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外伝28話 武田『不徳』信虎

【尾張国/人地城 織田家】


 人地城の広間では、老人と子供が平伏している。

 子供の方は視線に晒されて可哀想な程に緊張している。

 だが、老人の方は滲み出る覇気や所作から獰猛な雰囲気は隠しきれていない、と言うよりは織田家の面々の視線を跳ね返すべく意識的に発している様である。


(虎が悠然と寝そべっているかの様じゃ)


 居合わせた家臣がそう思うのも仕方ない、全くもって堂々たる伏せ具合であった。


「面を上げられよ」


「はっ。お初にお目にかかります。武田左京大夫信虎にございます」


「そ、その子、六郎信友にございます」


「織田三郎信長である」


 親子ほどの年の差とは言え、方や東海地方の有力大名の信長と、流浪の身である武田信虎には絶対的な差がある。

 官位は信虎が遥か上だが、この場では官位の意味は消失し、お互い、その存在感に驚いていた。


(こ奴が信玄の父、武田信虎か! 老いた虎なのだろうが姿に惑わされてはならん。あれは擬態だ。しかも擬態だと敢えて伝わる様に覇気も押さえておらん。これは……朝倉宗滴に匹敵するか!?)


(コレが尾張のうつけか! こりゃ凄い! 20歳そこらの若造の出せる覇気ではない! 傑物じゃ! 英傑の素質がある! 晴信や信繁に勝るとも劣らん! しかし……)


 転生前からも人の能力を見抜く事に長けた信長と、かつて甲斐を制覇した信虎の直感がお互いの力を見抜く。

 見抜くが、信虎は目頭を押さえて揉んだ。


(……しかし隣の男装の女は何だ? 奴の趣味か? だが何故か、その女からも奴と似た雰囲気を感じる。おまけに並みの将など軽く上回るただならぬ雰囲気まで纏っておる。……うーん? ワシの直感も衰えたかのう?)


 信虎は帰蝶の存在に面食らった。

 その並みならぬ潜在能力や、この政治の場に女が同席する事。

 更には、織田家の面々がこの場違いな存在を『いつもの事』と容認している事に。

 信虎は己の直感の衰えを少し疑ったが、もちろん、その疑いは後に晴れる事になる。

 そんな信虎の困惑を信長も感じ取り、苦い顔をしながら助け船を出した。


「あー……。こ奴は織田家の中心人物の1人。この場に居るのに驚かれたと思うが許されよ。改めて織田家へよくぞ参った」


「あ、い、いえ、お構い無く。(そう言えば義元が言っておったな。織田は老若男女関係ないと。真であったか)」


「さて、本題に入るが今川殿からの書状は拝見した。武田討伐に加勢したいとの旨であるが、本当に良いのじゃな? それは息子を討つと同義じゃが躊躇は無いのだな?」


「構いませぬ。今、甲斐を支配している者共はすべて粛清し、あるべき姿に戻します」


「そこまで快活に即答するか。もし晴信討伐が成功したら甲斐の地を欲するか?」


「要らぬとは言いませぬ。貰えるなら貰いたい。今更隠しはしませぬ。しかし、某が挙げた武功はすべて六郎信友に譲渡し、織田家に支援して頂き甲斐を治めたき所存。いや、甲斐を治めるとは言いすぎですな。一部で構いませぬ。どうか帰還の為に力をお貸しください。今の甲斐は正当支配者の某を追い出した馬鹿共。甲斐武田の家督はこの六郎信友に御座います。1度は六郎に甲斐の地を踏ませてやりたいのです!」


