121-1話 追撃と退却 勘違いの恐怖
121話は2部構成です。
121-1話からよろしくお願いし居ます。
【飛騨国/武田軍 武田晴信陣】
「アレが浅井某が言っていた、突破できない城門に崩れる塀か」
攻撃が始まる前の晴信の陣で、遠目に城門を確認していた。
一見して普通の城門であるが、実際は人を虚仮にしくさった悪意満点にして破滅の門である。
「見た目は何の変哲も無いが、門の裏側には大量の土がある……と。コレをどう攻略し織田を叩くかじゃが……。建設は済んでおるな?」
「既に整えております!」
「伝令の準備も整っておるな?」
「はっ! 普段の10倍の準備が完了しております!」
「よし……! では手筈通り先陣は信濃衆! あの城門を突破させよ! 伝令は逐一ワシからの指令を信繁と後続軍に送る! 動くこと雷霆の如し! まずは突撃じゃ!」
晴信は突撃命令を下した。
己の策の半分はコレで成る事を確信して。
武田晴信軍5000の内、約半数が猛然と城に突進していった。
【飛騨国北/入道洞城 江間、織田、朝倉軍】
「鉄砲隊構え! 撃てぇーッ!」
350丁の鉄砲隊を3つの門に配置した織田軍。
その内の一つの門に配置した鉄砲兵が構える116丁の銃口が、破城鎚を携え城門に突撃する武田兵に対し火を噴き、奏でる轟音が群がる兵士を薙ぎ倒す。
信長は城門左右の城壁に鉄砲隊を配置し、左右から一箇所に目掛け弾丸を集中して発射する必殺の銃撃を披露した。
仮に運良く銃弾を避け橋に到達しても、そこには足場の悪い丸太橋に鉄釘を打ち付けた、自動撃退橋が架かっている。
さらにその橋を突破出来たとしても、土で固めた偽装門には少人数では成す術がない。
《そう言えば、以前長篠と同じ戦いはしないと言っていましたが、この十字砲火がその新戦法ですか?》(76話参照)
《違う。そもそも鉄砲だけに限定留守なら、この戦法は雨森城の戦いでも披露したぞ? あの時は城を攻める側だったがな。しかし……なる程な。十字砲火とは面白い表現じゃ。極めて言いえて妙な表現じゃ》(78話参照)
《えッ!? だって十字に砲撃するから……!》
《知らん言葉じゃな》
十字砲火とは、漢字の『十』の様に射線を交差して銃弾を浴びせる戦法である。
前方のみから来る弾丸は敵集団の表面にしか効果が無い上に、一撃で戦闘不能に追い込むのは意外と難しい。
しかし2方向からの射撃は念入りに敵兵を蹂躙する。
必殺の銃撃とは、文字通りの必殺なのである。
更に2方面に限らず、3方面、例えば上方から打ち下ろし念入りに殲滅する場合もある。
一撃で倒す事を考慮しない、例えば牽制だけなら1方面からの攻撃でも良い。
高価な火薬の消費量に眼を瞑ってでも、絶対に倒したい場合には極めて有効で、十の字の交差点に位置する兵士の生還は絶望的である。
また『砲火』とある事から、火器戦術の未発達な戦国時代に生まれた言葉ではない。
戦術としては第一次世界大戦にて定義されたらしいが、しかし弓部隊、あるいは歩兵部隊でも2方面からの攻撃は極めて有効であり、戦国時代でも別段珍しい戦法ではない。
ファラージャは未来の言葉をうっかり洩らし、信長はその言葉の的確さに唸るのであった。
この歴史では、史上始めて鉄砲を使った十字砲火戦術を披露した信長は、伊勢長野城で検証した防御壁の崩れる土壁と共に、『雁行』『屏風折』を、突破できない門に組み合わせて採用し、必ず2方面で銃撃できる防御を実現させた。
城門を破壊する敵部隊に対してのみ鉄砲を浴びせ、壁を突破しようとする部隊には弓矢を浴びせ、梯子は木槌で叩き落す。
基本的には長野城と変化の無い防御戦法であるが、鉄砲が加わった事で、より強力に頑強に堅牢になったと言えようか。
《集団運用交換撃ちもやっておらんしな。朝倉と戦った時よりも鉄砲は増やしたが、交換撃ちで連射するより、十字砲火での確実な撃破を優先しておる。その為に敵が門に殺到しても大人数は通れない様にしている。それに思い描いている新戦法は今の守備戦ではあまり意味が無い。野戦でこそ発揮する故にな》
信長はそう言って、傍らの木箱に仕舞ってある新兵器に目線を向けたが、今はそれを活用する場面ではないと判断した。
それにこの新兵器は、初披露でこそ意味がある。
今の様に、こんなどうでもいい場面で使っていい兵器ではない。
《それに時間も物資も足りなかったから数も少ない。コレを使う場面はしっかりと見極めねばならん。少なくとも今ではない》
