118-1話 寿命を超えた者 朝倉宗滴、斎藤道三
118話は2部構成です。
118-1話からご覧下さい。
弘治3年の新春。
各所では新年を祝い、安寧を喜び―――等という事は全く無く、いつもの如く策謀渦巻く暗雲漂う年明けであった。
中央では、三好長慶の計略により泥沼の争いが繰り広げられている中、東側では決戦に向けた準備が水面下で進められていた。
武田家は自力を蓄えるべく内政に勤しみ、織田家は迎撃の準備を整え、長尾家や本願寺、将軍家は独自の策を成就すべく動いていた。
また動いているのは勢力や家単位の他にも、個人的思惑で動く者もいた。
武田信虎が息子晴信への憎悪を晴らすべく織田家に加入し、織田信長の弟である信行が明の寧波からの帰国時に難破事故に会い、偶然通りかかった長尾家に保護された。
その長尾家の当主景虎は、家の意向とは別に独自に動き将軍や本願寺に渡りをつけている。
各々が、決戦までに『まだ何か出来るはずだ』と足掻いていた。
【越前国/一乗谷城 朝倉家】
「爺。今年の収穫後が一番危険だと申しておったな? やはり武田は来ると思うか?」
「来る。フン! 多少目論見が外れた事もあったが、よっと! 総合的に判断して今年こなければ武田にこの先、ほいっと! 芽は出ない」
織田家と同盟し、武田の飛騨侵攻の際には助力を約束している朝倉家。
その同盟と助力を主導した朝倉宗滴と、当主である延景(義景)。
宗滴は人生経験を総動員して武田が今年動く事を予測した。
「それにワシも歳じゃしな。よいさ! 武田の小僧を最後の相手と定めてもよかろう。よいしょ!」
史実では一昨年に病死している宗滴である。
本人の言う通り歳も歳でいつ死んでもおかしくは無い。
「爺は冗談が上手いな。その様子ならワシより先に死ぬ事は無い様な気がするぞ? ……本当に」
延景は、本気で自分の方が、先に寿命を迎えそうな気がしてならなかった。
何故なら、宗滴は延景と織田の姫との間に生まれた子と戯れているのだが、幼子とは言え、老人の宗滴が片手で子供を曲芸の如く空中に放り出しており、改めて朝倉が生んだ英傑の生命力を感じずには居られなかった。
子供はキャアキャア笑いながら元気いっぱいだ。
「馬鹿な事を。そりゃ!」
延景の戯言に反応した宗滴は、振り回していた幼子を膝上に鮮やかに着地させた。
「若にはワシの知りうる知識も戦略も全て叩き込んだ。何とか寿命前に全てを伝えられた。後は若が己の中にどう落とし込むかじゃ。努力の成果をワシが見る事は適わぬじゃろうが、それでも思い残す事は無い」
史実よりも長生きした結果、より長く緻密に教育を施す事ができたお陰で、朝倉延景は史実よりも武将としての質が強化された。
「じいはいなくなっちゃうの?」
幼子が、宗滴の膝上から、顔を見上げながら問いかける。
「うん? どうかのう? もうあと10年粘りたい所じゃな! ハハハ!」
(……10年後も同じ事を言っている気がする)
「ともかく、武田に対してはワシが出る。若は領内と一向一揆の対処をして欲しい。一向宗の奴らは最近妙に大人しくて逆に不気味じゃ」
「分かった。噂では越後の長尾が何か動いたとか聞くが真偽不明じゃしな。足下を疎かにしては領外への対処も儘なるまい。任せよ」
「将軍についても同様じゃ。浅井を通して支援はしておるが、今の状況からして関わらぬが吉じゃ。特に畿内に足を踏み入れたら朝倉が消し飛ぶかも知れぬ。最悪、浅井を切る事も頭の隅で考慮しておく様に」
三好長慶の蠱毒計は、朝倉宗滴を持ってしても厄介極まりない策であった。
「浅井か。今となっては足枷になりつつあるな」
朝倉家は将軍、三好、織田のどの勢力が勝者になろうとも生き残れる戦略を取っている。
これを無節操、八方美人と非難する事は勝手だが、国として生き残りを図る事は古代から現代まで変化は無い。
心中覚悟で一つの国だけと誼を通じるのは、潔く美談に感じるかもしれないが、ギャンブル性も高く破滅の危険は常に付きまとうし、それに付き合わされる家臣や民は堪ったモノではない。
史実における真田家他多数が、関ケ原の戦いの予測に迷い、徳川家と反徳川家両陣営に誼を通じた様に、リスクは分散するに限る。