「ち、父上……!」


 そう言って信虎は涙をこぼした。

 信友はそんな父を健気に案ずる。


 その光景を信長と帰蝶は、訝しげに見た。


《これは……『甲斐を攻める大義名分が欲しくないか?』と、暗に言いたいのですかね?》


《そうじゃろうな。涙は演出じゃ》


《甲斐に帰りたいのは本心っぽいですけど……》


《全くとんだタヌキよ。虎なのに。まぁ、無欲よりは信頼できると言うのが率直な感想か。これ以上でも以下でもないが。さてどうするかな……?》


 信長と帰蝶は、信虎の言葉と態度から察する事の出来た情報を、取り敢えずは飲み込んで次に進めた。


「そうじゃな。それが叶う程の武功を立てれば考えよう。しかし、それには今より甲斐の内情を知る限り話して貰わねばならん。いきなり信用されるとは思っておるまい?」


「勿論です」


 信虎は躊躇無く、機密とも言える武田の内情を話始めた。


「某が治めていた頃の甲斐は、小勢力が乱立する乱世中の乱世でした―――」


 痩せた土地に、少ない食料を奪い合う小勢力が乱立し、治安も生活も何もあったモノじゃない、血で血を洗う土地である甲斐。

 小勢力は他勢力との小競り合いを繰り返し、農民は兵役に駆り立てられ、しかも多数の領主に何重も年貢を支払い、明日をも知れぬ毎日を送っていた。


 そこに1人の男が使命をもって、改革に着手した。

 武田信虎である。


 小勢力で争う現状は大国に取って喰われるだけで、自国の益にはならない。

 隙を晒し続けるだけである。

 だから、信虎は強引に力で統一した。

 その結果、民への負担は瞬間的に激増したが、統一後は年貢も一元化し急速に甲斐は平穏になる―――ハズだった。


 運の悪い事に、記録的な飢饉が発生してしまったのだ。

 甲斐の混乱と疲弊を考えれば、当然の飢饉だったかもしれないが、この宗教が絶対の時代、運の悪い事は罪である。

 特に人智の及ばない所で運が悪いと、支配者に取っては致命的である。


 何故なら『徳が無い』からである。


 徳とは、人徳や清く正しい人柄、行い等、およそプラスのイメージに関する言葉で、誤解を恐れず言うなら『神に愛される度合い』である。

 この度合いが低いと飢饉や天災、或は日蝕や怪奇現象も支配者の『徳が無いから』と見なされる。

 宗教が絶対の世界で神に愛されていないと判明したら、結果は火を見るより明らかであろう。


 殺されるか、取って変わられるかである。


 現代でも謝罪会見等で聞かれる『不徳の致す所であります』は、自ら『徳がない』と宣言する行為で、世が世なら殺されても文句は言えない程に重い言葉である。

 果たしてソコまで重い覚悟でこの言葉を使い、謝罪している人はいるだろうか?


 とにかく信虎は、飢饉の全責任を追うハメになった。

 ついでにアレやコレや、有る事無い事上乗せされ追放を正当化された。


 誰かがやらなければならない甲斐統一であった。

 負担が増しても、誰かが手を汚さなければならない、覚悟のいる改革であった。

 しかし、正しい国の形にするつもりであったと弁明しても、神が明確に否定しているのである。


 信虎に従わされた家臣団も、武田家として1つの勢力となるメリットは理解しているが、この領主では駄目だと判断しただろう。


 晴信が擁立されるのは、時間の問題であった。

 しかし、クーデターを成功させた家臣は、同時に強い発言力を持ち、晴信は家臣の統制に苦労する事になる。


「―――今、誰かがやらねば、甲斐の国の民全員が共倒れになり申す。ちょうど、今の日ノ本の混乱を更に凝縮した地と言えば伝わりましょうか? 待ってるだけでは誰も助けてくれませぬ。しかし、誰もが好き勝手戦い、助けを待つばかりで自分がやろうとはしない。誰もが将来を見ない。某しか適任が居なかったのです!」


「その結果が甲斐追放か。《ファラ、お主の知る武田信虎はこんな感じか?》」


《いやぁ、もっと悪魔的と言いますか、最悪の部類の独裁者と伝わってます。こんな覚悟があったとは知りませんでした》


「《そうか。まぁ、いつもの如く歪んで伝わるものじゃな》同情はするぞ。仕方ない部分もあろう」


「ありがとうございます。甲斐は周辺の土豪や実力者をようやく支配下に置いた段階で、奴らは依然として強い発言力を持っております。某はそ奴等を従える為に強硬な方針は確かにとりました。しかし、それは外に敵を作らねば一致団結出来ん武田の体制に問題があり、そこが弱点でもあります。晴信を傀儡とした方が甘い汁が吸えると思った馬鹿共を懐柔して、切り崩すのが得策かと」


 信虎は甲斐の顛末から、武田攻略の糸口まで示した。


「あいわかった。『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』とは正にこの事か。こんな言葉を言った奴の家臣が弱点か。なるほどな」


