119話 武田の始動
【甲斐国/躑躅ヶ崎館 武田家】
春―――
広間では武田晴信と、北条からの使者である北条宗哲が会談を行っていた。
「では、事が起こり次第北条は援護させて頂きます。御武運をお祈りしますぞ」
「相模殿(北条氏康)の心遣いに感謝致す……!!」
退出する宗哲の笑顔とは裏腹に、晴信の顔は苦渋に満ちていた。
年齢不相応な覇気とは別種の、経験と叡智で他者を圧倒する宗哲の交渉に、若い晴信は終始押され、北条の援軍を許可してしまった。
「兄上、良いではありませんか。戦力が増えるに越した事はありますまい」
晴信が何に対して気に入らないのか解らず、信繁は戦力増強に素直に喜んでいた。
晴信もそれは理解している。
「それは解っとるが、武田主導で話を纏められなかったのが気に入らん! 流石は伊勢宗瑞の子と言わざるをえん!」
晴信が相手をした北条宗哲とは、後に北条幻庵として名を馳せ、その父親は関東どころか、初期戦国時代の伝説の武将である伊勢宗瑞こと北条早雲。
いかに晴信と言えど、交渉を有利に進めるにはまだまだ経験が足りなかった。
「まぁ相手が相手ですからな。仕方ありますまい」
「チッ! まぁ北条の件はもう良い。それよりもじゃ」
「アレをやりますか!」
晴信は先程までの表情とは打って変わって、綻んだ顔を見せる。
それは信繁も同じで、2人はいそいそと館の別室に向かう。
2人は大きな桐箱をと水桶を運んでいた。
「お、お館様!? そんな雑務は某にお任せを!」
その様子に仰天した小姓が、大慌てで晴信に駆け寄った。
武田の支配者兄弟にそんな事をさせられないと、気を利かせた小姓が大慌てで駆け寄るが、晴信は一喝して止めた。
「関わるな! コレよりワシは左馬助(信繁)と共に秘術を行う! 何人たりとも覗き見る事は禁ずる!」
「えッ!? も、申し訳ありません……!?」
晴信と信繁は密会を重ねた。
それはもう『2人は出来ているのか? しかも兄弟で!?』と家臣達が思うほどに。
ここで言う『出来ている』とは、いわゆる衆道、男同士の関係である。
現代では『LGBT』の概念が浸透してきているが、まだまだ国によって宗教的理由により死刑まである中で、日本は古来より性に関しては自由奔放な先進国であった。
その理由は仏教伝来によって、女犯の禁止から広まったと言われる。
そんな衆道であるが、信長と森乱丸の関係は有名だが、決定的な資料が無いのに対し、晴信は浮気の弁明をする書状が現存する等、衆道はこの時代には一般的だ。
近親相姦も、誉められたものではないが無くはない。
平安時代中期に延喜式にて法として禁じられたが、科学的な遺伝異常の実証など存在しない為、愛情もあるのだろうが、大抵は権力や地位、財産を血筋で独占する為に行われ、残されている家系図から色々察する事もできる。
しかし、近親衆道は聞いた事がない。
しかも若い美少年ではなく、三十路越えの筋骨隆々髭面の晴信と信繁である。
「お館様の趣味は……。まぁ……余計な事を言っては首が飛ぶ……。関わるまい」
その解釈の方が首が飛びそうであるが、家臣達はそう誤解した。
晴信達は、そんな誤解を受けているとは露ほども知らなかったが、秘術、即ち種籾の水選別を2人でせっせと行った。
一昨年の尾張より流出してきた技術で、しかも歴史にはまだ存在しない種籾の水選別。
尾張の織田家とは違い、作物最貧国の甲斐でこの情報は最上級機密である。
自分達の支給する種籾が結果を出す。
当然、家臣統制にも領国支配にも、絶対的アドバンテージを取る事ができる作業。
だから2人で秘密裏に、せっせと行った。
そんな歴史に無い行動の結果、後世に『晴信×信繁』と言う、業の深過ぎる掛け算が流行するのは後の歴史である。
「よし。各村にこの種籾を配布し米を育てさせよ」
晴信の号令の下、武田家が支配する甲斐と、南信濃全域に種籾が配られた。
「よし。これで天災でも発生しない限り、収穫後には飛騨に侵攻できよう」
「兄上、侵攻ではありませぬ。解放ですぞ。飛騨守様なのですから」
「フフフ。そうじゃったな。不当に飛騨を支配する輩から民を解放せねばな!」
晴信は飛騨解放準備に、ようやく目処が立ったと確信するのであった。
夏―――
躑躅ヶ崎館の広間では会談が行われていた。
(また厄介な爺が来おったか……!!)
