136話 百万一心
「尼子晴久は経久翁に及ばぬなぁ。勢力を維持するだけで精一杯か? 毛利を潰すなら今動かんで何とする。厳島から3年。一体何をやっていたのやら。お陰で反撃の体制が整ってしまったわ」
権力を奪われた毛利元就に動かせる兵は少ない
本当に少なかったが、充分であった。
「穀潰しを集めて戦力とするのは良い。見事な発想じゃ。じゃが、まさかそれを今から鍛えるとはな。隠せておったならまだ良いが、こうして知られてしまっては攻めてくれと言っている様なモノでは無いか」
毛利元就は暴れまくった。
もうこの頃には、尼子の戦力の秘密も見抜いていた。
毛利隆元が九州への渡航を準備している最中、尼子晴久が真新宮党を編成し準備に取り掛かっている最中、のんびりとした行動を嘲笑うかの様に暴れまくった。
毛利領内で。
【長門国/下関港 毛利家】
毛利隆元は下関港で、今まさに船に乗る寸前で一報を受け、仰天なんて言葉では生ぬるい程に驚いた。
「親父はボケただろう!? 言葉を発する事すら儘ならなかっただろう!? 戦じゃと!? 従う兵は!? そもそも、どこの誰に攻撃しておるのだ!? この国難に一体何をしておるのだ!?」
「し、従う兵は天野殿の一族のとの事! 相手は水越殿であります!」
伝令も自分の言っている事が信じられないが、知りうる情報を叫びながら答えた。
「水越……って水越!? 味方の勢力ではないか! ボケた上に乱心か!? 渡航は中止する! 親父を止めるぞ!」
隆元は大友への救援依頼を取り止め、馬に飛び乗り駆け出した。
間に合う可能性は限りなく低いが、走らずには居られなかった。
【安芸国/毛利家】
そんな隆元の悲痛な叫びを他所に、元就は毛利から離脱した豪族を、味方に留まる豪族を使って攻めた。
「よーし! 手柄は戦場に散らばっておるぞ! 早い者勝ちだ!」
「は、はい……。しかしこの様な事、本当に宜しいので!? 水越に何か落ち度でもあったのですか?」
元就に従う天野隆重は、恐怖に引き攣った顔で尋ねた。
今攻撃しているのは尼子に鞍替えした勢力ではなく、一応、毛利家にいるが、限りなく尼子寄りの態度を取る、厳島を機に言う事を聞かなくなった味方である。
だが、言う事を聞かないなら、説得でも交渉でも、考えを改めさせる事は元就なら可能なハズなのに、弁明の機会を与える事も無く、躊躇無く攻撃を命令した。
「落ち度? うむ。色々企てておるのが発覚してのう。先手で潰しておくのに限るのじゃ。遠慮する必要は全く無いぞ」
「そ、そうですか……」
代替わりしたとは言え、毛利の前当主にして最大の功績を誇る人物の命令である。
強く出られたら止める術は無い。
天野家は毛利家臣特有の独立性の高い一族であるが、現在そこまで強い勢力を持っている訳では無い。
特に厳島の失敗後は毛利家と共に衰退しているが、元就は今回の武力行使のお供として選んだ人物である。
「宜しい宜しい! 存分に戦い奪いたまえ! これは天野家救済の戦でもある! 厳島の失敗で随分と迷惑かけたからのう!」
「は、はぁ……」
「お主はワシに選ばれたのだ! 幸運もさる事ながら、強く時勢も読める! これからの毛利に必要な人材だとな!」
「あ、ありがたき幸せ……」
元就はその絶対的有利を駆使して、周辺地域の安定しない勢力を平らげていった。
これを厳島の報復とでも言わんばかりに、離反豪族を討ち滅ぼす。
何故こんな事が上手く行くのか?
