いませんか?」
「あ、あぁ行ってきなされ。きっと喜ぶ事でしょう」
寛貞は、若干暑苦しさを感じる信行を、追い払うように許可した。
その柴田勝家は楽田城の牢に入っていた。
捕縛された主だった家臣も一緒だ。
「皆、怪我の具合は大事無いか?」
「か、勘十郎様!」
勝家は思わぬ来訪者に声を上げた。
しかし信行は勝家の思惑を裏切る言葉を放った。
「ワシはこれから犬山城に向かい、兄上たちを説得する」
「説得!? 何故……?」
信行の言葉の意味が全く分からない家臣たちは、困惑を隠せない。
「此度の戦い、我が織田家に正義は無い! 主家への無礼、人質戦略その他諸々武士の風上にも置けぬ!」
力強い瞳で語る信行。
「何を仰って……?」
家臣はますます訳が分からず困惑が深まる。
「わからぬか? このままでは尾張は破滅するのじゃ! ワシはそれを回避する為に立ち上がる。兄上たちも父も説得はするが、もしもの時は刺し違えてでも止める!」
「……ッ!!」
「さらばじゃ!」
「お、お待ちくだされ! 勘十郎様!!」
聞く耳持たないとは正にこの事であった。
太原雪斎の洗脳、幼い精神、清廉潔白な性格、家臣たちの教育の歪さ、全て悪い方向に出てしまっていた。
勝家達は己の過ちに後悔するも、牢に入れられた現状何もする事が出来なかった。
勝家は牢が粉砕されるかと思うほどの力を込めて殴った。
「大殿~~~ッ!!」
牢番が何事かと駆けつける声で叫んだ。
犬山城、楽田城から将達が其れ其れの思惑を胸に城を発ち―――
中間地点での遭遇戦となった。
お互いが見渡せる、まさに濃尾平野と言える平坦な地形である。
そんな濃尾平野で、信広、信長、義龍混成軍は敵兵を見つけて陣を敷くと共に困惑していた。
敵の兵力が援軍によって増えているのは想定済みで、信行軍が敗れているのも想定済みであったが、その敵陣に信行の旗印があるのは想定外であった。
まさか寝返っているとは予想もつかない。
信長も史実で信行が裏切る事を知っているが、それにしてもこんなズレた時期に、しかも父信秀が健在で裏切るのは予想ができなかった。
一方、寛貞、信行、松平混成軍も敵兵を見つけて陣を敷くが同じ様にに困惑した。
多くて2000と見積もっていた兵力が、倍の4000近くある。
しかも斎藤家の旗印まである。
自分たちは援軍合わせて2500。
信広はともかく『うつけ』の信長軍さえ崩せば、互角の兵数ならどうとでもなると思っていた寛貞は勝ち筋を見失ってしまった。
【織田信広軍陣地】
「兄上。あの旗印は間違いなく勘十郎のものです」
信長は動揺を表に出さないように告げる。
「そ、そうか……。うーむ、勘十郎は討ち取られてしまい、数で勝る我らの動揺を誘う為、旗印を利用している、と言う事か?」
兵数で劣る以上、策を仕掛けてきた、と信広は考えた。
「待たれよ」
義龍が疑問を口にする。
「数が劣る故の策と仰るが、奴らは我等斎藤家の援軍を予期していたのであろうか? 策はともかく、数が劣ると知っていて討ってでるのであろうか? しかも、こんな無警戒に」
義龍の言う通り、敵側は慌てて陣を敷いていたのだ。
義龍は続ける。
「勘十郎殿の旗印は確かに戸惑いを隠せぬが、かと言って、それだけで数に勝る我らを突き破れるとも思えぬ。知っていればむしろ籠城を選んで時間を稼ぐのではなかろうか? 奴らの目的は弾正忠殿なのであろう? 我らを引き付けておれば上出来ではないか?」
「義兄上のおっしゃる通りかと。この状況は相手が我らを見誤り偶発的に起きた遭遇戦と思われます。おそらく奴らは犬山城に襲撃を仕掛ける予定だったのでしょう。我らが降したのを知らずにやってきたのです」
「そうじゃな。十中八九そうであろう。……では勘十郎の旗印は何なのだ?」
一同は口を閉し考える。
「……意見を述べて宜しいでしょうか?」
その時、明智光秀が口を開いた。
「伺おう」
信広が許可を出す。
「勘十郎殿は……もしや取り込まれてしまったのでは?」
「馬鹿な! ……とは言い難いな、この状況では」
信広もその可能性を考え始めていた。
「僭越ながら某が知る勘十郎殿の人物像を述べますので、違っていたら訂正して下さい。……勘十郎殿は清廉潔白な人柄で間違った事が嫌いな……少年である。違いますか?」
「美濃の地まで弟の評判は届いておるのか。そうだな、兄のワシからみても同じ評価だ」
「まだ、幼い勘十郎は今川の口車に乗せられた、と言う事か? チッ! 未熟者めが……!」
自身の外見がまだ幼い事を失念している信長は、大人の様な感想で語る。
「この戦の大義名分は、我らは反乱を起こした犬山城、楽田城の平定と、それを裏から操る斯波氏の討滅。対して、奴らの大義名分は何かと考えた時、成長著しい織田弾正忠家の粛清が妥当な線と思われます。恐らく勘十郎殿は『主家に逆らう』という清廉潔白故に見逃せない事態を、この戦を通して気づいてしまったのではないでしょうか?」
光秀は冷静沈着に今回の戦の根本を述べた。