春に続いて夏にも厄介な人物が訪れ、晴信は眉間にシワを寄せるのを我慢するのが大変な思いで会談に臨んだ。
「武田様、此度は急な面会、かたじけのうございます」
「いやいや。三国同盟の立役者たる雪斎和尚を邪険に扱いはせぬよ。しかし、確か和尚は引退しておると聞いておったが? 何か急報か?」
今川から訪問してきたのは、引退したはずの太原雪斎。
晴信は春の北条宗哲の件もあり、雪斎の訪問にキナ臭いモノを感じた。
「いえいえ。完全なる私的な旅でございます。充実する余生をと主が勧めて下さいました。じゃあ何をしようかと考えた折、三国同盟折衝時に見た甲斐側からの富士の光景が忘れられなくて、こうして参った次第でございます」
そう言って雪斎はツルりと剃り上げた頭を下げた。
「ただ手ぶらではありませぬ。武田様の領地に足を踏み入れるのですから、心ばかりの援助物資、それと主よりの書状を預かっております。内容は存じ上げませぬが、きっと武田様の飛騨侵攻に役立つかと」
「援助物資? 私的の旅なのに使者の役目もするのか?」
太原雪斎が、只の旅で甲斐に来るなどあり得ない―――
晴信は眉をひそめた。
「そうではありませぬ。拙僧が訪れないなら別の誰かがこの場に居たでしょう。引退後の私的な旅の『ついで』と言っては失礼ですが。無論、拙僧の旅で迷惑を掛ける訳には参りませぬ。武田様も御忙しい様子。富士見物が終りましたらお暇致します」
「なるほど。ただ、引退したとは言え、雪斎和尚程の者が来るのじゃからな。こちらとしても何もせぬ訳にもいかぬが、本当にそれだけの用事か? いや……今のは失言じゃった。忘れてくれ」
晴信は正直疑っている。
しかし、嘘だと問い詰めても太原雪斎が洩らすハズが無い。
ならば無意味である。
晴信は自分で言った発言の無意味さを恥じた。
「そうですなぁ。では富士見物以外に許されるのであれば、主の計らいに応える為に、里嶺様のご様子を伺えられればと思います」
里嶺とは三国同盟の締結時に、今川家から武田義信に嫁いだ姫の事である。(史実名:嶺松院)
「里嶺か……。まぁ良かろう。今川より嫁いで年数も経つ。今川の者と弾む話もあろう(コレが目的か?)」
「心遣いに感謝いたします」
雪斎は感謝するが、もちろん富士の見物など建前も建前で、里嶺と接触する事が雪斎の任務である。
そんな思惑を秘める雪斎が退室した広間では、信繁が訝しげな顔を隠さず尋ねた。
「それで書状の内容は何と?」
「今回の援助物資とは別に、また物資を送るとの事じゃ。今川は三好派じゃからな。派手に支援出来ぬ事を謝罪している内容じゃ」
「そうですか。まぁ引退した和尚だからこそ、武田に接触しても三好には言い訳が立つ、と言う筋書きなのでしょうな」
「……そうかもな」
晴信は、仮に今川が裏切っても問題ないと判断している。
それに政略結婚で送られてきた人間がスパイである事は、どこの武家でもやっている事であり、公然の秘密でもある。
雪斎と里嶺の面談を断って、心象が悪くなるよりはマシであるし、里嶺から伝えられる事などタカが知れている。