《あぁなるほど。じゃあソレ使わず持ち堪えるのなら、もう盤石ですね。土竜攻めの気配もありませんし……》
戦素人のファラージャが感じる通り、武田軍は愚直に突撃を繰り返しては失敗していた。
《そこが不思議な所ではあるがな。ワシの武田への恐怖が更なる恐怖を生んでおったのか? この規模の軍で、あの武田を全く寄せ付けないとは。ワシが成長、いや、武田がまだ未熟なのか?》
信長が様々な原因を考えて、一つの結論に達した。
《そうか。土竜攻めは資材も時も銭も必要じゃ。今の武田程度の勢力では準備などできぬか? 何れにせよ……》
信長がそれ以上の言葉を口から出すのを止めた。
安心した瞬間から、油断が始まる様な気がしたからである。
【武田晴信陣】
「これで3日か。動かざること山の如しとは言うが、本当に堅い城門じゃな。あれだけの猛攻を浴びせても突破が適わんとはな……! しかし内容は予想外でも結果は計画通り!」
晴信は攻撃が繰り返される城門を確認する。
その玉砕に等しい様子を把握しながら、晴信は冷徹に突撃命令を下すのであった。
浅井政貞から概要を聞いた上で、何の工夫も策も無い突撃部隊は、悉く城門で玉砕し果てていった。
その結果を見かねた信濃衆の侍大将が、晴信に作戦の変更を訴える。
「武田様! あの門の防御力は異常です! これでは無駄に兵が死ぬだけです! 突破を果たすには地下より破壊工作を仕掛けるしかありません! 土竜攻めの許可を!」
城門の異常な防御力を目の当たりにした侍大将が、信長も懸念していた土竜攻めを提案する。
「駄目だ。時が掛かりすぎる」
しかし晴信は、配下の策をにべもなく否定した。
「それに、知りがたきこと陰の如く。策は順調に進んでおる。それとも信濃衆は我らに屈し、今度は織田に屈し、さらにこの程度の城門すら突破できないと天下に喧伝するのか?」
「策が進んで!? くッ! しかし、突撃をするにも兵が……!」
少数で突撃したところで挙げられる戦果は、火薬数発分を消費させられる程度であろう。
突撃するなら絶対に集団が必要である。
それは晴信も分かっている。
分かっているからこそ短く答えを言った。
「兵? 兵はワシの目の前に居るではないか?」
「目の前? それはどこに……。……ッ!?」
侍大将はあたりを見渡し、晴信の言う『兵』を探し、何かに気が付いた。
「貴様は五体満足で失敗の弁を語るだけなのか? 貴様らなら突破能うと判断したが、こんなザマなら信濃の領地経営は考えねばならんな」
「なッ!?」
侍大将は痛い所を突かれた。
武田家にとって新参の信濃衆は、武田で生きる為には忠誠と能力を、命で示さねばならない。
しかしこれは武田が非情なのではなく、戦国時代に限らず世界の共通である。
新参者は、命を懸けて己の存在価値を示すのである。
織田家でも吸収した北畠家を、今川家との決戦である桶狭間にて、先陣激戦区の2番手に北畠家後継者の具教を配置した。
信長は具教の能力を買っているが、それとは別に冷徹に北畠の忠誠を試した。
結果的に具教は役割を果たしたが、仮に桶狭間で無様な戦いをすれば南伊勢は取り上げられるだろうし、裏切るならば当時後方に控えていた北畠晴具や木造具政は背後から討ち取られていただろう。
しかし、その危険な役目を果たしたが故に、今では織田家の中でも存在感を放つ家として力を発揮している。
「我等に死ねと仰るのですな!? わかりました! 我等の死に様をとくとご覧あれ!」
「良くぞ申した。貴様の家は我等が手厚く庇護しよう! 侵掠すること火の如く! 後顧の憂い無く使命を果たせ! 伝令! 信繁の陣に行け!」
退路を塞がれた新参信濃衆は、最後の力を振り絞って馬鹿正直に突撃し、しかし、努力と根性だけでは城門は突破できず玉砕を果たした。
そんな悲惨な結果が出た折、信繁の陣からの報告が届く。
「そうか。何という僥倖か。動くぞ! 後詰の軍に伝令を飛ばせ! 疾きこと風の如くじゃ!」
普段の10倍の伝令を使って綿密な連携を心がけていた武田軍は、通信など無い時代でタイムラグがゼロとは言わないが、ありえない速度で情報を共有していた。
その秘密は伝令を多数配置した上で、ピストン往復と狼煙を駆使した、戦国時代にて可能な限り速度を重視した伝達であった。
(突破できるならソレで良し。駄目なら次の計画に移るのみ!)
