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外伝29話 織田『カンロン』信行

 この外伝は9章 天文22年(1553年)信長が初めて三好長慶に会う為に上洛した後の話である。



【筑前国/博多】


「ここが博多か。成る程。堺に勝るとも劣らぬ賑わいだ」


 1人の若者が九州の貿易港である博多の地に降り立ち、両手を腰に当て感慨深げに呟いた。


「おい! カンロン! ぼさっトすルなよー! 積み荷を運ぶ! そしタラ直ぐに補給! 明後日にハ出発すルぞ!」


「へ、へーい!」


 カンロンと呼ばれた若者は、異常に聞き取りにくい日本語に返事をし、急いで荷物の運搬を始めた。

 武器甲冑を完全装備した状態より遥かに重い荷物を背負い、一歩一歩フラつきながらも歩む。


 この若者は織田勘十郎信行。

 カンロンとは信行の通称である勘十郎を、更に短縮した『勘郎』の中国語での発音である。


 信行は織田信秀の三男にして信長の弟で、歴とした武士であり、相応の身分と教養を持つ人であるが、こんな肉体労働をする理由は、織田家から化せられた罰と任務を果た為めである。


 信行は2度に渡って信長を裏切りった。

 これは史実でも同じだが、その内容は異なり、今回の歴史では今川の策略による所が大きく、また信行も年若く未熟だった為に酌量の余地があると判断された。


 ただし、無罪放免とはいかない。


 限りなく織田の中心人物に近い者の反逆である。

 それ故に、罰に等しい任務を授かる事になった。(90-3話参照)


 その罰及び任務とは『明の商船と関りを持ち大陸へ渡れ』である。

 信行は兄の言葉を反芻しながら思い出す。


「武器でも情報でも人でも何でも良いから持ち帰れ……か。大任よな」


 信行は可能な限りの手練手管を使い、堺の街で商いをする商船と交渉し乗船を頼み込んだ。

 超大国の三好との商いはともかく、まだ地方領主に過ぎない織田との関わりを、明の商船に頼むのは本当に骨が折れた。


 信用が無いから当然である。


 だが信行は粘りに粘った。

 このままでは兄に逆らった反逆者として、歴史に消える恐れもあった。

 それだけは我慢がならない。 


 その恐れが、父である信秀譲りの『器用の仁』としての才能を開花させた。

 武士の身分や姓と諱、また、ともすれば清廉潔白過ぎて海の荒くれ者とは反りが合わな過ぎた性格も、心の奥底に封印した。

 身分も性格も、これからは足枷になると柔軟に判断したのである。


 その努力が実って一隻の明船と繋がりを持つ。

 その商人は、商いの新規開拓を狙っていたが、堺では先客がいて思った利益が得られず困っていた所に信行と出会った。


「まぁ、良いダロう。お前の提案にのッテやル」


 正に『渡りに船』であるが、ソコは強かで強欲な商人である。

 困った姿は一切見せず提案にのったのである。

 信行は船に同行するが、操船技術も潮目も風も天候も読めないので『日ノ本への水先案内人兼、雑用』という立場になった。


 決して『お客様』ではない。

 働けないなら魚の餌になるだけである。


 それでも良いならという条件で、信行は乗り込む事に成功したのである。

 信長の命令から1年以内に、織田の姓も信行の諱も秘匿し、織田の有力者である立場も隠し、信用ゼロの状態から成し遂げたのだから、やはり信行には才能が眠っていたのであろう。