「それじゃ! さすがは十兵衛、殿じゃ!」
「はっ! ありがとうございます! (ん?)」
つい昔の口調で、他家の家臣を褒めてしまった信長は慌てて『殿』を付け足した。
光秀もついうっかり従順に応対し心の中で『あれ?』と思った。
何かしっくりきたのだろうか。
「あ、兄上! 恐らくは明智殿の言う事が正しいと思われます。仮に違ったとしても我等には奴らを倒す以外に道はありませぬ!」
「そうじゃな。もし勘十郎が奴らの陣に交じっておるなら問いただせば良い。よし! 策の通り各自配置につけ! 新九郎殿は我らが交戦を始めたら右翼より責め立ててくだされ!」
「承った!」
こうして信広軍の方針は決まった。
左翼:信長軍
中央:信広軍
右翼:義龍軍
上記の様に布陣した。
【織田寛貞軍陣地】
寛貞は困っていた。
本来なら信長を打ち崩して勢いを付けた上で一気呵成に信広軍を打ち破るつもりであったが、いくら信長を狙って突き崩すにしても数が多すぎる。
しかも斎藤家の援軍が自軍と同じ規模で布陣して、つけ入る隙が全く見当たらなかった。
この戦の意義を考えるなら第一は信広軍を打ち破って、末森城に向かうのが最善であるが、しかし、これでは向かうどころか勝つのさえ難しい。
ならば、楽田城に退却して籠城するのも第二の手段として有効であり、信広軍が楽田城を包囲すれば時間が稼げるので、今川にさらなる援軍を頼めるかもしれない。
楽田城を無視して末森城に向かうなら、背後から強襲して末森城の軍勢と挟撃してもいい。
しかし、その第二の選択をする事が出来なかった。
松平軍が退却の意思を見せないのである。
援軍を見捨てて逃げ帰っては今後の自分の立場が危うくなる。
太原雪斎の策はあるが、策は策として臨機応変が重要なのに、相手を侮ってもしもの時を考えていなかった。
太原雪斎にとって尾張など今はどうでも良いのでそこまで具体的な方針は語らなかったが、寛貞にとって、意思の統一を図らなかった事が致命的となった。
(もはや一点突破しか無いのか!?)
信行も同じように困っていた。
ただし、寛貞とは理由が違う。
兄達にどうやって自分の正義を伝えるかであった。
「……何とか兄上の陣にたどり着くしかない!」
今の信行の行動原理は『話せば分かってくれる』であり、ある意味少年らしい周囲の影響を考えない一途な決意であった。
松平の将が不審に思って尋ねる。
「寛貞殿、当初の予定と場所は違いますが、奴らを打ち破るのは最初から決まっていた事。何を迷う事がありますか?」
「(わかっておるわ!)そうじゃな……」
「ならばどの様に攻め立てますか?」
「我等からみて右翼、信長軍を攻める……。配置について合図を待たれよ」
どれ程悩もうと、結局は『うつけ』の信長を狙うしか勝機がない。
(信長を倒し、信広軍を壊滅させれば斎藤家の援軍もそれ程強く戦う理由はあるまい!)
希望的観測を胸に全軍に指示をだす。
「勘十郎殿! お主が先鋒じゃ!」
せめて信行を先行させて動揺をさそう、この指示のみが寛貞最大の勝機であった。
左翼:寛貞軍
中央:松平軍
右翼:信行軍
両軍は下記の様に布陣した。
こうして尾張北部遭遇戦が始まった。
信行軍が敵味方どの軍よりも真っ先に飛び出して戦端を開いた。
しかも信行自ら先頭に立つ徹底した突撃である。
それに続いて、松平軍、寛貞軍も追随する。
「やはり勘十郎なのか? ふむ、やりおるわ。アレをやられると少数の敵でも侮れぬ」
信長の率直な感想であった。
かつて信長自身も一騎駆けを敢行したことがある。
桶狭間で、本願寺との戦いで。
劣勢を覆すには有効な手段の一つである。
もちろん、危険度は果てしなく高いが、決まれば絶大な効果が見込める。
「じゃが、まだまだ甘いわ。爺! 予定通り軍を後退させよ!」
「ハッ! 後退の太鼓を鳴らせ!」
それを聞いた信長軍は3部隊分ほど後退する。
「兄上の軍が下がったぞ! 者共続け!」
信行は自分の勢いに兄が退いたと感じた。
「おぉ! これは行けるか!?」
寛貞も都合の良い様に解釈し後に続く。
この後退がどんな結果になるのか知らずに。
信長は計画通り陣を下げた。
敵は信長一点に集中攻撃をかける為に追う。
つまり、信広軍や義龍軍に側面を晒す形になったのだ。
これで勝負あったも同然であった。
信行の突撃は策として悪くはないが、それは相手が応戦してくれた場合に限る。
応戦してなお突き破れるなら、この戦いにおける策としては最上級であろう。
史実における大阪夏の陣の真田信繁(幸村)の突撃のように。
しかし、今回は突撃が成功したのではなく、敵陣深くに誘い込まれたのだ。
あとは端から順に打ち取られていくだけである。
「そ、そんな馬鹿な!」
「あ、兄上! 話を……!!」
信行軍も寛貞軍も松平軍も散々に蹂躙されて散り散りになってしまった。
こうして対陣してわずか一刻ほどの尾張北部遭遇戦は勝負が決した。
信行は逃がしたが、寛貞は捕縛され松平軍は三河に撤退していったのだった。