 この言葉は、人は情けをかける事で城や堀、石垣に例えられる程に強固な団結と力を見せる。

 現代ではビジネスの基本として、適材適所などの心得を説く言葉として利用されるとか。


《どうですか? 私は信用できると思いますが?》


 帰蝶は信頼したようであるが、信長は少し違った。


《……奴の真意がわからん。本当に子供が憎いのか? ワシには息子の為に全ての悪名を被って、円滑な権力委譲を果たした様にも見える。全て仕組んだなら織田は猛毒を抱えるかもしれん》


 史実の信虎は、追放された後も甲斐武田の為に動いた形跡が散見されており、故郷に帰る努力をしたのか、悪名を被って自由の身になり行動範囲を広げたのか分からない。

 信長はそこが引っ掛かっていた。

 ただ帰蝶には、信長が武田アレルギーを発症し、慎重になり過ぎている様にも見える。


「《1つカマを掛けるか》この乱世、負けた者が悪い。乱暴な理論じゃが真理でもある。武田の将来を思うなら、晴信に道を譲るのも道理ではないか?」


「……ッ!! 負けたとは思っておりません。最後に勝っていれば良いのですから!」


 勝負の結果の基準はそれぞれである。

 戦の勝負だけが全てではない。

 例えば、必ず殺さなければならない者を逃がせば、再起の可能性を生んでしまう。

 史実では執拗に豊臣家を潰した徳川家の様に。


 万人が負けを認識しても、本人が納得していなければ勝負は真っ最中の理論である。

 例えば信長から京を追放された足利義昭は、追放先でも再起を図って抵抗していた。


 勝負の結果を簡単に決めるのは難しい。


「《そう来るか》それも真理じゃな。負けても失敗しても挽回すれば良い。その考えは嫌いではない。左京、お主は根っからの戦国武将よな」


《カマを掛けて何か探れましたか?》


《……正直な所、計りかねておる。嘘はついていないと思うが自信は無い。流石は歴戦の猛者と言ったところか》


《どうします? 織田家に迎え入れますか?》


《入れる。対武田の切り札になるか、織田の病魔となるかは判らんが、この程度で臆しておっては、天下を飲み込むなど夢のまた夢のよ》


「分かった。幾つか条件を出す。まず六郎は人質として預かる」


 人質という言葉に、今まで緊張で固まっていた信友が体を反応させる。


「心配せんでもよい。同じ年頃の同じ立場の者共がたくさんおるからな。退屈する事はあるまいよ」


 信長は元服しているとはいえ、まだ幼い信友に安心を与えた。


「それよりも左京よ。問題はお主じゃ。甲斐を制覇した手腕は疑っておらんが、追放から何年経つ? 今の実力を見せてもらわねば甲斐への帰還は夢物語じゃぞ? 織田家では実力が全て。指揮采配はそんなに心配しておらんが、体力が無くては戦に関わらせる事は出来ぬぞ?」


「その辺は娘婿の今川駿河殿より聞いてきました。織田では居場所を自力で確保せよと」


 信虎は既に62歳。

 この時代なら、明日寿命を迎えても不思議ではない年齢である。

 実績は抜群であっても、お荷物になるなら必要は無い。


「ならば話は早い。さっそく武芸の腕を見せてもらおうか。於濃支度せよ」


「はい!」


 帰蝶は笑顔で立ち上がる。

 そんな帰蝶の行動に、信虎は虚を突かれた顔になる。


「……? まさか濃姫様と立ち会えと?」


 妙な成り行きに信虎は戸惑った。

 武芸の腕を見せるのは想定内であった。

 しかし家臣の中には、明らかに猛将の雰囲気を纏った者が居るのに、支度をするのは帰蝶である。

 意味が分からなかった。


 信長は信虎の困惑を感じ取った。

 そんな信長の顔も渋面である。


「……一応、不公平の無い様に言っておくが、こ奴は織田家でも10指に入る剛の者じゃ。誠に残念ながらな」


 信長は眉間を摘み揉みほぐしながら言った。

 本当に無念に思っている様だった。


「かの太原雪斎を接戦とはいえ打ち負かた事もある。舐めて掛かると痛い目を見るぞ」


 信長の言葉に信虎は驚き帰蝶を見ると、目が爛々と輝いており、最初に見た時より、明らかに歴戦の猛者の雰囲気を放射していた。


「(太原雪斎を破った!? ……ワシの直感は鈍っていなかったか! 義元め! ソレを教えとかんか!)織田家は出自性別無関係と聞いておりましたが、話し半分と思っておりました。まさか本当にそのままの意味だとは!」