 お互い弱みを隠しつつ、手を取り合うのであった。


『よし。お主の覚悟は受け取った。ここに正式に謹慎を解き織田家への復帰を言い渡す。お主の成果を楽しみにしておるぞ!』


 信行は信長の言葉を力に変え、重い荷物を背負い、肩に食い込む縄の痛みを跳ね返し、歩を進めるのであった。 



【外海/船上】


「いいかカンロン。明の国ハ海禁をしテいル。ツまリ俺達ハ違法行為をしテいル訳ダ。そレは乗船前に話しタな?」


「へい、聞きました。信じがたい話ですが……」


 商人の言う『海禁』とは、日本で言う所の『鎖国』と似ている制度で、海上利用を禁ずる明の法律である。


 海禁の成立は日本からの海賊、つまり『倭寇(前期)』と呼ばれる襲撃者の取り締まりが本来の制度で、貿易まで禁ずる物では無かったが、商船なのか倭寇なのか判別がつかない為に、時の皇帝が漁業も含む全ての船の海上利用を制限してしまった。

 これは1300年代後半の話である。

 しかし、これでは生活も経済も成り立たない。


 また、禁ずれば破りたくなるのが人の性。

 当然の結果であるが、密貿易が盛んになってしまった。

 処刑のリスクを考慮しても密貿易が後を絶たない事から、利益は莫大だったのだろう。 

 1500年代には『倭寇(後期)』も盛んになり、密貿易は加速していった。


 ちなみに倭寇とは日本の海賊である事は述べたが、倭寇の『前期』とは日本人主体の海賊であるが、『後期』は明人主体の海賊である。

 倭寇後期は海禁で生活できない明人が、倭寇を騙って暴れていたのである。


 倭寇に関しては本当ならもっと細かい経緯があるのだが、説明したら話が脱線し過ぎるので、とにかく信行達が海上に居るのは違法行為である事を念頭に置いてもらえれば幸いである。


 余談であるが、そんな中で鉄砲伝来は行われた。

 中国の密貿易船に案内されたポルトガル人が種子島にもたらしたのである。


「良いか? 役人の取リ締まリ船を見ツけタラ全速デ逃げル。そレが出来なかッタ場合、賄賂デ見逃しテもラう。そレデも駄目なラ皆殺しにすル。お前は兵士ダッタな? 戦闘になッタラ期待しテルぞ?」


「へ、へい。わかりやした!」


 この時代の明の皇帝は後に嘉靖帝と呼ばれる人物であるが、道教という宗教にハマり、その道教に通じている者を人材として登用した。

 それだけなら皇帝の権限としてまだ理解できるが、その政治は悪辣であったとされる。

 まず、皇帝に意見するものは処分され、賛成する者だけが褒美を与えられる。

 それだけなら『イエスマンを集めたお友達政権』としてまだ理解できるが、政策に失敗した場合、その責任はイエスマンに転嫁され処分された。

 更に更に、国難に至っても酒色に溺れた。


 こうなっては誰も政治を担えず、腐敗一直線となってしまう。

 政治と宗教の悪循環に、さらに皇帝の資質という最悪が上乗せされた国がこの時代の明なのであった。


 そんな日本の戦国時代に勝るとも劣らぬ危険な国に信行は向かうのであった。


「まぁそう緊張すルな。大体ハ賄賂デ解決すルかラな。ハハハ!」


「は、はぁ……」


 信行は何とも言えない嫌な予感を覚え、それは直ぐに的中した。


是官方的船(役人の船だ)!!」


 突如、船頭に立っていた水夫が大声を挙げた。

 信行には言葉の意味が通じないが、一瞬で船に緊張感が走り、ただ事ではない雰囲気は察する事ができた。


「あ、あの、何か問題が?」


「役人の船が来タ。そレダけダ。よしカンロン、刀を準備しロ!」


「え? わ、賄賂で対応するのでは?」


 嫌な予感が強烈に高まってくる。


「そんな事デきルか! 赤字になッチまう! 皆殺しにすルぞ!」


 確かに賄賂で解決はできるのだが、賄賂とは命と引き換えに積み荷を全部取られるのである。

 程よい賄賂で済むなら良いが、全部没収されたら生活など出来ないので彼らには戦うしか道がないのである。

 さっき言っていた『賄賂で解決』とは一種の密貿易ジョークであった。


「不正を働く役人も一掃デきルかラ、一挙両得ッテ奴ダ! ツいデに奴ラの荷も奪うぞ!」


 その言葉と共に、瞬く間に信行の乗る船は、密貿易船から海賊船へと性質を変化させる。

 海の男は基本荒くれ者である。

 急速に張り詰める殺気に信行は慌てた。


 信行にとって戦は経験済みであるが、肉弾戦の経験は織田家家臣との訓練でしかない。

 その少ない戦経験も、2連敗というありさまである。


(お、思い出せ! 戦場の空気を! 特に濃姫殿の恐怖を!)


