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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
3章 天文16年(1547年)勝ち取る力
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18話 太原雪斎

 楽田城の一室では捕縛された柴田勝家が手当てを受けている。

 勝家はいたる所に傷を負っており、致命傷は無いものの重傷であったが、治療を受けつつ如何に脱出するか考えていた。

 何故なら勝家は牢屋ではなく座敷で治療を受けており、チャンスは至る所に転がっている。


(この座敷からならば獲物は無いが、この治療をする兵を人質にして、どこかで武器防具を入手して……)


 そう考えて、都合の良すぎる想像力に我ながら情けないと思ってしまった。


(この体で城門までどうやって突破すると言うのじゃ……)


 歩いただけでも血が滴り落ちる様な重傷で、どこにそんな体力が有るのかと自問自答し、相当に己が焦っている事を自覚した。


(勘十郎様の事も気になる。行動を起こすのは少し待たねばなるまい……ん?) 


 少なくとも場外に移送される時までは、大人しく体力の回復を図る事に決めた勝家だったが、不意に治療されている座敷の襖が開いた。

 その隙間からは兵が多数配置されているのが見えた。


(今、行動を起こさなくて正解じゃ。そりゃそうじゃ。無警戒な訳があるまい)


 などと勝家が思っていると黒衣の男が入ってきた。


(……あ、あ奴は!?)


 勝家はこの黒衣の男に心当たりがあった。

 至近距離で直接実物を見た事は無かったが、その風貌は名前と共に轟いている。


「まさか……太原……雪斎?」


「ほう! 拙僧を存じておるか」


 黒衣の宰相太原雪斎は特に隠す事もせずあっさり認めた。


「やはりか! 存じるも何も我が織田家の宿敵の1人! 何度も煮え湯を飲まされておるわ……!」


 織田家と今川家は三河を巡って何度も争っており、今川義元と太原雪斎に策で、謀略で、外交で、戦で一進一退の攻防を繰り広げていた。

 現状では今川家が優勢で、勝家も雪斎が率いる軍勢とは何度となく争い、その度に苦い思いをしてきた。


「ほう、柴田殿とはそれ程争っておったか。勝負は時の運と申す。乱世故に戦場でまみえるのは致し方無き事。では改めて名乗ろう。拙僧は太原雪斎と申す」


「……柴田勝家じゃ!」


「さて柴田殿、単刀直入に申す。我等に降ってはくれませぬか?」


「今川にを下れと!? 何を馬鹿な……」


 馬鹿にするのも程がある提案に勝家は抗議しようとするが、雪斎は手を挙げて制する。

 その堂に入った振る舞いに勝家は言葉を遮られた。


「そうではない。主家に従う、と言う事じゃ」


「主家? 大殿に従え? 何を言って……」


 織田弾正忠家の一員である勝家には、今更『信秀に従え』とは意味不明すぎて理解できなかった。

 もちろん雪斎もそれは理解しているので言葉を続ける。


「それも違う。斯波家にじゃ」


「斯波家!? 何を言う!?」


 僧侶特有の真理に届きそうで届かない、難解な言い様に勝家は苛立ちが抑えられなかった。

 それが雪斎のペースに乗せられているとも知らずに。


「この楽田城に織田信秀殿は参られませんでしたな? 何故かご存知か?」


「……何故って……(確かに大殿は着陣しなかった。しかしそれの何が関係する!?)」


 雪斎は勝家が何も把握していない事を確信し、まるで宗論での論破の様に迫る。


「斯波殿は織田信秀殿に叛意ありと見なし、討伐するべく立ち上がった。その相談を今川家は受けておってな。尾張の民が内乱に巻き込まれて苦しむのは忍びないと、我が主は決意されて合力を約束されたのじゃ」


「馬鹿なッ!」


 柴田勝家は斯波義統の愚かさに絶句した。


(そんな事をしたら、今川に尾張侵攻の大義名分を与えてしまったも同然ではないか! 三河の惨状を見ておらぬのか!? ここまで愚かだと領土と引き換えに臣従までありえる!)