その上で浅井家が負担に感じるなら、宗滴は『容赦なく切れ』と言い切った。
「浅井を切った場合に起こる非難はワシが引き受ける。全ては宗滴の独断だと喧伝せよ。浅井の件に限らず、不都合な件はワシに責任を押し付けよ。お主は傀儡だったとな。老い先短いワシが悪名を全て被って死ねば雑音も収まろう」
「ハハハ。……本当に老い先短いならば、手段として考慮しよう。……無駄な考慮になりそうな気がするが」
若い延景の目から見てもエネルギッシュな宗滴は、とても死ぬようには見えなかった。
「爺は今、仮に将軍家、三好家、織田連合、あるいは武田や長尾、尼子でも良いが、どこが伸びると予測する?」
「……将軍も六角も潰れるのは時間の問題じゃな。余程の幸運でも起きぬ限りな。織田を含む我等が2番手と見るが、尼子が三好に勝つなら尼子が1番手。じゃがまぁ三好が最有力なのは間違いない。三好長慶は当代一の傑物じゃ。そうそう失策を犯すまい。ならば順当に伸びるべき勢力が伸びるじゃろう」
「本当に順当じゃな」
宗滴は至極まっとうな答えを言った。
「面白みの無い答えでスマンが、これが現実じゃろう。しかし未来が、明日が絶対予測どおりとは限るまい。天災や病、事故などいつ起こるかわからん。さっきの答えはその様な事を考慮しておらんし、そんなモノは考慮のし様が無い」
「結局、時勢を掴んだ者が勝つ、か……」
豊臣秀吉にしても徳川家康にしても、チャンスを掴んだからこその天下人である。
ボンヤリして手に入る座ではない。
チャンスを見抜き、モノにする能力のある人間が、勝つべくして勝つのである。
「そうじゃ。だから何時如何なる時も油断せず準備せよ。武士は勝つ事が全てじゃ」
「解っておるよ。油断して酒色に溺れでもしたら、爺にもこの子にも申し訳ないわ」
史実には存在しない子に延景は約束した。
史実で酒色に溺れ家を滅ぼした延景である。
史実を知る人間が聞いたら、さぞかし驚くであろう言葉であった。
「安心せい。酒色に溺れて負けたら、あの世でコッテリ絞ってやるわい」
「それは死んでも嫌じゃな! ハハハ! ……絶対に嫌じゃな」
史実に比べて実績はともかく精神が成長した延景は、死後の安寧の為にも絶対に油断せず生き抜くと決めたのであった。
【近江国/今龍城(旧:今浜 史実:長浜) 斎藤家】
「父上。……本当にお任せして良いのですか?」
「何を心配する? 任せておけ! いてッ!」
「子育ての話ではありませぬぞ?」
「ん? 当然であろう? 痛い!」
斎藤家当主の義龍と、その父にして前当主の道三が向かい合って座っている。
ただし、道三の膝の上には赤子がはしゃいでいる。
義龍と千寿菊姫(史実における京極マリア)との間に出来た娘が、道三の髭を掴もうとして手を振っていた。
道三は喜太郎(龍興)以来の久しぶりの孫相手に張り切っていた。
今は対武田戦略について話しているハズなのに、どうしても斎藤家の子育て方針についての議論に見えてしまうのは、マムシの道三の覇気が鳴りを潜めているからだろうか。
整えた髭を掻き乱され引っ張られるが、道三の顔は緩みっぱなしであった。
「西の将軍と領地が接する以上、斎藤家全戦力を飛騨に向ける訳にはいかん。しかし、三木には、と言うよりは信長に援護を約束した以上、見捨てる訳にはいかん。だからこそワシよ。自分で言うのも何じゃが、ワシが存在するだけで敵の足を止める自信はあるぞ?」
ハッタリではない。
それだけ『斎藤道三』の名は偉大なのである。
こればかりは才能だけでは出来ない。
例え才能豊かであろうとも、無名では名前で足止めは出来ない。
万人に才能を認められて初めて成しえる業であり、この歴史でそれができるのは織田信秀や太原雪斎、朝倉宗滴といった年季が入った武将だけである。
史実では、昨年に義龍と争い討ち取られている道三。
そんな運命は、帰蝶が粉砕してしまった現在では、好々爺と言っても良い位の穏やかさであるが、敵対する人間には蛇が狸寝入りをしている様にしか見えない。
信長も実績なら完璧だが、この歴史における知名度で言えばポッと出の若僧であるし、織田家を継いだといっても敵の中には信秀の傀儡と誤解をしている者も居る。
斎藤家も義龍が名を売っているが、道三の実績にはまだまだ及ばない。