背後には北条も控えており、何かあれば里嶺も巻き込んだ報復をするだけである。
「さぁ。この夏は可能な限り農民に稲の手入れをさせよ。堤の整備よりも優先させよ」
「はっ!」
【武田義信邸/里嶺の私室】
「これは雪斎和尚。久方ぶりですね」
「里嶺様もお変わりな……いや変わりましたな。誠に美しく成長なされました」
三国同盟で輿入れして以来、8年ぶりの再会である。
里嶺は8歳で嫁ぎ、今は16歳。
それだけの年数が経てば、女は別人の様に成長する。
「父上は元気ですか? 桶狭間の引き分けは残念でしたが、それでも今川は、特に問題なく発展していると聞き及んでおりますよ」
「主は元気も元気です。このままなら今川も安泰でしょう」
主君であり弟子でもある義元の能力に、雪斎は太鼓判を力強く押した。
「それは良かった!」
桶狭間での勝敗の史実は覆らなかったが、義元生存の特大の歴史変化など雪斎や里嶺が知る由も無い。
また、信長と直に関わった結果、三好とも結び、日ノ本の行く末に影響を及ぼす勢力まで成長させた手腕は『海道一の弓取り』に恥じぬ活躍である。
「彦五郎の兄上はどうですか? 今川の次期当主として精進していますか?」
「……彦五郎様も精進も精進、凄く精進しています。このままなら今川も安泰でしょう……」
主君の嫡男であり、弟子でもある氏真の能力に、雪斎は太鼓判を困惑しながら押した。
「それは良かった。……?」
桶狭間の勝敗の史実は覆らなかったが、氏真が帰蝶へ弟子入りという、超特大の歴史変化など雪斎も里嶺が知る由も無い
しかも織田の姫に特訓されて喜んでいるとは言えず言葉を濁したが、その織田への援軍で徐々に名を挙げ『次代の海道一の弓取り』として着実に成長を果たしている。
「それよりも……。今川家縁の里嶺様にお伝えする事があります」
「……聞きましょう」
雪斎は里嶺に伝えた。
今川は武田と織田の両者と結んでいる為、武田と織田の争いには介入できない事。
結果如何による、今後の身の振り方を決めねばならない可能性がある事。
今川家縁の姫として、より綿密に今川の為に動いて欲しい事。
「里嶺様は難しい立場となりましょう。あるいは決断を迫られるかもしれません。……辛ければ断っても構いませぬぞ?」
「……いえ。これも乱世の女の役目なのでしょう。覚悟は決めております」
「……心遣い感謝致します」
里嶺は武田義信の正室にして、今川家より派遣された人質でもある。
何かあれば命は無い。
そんな残酷な使命に対し里嶺は凛として応えたのであった。
「所で和尚、私と立ち会って貰えませんか?」
「はい。……は?」
急な話の切り替わりに、雪斎は『立会い』の意味を理解するのに時間が掛かった。
「実は武芸の稽古をしているんですが、今川の太原雪斎にどこまで通じるか試したいのです」
「……え? 立会い!? いや、里嶺様のいう通り、武芸を嗜むのは武家の妻の役目として理解できますが、拙僧と立ち会うと言うのは……」
「噂に聞く織田の姫鬼神は、女だてらに戦場で暴れているとの事。私も負けてはいられませんわ! 和尚はその実力を良く知っているのでしょう?」
(何と言う事だ……!!)