「信秀殿は今頃、斯波殿と睨み合いをしておろう。斯波殿には援軍を送っておる故、いかに信秀殿と言えど、そう簡単には打ち破れず膠着状態に陥るであろう。そうなる様に策を授けておる。明日、犬山城を包囲中の信広、信長軍を蹴散らしたら挟撃に移る。そこで信秀殿は終りじゃ」


 犬山城攻防戦は、まだこの時点で決着は付いていない。


「くッ!」


 勝家にも容易に想像できる最悪のシナリオであった。


「じゃが、我等も信秀殿は倒すが尾張の領土が目的ではなく、民の平穏が目的である」


「勝手な事を!」


 無論、後から難癖つけて尾張を侵略するのは目に見えているので、勝家は怒鳴って雪斎を非難する。


「その証拠に、信秀殿は倒しても、弾正忠家を滅ぼすつもりは無い。むしろ保護したいと思う。今の現状は斯波家と信秀殿の争いが原因じゃ。じゃからそれを改善する為に斯波家と協力できる新たな当主を擁立する。そうすれば尾張の民は安泰じゃ。……そうですな? 織田勘十郎殿?」


 襖が開いて信行が入室する。


「か、勘十郎様!(……ん?)」


 信行の無事を喜んだ勝家だが、武装を解除されていない信行に違和感を覚えた。


「ご無事でしたか! 良かった……」


 違和感はあるが、とりあえずの無事を喜んだ。


「権六(勝家)も無事で何より……いや無事ではないな。ワシを逃がす為、随分無茶をしたな。すまない」


「い、いえ勿体無いお言葉! し、しかし何故この楽田城に? 犬山城へは行かなかったのですか?」


「向かったさ。しかし先回りされておっての。そこの和尚に捕まったわ」


 信行はそう言って雪斎を見る。

 しかし、その表情は悔しいとか苦々しいとかそう言った表情ではなく、むしろ信頼感を持っているようにも見える。

 勝家は太原雪斎が相手では自分は赤子同然である事を思い知ったが、それよりも信行の表情に勝家は不安を覚えつつ謝罪する。


「某の浅はかさ故に勘十郎様にご迷惑をかけた事、詫びでも詫び切れませぬ!」


 そう言って頭を下げる勝家に信行は優しく声を掛ける。


「権六、別にワシは恨んでおらぬ。寧ろ感謝しておる」


 勝家は嫌な予感が抑えきれなくなってきた。


「か、感謝ですか……? それは何故……」


「こうして雪斎和尚にめぐり合わせてくれたからのう。ワシは目が覚めたよ。父上の存在が民を苦しめるとあってはワシも決断しなければならぬ」


 一点の迷いも無い顔で語る信行は、穢れを一切知らぬ、ある意味、御仏の様であり、勝家から見れば織田家の後継者に相応しい器が、全て裏目に出ている様に見える。


「そ、それは……」


 違うと言いかけて身を乗り出して、拘束されているのを忘れて床に倒れた。


「うぐッ!」


 傷が開きうめき声を挙げる勝家。


「権六、おぬしは傷を癒せ。完治した折にはまたワシを助けてくれ」


「さて勘十郎殿、奥で寛貞殿がお待ちです。拙僧も後から参ります故、先に行かれなされ」


 勝家に余計な事を喋らせたくないので信行を追い払う雪斎。


「ではな権六。体を労わる様に」


 信行は立ち上がり、颯爽と部屋を後にした。


「か、勘十郎様!! ……ぐぐッ! 貴様!」


 雪斎を憤怒の形相で睨む勝家。


「柴田殿。今は傷を治してもらおう。無論、大人しくしておれば勘十郎殿の安全は保証しよう。事が済めば、御主は織田家の筆頭家老じゃ。それでは」


「くそ! 待て! 勘十郎様!!!」


 もはや役者が違うと言うべきか?

