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外伝30話 長尾『輝く信義と無様な影』景虎

 この外伝は12章 弘治2年(1556年)武田晴信が長尾景虎に飛騨侵攻の援軍を求めた後の話である。(117話参照)



【近江国/朽木城 足利将軍家】


 平伏した男が迫力ある声で挨拶する。


「御初にお目にかかります。長尾平三景虎に御座います」


 質素な御簾の奥からやや弾んだ、しかし、強い声で返事がある。


「足利左近衛中将義輝である」


 越後を発った長尾景虎は、商人に扮し海路で斎藤勢力下の若狭から上陸し、近江の朽木に到着していた。

 いくら偽装しているとは言え、堂々と敵勢力圏内を突っ切るクソ度胸は流石と言うべきか。

 だが、それ程の危険を冒して行くには理由がある。

 来年後期に勃発する武田の飛騨侵攻に備えて、また、三好包囲網の将軍派として、己の目で現状を確認する為に。


 そんな訳でまずは将軍である。


「三好包囲網結成から日が経った今になっての参上、申し訳なく思います」


 義輝の密書から既に2年経過し情勢は激変しており、景虎はそれを詫びたのであった。

 ただ、心では然程悪いとは思っていない。

 今の現状、出来る事と出来ない事がある。

 一応、味方を表明しておきながら、助ける事が出来ない事に対する形だけの詫びであった。


 一方義輝としては悪い感情はない。

 上洛が遅いのも、陸路は全て塞がれている現状では仕方ない。

 むしろ、こんな状況で誰かが来るとは思ってなかった。


「これは正に天の助けよ!」


 義輝は御簾を手で払うと、一歩前に進んで景虎の前に座る。

 そんな義輝の言葉に景虎は冷徹に答える。


「助けとは申しましても、今のこの状況、織田と斎藤、或いは北陸一向一揆を撃ち破って包囲に穴を空けるのは至難の技。それに越後から中央は遠く、今すぐと助けられる訳ではありません」


 物理的な距離と障害はどうしようもない。

 長尾景虎はまだ上杉謙信ではない。

 この歴史では、まだ年若く実績もネームバリューも然程ではない。

 期待されても、景虎個人の力で敵を退かせる事は不可能である。


「それは分かっておる。しかし言わせてくれ。天の助けじゃと」


 それでも義輝は嬉しかった。

 誰もが毒壺の争いを様子見している。

 こんな自分に会ってくれる人間など、壺の外側では皆無であった。

 それに例え六角に勝っても、次は三好、更には織田と斎藤も控えている。

 当初は蠱毒壺に封じられても気勢を上げていたが、段々現実が見えた。

 そんな中、律儀に将軍派を離脱せず訪ねてきてくれたのは、感謝しかなかった。


「確かに辛い。楽観視など到底出来ぬ。しかし、今反抗の活力を得た。必ずお主の信義に報いようぞ」


「……。(信義か。都合の良い言葉よな)」


 景虎は義輝を見据えた。

 三好包囲網を形成するつもりが、いつの間にか立場を逆転され、三好と織田に封じられた無様な将軍を。


「ソコまで言って頂けるなら、某に策がございます。それは―――」


 景虎は策を話した。

 義輝も、同席する細川晴元も、策の全容を知るにつれ渋面になっていく。

 景虎の提示した策は容易に飲み込む事ができないが、しかし他に現状打破できる逆転の策も思いつかない。


「誤解無き様に言いますが、この策を提案はしましたが、採用するか否かは上様のお心次第です。否であるならば某はこのまま帰還します」


 景虎は丁寧な言葉で言っているが、要するに責任の所在と覚悟を『決めるのはお前だ』と問うているのである。

 脅しと言っても良いだろう。

 しかし、この程度の覚悟と業を背負わずして、挽回など夢のまた夢である。


「……よし。その策、我が名を持って認める! その程度背負えずして何が将軍か! ……しかしそこまで言うからにはやって見せよ。策がなった時は望みを叶えようぞ」


 義輝は覚悟を決めた。

 既に茨の道を突き進んでいる身。

 今更引き返す事などありえない。


「(望み、か。我の望みは……)はっ。その覚悟承りました。成果をお待ちください」


「では一筆認めるから暫し待て。新九郎、紙と筆を持て」


「はっ!」


 義輝の声に新九郎と呼ばれた若武者が機敏に動いた。

 新九郎とは浅井輝政。

 元の名を浅井猿夜叉丸。

 先ごろ元服し、義輝から『輝』の字を授けられ浅井輝政と名乗った。

 もちろん、輝政とは史実における浅井長政の事である。


(ほう。こんな陣営にも利発な者がおるのか。将軍の教育の賜物か? これは案外捨てたモノでもないな)