「確かに父上以上の適任者を居らぬでしょう。しかし、いつまでも父上におんぶに抱っこでは斎藤家の未来もありませぬ。飛騨の件は父上にお任せしますが、若手も連れて行って学ぶ機会を与えて下さい」
「その訴えも最もじゃ。ワシを邪魔じゃと言える程の若手の成長も欲しい。しかし、だれぞ候補がおるのか?」
「不破光治、斎藤利三。まずこの2人は今まさに成長させるべき人材です」
「ふむ。異論は無い。……その言い方なら他にも誰か居そうじゃな?」
「はい。竹中重治を連れて行って貰いたい」
「重元の息子か。先ごろ元服したのだったな。中々小賢しいと評判じゃな?」
重治、通称『半兵衛』―――
史実における伝説の軍略家、竹中半兵衛重治である。
史実では喜太郎、即ち龍興の振る舞いに怒り少人数で稲葉山城を強奪したり、織田軍に入り羽柴秀吉の与力となった後の知略の冴えなど、伝説が凄過ぎて訳が分からない事になっているが、早死にした事と一級資料に記載が少ない事から謎の多い人物でもある。
かつてファラージャが帰蝶に『半兵衛に知恵を借りてはどうか』と言った事がある。(外伝3話参照)
あれから10年近く経過した今、早くも評判が上がっていた。
ただ書物、特に兵法書を愛するあまり、知識は凄いのだが周囲との軋轢も生んでいた。
確かに言う事は正論で間違ってはいないのだが、配慮も感じられない振る舞いが軋轢の原因であり、簡単に要約すれば、『生意気』なのであった。
「少々頭でっかちな部分があります。体力も心許ない。しかし智恵は間違いありますまい。今が学ばせ時期かと。書物と戦場の差を実感すれば、将来の斎藤家に有用な人物になりましょう」
「将来、喜太郎にとっての腹心に育てるか。よかろう。ワシも歳じゃしな。最後の仕事として、一度、天狗の鼻をへし折っておくのも教育じゃろうな」
この生意気な小僧、半兵衛の知恵と互角に戦い扱えるのは、先代主君にして年季も実績も抜群な道三しか適任者が居ない。
斎藤家がこの先も織田の盟友として勝ち抜く為に、道三は次世代の英傑を育てるべく動くのであった。
「最後の仕事って……不吉な事を言わんで下され。言霊が宿ったら厄介ですぞ!」
「おっと失言じゃったな。今、ワシの名が無くなるのは戦略上でも不味い。この子の為にも気をつけねばな! ハッハッハ!」
道三直系の孫は、喜太郎と史実に存在しないこの幼児しかまだ居ない。
斎藤家をより安泰にするには、まだまだ道三の力も名も必要であった。
「アァア!」
「お!? 今、『じいじ』と言わなかったか!?」
「は? 『ちちうえ』と言ったのですよ? お耳の衰えですかな?」
「……貴様、言うではないか」
「……父上こそ、いつまでも子供扱いは困りますぞ?」
帰蝶に対してもそうであるが、どうもこの2人は顔に似合わず可愛い者を独占したい困った気質があった。
剣呑な雰囲気が周囲に漂う。
「アアアアッ!!」
そんな二匹の大蛇の殺気に、敏感に反応した子供が泣き出した。
「あっ! おおよしよし!?」
「怖い爺だな~!?」
「アギャアァァァ!!」
二匹の大蛇は、赤子に翻弄される。
「何をやっているのですか!」
そんな頭痛のする光景に、将軍陣営に情報を流す役目がある千寿菊姫(史実名:京極マリア)が見るに見かねてスパイの役目も放棄して割って入った。
「おお、嫁よ聞いてくれ! この馬鹿息子が……」
「おお、妻よ聞いてくれ! このクソ爺が……」
スパイの役目があるとは言え、そこは自ら腹を痛めて産んだ我が子である。
無骨な蛇に子育ては任せられない。
「父様も爺様もダメですね~よしよし」
千寿菊姫が子を抱きかかえると、あっという間に子は泣きやんだ。
「な、なぜじゃ!」
「馬鹿なッ!」
母親の偉大さに道三と義龍は悔しがるのであった。
「さ、いきましょうね。そろそろ乳をあげないとね~(それに報告もしないとね)」
悠々と子供を連れて行った千寿菊姫は、書を認めるのであった。
『斎藤家、武田に対応する為、西側に対応する気配は見られず。あと、子の初言葉を巡って対立の兆しあり』
後に千寿菊姫の報告書を受け取った将軍義輝は、斎藤家の方針は兎も角、理解不能な馬鹿な光景に頭を悩ませるのであった。