117話 面食らう者
【甲斐国/躑躅ヶ崎館 昨年の武田家】
米作りに差し掛かる前の事である。
『ふむ。本当に分離するとはな』
武田晴信、信繁兄弟は水桶に浮かぶ、あるいは沈む種籾を見て、流出してきた情報が真実を内包している事を知った。
『何とも不可思議な光景じゃ。全部浮くとか沈むとかなら理解できるが、分別できるとは』
『人でも泳げたり溺れたりする者もいますし、そういうモノなのでしょうな。ハッハッハ!』
『それは意味合いが違う気がするが……』
信繁が冗談を飛ばす程に明るく弾んだ声で笑うが、それは晴信も同じ思いであった。
『まぁ、後はこの分別された種籾がどう変化をもたらすかじゃな。よし。では浮いた物、沈んだ物、同じ量の種籾で成長と実りを比較しようか! ……これはひょっとすると、ひょっとするかもしれんぞ!』
武田兄弟は飢えに苦しむ甲斐の未来に、希望の光が差し込んだ事を実感し興奮を隠しきれないのであった。
次の興奮はすぐにやってきた。
即ち、効果の確認、収穫の時期だ。
晴信は家臣全員を水田に呼びつけた。
『(しかし、何度見てもこれは凄いな……)見よ! この実り溢れる稲穂を! ワシが仏と対話し得た秘術が、実を結んだ成果である!』
『(まさかこれ程までに結果に直結するとは思いませんでした)皆に説明しよう。御屋形様は領内の食糧難に心を痛めていた折、夢枕に仏が立たれたそうだ。その仏との問答の末に収穫量を増やす秘術を授かった。向かって右が従来の稲穂、左が秘術を施した稲穂だ。およそ2割ほどの増量に成功したのが目に見えて判るだろう』
『おぉ……!』
今までは収穫を増やすには水田の面積を増やすしかなかった。
だが、同じ面積の水田で、明らかに増えている稲穂の光景に家臣たちは面食らい感嘆の声を上げるしかなかった。
それは大々的に発表している武田兄弟も同じで、今回の成果に内心面食らっていたが、それは表情に出すまいと懸命に我慢していた。
『一体如何なる方法で!?』
晴信は『やれやれ』とでも言いたげに、軽く肩を揺らし広角を上げた。
余裕を装っているが、これも焦って逸る鼓動を何とかごまかす動作であった。
『言ったであろう? 仏と対話検討し編み出したのじゃ。おっと! 余計な詮索は仏罰が下るぞ? 一つ言える事があるとすれば、信仰心の賜物であるといっておこう』
織田家から流出した技術ではあるが、晴信は事実を伏せて改竄し自らの力の結果として振舞った。
例え借り物であろうと、奪った物であろうと、自らの発言力に繋がるなら何でも利用し、力を見せ支配力を強め、更なる強さを手に入れる。
武田家は支配体制が合議制から絶対君主制へリニューアルを果たした勢力である。(94話参照)
より強力な武田家へと至るなら、恥も外聞も気にしている暇などないのである。
『今後、稲作で使う種籾は武田家から支給した物を使う。既存の種籾もすべて秘術にて鑑定する。従来の種籾を勝手に使い減産に繋がる事は禁ずる!』
晴信は固く厳命し、種籾の選定を弟と二人でする事になる。
それは寺のお堂で、宗教的儀式を念入りに取り入れた、渾身のカモフラージュと厳戒態勢であった。
【甲斐国/躑躅ヶ崎館 今年の武田家】
「これは凄いな……」
武田兄弟は去年以上に面食らった。
かつて甲斐国では特大の飢饉が発生した。
晴信の父、信虎の時代である。
その未曾有の食糧難に対応するため、信虎は打って出た。
無いなら奪う。
この時代の常識に沿って。
しかし、その方法も過激過剰すぎて家臣の心が離れ、晴信擁立のクーデターに繋がったと言われている。
そんな未曽有の大飢饉の時を苦難を思えばこそ、眼前に広がる稲穂の光景に武田兄弟は信じられない物を見るかの様な気持ちであった。
また改めて、昨年検証し確信した、種籾水選別の威力に面食らった。
自分達の記憶に無い程の収穫量に、動揺を隠せなかった。
病害に強く力強い実りを見せる稲穂、更に部分的に運用可能になった『堤』の効果、更に偶然にも気候に恵まれ、豊作への協力後押しが加わった。
