16話 織田信広
信広率いる一団が犬山城内を捜索し、その一行には信長も同行している。
目標は織田信清。
生かしたままで捕縛する事が最優先である。
犬山城周辺では、まだ日が昇っておらず月と星明りしか頼りにならなので、火の勢いが激しい城内のかがり火はすべて消した。
その理由は、灯りが強すぎるため、かがり火の届かない所では逆に真っ暗闇に見えてしまうからだ。
一方屋外では、月星明かりに目を慣らしながら虱潰しに捜索する。
しかし月星明かりすら閉ざされる屋内は、真っ暗闇に等しいので流石に灯りを携行しているが、それでも暗闇の全てをカバー出来るわけではなく、可能な限り物陰を無くす為に障子や襖、戸板を全て外して探索を進め、抜け道が無いか確認する為に動かせる物は全て動かして行く。
しかし少なくない人数が動いている為、隠れた気配を察知するのは難しい。
結局、捜索した結果の成果は、城内に僅かに残った家臣や妻子達の捕縛程度で、織田信清本人がどうしても見つからない。
捕らえた家臣に聞いても『闇に紛れてはぐれてしまった』としか言わない。
その様子を闇に潜んで見ていた当の信清本人が、絶体絶命の窮地に猛烈な冷や汗をかきながら捜索隊を躱していた。
(クソッ! 皆と分断されたか! どうする!? ……っ! ……これしかない! これで機を待つ!)
信清は天啓の如き閃きを駆使し必死に身を隠す。
しかも犬山城の敷地内に。
捕まればどうなるか分かったものではないし、こうなった以上は少しでも長く時間を稼いで信広、信長軍をこの場に留め置き万が一逃げ果せた場合は、精一杯の努力をした事を告げるつもりでいた。
一方、屋内捜索部隊は床下や天井裏を探し始めるが全く見つかる気配がない。
屋外捜索部隊は、まさか屋根上や木の上等、頭上に位置する場所にいるのかと暗くて見え難い頭上を探すが猫一匹いない。
信広と信長は困り果ててしまった。
蟻一匹這い出る隙間すら埋めたはずなので、城外に出たとは考えにくい。
「まさか、兵が脱出する際に一緒に脱出してしまったのでしょうか?」
信広の家臣は一つの可能性を考える。
「いや……城内で捕らえた家臣や妻子も『しばらく一緒に行動していた』と申しておる。少なくとも封鎖前に出たとは考えにくい」
信広はその可能性は考慮しつつも、完璧な包囲を前にそれは無いと結論付けた。
信長軍は、兵の脱出後、裏門を即座に封鎖している。
脱出は不可能だ。
監視も甘くない。
ならば城内の何処かに潜んでいるはずなのだ。
織田信清には尋問しなければならない事がある。
情報次第では、時間が勝負になる可能性すらある。
いつまでも『かくれんぼ』をしている訳にはいかないのだ。
「しかし、ここまで探して居ないと言う事は一緒に消えたとしか思えませぬが……もし思いもよらぬ場所に潜んでいるならお手上げです。いっそ火を放って炙り出してみますか?」
平手政秀も信清が消えた事に一票入れた。
「……!! 爺! それじゃ!」
信長が叫ぶ。
「ん? 思いもよらぬ場所に心当たりがあるか?」
信広が訪ねる。
「違います! 一緒に消えているのです!」
ちょうど朝日が差してきて、鮮明になった信長の顔は自信に満ちていた。
四半刻後(約30分)、城内を探索していた兵が全て集められた。
数は100人にも満たず10人一列で10列に並び、信広が兵に下知を飛ばす。
「全員、まずは武器を地面に置け」
「……?」
兵たちは訝しみつつ置いていく。
「次に兜、面頬、陣笠、鉢がね等、頭に身に着けている物を全て外せ!」
何人かの兵は『あっ!』という声をあげて何かに気づいた様だ。
そう。
信長は信清が兵に化けている可能性を考えたのだ。
「どうした? 貴様何をしている!?」
そんな中、緩慢な動きをしている一人の兵に信広は気づいた。
信広はその兵に前に立ち足元にある刀を蹴り飛ばす。
「外せない理由でも……あるのですか? 織田信清殿?」
「クッ……!!」
「全員、武器を拾って抜け!」
信広の号令の下、兵達は一斉に刀を拾い刃を抜き放つ。
「くそぉぉ!」
進退窮まった信清は信広に掴みかかったが、近付いた時に信清の顔を見て殆ど確信していた信広は、慌てる事無く難なく組み伏せ捕らえた。
信広の陣に連行された信清は雁字搦めに縛られている。
「クッ! 縄目の恥辱を受けるとは……!」
その信清を囲うように床几に座る、信広、信長以下家臣達。
「さて信清殿……まずは見事な隠形の術を称えねばなりますまい。成る程、木を隠すなら森の中と言う訳ですか。危うく信清殿と一緒に犬山城を後にする所でしたぞ」
信広は心底感心しているが、信清には皮肉にしか聞こえなかった。
「さて、今回の謀反の顛末話して頂けますかな?」
「……」
信清は最後の抵抗を試みている。
「こちらとしても時が惜しい。話さぬと言うのであれば、それ相応の覚悟をして頂きますぞ?」
「……」
口も眼も閉じて自分の意思を示す信清。
そんな信清を見て、定番とも言える譲歩案を信広が出した。
「今、話して頂けるのなら、ワシが父上にとりなし命の保証だけはしよう」
「……。無駄じゃ。ワシは何も喋らぬ。何をされようとな!」
信広の提案に頑として拒否を示す信清。
そんな信清を見て信広は揺さぶりをかける。
「何もしゃべらぬと。なるほど、何かは知っている、と」
「……っ!」
信清は失言を悟った。
信広はその失言を悟った表情を読み取って揺さぶりが成功した事を確信する。
要するに『カマをかけた』のである。
一度読み取ってしまえば後は信広のペースであり、『器用の仁』と言われた信秀の子である。
信長は兄の鮮やかな手腕に感心しつつ信清の思惑を考えている。
(喋る事が出来ない何かに、こ奴らの勝算があるのは間違いない。一体なんじゃ?)