 実は信行は信長の上洛に付いていく前に、帰蝶と立ち会っていた。

 今後の困難を乗り越えられる様にとの帰蝶の気遣いであるが、時間も少なかったので、信行は帰蝶の破滅的殺気をしこたま浴びせられた。

 帰蝶は帰蝶で、性教育を受けたショックを振り払うが如く、まったく遠慮はしなかった。(90-3話参照)

 信行は記録的短時間で最大級のゲリラ豪雨的洗礼と、激励を受けたのであった。


(アレを思えば、この程度!!)


 果たして役人の船は露骨に賄賂を要求してきた。

 政治の腐敗が良く分かる清々しいまでの態度であった。


 当然ながら交渉は決裂し、戦闘になった。

 信行は抜刀し、揺れる船上で果敢に戦うのであった。



【明/寧波(にんぽー)


「ここが寧波か。成る程。博多、堺に勝るとも劣らぬ賑わいだ」


 信行達は役人の船を沈める事に成功し、無事に明へたどり着いた。

 密貿易で栄えた町である寧波。

 現在の韓国と台湾の中間、また鹿児島から真西の大陸に位置する栄えた町である。


 国が機能していれば、こんな不自然に栄えた町は調査された結果、海禁違反として処分されるだろうが、役人も腐敗し利益を享受しているので、町全体が知らぬフリをしているのが実情であった。


「ここが大陸……明なのか。空や土は日ノ本と一緒じゃな。しかし人や物品は……こうも違うか」


 見た事もない服装に頭髪、謎の言語が飛び交う港町に、見た事のない食材や珍品が並んでいる。

 どれもこれも、信長に報告したら喜ばれそうな物ばかりであった。


「さてカンロン。日本に行くにハ暫くかかル。先に聞いテいル硝石や銭ハ俺達が調達すルかラ、お前ハお前の視線デ必要な物を探せ。俺も今後の為に付いテいく」


 商人は信行のある程度の自由行動を許した。

 その理由は、日本を発つ前に堺常駐役の林秀貞から信行の任務を聞いており、自分達にとっては当たり前の物が、実は貿易品になる可能性を示され、信行に必要な物を探させる事に理解を示したのであった。