 雪斎にとって11歳の信行を言い包めるなど造作も無い事であった。

 楽田城に戻る道中と、城に着いたあとのわずかの時間で、信行を洗脳と言って良いレベルまで説得してしまった。


 史実では今川、北条、武田の三国同盟の締結をお膳立てした太原雪斎の、本領発揮といえる鮮やかな手腕であった。

 勝家は皮膚が破れ血が出るほど拳を握って悔いたが、正に後の祭りであった。

 こうして勝家は人質として拘束され、信行は今川家に取り込まれてしまった。


 そんな楽田城の大広間には寛貞、信行、雪斎他主だった家臣が座っており、眼前には尾張の地図が広がっている。


「さて各々方。こうして勘十郎殿を正しき道に導き招く事が出来た今、今後の意思統一も兼ねて、改めて策の説明を致す」


 雪斎が僧侶特有の響く声で語りだした。


「明日には楽田城全軍を持って犬山城に向かい、信広、信長軍を挟撃し殲滅する」


 雪斎は信行を見る。


「安心しなされ。敵対するとはいえ兄弟には違いありませぬ。可能な限り降伏を促し万全を期します故」


 勿論そんなつもりは無く、討ち取れるなら討ち取るつもりである。

 操り人形は一人で良いのだ。


「過分の配慮痛み入ります。戦ゆえ絶対などあり得ぬ事も承知しております。万が一の場合は仕方ありますまい」


 肉親に対する冷めた感情は、ある意味戦国武将合格の信行であった。


(ワシが説得したとは言え、汚れを知らぬとはかくも恐ろしい事よ。平時であれば良い統治者になれたであろうに)


 そんな評価を信行に下した雪斎は、信行に一礼し話を続ける。


「犬山城の部隊を殲滅した後は、そのまま南下し、斯波殿と相対する信秀殿を挟撃する。これにて詰みである」


 信秀の陣を記した駒を独鈷杵(どっこしょ)で叩き潰す雪斎。

 駒が木っ端微塵に砕け散った。


「う、うむ、これで尾張は安泰じゃ!」


 雪斎の迫力に若干押されているが、寛貞は膝を叩いて策を褒める。


「勘十郎殿。父上の事は残念であるが、これも乱世の慣わし。共に尾張を正し、斯波義統様を守り立ててゆこうぞ!」


「はっ!」


 信行は少年らしい純真な瞳で語る。


「此度、それに今まで我が父が尾張や斯波義統様対して数々の不敬や無用な乱を起こした事、ここに謝罪いたします。若輩なれど精一杯尽くしますゆえ、よろしくお願いいたし申す」


 その様を見る面々は少年を騙している事に若干心を痛めたが、直ぐにその考えを追い払う。

 乱世では老若男女関係ない。

 負けた者が、騙された者が悪なのだから。


「それでは拙僧はここまででござる。尾張が平和になった時にまたお会いしましょう。今度は戦の相談ではなく、お互い発展の為に」


 そう言って雪斎は一礼し部屋を後にし、雪斎の側近も続く。



【尾張国/楽田城 城外】


 楽田城を出た所で、側近が口を開いた。


「宜しいのですか? このまま主導権を握って尾張を牛耳る事も可能だったのでは?」


 雪斎の手腕なら充分達成可能なのに、ここで引き下がる意味が側近には分からなかった。


「出来なくは無いがな。今は、斯波義統と尾張に恩を売っただけで充分だ」


「しかし……」


 側近はなおも食い下がる。


「忘れたか? 三河も不安定なのに尾張まで手を伸ばせば、戦線を延ばしすぎて自滅するのが目に見えておるわ。二兎追うものは一兎も得ず。知らない言葉ではあるまい?」


「な、なるほど!」


(どんな意味だっけ?)


(……後で教えてやる!)