「浮く種籾は実りが悪く病気にも弱いが、沈んだ種籾は実りも良く病気にも強い。そう結論付けて良かろう」
「これも鉄砲と同じく、南蛮諸国の技術なのでしょうか?」
少なくとも日本でこの技術を聞いた事がない。
ならば南蛮人により持ち込まれた、未知の技術しか無い。
「そうかもな……いや? 浅井某は信長とその妻が関わったと言っておったな。だがまぁどちらでも良い。この結果こそが全てだ」
著作権や特許など、開発者を保護する権利など存在しない時代である。
晴信の言う通り、技術の出どころは何処でも構わない。
結果が全てである。
「これで飛騨攻略の機会は整い、飛騨守としての責務を果たせましょう。戦の準備をしますか?」
三好長慶により天文19年(1550年)に飛騨守に任じられて6年。
武田家は、正当な飛騨守として何ら責任を果たしていない。
「……まて。今年は開墾に堤建築と農民に無理をさせ過ぎた。今年の収穫と念には念をいれて来年の収穫も含めた兵糧で攻め込む。三好殿の期待に応える為にもな」
しかし、責任を果たせていない事に対し、何ら恥じる事はない。
いつ、どこで、どの様に飛騨を治める約束などしていないのだから。
三好家に都合がある様に、武田家にも都合がある。
長慶の思惑は、京の東で急成長した織田家、斎藤家を牽制する為に武田家を対抗馬に仕立て上げた。
しかし目紛しい情勢変化の末に、今では信長は、長慶の最大の協力者と言っても過言ではない関係である。
晴信の言う『三好殿の期待に応える』は、文字通りの意味で無くなっているのは、晴信も信繁も理解している。
今では敵対勢力となってしまっているが、その敵のミスを大義名分として、遠慮なく利用するのも乱世の嗜みであろう。
「わが戦略を叶えるには後1年。つまり来年の収穫後が勝負の時。長尾にもそう伝えて援軍を整えさせよ!」
「は!」
遂に武田軍は、飛騨攻略を決断したのであった。
【越後国/春日山上 長尾家】
(そうか。ついに飛騨侵攻を決意したか。風林火陰山雷とか抜かしおるが腰が重すぎるわ)
届いた書状を火鉢に投げ捨てた。
最重要機密なので流出を防ぐ為に。
(じゃが、このまま動かぬよりは遥かにマシか。これを機に奴らを根絶やしにしてくれる!)
「誰ぞある!」
長尾景虎は小姓を呼びつけた。
「はっ! 失礼いたします!」
廊下に控えていた小姓が、間髪入れず返事をし入出した。
「来年動く。各自準備を怠らぬよう諸将に伝えよ」
景虎は戦の計画が立ち上がった事には、満足げに頷いた。
何せ、水選別こそ武田家からは伝えられなかったが、改良鍬の恩恵は長尾家にも十分行き渡り、甲斐同様に豊作となった越後。
「え? は、はい。目標はどこでしょうか? それに来年のいつでありますか?」
必要最低限にも満たない言動に、小姓は面食らいつつ己の役割を果たそうと必死に食い下がる。
最近の景虎は普段以上に口数も少なく、必要最低限の言葉と必要最少人数で動こうとするので家臣は困り果て、小姓に対して情報を引き出すよう突き上げていた。
「目標は言えぬ。しかし時期は伝えよう。来年収穫後だ。さて、ワシは出かける。留守は任せた」
「ど、どちらへ!?」
行き先も目的も告げずに出ていこうとする、景虎の発作的行動に面食らって小姓は食い下がる。
「詳細は言えぬが京周辺とだけ言っておく。供する者も少数でいく。むしろワシが越後に居るように見せかけよ」
景虎と家臣の板挟みで、小姓は泣きたくなる気持ちを懸命に我慢して、家臣たちに対する報告を考えるのであった。
【駿河国/駿府城 今川家】
駿府城では、主人の今川義元と、もう一人の男が座して向き合っていた。
男は髪を剃り上げ僧の風体である。
今川義元は、思わぬ人物の思わぬ提案に面食らっていた。
「無人斎道有……それが新しい名でありますか。義父殿には世話になりました故に、頼まれれば断りはしませぬが、本当によろしいので?」