 輝政の所作から将軍家の規律と統制を感じ取り、無様に思っていた感情を少しだけ回復した景虎であった。


「よし。それとは別に此度の信義と功に対する褒美を渡したい。とは言え我が陣営の窮状で出来る事は限られておる。官位を授けようにも六角が御所を占拠しておる」


 義輝は景虎に褒美を打診した。

 無論、これは覚悟を上乗せし『やるからには一蓮托生だぞ』と暗に言っているのである。


(……自分の立場を客観的に見えておるか。案外逆転の目は残っておるやも知れぬ)


 そんな義輝のある種の『汚さ』に景虎は頼もしさを覚えた。

 それでこそ武士の頂点たる将軍であると。


「とりあえず、褒美の先渡しとして『輝』の字を授ける。これからは輝虎と名乗るが良い」


(景から輝か。陰陽の変化が激しいな。フフフ……! 腹筋(はらすじ)か! フフフ!!)


 諱が正反対の字になる事に景虎は心で笑った。

 凄い余談であるが、史実にて上杉謙信は書状で『腹筋に候う』と記した事があり、現代語訳するなら『腹筋崩壊』である。


「あ、有難く頂戴します」


 何がそんなに面白いのか歯を食いしばり、景虎は痙攣する腹を押さえつつ答えた。


「しかし、今の時期に輝虎を名乗れば敵に無用な警戒を与えます。全ての事が成った後、改めて名乗らせて頂きたく思います」


 急に『輝』の字を貰ったと表明したら、何かあるとバレバレである。

 そこは策の成就として先延ばししなければならない。


「うむ。それもそうじゃな。では頼んだぞ」


 会談を終えた景虎は、義輝から2()()の書状を受け取り、朽木城を後にした。



【山城国/京】


(これが京か。多数の廃墟にやや復興気味の町。見るに堪えん。何の輝きも無い。越後の方が遥かにマシだな)


 六角軍が地域を占拠している現状では、流石に御所に近づく事はできず遠巻きに見据える。

 日ノ本を輝きであまねく照らす天皇が、日ノ本最高権力者たる天皇が、常に何者かに操られ、飾りと化している無様な天皇の居る御所を。


(数多の勢力が入り乱れ、マトモな政治や治安など望むべくもない。これが2000年近く続く天皇家の力か)


 遠くの方では兵が騒ぎを起こしている。

 六角の雑兵が民に難癖を付けていた。


(それに力ある者が、力を制御しておらん。信義も何も感じられん。六角は遅かれ早かれ先は見えておるな)


 力ある者とは六角義賢、制御できない力とは兵士の統制力である。

 かつて史実で、信長は女性に絡んで顔を覗いた雑兵を叩き斬った事がある。

 綱紀粛正の行き届かない軍など、野盗となんら変わりはない。

 守るべき者に害をなして安定などありえない。

 信長はそれを徹底的に取り締まり、京の民に織田軍を認めさせたからこそ、その後の結果に繋がった。


 景虎は、そんな六角軍の無様な状態を目に焼き付け、京を後にするのだった。



【摂津国/石山 本願寺】


(ここが本願寺本拠地の石山か。寺の概念を忘れそうじゃ!!)


 景虎は本願寺の外観を見て絶句した。

 地域の拠点として、戦略拠点として、防衛施設として、生活施設として、交通の要衝として、近隣の守護者として完璧な石山本願寺の威容と、宗教施設とは見えぬ異様な雰囲気を感じ取った。


(強い訳じゃ。これは木っ端大名など太刀打ちできん)


 以前にも述べたが、この時代の僧侶は武装が当たり前である。

 武装が当たり前なら、当然、寺も要塞化している。

 なぜなら、他宗派や邪教徒と戦い守るのが正義だからである。


 戦国時代(や日本に限った話ではないが)異端と争う宗教は、どちらの教えが正しいか盛んに問答が行われ、その結果、一方が論破される場合がある。


 その後はどうなるか?