雪斎は何か得体の知れない、麻疹の様な病が広がっている錯覚に陥るのであった。
ちなみに、春に訪れた北条宗哲が援軍の申し出とは別に、武田から北条氏政に嫁いだ黄梅院が武芸に勤しみ『流石、武田の姫君』と絶賛されている話に、晴信が困惑するのは別の話である。
秋―――
昨年からの水選別が効果を発揮したのか、建設中の堤が更に機能を果たしたのか、たまたま気候的に恵まれたのが原因か、それとも晴信に『徳』が備わっているのか。
甲斐は前年の10%増に迫る程の大豊作に恵まれた。
「凄い……!! これはもう、天が飛騨を奪えと言っている様なモノですな!?」
信繁が興奮を隠す事もせずはしゃぐ。
従来の武田家ならば、奪わねば死ぬ状況で戦っていたので常に背水の陣であったが、この収穫量なら兵糧を過剰に心配する事無く戦う事ができる。
こんなに潤った状態で戦が出来るのは、一体いつ以来なのか2人は思い出せない程なので、信繁のはしゃぎ様も無理なかった。
「うむ。あまり楽観はしたくないが左馬助の気持ちも解るわ。じゃが、此度の戦も基本的には奪う。奪う力こそが強さの源。じゃから兵には安心感を持たせるな。それに敵の兵糧も使えば一石二鳥じゃ」
「そうですな。たまには我等の領民に腹一杯に飯を食わせたいですな」
支配者の武家でさえ、豪華絢爛な食事とはいかない時代である。
最下層の民など腹一杯に食べる事など、一生望み続け、絶対叶わぬ夢である。
「よし。では収穫直後に甲斐を発つ! 今回は越年越冬を見越した軍備で飛騨に向かう旨を通達せよ。遅れる者は手柄にありつけぬと念押しさせよ! 長尾と北条に早馬を出せ! 今より飛騨守名義で全ての命令書を出す!」
「はッ!」
晴信は三好長慶より飛騨守を授かったが、公式に名乗るのは控えてきた。(85話参照)
信長や飛騨勢には既に漏れている情報であるが、それでも今から名乗る事で、決意を内外に示す為に。
冬―――
冬と言うにはまだ早い時期であるが、小寒冷期にしては奇跡的に暖かい収穫後の冬。
いや、暖冬と言うべきだろう。
全ての準備を整えた武田軍が終結した。
「冬の山越えは正直嫌でしたが、もうこれは天が飛騨を解放しろと言っている様なモノですな。うん? 秋にも同じ事を言った気がしますぞ? ハッハッハ!」
信繁が出陣日和とでも言うべき、快晴の空を見上げながら言った。
「確かにな。長い年月かけて準備してきた今回の行軍じゃ。失敗は許されん」
晴信は、軍備も策も完璧を期して、今回の飛騨解放に臨んでいる。
負けは当然、飛騨を奪えないのも許されない。
「よし。信濃衆を先陣にし軍を2つに別ける! 目標は勿論飛騨! 一方はワシが率い入道洞城、もう一方は左馬助を総大将とし桜洞城に仕掛ける!」
「はっ!」
「次! 孫六(武田信廉)、右衛門(一条信龍)―――」
晴信は次々と名を呼んだ。
秋山虎繁(秋山信友)、穴山信君、小畠虎盛、小幡昌盛、飯富虎昌、飯富昌景(山県昌景)、小山田信茂、春日虎綱(高坂昌信)、金丸昌続(土屋昌続)、工藤祐長(内藤昌豊)、三枝昌貞、真田幸隆、真田信綱、多田昌澄、馬場信春、原虎胤、原昌胤、山本勘助(晴幸)
晴信が知る由も無いが、後世に『武田二十四将』として誉れ高く称えられる、手塩にかけて育てた武将である。
「―――以上の者は後発の長尾と北条に合流し、策に従い行動せよ!」
彼らの任務は晴信の後備え兼、長尾、北条軍への警戒でもある。
北条氏康とは、三国同盟で結ばれているので強い警戒は必要ないが、長尾景虎は別である。
強さに関しては文句は無いが、川中島での手痛い経験から、何をしてくるか解らない相手と認識しており、宛がう兵数こそ少ないが、武将の質で睨みを利かせ警戒した。
それに、彼らは景虎と歩を揃えなければならない理由もあった。
「はっ!」
「軍規暗唱!」
「其の疾きこと風の如く! 其の徐かなること林の如く! 侵掠すること火の如く! 知りがたきこと陰の如く! 動かざること山の如く! 動くこと雷霆の如し!」
晴信の号令で、武将達が一斉に口を揃え『風林火陰山雷』を暗唱する。
快川紹喜より学んだ風林火陰山雷。
4年掛けて丁寧に研鑽し学び習得した、戦の極意である。
今の武田軍は、敵を見れば殴りかかるだけの野蛮な軍ではない。
軍規を基本に置いた、軍隊となった。
「よし! では出陣!」
ようやく重い腰上げた、いや、腰を上げる事が出来る様になった武田家は、史実に無い信長との直接対決に臨むのであった。