それは、端的に言えば騙し討ちである。
『毛利は尼子に臣従する。その仲介を頼みたい』
元就は、そう言って敵に接触を図り油断した所を殲滅した。
この騙し討ちは、面白い程に威力を発揮した。
尼子へ付きたい、或いは、降った新参は手柄が欲しい。
そこに尼子への仲介を頼まれたのだから、簡単に隙を晒してしまう。
中国地方最後の敵である毛利の臣従を取り持ったなら、その功績は絶大である。
だからその手柄を独占しようと、内密に単独で動こうとする。
こうなればもう、口を開けていれば勝手に餌が飛び込んでくる様なモノである。
「ククク……! ハハハハハ! 人の欲は際限無いなぁ! 身の丈に合わぬ事を欲するから自滅するのだ! そうは思わぬか紀伊守(天野隆重)?」
「は、はい。過ぎた欲望は身を亡ぼすのだと痛感致します……!」
「ほう……? それは良い心がけよなぁ。うむうむ。これからも毛利を頼むぞ?」
「は、はい……」
元就は、隆重の心がけに満足した。
今回攻めているのは裏切り勢力や、言う事を聞かない独立勢力だけでは無い。
元就に『選ばれた』と言われた天野家もその対象である。
元就の本気、毛利家としての覚悟の戦略、滅ぼされる勢力の悲劇と愚かな欲望。
元就は天野家を幸運だと言ったが、これは本当に比喩でも何でもなく幸運な事である。
粛清対象に選ばれなかったのだから。
しかし、一歩間違った事をすれば、目の前の惨劇に見舞われる事を見せつけて自制を促す。
半ば強引に見せつけた惨劇だが、もし隆重が更なる欲を見せたならば、次のターゲットは天野家だっただろう。
隆重は敏感に身の危険を感じ、暗に褒美の辞退を申し出て、元就は満足げに了承した。
人の心理を読み切った、元就のえげつない謀略の真骨頂であった。
「しかし、こんな騙し討ち、何度も使える手とは思えませぬが……?」
「まぁそうじゃな。案ずるな。ワシに抜かりは無いぞ?」
「え!? は、はッ! これは出過ぎた事を申しました!!」
騙し討ちなど、元就にとっては造作も無い謀略だ。
しかし確かに何度も使える手では無い。
毛利を見限った勢力は、すぐに異常事態に警戒するだろう。
その警戒が伝播する前に、とにかく素早く動く。
封鎖して情報を漏らさない。
それでも漏れたら今度は脅す。
『尼子は助けに来ない。銀山の防衛で忙しい』
確かに事実である。
元就と攻め込まれている側では、掴んでいる情報に差があり過ぎる。
相対する者には、石見銀山より西に動かない尼子の理由がわからないが、元就は理由を掴んでいる。
そこに、謀略で名を成した、歴戦の猛者である元就の言葉。
嘘だと断じた瞬間、罠にハマるのが目に見えているが、かと言って戦っても、どんな手練手管が待ち構えているかわ分かったモノでは無い。
ちなみに元就も兵が足りないので、そこまで用意周到な策は用意していない。
用意していないが、強いて言うなら元就は歩くだけでも策になる。
小粒な勢力程度に、精密な策など必要は無い。
名前だけで警戒される。
元就がそれっぽく振る舞うだけで、敵が勝手に誤解し自滅する。
こうして元就は、毛利の領地を再統一に動き出した。
別に領地の全てを巡る必要は無い。
反抗的、言う事を聞かない、幾つかの勢力だけである。
「ククク……! 生れ落ちて60余年! こんなに思い通りに行った戦があったかのう? これが悟りと言う奴かのう? フハハハハッ!」
ついでに今回の元就に従った勢力も、良い感じに力を摺り減らされた。
天野家は無事に潜り抜けたが、立ち回りを誤った味方勢力は、戦に勝っても衰退した。
元就は、信頼置けない不穏な勢力を操る時には、ワザと武将級に戦死者が出る様に立ち回り、戦後の統治がままならない様に損害を与えた。
後は、統治の不備不手際を理由に、今回与えた領地を没収してしまえば良い。
むしろ、現在の勢力に見合った適正領地にする事で、安定をさせる事が出来るのだから慈悲深いとも言えるだろう。
「さーて。これで内乱を潰したな」
毛利の外側から見れば、今回の戦は毛利領内での内乱である。
その内乱に元就自ら動き、接戦の末に鎮圧した、との筋書きである。
もちろん実情は違う。
これで元就は、毛利家の懸念を一つ消し去った。
領地の再統一とは、正に勢力の統一。
敵は当然、味方も潰して毛利家の力を増大させる。