義元は何となく理由は察したが、一応確認の為に尋ねてみた。
「構わぬ。お主の妻でありワシの娘でもあったは恵(定恵院)は亡くなってしもうたが、その血を引く孫の彦五郎は立派になったと聞く。爺が冥土の土産に残す最後の可愛がりじゃて」
「可愛がり……ですか。孫への愛情は解りました。今川としても彦五郎の父としても心遣いはありがたいですが、しかし肝心の息子への愛情は……?」
義元は、更に念の為に尋ねてみた。
「ん? そんなモノは無いぞ?」
無人斎道有と名乗った男は、想定外の質問に困惑した様な表情でキッパリと断言した。
(クッ。小賢しい芝居をしおって……)
義元は、今の答えが大根芝居過ぎて吹き出しそうになるのを、辛うじて堪えた。
「で、では戦場にて対峙したら如何いたしますか?」
「無論ブチ殺す」
道有はまるで『何を当たり前の事を』とでも言う様に、真顔で息子殺害の意思を示した。
その感情はまるで、腹が減ったら飯を食う、夜になったら眠る、火の粉は払い落とす、ゴキブリは叩き潰す。
まるで普段の生活で『やって当然の行動と同列の行為だ』と言わんばかりに断言した。
「奴だけではない。主家簒奪を主導した者供も、全て切り刻んで犬の餌にしてくれる! ワシの悪評通りにな! クックック!」
そう言って道有は笑った。
先程までの普段の日常生活の雰囲気は一瞬で消え失せ、見る見る内に道有の眼は爛々と邪悪に輝きだし 口は自然と横に開く。
まるで血に飢えた野生動物の様な、凄惨な笑みであった。
(もう良い歳だろうに何たる獰猛な眼光よ! さすがは真なる甲斐の虎、武田信虎か!)
無人斎道有―――
元の名を武田信虎。
曰く粗暴・傲慢を極め、領民に重税を課し、道楽に妊婦の腹を裂き、諫言した家臣を手討ちにし、酒色に溺れ、見るに見かねた息子晴信に国を追放された悪逆非道の絶対暴君―――
と、古来より伝わる、悪人がやりがちな悪行をコンプリートした人物とされている。
一説には晴信の家督簒奪に、正当性を持たせる為の意図的な流言であるとも言われている。
「それに、武田の正式な家督は六郎信友じゃ。正当な支配者が歪な状態を正しに行くのじゃ。何もおかしい事はない! その為に武田と一戦交えるであろう織田に接触したいのじゃ!」
六郎信友とは、信虎が追放された後に生まれた男子で、史実でも信虎から正式な家督を譲られている。
「わかりました。そこまで仰るなら織田への紹介状を書きましょう。その前に一つ。天下布武法度にて、信長は僧侶が政治や戦に関わるのを嫌っております。出家したばかりで申し訳ないですが、還俗なさった方が宜しいかと」
「そうか。じゃあ只今より武田左京大夫信虎の復活とするか!」
宗教が絶対の世界で、せっかく得た僧籍をあっさり捨てる事にした道有こと信虎。
義元は信虎の変わり身の早さに、呆れるやら頼もしさを感じるやらで苦笑するしかなかった。
「ただ、今川家としては武田とも織田とも同盟をしているので、これ以上の援助はできませぬ。織田に行った後は自力で居場所と地位を確保して貰うことになるでしょうが、まぁ、義父上ならば問題無いでしょう」
義元は、武田信虎からの思わぬ提案である、甲斐への攻撃と息子殺害。
その望みを叶えられる場所であろう、織田家へ渡りをつける事を約束したのであった。
「居場所を確保?」
「あそこは特殊でしてな。才覚ある者には誰でも道が開かれるのです。老若男女身分関係なく」
「成程。ならば今のワシには打って付けよ!」
道有は義元の言葉を、ある種の励ましと受け取った。
つまり話半分に聞いていて、武田前当主として、内情を知る者として重宝されると踏んでいた。
それは半分当たりであるが、居場所を確保するには本当に義元の言ったままの意味で特殊であり、尾張で信長と対面を果たした後に面食らうのであった。
こうして水面下では、戦の機運が高まっていくのであった。
12章 弘治2年(1556年) 完
13章 弘治3年へと続く