「ありがとうございやす。というか……この目に入る物全てが未知の物でして、何から手を付けたモノか……」


「そうか。そリゃそうダな。俺も日ノ本に初めテ行ッタ時は驚いタもんダ。良し。じゃあ手ッ取リ早く知ルには飯が一番ダ! 美味いモン食わしテやルぜ!」


 商人は手近な露店に信行を連れていった。

 信行は、そんな露店レベルの中華料理の味に感動し、またその完成度に恐れ(おのの)いた。


 信行が食べたのは、何の変哲もない炒飯とスープである。


 中華料理は、三国志時代にはすでに完成されたと言われ、現代と遜色ない食事をしていたとされる。

 なお、三国志時代の日本は邪馬台国の卑弥呼の時代。

 この時代の日本は食事は手づかみで、原始的な農耕や武器もあるが、殆ど野蛮人同様の暮らしをしている中で、隣の大陸では現代に比肩する中華料理が開発されているのである。

 さすがは四大文明の一つである、黄河文明が発生した国である。


 信行は獣肉を戦々恐々としながら口にして、出汁を活かす日本食とは逆方向の強烈な味付けに激烈な感動を味わった。


「そ、そう慌テテ食わないデも飯ハ逃げないぜ?」


 余りの食い付きブリに商人は驚いた。


「いや、その余りにも美味く……ゲホッ!」


 初めて味わう食事に信行はむせてしまった。


「ハハハ。請給我一杯水(水を一杯くれ)!」


 商人が女将に何事か告げると、テーブルに筒が置かれた。


「水ダ。飲んデ落チ着け」


「え、水……? みず……。コレが水!?」


 信行は目を剥いた。

 筒の中の液体を見て、高揚していた気分が一瞬で落ちた。

 目の前には、日ノ本で慣れ親しんだ透明には程遠い濁った水。


「クックック! 驚いタか? お前の国の水ハ本当に美味かっタ。ダが、こレがこの国の水ダ。明へようこそ! ガッハッハ!」


 濁った水―――

 中華料理が異様に発展している理由に、水質が挙げられる。

 日本と違い、森林による濾過が不十分な中国の水は基本濁っている、と言うよりこの時代、真水が飲める国は非常に少ない。


 例えとして微妙かも知れないが、アメリカの映画で、車を使ってタイムスリップするM君の話の3作目は御存知だろうか?

 この映画は主人公が1885年に行った後に、民家で出された飲料水に目を剥く場面がある。

 M君は、とても飲めるとは思えない水に驚愕したのである。

 開拓期のアメリカとはいえ、1885年でさえこの有り様である。


 それに今でも、世界には濁った水を飲むしかない人々は大勢いる。

 現代でも、真水を飲めるのは幸運なのだろう。


 話が逸れたが、とにかく明の水は不味い。

 この濁って臭い不味い水を、何とか克服したのが中華料理である。

 だから油と炎と多様な調味料で、豪快な味付けに進化する訳である。

 逆に日本は真水が豊富なので、出汁の文化が発展し素材を活かす日本食として進化する。

 これは別に、どちらが上下であるかという話では無く、環境故の適応と進化の違いである。


 信行はそんな水を覚悟を決めて飲んだ。

 ここで飲めなければ、受け入れて貰えないと判断したからだ。

 郷に入っては郷に従えの精神である。

 本来なら尾張国の頂点に位置する一族のする覚悟ではないが、信行は見事に飲み干したのであった。


「さ、さぁ! 行きましょう! 他に見たい物は山ほどあります!!」


 青い顔で根性を見せた信行の心意気に、商人は今まで見せた事のない笑顔を作ると肩を叩いて笑った。


「わかっタ。じゃあ3日後に出発しようか」


「3日後? 今からでも良いのですが……」


「お前ハ今日到着しタばかリ。疲れも溜まっていルダロう。そレに断言すルが、お前ハこの後必ず腹を壊す」


 商人はそう言いながら、黒い粒を信行に渡した。


「腹下しを緩和すル漢方薬ダ。飲んデおけ。ガッハッハ!」


「は、はぁ。わかりました……」


 信行は商人の予言通り水の洗礼をモロに受け、3日間体調不良に苦しんだ。


 3日後―――


「もう大丈夫か?」


「だ、大丈夫です……」


 青い顔をして信行は答えた。


「こレばかリハ慣レテもラうしかないんデな。悪いが我慢しテくレ。日本人が皆通ル道ダ」


 信行は青い顔で腹を抱えつつ、寧波の街を中心に様々な物を見分し、日本に持ち帰る物を厳選した。


「さぁ! この大量の土産で兄上の覇業を支えるぞ! いざ若狭へ!」


 日本を出発し2年と少し。

 信行は兄の元へ帰還するのであった。

 自分の持ち帰る荷物が覇業の足しになる事を信じて。

作中の中国語は、翻訳ソフトによるモノです。

正しい中国語で無い可能性があります。

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[良い点] 勘十郎くん再登場ですね。どんな成果が得られたのか、とても楽しみです。(すごい成果でも、明後日の方向の成果でもどっちでも面白そう(笑)。) [気になる点] 中国語を意識して書かれていて雰囲気…
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