 そんな頭の痛くなるやり取りを聞かない事にした雪斎は、この策の肝を語りだす。


「誤解を恐れず言うなら、尾張がどうなろうと我等にはどうでも良いこと」


「は!? ここまで援助しておいてですか!?」


 驚いて側近が声をあげる。


「そうじゃ。今はな。今は尾張の喉元に喰らいつく事ができる三河を制圧する事が肝要よ。先ほど言ったであろう? 今のままでは戦線が延びすぎだとな」


「な、なるほど!」


「尾張の信秀は手強い。奴が自由に動ける内は三河を掌握する事はできぬ。だから斯波義統と織田信友を煽って立ち上がらせたのじゃ。奴らが信秀を討てば良し。奴らの支配する尾張を手に入れる事など造作も無き事。逆に奴らが信秀に討たれたとしても、反逆者の烙印を押された信秀が尾張を掌握するのは刻が掛かるだろう。その間に我等は三河を完全掌握するのじゃ。ワシらが下がるのは三河に全力を注ぐため。それに、あのまま今川主導で尾張を制圧して不信感を持たれても困る。率いた兵も三河兵じゃ。最早、結果がどう転んでも我等の益にならぬ事は無い」


 側近達は味方であっても恐ろしいと感じさせる軍師太原雪斎と、その軍師を従える今川義元に改めて畏敬の念を抱いた。


 ただ、太原雪斎も読みきれぬ部分があった。

 犬山城は一晩で落城し、信長が人生経験をフルに発揮し不信感を感じ取り、幾つか手を打っていた事を。



【美濃国/稲葉山城 斎藤家】


 時間は少し遡り、美濃の稲葉山城にて。


「尾張から早馬が届いた。信秀殿と婿殿の連名で来ておる」


 マムシの如き目を光らせて男が語る。


「婿殿!? 帰蝶ですか!? まさか離縁では!?」


 屈強な大男が食いつく様に訪ねる。


「違うわ!」


 斎藤利政(斎藤道三)が『また病気が始まったか?』と頭を痛める。


「離縁で無いなら何なのですか?」


 興味を無くした大男、斎藤義龍がガックリして問い返す。


「他の可能性は一切思いつかんのか……」


 断っておくが、義龍は帰蝶関係以外には極めて優秀である。


「援軍の依頼じゃ」


「左様ですか」


 喋った文字が見える訳では無いが、見えた場合は義龍の耳の右から左へ、文字が抜けていくのが見えたであろう態度だ。


「もう少し興味を持たんか!」


「はっ」


 これほど上の空の同意を利政は聞いたことが無かった。


(こ、こやつ! ……そうじゃ!!)


 一計を案じ喋りだす利政。


「うむ。そうじゃな援軍はワシが向かって、ついでに帰蝶の顔を見て……」


「尾張に出立し義弟を助ける! 者共支度せい! 動ける物から順次出立! 遅れるものは斬る!」


 利政が最後まで言葉を言う前に、義龍は飛び出していった。

 義龍の側近も大慌てで追随する。


「……あ奴は……一体、どうしてこうなったのじゃ……」


 その時、利政が一人の男の顔を捉えた。


「お主、そう言えば、婚姻の締結と会談の場を取り持ったな、十兵衛?」


「はっ!」


「済まぬがお主も行ってやってくれぬか。帰蝶に関わるあ奴では通る話も通らぬやも知れぬ。一度顔を通したお主の方が何かと良いじゃろう」


「はっ! では拙者も出立いたします」


 そういって十兵衛こと明智十兵衛光秀は一礼して部屋から退出した。


「娘の件もあるが、今尾張が落ちるのは困る。義息子(信長)よ何とかしてみせよ。……ついでに息子(義龍)も」


 短期決戦故に雪斎は美濃斎藤家の参戦は間に合わぬと踏んでいたが、犬山城の陥落と、援軍依頼の迅速さが誤算であったと知るのは三河平定中のことであった。

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