 勝った宗派は、負けた宗派に異端を認め看板を下ろすように要求する。

 しかし負けた方も、責任は未熟な一個人で宗派が負けた訳ではないと食い下がる。


 そうなれば、後は闘争あるのみである。

 お互いに一歩も退いてはならない、信念と教義がある。


 一方は異端者を駆逐する聖戦として、一方は教えを守る聖戦として武力で争うのである。

 正しければ神の加護があると信じて。


 厄介なのは、両者に正義があるので、武士の戦など比較にならない損害を出す場合もある。

 人が一番残虐になるのは、正義の行使である。

 その一例が天文法華の乱と言われる宗教戦争で、死者数千から数万とも言われ、応仁の乱を上回る京の荒廃の原因の大部分である。


 これは極端な例だが、この時代は宗教勢力は武装し、防御を固め、威容を示し、正義やら教えやら色々守る為に戦うのである。

 なお、これらは現代に至るまで理屈は変わらない。


 石山本願寺は、そんな中でも日本トップクラスの寺(ほぼ城)として機能していた。

 そんな要塞同然の本願寺本拠地に景虎は踏み入った。

 長尾家の当主として、将軍の使者として、現状打破の策を携えて。


 しばらく待たされた後、宗主の入室が厳かな声で案内される。

 襖が開き、豪奢な袈裟に身を包んだ子供が、トコトコと歩いて景虎の前に座った。


「本願寺第11世宗主、顕如にございます」


「……長尾平三景虎にござる」


(本願寺は代替わりしたと聞いたが、こんな子供が本願寺を支えるのか!?)


 景虎は最初、宗主は傀儡だと思っていたが、その姿を見て考えを改めた。

 間違いなく今の本願寺の支配者は、目の前の子供であると。

 無論、細々とした運営には補佐する者がいるのだろう。

 しかし、この子供から発せられる魅力や資質、輝きは並大抵では無かった。


(将軍の小姓も中々と感じたが、こ奴は……何者だ!? 歴戦の武将に匹敵する雰囲気を醸し出しておる!)


 かつて一騎打ちで戦った武田晴信に勝るとも劣らない、腕力や身体的能力とは別種の、覇気とも違う神秘性を景虎は感じた。


(なるほど。武家に生まれたならば天下を狙える逸材よ。……危険な奴じゃ)


 それほどまでに顕如は存在感があった。

 そんな顕如に景虎は来訪目的と己の策を、将軍の書状と共に打ち明けた。

 暫くのやり取りの後、顕如は策に同意した。


「まぁ、いいでしょう。三好殿には悪いですが、これも乱世を鎮める為。御仏の意思のままに」


 かつて三好長慶に慈悲を求め、交渉の末に助力を得た顕如であるが(106-2話参照)、景虎の策に乗る事を了承した。


「ただし、本当にその様な展開になるならばです。無用な争いは好みませぬ」


「結構でござる。某の策が外れたならば、今回の話は忘れてくだされ」


 顕如は了承はしたが、逃げ道も作った。

 ここでする約束など何の保証も無く、密儀も密儀で公式記録に残らない。

 ならば逃げを残すのが、強かな戦国時代の人間である。


 ともかく、これで単身越後から赴いた景虎の目的は達した。


「ところで……」


 その上で景虎は最後に、少しだけ幼い虎の尾を踏んでみたくなった。

 顕如の気分を害したら全てが御破算になりかねないのに、聞かずにはいられなかった。


「本願寺の最終目標とは如何に?」


「天下統一……などと戯言は申しませぬ。我等は武士ではありませぬ。政治は専門外。世を正しく治める方に従い力添えする事が我らの教義故に」


「なるほど。王法為本ですか」


 王法為本とは本願寺第8世宗主、蓮如の言葉で、要約すれば『社会では仏法より正しい王道(法律)が基本』との意味である。

 現代でも国の法律を宗派色に染めたがる宗教は多数あるし、事実『法律=宗派の教え』の国が存在する中、宗教が絶対の時代で蓮如の言葉はかなりの異端とも言えた。


「そうです。教義は教義として守るべきですが、仏門外でそれを振りかざしていては、比叡山延暦寺や法華宗の様な過激で自滅しか見えない世になります。そこは緩急とでもいいますか、民には適度に楽しく緩やかに、世を治める者には正しさと公平を求めます」