結局、桜洞城、入道洞城へ攻撃を仕掛けた武田軍は半数が壊滅し撤退を開始した。
【飛騨国/入道洞城 織田、朝倉軍】
城門前にも堀にも屍が積み重なった入道洞城。
武田軍は損害が看過できないと判断したのか退却を始めた。
「退却? 退却だと!?」
その攻略の執念が感じられない攻勢からの退却に、偽装の線を信長は疑ったが、実際に敵の損害は全軍の半分以上に上ろうかと思える成果を出しているので、偽装の可能性は薄い。
武田軍は半農兵士である以上、全滅は当然、兵士1割の損害を出しても領国経営に響く。
これ以上は戦っても無駄と判断するか、何が何でも城を落とし、損害に見合う成果を得るしかない。
しかし、武田軍は退却した。
「勝ったのか?」
余りにもあっけなく、突如振って湧いた様な決着に、信長は呆気に取られていた。
「織田殿! 見えておるか!? 武田が退くぞ!」
「信じられん。あの武田を本当に退けられるとは……!」
絶好の追撃好機に朝倉宗滴は興奮気味に叫び、信長は目の前の光景を驚愕の表情で見ていた。
前々世ではついに適わなかった、武田晴信の撃退の快挙故に、ある意味仕方の無い事であろうか。
「何を呆けておる! 追撃はせぬのか!? この城は追撃に極めて不向き! 追撃するなら早く指示を飛ばさねば間に合わぬぞ!?」
朝倉宗滴の一喝に信長は我に返る。
この城の唯一の弱点と言えば入るのは勿論、出るのも時間が掛かる事である。
追撃するのであれば、今すぐに進軍路を確保せねばならない。
「勿論です! 今すぐ出口を確保せよ! これより追撃に移る!」
今は迫る武田を追い払っただけで、致命的なダメージを与えた訳ではない。
今後二度と、少なくとも当分は飛騨に侵攻出来ないように打撃を与えておく必要がある。
その為には一人でも多く敵兵を撃破し、出来るならば武将級も討ち取っておきたい所である。
我に返った信長は、脱出路を兼ねた所定の出入り口を確保するように指示を出す。
(武田に追撃!)
前々世では武田相手にそんな夢を見るなど、身の程知らずにも程がある夢であった。
黒鍬衆が、一部の壁を破壊し橋を掛ける作業を急ピッチで進める。
(あの武田信玄に追撃!)
前々世で憎らしい程に信長を悩ませた武田軍が、しかも晴信率いる武田軍が退いていく現実離れした光景。
黒鍬衆の通路確保の間に、織田、朝倉軍は追撃の準備を整えた。
壁が崩され、簡素ではあるが丸太橋がかけられる。
とりあえずの通行が可能になるが、追撃部隊を通しつつ、橋の下の堀も土砂で埋めてより頑強に整えに入る。
(あの武田信玄の首が取れるかもしれん!?)
前々世ではどんなに屈辱的な武田の言い分も、土下座外交で凌いできた武田軍が壊走するありえない現実。
古今東西、退却する軍への追い討ちは特大の戦果が期待できる。
なにせ逃げる敵は、当たり前と言えば当たり前だが攻撃よりも逃走を優先する。
それ故に、常に背後から攻撃を受け続ける状態である。
攻撃側は損害も殆ど無いので、苛烈な攻撃が可能になる。
俄然、首だけになった武田晴信の絵面が鮮明になってくる。
「よし! 朝倉殿、織田は今すぐ動ける部隊を率いて先に進みます! 朝倉軍は後続部隊を整えて率いられよ!」
「分かった! 逃がすでないぞ?」
「もちろん! ここで討ち取ってみせましょう! 左京!(武田信虎)」
「はッ!」
「晴信を討ち取る又とない好機! 先陣第一部隊として追え! お主の存在意義を証明せよ!」
「ありがたき幸せ! 必ずや奴の首を挙げてご覧にいれましょう!」
「九郎左衛門(塙直政)、彦右衛門(滝川一益)! 左京の後に付け! その後詰にワシがでる! 兄上は残りの織田軍を纏めて朝倉と連携し進軍を!」
「承知した!」
織田軍先発部隊は入道洞城を飛び出し、半壊した武田軍残り2500を猟犬の如く追う。
無傷の織田軍5000と朝倉軍3500にとって、半壊した軍など誰が率いようとも、仮に人間として成長した武田信玄相手であっても造作も無い相手である。
前々世にて、ついに勝てなかった武田晴信に刃を突き立てるべく、信長は軍を進めるのであった。