信広の尋問が続けられる。
「ふむ、ここまで譲歩して話さないのは、何か特別な事情が御有りの様だ。これは簡単には行かぬ様だ」
「……」
「信清殿! 何者に対する忠誠なのかは解りませぬが、その心意気は天晴です! 一体何が貴殿を突き動かすのですか?」
若干芝居掛かった信広の尋問に、信清は止せば良いのに応じてしまう。
「……。フン! ワシの忠義を舐めるな!」
「忠義ですか。なるほど、忠誠を誓う相手がいる、単独の謀反では無い、と」
「……っ!!」
信清は信広の術中に嵌っているのに気づかず、容易に読み取れる表情をしてしまう。
「信清殿。ここまで割れてしまったのです。話して楽になりませぬか?」
「む、無理なのじゃ!」
「無理ですか。なるほど、相当身分の高い相手が黒幕だ、と」
「……っ!!!」
真相は何も話していないのに、喋れば喋る程に失言をしてしまう信清。
信広はここが攻め時と判断し畳みかけた。
「信清殿、これが五体満足で命が助かる最後の機会です。話して頂けますか?」
「……腕でも足でも斬るがいい! ワシは絶対に話さぬ!」
「強情な方だ。我が配下に欲しいぐらいですが、残念です。……おい、やれ!」
信清が配下に下知して、その中の一人が動いた。
「クッ!!」
斬撃に備え目を閉じて歯を食いしばる信清。
「……ッ!! ッ!? ……?」
しかし斬撃が信清の体を襲う事は無かった。
それどころか刀が風を切る音すらせず、信清は恐る恐る目を開くと先程の動いた兵が居ない。
信広は困惑する信清に、先程から変わらぬ柔和とも言える雰囲気で話しかける。
「どうしました信清殿?」
「な、なぜ何もせん!?」
信清の予想通りの反応に対し、満を持して信広の口角が持ち上がる。
極めて邪悪な表情だ。
「フフフ。『何もせん』とは何ですかな? さては信清殿、勘違いなさっている様ですが、ワシは『信清殿が五体満足で助かる』とは一言も言っておりませぬぞ?」
「何を……?」
信広が一体何を言っているのか理解できず困惑する信清は、見るも無残に青ざめている。
「ここには居りませぬが、犬山城内では捕らえた家臣と妻子を拘束しています」
邪悪な笑顔から一転して真剣な顔になる信広。
「まさか……」
「先ほどの命は『犬山城にいる誰かを斬ってこい』その様な命なのですよ」
信広は『心苦しいが仕方ない』とでも言いたげな悲痛な顔をする。
「キサマッ!!」
「先ほどの兵が誰を斬るかは解りかねますが、妻子殿を斬らねば良いですなぁ? ですがその場合、最後まで信清殿に付き従った忠臣が斬られるやもしれませぬな?」
心底無念な顔をする信広。
「グググッ!!」
「おい、だれかもう一人犬山城に行け」
無表情に告げる信広。
「はっ!」
「止めろぉ!!」
「『止めろ』とは? 止めさせるのはいつでもできますぞ? 実に、実に簡単な事です! 信清殿次第ですなぁ!!」
信広の顔が悪鬼の如く凄惨な顔になる。
「ぐぅぅぅぅッ!!」
信清の顔は苦痛に歪む。
「ふぅむ、仕方ない。もう一人……」
「止めろ!! 斯波……治部大輔様だッ!!」
「何じゃとッ!?」
信清は吐き出すように叫び、家臣達は一斉に立ち上がった。
信清の言う『斯波治部大輔様』即ち斯波義統とは織田信秀の主君の織田信友の主君である。
実権は織田信友に握られているが、その織田信友は信秀よりも勢力が弱い。
だがそれでも尾張の正式な支配者だ。
「ワシはどうなってもいい! 家臣や妻子は!!」
自分の命と引き替えに家臣の助命嘆願を叫ぶ。
「ご安心を。全員と犬山城で合わせて差し上げます。まだ誰も殺していません。……無論、この後も喋り続けて頂けるのであれば」
信広は斯波義統の出陣に動揺したが、悟られない様に続きを促した。
「治部大輔様を総大将に、織田大和守様(信友)が弾正忠(信秀)を討つ手筈だ。我等は陽動であり機を見て挟撃するハズだった……。いくら兵数が少ないとは言え、たった一晩で城が落とされるとは……」
完全に観念した信清は喋り始めた。
「治部大輔様や大和守様が我等を討ちたい理由は何じゃ?」
信広達は理由が分からず困惑している。