「どうする? 止めても良いぞ?」


「コレはコレで面白い! どうやら本当に並みの使い手ではなさそうじゃ! 俄かには信じ難いですが、肌の粟立ちが止まりませぬ。まさか女子に対して血沸き肉躍る感情を持とうとは! しかし、ワシとて甲斐で名を馳せた者! 老人と思って侮られては困りますぞ!!」


 信虎の口調が段々と荒々しくなり、覚悟が固まった様であった。

 その後は、信虎と帰蝶の激闘が繰り広げられた。


 結果は信虎の惨敗であった。


「まさか……まさか一本とるのが精一杯だったとはな……。歳はとりたくないのう」


 信虎は槍で一本取る事に成功したが、刀、弓、組打、馬術は負けた。

 やはり追放され現場から遠ざかった身では、衰えは隠せなかった。

 信虎は女子相手に一勝しか出来ない事に、大恥をかかされたと感じたが、織田家の面々の反応は違った。


「左京お主やるな! 織田軍全体でも、こ奴から初戦で一本取れる人間は5人もおらん! しかも高齢者で! 快挙じゃて!」


「え? そ、そうですか……? お見苦しい……武芸で……恐縮です……!!」


 肩で息を切らせながら信虎は答えた。

 しかし成績の割には絶賛される事に違和感を覚える。


「お見事です、左京君!」


 更に違和感が上乗せされる帰蝶からの『君』呼ばわりである。


「左京……『君』……!?」


「あー……。一応規則と言うか慣例でな。於濃から一本も取れない者は『ちゃん』呼ばわり。3種目で一本取ったら一人前と見なし呼び名も普通になるが、それまでは『君』なのじゃ。無論非公式の場の話じゃがな」


 苦い顔をして信長が答えた。


「ちなみに、全種目で一本取ったら『様』で呼びますよ!」


「あまり言いたくないが、ワシも『様』で呼んでもらうには時間が掛かった……」


 信長も武芸は抜群であるが、どうしても弓だけが勝てず、全種制覇に時間が掛かっていた。


「そ、そうですか。未熟故に仕方ありますまい……。受け入れましょう。所で『様』や『殿』呼ばわりされる普通の対応をされている方は、何人いらっしゃので?」


「『殿』で10数人、『様』で6人ですね」


「(少ない!?)そ、そうですか……」


「よし。お主を織田家に必要な人材と認める。詳細な情報から弱点まで述べたお主の覚悟は受け取ろう。その時が来るまで織田に身を置き励むが良い」


「あ、ありがたき……幸せ……!!」


 無事、武田信虎、信友親子は織田家に迎えられた。

 その他の幼い子息や側室も屋敷を与えられ、尾張に住み込む事になる。

 そんな新しい武田屋敷では、人質になる為の準備をする信友が、信虎に心配そうに話しかけた。


「ち、父上大丈夫ですか? 如何致しますか?」


「想像とはだいぶ違ったが問題ない。これで武田は安泰となろう」


 そういって信虎は笑った。

 虎が笑ったらこんな顔になるであろう、猛獣の笑みであった。

主な織田家敬称案内


『様』:全種目勝利

柴田勝家、森可成、滝川一益、北畠具教、塙直政、織田信長(太原雪斎、今川義元、斎藤義龍、稲葉良通、朝倉宗滴、三好長慶)



『殿』:3種勝利

前田利益、九鬼定隆、織田信広、明智光秀、飯尾尚清、織田信秀、北畠晴具、河尻秀隆、佐久間信盛(斎藤道三、安藤守就、氏家直元、細川晴元、松永久秀、宇喜多直家)



『君』:1種勝利

今川氏真、佐々成政、丹羽長秀、斎藤利三、九鬼浄隆、瑞林葵、坂茜、塙直子、毛利良勝、服部一忠、池田恒興、足利義輝(朝倉延景)



『ちゃん』:未勝利

松平元康、前田利家、藤吉郎、生駒吉乃、九鬼嘉隆、於市、猿夜叉丸



()は戦ってはいないけど対戦すれば恐らくこの位置に来るであろう他家の人々です。

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