力を持つ味方の勢力を弱体化させ、毛利家に集まる各勢力ではなく、毛利家を絶対主とする勢力に作り替えた。
この国難の時代、力は束ねるに限る。
元就も『意見に異を唱えるな』とまでは言わ無いが、馬鹿の意見は邪魔である。
「では紀伊守。後は頼むぞ?」
「ど、どちらへ?」
「うむむ? 他の地でも乱が起きそうな気がするなぁ? ククク! と言うわけで次の目標じゃ!」
こうして元就は各地を蹂躙した。
基本的には、決着がついたら身一つで次の潰す勢力と、選ばれた勢力を動かし、早々に決着を付け、忠誠が確認出来たなら、また次の地へ向かう。
家臣団を引き連れて動く隆元では、到底追い付けない程の侵略スピードであった。
【安芸国/吉田郡山城 毛利家】
「ま、こんな所か。後は愚息共じゃが……」
全てを終えた元就は、毛利の居城で当主の座で待ち構えた。
結局隆元は間に合わず、領内を散々引っ張り回された挙句、居城に疲労困憊で戻ってきた。
「ち、父上……貴方は……一体何を……ッ!?」
ようやく追いついた隆元は、ボケた所か以前より若々しく覇気も逞しい父を見て、思わず『親父』呼びから『父上』呼びに変わってしまった。
しかも無意識で気が付いていない。
「隆元か。遅かったな? 元春、隆景もおるのか。丁度良い。これより策を授ける。三好にも大友にも頼る事無く毛利を存続させる策じゃ」
元就の、いけしゃあしゃあ過ぎる言い分に、隆元ら兄弟は非難の声を強めて迫る。
「な、何を仰る!? この様な事をしては政にも支障がございましょう!?」
味方を攻撃しての強引な手法に、政治への影響は免れないと感じる隆元。
「ち、父上! まさか単独で尼子と戦うおつもりか!?」
いくら勢力をまとめ上げたとて、毛利単独では戦えぬ差を感じる元春。
「大友、三好に頼らずして、策など成しえませぬぞ!?」
今回の行動で毛利は信用を失い、策の組み立てに困難を感じる隆景。
三者三様に父の態度に怒りが沸く。
そもそも聞きたいのは、今回の暴走についてであって、今後の方針では無い。
隆元、元春、隆景は未だ今回の元就の行動の意味を知らない。
しかし元就は元就で、息子達の的外れな言葉の一切を無視して話しを続けた。
「ワシはこれより上洛する。いや違うか。今の京は六角とか言う小者が幅を利かせておるが、真の実力者とは違う。摂津の三好長慶。奴と会う。何やら各地の実力者と面談しておるらしい。色々噂は流れて来るが真意を確かめると共に奴を見極める」
三好との接触は、隆元も予定していたので反対では無いが、己の絵図とは違い過ぎる状況になってしまって困惑しか無い。
そもそも、ついさっき『三好に頼らない』と言った口で、三好との面会を望むのである。
訳が分からない。
「三好に救援依頼を? 一体何を言っているのです!? 確かに必要な事でありますが、こんな事をして何を成すのです!?」
「百万一心」
「百万…え? それは……」
元就の言葉に息子達は戸惑った。
百万一心とは、吉田郡山城拡張の際の建てられた石碑で、縦書きにすると『一日一力一心』と読める様に工夫が凝らしてある。
意味は『日を同じうにし、力を同じうにし、心を同じうにする』で、簡単に言えば『一致団結』である。
また付随するエピソードとして、城の安全祈願の生贄としての人柱の代わりの役目でもあった。
くどい様だが宗教が絶対の世界である。
現代の工事では(安全祈祷も行うが)、科学的根拠と計算を元に基礎をしっかり固めるのと同様に、神仏の世界に生きる者にとって、生贄は工事と後の安全確保の条件として必須事項である。
生贄は神に捧げる神聖な供物であり、効果も保証されているが、この時代にあって元就はそれを許さず、この言葉を掘った石碑を使ったとされる。
「言葉の意味は知っておるな。ワシは今回、力をもってして統一を成した。ならば理解出来よう? これは―――」
人柱で失われる命を嫌って石碑を使った元就の行動とは思えぬ、勢力の一致団結にしては血が流れ過ぎているが、確かに今、毛利家は真に一つにまとまった。
この後、元就は策についての全容を話し、息子達を納得させる。
「さて。では三好に会うてくるか」
「ち、父上……!」
「案ずるな。これで我等は生き残り、最後に勝つ」
元就は憑き物が落ちたかの様な晴れ晴れとした顔で、城を後にするのであった。