過去に信友とは争った事はあるが和睦しているし、現在も謀反を企てて居る訳ではない。
「お主らは……主家を蔑ろにし過ぎたのだ!」
その一言で信広以下家臣達は納得した。
最早形式上に過ぎないが、それでも斯波義統は尾張の頂点であり、その家臣が織田信友だ。
信秀は信友の家臣であり、信広等は本来文字通り格下の存在なので、世が世なら、顔を見る事すら出来ない程に、斯波義統の地位は高い。
ただ、今が戦乱の世で織田信秀と家臣達が優秀ゆえに、歪な上下関係になってしまっていた。
言うなれば、信秀の甘さが招いた結果ともいえる。
「父上と勘十郎に伝令を飛ばせ! 大至急だ!」
信広隊は慌しく動き出した。
そんな信広隊を横目に信長は考えていた。
(理由は分かるが……それでも妙じゃ……)
信長は1回目の人生で、斯波一族も、織田信友も倒している。
彼らが自分達と敵対するのは織り込み済み。
だから手は打ち始めていたが、それでも斯波義統と織田信友の敵対が察知出来なかったのは、少なくとも前世では信秀が没するまでは敵対しなかったので、諜報の優先順位を下げていたからだ。
また、もう一つ妙だと感じる理由があった。
(義統や信友が動員できる兵を全て集めても、我等には及ばないはずだ。なのに我等に対し仕掛けるのは何故だ!?)
もちろん、兵数が劣っても大軍を食い破った実例は幾らでもある。
史実の有名所では、大阪夏の陣での真田信繁(幸村)が徳川家康本陣に仕掛けた突撃。
伊達政宗の人取橋の戦いは4倍以上の軍を相手に互角に戦った。
信長も1回目の人生で経験した桶狭間の戦い。
率いる大将次第で軍の力は何倍にも膨れ上がるのだ。
そう。
大将が優秀ならばだ。
しかし、信長の評価では義統や信友はそのレベルに達していない。
凡将とも言っていい。
凡将だからこそ、今の地位に甘んじているはずなのだ。
ただ、信長が当主なので侮った挙句に返り討ちにあう前世ならともかく、信秀健在の今、攻撃を仕掛ける理由が分からない。
敵ながら幾らなんでもそこまで凡将では無いと信じたいが、信じたいからこそ相手の勝機が分からない。
「連れて行け!」
信広の声で思考が遮られた。
聞くべき事を聞いたので、移送するのだろう。
「兄上、ワシからも尋問させて頂きたい」
どうしても納得できない事がある信長は兄に許可を貰う。
「なんぞ、気になる事でもあるのか?」
「三郎様、今は一刻を争うゆえ……」
信広の家臣が諌める。
「いや良い。何か気になるなら聞いてみよ」
信広は思うところがあるのか許可を出し、信清は信清で今行われた会話を反芻していた。
「兄上? 三郎様? 貴様が『うつけ』の信長か!?」
信清は今の今まで信長がこの場にいる事に気付いていなかった。
普通に考えれば居るのが当たり前なのだが、自分の知る『信長像』と一致する武将がいないので、別の場所にいると思っていたのだ。
夜襲成功の絶対条件は信長が『うつけ』である事だったので、あまりにも様になる武者姿の信長を見て自分が完全に騙された事を悟った。
「刻が惜しい故、単刀直入に聞く。この絵図を描いた本当の人物は誰だ?」
信長の周囲の気温が一段下がった―――
そんな錯覚をする程、腹に響く声で尋問が始まった。
「な、何を……」
信清は懸命に惚けようと取り繕うが、しかし体は正直で信長の底知れぬ迫力にガタガタと震えだしてしまった。
「治部大輔様達では無いのか!?」
信広も信清の態度に、まだ裏がある事を察し驚く。
あと信長の豹変した気配にも。
「兄上、ワシには治部大輔や大和守が我等に勝てぬ事が理解出来ぬ程愚かだとは思えませぬ。動員できる兵数も率いる将も我等には到底及びませぬ。それなのにも関わらず奴等は立ち上がった! 必ず我等に勝つ策があるはずじゃ!」
信長は自身も気付かぬうちに49+5+1歳分の地が出始めた。
そんな信長に対し、この場にいる全員が飲み込まれてしまっている。
「信清。ワシは『うつけ』故に兄上より優しくない。分かるな? 誰が背後にいるッ!?」
雷鳴の様な信長の最後の言葉に、信清は全身全霊で叫ぶ様に答えた。
「ヒィッ! ―――じゃ! ―――が我等に与しておるのじゃ!」
信清はある大物の名前を出して失禁した。