 顕如は想定済みとばかりに定型文の様な模範解答にて、問いに対する答えを述べた。


「……成る程。国の宗教として立場を確立したいのですかな?」


 しかし景虎には通じなかった。


「……!」


 顕如は黙った。

 そんな事は一言も言っていないが、思わぬ景虎の言葉の刃に顕如は言葉を失った。

 カリスマ溢れる顕如と言えど、流石に若すぎて場数が十分ではない。

 迂闊にも沈黙で答えてしまい、その野望の一端を景虎に掴まれた。


 宗教勢力が自衛の為に戦い血を流しても、天下統一の為に血を流す必要は無い。

 権力者に認めてもらえれば事足りる。

 武士と僧侶は同じ次元では争わない。

 何故なら宗教が絶対の世界なのだから。


「ここに将軍の書状があります。御一読を。国教を目指すなら読む価値はあるかと」


 景虎はもう一枚の将軍の書状を差し出した。

 顕如は渡された義輝の書状に目を通し無表情で景虎をみた。

 景虎は顕如を見据えた。

 聖職者の野望という、無様だが実に人間らしい子供を。


「……成る程。これが長尾様の信義。良いでしょう。三好様は王法為本を目指すに一番近い方。しかし本来なら足利将軍家に寄り添う事こそ世の中は有るべき姿になり輝きを取り戻しましょう。それには織田殿と斎藤殿を排除するのが1番ですね」


 本願寺との約束を取り付けた景虎は、越後に帰還すべく若狭に向かうのであった。



【能登半島沖】


(信義か。犬の餌にもならん言葉よ。そんな軽々しく使える言葉では無いだろうに。正しさの輝きに、足元の影を見失っておるのではないか?)


 若狭湾から悠々と越後へ向けて出発した景虎は、船縁で考え事をしていた。

 武田との連携、本願寺の方針、己の策謀と理想。


 自分で提案しておきながら、自問自答する景虎。

 しかし、すでに武田晴信により賽は投げられ、自分はその賽をさらに出目調整するべく動いている。

 今更迷ったとしても、やるべき事をやるだけである。


 そんな迷いを吹っ切るべく水平線をみた。

 すると雄大な丸みを帯びた水平線のかなり手前に、不自然に動く物体を見つけた。

 最初は波に揉まれたゴミかと思ったが、どうやら違うようである。


「うん? あれは……人か?」


 どうやら、木の箱にしがみついた2人組であった。

 1人は意識を失っているのか、もう1人に抱えられて、やっと海面に顔を出していた。


救命阿(助けて)!」


 漂流している人が、景虎の船に気づき何やら声を挙げた。

 波の音と距離と漂流者の体力低下なのか、今イチ何を言っているのか聞き取れないが、状況からして助けを求めているのは明らかである。


「人がいるぞ! 船を近付けて救助せよ!」


 景虎は船長に向かって叫んだ。

 普段無口な景虎の大声に皆驚くが、緊急事態に水夫たちは慌ただしく動く。


「は、はい!」


 救助された2人は明の商人であった。


「助かリましタ。我等は寧波かラ来タ商人デす」


 異常に聞き取りにくい日本語で話す商人は、感謝の言葉を述べた。

 隣に横たわるもう1人は意識は取り戻したが、とても話せる状態ではなく目で感謝の意を伝える。


「目の前で沈まれては寝覚めが悪い。それで、どうしてこんな事に? 難破事故か?」


「その通リデす。商いの機会を求めテ堺や博多デハなくこチラ側に来タのデすが、仰ル通リ事故デ沈みましタ」


「それは災難だったな。それでどこを目指していたのだ?」


「若狭デす」


「若狭か……。我等も急ぎでな。若狭湾に戻る事はできん。済まんが越後まで同行してもらおう」


(……え、越後!?)


 無様に横たわっていた男が心中で驚いた。


「なに、客人として歓迎するし、我等も交易のツテは欲しておってな。その木箱は積み荷か? 何なら買い取っても良いし、船が必要なら用立てよう」


「有リ難うございます旦那! このままデハ大赤字。国の女房にあわせル顔があリませんデしタ!」


 商人にとっては渡りに船であった。

 輝く笑顔で喜びを露わにした。

 この状況で断る選択肢はあり得ない。


「お前もそレデ良いな? カンロン―――」


 本当は良くないのだが、カンロンこと信行にはどうする事もできず、予定外に越後へ同行する事になる。


(あ、兄上……)


 動けぬ体で兄を心配する信行。

 各地で様々な思惑が動く中、決戦の時が近づくのであった。

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